平家物語を読み始めて その1
武士の情け

 武士の情けという言葉がある。平家物語を読んでいるとこの言葉の意味がよくわかる。特に平家の武士は情け深い。平家滅亡の元となった頼朝を始め、かなり多くの敵を武士の情けとして助けている。「平家物語」では数少ない悪役の一人である清盛も物語を読む限りかなり情け深い。
 それに比べて公卿(公家、貴族)は情けも何もあったものではない。公卿というのは非常に冷淡だ。保身の為ならばあっさりと裏切る。情けも何も無く、冷たく冷酷だ。華やかな宮廷社会の裏にはこんな世界が広がっていたことがよくわかる。
 その点、生死を戦場に預けた武士は情にもろいのであろう。宮廷社会を余すところなく描いた「源氏物語」は結構ドロドロした世界であるのに対して、「平家物語」は和歌も多く、意外にも雅で、美しい。
 平家物語の面白さは、一つ一つの物語が完結していること、本当の意味で悪役がいないことだろう。全ての人が主役である。政争で敗れた人、流された人、白拍子まで、その物語においては主役である。

 前回、清盛と信長の比較をしたが、読み進めるうちにその他の共通点も見つけた。寺に対する焼き討ちである。清盛は南都攻略し、東大寺の大仏殿を焼き払ったのは有名である。そのほかにも三井寺の攻略などもある。信長も比叡山の焼き討ちをしている。二人とも似たような宗教観を持っていたのではないだろうか。
 比叡山は平家物語にも何度も登場する。政治と深く結びつき、清盛も頭を抱えるほどの存在であったことがよくわかる。清盛だけでなく、後白河上皇を始め、当時の政権担当者も苦労していたようだ。清盛はこの比叡山を越えることができなかった。信長は結局石山本願寺を超えられなかった。
だが、清盛は世襲制の藤氏の政治に終止符を打った。封建社会のきっかけを作った。後を継いだのは武力より政治力に長けた源頼朝である。信長は足利政権に終止符を打った。やはり終止符を打ったのは政治力に長けた徳川家康である。共に次の時代の呼び水となった。


野間大坊にある源義朝公の墓所

 余談になるが、大学の授業でこんな事を聞いた。
「石山本願寺に対する、信長、秀吉、家康の考え方がよく出ている。」と。
その先生の話では「信長は武力で抑えようとした。秀吉は京の都に場所を提供して、そこに本願寺を移した。家康は本願寺を二つに分けて、新しい方(東本願)を信仰し、互いに競わせて盛況ををそいだ。」
 こう考えると、清盛は多分に家康的な要素をもった信長だった気がする。

2001.8.23
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