経済活性化につながるイベント
「平城遷都1300年祭」は360万人の人で大賑い
                                        〈 2010・11・10 〉

 奈良の遷都1300年祭は大ヒットであった。360万人の人が古都に押しかけ、平城宮跡の大極殿や奈良国立博物館の正倉院展などを中心に大変な賑わいをみせた。恐らく、史上最大の古都のイベントとなったと思う。当初、物議をかもした「せんとくん」も、結果的には大人気となって一役買ったといえる。
 イベントといえば、今年は何といっても上海万博が最高であろう。10月30日までに7300万人の人が世界中から集い、歴史的な動員数を残す結果となった。
 私は、やっぱりイベントは経済の活性化に大きな役割を果していると思う。この上海万博はもちろん、国際的な規模での実績を残している。また、遷都1300年祭は、日本の古都・奈良が再認識されるところとなり、大きな経済的波及効果をもたらしたと思う。来年、奈良で古都マラソンが開催されるそうだが、大阪でも初めて市民マラソンを行うという。大阪城を駆け抜け御堂筋を折り返すというコースだそうだ。東京マラソンに匹敵する参加者が見込まれるが、こうした行事の開催は楽しみだ。
 私は、多くの人が集うことを評価しているのではない。それは結果であって、イベントの開催によって、その地域の経済的文化的な活力が蘇えることの重要性を強調したい。そして、それが次へのステップとなって繋がることを期待している。

 瀬戸内芸術祭は7つの島に90万人

 そうした意味で、私は、瀬戸内国際芸術祭(7月19日〜10月31日)を評価したい。これは、安藤忠雄氏(建築家)や横尾忠則氏(美術家)ら国内外の75組が参加して、瀬戸内海の小豆島、直島、豊島など7島を舞台に開催されたものだが、「地域の活性化」と「海の復権」というテーマが見事に実り、予想の3倍を超す90万人の来島者で、大変な賑わいを見せたという。
 私も10月24日〜25日のギリギリの段階で直島―小豆島を訪ねたが、島は活気に満ち、美しい瀬戸内海の自然とマッチした芸術祭になっていたことに驚いた。特に欧州からの観光客が多く、この時期だというのに、何組もの男女が海で泳いでいる姿にはびっくりした。
                                             写真】大自然の中にある李禹煥美術館の前庭で。
 直島のベネッセハウス美術館を軸として、地中美術館、李禹煥美術館などは瀬戸内海の大自然を見事に生かした芸術作品を生み出し、大勢の人で賑わっていた。さらに、あの産業廃棄物の山と化していた豊島が蘇生し、芸術の島に変身したことも大変に嬉しく思った。
 それというのも、私がタタキ台を書き、2000年6月に成立させることができた循環型社会形成推進基本法によって、そして、地元の人や関係者の努力で、豊島の自然が再生され、今回の芸術祭参加となったことに、私は法案提案者としての喜びを改めて確認することができた。
  
 町の活性化に奮闘する小豆島町長

 さらに小豆島では中山地区の千枚田を訪問したが、ここの水は日本100選にも選ばれていて、豊かな大自然そのものが今日も保たれていることに感動した。案内してくれた塩田幸雄町長は、かつては環境省総務課長として活躍し、循環型社会形成推進基本法や自然再生推進法、環境教育推進法などを共に苦労して作り上げた同志である。その塩田氏が故郷の小豆島町に帰り、この春、町長に就任し、町の活性化のために頑張っている姿に、私は心からの敬意を表した次第である。
 この中山の棚田の中に、すべて竹で作ったログ・ハウスが建てられていたが、これも芸術祭参加作品で、豊かな大自然とマッチしていた。

 これらのイベントによって、その地域に活力をもたらし、そして、歴史的文化的遺産が堀り起されることは、誠に喜ばしい限りである。

【写真】小豆島・中山の千枚田をバックに塩田小豆島町長と。





 古代のロマンに誘われて遺跡散策


 例えば奈良の場合、今回は平城宮跡を中心にしたイベントではあったが、それよりも古い万葉のふるさと、飛鳥時代や古墳時代の遺跡も注目され、桜井市にある箸墓古墳や纒向石塚古墳など、山の辺の道も大変に賑わったという。そうした波及効果は大きく、限りない広がりを見せている。
 私も先日、古代のロマンに誘われて、卑弥呼の里といわれるこの地を訪ね、色づき始めたヤマト王権発祥の地を散策した。なかでも、「卑弥呼の宮殿か」ということで話題になった纒向遺跡の発掘現場まで足を伸ばしたが、現在は田んぼに復元されていた。しかし、この50センチ下から、約10メートルにもなる巨大で高度な技法を用いた建造物跡が出たという。特に今回の調査で、3000個以上の桃の種が集中して発掘されたことから、これは高貴な人、つまり卑弥呼の館ではないかとの推理につながり、大変に大きな話題となったのは昨年の秋であった。というのも、その近くの箸墓古墳は昔から卑弥呼のお墓ではないかといわれてきており、一気に邪馬台国説に浮上したというわけで、私も古代ロマンの話に胸の高まりを覚えた。
 ともあれ、イベントと文化、そして歴史は切り離しては考えられないことは確かであると実感した次第である。全国各地で、その地域の特色を生かしたイベントが盛大に開催されることに期待したい。

【写真】卑弥呼のお墓といわれる箸墓古墳をバックに。峨阜遺跡の発掘現場で、この土地の所有者と。










猛暑の夏に学んだことは「自然共生」

  生物多様性を生かしたエコツーリズムを!
                                        〈 2010・9・21 〉
 

 この夏の猛暑は異常であった。特に大阪の猛暑日は過去最多の31日に達し、連日熱帯夜に泣かされた。やはり、地球温暖化による現象なのだろうか。ともあれ、年々、暑くなっているのは確かである。
 私は、地球環境を護り、自然との共生の大切さを一貫して主張してきたが、今年は生物多様性年であり、10月には名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催される。今こそ、この温暖化の流れを食い止め、自然との共生に英知を結集することこそ今日的な緊急課題といえる。
 その意味では、日本経済の新成長戦略の柱に、環境・観光の組合せによる「エコツーリズム」を取り入れる発想が大事だと考えている。例えば、日本には「温泉」とか、「雪景色」といった観光資源あり、中国、台湾、韓国などからの観光客に大好評である。それに加えて、屋久島や知床半島などの大自然は世界遺産にも登録されていて、日本の誇りになっている。そして、沖縄や北海道の自然環境はエコツーリズムの人気を集めている。
 これら日本の豊かな自然は生物の多様性が護られてきた証である。しかし、今、それに赤信号がともり始めている。経済活動を優先させてきたことによって、自然のバランスが壊れ、生態系に異常が生じ始めているのだ。
 かつて、2003年に成立した自然再生推進法は、私の提案による議員立法であるが、そうした壊された自然を再生させることを目的としている。この法律で直接適用されている自然再生事業は全国で20ヶ所程度だが、それでも里山が復活したり、湿原が保護再生されたりと多くの成果を生み、同時に、コウノトリやトキの野生化への流れも強めている。先日は公明新聞紙上に、兵庫県篠山市の酒井市長が自然再生推進法の成果に注目してるとの原稿が掲載されていた。

 ともあれ、この10月に名古屋で開かれるCOP10を軸として、生物多様性の議論が、各地で活発に行われることが期待される。

 見事な自然美のフィヨルド(世界遺産)

 ところで、私は、非政府組織(NGO)の地球環境行動会議(GEA)の一員として、この夏、北欧ノルウエーのフィヨルドを訪れたが、大自然の素晴らしさに心から感動した。フィヨルドは2万年も前の氷河期から悠久の時をかけて造り上げられた大自然の遺産で、海水が大河の如く入江となって内陸部へ食い込み、その雄大で迫力あるパノラマは見事な自然美を創り出している。

【写真】世界自然遺産・ソグネフィヨルドの圧観の大パノラマ

 私が訪ねたソグネフィヨルドは世界一長く、深いフィヨルドで、世界自然遺産にも登録されていて、その支流・ネーロイフィヨルドの絶景を満喫した。
 ベルゲンの町から列車でヴォスを経由して、クドヴァンゲンからフロムまでの約2時間のクルーズで、たっぷりとソグネフィヨルドを楽しんだ。もう、そこは地球そのものの自然美であり、人工的なものはすべて抑制された大自然であった。イルカがいて、滝が何本も流れ込み、フェリーが生活の足にもなっていた。そして、周辺住民の生活排水の流入を禁じ、海水の汚染を防いでいる。もちろん、空き缶やビニールなどのゴミも一切なく、見事なまでに保全されていた。架橋することもなく、また高圧線の架設も地元住民の意向で阻止されたという。

【写真】自然環境が保全され、生態系がまもられているフィヨルドのエコツーリズムに
世界中から観光客が殺到

 そして、海抜2mのフロムの街からミルダール(海抜866m)まで登山鉄道で急勾配の全長20kmを昇る車窓もまた圧観であった。途中、列車は落差93mのショース滝の上で5分間停車するというサービスもあって、まさしくエコツーリズムの最高例であることを実感した。
 
 期待される名古屋でのCOP10の成功

 日本の自然のすばらしさは、決して劣るものではないと思う。例えば、富士山である。四季折々に、そして朝昼夕と姿を変え、古来、日本人の多くから愛されてきた。私は、富士山こそ世界文化遺産に登録されてもいいのではないかと思っている。
 いずれにしても、「自然共生」という理念を実行し、「生物多様性」を護ることこそ、今、人類に課せられた使命だと確信する。
 生物多様性ということは、動物にしろ、植物にしろ、すべての生き物はお互いに守り合ったり、競い合ったり、あるいは循環を繰り返して、自然環境を総合的に護り生態系を保全することだと思う。だからこそ、名古屋でのCOP10が大成功を収め、人類が新しい方向を見い出すことに期待している。

【写真】落差93mのショ―ス滝は迫力満点。フロム鉄道も
滝の上で一時停車のサービス





サッカー、関西魂で勝ち進め!!
  デンマーク戦の得点は全て関西人
                                            〈 2010・6・28 〉

 サッカー・ワールドカップは大変に盛り上がっている。日本チームは一戦ごとに力をつけて勝ち進み、決勝リーグに進出した。ベスト16入りは大変な出来事である。一時は監督辞任も取りざたされた岡田監督だが、采配が見事に開花し勢いを増している。今となっては「オカちゃん、サマサマ」だ。
 いよいよ、あす29日23時(日本時間)から日本・パラグアイ戦である。何としても勝ってもらいたい。そしてベスト8入りを果し、岡田監督の目標「ベスト4」を達成してほしい。
 ところで、25日未明の日本・デンマーク戦は誠に見ごたえのある一戦であった。全国各地で盛り上がり、深夜にもかかわらず瞬間視聴率41.3%を記録。そして、3―1で勝利したわけだから、日本中が眠気も吹っ飛ぶ歓喜の渦に包まれた。
 この試合で、最初の1点を奪った本田のフリーキックは、すばらしいの一言に尽きる。いわゆる無回転シュートである。これで日本は波に乗った。次のフリーキックは本田が打つと見せかけて、遠藤が見事に決めた。完璧であった。本田と遠藤の2人のコンビネーションから生まれた得点といえる。そして、3点目は本田がドリブルで持ち込み、岡崎がゴール。試合前に「俺もとるから、お前もとれ」と本田が岡崎に語っていた通りの結果となった。
 そこにはサッカーはチーム力である。一人ではない≠ニいうことが立証されている。その岡田サッカーの狙いが実を結んだということだ。
 さらに、私なりに評価すると、この3人がいずれも関西に関係する選手であることに誇りを感じる。本田は摂津市の出身で、祖父が「わしが教えたんや」とテレビで孫の活躍を喜んでいた。そして、遠藤といえばガンバ大阪である。また、岡崎は兵庫県宝塚市の出身。しかも本田(星稜)と岡崎(滝川第二)が高校時代から競い合ってきた仲間でもある。
 ともあれ、関西人の活躍で勝利したことがうれしい。守備面で大健闘している駒野も和歌山県海南市の出身である。そして、何よりも岡田監督が大阪市出身であることに胸を張っている。

岡田監督の実家は玉出商店街

【写真】玉出商店街で街頭演説を行う田端 ( 2007・7撮影
 実は、岡田武史監督の実家は、私の家のすぐ近くで、5〜6年前まで玉出商店街(西成区)にあった岡田産婦人科医院は御父上である。小学生の頃は、ナンバ球場に通う野球少年であったというから大変に親しみを感じる。サッカーは天王寺高校時代から本格的に取り組み、ユース代表に選ばれている。早大―古河電工(ジェフユナイテッド千葉の前身)と、頭脳派ディフェンダーとして活躍するが、早大の同級生に、野球の岡田彰布監督(阪神―オリックス)がいるのも不思議な縁である。これら関西人には前へ前へ≠ニ進んでいく関西魂があると私は実感している。スポーツに限らず何ごとも前向きに進むのが関西人である。挑戦しつづけて、そして勝利するのが関西魂だと確信している。

7月11日参院選と重なる決勝戦

 岡田監督率いる日本チームがどこまで勝ち進むか。折から決勝戦は7月12日3:30である。因みに3位決定戦は7月11日3:30。ともあれ、参院選の投開票日7月11日(日)と重なってくるが、参院選で大阪選挙区・比例区ともに勝ち、サッカーも勝って優勝するというのが、私の夢≠ナある。本田選手が語っていたように「不可能はない」ということを証明したい。何事も挑戦≠ネくして、いい結果は得られないのだ。


たばた桜が今年も満開
 「大和川を守る会」の活動も16年目 
                                      〈 2010・4・28 〉


【写真】今年も見事な満開となった、たばた桜 (高村和子さん撮影 2010・4・3)                                      
 大阪・住吉区の大和川右岸の清掃活動を続けている「大和川を守る会」(斉藤佳穂代表)は、毎月の最終日曜日にゴミ袋約50個分の清掃を行っているが、平成6年4月からスタートして今年で16年間継続して実施している。

 この活動と一体になって大和川の浄化を訴えてきたのが、田端正広である。田端は平成5年7月に衆議院議員に当選した直後から、当時、ワーストワンだった大和川の浄化に取り組み、大和川を守る会の発起人の故高村善夫氏と連係をとり、活動を支援してきた。
 そうした市民活動と一体になって、田端は国会質問の中で何回か取りあげ粘り強く大和川の浄化を推進してきた。田端のモットーは市民に愛される大和川≠ナ、そのためには浄化は勿論のこと、市民の憩いの場となるように推進し、国土交通省に対しても、再三、要請してきた。
 その一例が、近鉄南大阪線の東側に植えられた桜7本。これは田端の質問を受けて11年前、当時の関谷建設大臣が確約、植えられたもの。今では見事なまでに大きく育ち、今年も満開の花を咲かせ、市民から喜ばれた。
 また、河口から国道26号線までの約2キロの川底掘削もこのほど完了し、洪水などの自然災害に対しても十分に対応。そして、魚つり大会ができるような河川に生れ変わった。
 さらに、大和川の水質も、今ではアユの産卵が確認されるまでに清流が戻ってきて、ワーストワンを脱出した。
 こうした成果を踏まえて、大和川を守る会のメンバーは、今年も元気に活動を続けてくれている。

【写真】たばた桜の前で大和川を守る会の皆さんと (左から3人目が高村和子さん 2008・4撮影)



今、せんとくんの奈良がおもしろい!
                                             〈 2010・4・14 〉

 今、遷都1300年の奈良が注目されている。
 さまざまなイベントが繰り広げられ、静かなブームを呼んでいる。これから5月の連休にかけては、大変な賑わいが予想される。
 古都というと、どちらかといえば、京都の方が親しまれている。奈良は、交通の便等もあって、観光的には遅れていた感じがするが、今年は趣きが違う。平城宮跡の朱雀門に立ってみると、そこから望む大極殿正殿は壮大である。そして、いにしえの天平の時代が蘇ってくるような錯覚に陥る。
 平城京遷都は710年で、その16年前の藤原京遷都(694年)、さらには飛鳥浄御原宮(あすかのきよみがはらのみや)遷都(672年)へと遡ることになるが、平城宮は中国・長安の都を範としていて、四方4〜5kmの規模の長方形と推定され、ここには3万人以上が住んでいたと思われる。
 奈良市のド真中にあって、しかも近鉄大和西大寺駅と新大宮駅の間に位置する平城宮跡が、よくぞ今日まで開発されずに保存されてきたものだと思う。昨秋、私はボランティアの方の説明を聞きながら、跡地をゆっくりと散策した。そして、復元された東院庭園も見学したが、ここは穴場で、当時を偲ばせる築地塀に囲まれ、小島のある池、さらには梅や桃の木などもある見事な大和庭園が再現されている。
 私は、子供の頃から、鹿のいる奈良公園が好きだったが、なかでも三笠山こそ奈良時代を代表する景色だと思っている。あの遣唐使の一員として中国に渡った安倍仲麿が中国の官史として骨をうずめる決意をし、奈良をなつかしんで詠んだ「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」の和歌の中に天平の情景が集約されているように思う。
 ところで、先日、桜井市方面に所用があって、その帰り、高松塚古墳まで初めて足を伸ばした。見事なまでに公園として整備されていて、高松塚壁画館では原寸・原色に再現された飛鳥の秘宝である彩色壁画を鑑賞した。忠実に模写した玄武や女子群像、男子群像を見て、昭和47年3月の発見まで、よくぞ保存されていたものだと驚嘆した。

高松塚古墳の前で

 桜が散り始めている公園内を散策したあと、近くの甘樫丘に登ることにした。風の強い日であったが、花吹雪の甘樫丘展望台からの眺めは飛鳥時代そのままの畝傍山、耳成山、天香具山の大和三山であった。まさしく万葉集の世界がそこに広がっていた。
 さて、遷都1300年のイベントは、これからが本番で、さまざまな催し物や展覧会などが県下各地で計画されている。愛敬たっぷりのせんとくんもさらに頑張ることと思う。








畝傍山をバックに甘樫丘で




コウノトリの野生復帰$iむ             野生復帰がすすむコウノトリ(コウノトリ湿地ネット写真提供)

        =兵庫県豊岡市=


  今年も相次ぎ人工巣搭でヒナ誕生           
                        〈 2010・3・31 〉   

 コウノトリが兵庫県豊岡市でH17年9月に放鳥されてから、毎年、ひなが誕生しているという。折から、H22年3月28日付産経新聞で、ヒナ2羽を確認したと報じた。それは、兵庫県立コウノトリの郷公園が発表したもので、百合地地区の人工巣搭で放鳥コウノトリが産卵した6個のうち、2羽のヒナが誕生したというもの。そして親鳥がヒナにエサを与えようとしている写真が掲載されていた。
 誠に嬉しい限りである。そして、何よりも豊岡市あげての保全活動の成果に拍手を送りたいホットニュースでもある。

自然再生推進法の立案者として注目

私は早速、豊岡に向かった。というのも、環境省、国土交通省、農林水産省の三省共管による自然再生推進法(平成14年12月成立)の提案者として、かねてからコウノトリの野生復帰に注目し、また、平成17年の暮れにはコウノトリの郷公園を訪ねていただけに、その後の様子を是非確認したいと思っていたからである。そもそも昭和46年に日本の空から一度は姿を消したコウノトリを粘り強く人工飼育し、34年ぶりに繁殖に成功し放鳥するまでに至った関係者の努力には頭がさがります。
 コウノトリは、羽を広げると約2メートルにもなるという大型の鳥で、丹頂鶴を少し小型化した感じです。しかも、大食漢で、魚類やカエル、ヘビなど肉食です。ドジョウだと1日100〜80匹も食べるといいます。

コウノトリの郷公園を視察(後方の白い点がコウノトリ)
 市民あげて生息地保全に努力

従って、豊岡市を南北に縦断する円山川を中心に、用水路や田んぼなどでドジョウやカエルが生息できるように市民が協力し、そして、農地での化学肥料の使用をも禁止するなどの努力を重ね、コウノトリの生息地保全に市民総ぐるみで努めてきたわけです。そして、平成19年5月には野生のヒナがかえり、その一歩が始まりました。コウノトリがいることが当たりまえの水辺をつくろう≠ニいう全市民あげての取り組みが今、大きな成果を収めていることを実感しました。

 電柱の上に巣搭、そこにヒナ2羽が

 今年も数ヶ所の人工巣搭などで産卵し、今、親鳥たちはヒナがかえるよう懸命に交代で卵を抱えています。私は、豊岡市コウノトリ共生課の上田篤課長の案内で、まず日撫地区の電柱の上の巣搭を視察しました。
 小雨降る肌寒い中で、親鳥が巣搭に座って頭だけをのぞかせている様子を目認することができました。ここには2個の卵が確認されているといいます。産卵から約1か月でヒナにかえるといいますから、もうすぐヒナが生まれます。折から、今が産卵期で、今年もいくつものカップリングが確認されているといいます。


電柱の上に作られている巣搭を視察(日撫地区で)    ハチゴロウの戸島湿地に新たな生命が      

このあと、コウノトリ湿地ネットが管理している「ハチゴロウの戸島湿地」を視察しました。ここは円山川下流域の豊かな山々に囲まれた中に存在する湿地帯で、かつて一羽の野生コウノトリがこの湿地を好み、来る日も来る日もエサを求めて舞いおりたといいます。その最初に来た日が8月5日だったことから、ハチゴロウの戸島湿地と名付けられたという。この戸島湿地は4ヘクタールに及ぶ大変に広大なもので、その中心の淡水湿地は2.5ヘクタール、汽水(きすい)湿地は0.7ヘクタールで、コウノトリのほかサギやカモなど多くの野鳥が集ってきて、さながら野鳥公園になっている。
 ここの管理棟から南へ100mほどの地点(湿地の東端で、中央部分にあたる)に人工巣搭が設置されているが、折りから卵からかえったヒナが2羽誕生したばかりで、丁度、私が訪問した時には、親鳥がエサを吐き出してヒナに与えている瞬間で、それが、監視カメラを通して大型ビデオに24時間映し出されている場面に、幸運にも出くわせたという貴重な経験をしました。


              監視カメラで撮った人工巣搭の様子を視察(戸島湿地の管理棟で)

 




 一人の熱意が「野生復帰」への道開く


 この戸島湿地を管理しているのがNPOの「コウノトリ湿地ネット」で、その副代表の佐竹節夫氏こそコウノトリの野生復帰の生みの親であります。氏は20年以上、豊岡市職員としてコウノトリの再生の先頭に立ち、そして今回、NPOコウノトリ湿地ネットを立ち上げて健闘しているわけです。残念ながら、この日は佐竹氏と再会することができなかったが、今後の頑張りに期待したいと思う。

エサをとるコウノトリを視察(戸島湿地の野鳥観察棟で)
 今、佐竹氏のあとを受けて、上田課長が奮闘しているわけだが、上田課長は「今年は10月に名古屋で生物多様性条約第10回締約国会議(CBD・COP10)があるので、人と自然が共生するための新たな社会システムのモデルとして、国際会議を通して、コウノトリの野生復帰を世界に訴えていきたい」と力強く語っていた。

 事実、国の姿勢もこれまでと大きく変わり、環境省のあと押しは勿論、国土交通省や農林水産省からも力強い支援があるという。このハチゴロウの戸島湿地も、それらの支援があったから実現したものという。
 それらコウノトリの野生復帰の実績は数字からも明らかである。現在、コウノトリの郷公園で人工飼育しているのが98羽、そして、野生に飛び立っているコウノトリが36羽という。この野生の内訳は、放鳥20羽とそれから生まれたこどもが15羽。このほか迷い込んできたもの1羽となっている。つまり、放鳥が始まって4年半だというのに、今、豊岡市周辺には134羽のコウノトリがいるわけで、自然界における生命の循環システムが大きく再生されていることを実証している。それが市民にも受け入れられ、コウノトリが町のシンボルマークとなり、コウノトリ基金として卵大の募金箱が店頭に並ぶなど、大きな広がりを見せていて、大変に嬉しく思った。コウノトリが豊岡の空を頻繁に飛び交う日も、そう遠いことではないと思う



人と人の絆の大切さに感動

〜大ヒット「おとうと」の舞台は通天閣〜            
                                    〈 2010・3・16 〉
【写真】数々の物語の舞台になった、大阪のシンボル通天閣
 年を重ねるにつれ、人と人の絆の大切さをしみじみと感じている。人間は、決して1人では生きられない。人と人が支え合い、助けあって成り立っている。夫婦しかり、親子しかり、兄弟等々、そして学校の同窓や先輩後輩、さらには会社の仲間や地域の人々等々、いずれも強い絆で結ばれている。だからこそ、家庭があり、社会へと広がるのであろう。
 その家族愛を描いて大ヒットしているのが、山田洋次監督の映画「おとうと」である。ラスト30分は涙なくして観られないほど、感動的な姉と弟の絆が描かれているが、まさしく山田演出の見事さである。特に吉永小百合の姉と笑福亭鶴瓶の弟との人情の機微には笑いあり涙ありで、絶妙の絆が描かれている。
 死と向き合いながら展開される人と人の絆には身につまされるが、なかでも感銘したのは、その終末医療ケアの場所が、なんと大阪のシンボル・通天閣の近くであり、私の地元であったことだ。大阪の庶民の街と暮らしが浮き彫りにされ、人の温かさがにじみ出てくる作品に仕上がっている。
 私は、改めて人間愛の深さを痛感したが、それよりも何よりも、人と人との出会いの大切さを感じた。それは、山田洋次監督の前作「母べえ」で吉永小百合と鶴瓶が共演したことがきっかけで、今回も、この二人のコンビが軸となって見事な山田ワールドを仕上げていることに、絆の大切さを思い知った次第である。恐らく、鶴瓶さん本人がそのことを一番痛感しているのではないかと思う。
 最後に、私自身も多くの方々との絆に支えられて今日まで頑張ってきた。なかでも、大阪3区(西成区、大正区、住吉区、住之江区)の支持者の皆さんとの絆には心からの感謝の意を表したい。


マンデラ大統領の不屈の闘志と人間愛に感動

 映画「インビクタス(負けざる者たち)」を観て〜
                                                 〈 2010・2・20 〉

 黒人解放運動を展開してきた南アフリカ共和国のネルソン・マンデラ氏(91)が1990年2月11日に釈放されてから20年になるという。獄中生活27年半に及んだマンデラ氏は、その後、人種隔離(アパルトヘイト)政策の完全撤廃に向けて精力的に活動し、94年には初の黒人大統領に選ばれた。そのマンデラ氏が大統領に就任してから、人種差別と戦い、経済格差を克服する戦いに挑み、祖国再建に挑戦する姿を描いた映画「インビクタス(負けざる者たち)」が今、大きな反響を呼んでいる。

身の危険をも顧みず

マンデラ大統領が身の危険をも顧みず、祖国をまとめるためにラグビーチームの再建を図り、折から同国で開催されるラグビー・ワールドカップでの優勝に向けてチーム・キャプテンのピナールと一致団結して物語が展開していく。そこには、27年の獄中生活から学びとった不屈の精神がにじみ出ていて、しかも、復讐ではなく、私怨を捨てた「和解と赦し」に徹した人間主義の政治姿勢を貫いている。そして、ワールドカップで奇蹟的な優勝を飾ることになるわけだが、この実話を見事に映画化したクリント・イーストウッド監督の演出はさすがである。ことに、ラスト20分の展開には感動と歓喜の涙を禁じ得ない名作に仕上がっている。

南アは大きく変わった!

 私は、この映画を観て様々なことを考えさせられた。まず、第一に、マンデラ氏の釈放を決定した当時のデクラーク大統領の祖国に対する思いである。「これで南アは永遠に変わると思った」と語っている。
 私は、2002年9月、ヨハネスブルグで開催された地球環境サミットに小泉首相(当時)らと共に参加したが、その時でさえ、少数の白人による支配があったことを想像できたし、また、電気も水道もない貧困な地域が依然として残っていることをも確認した。それだけに、この映画のもつ重みを実感したわけである。

4200万人が一致結束して

 第2に、マンデラ氏という人道主義に徹した政治家がよく描かれていることだ。やはり、政治は差別なく、公平に、そして未来を展望して進むべきことを教えてくれている。人種差別のない祖国を築くために、ラグビーというスポーツを通じて、4200万人の国民が一体になることに全力を尽くし、国民の中にラグビーを浸透させていった指導力を、現在の日本の政治家は見習うべきだと思う。事業仕分けと称して、スポーツ予算や文化予算を削減しているような現政権とは、差が大きすぎる。

スポーツの現場へ通って

 第3に、今、まさにバンクーバー・オリンピックの真っ最中である。連日、私たちは日本選手の活躍に大きな勇気をもらっている。そして、この夏には、南アでサッカーのワールドカップが開催される。ここでの日本代表チームの活躍も期待されている。そのことを考えると、マンデラ大統領がキャプテンのピナール氏と心をひとつにして、激励し、応援し、そして自らも何度も現場に足を運ぶ姿に人間愛が強く感じられた。ここに、副題になっている「負けざる者たち」の秘密がある。
 さて、今年のワールドカップではどんなドラマが展開されるのか、楽しみにしたいと思う。


大阪に待望の新しいツチ音が・・・
   ー大阪駅周辺の整備・開発進むー
                                              〈 2010・2・4 〉                                                                 

 今年も早いもので、2月4日・立春を迎えた。しかし、立春とはいえ、まだまだ寒い日が続くと思われる。その上、景気は厳しく、明るい見通しはない。古来、ニッパチ(2月、8月)は不況の月≠ニして嫌われてきた。そんな中で、大阪の中心市街地に明るい建設のつち音が響きわたっているのも現実である。
 例えば、大阪駅周辺である。特に、大阪駅北地区の開発プロジェクトが順調に進んでいる。ここ北ヤードは大阪にとっての最後の開発地域であるだけに「大阪100年の計」に徹した街づくりであってほしい。ここは大阪再生の切札であるが、すでに昨年から新築工事が始まり、都市再生特別地区として、まず、ABCブロックの2011年度竣工へ向けて大開発が進んでいる。完成すれば、Aブロックには37階建ての商業施設が、Bブロックには37階と33階の南北タワーが、そして、Cブロックには50階建ての分譲住宅が誕生することになる。しかも、「水と緑のネットワーク」をコンセプトにしているというから楽しみだ。
 この北ヤードには、今後、JRの新駅やバイオ・医療の先端研究機関、さらには公式サッカー場などの構想も検討されていて、大阪の新しい活力源となることは間違いない。

    「大阪ステーションシティ」が誕生へ

 それらの先駆けとして、今、大阪駅北ビルの建設が進められている。この新北ビルの名称が「ノースゲートビル」と先日決まったわけだが、現在、大阪駅南側のアクティ大阪の増床工事が進められていて、その完成後には「サウスゲートビル」と名称を変更し、南北をつなぐ連絡道路と橋上駅を設けて、大阪駅全体を「大阪ステーションシティ」と名付けた街に生まれ変わるという。確かに、それは新しい街の誕生といえる。ノースゲートビルには三越伊勢丹が入り、そして大丸が入っているサウスゲートビルとつながるわけで、駅と街がひとつになった「ステーションシティ」が2011年春に実現することになる。
 この「大阪ステーションシティ」と「大阪駅北地区開発プロジェクト」が合体して完成した大阪駅周辺の街の姿を想像するだけでもわくわくしてくる。

     13年春に新フェスティバルがオープン

 さらに、さる1月9日には「中之島フェスティバルタワー」の起工式も行われ、2012年秋には環境に配慮した39階建てのエコビルが完成する。フェスティバルホールと朝日新聞大阪本社、そして商業施設やオフィスビルが組み合わさったタワーである。しかも、2018年頃には、四つ橋筋をはさんで、西側の朝日新聞ビルも建て替えられ、ツインタワーが誕生することになるという。ともあれ、2013年春には大阪の新しい文化・芸術の一大拠点としての「新フェスティバルホール」がオープンするわけだが、新しい歴史の始まりが期待される。
 東京に比べて、長年、大阪の街は活気がないといわれてきた。しかし、これらの新しい街の誕生で大きく盛り上がることが期待される。そして、新しい街と共に、新しい活力が生まれ、新しい大阪の文化へと大きく脱皮することを期待したい。それは、関西人すべての願いであるからだ。

【写真】高さ200メートルの中之島フェスティバルタワーの完成予想図

【写真】大阪最後の切札、北ヤードの開発予定地




今、御堂筋は最高の散歩コース

                                             2009117

 おだやかな日和が続いている今が、一年で一番いい季節である。暑くもなく、寒くもない。私は、春よりも、秋の方が好きである。外へ出かけたくなったり、旅を空想したりして、気分的にもゆったりできるからである。
 もう67年前から始めている散歩も、今が最適である。歩いていても心地よい。私はその日の気分で、今日はAコースにしようか、いやBコースだ、と勝手気ままに歩くコースを決めている。昼間と夜間とでも違ってくるし、その日の天気にもよる。雨の日や風の強い日などは少し工夫も必要になる。ともあれ、1日小1時間歩けば、体調にも良い結果をもたらしている。
【写真】大阪市内を南北に縦断する御堂筋とイチョウ並木
 なかでも、私の好きな散歩道は御堂筋である。歌謡曲にもよく歌われている御堂筋は大阪の中心であり、梅田から難波までは歩いて丁度1時間。今の時期は特に良い。両側のイチョウの木は濃い緑から日に日に紅葉していく。今は銀杏が落ち、それを踏むと強い異臭が漂うのも、この時期の特徴である。やがて、今月末には黄色に紅葉した見事なイチョウ並木に変化するのが楽しみだ。特に夕日に照らし出されたイチョウ並木の美しさは見事である。
 大阪の街は、南北のタテの道路が「○○筋」と名付けられ、御堂筋、堺筋、なにわ筋等となっている。東西の通りが「○○通」で、千日前通、長堀通、中之島通等と呼ばれている。
 その御堂筋を難波から北へ向かって歩くのが好きだ。長堀通と交差するその両側の街並みには、おしゃれなブランド店が軒を連ねていて、高級感がある。もう少し北へ向かうと、大阪の中心のオフィス街となるが、本町を過ぎて淀屋橋までの間には芸術作品の彫刻が歩道に設置されていて、街並みを楽しませてくれている。特に、このあたりのイチョウ並木は見事という以外にない。そして、ここが、冬になるとライトアップされるわけで、夜の御堂筋を散歩するのも、また乙なものである。
【写真】街並みを楽しませてくれる芸術作品の彫刻     ともあれ、私の住む西成区は国道26号線であるが、それを北上して堺筋、御堂筋につながるわけだが、車を降りて歩いてみることで、それまで気づかなかった街並みを発見することができるのも嬉しい。皆様にも、この時期の御堂筋の散歩をおすすめしたい。






温室効果ガス「15%」削減(中期目標)が決定    
平成21年6月10日

【写真】河村官房長官に野心的な中期目標の設定を求める田端ら=6月4日
地球温暖化が進めば、生態系の変異や、異常気象による干ばつや洪水の発生、氷河融解による海面上昇など、多大な被害が予想されます。
現に南太平洋に浮かぶキリバスの大統領は、北海道で開催された「第5回太平洋・島サミット」で、地球温暖化による海面上昇で、国が沈んでなくなってしまうことを危惧し、「今や、我々には絶望しかない」と語り、また、共同議長であるニウエ首相は「気候変動は、我々が住む地球の生き残りの問題である」と述べています。
地球温暖化防止のため、我々公明党は、2020年の温室効果ガス削減の中期目標については、野心的で幅のある数値を掲げること、また、2050年までの段階的な目標の設定を政府に求めてきました。
麻生総理は10日、3つの基本原則(@主要排出国の全員参加。日本のリーダーシップと国際的な公平性の確保 A環境と経済の両立。中期目標は裏打ちのある実行可能なもの B長期目標の実現。世界全体で2050年に半減――)のもと、2020年時点の温室効果ガス削減の中期目標を「05年比15%削減」とすることを発表しました。
これは国際的に見ても、EUの−13%、米国の−14%を上回るものであり、EUや米国のように、排出権や植林の5.4%(京都議定書)を加算すれば、−15%〜−22%となり、公明党が主張する幅のある数値目標になります。
  また総理は、国内対策のみならず、途上国への技術移転についても支援を惜しまないと表明しており、技術支援を通し、途上国自らの行動を促すことも重要だと考えます。
【写真】麻生首相にグリーン産業革命の提言を手渡す田端ら=1月23日
今回の決定では、2030年25%削減、2050年に70%削減と、2050年への道筋をつけた点も評価できます。
公明党が提言したクリーンテクノロジーによる低炭素革命(グリーン産業革命)についても、具体的に、@再生可能エネルギーの20%導入、A太陽光発電の20倍導入、B2台に1台をエコカーに、C省エネ家電の購入へのエコポイント付与――と盛り込まれています。
一方、国民負担については、可処分所得の年4万円減、光熱費負担の年3万円増という1世帯あたり7万円の負担となりますが、これは地球を守るコストであり、何も対策を講じなければ、地球温暖化の影響で逆に17兆円の自然災害等の被害が予想されますし、世論調査でも政府が提示した3案(−14%)には、世論調査でも45.4%の支持があります。
今後は、中期目標を達成するための地球温暖化基本法の制定や、グリーン産業革命による画期的な産業の活性化を強力に推進して参ります。


中国・四川省へ救援物資届ける!
―与党議員団の副団長として成都往復―

【写真】成都空港で行われた救援物資の引き渡し式(6月8日)
マグニチュード8.0という巨大地震が、中国・四川省で起ったのは5月12日午後2時28分であった。今日までに判明している被害者は(6月5日現在)死者69,122人、負傷者373,606人、行方不明者は17,991人に達し、4500万人以上の人が被災している。
この未曾有の地震被害に対して、日本はすでにテント1200張りをはじめ、食糧や医薬品など総額5億円に達する支援物資を送っている。そして、国際緊急援助隊チーム61人や、緊急医療チーム23人が現地で救助活動に携わってきた。
そうした中で、今回、自民・公明の与党議員による『日中関係を発展させる議員の会』(森喜朗会長、130人)が急遽、四川省成都まで救援物資を直接届けることになり、派遣団(二階俊博団長、田端正広副団長、15議員)に参加させていただいた。公明党からは、私のほか西博義、赤羽一嘉衆院議員、そして長沢広明前衆院議員が参加した。
6月8日の日曜日、私たちは全日空チャーター便で朝8時半に羽田を出発し、成都着14:00、そして直ちに空港で救援物資の引き渡し式を行ったあと、錦江賓館で柯尊平四川省党常務委員と会見、その後、中国一の大病院である四川大学付属華西病院にお見舞に立ち寄って、成都空港を17:30に出発、現地滞在4時間で、その日の深夜22:00に羽田に到着という強行日程であった。

テント300張、食糧2000食、飲料水600本など
成都空港では、中国側を代表して、王海京中国紅十字会秘書長から「日本政府をはじめ、日本人の熱い心に感謝する。そして今回の派遣団の真心に感謝する。中国全国民は結束して苦難を乗り越え、一日も早い復旧を目指したい」と挨拶。目録の引渡し式が執り行われた。
今回届けた支援物資はテント300セット(畳12畳分)をはじめ、カップヌードル(2000食)、飲料水(2リットル×600本)、軍手(1000組)、ボールペン(1000本)、ノート(1000冊)という内容で総計31dの重量である。
今回の救援活動は全日空をはじめ、日本赤十字社、潟}ルハンなど多くの善意の協力によって成り立ったものであるが、何よりも与党の議員団が直接に持参するという行動を起こしたことに意義があると思う。そして、そのことが中国側にも伝わり、この「日本の心」に対しての感謝の念が行く先々で伝えられた。   

【写真】柯尊平省党常務委員(中央左)と会談した二階団長と田端ら
日中関係は交流200年の歴史
思えば、日本と中国の交流の歴史は古く、2000年にものぼっている。あの阿倍仲麻呂が遣唐使で派遣され、中国の官吏となって骨をうずめ、その同じ時期に、鑒真和尚が日本へ仏教を伝えようと渡航に5回も失敗し、ついに失明しながらも、6回目に成功して、あの奈良の唐招提寺を建立された歴史と文化を学ぶ時、私は文化の恩人・中国への感謝を忘れてはならないと思う。まさしく、井上靖の「天平の甍」(てんぴょうのいらか)の通りである。
まして、私たち公明党は、日中国交正常化に大きな役割を果し、今日の日中友好関係を築いてきたことを顧みる時、1000万人が家を失っているという現状に対して、少しでもお役に立つことこそが一衣帯水の隣国としての使命であると思う。
思い返せば、13年前の阪神淡路大震災の際に、世界各国から救助の手が差し延べられた。私は、同じ関西の人間として、その時のことが今も忘れられない。今回はそのご恩返しの番である。特に今や日中関係は運命共同体的な深いつながりが出来ている。

【写真】日本医療チームによる治療で、脚部の切断を免れた被災者を見舞う田端ら

日本の緊急医療チームに感謝の声
今回、各界の方々から深甚の感謝の意が表明されたが、中でも、嬉しかったのは、華西病院へお見舞に行った時のことである。日本の医療チームによって生命が助かったという話に感動した。5日間、ガレキの下敷きになっていた10才の男の子が日本医療チームの腎臓手術で足を切断することもなく、助かった、と喜び、22才の女性もビルのガレキの中で20時間も逆さ吊りになりながら、日本医療チームの手術によって足を切断せずに回復していることに対して、大変な喜びようであった。
国境を越えての人道的な救援活動こそ、世界に通じるものであり、人間愛・隣人愛といえる。中国・四川省の被災地の一日も早い復旧復興を祈りつつ・・・。

(6月8日20:00機中にて)


動物や自然との「共生」こそ最重要

この正月に、「マリと子犬の物語」という映画を観て、感動しました。あの3年前の新潟地震での実話をもとに製作された、犬と人間との家族愛に満ちた山古志村の被災者の物語です。
主人公の少女・彩が犬嫌いの父の反対にもめげず、捨て犬マリを育てていく中で、マリは家族の一員のような存在となります。しかし、2004年10月23日、村が全滅するような新潟県中越地震が発生、彩は祖父とともに全壊した家の下敷きになりましたが、マリが瓦礫の中へもぐり、救出のきっかけをつくります。
私は、もともと動物が好きです。今も、国会事務所でメダカを飼っています。最近は、私が水槽の前に立つと、エサがもらえるものと思って、メダカたちは急に活発な動きを見せます。そんなひとときは誠に癒されます。
早いもので、「大阪犬猫ネットワーク」(代表・野上文代さん)の皆さんと知り合って、3年になるでしょうか。熱心に訴える皆さんと語り合っていて、動物愛護の精神を学ばせていただきました。そして、政治家として、できる限りのサポートをさせていただこうと思っています。特に、迷い犬などの殺処分に対しては、慎重であるべきであり、できれば1週間程度の保管期間を担保するように、私も国会質問で取り上げました。
そうした質問がきっかけで、新たに平成20年度から動物愛護管理にかかる交付税措置として3億5000万円が予算化されました。これは、都道府県が動物(犬、猫)を引き取ることによって生じるエサ代やワクチン接種費用に当てられます。まだまだ金額的には十分とはいえませんが、その第一歩が開かれたのも皆様方の努力によるものと思います。

「犬、猫」は子どもの数の2倍に
犬を飼うには狂犬病や感染症対策などは必要であり、動物販売業者のモラルなども問われます。また、医療や薬品などの動物実験についても点検する必要があります。
ともあれ、まだまだ課題は多岐にわたっていますが、市民運動にかかわっている皆様方の協力なくして解決への道はないと思っています。
今、飼われている犬や猫は2500万匹もいるそうです。15歳以下の子どもの数が1200万人ですから、その2倍強にあたります。電車や新幹線の中でもバスケットに入れて同乗している人をよく見かけます。それだけに、飼主の側にも一定のルールが必要だと思います。
私は、人間にとって必要なことは「自然との共生」だと考えています。大自然が大切に保護されて始めて、人間の活動があるわけです。だから、動物とのかかわりも、あくまでも「共生」という精神を基調にして成り立つものと信じています。「生態系保全」こそ究極の環境政策と確信しているからです。
(H20.4.1)


自然再生事業が本格稼動
――釧路湿原の工事現場を緊急視察――

【写真】細岡展望台から釧路湿原の状況を確認
年の瀬も押し迫った12月16日、17日の両日、北海道釧路湿原を視察しまし年の瀬も押し迫った12月16日、17日の両日、北海道釧路湿原を視察しました。私が提案者となって成立した自然再生推進法が施行(H15.1.1)されて満5年を迎えることから、そして悲願であった釧路湿原の自然再生事業が折から始まっていることもあって、思い切って現地へ飛んだ次第であります。
私が現地調査に行くことを決めたもう一つの理由は、この法案の作成段階で数々のアドバイスを戴いてきた辻井達一氏(北海道環境財団理事長、北海道大学名誉教授、湿原研究の第一人者)が「私も同行しましょう」と喜んでいただいたことです。少々、冬の北海道行きには抵抗もありましたが、辻井先生から「今がいいチャンス」と後押ししていただきました。
事実、釧路川の旧河川復元工事(直線2キロの河川を蛇行に戻す工事)の現場を見て「いよいよ自然再生事業が始まったな」との実感を深めました。これは国交省河川局の担当でありますが、土砂が周辺から釧路川に入らないように沈砂池を作って調整している現場(農水省担当)やカラ松林に広葉樹林の苗木を植樹するプロジェクト(環境省担当)などの実施計画事業の現場を辻井先生らと相次ぎ視察しました。
“自然を取り戻す”という壮大な事業の現場に立ってみて、この法律を提案した本人として、感慨深いものがありました。こうした再生事業が大きく盛り上がれば、地球の持続発展も可能だ、との思いを強くした次第です。

【写真】釧路川の蛇行化復元工事を視察 薗B古武地域の自然林再生事業を視察
全国19ヶ所で自然再生論議
今、全国19ヶ所で自然再生協議会が立ち上がり、そのうち8ヶ所で再生事業が始まっています。これまでの公共事業とは異なって、地元の人々が中心になって協議会がつくられています。個人もNPOも参加できます。勿論、地域の学者や文化人、行政も加わっています。釧路の場合はメンバーが123人という大所帯です。そこで、議論を1年半かけて全体構想をまとめ、また半年かけて実施計画を作り上げました。その中心者が辻井先生でした。
そもそも、この法律を想定した時、私の頭の中には釧路川復元が大きな柱となっていて、当時、ジャングルのようにカンノキが生え繁った中を歩き直線河川の現地視察を強行したことが思い出されます。この復元工事は5年計画ということなので、旧河川復元の時には必ず再訪問をしようと思いました。
【写真】復活したタンチョウを観察 猿ゥ然再生協議会のメンバーと意見交換
再生協議会で頑張っているリーダーの方々7人とも意見交換しましたが、そのご苦労ぶりや自然との共生への熱い思いが伝わってきました。大学の先生、高校の先生、新聞記者、NPO代表などなど、いずれも釧路湿原の大切さを力強く語ってくれました。ここ釧路湿原の広さは東京の山手線がすっぽり入る大きさだそうです。そして、ここには2000種の動植物が生息し、昆虫だけでも1000種類もいるといいます。
この湿原があったおかげで、絶滅したと思われていた“タンチョウ鶴”が復活し、今では周辺に1000羽もいるということです。
私たちは、その翌日、鶴居・伊藤タンチョウサンクチュアリに約100羽の鶴が集結している様子を観察しましたが、まさしく感動的な光景でした。湿原があってよかった。そこに動植物がいたから、鶴が繁殖しているんだということを改めて実感しました。

洞爺湖サミットの“目玉”に!!
ともあれ、自然との共生によって生態系の保全がなされ、それが地球環境を護ることにつながります。つまり、温暖化対策と生態系保全とは表裏一体ということです。そして、もう一つのテーマである循環型社会の形成(この基本法も私が提案して2000年6月に成立しました)がその延長線上にあって、この三つがそれぞれにサポートし合いながら、持続可能な社会を構築していくことにつながると思います。
折しも、2008年7月には北海道洞爺湖サミットがあります。環境先進国・日本が議長国として新しい温暖化対策の国際枠組みづくりをリードしなければなりません。国際的合意は至難の業です。それだけに、福田首相の責任は重大だと思います。その中で、釧路湿原の自然再生事業は一筋の光となることを確信しています。

(H19.12.17 機中にて)


カネミ油症事件の総合救済策が実現   平成19年10月1日
公明党の主導で39年ぶりの快挙

【写真】カネミ救済法の成立を喜ぶ患者代表と田端
 昭和43年に発生したカネミ油症事件から39年――。悲願の患者救済策が実現し、大きな反響を呼んでいる。カネミ油症事件とは、昭和43年、北九州市のカネミ倉庫(株)がつくった「健康にいい」とのふれこみで売られた米ぬか油に、実は製造課程でPCBが混入し、1万4千人もの方々がPCBとダイオキシンによる複合被害を受けるという史上最大の食品公害事件であった。現在でもガンなどの内臓疾患や神経疾患、甲状腺障害などの様々な病気で苦しんでいる。
カネミ油症問題の解決に、公明党のカネミ油症問題プロジェクトチーム座長の私は、この5年間、先頭に立って取り組んできた。そして、ついに今年4月、自民・公明による「カネミ油症問題対策プロジェクトチーム」(座長=河村建夫、座長代理=田端正広)が画期的な総合救済案をまとめ、6月には救済法を全会一致で成立させ、また、平成20年度の概算要求に種々の救済事業も盛り込むことができた。
これまで、過去の事件として忘れ去られてきたわけだが、平成13年12月の参院決算委員会で、公明党の山下栄一議員が「このカネミ油症被害はPCB(ポリ塩化ビフェニール)だけでなく、PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)というダイオキシン類による被害ではないのか」と質問したのに対して、当時の坂口厚生労働大臣がその点を認め、厚労省としても新たな対応を取ることを約束した。これを受けて、私が本部長を務める公明党ダイオキシン対策本部による患者救済への戦いが始まった。ちょうど5年前の平成14年1月であった。
 私たちは北九州市をはじめ、福岡市、そして、長崎県の五島市や玉浦町へも飛び、被害者の実情調査を行い、厚生労働省の「油症研究班」(班長=古江増隆九州大学大学院教授)をはじめ、関係者からの意見聴取を始めた。
 また、私は、衆院予算委員会を中心に10回近くにわたって国会でとりあげたほか、患者代表と一緒に歴代の農水大臣、厚労大臣、環境大臣に対して、早期の救済策と根治療法を要求してきた。
その甲斐あって、ダイオキシン類の血中濃度測定をはじめとした認定基準や診断基準の見直し、認定患者の掘り起こし、産婦人科の専門医による検診体制の充実、ダイオキシン類被害を想定した疫学専門家を増やすなど油症研究班の再編、健康不安に悩む患者の健康管理と精神的不安の解消のための相談員3人の配属等、ダイオキシン類被害という観点からの新たな患者救済が大きく進んだ。
また、今回の新たな救済策では、下記の3点について大きく前進した。
その第一点は、最大の課題であった『仮払金』の返還免除である。この事件の被害者らがカネミ倉庫や国を相手取って賠償請求訴訟を起し、1、2審で勝訴、そして829人が総額約27億円の仮払金を国から受け取ったが、その後、和解となり、訴えを取り下げたことから、仮払金を返還しなければならない事態が生じていた。様々な健康被害に悩まされる患者にとって、この仮払金は既に生活費として使ってしまっていることから、突然の返還請求に多くの患者は困惑していた。今回、債務者500人の返還免除は多くの患者に生きる希望を与えることとなった。
第二点は、生存する認定患者1300人の全員を対象に調査協力金として一人20万円を支給するものである。これは、平成20年度の予算措置によって実施されることになり、国から初めて被害者への見舞金の支給となった。
 そして、第三点目として、最重要課題であるダイオキシン類と健康被害との関係に関する医学的な究明を本格的に進めるため、国として、従来の油症研究班をダイオキシン研究班に改め、一層の強化充実を図るとともに、新たにダイオキシン被害の根治療法の解明を目指した研究機関を九州大学か長崎大学に設置することが決まった。 
以上、私がかかわって5年、多くの壁にぶつかりつつも、このような総合的な救済策が実現したことは誠に喜ばしい限りである。
事実、法案成立の際には「今までの人生で最良の日、本当に清々しい思いだ」「(制度的な限界を超え)救済策を決定した政治の力に感動した」「起点となったのは、(平成13年に)坂口厚労大臣(当時)がカネミ油症の主因を初めてダイオキシンであると認めた答弁からだ」「公明党の力がなかったらここまで来れなかった。感謝している」――等、被害者から口々に喜びの声が聞かれた。
ひとつの大きな山を乗り越えたが、これで終わったわけではない。患者救済の戦いは、むしろ、これからだ。特に、ダイオキシン類による根治療法の解明や、患者が安心して医療を受けられる体制の整備、今まで取り残されてきた未認定患者の救済、それに加害企業であるカネミ倉庫の誠意ある対応等、残され課題に今後も全力を尽くしていくことをお誓いする。


勇壮な“だんじり”祭りに感動  平成19年9月18日

【写真】勇壮なだんじりの“やりまわし”に感動する田端
 
岸和田の勇壮な“だんじり”祭りに始めて参加し、大変に感動を覚えました。
 今年は9月15日、16日の二日間で58万人もの人出で賑わったそうですが、それほどの人が集まるのも、その一糸乱れぬ結束によって、だんじりを直角にカジを切るという、あの勇壮な“やりまわし”に魅力があるのだということを知りました。
 一台のだんじりには400〜500人の人が参加しています。小学生の可愛い子どもたちから、青年、壮年に至るまで、その町会の人々が総出で参加しているわけですが、そんな“だんじり”が30台も次から次へと走り回るわけで、そこに参加している人々だけでも1万人を超えています。つまりは市あげて取り組み、市あげて興奮している男性的なお祭りです。
お祭りは男女共同参画型の行事
 しかし、現地に行って驚いたことに、女性の参加者が多いこと。中学・高校世代の若い女性が髪を結い、ハッピ姿でエイヤ、エイヤと走る光景は、まさしく男女共同参画社会であることを実感しました。
 私が今回、岸和田の“だんじり”祭りに参加したのには少々わけがあります。実は、私が提案者となって実現した自然再生推進法の第一号の指定を受けたのが岸和田市の“神於山”(こうのやま)であり、すでに自然再生事業を実施して3年を迎えます。そして、今回は市の省エネ事業が国の助成を受けることになりましたが、それらの応援もさせていただきました。そんなご縁から、今回ご招待を受けたわけであります。
祭りには日本の文化と伝統が
 さて、お祭りに人気があるのは大変に好ましいことだと思います。景気づけにもなります。地域起しの典型的な実例でもあります。
 この夏、青森県五所川原市の立佞武多(たちねぷた)を観る機会があり、夏の夜を駆け回る豪華絢爛な“ねぷた”との出会いに感動しました。この五所川原の“立ねぷた”は高さ22bもあり、その迫力と輝きは見事なものです。
 夏の夜空といえば、花火大会がありますが、どこの花火大会も年々盛況のようです。“寅さん”の映画ではありませんが、その街、その地域のお祭りが活性化され、人で賑わうことこそ、日本の文化と伝統の良さだと思います。


大阪で盛り上がる世界陸上、日本勢は大不振 平成19年8月29日

【写真】世界陸上大阪大会の開会式に出席した田端 奄アの日、男子マラソンで日本チームが金メダルを獲得
 
大阪の夏は暑い。しかし、その暑さを吹っ飛ばす勢いで、世界陸上は盛り上がっている。私も開会式に出席したが、その規模はオリンピック並みである。特に、私にとっては長居競技場が地元であるだけに、連日の熱戦は嬉しい限りである。
 あの世界最速を競った100メートル決勝は見ごたえがあった。パウエルは力を温存しすぎて、本番で発揮できず第3位。それに対して、タイソン・ゲイは第1次予選、第2次予選、準決勝と真正面から挑戦し、調子を上げて優勝したように見えた。
 暑さとの戦いでもあるが、しかし、その中での調整もまた戦いであるようだ。
 ただ残念なのは、日本勢の不振である。世界のトップ選手に圧倒され、苦闘している状況だ。朝原も為末も末續も惨敗した。最有力の室伏にして6位である。メダルは遠い。女子走幅跳の池田も無念の涙を呑んだ。最終日の女子マラソン・土佐に期待したい。
 その中で、初日の男子マラソンで、チーム優勝したことが光っているが、このままでは、北京オリンピックが心配である。
 今回、公明党はスポーツ庁の設置を文科大臣に申入れたが、何かテコ入れが必要なことは事実だと思う。
 私は個人的には、スポーツ大臣の新設にまで踏み込んでもいいと思っている。スポーツ界の外交だけでも、大きな成果が期待できると思うからである。
 ともあれ、世界陸上が日本で開催されたことが契機となって、日本のスポーツ界に大きな刺激を与えてくれたことを願うばかりである。


「地震」への研究・注意怠るな! 平成19年7月19日

柏崎原発の危険性を12年前に指摘

【衆院予算委員会で、阪神淡路大震災の緊急対策と活断層の調査研究を促す田端。
 
この時、すでに柏崎刈羽原発の安全性を指摘していました(H7・2・15)】
安倍・太田――その日に新潟入り
7月16日に発生した新潟県中越沖地震で被害を受けた方々に対して、心からのお悔みとお見舞を申し上げます。どうか、再生再建に向けて、頑張っていただきたいと思います。
地震は、突然に襲ってくるだけに、本当に恐ろしいと思います。それでもあの日、安倍総理は九州・長崎から直ちに帰京し、そして、夕刻には新潟入りするというスピード感ある行動力を示しました。
一方、公明党の太田代表も北海道から東京を経由して、現地入りしました。そして柏崎市役所で安倍総理とも会い、緊急対策について意見交換をしました。もちろん、太田代表は、避難所を訪問し、被害者への激励を重ねました。
今回の地震は「震度6強」でした。そして、死傷者が千人を超えるという大変な被害になりました。1万人以上の方々が、余震が続く中での避難所生活となりました。
国会で初めて「活断層」論議!
思い出すのは神戸の大震災です。平成7年1月のことでした。「震度7強」という激震でした。あの時、私は大阪の自宅にいて「震度5強」を体験しましたが、その瞬間の30秒間は身動きひとつ出来ない恐ろしさでした。そして、約半年ほど、その恐怖がつきまとったことも事実です。
さて、私は、あの時の教訓として、「活断層」問題を国会論戦に始めて持ち込みました。平成7年2月15日の衆院予算委員会です。それまで「活断層」に関する議論はなかったわけですが、私は東大出版会から出している「日本の活断層」(活断層研究会編)の本を手に、周辺海域も含めた活断層の地図を披歴しながら「活断層」が日本国中に縦横に走っている事実を指摘しました。そして神戸には野島断層を中心にして五助橋断層、芦屋断層、甲陽断層、諏訪山断層などが密集していて、A級の地震が起っても不思議ではなかったことを訴えました。そのうえで、私は「活断層」の調査研究の必要性を強調したわけであります。特に、地下にある活断層と海底にある活断層の調査の重要性を指摘しました。
事実、高速道路(神戸線、湾岸線)が活断層の上を走っていたことから倒壊したわけですが、活断層に対する認識に欠けていたことは明らかであります。さらにいえば、明石海峡大橋そのものが、野島断層の上に建てているわけで、その結果、橋脚が1.4bずれるということにもなりました。
私は、これらの事実を取り上げながら、当時の建設大臣に対応を迫りました。
「原発」と「活断層」の関係を指摘
そして、私は、最大の警鐘として、「原発」と「活断層」の関係について質しました。
具体的には、敦賀から若狭湾に及ぶ地域には原発13基があって、その周辺には「活断層」が多数あり、過去にも「M7」程度の地震が発生していることを指摘しました。また、伊方原発は中央構造線の延長線上にあり、柏崎刈羽原発の周辺にも活断層が多数あることを指摘しました。その上で、私は「『震度7』にも耐えられるよう補強し、その結果を国会に報告して欲しい」と質しました。
当時の橋本通産大臣は「原子力発電所の立地、設計に際しては活断層を避け、同時にすべての建物を最強の岩盤に固定し、想定される最大の地震動にも耐えられるような設計がなされている」と答弁しました。そして、橋本大臣は、原子力安全委員会の検討会の結果も踏まえて、引き続き安全確保に万全を尽くす、と答えました。
想定外に至った柏崎原発事故
ともあれ、私の危惧していたことが適中したわけです。今回、柏崎刈羽原発の直下まで活断層が延びていたことが判明した上、原発建設時の想定(M6.5程度)を超える地震(M6.8)が発生したことなどを考えると、運転再開には慎重な判断が求められます。地震と同時に火災が発生したのをはじめ、放射線物質を含む水が海に流出し、低レベルとはいえ、放射性物質が大気中に出たことなど、今回の地震には多くの教訓が含まれています。
日本は地震国です。地震への研究・注意を怠ってはならないと痛感しています。まして、原発の事故は絶対にあってはならないことを強く訴えたいと思います。


公務員改革≠ヘ行革の総仕上げ <07.6.20>

【写真】安倍首相から公務員制度改革の見解を聞く田端(07.6.1)
 
今国会も終盤を迎えているが、その中でも最後まで大きな焦点として残ったのは、公務員制度改革法案である。これは、行政改革の長い長い歴史の中でも、その最終の総仕上げとして、長年、議論され、公務員の強い抵抗をも乗り越えて、ようやく法案として提案された経緯がある。従って、それだけに、安倍総理が成立にこだわるのも理解できる。
 私は、この法案が内閣委員会の所管となったことから、その可決・成立に向けて、一貫して取り組んできた。ことは、国の中枢にあたる国家公務員の改革である。だから天下り≠廃止し、わたり≠根絶し、「能力実績主義」を促進して、高い気概と使命感と倫理感≠持ち、国民から信頼される公務員であってほしいという願いを込めて、私は取り組んできた。国家公務員制度が改革されれば、地方公務員の改革にも、当然、つながるわけだから、まさしく行政改革の総仕上げにあたる大仕事であることは間違いない。
 それだけに、当初から反対論や抵抗も強く、その成りゆきが注目されてきたところである。
カギ握る官民人材交流センター
 私は、今回の法案の柱である「官民人材交流センター」の設立は、大変に大事なポイントであり、この新人材バンク≠ェ各省庁から中立であって、透明性を維持して、機能することの重要性を主張してきた。そして、ここがきちっと機能すれば、これまでのような各省庁による不明朗な再就職あっせんもなくなり、国民の信頼も得られると思う。
 その上で、さらに大事なことは、公務員制度そのものをパッケージとして改革し、公務員の全体像を示さない限り、公務員自身の賛成も得られないし、不正の根絶にもつながらない。
 例えば、早期退職勧奨をなくすためには、定年制の問題がある。まず、第一義的には60才まで働けるように改革し、そして、次のステップとして65才への延長である。これまでのように、52〜53才になると、肩たたきの心配をしなければならないようでは、本当の改革とはいえない。専門能力を生かした専門スタッフ職を実現し、そして、本当に能力・実績が評価されなければ、活力も出てこない。
 公務員の「全体像」の提示促す
 また、若い人が多数志望する職場であるためには、これまでのような公務員のイメージを変える必要がある。つまり、優秀な人材が集まらないような公務員では国家の損失になる。やる気や志気を高め、活力がみなぎる公務員像になってこそ、本当の改革といえる。
 私は、その点に集中して、質問した。そして、一刻も早くパッケージ改革としての基本法を提示して、公務員の全体像を示す必要性を促してきた。それでこそ、公務員の皆さんからも賛同が得られ、国民の理解と支持が期待されると思ったからである。
 ともあれ、この議論を通じて痛感したことは、早く第一歩を踏み出すべきだ、という点である。参考人質疑の際にも、「公務員改革の議論には長年の歴史があるが、今は、改革への第一歩を実現すべきだ」という意見があり、「小さく生んで大きく育てるべきだ」との声もあった。
このチャンスを逃すな!
 改革には強いリーダーシップが必要である。また、抵抗が強い分だけ、エネルギーも必要だ。そして、改革議論を政治的な駆け引きに使ってはならないと思う。支援を受けているとかいないとかは関係ない。堂々と正面から議論を重ねて、そして結論を出す。それこそが、民主主義である。国会の会期との関係もあるが、このチャンスを逃してはならない、と痛感している。


カネミ油症被害者救済法案が成立!
公明党の主導で39年ぶりの快挙

【写真】衆院農水委員会での可決を患者と共に喜び合う田端ら(H19.5.24)
私は、万感、胸に迫る思いで、その瞬間を迎えました。
それは、昭和43年10月に発生したダイオキシンによる食品公害である「カネミ油症事件」の被害者を救済する法律(与党案)が公明党主導の下、全会一致で可決されることになったからであります。
これにより、カネミ油症患者の仮払金債権の返済免除が実現。併せて、1300人の油症認定患者に一人当たり20万の調査協力金の支給が決定。また、ダイオキシンを体外に排出するための根治療法確立のため、新たな研究機関も設置される予定です。
去る5月24日午後3時からの衆院農林水産委員会に、遠く五島列島(長崎県)や北九州市(福岡県)などから20人近い被害者の方々が馳せ参じ、その歴史的な委員会採決の一瞬を見届けようと傍聴されました。その大半は70歳を越える方々であり、30歳前後の頃に被害にあい、今日まで、ガンや肝臓、腎臓、皮膚病、神経疾患など、さまざまな病に悩まされてきた方々であります。

【写真】衆院農水委員会で油症研究体制の強化を要請(H19.5.24)
「人生最良の日」と喜ぶ患者代表
委員会可決後の被害者と議員の意見交換会では、「今までの人生で最良の日、本当に清々しい思いだ」「(制度的な限界を超え)救済策を決定した政治の力に感動した」「起点となったのは、(2001年に)坂口厚労大臣(当時)がカネミ油症の主因を初めてダイオキシンであると認めた答弁」「公明党の力がなかったらここまで来れなかった。感謝している」――等、被害者から口々に喜びの声が聞かれ、この5年間、必死に取り組んできた私にとっても大変嬉しい一日となりました。
尚、仮払金返済免除のこの法案は、翌5月25日の衆院本会議で可決されました。
そして、6月1日には参院本会議で全会一致で可決、成立致しました。誠に喜ばしい限りであります。
この朗報は九州を中心に、大きく報道されました。成立を受けて、私のもとに、6月1日、患者代表の皆さんから声明が寄せられました。「本年4月10日に、自民及び公明党による与党カネミ油症被害者救済策が発表されてから、私たち被害者は、本日の法案可決という日を心待ちにして参りました。5月25日に衆議院、そして本日参議院において、与党・野党の党派の違いにかかわらず全会一致で可決していただきましたことに被害者一同心から御礼申し上げます。(中略)5月24日の衆議院農林水産委員会での採決時、与党・野党全ての先生方が賛成のご起立をして下さいました。この瞬間に立ち会わせていただき、先生方の熱い思いを目の当たりにして、私たち被害者は、見捨てられていなかった、忘れられていなかったことを知りました。また、今回の法案成立で終わりではなく、今後は超党派の先生方で『カネミ油症被害者救済の行方を見守る議員連盟』議員連盟を設立して下さると聞き、たいへん心強く思っています。(中略)皆さま、どうか今後ともよろしくご支援を賜りますようお願い申し上げます。」

金子知事(長崎)からも御礼
また、長崎県知事の金子原二郎氏からは、6月4日、次のような御礼のメッセージが寄せられました。「カネミ油症被害者の救済は、これまで困難を極めてまいりました仮払金の返還問題等につきまして、田端先生の多大なご尽力により、今国会において、債務免除のための特例法の成立をみることができました。先生には、これまでのご労苦に対し心から敬意を表しますとともに、深く感謝申し上げます。
 また、この日を待ち望んでおられた被害者の皆様からは感謝の声が伝えられてきており、多くの方が高齢となる中、安堵されたことと拝察いたしております。今後におきましても、平成20年度に実施予定とされております生存認定被害者への一時金の支給や油症研究体制の充実・強化、さらには一日も早い治療法の解明などにつきまして、これまで同様、お力添えとご高配を賜りますようお願い申しあげる次第でございます。」

【写真】特例法案の委員会可決を記念して(H19.5.24)
今後も全力を尽くして支援
ひとつの大きな山を乗り越えましたが、これで終わったわけではありません。患者救済の戦いは、むしろ、これからです。特に、ダイオキシン類による身体被害を克服するには、まだ、まだ道のりは遠いと思いますが、私も全力を尽くしていくことをお誓いする次第であります。

平成19年6月4日




カネミ油症患者の救済へ自・公合意
仮払金を免除、認定患者に見舞金 平成19年4月13日

「カネミ救済で自・公合意」を伝える各紙の報道
昭和43年に発生したカネミ油症事件から39年――。ようやく患者救済への第一歩といえる患者救済策が合意され、大きな反響を呼んでいる。これは、米ぬか油にPCBが混入し、1万4千人が被害を受けるという史上最大の食品公害事件であったが、自民・公明による「カネミ油症問題対策プロジェクトチーム」(座長=河村建夫、座長代理=田端正広)が4月10日、画期的な総合救済案をまとめあげた。

ダイオキシン被害対策に取組む

特に、2001年12月の参院決算委員会で、公明党の山下栄一議員が「このカネミ油症被害はPCB(ポリ塩化ビフェニール)だけでなく、PCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)というダイオキシン類による被害ではないのか」と質問したのに対して、当時の坂口厚生労働大臣がその点を認め、厚労省としても新たな対応を取ることを約束した。これを受けて、公明党内のダイオキシン対策本部(田端本部長)を中心として、救済に取り組む戦いが始まった。ちょうど5年前の2002年1月であった。
田端や山下議員らは北九州市をはじめ、福岡市、そして、長崎県の五島市や玉浦町へも飛び、被害者の実情調査を行い、厚生労働省の「油症研究班」(班長=古江増隆九州大学大学院教授)をはじめ、関係者からの意見聴取を始めた。
そして、田端は衆院予算委員会を中心に10回近くにわたって質問したほか、患者代表と一緒に歴代の農水大臣、厚労大臣、環境大臣に対して、早期の救済策と根治療法を要求してきた。
今回の救済案の内容は大きく三つの点に分かれているが、その第一点は、最大の課題であった『仮払金』の処理である。
この事件は、カネミ倉庫の米ぬか油にPCBが混入し、1万4千人が九州方面で被害を受け、これに対して被害者らがカネミ倉庫や国を相手取って賠償請求訴訟を起し、1、2審で勝訴、そして829人が約27億円の仮払金を受け取ったが、その後、和解となり、訴えを取り下げたことから、仮払金を返還しなければならない事態が生じていた。

「仮払金免除」今国会の成立期す
被害者の中で1906人が油症認定患者となっているが、当時、40歳だった人は既に80歳の高齢となり、しかも、その間、皮膚疾患をはじめ、肝障害や内臓障害など、さまざまな病気に苦しみ続けてきたわけで、患者救済が急がれていた。
この仮払金は既に生活費として使ってしまっていることから、突然の返還請求に多くの患者は困惑していた。現在までに504人、約17億円が返還されておらず、その借金を抱えたままの被害者の立場を考えた時、一刻も早い人道的な救済が望まれていた。
今回の与党合意は、そうした経緯と背景の中で、裁判上では和解となっているものの、今、新たにダイオキシンという史上最悪の化学物質による被害でもあることが明らかになっただけに、人道的な救済が必要ということで、自民党内でも理解が深まり、仮払金の返還免除という画期的な結論に至った。この点については、4人家族で年収手取り1000万円未満は免除とし、世帯人数が一人減るごとに100万円単位で引き下げることになった。この措置でも免除されない人は20人程度と見られている。
この対応については、自・公合意をもとに、議員立法を目指していて、今国会での成立を期している。

1300人全員に20万円の調査協力金
合意の第二点は、生存する認定患者1300人の全員を対象に調査協力金として一人20万円を支給するものである。
これは、平成20年度の予算措置によって、厚労省の油症研究班を中心として、1300人の患者全員との対面調査などによって見舞金的な扱いとして実施されることになっている。
この点について、記者会見の席上、田端は「高齢になっている患者の皆さんに対して、政治がどこまでできるかという、そういう思いでこれに取り組んできた」と語った通りである
そして、第三点目として、今後、患者救済の周辺整備として、その第一に、加害企業のカネミ倉庫鰍ノ対して誠実な対応を求めていくことにしている。つまり、@医療費の支払い A交通費等の支払い B受療券の利用拡大などについて与党PTとして勧告することになっている。

ダイオキシン根治療法の研究へ
さらに、第二点として、最重要課題であるダイオキシン類と健康被害との関係に対する医学的な究明を一層進めることを明らかにしたことは、初めての快挙といえよう。
それについては、厚労省として@従来の油症研究班をダイオキシン研究班に改め、一層の強化充実を図る A新たにダイオキシンと健康被害の関係及びその根治療法の解明を目指した研究機関を九州大学か長崎大学に設置する Bそれら二つの研究班と研究機関の相互連係によって、より一層の医学的解明に当たる――とうものである。これらはダイオキシンに対する本格的な医学的研究として注目されている。
以上、@仮払金の免除 A調査協力金の支給 Bカネミ倉庫鰍ヨの勧告 Cダイオキシン研究の強化――の4点が骨格となっているが、こうした総合的な救済策がまとまったことは誠に喜ばしいといえる。

公明党の努力に患者から感謝の声
事実、油症医療救済対策協議会の矢野忠義会長は「仮払金の債権免除やカネミ倉庫への責任に言及した意義は大きい。これほど喜ばしいことはない」と喜びを語り、患者代表の宿輪敏子さん(45)(長崎県五島市)は「二重三重の苦しみを味わってきた患者として、これで大変楽になる」と述べた。また、仮払金調停代理人の保田行雄弁護士は「仮払金の免除で大多数の人が救われた。また、一律に生存患者に調査協力金が支給されることは画期的である」と語った。さらに、油症研究班の古江九州大教授は「こうした朗報に接するとは、思ってもいなかった。誠に嬉しい限りだ。さらに治療の充実を期したい」と語っている。
そして、いずれも「公明党の努力があったればこそ、実現した」と、公明党のこれまでの熱意ある取組みに対して惜しみない感謝の言葉を寄せていた。それだけに、この画期的な救済策の実施を見事に仕上げることはもちろん、これを第一ステップとして、今後もさらに救済策の充実を期して取り組むことを誓いたい。


児童手当は少子化対策の“目玉”
4月から3歳未満児に加算
2007年3月28日

公明党は“子育て支援”に全力で取り組み、昭和44年には中学3年までの教科書無償配布を実現。
その時のPRチラシには『児童手当実現もあと一歩』と記されている。

 4月1日から児童手当制度が一段と拡充されることになった。つまり、0歳、1歳、2歳の3歳未満児に対して、5,000円が加算されることになった。
児童手当は現行では、第1子5,000円 (月額)、第2子5,000円、そして第3子から1万円となっている。そして対象は小学校修了までの1310万人もの多数になっている。しかし、今回はその中でも、3歳までの3年間が子育てにとって一番大切な時期であることから、ここを手厚くしようというわけで、少子化対策にとっては誠に喜ばしい政策といえる。
 ところが、この改正案に反対したのが民主党であり、その反対理由もはっきりしていない。
そもそも、児童手当は、昭和43年に、公明党が推進して千葉県市川市と新潟県三条市で、第3子から月額1,000円という形で導入を実現させることが出来たもので、当時、大きな話題になった。そして、国の政策としては昭和47年から第3子以降3,000円として実現した。
 この児童手当制度は、少子化対策にとって重要な施策であるとの評価を高めて、その後、平成12年には対象が3歳から6歳まで拡大され、平成16年には6歳から9歳に、更に平成18年には9歳から12歳、つまり小学校修了までの児童に拡充され、所得制限も緩和されてきたという経緯がある。
 だから、財政厳しい中にあっても、階段を昇るが如く、一段一段と改正され、今日的な制度として定着しているわけである。

不可解な民主党の「反対」
 それらの拡充の改正に対して、その度に唯一反対を続けてきた民主党の対応には疑問を持っている。しかも、民主党は、自らの政策としてマニフェストには「こども手当制度」の導入を主張しているわけで、その点では認識は同じではないかと思うものである。特に、今回、子育て支援を強化して、民主党も月額16,000円から26,000円に増額、中学修了までの全児童に拡大するという。その予算としては6兆円にも達する大変な政策になっている。
 つまり、民主党の対応には、単純に言えば、「児童手当」といえば、公明党の実績につながるから、その必要性は認めつつも、反対し、名前を変えた「こども手当」を主張しているとしか考えられない。
 ともあれ、公明党は少子化対策の必要性を40年も前から訴え、そして、教科書無償配布(昭和44年に中学3年まで実現)や児童手当を推進してきたことは、歴史が証明している通りである。コツコツと努力を重ねてきて、今日の実績になっているのである。

日本もチャイルドファースト社会に
 先進国の中で、唯一、フランスが出生率の回復に成功しているが、その政策を見ても、児童手当であり、家族手当であり、また、育児休業補償などであるが、これらは“子だくさんほど得をする社会”の仕組みになっている。
 日本も「チャイルドファースト社会」を一日も早く構築しなければならないと痛感している。


新エネルギーの開発・実用化急げ
―地球温暖化現象に思う―
2007年3月2日

春3月―。今年の暖冬は全く異常で、史上最っとも平均気温の高い冬となっている。東京では、雪ゼロのままで冬が終わり、三月に入ったというのも初めてのことらしい。
スキー場が雪不足となり、各地の氷まつりが中止になったり、春と錯覚して、蝶や蚊が飛び始めたりで、このまま夏を迎えれば、歴史的な猛暑になるのではと心配している人も多い。
それも日本だけのことではなく、世界的な温暖化現象だそうで、ヨーロッパでも雪不足が目立っているという。

大丈夫か?京都議定書の6%削減
もう地球温暖化は待ったなしである。今こそ、人類の英知を結集して、本気になった対策を打ち出さなくては手遅れになる。京都議定書に入っていないアメリカも中国もインドも含めて、そして各国政府と国民が一緒になって取り組む必要に迫られている。なかでも、京都議定書の議長国・日本が、環境先進国として、その先駆を切って政策を実行に移すべきである。温室効果ガスの1990年比6%削減という課題は、いよいよ来年2008年から2012年にかけて達成しなければならない。しかし、すでにCO2は8.1%増えているわけだから、結局、14.1%削減しなければならない。大変な数値目標であるが、日本の使命は大きい。
私は、その実現のために、まず取り組む課題として新エネルギーの実用化が一番いいと思っている。つまり、太陽光発電や風力発電の自然エネルギーの活用であり、バイオマスの熱利用による発電である。そして、もうひとつは、バイオ・エタノールの技術開発によって石油の消費量を抑えることである。

【写真】JR京都駅の新幹線ホームの屋上には太陽光発電のパネル800uが設置されている
風力発電、太陽光発電をさらに推進!!
私は、これらの施設を視察してきたが、いずれもいい方向に進んでいる。例えば、JR京都駅の新幹線ホームの屋上には800uの太陽光発電パネルが設置されていて、駅構内の照明や自動券売機の電源に使われている。サンヨー岐阜工場のソーラー・アークは長さ400mにもおよぶパネルで、おそらく世界でも最大級だと思う。また、京セラでは、世界100ヵ国近い国々に対して自ら開発した太陽光発電装置を寄贈し、砂漠を行き交うラクダの背に乗せて活用されているという。ともあれ、都心のビルでも活用され始めていて、その実用化はめざましい。さらに、日本的なものとして、風力発電もかなり進んできた。今、全国各地で小刻みに積み上げられ、総計1000基にもなっていて、総発電量108万kwという。これは原発一基分にも相当する。従って、もっと日本の技術が高まり、広がれば、かなりの期待が持てると思う。

【写真】関東一の波崎風力発電所を視察(茨城県神栖市 2月19日)

先日、私も茨城県鹿島灘の波崎ウィンドファーム(12基)を視察したが、プロペラまで地上100mと高く、なかなかの迫力であった。3万世帯分ぐらいの発電量という。
ところが、これら新エネルギーの占める割合は1.8%にすぎず、国は2010年までに目標3%としている。しかし、それも困難な数値である。まして、政府として2030年には石油依存度の目標を現行50%から40%に引き下げるというわけで、それこそ、一代決意が必要といえる。また、エタノールの実用化も2010年目標の50万KLに対し、2030年600万KL(ガソリンの1割)という大目標を農水省が打ち出している。よほどの決意と技術開発、そして税制の見直しなどが急務となろう。

【写真】世界初の廃材からのバイオ・エタノール製造工場を視察(大阪・堺市 2006年12月25日)
切り札になるか!バイオ・エタノールの実用化
私は、それでも希望を持っている。その中でも最も有力なのが、バイオマス・エタノールの開発・導入である。すでに、ブラジルやアメリカなどで自動車のガソリンに代わって使用されている。日本もすでに実用化に移りつつある。沖縄・宮古島ではサトウキビから、山形ではコウリャンから、そして大阪・堺では建築廃材からバイオエタノールを製造している。とくに、建材からのエタノールはセルロースを使った製造で、世界初の技術と高く評価されていて期待も大きい。
さて、2008年から京都議定書の約束年に入る。そして、その夏、日本でG8サミットが行われることになっている。その意味では、日本の役割と使命は大きい。
安倍首相も、その点を重視して「21世紀環境立国戦略」を打ち出そうとしているわけだが、そのためにも、温暖化対策、エネルギー開発、そして、京都議定書以降(2013年以降)の地球環境問題にどう取り組むか問われることになる。


【写真】バイオ・エタノールの開発推進を訴える(衆院予算委第6分科会 2月28日)
鴛覧ヘ発電、太陽光発電など新エネルギーの推進を強調(衆院予算委第7分科会 2月28日)

@温暖化A循環型B生態系保全が大事
循環型社会形成推進法を立案した私としては、それらの点を踏まえて、より精力的に地球環境問題に取り組む決意が大事であると考える。それには、@地球温暖化対策に全力を尽くすA循環型社会、つまりは3R(リデュース・リユース・リサイクル)を世界的に推進するB自然を大切にし、生物多様性の保全に全力を尽す――の三つの視点から議論を重ね、日本がリーダーシップを発揮してこそ、真の環境先進国たりえるのではないかと考える。
さる2月27日、私はそんな思いを込めて、衆院予算委員会第6、第7分科会で1時間にわたって、甘利経済産業大臣、松岡農林水産大臣と質疑を交わした次第である。「環境立国・日本」をつくりあげたいと思う。


携帯電話番号持ち運び制度が実現!!

【写真】衆院総務委員会で副大臣としての決意を述べる田端(2003.10.3)
念願だった携帯電話の番号ポータビリティ(番号持ち運び)制度が10月24日から実施されました。つまり、番号はそのままで、携帯電話会社を変更することができることになったわけで、利用者にとって大変に喜ばしいことといえます。
現在、携帯電話会社はNTTドコモ、KDDI、ソフトバンク(旧ボーダフォン)の三社ですが、この三社でそれぞれ独自のサービスを活発に展開していて、その競争によって、利用者がどこの携帯電話を選択するかということになるわけです。
この番号ポータビリティの実現に際しては、実は、公明党の青年局が2003年7月から署名運動を展開し、全国で1000万人の方々の賛同を得たことがきっかけでした。そして、同年9月に当時の福田官房長官に申し入れを行いました。しかし、携帯電話会社の反対意見が強く、事態の進展は見られませんでした。

総務副大臣の時に検討を指示
そんな折、私が2003年10月に総務副大臣に就任致しました。そして、総務省内の各部局からヒアリングを行っていく中で、この番号ポータビリティの導入が話題となり、「導入めざして検討してはどうか」と指示。省内に「携帯電話の番号ポータビリティの在り方に関する研究会」を2003年11月にスタートさせました。総務省担当部局や事業者は勿論、学者や消費者代表も参加しての研究会の発足にあたって、私も第一回会議に出席し、「是非、実現めざして議論を重ねていただきたい」と要請したわけであります。
以来、2004年4月までの間に7回の会議が重ねられ、これに要する経費(実は、1000億円ともいわれていますが、この点が一番の問題であったわけです)についても活発に議論が交わされ、最終的には携帯電話会社三社間での経費負担についても合意することができ、「導入」が決定したわけです。そして、3年半にわたって準備が進められ、2006年10月24日スタートとなったわけであります。
これが実現できたのは、直接の所管の総務省の中から発議し、検討を促し、一回一回の会議によって、議論を加速させることができたからであります。やはり、そこが与党の強みであり、そうした時に副大臣を務めさせていただいたことを誇りに思っています。
今回の実現には、まだメールアドレスの持ち運びは出来ない状況にありますが、携帯電話会社間のサービスが活発化することによって、利用者からは必ず喜ばれ、結果として、携帯電話の活性化を促すことになると確信します。
世界の最先端を走る日本の携帯電話技術は、番号ポータビリティの実現で、まだまだ発展することは必至といえます。
(2006.10.25)


スリランカ・インド訪問記
――有意義だった環境NGOとの交流――

この夏、地球環境行動会議(GEA)=斎藤十朗会長=のメンバーとして、スリランカ、インドを訪問しました。自民党の小杉隆衆議院議員を団長として、7月21日から26日にかけての強行日程でしたが、それぞれの国の環境NGO(非政府団体)との交流という有意義な訪問でした。特に、猛暑の夏に暑い国を訪問するということで、こちらも緊張感をもって旅をしてきました。

【写真】エコ・ビレッジで子供達の歓迎を受ける(小杉隆団長と)


スマトラ沖地震を乗り越えて

スリランカといえば、2004年12月のスマトラ沖地震による大津波で、島の東側の海岸線沿いに約3万人もの犠牲者を出したということで、その後遺症は今も残っているようでした。
また、北東部での反政府運動は今も激しく、連日、犠牲者を出しているという状況が続いていて、平和プロセスがねじれたままの民族の対立という困難なテーマを目の当りにしました。
さて、私たちが訪れたのは、首都コロンボから南へ30`程走ったところのカルタラ県ラゴスワッテ村に建設されているエコ・ビレッジです。つまり、この村は、津波で家を失った55世帯245人の家族をテント村から救出し、収容している新しい村で、今年3月に完成したばかりです。実は、このエコ・ビレッジは、A・T・アリヤラトネ氏が貧困救済を目的に創設し、40年間も活動しているNGOサルボダヤ財団と国連環境計画(UNEP)による協力で、住民参加型のパイロット事業として注目されています。これまで、日本からは歌手の加藤登紀子さんも激励に現地を訪れています。幼稚園や塾もあって、助産婦さんもいて、児童公園のような広場もあって、全くの新しい村づくりとなっています。


すばらしいアリヤラトネ氏の活動
アリヤラトネ氏の活動は、ガンジーの非暴力の思想を基盤としていて、13000以上の村において住民参加型の総合的な社会の覚醒運動として注目されています。
サルボダヤ財団は、地域の能力の開発を目的とした労働の共有をはじめ、国内全域の保健衛生活動や6000以上の保育園の運営・管理、さらには平和活動や生物保護運動、女性解放運動など幅広い活動を展開し、個人はもちろん宗教、人種を超えた社会啓発、平和活動を実践しています。
アリヤラトネ氏は、これまでノーベル平和賞候補にもあげられています。折から、体調を崩されていましたが、私たちの訪問を大変に喜ばれ、歓迎してくれました。エコ・ビレッジは、そうしたサルボダヤ財団の社会啓発活動の一例といえます。

【写真】アリヤラトネ氏(右から3人目)を囲んで
私たちにとっては、スリランカもインドも初めての訪問ですが、後半の3日間はインドの人口の多さに圧倒されました。             
チェンナイ空港に降り立って、その空港出口にいる人々の過密な状況に驚き、市内を車から見学して驚き、街中の人々の活力に驚かされました。とにかく、アーメダバッドでもデリーでも、人、人、人の渦に驚き続けました。

自然体験活動による環境教育
インド北南部の都市アーメダバッドから車で2時間ほど行ったところに、グジャラート州のアナンド市という文化学園都市があります。ここにはカレッジだけでも40校もあり、3万5000人もの学生がいます。人口の約半分が学生です。
この街でヴィドヤナガール自然クラブというNGOが活動しています。自然体験活動を通しての環境教育に力を入れています。リーダーはダヴァール・スルヤカント・パテル氏で、多くの学生がボランティアとして参加し、町の協力者が土地や建物を提供して、子供たちを対象に環境教育ができるような仕組みができています。
例えば、夏休みのキャンプには北部山岳地帯でキャンプを張り、雪の山で遊んだり、川で泳いだり、ロッククライミングを試みたりして、大自然と接する時間が計画されています。
10日間の合宿を体験することによって、自然の大切さを知り、感受性を養い、人と自然の共生を知り、環境教育を推進するようなカリキュラムが組まれています。
もともと、インドの人々は、生きものを大切にしています。例えば、道路のあちこちに牛が歩いていたり、寝そべっていたりしますが、車はそれら牛やラクダや犬を優先しています。つまり、人間と動物が見事に共生しているわけで、それは、高速道路であっても実行されているわけです。
ヴィトヤナガール自然クラブでは、ヘビを年間で250匹も捕獲し、それを育てて野生に戻していますが、そうした行動はねずみの繁殖を防ぐことになり、自然との共生の実践に継ながっています。

【写真】自然クラブのリーダー、パテル氏(右)と

インドとの外交の必要性と実感
インドという国は、歴史的にも4000年と古く、面積は日本の9倍もあり、あるいは人口は11億人と中国に次いでいるわけで、同じアジアにあっても大事な同胞であります。今やIT産業も急速に発展していて、その生命力は、国のいたるところで生き生きと躍動している印象を受けました。今はまだ、日本とインドは距離があるようですが、やがて、相互協力の時代もそう遠いことではないと実感した旅でした。


【写真】世界遺産タージ・マハールの前で




自衛隊の「イラク撤退」は喜ばしい!
人道支援、国際貢献で多大な実績

 小泉首相は6月20日、念願のイラクからの自衛隊撤退を決断しました。誠に喜ばしいビッグニュースであります。
 3年前、自らの決断で自衛隊をイラクに派遣しました。あくまでも、人道復興支援ということで、そして、この3年間、本当にイラクの人々から、特にムサンナ県の人々やサマーワの人々から感謝されるような活動を展開してきましたが、それでも、“万一、何か起ったら大変だ”との思いを持っていたのは、私1人ではなかったと思います。それが、人的被害に及ぶような事件もなく、ここに終結を迎えることができたことは、誠に喜ばしい限りであります。
 イラクの新しい政府が5月20日にスタートし、マリキ首相を軸として、新しい国づくりが始まります。その第一歩として、比較的治安の安定しているムサンナ県の治安権限が、英国軍からイラク当局に、6月19日に権限委譲が発表され、それを受けて、英国軍も撤退を決め、また、日本の陸自撤退にも至ったわけです。
 無傷のままでの撤退であり、イラクの人々に感謝されながらの撤退であることが、何よりも喜ばしいと思います。
 今、イラクは40℃〜50℃という熱暑ですが、どうか撤収作業が無事であることを祈るばかりです。また、防衛庁、外務省の関係者の努力に期待したいと思います。
 私は、安全保障委員会、イラク支援特別委員会で、一貫して早期撤退への防衛庁、外務省の誠意ある対応を促してきました。そして、小泉首相の引退までの間に実現することを期待してきました。それが、今回実現したわけですから、まさにビッグニュースといえます。また、イラク自身が新しい国家として、責任をもって第一歩を踏み出したわけですから、国際社会でも歓迎される決断だと思います。
 小泉首相は、今月29日に訪米し、ブッシュ大統領と最後の首脳会談を行うことが決まっていますが、今後のイラク支援のあり方も当然議論されると思います。日本も、できる限りの支援を惜しむべきではないと思います。
 陸自の使命は終ったとはいえ、空自による輸送やODAによる支援など、まだまだ日本の活動の場はあると思います。
 これまでのイラクでの自衛隊の活動範囲は広く、責任も大きかったと思います。給水活動や道路建設、さらには学校や病院の修復、それに電力の供給など、いずれも市民生活に直結した作業ばかりでした。だからこそ、市民に親しまれ、尊敬されてきたわけです。
 東ティモールなどPKO(国連平和維持)活動やインドネシアの緊急援助隊の活躍などと相まって、日本の自衛隊の国際社会での貢献度は高くなったと思います。つまり、軍事ではなく、人道復興支援という面からの活動が高く評価されているわけですが、さらなる国際貢献が期待されることと思います。


着実に進む“自然再生事業”
――岸和田市の神於山は全国のモデル――

写真】里山再生事業を視察する田端ら
以前に一度、この欄で書いたことがある大阪・岸和田市の神於山(こうのやま)の自然再生事業について、その続編を報告したい。
それは、ちょうど1年前のことであったと思う。甲子園球場50ヶ分の広さの神於山の里山再生事業が、自然再生推進法に基づいて全体構想がまとめられ、実施計画が提出され、全国第1号の自然再生事業に指定されたのは、2004年11月のことであり、2005年2月には岸和田市でシンポジウムが開催され、いっきに全国のモデル的な存在になった。その時は私も参加し、また神於山にも登って現地視察をしたが、それから1年の間に、林野庁や大阪府の支援もあって、ずいぶん里山が整備され、親しめる山に変わってきたと思う。

◎“森づくり”に企業も参加する時代
今回、3月18日に2回目のシンポジウム「里山で遊ぼう!」が開かれ、その足で再び山に登ってみて、その落ち着きを実感した。特に今回は、シャープ鰍ェ社会貢献事業として参画し、「シャープの森」と名づけられたその一画に1800本の植樹をすることになったと、地元では大変な喜びであった。自然再生事業に、いよいよ企業も参加する時代に突入したのである。感無量である。
JR阪和線沿線にシャープの本社があることから、その沿線を南下した岸和田市の神於山の里山再生に共感し、さる4月15日には社員300人の手でヤマザクラやクヌギ、コナラの苗木1800本が植えられたというから、誠にすばらしい。社会貢献と温暖化対策の一石二鳥といえる快挙である。
 また、更に嬉しいことに、ボランティア団体の「神於山保全くらぶ」は、4月28日、その功績が認められ、環境大臣表彰を受賞し、全国から注目を集めている。

【写真】シンポジウムで挨拶する田端
◎里山再生の現場で「環境教育」を!
今後、岸和田市では里山の中に“市民交流の広場”を整地し、次回のシンポジウムは、里山の自然の中で開催し、子供たちにも楽しんでもらえるように計画しているという。つまり、自然再生事業を発展させて、次は環境教育に広げていこうという計画である。時を得た発想である。
私は、3年前に自然再生推進法を提案し、自然を取り戻す法律の制定にかかわった政治家として、今後も全国の自然再生事業をチェックしていきたい。現在、釧路湿原や荒川、霞ヶ浦など全国17ヶ所で自然再生協議会がスタートし、自然再生に向って進んでいるが、それらの後押しをしていきたい。
ともあれ、“自然との共生”こそ我々人類にとって最重要テーマであることに変わりはない。自然を再生し、自然と共生し、豊かな環境を整備することに私は全力を尽くしたい。


「大阪の国会議員リレーコラム」画期的なアスベスト救済策
(平成18年3月5日付け、大阪日日新聞掲載記事)

衆院議員 田端正広

 国会が始まって一ヵ月半が経過した。その冒頭、アスベスト対策費一千八百億円を含む平成十七年度補正予算案と、アスベスト緊急対策二法案が成立した。昨年夏以来、この問題にかかわってきた私としては、「画期的な快挙」と喜んでいる。
 私たち与党としては、このアスベスト対策を重視して、中皮腫で死亡した周辺住民も含む患者・遺族をすき間なく救済すること、そして緊急対策として、学校や病院などの公共施設を改修して急ぎ除去すること等を取りまとめたわけである。現地視察や被害者からの実情調査、さらには関係省庁を督促しての実態調査などを重ねて、短期間で、予算と法案をセットで仕上げたことは高く評価されている。
 私は現在、内閣委員会(理事)、安全保障委員会、イラク復興支援特別委員会(理事)に所属している。各委員会の法案審査はこれからであるが、これまで、予算委員会でアスベスト対策を取りあげ、実際の運用面できめ細かな対応が実行できるように要請したのを始め、内閣委員会では2回質問に立ち、@子どもの安全対策A少子化対策Bサイバーテロ対策などを取りあげた。

「イラク撤退」でも確認
 また、イラク特別委員会では、遅れているイラク新政府の発足と自衛隊の撤退について確認するとともに、撤退後のイラク復興支援についても質問した。
 また、予算委員会分科会でも質問に立ち、総務省関係の事項について質問した。特に、かつて私が総務副大臣の時に指示をして推進した携帯電話の番号ポータビリティ制度について、いよいよ今年十一月の実施を確認するとともに、国民への広報を徹底するよう要請した。携帯電話会社を変更しても番号はそのままであるという大変に利便性の高い制度が実現するわけだから、それを価値的に活用して、よりよいサービスが行なわれることが期待される。ともあれ、当初は反発していた携帯電話事業者にも、最終的には理解していただき、実現にこぎつけることが出来て嬉しい限りである。

ガセネタ質問は大問題
 さて、このほど民主党議員のガセネタ質問で大騒動となったが、この衆院予算委員会といえば、国会の中では最重要な舞台であり、かつ最も華々しい論戦の場でもある。だからこそ、受けを狙ってのガセネタ追及は、厳しく戒められるべきである。もちろん、政治家にはパフォーマンスも必要であるが、国会の論戦にウソやインチキがあっては、国民の信頼を得られるわけがない。政治家は、国民の審判によって選出されていることを今一度確認しておきたい。


グローバルに考え、ローカルに行動する
――地球温暖化対策で小学生と対話――

Think Globally, Act Locally――というテーマで開かれた「国会議員と小学生との対話」は誠に有意義でした。サブタイトルは「環境教育を通じた地球温暖化対策」ということで、超党派国会議員で構成されているGLOBE Japan(日本の有志議員による地球環境国際議員連盟)が主催して、さる2月13日に国会前の憲政記念館で開催されました。
今回は、東京都板橋区立板橋第七小学校の皆さん45人と岡山市立伊島小学校及び同津島小学校の皆さん4人をゲストとして迎え、その活動報告を受けて活発に意見交換が行われました。
岡山の皆さんは、岡山KEEP(岡山京山地区ESD環境プロジェクト)のメンバーで、ESDとは「国連の持続可能な開発のための教育の10年」であり、そうした行動を地域で展開しているグループです。

【写真】「国連持続可能な開発のための10年」について講演を行う田端
◎活動のきっかけはESD10年の提言
活動のきっかけは2002年9月のヨハネスブルグ・サミットでの小泉首相のESDの10年の提言を受けて、公民館や中学校区を地域社会の範囲として、小学生から中・高校生、大学生、社会人、市民グループなど世代を超えて、地球環境を守る活動に取り組んでいるわけです。
身近なところから温暖化防止に向けての活動を行っています。例えば、打ち水作戦とか、「水」「緑」「生物」に分かれての環境点検活動などを行い、環境体験学習や交流会など通じて、それぞれが学んだこと、感じたことなどが、この日も発表され、多くの共感を呼びました。

◎「緑のカーテン」を成功させた板橋第七小
板橋第七小学校の発表は圧巻でした。45人の子どもたちが順番に壇上に立ち、「緑のカーテン」を成功させた体験を語りました。ヘチマやキュウリ、アサガオなどの植物を窓際に植え、その茎を校舎にはわせることによって、緑のカーテンが出来上るというわけです。
一年目は成功しなかったものの、昨年は見事に成功し、緑のカーテンのある教室と直射日光が当っている教室とでは、5〜10度も温度差があること、あるいは、どうすればツルが生え広がるか、まずはネットづくりが大事であること、また、そのためには土壌づくりが大切であり、肥料についての勉強をもしたことなど、実感込めて発表されました。
この第七小学校の「緑のカーテン」は、今では一般民家にも普及しているということであり、地球温暖化の中での自然を生かした試みのすばらしさを裏付けていました。

◎世界に先駆けて環境教育推進法
このGLOBE Japanの会合は、毎年行なわれて、昨年は「21世紀の地球環境を考える国会議員と高校生との対話」でありました。今年は、小池環境大臣も出席され、谷津義男会長(自民党衆議院議員)を中心に10人以上の衆参国会議員が出席しました。また、私はGLOBE Japan副会長として「持続可能な開発のための教育の10年」について、ヨハネスブルグ・サミットに参加した一人として、日本政府が提案し、そして、国連決議を受けて、世界に先駆けて日本が2003年に環境教育推進法を制定した経緯について話しました。特に、私は、地球環境を守るという大きなテーマではあっても、まずは、ひとり1人が身近なところから実践することが大切であることを強調しました。
まさに「Think Globally, Act Locally」であります。


絶滅から34年、
  コウノトリが野生復帰へ (2006.1.4


【写真】翼を広げると2bにも達するコウノトリ(豊岡市提供)
兵庫県豊岡市の試みを視察
 人と自然の共生のドラマが見事によみがえりました。 
 国の特別天然記念物に指定されているコウノトリが1971年に絶滅してから34年、昨年9月に兵庫県豊岡市の県立コウノトリの郷公園で5羽が野生に放たれました。
 豊岡市では1985年にロシアから譲り受けたコウノトリの幼鳥6羽の飼育・繁殖に成功し、今では100羽に達するまでに育て上げています。
 コウノトリは、日本では1971年に最後の1羽が豊岡市内で保護されましたが死亡し、それから実に34年ぶりに、地域の関係者の努力と粘りで、野生復帰事業として新たなスタートを切ったわけです。

翼を広げると体長2bにも

 翼を広げると体長2bにもなり、その大空に舞う姿は誠に壮大なものがあります。日本や朝鮮半島では絶滅し、ロシアや中国での生息数も約2千羽前後といわれています。
 その絶滅の危機から、見事な再生復帰事業を成し遂げた兵庫県と豊岡市の関係者には、心から敬意を表したいと思います。
 先日、偶然にも、井戸敏三兵庫県知事と飛行機で隣同士で乗り合わせた際、今回の野生放鳥の成功をお祝い申し上げたところ、井戸知事も大変に喜ばれ、「是非、一度お越し下さい。私が案内します。あの放鳥の瞬間、コウノトリが見事に大空に舞ってくれて感動しました」とのことでした。そうした経緯もあって、昨年12月の連休に、私は思いきって豊岡市を訪問しました。
【写真】公開ゲージの中にいるコウノトリ
 今年の冬は、大変に雪が多く、この日も、すでに40aからの積雪で、コウノトリの郷公園は一面真っ白でした。公開ゲージの中には10羽前後のコウノトリが寒そうにしていました。このゲージの中にいる鳥は、羽を切っているので、飛び立つことはできないそうですが、それでも、雪の中に立っている鳥たちと出会った瞬間は、大きな感動でありました。同時に、円山川流域の湿地帯を生かして、よくぞ、ここまで復帰させたものだ、という関係者への感謝の思いにかられました。

ほろびさせまいとするねがい・・・

 この日は、誠にタイミング良く、今回の放鳥を記念してのモニュメントの除幕式が行われていたことです。この記念碑には「ほろびゆくものはみなうつくしい。しかし、ほろびさせまいとするねがいは、もっとうつくしい」という元兵庫県知事・坂本勝氏のコウノトリへの思いを込めた言葉が刻まれていました。中貝宗治豊岡市長も出席されていて、地域の有志の熱い思いが伝わってきました。

【写真】中貝市長と記念碑の前で
自然との共生こそ21世紀の使命
 昨年7月頃でしたが、私と自民党の谷津義男氏との共著である「自然再生推進法と自然再生事業」(ぎょうせい出版)の本を中貝市長に贈呈させていただいたこともあって、この日、私が訪問したことを中貝市長に大変に喜んでいただきました。そして、自然再生にかけるお互いの気持ちを確認し合いました。

 この日は、時々、雪もちらつき、大変に寒い一日でした。残念なことに、大空を羽ばたくコウノトリの雄姿を見ることは叶いませんでしたが、しかし、地域の皆さんの自然との共生をめざす熱い思いを実感することができました。
 人と自然との共生こそ、私たち21世紀を生きるものにとって、最も大切な生きざまだと思った次第であります。

〈追伸〉
幸せ運ぶ「コウノトリ」を秋篠宮ご夫妻が歌に

 昨年9月のコウノトリ放鳥式に兵庫県豊岡市をご訪問された秋篠宮ご夫妻は、今年1月の歌会始に際して、そろって、幸せを運ぶという「コウノトリ」を詠まれています。
 「人々が笑みを堪えて見送りしこふのとり今空に羽ばたく」(秋篠宮さま)
 「飛びたちて大空にまふこふのとり仰ぎてをれば笑み栄えくる」(紀子さま)
 今回のご懐妊のニュースは、まさしく、このお歌のとおりのお喜びといえます。(2006.2.10)


世界遺産「屋久島」訪問記
――大自然との共生を実感――
2005年12月27日

【写真】樹齢2000年の弥生杉の前で
年末の休みを利用して、念願だった屋久島へ行ってきました。1993年(平成5年)に世界自然遺産に登録された屋久島です。日本では最も早く世界自然遺産になったわけですが、世界文化遺産である姫路城や京都や奈良の寺院など、そして近年では熊野古道や知床も加わって、世界遺産が、全国的に広がり増えていることは嬉しい限りであります。
さて、屋久杉で有名な屋久島へはこれまで訪問する機会がなく、何とか実現したいと願ってきました。島の3分の1は原生林でおおわれ、それが世界遺産になっているわけです。特に、屋久杉は樹齢1000年以上の大木を指しますが、この屋久杉は地表に近い表面部がデコボコの凸凹状になっていて、それが屋久杉である証しにもなっています。縄文杉や紀元杉など代表的なものは、樹齢3000年といわれ、地上部分は一周15mもあるほどの年輪を重ねています。
残念ながら、私が訪問した時期に、日本列島に大寒波が襲い、屋久島の中央部も積雪となり、ヤクスギランドやそれ以上の高い山間地へは足を踏み入れることができない状況でした。
◇ 白谷雲水峡は「もののけ姫」の原点 ◇
しかし、弥生杉のある白谷雲水峡までは通行可能ということで、喜び勇んで訪れました。白谷雲水峡は“水の森百選”にも選ばれていて、本当に太古からの大自然がそのままで、うっそうとした森が繁っていました。入り口から約500mの坂道をかけ登った山中に弥生杉が勇姿を見せていました。弥生杉は、樹齢2000年という巨木であり、その歴史と迫力に圧倒される思いでした。
それだけではありません。この白谷雲水峡の奥には、あの宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」の舞台となった森が、ここにありました。緑色に輝くような、美しいコケが岩や樹木にも生え繁り、まさしく、あの映画の原点であることがよくわかりました。地元の人の話では、宮崎監督はここに足を踏み入れたことで、映画の構想が決まったと誇らしげに語っていました。
私が感じたのは、この島の特徴として「水がきれいである」ということです。水によって、屋久杉や照葉樹林が生育し、そして600種からのコケや植物が生息しているわけです。つまり、太古からの大自然が生き続けていました。
島の人々も、それが誇りであり、そしてゴミになるようなことは禁止し、観光地に自販機さえも設置させないで、島の美しさを守り続けているわけです。
ゆったりと時間が流れ、大自然と向き合って生きている人々には、心の豊かさが感じられました。
【写真】千尋滝を背に
◇ 順調に育っている宇宙スギ ◇
水といえば、千尋滝や大川の滝など名所もありますが、豪雨の時には鉄砲水のような水量になるといいます。また、毛利衛さんが宇宙に持って行った杉のタネを育てて、今は宇宙スギと命名して、その成長を楽しんでいました。とにかく、世界遺産センターや屋久島自然館、あるいは屋久島自然公園など、見どころは多数あり、一つ一つが大自然とつながっていて勉強になります。私が宿泊した屋久島いわさきホテルそのものが、モッチョム岳を見上げる原生林の中に建っていて、大自然の迫力を実感させられました。ともあれ、“自然との共生”を体験した1泊2日でした。


チュニジア・モロッコ訪問記 (05・11・28〜12・4)

未来性秘めた北アフリカ、
そして成果あげる日本の経済協力

 今回、チュニジアとモロッコへの海外派遣をいわれた時、私は一瞬、迷った。それというのも、北アフリカと聞いただけで、遠くて、馴染みがないことから、一歩、引いてしまったが、しかし、考えてみれば、未知の国であるだけに、逆に、チュニジア、モロッコには魅力があると考えた。両国は地中海に面していて、気候は温暖であり、歴史的にも、地政学的にも大変重要な地域である。日本の外交にとって、また、経済協力の面から考えても、これからが大変に重要な国々だと直感した。
 私は衆院予算委員会の北アフリカ政治・経済調査団(金子一義団長)の一員として、11月28日(月)に成田を出発し、12月4日(日)に関西空港へ帰るという一週間の強行日程で訪問した。チュニジアはチュニスに2泊、モロッコはカサブランカ、ラボト、マラケシュを移動しての3泊である。フランクフルトまでが12時間、そこで乗り継いで3時間の15時間強で、チュニジアに到着するわけだから、やはり遠い国である。
 しかし、期待通りに、大変に収穫の多い旅でもあった。
【写真】チュニジアのカンヌーシ首相と会見                【写真】エルオムラン幼稚園では子供たちから大歓迎
来年は日本・チュニジア国交50周年
 11月29日午前9時、私たちはチュニジアのガンヌーシ首相に会見した。予定の30分を大幅にオーバーしての1時間の会見となった。
 ガンヌーシ首相は、日本は友人であり、日本とチュニジアの二国間関係の友好発展を評価し、そして日本の経済的支援に深い感謝の意を表明した。
 折から、来年が日本・チュニジア国交50周年に当たり、JICA(国際協力機構)、JBIC(国際協力銀行)の活動が両国友好の質的向上に貢献していると感謝を述べた。
 そして、首相は「世界各国との競争力をつけるために、困難に打ち勝って、人的資源の開発に力を入れたい」と結んだ。
 チュニジアといえば、2002年のサッカーワールドカップで、日本が勝って、決勝進出を決めた相手国であるが、私も、あの歴史的な一戦を地元大阪の長居競技場で興奮しながら観戦した。そんなこともあって、チュニジアは親しみもあり、また、日本の協力で果たした技術移転が、ここを拠点に他のアフリカ諸国に広がっている事実も知ることができた。
 ガンヌーシ首相は、愛・地球博にも参加し、その際、小泉首相との会談では日本の国連改革案に「支持」を表明している。
 この会見の際、私はペットボトルから作ったTシャツと、トウモロコシから作ったエコ・ボールペンを贈呈したところ、首相は大喜びで、日本の技術の高さに痛く感銘されていた。尚、この首相との会見は、地元の新聞・テレビで大きく報道された。
 私たちは、ぎっしり詰まった日程を精力的にこなした。ジュイニ開発・国際協力大臣との会談では、日本からの累計1900億円に及ぶ経済協力で農業の発展や水資源の開発、道路建設などに役立っているとの報告を受けた。そして、大統領、政府、国民が揃って日本の経済協力に感謝していることも確認した。
 また、ブハリズィ財政・計画委員長からは、科学技術面での協力と観光産業での期待が述べられた。
 私たちは、そうした政府・与党関係者との意見交換は勿論、国会議事堂をはじめ、各施設も視察した。世界一のモザイク建築といわれるバルドー博物館や日本の協力で実現したラデス火力発電所、さらには、草の根・人間の安全保障無償援助によるエルオムラン幼稚園では元気いっぱいの子どもたちとの楽しい交流も体験した。

印象深い世界遺産・カルタゴ
 特に印象深かったのは、世界遺産・カルタゴである。ピルサの丘にたつ遺跡群は、紀元前800年頃に建造されたもので、紀元前140年頃にローマ人によって一度は滅ぼされ、またローマ人によって再建されたという。神殿にしても、アントニウスの浴場にしても、軍港にしても、とにかく、歴史の長さが違うことを実感した。このすばらしい世界文化遺産が、ほとんど手つかずのままで放置されていることに驚嘆した。日本であれば、高い技術で修復し、長蛇の列ができるほどにPRしていたであろうに。
【写真】世界遺産・カルタゴで記念撮影                【写真】映画カサブランカのバーを訪問
 とにかく、地中海にあって、そのほぼ中央に位置するカルタゴは、時代とともに、栄えたり、滅んだりと、地の利を得ていたことは確かだ。
 また、地中海特有の白い家と青い窓の家々が密集するシジブサイトの街は見事に保存されていて、観光のポイントになっていた。
 チュニジアとモロッコとアルジェリアの三国のことをマグレブと呼んでいる。そのうち、アルジェリアは、治安が良くないこともあって、今回はチュニジア、モロッコとなった。
 そういえば、1940年代の名画に「カサブランカ」があったことを思い出し、私は出発前に、そのビデオを探し当てた。白黒とはいえ、さすが、ハンフリー・ポガードもイングリッド・バーグマンもすばらしかった。尚、映画の舞台としては、今ではハイヤットホテルのバーにのみ面影が残されているだけで、少しがっかりした。
 モロッコでは、そのカサブランカに2泊し、マラケシュに1泊した。カサブランカは商業都市、ラバトは政治都市、そしてマラケシュは国際的な観光都市であった。

モロッコ国王の初来日で一層の友好発展
 折から、モハメッド6世国王が初めて訪日している最中ということもあって、大変に親日的な歓迎を受けた。
 私たちは、12月1日にラバトの国会議事堂を訪れ、ラディ衆議院議長と会談した。ここでも予定時間をオーバーして、両国の友好発展に話がはずんだ。議長は、日本の経済協力に感謝し、更なる友好発展を強調した。特に日本からの観光の受け入れを要請し、ホテル建設に力を入れていると語った。
【写真】モロッコのラディ衆議院議長にエコ・ボールペンを贈呈
 私は、大阪人として、大阪のタコ焼きのタコは、そのほとんどがモロッコからの輸入であることを話したところ、議長は大変に喜ばれ、日本への海産物の輸出を評価し、なかでも、「それまでは食べなかったタコを日本に輸出するようになってから、私たちも食べるようになった」と語り、日本人の観光客も年々増えていると述べた。
 私たちは、ハニヌ財政・経済開発委員長やメフディ外務省調整局長、マルガウィ運輸次官らと相次ぎ会談した。
 いずれも、日本の経済協力を高く評価し、日本が先駆的な役割を果たしたこと、そして、今後は、モロッコをプラットホーム(足がかり)として、EUやアラブ諸国へ広げることも可能であるなどと訴えた。

各地で活躍する日本の青年たち
 私が、もう一つ感心したことは、現地での若い日本人の活躍である。シニアの方々を含め、JICAの青年海外協力隊員は、言語や生活習慣の壁を乗り越えて、現地の人々にとけ込み、建築士として、コンピューター技士として、バレエや体育の先生として、また、婦人子供服を教えるリーダーとして、様々な分野で頑張っている姿に接し、日本の若者もやるじゃないかと意を強くした。それは、チュニジアでも同様であり、両国で100人前後の青年たちが骨身を惜しまず日夜健闘していることを改めて認識した。
 25歳の女性建築士Uさんは、マラケシュの地で、1800年代の遺跡・ダルバシャグラウィの修復作業の輪の中に入り、むしろ、現地の人たちをリードして、すばらしいアラベスク模様のモザイク建築物を再現している姿は感動的であった。
 モロッコは3000メートル級のアトラス山脈が南北に走り、海岸線は西太平洋にも面していて、今では欧州の人々のリゾートとして、若者からはスキーやサーフィンの穴場として、人気が高まっているという。

人・人・人で賑わうマラケシュの世界遺産
 特に、マラケシュの街は整備され、ホテルも林立している。そして、世界遺産ジャマ・エール・フナ広場は、様々な国の人々で一日中、賑わっていた。
【写真】マラケシュの世界遺産・フナ広場をバックに
 フナ広場は、そのすべてが世界遺産であり、曲芸やヘビ遣いの大道芸人をはじめ、馬車が行き交い、笛や太鼓の音が鳴りわたり、人・人・人の賑わいそのものが文化になっている。延々と迷路の如く広がる市場には、木工細工や革製品、ショール類、陶器やガラス製品、果物や香辛料、果ては化石なども店頭に並んでいて、値段の交渉をしながら、ショッピングを楽しむという、本当に庶民・市民の広場になっている。楽しく、心が浮き立ち、そして、なつかしさを感じる広場、それがフナ広場の魅力である。不思議なほど、人間臭い広場だ。
 私は今回、北アフリカ調査団の一員として参加できたこと、そして、古い歴史や異文化と接したこと、また、日本の国際社会での位置をも確認することができたことなど、それらのすべてを今後の政治活動に反映させなければならないと決意している。
 21世紀の世界の平和と日本の平和貢献に、私は一層頑張ることを心に誓った次第である。

05.12.4記・機中で


マータイさんの提案で「もったいない」を実践! 2005.6.26
 絵本「もったいない ばあさん」まで話題に

【写真】話題の絵本「もったいない ばあさん」       
  「もったいない ばあさん」という絵本が話題になっています(講談社、真珠まりこ作・絵)。
 「もったいない」って、どういう意味なのか。この絵本では、ものを大切にする心が示されています。「もったいない ばあさん」が来ては、ご飯粒の残りを食べ、歯を磨きながらの水の出しっぱなしを注意します。
 真珠さんが、息子さんに「もったいないって、どういうイミ?」と聞かれたのがきっかけで、この絵本を書かれたそうですが、確かに、日本の古い生活文化として「もったいない」が根づいてきました。その言葉が近年、失われていました。
 そこへ、ワンガリ・マータイさんが登場しました。今年2月16日の京都議定書発効を記念して日本を訪れ、「日本の循環型社会はすばらしい。リデュース(発生抑制)、リユース(再使用)、リサイクル(再利用)の3Rを世界に発信しよう!特に、日本には古くから『もったいない』という文化がある。私は『もったいない』が大好きです」とスピーチしたわけです。
 マータイさんはケニアの環境副大臣ですが、これまでアフリカに2000万本の植樹運動を展開し、昨年のノーベル平和賞を受賞しました。つまり、市民レベルの環境運動がノーベル平和賞へと開花したわけです。そんなマータイさんの発言があって日本人が忘れていた日本の文化「もったいない」を再認識するようになりました。
 小泉首相もあちこちで「もったいない」発言を連発しています。3月25日から始まった愛・地球博のオープニングセレモニーで語り、4月28日から始まった3Rイニシアティブ閣僚会議のレセプションでも、「もったいない」運動の実践を熱っぽく訴えました。だからこそ、「もったいない ばあさん」が話題を集めているわけです。


【写真】ワンガリ・マータイさんと懇談(H17・2・14)
 私は、今から5年前に循環型社会推進基本法のタタキ台を提示し、2000年の通常国会で成立させることができましたが、その時に合わせて、「たばた正広のエコライフのすすめ」というチェック項目を発表しました。それには、水の出しっぱなしや電源をコマメに切ることなど、電気、ガス、水道の節約を訴えています。地球を汚さないように、そしてエネルギーの節約によってCO2排出を抑えるようにと、呼びかけたわけですが、これらが「もったいない」の一言に集約されています。
 マータイさんによって、私たちは忘れかけていた大切なものを取り戻し始めました。世界のひとり一人が「もったいない」を実践することが温暖化防止につながると思います。
 なお、6月17日に閣議で決定した2005年版の環境白書と循環型社会白書をみても、「もったいない」精神の実践による人づくりが強調されていて、ごみのリデュース(発生抑制)、リユース(再使用)、リサイクル(再利用)の3Rの精神が打ち出されています。

【写真】もったいない」の本も発売
また、マータイさんの思想と行動に共鳴しているプラネット・リンクによって、つい最近、マガジンハウスから「もったいない」という本が出版されました。この本の売り上げの一部がマータイさんの「グリーンベルト運動」に寄付されるということです。
私も「もったいない」が世界共通語になる日の早やからんことを願っている一人です。


「国民の安全・安心の確保」へ 2005.6.22
田端らの粘り強い主張で『骨太方針』を大幅に修正させました!!

【写真】衆院内閣委員会で政府に治安対策を求める田端(2005・3・30)

「2005骨太方針」が6月22日の閣議で決定しました。
医療費問題や少子化対策、さらには公務員削減など多くの課題を抱えた中での2005年度の予算編成へ向けての基本方針であります。
そうした中で、特筆されることは、「国民の安全・安心の確保」がクローズ・アップされている点です。
それは、国民の皆様も心配されているところであり、特に、昨年は台風による被害が相次ぎ、新潟や福岡での地震、さらにはスマトラ沖大津波などの国際的な大災害もありました。また、JR福知山線の脱線事故で107人もが犠牲になるなど悲しい災害や事故が続発しています。
このため、今、国民にとって、「安全・安心の確保」は最も大切な要望であります。
さらに、治安問題も大きな社会問題になっています。かつて、日本の治安は世界一≠ニいわれました。しかし、今では、年々、犯罪が急増し、刑事犯の検挙率は26%という状況にまで落ち込んでいます。
今年冒頭の小泉総理の所信表明演説でも、その点が強調され、世界一安全な日本の復活≠ノ総力あげて取り組む方針が示されました。
事実、昨今の社会問題を見ても、オレオレ詐欺事件にみる銀行カードの不正利用事件をはじめ、クレジットカードの不正使用など、犯罪もIT社会の弱点をついたものが目立っています。また、少年犯罪や性犯罪事件、外国人による犯罪など、事件も悪質化し広がりを見せています。
私はそうした状況を踏まえ、是非とも「骨太方針2005」の中にそれらの対策を大きく折り込む必要を感じていました。
それで、6月7日に内閣府から提示された「素案」には、「安全・安心」がグローバル戦略の一項目に掲げられているだけなのに対して、「是非、大きな柱をたてるべきだ。世論調査を見ても、今や治安対策は第一位だ。災害対策も大切。安全・安心こそ国民の要望だ」と強調しました。
その後、6月13日の「原案」では大きく加筆修正され、グローバル化の三本目の柱として取り上げられました。しかし、私は、さらなる大きな柱に格上げするように強調しました。勿論、神崎代表始め、国土交通部会の諸氏も同意見を主張しました。
そうした公明党の一連の働きかけによって、内閣府でも慎重に検討を重ね、経済財政諮問会議でも議論が尽くされた結果、6月21日に示された「最終案」では、第三章の「新しい躍動の時代を実践するための取組」の第二番目の大きな柱として「国民の安全・安心の確保」が位置づけられました。これは、まさしく画期的な修正であり、政府の意思として明確に盛り込まれたものです。いわく「国民の安全・安心を確保することは、政府の基本的な責務であるとともに、我が国の経済活性化の基盤である」と。
そこには大規模地震対策や治山治水対策など防災対策投資の推進と、陸・海・空の公共交通安全対策の総合的な推進、さらには激増する犯罪事件に対し、「世界一安全な国・日本」の復活を図る治安対策の推進が別表も含めて詳細に述べられています。
「経済財政運営と構造改革に関する基本方針」である『骨太方針』は、今後の小泉政権の大きな目標であり、基本的な姿勢であります。そして、政策や予算決定の意思をも盛り込んだものといえます。従って、今後の政治目標である予算編成や税制改正とも大きく関係してきますが、あくまでも私たち公明党としては、庶民の目線から監視し、政策を推進していく決意であります。そうした力を発揮できるのも与党であればこそと実感しているところです。


桜花爛漫、神田川は穴場です!!  2005.4.7

【写真】満開の桜のトンネルを流れる神田川
2`も続く、見事な桜のトンネル

東京の桜がいっきに咲きました。春を寿ぐ庶民の宴が桜の木の下でくり広げられています。今年は花冷えがきつくて、桜前線の北上が遅れました。その分だけ、春の到来を喜ぶ思いは深いようです。
ところで、タクシーの運転者さんから「神田川沿いの桜は見事ですよ」との情報を得え、私は早速出かけてみました。さすが、江戸っ子運転者の弁だけあって、桜の名所の穴場でした。
神田川といえば、南こうせつの曲が思い出されますが、そこにはかつての東京の下町の景色が浮かんできます。そんな先入観をもって訪れた神田川でしたが、まさしくウワサ通り、桜のトンネルの中に神田川がありました。明治通りの高戸橋から下流に向けて、桜並木が両側に約2`にわたって続いていて、見事な風景でした。
左岸は豊島区、右岸は新宿区、そして、終着の江戸川橋付近は文京区と、都心の下町を突切っていて、そのすぐ脇を唯一の都電が併走しているのも、なかなか風情があります。
私は、高戸橋をスタート地点として、曙橋、面影橋、そして三島橋、仲之橋、豊橋、駒塚橋へと散策しながら、そのつど、橋の上に立ちどまっては、両岸の桜のトンネルを満喫させていただきました。のどかな春のひとときを、ゆっくりと流れる神田川の水の如く、時間の流れも忘れるように楽しみました。


芭蕉庵や椿山荘もある散策コース

 駒塚橋のすぐ脇には芭蕉庵もあって、「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑も立っていて、いっそう詩情がそそがれました。さらに椿山荘の横を通って、大滝橋、一休橋、江戸川橋へと続くわけですが、桜並木沿いに雑司が谷や目白台商店街などの色とりどりのちょうちんが多数かけられていて、江戸川公園へとつながっています。
そして、何よりもよかった点は、人が少ないことです。新目白通りから一歩入っているだけで、静かな並木道になっています。
桜の名所といえば、人が群れをなし、大宴会で盛り上がっている景色ばかりが浮んできますが、ここは、本当に散策コースといえます。ちょっと見た感じは京都の哲学の道に近いものがありますが、ただ違うのは、神田川はコンクリートの川であるために、少し固く、また、柵があるので、その分少し窮屈な感じがします。しかし、神田川のほうが桜並木の木は大きくて多く、従って花も豊富です。その分、圧迫満点といえます。

都議会公明党の努力で巨大な調節池


実は、神田川は川幅10〜20m程度ですが、一級河川であります。そして、昔から水害で悩まされ続けてきました。豊島区高田町界隈では、梅雨時期などには、しばしば浸水を繰り返していました。それが、都議会公明党の努力によって、環状7号線の地下に巨大な調節池がつくられ、今では水害による被害がなくなりました。泥水式シールド工法によって、54万?貯水できる調節池(延長4.5q、内径12.5m)が完成したことから、一時間あたり50o程度の降雨まで安全が確保されました。
ともあれ、その後も豊島区や新宿区などが力を入れて整備してきました。川沿いの遊歩道が延々と続いています。桜の木も増やしました。そして、五月の連休の頃にはつつじの花に変わります。
“自然との共生”――これほど大切な理念はないと思います。自然の生態系を守り、人間と自然が共生する社会こそ、今、私たちに求められている生き方だと確信します。



自然再生法の全国第1号は岸和田・神於山の里山づくり 2005.4.1

【写真】300mの頂上に展望台が新設され、憩いの場になっている
 自然再生推進法のことについては、以前にも書きましたが、この法律に基づいて、自然再生事業がいよいよ具体化してきました。その第一号が同じ大阪の地で実現する運びになり、大変に喜んでいます。
岸和田市に神於山(こうのやま)という里山があります。180haの広さで、標高300mのこんもりとした山です。ここは昔から神が住む山として、地域の人々に親しまれ、都市近郊の海、山、川がつながった里山です。しかし、近年はマツクイムシによる被害を始め、モウソウ竹の拡大など、荒れ放題になっていました。
 そのため、市民有志によって、「活力のある森の再生」「市民が親しめる自然の再生」といった運動が始まり、定期的な清掃活動が実施され、平成15年度からは岸和田市も竹の除去作業や植生調査をするようになりました。
 そして、自然再生推進法に基づく「神於山保全活用推進協議会」として、全国で五番目の協議会がスタートしました。平成16年5月のことでした。
地元のNPOや市民代表、ボランティア団体、町会、森林組合、それに大阪府や岸和田市、さらには林野庁、環境省も加わって、全体構想が平成16年10月にまとめられ、目下、実施計画案について検討が進んでいます。
 さる2月27日に、私も神於山に登ってみました。市民の皆さんや市や府の担当の方々の案内で、竹林や展望台、自然学習拠点などを見て回りました。この日は天候にも恵まれ、大阪湾一望のすばらしい景色を満喫することができました。
 自然再生推進法は、私が提案し、2年がかりで平成15年12月に成立した、大変に思い出のある法案だけに、その実効性に注目していましたが、大阪から適用第一号が生まれようとしていることに、感無量の思いがします。
 2月28日(月)の衆院予算委分科会でも、私は神於山の里山づくりを取り上げ、環境省、農水省に全面的な協力を要請したところであります。
 3月19日(土)には大規模シンポジウム「神於山の自然再生事業」が地元で開催されますが、私も法律の提案者として出席し講演することになっています。
 今、全国で自然再生協議会は12ヵ所で設置されています。そして、神於山を始め、釧路湿原(北海道)、荒川(東京都)、樫原湿原(佐賀県)の4ヶ所で全体構想がまとまっています。
 この法律の優れた特徴である「ボトムアップ方式」という、地元の皆さんの創意と意思によって、自然再生事業が進み始めたことに大きな拍手を送りたいと思います。読者の皆様の地域でも試みていただきたいと思います。
 なお、余談になりますが、この竹林整備によって生じた“ササ”の葉っぱが、実は和歌山・白浜のアドベンチャー・ワールドのパンダの好物として提供されていて、一石二鳥と喜ばれています。

【写真】大阪湾をバックに関係者一同で記念撮影(2月27日)



「もったいない」を実践しよう! 
―― ノーベル平和賞のマータイさんが絶賛 2005.3.1

【写真】ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんと環境問題について懇談
ノーベル平和賞を受賞したケニア環境副大臣のワンガリ・マータイさん(64)が、京都議定書の発効(2月16日)に合わせて来日し、大きな話題を提供しました。それは、何といってもNGO「グリーンベルト運動」を創設し、草の根の植樹運動でアフリカ各地に約3000万本の苗木を植えてきたことです。その間、女性の地位向上や民主化につなげようとしたことで、時の権力の弾圧を受け、逮捕されるなどの苦難を乗り越えての植樹運動でした。
 そうした環境問題にかける彼女の人生そのものが、ノーベル平和賞につながったのだと、私も心から賛同しています。
 そのマータイさんに会ったのは、2月14日の「マータイさん歓迎の夕べ」であった。全身に自信と誇りがみなぎり、やさしさに輝いていた。しかも、大変に謙虚な方で、日本から多くのことを学びたいとの姿勢で貫かれていた。
 マータイさんは、民主主義と資源と平和を大切にすることの重要さを、実感をもって話され、その先駆的な役割を果たしている日本に学びたいと訴えました。
 私たち日本人にとっても、大いに反省させられたことではありますが、マータイさんは『「もったいない」というすぐれた日本の文化に学びたい。「もったいない」を世界に発信したい』と語り、見事な日本語で「もったいない」と話しかけ、会場から大きな拍手を受けました。
 「もったいない」―― それは私たち日本人も、今日、忘れかけていた言葉であります。私が子供の頃は、食事時などに残したりすると、親からよく注意されたものです。それを今再び、マータイさんの口から教えられ、「そうだ、そうだ。京都議定書の原点はここにある」と思った次第です。
 私は「たばた正広のエコライフのすすめ」というパンフレットを作り、@電源をこまめに切る A歯を磨きながら、水を出しっ放しにしない BリモコンをOFFにするだけでなく、コンセントも抜く・・・など、電気・ガス・水道の節約を呼びかけています。これを実行すれば、年に1〜2万円(4人家族)の節約は可能となります。
 やっぱり、便利な生活に流されていた私たちに、そうした意識を喚起していただいたと喜んでいます。しかも、マータイさんは「もったいないによって日本は循環型社会を築いている。リデュース、リユース、リサイクルの3Rはすばらしい。“I love 3R”」と結んだわけです。循環型社会形成推進基本法のタタキ台を提案した私としては、マータイさんにお褒めいただき嬉しく思いました。
 マータイさんにならって、私たちも3Rを実践したいものです。


〈いきいき自然との共生〉 2005.2.28
 持続発展可能な社会をめざして  喜ばしい京都議定書の発効


【写真】2002年9月にヨハネスブルグで開かれた「地球環境サミット」に小泉首相らと共に出席
 やっと2月16日に京都議定書が発効しましたが、これは大変に喜ばしいことです。思えば、1997年12月に京都国際会館で開かれたCOP3(地球温暖化防止京都会議)で、地球温暖化防止に向けて全世界で温室効果ガスを90年比5%削減することを決定したわけですが、これによって日本は6%削減の責任を負いました。
 この京都議定書に関しては、実は、2001年にアメリカが離脱するに至り、発効が難航しましたが、「京都」という名を冠した国際条約であるだけに、日本にとって今回の発効は誠に喜ばしい限りです。これによって実を挙げ、そして2013年以降へと継げていくことが大切と考えます。持続発展可能な社会を確保するためにも、今、生を受けている私たちの使命は大変に大きいものがあります。
 私も、あの時、国会議員の一人として京都会議に参加しただけに、今回のロシアの良識ある決定を評価しています。
 私は、このCOP3が日本国民の環境問題に対する意識を変えた一大事件であったと思っています。京都会議にNPOや市民グループが多数参加し、発言し、行動したわけで、これ以降のNPO活動や市民活動を大きく盛り上げてきました。つまり、97年以前と以後では、環境に対する意識が全く変わったと思います。そして、NPOとかNGOといった非営利団体の活動を促す結果をもたらしたことも事実であります。
 そんなこともあって、環境省では、京都議定書の発効に合わせて、2月16日に京都国際会館で京都議定書発効記念のセレモニーを行いました。時を得た企画といえます。特に、今回は、昨年ノーベル平和賞を受賞したケニアの女性環境学者のワンガリ・マータイさんが特別ゲストとして参加して話題になりました。NGOグリーンベルト運動を設立し、3000万本の植樹をアフリカで推進してきたマータイさんは、ケニアの環境・天然資源・野生動物省の副大臣(2003年就任)で、そうした実績によって、ノーベル平和賞を受賞したことに世界は喝采の拍手を送りました。環境問題が世界平和に通じることが評価された意味は誠に大きいと思います。
 私は、2002年9月に南アフリカのヨハネスブルグで開かれた「地球環境サミット」に小泉首相らと共に日本の国会議員代表として参加しました。ここでは「持続発展可能な社会のための教育の10年」が日本政府の提案として実施項目の中に入れられ、その年の12月に国連総会で全会一致で採択されました。そして、いよいよ今年2005年からの10年が地球にとっても、人類にとっても大切な期間といえます。私は、2月4日の衆院予算委員会で、この問題を取り上げ、小泉首相始め政府に意識喚起を促しました。
 持続発展可能な社会のために、日本がどうするか、私たち一人一人が考える時を迎えています。




猛烈!今年の花粉飛散量 ―― 自己防衛で乗り切ろう 2005.2.1

【写真】自動車リサイクル法の早期成立を訴える田端(環境・経産連合審査会 2002.6.4)

今年の花粉飛散量はすさまじいといいます。東京では例年の20倍、大阪では30倍といいますから、その対策は大変です。これまで健康な人も、いっきに症状が出る可能性もあるということですから、誰人たりとも安心はできません。
この花粉症患者はすでに、2000万人ともいわれているわけですから、今年はさらに急増することが心配されています。もう、こうなればまさしく国民病といえるかもしれません。
それなのに、対策が進んでいません。特効薬的な治療法がないばかりか、なぜ、発病するのかというメカニズムさえも解明されていません。
生命そのものに関わる重病ではありませんが、花粉症の症状は全く気の毒であります。これからの2~3ヶ月は、すさまじい戦いだと思います。クスクス、シュクシュクと鼻水をすすり、くしゃみを繰り返し、目はムズムズとかゆくて、痛々しくさえあります。
と、かくいう私も、ここ2~3年前から、それに近い症状が出ているので、実は、今年はどうかと心配しているわけです。
今からちょうど10年前になりますが、私はこの花粉症問題を初めて国会で取り上げました。当時で、患者数500万人ぐらいだったと思いますが、私は、原因究明を急ぐべきだと主張しました。というのも、花粉症の特徴は、スギやヒノキの多い山間地ではそれほど発病していないのに、都市部で多発しているからです。その原因解明のカギになっているのが、PMとか、DEPといわれているディーゼル排気微粒子です。つまり、自動車の排気ガスの中に含まれている微粒子と花粉が結びついて、発病させているのではないかというのが、私の主張です。それは今も変わっていません。
そして、私の環境委員会での質問がきっかけとなり、厚生労働省、文部科学省、農林水産省、それに環境省の実務者による連絡会議が開かれるようになり、対策を積み上げてきました。それによって、排気ガスの中の物質であるPMが何らかの影響を及ぼしていることも明らかになりました。
花粉の少ないスギも開発されました。厚労省と文科省とで治療対策の研究も行われています。環境省ではパンフレットを作成し、予防を訴えるようになりました。そして、今年の花粉の猛威に備えて、政府の連絡会議には内閣府も入れて一段格上げし、各省の審議官級による協議会になりました。早く対策を確立してほしいものです。
しかし、残念なことに、まだ原因解明には至らず、治療薬も開発されていません。こうしたアレルギー症状は現代病の一種かもしれません。さまざまな原因が複数組み合わさっているようです。
従って、この時期は、自己防衛に努力することが最大の予防策といえるかもしれません。そこでこの時期に、自己防衛のために次の項目について、是非、注意していただきたいと思います。
@ マスク、メガネなどを着用すること
A 帰ってきたら、うがいを慣行し、顔や手を洗うこと
B 衣服についた花粉をはたき落してから家に入ること
C 飛散量の多い日はでけるだけ外出を控えること
私が10年前に質問した時に、何人かの他党議員から「いい質問をしてくれた。実は、私も花粉症で困っているんだ」といった賛同を受けたものです。
また、石原都知事がこのディーゼル排気微粒子がゼンソクや気管支炎などの被害を誘発する原因になっているとして、都内でのディーゼル車の通行規制に乗り出したことはご承知の通りであります。
いずれにしても、車社会のツケが回ってきていることだけは確かだといえます。


自動車リサイクル法が完全施行――循環型社会へまた一歩、前進!! 2005.2.1

【写真】フロン法の与党案がまとまり記者発表する田端(から2番目)2001.5.11
今年の元旦から自動車リサイクル法が本格施行されたことをご存知ですか。つまり、廃車時の解体経費であるリサイクル代金を、新車購入時に払い込むというわけです。乗用車1台につき、1万円〜1万8000円のリサイクル価格が上乗せされるわけです。まあ、200万円とか300万円という新車価格に対してのリサイクル経費です。先払いで負担してもらうことで、現在のような廃車された車が路上に放置されていたり、粗大ゴミとして野積みされるようなことはなくなります。
では、現在、使用している車はどうかというと、車検時(2年または3年)にリサイクル券を購入していただくことが義務づけられています。従って、新車はもちろん、中古車も、廃車するまでに対応する必要があります。
私は、このシステムがスタートするに際して、実に感慨深いものがあります。それは、2001年6月に私たちが成立させたフロン回収・破壊法の議員立法論議の段階で、自動車業界とぶつかったわけです。
自動車工業会の言い訳は、「フロン法はやめてくれ。その代わり、自転車リサイクル法をつくる」という主張でした。しかし、地球環境を守る上で、フロン法の制定は待ったなしで、カーエアコンや空調冷凍機器などのフロン対策が迫られていました。
私は自動車メーカーの代表と対面し、「オゾン層破壊のフロン対策は急務。だから、先行発車し、そのまま自動車リサイクル法につなげる内容に整合性を持たせましょう」と説得して、ようやく結着をみたわけです。この間、約半年近く折衝を繰り返し、2003年7月に自動車リサイクル法が成立しただけに、今年の元旦をひときわ喜ばしく迎えました。
家電製品の場合は、ゴミとして排出する時に2500〜5000円のリサイクル費用を負担することになっていますが、その反省に立って、新車購入時(又は車検時)の負担にしたのです。
現代社会では、車は生活の必需品です。しかし、ゴミを減らし、循環型社会をめざすのも、私たち人間の知恵によると思います。環境と経済の両立する社会へ、また一歩大きく前進しました。


カネミ油症――実はダイオキシン被害だった 2005.1.1 
難病、経済苦、高齢の患者救済を!!


【写真】油症患者の医療救済を尾辻厚生労働大臣に要請する田端(2004.12.8)
ウクライナ大統領選をめぐって、突然、猛毒のダイオキシン騒動が持ち上がっていますが、皆様は、36年前のカネミ油症事件をご記憶でしょうか。昭和43年頃に北九州市で発生した食品公害事件で、体によいはずの米ぬか油を食べたところ、その中にPCBが混入していたことから、大変な被害が続出しました。
当時、被害者は2万人にも達したといわれています。その中には、PCBによる人身汚染による影響で、黒い赤ちゃんが生まれたケースもあり、体中にニキビのような油の斑点が出来たり、ホルモンのバランスが崩れたり、胃腸障害や癌が多発したりと、さまざまな病気に苦しんできたのが、患者の皆さんのその後でした。
治療法が解明されないまま、その苦しみは今日にまで至っていますが、それもそのはず、実はPCBによる被害だけではなく、PCDFという猛毒のダイオキシン類による人体汚染でもあったわけです。というのは、2001年12月の山下栄一参院議員の質問および2002年3月の田端正広の質問で、坂口厚生労働大臣(当時)がダイオキシン類とPCBの複合汚染であることを明確に認めたことから明らかになりました。
私はただちに福岡市や五島列島(長崎県)に現地調査に向かい、多数の患者さんから実情を聴取しました。そして、その年の夏には、油症患者の代表である矢野忠義(対策協議会長)・トヨコ夫妻と一緒に、坂口厚労大臣や武部農水大臣(当時)に直接、救済を訴えました。去る12月8日には尾辻厚労大臣に重ねて陳情しました。
医学的な治療法のほかに、もう一つ難題がありました。それは、裁判の途中で和解したことから、一審勝訴で受け取っていた仮払金(1人平均300万円)を返還しなければならなくなり、農水省に取り立てられていることです。相次ぐ病気で苦しんでいる上に、仮払金の返済も加わって、患者の皆さんは二重、三重の苦しみを負っています。
私たちは、何回か国会で取り上げ、ようやく対策は一歩一歩進み始めました。新しい診断基準や認定基準も出来ました。相談員制度や女性専門の窓口も出来ています。しかし、未だに医学的な治療法が見つかっておらず、患者の皆さんも高齢になっています。まして、仮払金の返済という経済負担も加わっています。
豊かになった今日の日本に、未だに、こうした苦しみと闘っている人々のいることを是非知っていただきたいと思います。そして、何としても事態解決への道を切り拓きたいと決意しています。


歩くことに喜びが ―― 地球にやさしい生き方を! 2004.11.30

【写真】箱根湿生花園にて(2004年秋)

“スローライフ”が評価されている。ゆっくりと、のんびりと、そしておおらかに生きた方が生き甲斐があるという。そういえば、かつて交通事故キャンペーンにこんな標語があったと思う。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」

そもそも政治家は大変に忙しい。全くもって時間貧乏である。30分単位で人と会い、1時間単位で会議に出席する。究極には、分単位で行事日程をこなすこともある。

その行動軸として、車を使用することが多い。朝から夜遅くまで、あっちこっちと移動し、行事をこなしていくわけである。確かに、車は大変に便利であり、助かることも多いのだが、その分、身体を動かしていないことになる。車社会に慣れ切っていた私だが、最近、その反動として、歩くことに喜びを感じ始めている。

例えば、私は電車で国会に通う数少ない国会議員を自負しているが、これは今後も継続したいと思う。電車を利用すれば、車内の様子を肌で感じることができるし、必ず階段の昇り降りがあり、その分だけ体を動かしているからである。政治家には体力勝負の側面もあるだけに、健康が第一である。

東京にいる時も、地元・大阪に帰っているときも、今は意識して歩く時間を作っている。例えば10分、20分でよいわけだ。そして、街を歩けば、いろんな発見もある。ここに、こんなお店があるとか、今、工事が行われているとか、草や木に四季の変化を見つけたりとか、さまざまな経験を重ねている。しかも、気分のいい時は、二駅間や三駅間を歩くこともあって、それが苦にならないから不思議である。今までの私にはなかった自分を再発見している。

このコラムに目を通された皆様も、“スローライフ”を試してみませんか。私はおかげで、少しはダイエットにもなり、体調も良好である。もっと早く気づけばよかったと反省している次第である。これこそが“地球にやさしい生き方”かもしれない。


<いきいき自然との共生>2004.11.25
 自然再生事業が可能に! 自民・公明議員が初の共同出版 

【写真】釧路湿原を視察する田端(2001年9月)と、出版された自然再生の本

この秋、自然再生に関する本が出版されました。しかも、自民党議員と公明党議員の初の共著による「自然再生推進法と自然再生事業」〔編著:谷津義男、田端正広。H16.9.10発行、鰍ャょうせい〕という硬派本であります。

 自然再生推進法が2002年12月に成立するまでの経緯を含めて、いかに自然再生事業が必要であり、その事業の推進基盤はあくまでも地元で協議会をつくって合意することの大切さを明確に示しています。
 
そこで、今回は、この法律が誕生するまでの苦労話をまとめてみました。

早いもので、公明党が連立政権に参加して5年が経過しました。その連立合意文書に「循環型社会の推進」が記されました。それを受けて、1999年の暮れに「循環型社会形成推進基本法案」の田端案を提示し、半年がかりの大激論の末に成立したことが、今では印象深い思い出になっています。これがきっかけとなって、日本は循環型社会へ向かって大きく前進を続けています。
 
環境と経済の両立――。その望ましい姿の実現をめざして私は、次の課題は自然の循環≠アそ大事であると考えるに至りました。地球規模の大自然の恵みを大切にし、地球環境を守ってこそ、真の環境政策と判断したわけです。
 
2001年夏、私は、そうした自然再生が必要な典型的な例として北海道の釧路湿原を現地視察しました。湿原一帯は勿論、釧路川が直線に改修された地点にまで立ち入って、曲がりくねった旧河川が水枯れている実態をこの目で確認しました。そして、湿原全体の生態系にまで変化が生じ、自然の大宝庫といわれてきた釧路湿原が壊れかかっている現状を知りました。
 
その年の暮れ、私が提案した「自然再生推進法案」が、自・公・保三党の与党環境プロジェクトチームで議論されることになりました。ところが、この自然再生のあり方をめぐって、農林水産省や国土交通省から異論が出て、環境省と対立する形になってしまったのです。こうしたタテ割りの弊害はままあることですが、この調整に難航しました。その時、より高い立場から仲介役をしてくれたのが元農水大臣の谷津義男先生でした。谷津先生が走り回ってくださったお陰で、省庁間の壁もとれ、法案成立にまでこぎつけることができたと思っています。
 
以上、自民党と公明党の議員による共著の本が出版された秘話です。
 
この法律の成立によって、今、釧路では自然再生をめざして、行政、科学者、NPO、市民代表の人たち等が参加した釧路湿原自然再生協議会が設立されて議論が始まっています。悲願の自然再生事業は近々に実現することでしょう。


〈いきいき自然との共生〉2004.10.25
  議員会館ビオトープ “魔法の石”で元気なメダカたち

【写真】議員会館事務所内の元気なメダカたちと
私の議員会館は、衆議院の第一議員会館2階にあります。窓は北側に面していて、第二議員会館が見えるだけで、あまり景色がいいとはいえません。しかし、その部屋の中に、自然との接点になるメダカの水槽があって、来客の方々から「これはすばらしい。見ていて飽きないですね」「一時の気分転換になりますね」と大変な評判になっています。名付けて“議員会館ビオトープ(生物生息空間)”と呼んでいます。議員会館では、魚を飼っているのは私くらいかと思いますが、これには色々と訳があります。

その一は、私が総務副大臣に昨秋就任して、私の車を担当してくださったSさんがメダカの先生であったことです。Sさんは神奈川県横須賀市に在住ですが、毎年5000匹からのメダカを孵化させ、育てて、ここ10年それを地元の小・中学校に寄付しつづけてきた方であります。地元では“メダカの先生”と親しまれているそうです。そういえば、あの“メダカの学校”の歌の原点は、同じ神奈川県の相模原市ということです。

さて、そんなことを知人のKさんに話したことがきっかけで、Kさんから“魔法の石”が送られてきました。これは屋上緑化の敷石にしたり、断熱材として使用するのに開発されたものですが、「水槽に入れておけば、その水を全く換えなくてもすみますから、是非使用してください」と添えられていました。

水を換えなくていいのなら、会館でもメダカが飼育できる――そう決心して、Sさんにメダカを持ってきてもらいました。『2004.5.11』水槽にはその日付が印されていますが、今日まで約半年間、水は澄んだままで、100匹のメダカがいきいき泳いでいます。すでに今夏には卵も孵化し、今は親子二代のメダカが元気いっぱいに泳いでいます。エビもいます。小さな貝(タニシ)も10個ほど生棲しています。藻も繁っています。議員会館ビオトープは健在です。


<環境政策の推進こそ世界平和への道>2004.10.18
ケニアの環境活動家にノーベル平和賞

【写真】自然いっぱいのオスロ市内(ビーゲン彫刻公園で)
今年のノーベル平和賞は、ケニアの女性環境学者のワンガリ・マータイさん(64)に決まった。ノルウェー議会のノーベル賞委員会は受賞理由に「持続的開発、民主主義そして平和貢献」を挙げている。

マータイさんはケニアの環境・天然資源・野生動物省の副大臣(2003年就任)である。また、マータイさんはアフリカの砂漠化を食い止めようと、NGO「グリーンベルト運動」を1977年に設立し、これまで、3000万本の植樹を重ねてきた。

ノーベル平和賞委員会は「環境に好ましい社会、経済、文化的発展を促進するための闘いの最前線に立っている」「民主的権利のために闘う多くの者、とりわけ女性を勇気付けた」と評価している。授賞式は12月10日、オスロで行われる。賞金は約1億5000万円。

アフリカでは、貧困に苦しむ多くの人々がマキを調達しようと森林を伐採することから、土地が荒廃し、そのため農地も減少し、砂漠化するという悪循環に陥っている。これを断ち切ろうと環境保護団体「グリーンベルト運動」を創設したのが27年前の事。今ではアフリカ最大のNGOとして根付いている。

この活動によって、多くの人々は地球環境保護の大切さを知り、植林や苗木の育成のための雇用や働くことの喜びをも知ることになった。今、この団体で働いている人は数万人に達するという。


【写真】ノーベル平和賞の授賞式が行われるオスロ市庁舎前で(9月12日)

草の根運動の環境学者が、ノーベル平和賞として評価された意味は大変に大きいものがある。今日、温暖化による異常気象や砂漠化など、地球規模での問題解決が迫られているだけに、環境保護運動そのものが平和活動に通じると評価されたわけである。

私は、この夏、ノーベル平和賞の授賞式が行われるオスロ市庁舎を訪問したばかりである。オスロは緑に恵まれた大変に美しい街で、オスロフィヨールドなどの自然環境もすばらしい。その際、今年はどんな人が平和賞を受けるのかと思いながら、会場を見学していたが、環境活動家・マータイさんの受賞決定に心からの称賛を送りたい。なお、ノーベル賞のうち、平和賞だけが、スエーデンではなくノルウェーのオスロで行われるのは、ノーベルの遺言であるという。

マータイさんは語る。「環境は平和を守るための重要な要素です。資源がなくなれば、それをめぐって争いが起こるのです」と。


〈今こそ自然との共生を!!〉2004.9.30

公明党が自民党と連立政権を組んで、10月5日で満5年を迎える。いろいろ意見のあることも承知しているが、しかし、政治の真ん中に入って、内側から政治を変えなければ、この国の政治はなかなか変わらないと思う。その意味では、この5年間の連立政権の実績は大きいものがある。

公明党の私と自民党の谷津義男氏の編著である「自然再生推進法と自然再生事業」(株式会社ぎょうせい発刊)が9月10日出版されたが、こうした組み合わせが実現したのも、連立政権が実現しているがゆえである。

「自然再生推進法」――これは2001年暮れに私が立法化を提案、与党の環境プロジェクトチームで議論されるところとなった。しかし、総論には賛成であっても、各論になると異論が続出した。ことに、農林水産省と環境省とでぶつかり合った。

この「自然再生」の原点は、北海道の釧路川であった。私は、現地に足を運び、湿原保護を痛感した。ラムサール条約登録地である釧路湿原の自然生態系を守るために、壊れかかっている釧路の自然を再生させる必要があるとの思いから提案したのであった。

釧路川は、本来、大きく右に左にと蛇行していた。それを人工的に、2`にわたって直線に河川改修をしたため、旧河川(蛇行部分)が枯れてきて、生態系に変化が生じてきた。この直線化は農水省による防災的な意味をもつ改修であった。

このため、環境省と農水省の意見対立となったが、そこで私の主張を救ってくれたのが、谷津先生であった。元農林水産大臣の経歴を持ち、環境にも造形の深い谷津先生が、両者の仲に入って調整、この法律が実現したわけである。

自然との共生。これは人類にとって無視できない原則である。地球のリズムが狂い始めているから温暖化が起こり、真夏日が過去最高になり、台風が異常発生しているのだ。今こそ自然との共生は喫緊の課題である。自然をどう守り、再現し、創造するか。人類的課題に本腰入れる必要がある。


<アテネオリンピックの感動>2004.9.1

【写真】アテネのアクロポリスを見学(2000・9・4)
アテネオリンピックは、数々のドラマと感動をもたらしてくれた。本当にすばらしい日本選手の活躍であった。金メダル16、銀メダル9、銅メダル12の見事な成果であった。

私がアテネを訪れたのは、ちょうど4年前、2000年9月4日であった。綿貫民輔衆議院議長のお供をしてのギリシャ訪問だった。あのアクロポリスの丘に立った時は、胸の高まる感動を覚えた。それは、古代ギリシャの典型的な代表ポリス(都市国家)であるアクロポリスには紀元前2800年頃から人が住み、多数の遺跡が残されているからである。自分勝手にソクラテスやプラトンの世界に入っていた。

あのパルテノン神殿を見学した日は、まさしく夏の日差しの強い日であった。汗をかきかき登り、古代遺跡の前にたたずんだ時は、歴史の主人公になったような想いにかられた。そこには人類の英知と歴史の重みがひしひしと伝わってきた。

この夏、日本は異常気象に包まれ、暑くて眠れない日々が続いたが、その救いになったのはオリンピックでのメダルラッシュであった。本当によく頑張ったと思う。柔道の谷亮子、野村忠宏の金メダルから始まって、体操男子団体や水泳の北島康介、女子マラソンの野口みずきの「金」など、相次ぐ朗報に夜の明けるのも忘れるほど、テレビの前にくぎ付けになった。

私が残念に思うことは、実は、この感動を日本の地で味わえなくなった事である。というのも、このアテネ訪問の際、私は『2008年大阪オリンピック』実現をめざして、アテネの人々に「次は大阪ですからね」と訴えて回った。カクラマニス国会議長と会見した際にも、そのことを強調し、握手を交わしたのだが、それも今はむなしい思い出となってしまった。

それはともかく、元来、水泳の好きな私は、幸いにもエーゲ海で泳ぐ機会に恵まれた。それで驚いたのだが、こちらの海水浴場にはシャワー施設がなく、そのことを問うと「せっかく海水浴したのに流す必要はない」といわれてとまどった。“郷に入れば郷に従え”といわれるが、まさにその通りで、小一時間ほどの海水浴だったが、そのまま着服しても違和感はなく、体もさらさらしていたのには二度ビックリした。そのことは今でも不思議に思っている。

ともあれ、すばらしいオリンピックを開催してくれたアテネの関係者に感謝したい。そして、日本選手の活躍に心からの拍手を送りたい。「感動をありがとう」。だからこそ、スポーツの振興・発展に尽力しなければいけないと実感した。国として、政治面で、できることはないか。国民として、応援できることはないか。今、そのことを問いかけたい。

政府はきょう9月1日、日本選手団の活躍をたたえ、コーチやトレーナーを含む選手団513任全員を表彰するという。首相官邸に招き、首相も出席して授与式を行う。誠に時を得た対応である。