●修学旅行 平成12年9月25日(月)〜10月1日(月)

 

●9月25日(月)ヴィーン到着  曇りのち小雨

9月25日(月)、修学旅行の出発は、まだ星空が広がる午前5時。生徒はバスに乗ってダブリン空港まで行き、ブリュッセル空港乗り継いでヴィーン・シュヴェヒァート空港に到着した。機内では多くの生徒が睡眠をとっていたようだ。

この時期オーストリアは寒くなっていると聞いていたが、意外に暖かい。空港を出ると、現地を案内してくれるガイドさんが出迎えてくれた。バスに乗ってヴィーンの街へと出発し、約30分ほどでこの日唯一の見学地である中央墓地に到着した。ここは、多くの楽聖や文化人、政治家の墓所として知られている。ベートーヴェンやシューベルトの墓もここにあり、遺骨が行不明のモーツアルトの立派な記念碑もある。また、この墓地の並木道は、事前指導でも観た映画『第三の男』の最終場面に使われたことで有名である。生徒たちはその並木道を覗き込むようにみたり、記念撮影をしたりしていた。

この日の夕食は、班別に校外のグリンツィングでとることにした。グリンツィングは、ヴィーン近郊のワインの産地である。良きワインあるところ良き歌ありなのか、かつてのヴィーンの流行歌の揺籃の地であり、今日なおヴィーン庶民文化の「発信地」ともいえる場所である。

グリンツィングへの移動は、地下鉄と路面電車を利用した。ヴィーンの地下鉄とバスの切符は、24時間券とか72時間券の様に、時間単位で売っている。一度買えば、有効時間中は地下鉄もバスも乗り放題だ。 オーストリアではドイツ語が公用語であるが、多くの店で英語が通じるので一安心。もちろん、挨拶やお礼をドイツ語で言うことも忘れてはいけない。中には、自称ヴィーン最大のヴィーナー・シュニッツェル(子牛のカツレツ)を食べさせる店に行った班もあり、その大きさ(直径30CM)と美味しさに満足していたようだ。 移動疲れか、明日のヴィーン見学に備えてか、この日は皆早く眠りについた。

モーツアルトの記念碑の前で
中央墓地の並木道
農家風のグリンツィングのレストラン
<ヴィーン最大のカツレツ>は顔より広い
 
●9月26日(火) ヴィーン見学 晴れ

修学旅行2日目。曇り空の中、朝9時にホテルを出発。最初に向かったのは、ハプスブルク家の夏の離宮、シェーンブルン宮殿である。マリア・テレジアが大変愛好したというこの宮殿では、フランツ・ヨーゼフ皇帝の寝室やマリー・アントアネットの部屋など42室が公開されており、華やかなりし当時の雰囲気を今でも感じることができる。 宮殿の裏側には丘があり、その上にはギリシャ風の石造りのグロリエッテがある。そこからヴィーン市街を一望することができるというので、自由時間には多くの生徒がこの丘を登っていた。

再びバスに乗り、次に向かったのは市民公園である。のどかな雰囲気の公園で、ベンチに座ってくつろいでいる人も見られた。ここではシューベルトやヨハン・シュトラウスなどの像を見学することができる。生徒たちはヴァイオリンを奏でる金箔貼りのシュトラウス像とともに記念撮影をしていた。

レストランで昼食をとったあと、次はヴィーン美術史美術館に向かった。この美術館はマリア・テレジアの銅像を中心に自然史博物館と対称に建てられている。ここでは、ルネサンス時代の名画を数多く見ることができる。特に、ピーター・ブリューゲルのコレクションは世界一とも言われている。館内に入ってまず目にするのは、様ざま色合いの大理石で作られたホールの床や壁面、吹き抜けになっている天井。中央階段を上ると、クリムトによって描かれた壁画も見ることができる。この内装の素晴らしさには生徒も感激していた。ガイドさんにそれぞれの絵について説明してもらう。中でも、人間の傲慢さを表しているというブリューゲルの「バベルの塔」には多くの生徒が見入っていた。

この日最後の見学地は聖シュテファン大聖堂である。12世紀に建てられたあとに一度破壊されてしまったが、その後再建され、今やヴィーンのシンボルとなっている。寺院の中では、彫刻家ピルグリムによってつくられた説教壇やオルガン台などを見学した。 この日も夕食は各班に分かれてとった。明日はいよいよハンガリーへ移動である。
シェーンブルン宮殿の庭で
市立公園のシューベルト像も前で
ヴィーン美術史美術館にて
ヴィーン楽友協会大ホールで
 
●9月27日(水)ブダペストへ 快晴

この日は、ハンガリーの首都ブダペストに向かった。ハンガリーのハンガリー語の国名は、「マジャール」である。この国は今から約1000年前、アジア系のマジャール人によって建国され、今なおその民族の名前を国号に使っている。マジャール人は我々と同じアジア系と知って、生徒たちも親近感を覚えたようだ。ハンガリーでは、名前も姓・名の順だという。

ヴィーンから、国境を超えてバスを走らせること約3時間、ブダペスト市内へ入る。ブダとペストという2つの地区が統合されて、現在のブダペストが出来上がった。街の中心をドナウ川が流れ、王宮や国会議事堂という見事な建物が川沿いに見えてきた。 到着後、まず昼食を取った。期待通り、ハンガリー料理の代表選手である「グーラッシュ」であった。ハンガリー料理の特徴であるパプリカをたっぷり使った煮込み料理で、「牛飼い」という意味があるそうだ。もともと牛を追いながらハンガリーの大平原で始めた野鍋料理が起源だという。豚料理の多いハンガリーだが、このグーラッシュは必ず牛を使うのだそうだ。生徒たちは食事を堪能するだけでなく、覚えたてのハンガリー語「ヨナポート(こんにちは)」「ケセネーム(ありがとう)」などを使って地元の人と交流することも楽しんでいた。

その後、ドナウ川の東側(左岸)、ペスト地区から見学を開始した。ハンガリー建国一千年記念モニュメントを囲む英雄広場でバスを降り、ロマネスクからバロックまでの多様な建築様式が取り入れられたヴァイダフニャ城を散策した。その後、ハンガリー建国の父であるイシュトバーン一世の右手が聖遺物としてまつられているイシュトバーン教会を見学した。生徒たちは今から1000年も前の人の遺物を、信じられないという面持ちで何度も眺めていた。

次はドナウ右岸のブダ地区へ移動。ブダ地区は丘の上に位置しており、ドナウ川と街の眺めが素晴らしい。そこでは、色とりどりのモザイク状の屋根と石の尖塔が印象的なマーチャーシュ教会を見学した。たまたま内部ではミサを行っており、荘厳な雰囲気を味わうことが出来た。

その日の夕食は、かつて作家やジャーナリスト達が常連客として通った「カフェ・ニューヨーク」へ出かけた。内装は、洒落たアール・ヌーボー調。ハンガリー音楽を演奏するバンドもいる。冷たい果物のスープ、ウサギ肉、パラチンタと呼ばれるクレープなど、ここでしか味わうことの出来ない料理を思い思いに注文し、食文化についても見聞を広めたようである。この日は中林先生の誕生日。生徒たちのリクエストで、バンドが、「ハッピー・バースデイ」の生演奏をプレゼントするという場面も見られた。
漁夫の砦で
ハンガリーの国会議事堂(手前がドナウ河)
カフェ・ニューヨークのバンド
カフェ・ニューヨークでの夕食
 
●9月28日(木) 美しきドナウ 快晴  

ブダペスト2日目は、国立歌劇場の見学で始まった。19世紀後半に建設されたネオ・ルネッサンス様式の劇場で、ヴィーンのそれに多少似ている。正面玄関には2人の有名なハンガリー出身の音楽家、すなわち、ハンガリー国歌の作曲家フェレンツ・エルケルとフランツ・リストの像がおかれている(ハンガリー式には、姓名が逆で、リスト・フェレンツェになる)。リストは生徒たちにも馴染み深い作曲家であり、座像をバックに写真撮影する姿も見られた。

オペラ座内部を見学するには、床を傷つけないように靴の上から専用のスリッパを履かなければならない。これは感心させられると同時に、面白い体験であった。豪華な内部の装飾は目を見張るばかりであり、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフとエリザーベート后妃、そして日本の天皇陛下も訪れたことがあると説明があった。ハンガリー人の美人ガイドさんの案内で、より一層印象に残る見学が出来たようだ。

その後、ユダヤ人教会シナゴークのエキゾチックな外観を見学。さらにブダペスト市民の胃袋を見ようということで中央市場を訪ねた。スリが多いので注意するようにとのガイドのバラッシュさんの注意を忘れず、面白いものはないかと、皆、興味津々であった。子豚が丸ごとぶらさがっているのは圧巻。集合時刻ぎりぎりまで食材のチェックに余念がないのは、吉田君だった。  

ブダぺスト市内を後にして、ヴィーンへ向かう。途中、ヴィシェグラードに立ち寄ることになった。昼食を取った後、標高300メートル程の丘の上にある要塞へ登る。天気も良く、15世紀に栄えた街とドナウ川が眼下に見える。ただし、高所恐怖症の笠井君は、今回も下でお留守番。砦の最上階からのドナウの眺めは格別で(ただし、水は決して青くない)、生徒の多くが美しい景色を背景に写真を取り合っていた。出口近くで、弓矢の的当てゲームに参加していたのは、元弓道部の大澤さん。皆、ハンガリーでの最後のひと時を楽しんだ。  

ヴィーンのホテルに戻ると、班別で夕食に出かけた。長いバス移動で疲れたかに見えた生徒たちも食事となると活き活きとしており、翌日の班別行動のプランを立てながらヴィーンの味を楽しんだようだ。
オペラの前で
ブダペストのマーケットで
ドナウをバックに
大澤さんは若干的はずれだった?
 
 
 

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