日本は「神の国」ではないのですか

加地 伸行 編著 小学館文庫 本体価格 476円


 皆さんは宗教についてどう考えていだろうか?私がはじめて宗教的な事柄に目を向けたのは小学生の時で、そのきっかけは飼っていた犬の死だった。横たわったまま動かなくなった姿は当時の私には直視できないものだった。それから中高生になった時、なぜ生きているものは死ななければならないのかを考える際に2つの考え方に出会った。

 1つは私の家の宗旨である浄土真宗ともう一つは少林寺拳法で説かれている教えだった。実はどちらも仏教なのだが、これらは考え方がかなり違う。浄土真宗は阿弥陀仏のみを信仰の対象とし、絶対他力すなわちただひたすら阿弥陀仏を信じることによって極楽往生できるという教えである。「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」という言葉で御存知の方も多いと思う。

 これに対して少林寺拳法で説かれる教えは「己こそ己の寄るべ、己を措きて誰に寄るベぞ、良く整えし己こそまこと得がたき寄るべなり」(自分自身こそ自分のよりどころである。自分以外に一体誰に頼るものがあろうか。よく調整され訓練された自分自身こそが、本当に得がたいよりどころなのである。)と説かれている。いわゆる自力の教えである。

 私の場合はこれらのそれぞれの教えを知れば知るほど迷いが生まれた。なぜなら、どちらの教えも間違ってはいないのだ。そして何故、自分は1つを選べないのかという点を考えるために真言宗、天台宗、禅宗(曹洞宗)、キリスト教、神道などの教義を調べてみた。

 その結果、自分の中で一つの答えが見つかった。(見つかったような気がした?)それは私自身が日本人であり、日本の培った文化の中で生活しているからだ。

 日本の歴史を振り返ってみると古代においては天照大御神をはじめとする八百萬神(やおよろずのかみ)の神を信仰の対象にしていたが、その後仏教が伝来すると急速に仏教化が進行するのと共に神仏習合という奇妙かつ巧妙に外国文化を取り入れていった経緯がある。さらにキリスト教が伝えられるとこれもまた日本に根付きキリストの教えを現在に伝えている。

 このように私達の祖先は、宗教などの異文化に対して利にかなっていればこれを受け入れるという方法で対処してきた。その子孫である私達の多くは年末になると慌ただしく宗教イベントをこなす。(クリスマス→除夜の鐘→初詣)。これは非常に無節操な感じがするし、これらのイベントに参加している人々は特定の宗教を信仰していない場合が多いだろう。しかし、心の深い部分には多神教の宗教観が潜んでいると考えられる。神さまも、仏さまも、キリストさまもたくさんいる神々の中の一人であると。

 そのような感覚を持っている私が、5月15日の森首相のいわゆる『神の国発言』を聞いた際に、首相という立場でまずいことを言ったなと思ったのと同時に心情的には間違っていない意見だと思った。なぜなら、天皇制に賛成反対に関わらず、日本は古代から現在にいたるまで数多くの神々を信仰の対象とし、神代の時代から現在に至るまで万世一系で受け継がれてきた天皇を中心として日本人がまとまってきたのは事実だからである。この点は古事記や日本書紀の記載がフィクションかどうかという問題や万世一系であったかどうかの真偽の問題ではなく、そう信じて日本人がまとまってきたという事実が重要なのだ。そのように考えると日本は天皇を中心とした神(々)の国であることは否定できない。

 今回の『神の国発言』は心の問題、特に宗教の問題について考える絶好の機会である。そして、私達それぞれの宗教観、モラルだけに留まらず愛国精神や憲法についてもこの機会に総点検するべきだろう。その際に、ここに挙げた本はヒントを与えてくれる絶好の書であるといえる。


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