陶器雑記(一)
吉田裕康

 僕の陶器に対する情熱は急に始まったものではない。母も祖母も元々好きでその環境で育ったためにどうしても陶器が好きになってしまったのである。祖母は元々「粋なことが好き」な人だった。「粋」と言うのは難しい。理屈で考えても普段の生活で表せない。僕の態度に「粋でない」としばしば祖母に言われた。どうすれば「粋」になるのか今もって良く分からない。センスが良いとかそういう問題ではなさそうだ。ちなみに僕はセンスもない方である…
祖母の部屋のふすまは凄かった。ふすまの和紙は山内一生氏に漉いてもらった物だった。(現在は消失)取っ手はもちろん陶磁器である。瀬戸を代表する昭和の大陶芸作家、故・鈴木青々氏の作である。鈴木青々氏は加藤瞬陶氏、故・河本五郎氏と並んで「瀬戸の三羽がらす」と呼ばれた人で生前には当時の皇太子ご夫妻も訪問された。(現皇太子殿下も秋篠宮殿下も一緒だった)おかげで鈴木青々氏の自宅までの道路がすべて舗装された。その鈴木青々氏からふすまの取っ手は新築祝いにプレゼントされた。枠の木は栗材を使い、杉は柾目にこだわった。個人的な見解で言うなら、青々氏はもっと注目されてもしかるべきだと思う。瀬戸の陶芸への貢献は計り知れない。
 祖母は青々氏だけではなく、後に重要無形文化財(人間国宝)となる加藤卓男氏や上記の加藤瞬陶氏、他にも加藤針氏の作品も愛用した。残念ながらそれらのほとんどは現存していない。普段の生活に使い、結果として割れてしまったからである。このあたりも「粋」であることの条件なんだろう。
 残念ながら僕は祖母の「粋」を受け継ぐことはなかった。受け継いだのは陶芸に対する多少の知識と情熱だけである。そんな祖母の仏前に毎晩違うぐい飲みで祖母に酒を供えるのが僕の日課になっている。


* 街中で作品を見よう! 名古屋市内限定、無料の場所です。

鈴木青々氏(すずきせいせい)の作品は・・・
最大の作品は矢場町久弥大通沿い、松坂屋正面の「新統ビル」。何しろビル全体が鈴木青々氏陶壁で覆われている。近くからでは見えないので、久弥大通をはさんだ向かい側の松坂屋からみましょう。濃い緑色の建物(織部釉)です。この陶壁で鈴木青々氏は瀬戸の土地と工房を手にしました。
新栄、東海テレビの横「テレピア」2階にも作品があります。(時々入場できない時もあるので注意)


向かって右が鈴木青々氏。バンダナの男性が俳優の中村嘉律夫氏。
1970年頃。長野県あららぎ高原の青々氏の別荘にて。後ろの陶壁も青々氏の作品。完成直後と思われる。


加藤瞬陶氏(かとうしゅんとう)の作品は・・・
新栄、東海テレビの横「テレピア」2階にも作品があります。(時々入場できない時もあるので注意) 灰釉の器です。

加藤卓男氏(かとうたくお)作品は・・・
新栄、東海テレビの横「テレピア」2階の大きなラスター彩の青い陶壁があります。(時々入場できない時もあるので注意)
NHK名古屋ビルにもあります。こちらもラスター彩。見事な青色です。
また、栄ガスビル1階にも陶壁があります。こちらはラスターに見慣れた人には「らしくない」と思われるかもしれません。


向かって右端が鈴木青々氏、左端が加藤卓男氏。1970年頃。詳細不明。


加藤針氏の作品は(かとうしょう)・・・
地下鉄池下駅にあります。大きな織部の緑の陶壁です。ご子息の加藤令吉氏(かとうれいきち)の作品もあります。

こんな凄い方の作品が只で見られるなんて、名古屋はある意味凄いです。少し誇りに思っています。


2001.3.9 Hiroyasu Yoshida
  

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