ラグタイムの解説
 
〜ラグタイムギタリスト、浜田 隆史さんによるラグタイムの解説〜

 

ラグタイムに関する、私のこれまで得た知識をまとめたものです。少し長い論文のようですが、興味のある部分のみご参照いただけると幸いです。

文:浜田 隆史さん

 

目次

ラグタイムについて

ピアノによるラグタイムの種類

クラシック界から見たラグタイムについての補足

ラグタイムのルーツに関して

ラグタイムに関連する音楽について

参考文献

● 浜田 隆史さんへのご意見・ご感想は、メール(ragtime@zac.att.ne.jp)にてご連絡下さい。

 

ラグタイムについて

  ラグタイム

 ラグタイムは、19世紀末から20世紀初頭に掛けてアメリカで流行した音楽の名前である。黒人のダンスの伴奏音楽や、酒場で黒人が演奏したピアノ音楽が起源であり、白人の客に受けのいいマーチなどの西洋音楽に黒人独特のノリが加わり、シンコペーションを強調した初の軽音楽になった。演奏楽器は主にピアノで、その他にバンジョー、マンドリンや管楽器などの小編成バンドがラグタイムを奏でた。(当時は、ギターが大衆楽器としては普及していなかったので、ギターによる本格的クラシック・ラグ演奏は、1960年代まで待たねばならない)。

 形式的には、ほとんどがラグタイム・ワルツを除き2拍子で、3楽節以上の組曲形式(ソナタ・ロンド形式)をとり、中間部で属調または下属調に転調する。

 

 ・ ラグタイム時代(1897-1922)

 初めて出版されたラグタイム・ピアノの楽譜は、白人 William H. Krell の「Mississippi Rag」(1897)だが、スコット・ジョプリン Scott Joplin(1868-1917)がミズーリ州で出版したピアノ曲「Maple Leaf Rag」(1899)が決定的な大ヒットとなり、それがラグタイム黄金期(1899-1917)の始まりとなった。

 「Maple Leaf Rag」の成功を受けて、アメリカ全土で、有名、無名、男女、人種に関わらず、実に多くのピアニストがラグタイムを作曲した。ラグタイム時代の約20年間で約3000曲が出版されたという推定もある。ただし、経済的に裕福な白人がその主導権を握っていたようだ。元々西洋音楽が下敷きになっていることも大きく、ラグタイム人口は、現在に至るまで白人が圧倒的に多い。しかしその中でも、Tom Turpin, Scott Joplin, James Scott, Artie Matthews, Arthur Marshall, Scott Hayden, Joe Jordan, Eubie Blake などの有名な黒人ラグタイム作曲家は、総じて凡庸な山師的作曲家とは全く異なり、魅力的な音楽を残している。またもちろん、Joseph F. Lamb, Charles L. Johnson, Charles Hunter, Henry Lodge, May Aufderheide などの優れた白人ラグタイマーも多かった。

 ラグタイムの流行は Scott Joplin の死(1917)以降は急速に衰え、より自由度の高い新しい音楽「ジャズ」にも人気を奪われ、もっとも有名なスターク出版社は、1922年でラグタイム楽譜の出版をやめる。楽譜を基準にしたクラシック・ラグタイムの伝統は一度ここで途切れ、Jelly Roll MortonJames P. Johnson などの優れたラグタイム・ピアニストたちは、ジャズに接近した別の流れを作っていく。

 

 ・ ラグタイムのリバイバル

 その後のラグタイムは、オールド・ジャズのレパートリーの中に組み入れられたり(1942-1947年に Good Time Jazz レーベルに録音を残した Lu Watter's Yerba Buena Jazz Band が代表的な例)、ホンキートンク・ピアノ(ピッチを狂わせたりして、騒々しい面を強調したラグタイムの一種)などとして幾度かリバイバルした。

 本格的なクラシック・ラグ見直しの動きが一番最初に出たのは、1940年代後半である。研究家 Rudi Blesh Harriet Janis の調査で、Joseph F. Lamb などの偉大なラグ作曲家が再発見されていった。後に「ラグタイムのバイブル」と言われた彼らの著作「They All Played Ragtime」(1950初版)がきっかけとなり、ラグタイム復興の気運が徐々に高まっていった。また、ピアニストの Max Morath は、1950年代からテレビやラジオなどのメディアでクラシック・ラグなどを披露して、そのエンターテナーぶりで人気を博した。彼のメディアを通じた活動が、ラグのリバイバルに多大な貢献をしたのは間違いない。さらに、前述の Lu Watter's Yerba Buena Jazz Band のピアニストである Wally Rose は、実は正統派のラグタイム・ピアニストで、バンドのラグタイム・レパートリーを支える上でも大きな役割を果たした。1950年代に入ってからはラグタイムのみのソロ作も発表した。彼のリバイバルへの貢献も無視できない。

 そして、Scott Joplin のラグが1971年のアメリカ映画『スティング』の音楽に使われるにいたって、本格的なラグタイムのリバイバルが起こった。ここでは、特にクラシック界でラグタイム熱が高まり、Joshua RifkinWilliam BolcomWilliam Albright、Edgar Power Bikks、Itzaak Parlman(世界的バイオリニスト)、James Levine(メトロポリタン歌劇場の常任指揮者)らがこぞってラグタイムを取り上げた。中でも、William Bolcom との交流から本格的にラグへの取り組みを始めた Joshua Rifkin は特筆すべきだ。彼のスコット・ジョプリン作品集(1970,1972,1974)は、当時のクラシック部門のベストセラーになり、未だに再版を重ねている。おそらく、ラグタイム関連ではもっとも商業的に成功したアルバムだろう。

 その他にも Tom SheaDonald AshwanderWilliam Bolcom など、黄金期以後のラグタイム作曲家は多い。さらに現代は、David Thomas RobertsGlenn JenksMatthew DavidsonFrank French などの次世代ラグタイマー、Brian Keenan などそのまた次世代の台頭も見られる。 →モダン・ラグへ

 

 ・ ラグタイム・ギター  →浜田隆史さんのホームページへ

 

ピアノによるラグタイムの種類

 ここに、ラグタイムの様々な種類について記す。ただし、こういう分類はいろんな見方ができるもの。私の知識も不足している部分があり、行き届かなかったり、誤ったりしている記述が所々あるかも知れない。この項は、あくまでラグタイムの見方の一つを記したものであり、必要以上にこれらの記述に拘束されないように注意されたい。

 

 ・ クラシック・ラグ Classic Rag

 クラシック・ラグとは、一般にラグタイム3巨頭Scott JoplinJames ScottJoseph Lamb)を頂点とした、クラシック調のラグタイムの総称である。前述した3楽節以上の組曲形式をとり、音楽的には西洋ロマン派音楽の影響が色濃く反映されている。多くの作曲家がいるが、その中でも無名の作曲家によるラグを特に「フォーク・ラグ Folk Rag」と称する場合もある。身もフタもない言い方だが、直接的には「Maple Leaf Rag」(1899)の商業的成功が、多くのクラシック・ラグ作曲家を生んだとも言える。

 ラグタイムのリバイバルでは、主に(比較的有名な作曲家による)クラシック・ラグに脚光が当てられ、現在に至るまでクラシックとしての演奏をされることが多い。音楽的に見て、他のクラシック作品と比肩しうる、優れた曲が多いからだ。しかし、酒場で演奏するピアニストたちは、必ずしもこのクラシック的演奏を快く思っていないらしい。確かに、演奏家によっては耽美的演奏に傾くあまり、本来のラグタイムが持っていた足を踏みならすようなワイルドな魅力が無くなっている場合もあるのだ。実際、ラグのリバイバル以前は、一部の有名ラグタイム曲が古いジャズの一種として取り上げられていた。

 

 ・ クラシック・ラグのバリエーション

 クラシック・ラグと一つにくくった中には、微妙な違いやいろいろな表現法がある。特に初期のラグタイムを形作る元となった要素として、以下のキーワードがある。これらは、クラシック・ラグを表す言葉のバリエーションである。

1.バーバーショップ・ピアノ Barbershop Piano:

 初期のラグタイムを表す言葉の一つ。この言葉を使ったのは、スコット・ジョプリンにピアノを教わった数少ない白人の一人、Brun Campbell である。20世紀初頭のアメリカの床屋さんは、いわゆる社交場のようになっていて、音楽演奏を楽しむ場にもなっていたらしい。当時の流行歌なども交えたメドレー形式で、ミディアム・スローテンポで粗野に延々とコードを引き続けるような演奏スタイルを持つようだが、私は David Thomas Roberts たちが演奏している Brun Campbell の曲を通じてしか、このスタイルを知り得ていない。ともかく、初期のラグタイムの、サロン音楽としての役割の一部を果たしてきたのだと思われる。

2.ケーク・ウォーク Cake Walk:

 もとは黒人のダンスを表す言葉。ダンスのコンテストに勝った者にケーキが振る舞われたという故事から名付けられたという。多くは、1小節が「タ、タン、タ、タン、タン」という感じの独特のシンコペーションになりやすい、2拍子の比較的軽快な音楽を伴奏にしたため、やがてこの音楽もケーク・ウォークと呼ぶに至った。William H. Krell 作「Mississippi Rag」(1897)などの初期のラグタイムは、このケーク・ウォークを意識して作られたものが多い。ドビュッシーのピアノ組曲「子供の領分」(1906)の最終曲「ゴリウォグのケークウォーク」は、まさにこれを取り入れたもの。クラシック・ラグの中のケークウォークは、Scott Joplin & Arthur Marshall の「Swipesy」がもっとも有名である。

3.スロー・ドラッグ Slow Drag:

 これも、ケークウォークと同じくダンスを表す言葉。スコット・ジョプリンのオペラ「トゥリーモニシャ」の最終曲「本当のスロードラッグ Real Slow Drag」には、踊り方が細かく指定されている。ケーク・ウォークと異なりゆっくり上品な動作が尊ばれる踊りで、やがてその伴奏音楽もスロー・ドラッグと呼ばれた。一般的にはその名の通り、「ゆっくり引きずる」ような作風であるが、普通のラグタイムとの明確な区別はないようだ。ラグタイム・ブルースの Reverend Gary Davis も同名のギターソロ曲を作っている。クラシック・ラグの中のスロー・ドラッグは、Scott Joplin & Scott Hayden の「Sunflower Slow Drag」(1901)、Scott Joplin の「Palm Leaf Rag」(1903)などが代表的である。モダン・ラグタイムの大家 David Thomas Roberts の「Camille」(1979)は、スロードラッグのイメージで書かれた傑作といえる。

4.ラグタイム・ワルツ Ragtime Waltz:

 3拍子でも、ラグタイムの感覚を生かしたワルツのこと。1小節が「タ、タン、タ、タン」というリズムになることが多いのが特徴。ラグタイム・ワルツは、ラグの流行の初期に比較的多く書かれた。Harry P. Guy の「Echoes From The Snowball Club」(1898)、Scott Joplin の「Bethena」(1905)などが有名である。

5.その他、知っておくとためになる用語

ラグタイム・トゥー・ステップ Ragtime Two-Step。「ラグタイム、2拍子」という意味。同じようにマーチのことを「行進曲で2拍子 March and Two-Step」などと言ったりもする。基本的にラグタイムやマーチは2拍子の音楽であり、言わずもがなだが、曲調と拍子を説明する言葉である。しかし、一部のラグタイム曲のタイトルは、「〜・トゥー・ステップ」で「〜・ラグ」の意味を表していることもある。例:Irene Giblin の「Black Feather Two-Step」(1908)など。

ストップ・タイム Stop Time。ラグの絶え間ないリズムに乗りつつ、曲を一時停止するテクニック。通常は足踏み(ストンプ)を伴い、ストップタイムを強調する。足踏み以外は完全に休符にすることもあれば、つなぎのメロディー(ブレイク)を弾くこともある。Scott Joplin は、その名もズバリの曲「Stop Time」(1910)や、「Ragtime Dance」(1902-1906)などで使っている。

ストンプ Stomp。足踏みを意味する。曲のタイトルとしては、足踏みできるような乗りのいい曲を漠然と示す言葉。ラグが流行遅れになった時代に、一部のピアニストはラグ的な曲を「〜・ストンプ」と呼称して売り出した。例としては、Jelly Roll Morton の「Kansas City Stomp」(1919/1923)や「King Porter Stomp」(1906/1923)、Don Ewell の「Manhattan Stomp」(1946)などが挙げられる。形式的には、クラシック・ラグとして見てもおかしくないものもある。

フォックストロット Foxtrot。直訳すれば「狐の早足」で、やはりダンスを表す言葉。現在では、もっぱらジャズのリズムによる4拍子のダンス(そしてその音楽)を指す言葉だが、ラグタイムも複雑になると実質は4拍子と見られる曲もある。「新しいダンスの、新しい音楽」というイメージで売り込むため、一部のラグタイムに副題として取り入れられたようだ。James Scott の「Dixie Dimples」(1918)がその代表例である。

ブルース Blues。ブルースの父と言われる W.C.Handy の「Memphis Blues」(1912)が大ヒットしたことで、ラグから少し遅れてブルースも本格的に商業化の時代に入って行く。一部のラグタイム作曲家は、そのヒットにあやかって、ラグタイムにブルースの味付けをして「〜・ブルース」というタイトルで売り出したりした。「Pastime Rag」で有名な Artie Matthews のヒット作「Weary Blues」(1915)もそうした曲の一つだろう。

 少し時代は下るが、ラグタイム・ブルースの Blind Blake の「West Coast Blues」(1920年代)では、ブルーノートは添え物であり、普通のラグタイムのように聞こえる。Jelly Roll Morton の「Wolverine Blues」(1915-1923)なども同様である。なお、W.C.Handy は「Ole Miss Rag」(1916?)などのラグタイムも書いていて、それを晩年のスコット・ジョプリンが演奏したピアノ・ロールが残っている。ラグと初期のブルースとの関係を知る上で興味深い。

 

 ・ クラシック・ラグに関する雑多な話題

1.メイプル・リーフ・ラグの模倣について

 メイプル・リーフ・ラグは、単に大ヒットしただけではなく、様々なラグの下敷き、モデルともなった。まず、タイトルを真似たもの。次に挙げるのはそのようなタイトルのラグである。Cy Seymour「Clover Leaf Rag」(1909)、Les Copeland「Cabbage-Leaf Rag」(1909)、そして Joplin 自身の「Palm Leaf Rag」(1903)、「Rose Leaf Rag」(1907)、「Fig Leaf Rag」(1908)。次に、特に印象深い第1楽節の形式を真似たもの。Joplin 自身の「The Cascades」(1904)、「The Sycamore」(1904)、「Leola」(1905)、「Gladiorus Rag」(1907)、「Sugar Cane」(1908)である。ただし、下敷きになっているのはあくまで形式だけで、これらの曲は全て Joplin の新たな魅力とオリジナリティーを生み出している点は見逃せない。特に「Gladiorus Rag」は、Joplin の作品の中でも一二を争う華麗な傑作である。特に同じ作者の「二番煎じ」は、つまらないものになりがちな所だが、Joplin はやはり才能あふれる音楽家だった。なお、このような例は他の作曲家によるものもあると思うが、未確認。

2.クラシック・ラグのタイトルについて

 クラシック・ラグには、様々なタイトルが付けられた。大まかな傾向としては、人名・地名や店名などの固有名詞、動植物、食物、抽象的表現などが多い。特に、一部の知識人には低級な音楽と見られたラグタイムに、「優秀な、模範的、究極の」といった優れたイメージのタイトルを付けて売り込んだ、という風に見ることもできる。特に、James Scott のラグのタイトルは、ほとんどが出版者の John Stark が考えていたと言われている。ともかく、こうした趣向を凝らしたタイトルが、ラグタイムの商業化に貢献した重要な要素の一つだったことは確かである。

3.ラグタイム楽譜の、魅力的な「表紙」について

 当時、まだレコードというメディアが普及していなかった時代、主な音楽メディアは楽譜であった。売れる音楽だったラグタイムの楽譜には、売り上げを少しでも良くしようとする出版社の思惑が働いて、次々と魅力的な表紙が使われた。まず、かの「Maple Leaf Rag」の表紙は数種類存在したし、港の夜景を効果的にあしらった「Kansas City Rag」(James Scott、1907)、曲想と同様に上品なバラの花をあしらった「American Beauty Rag」(Joseph Lamb、1913)、上流階級とおぼしき男女がたたずんでいてかっこいい表紙の「Elite Syncopations」(Scott Joplin、1902)、アールヌーボーの装飾が見事な「Bowery Buck」(Tom Turpin、1899)などは、今、表紙だけを見てもすぱらしい作品である。それだけでなく、黒人の男の子たちのかわいい笑顔を写真に収めた「Tickled To Death」(Charles Hunter、1899)の表紙のように、当時の生活が忍ばれる民俗的資料になるものもある。特に作曲家の顔写真が載っているものは、貴重な資料である。ラグタイム王スコット・ジョプリンの写真ですら、現存しているものはわずかであるから。

 また、全くセンスのない、思わず笑ってしまうような表紙もたくさんある。おどろおどろしい文字と人物の対比がおかしい「Peacherine Rag」(Scott Joplin、1901)、手のデッサンが狂っている「Weeping Willow」(Scott Joplin、1903)、デザインそのものはいいが、すべて同じ表紙を使い回した「Pastime Rag No.1-5」(Artie Matthews、1913-1920)、どこかから素材を借りて張り付けただけなのがバレバレの「Rag Sentimental」(James Scott、1918)と「Troubadour Rag」(James Scott、1919)などがいい例だ。概してラグタイム流行の初期にはデッサンの狂いが、後期にはおそらく予算不足による使い回しが多くなっている。特に後期の予算不足は、楽譜部分にも影響を与えた。通常4ページ前後になる楽譜部分を無理矢理縮小し、2ページに詰めて印刷している楽譜が多いのである。後期の楽譜を見ていくと、初期には当たり前であった1曲1部のばら売り方式が、だんだん時代に合わなくなっていく様子が推測できる。

4.女性ラグタイム作曲家について

 ラグタイム作曲家には、女性もいた。今でも「ピアノは女性が演奏するもの」と見られている節があるくらいだから、それは当然と思われがちだ。しかし、当時はまだまだ女性の社会進出に対する理解は少なかったらしく、その数はリストアップできるほどで、それほど多くない。女性のラグタイム作曲家でもっとも評価されている人は、May Aufderheide (1890-1972)で、ヒット曲「Dusty Rag」(1908)を含む7曲のラグを残した。その他、Charlotte Blake、Julia Lee Niebergall、「Pickles And Peppers」で有名な Adaline Shepherd などの女性ラグタイマーがいた。

5.ラグタイム・ソングについて

 私も詳しくないが、ラグの黄金期には、相当な数のラグタイム・ソングがあったらしい。これは、ラグタイム風の流行歌で、クラシック・ラグの体裁(ソナタ)を備えていない場合が多い。伝承された古い歌、一部のクラシック・ラグの作曲家の書いた歌もあるが、むしろ、ニューヨークのいわゆる「ティン・パン・アレイ」(売れ線狙いの業界人たちの総称)系の作曲家が書いた歌が多い。もっともポピュラーなラグタイム・ソングを挙げるとすれば、Irving Berlin の「Alexander's Ragtime Band」(1911)や、Hughie Cannon の「Bill Bailey, Won't You Please Come Home?」(1902)などだろう。

6.「早く弾くな」という Joplin の記述と、その盲信についての注意

 Scott Joplin が、自分の楽譜の注意書きで「Do not play this piece fast. It is never right to play "Ragtime" fast.」(この曲を早く弾いてはいけない。ラグタイムを早く弾くことは決して正しくない)と書いたことは有名だ。ラグタイムの母体の一つはマーチ、つまり行進曲であり、元々それほど早いリズムではない上に、ラグの最大の魅力であるシンコペーションをきちんと表現するには、中庸なテンポがいちばん自然であり適していることがその理由であろう。

 ただし一説には、Joplin が、より優れたピアニストたちの早弾きへコンプレックスを抱いていたとする、多少意地悪な指摘もなされているようだ。実際、ラグタイム・ピアニストたちが、当時「カッティング・コンテスト Cutting Contest」と呼ばれる弾き比べ大会で、ラグタイムをどれだけ早く弾けるかを競っていたという歴史がある。ちなみに、このコンテストの優勝者の一人は、Joplin との共作ラグ「Heliotrope Bouquet」(1907)にその名を残す Louis Chauvin(1881-1908)であり、これ以外自作ピアノ曲の楽譜を残さなかったにも関わらず、偉大なラグタイマーとして多くの人に尊敬されている。

 Joplin は、教則用楽譜「School of Ragtime」(1908)で、「Play slowly until you catch the swing」(スイングを感じるまで遅く弾け)と表現している。そしてそのあとやはり「どんな時も決して早く弾くな」と念を押している。肝心なのは、自分がキャッチしたラグのリズムに乗ることであり、表層的な「遅く・早く」の議論は、演奏者側から見た場合必ずしも的を得ているとは言えない。自分に適したテンポが速い人もいればゆったりな人もいる。100才まで生きたラグタイマー Eubie Blake の晩年の演奏は、こんな老人がと耳を疑うほど生き生きとしていて、ムチャクチャ早い曲もゆったり遅い曲もまごうことなきラグタイムである。Joplin の冒頭の注意書きはあくまで、テンポに振り回されてラグのリズムをおろそかにしてしまう風潮に釘を差したものだと解釈することが最も妥当だと思われるし、良い演奏者は、そんなことは教わるまでもなく身をもって知っているはずである。さらに言えば、Joplin はメトロノームの指示を数曲にしか出していないのだ。

 ところが、1970年代以後、クラシック畑の人たちがラグタイムを演奏するようになってから、ジョプリンの注意書きを厳密にとらえて「決して早く弾かない」ことがラグ演奏の第一命題になってしまった観がある。以前に流行したホンキートンク・ピアノの反動とも見ることができよう。中には、いつでも優雅にレガートに弾いたり、全く乗れない極端にスローなペースで弾いているピアニストもいる。さらに、「昔のラグタイムは遅く弾かれていたが、現在は遅いテンポが好まれないため、時代が下るにつれて早くなってきている」というような誤った認識をしている人もいる。いつの時代でも遅いテンポを好む人は大勢いるはずだ。逆に、昔でも快速なラグを好んだ人は確実に存在した。これはもはや音楽を演る人・聞く人一人一人の哲学であり、一般論にすべきではない。

 Joplin が説いた「早く弾くな」の本当の心を、私たちはもう一度考え直すべきだ。

 

 ・ ノベルティー・ラグ Novelty Rag

 ノベルティー・ラグ(ノベルティー・ピアノ)とは、「新奇な」「奇抜な」面を強調したラグタイムの一種であり、主にラグの流行の終焉期からジャズ時代の初期まで演奏された。クラシック・ラグが伝統的ロマン派音楽を志向したのに対し、ノベルティー・ラグは調性を越えるなどの高度なテクニックに裏打ちされたピアニスティックな効果を特徴とし、特に描写的音楽を志向していた。しかし、複雑かつ珍奇な曲想はピアニストのお遊びとも取れたため、一部の曲を除き、その人気が定着することはなかった。

 代表曲としては、Zez Confrey の最大のヒット曲「鍵盤上の子猫 Kitten On The Keys」(1921)が挙げられる。いたずら好きな子猫が鍵盤を駆けめぐっている様子をユーモラスに表現した名曲で、ラグ時代の最後のヒット曲となった。その他の作曲家としては、Arthur Schutt、Roy Bargy などがいる。Matthew Davidson や Tony Caramia といった現代ピアニストのCDでも、この世界を堪能できる。現代の作曲家では、Robin Frost のテクニカルなラグが、ストライドとノベルティー・ピアノのあいのこ的に、ダイナミックで面白い効果を上げている。

 追加 :今まで私は、あまりこの分野での知識がないままに無難なことを書いていたのだが、最近(2001年2月)手に入れた貴重な資料と呼ぶべき好アルバム『Keyboard Wizards of the Gershwin Era Volume V』(ドイツ盤、Pavilion Records GEMM CD9205)で、当時の名手たちの演奏を聴くことができた。ラグタイム全体で見ても、その当時の雰囲気を伝える録音はそれほど多くないため、大変参考になった。

 このCDには Felix Arndt (1889-1918), Mike Bernard (1881-1936), Roy Bargy (1894-1974), Frank Edgar Banta (1897-1968), Rube Bloom (1902-1976) の五名のピアノ・ソロが収められているのだが、やはり彼らの演奏技術のまばゆいばかりの輝きにまず仰天した。まさにピアノの魔術師たちという言葉がピッタリである。これほど華麗なピアノを心ゆくまで堪能したのは、ストライドの名手 Neville Dicky または同じくノベルティー音楽の Billy Mayerl を聴いたとき以来であった。
 録音は一番古いので1912年と、かなりヴィンテージな趣のある音源なのだが、万華鏡のように華麗な装飾音、一音のミスもない完璧な正確さ、稲妻のようなブレイク、まるでピアノロールの再現のようなメカニカルな技巧であるのに、非常に楽しいスイング感が圧巻である。特に Felix Arndt による「Nola」の自作自演、Mike Bernard の戦場の描写がコミカルな「Battle of San Juan Hill」は、歴史的名演と言っていいだろう。
 彼らの共通点は、クラシック音楽家としてかなりの教育を受けた白人であるという点で、折に触れてクラシックの名曲からの借用もしているのだが、その割にはジャズを思わせる軽快な演奏がとてもいい雰囲気である。私は正直言って、ノベルティーと呼ばれた音楽が、これほどファンキーで面白いものだとは思っていなかった。

 ライナーもなかなか勉強になったが、こんな超難曲ぞろいなのに、当時の楽譜が(もちろんダイジェスト版だったようだが)結構売れたというのは面白い。
 ラグタイムの終焉を華麗に彩った音楽、知的なジャズや次のストライド・ピアノまたは印象派的なクラシックのフュージョン、そしてピアノ音楽の一つの限界を極めたジャンルとして、ノベルティーはもっと評価されるべき音楽かも知れない。

 

 ・ ストライド・ピアノ Stride Piano

 ラグがその流行の終焉を迎えた大きな原因の一つは、ジャズの台頭である。自由な即興演奏を楽しめるジャズは、あくまで譜面を基本とするラグを時代遅れにしてしまった。しかし、ラグの時代にあっても、優れたプレイヤーは記譜された通りに弾かず、自分流に即興演奏していた。そして、Eubie BlakeLuckey RobertsJames P.Johnson といった人たちの都会的で自由な作風は、既存のラグのスタイルにとらわれなかった。特に左手の自由度を大きくし、今までのオルタネイティング・ベースが重くなりがちだったのを軽いタッチにし、ウォーキング・ベースをアクセントに取り入れた。そして音楽的にはブルーノートと即興演奏を多用、テンポも快速にし、よりジャズに接近した。

 このように、簡単にいえばラグタイムとジャズを融合したスタイルが、最初は「ストライド・ラグ」、そしていつしか「ストライド・ピアノ」と呼ばれるようになった。Stride は「またぐ」という意味で、左手が鍵盤をまたぐように動くことから名付けられた。その後、Willie "The Lion" Smith、Fats Waller、Dick Wellstood、Rulph Sutton、そして現代のバーチュオーソである、Neville Dickie、Tom McDermott などの名手が生まれた。

 なお、ピアノから話がはずれるが、この音楽のニュアンスをギターに応用した一派もいる。Guy Van Ducer がその代表格で、ジャズの有名曲を次々料理してしまうそのスタイルは「ストライド・ギター」と言われている。日本でも、星野孝雄がそのスタイルでプレイしている。いずれも、優れた演奏能力を持つギタリストである。

 

 ・ ホンキー・トンク・ピアノ Honkey Tonk Piano

 ラグタイムが忘れ去られていた1940-1950年代、西部劇映画の定番として、酒場でピアノ演奏されていたのがこの「ホンキー・トンク」スタイルであった。アップライト・ピアノのフェルトに画びょうを打ち込んだり、チューニングを微妙に狂わせたり(ディチューン)して、騒々しい猥雑な感じを出したりした。音楽的には、ラグタイムの中でも「Black And White Rag」や「12th Street Rag」のような繰り返し音型をモチーフとする単純なラグを使い、即物的に踊れる音楽を志向した。ここでは、ブギとの垣根もやや曖昧になっている。

 現在でもラグタイムをこういう粗野なイメージだけで見る人が多いのは、本来あまり良くないことだが、これはこれなりに味のある音楽であり、またラグタイムの火を絶やさなかったという意味でも、貴重な音楽だったと見ることができる。Joe "Fingers" Carr、芸名を使っていた頃の Dick Hyman (Knuckles O'Tool)、Winifred Atwell、少し時代が下って Dave Jasen(彼はいろんなスタイルをもつが)、ブキウギ・ピアニストとしても有名な Meade Lux Lewis などが代表的である。

 

 ・ ニューオーリンズ・スタイル New Orleans Style

 Jelly Roll Morton(1890-1941)は、ラグタイムの感覚を生かしながら、独自のジャズを作り出した。ブルースやクレオール音楽の要素を取り入れたために、ストライド・スタイルのしゃれた感覚とは異なり、土臭いつんのめるようなリズムを押し出した。しかし、彼の音楽は基本的に記譜されていて、アレンジなども決まっていた。Jelly Roll Morton の独創的音楽は(結構パクる人だったが)、その後のニューオーリンズ・ジャズに決定的影響をもたらした。また、ジャズから離れて、Professor Longhair などのいわゆるニューオーリンズ・ブルース・ピアニストたちへつながる流れも作った。

 現在、Jelly Roll Morton のフォロワーは数多く、Butch Thompson、James Dapogney、Morten Gunnar LarsenDavid Thomas Roberts(「New Orleans Streets」という組曲がある)、Tom McDermott などが代表例である。

 

 ・ モダン・ラグ Modern Rag

 ここで言う「近代のラグ」では、ラグの黄金期以後に作られたラグの中でも、特にクラシック・ラグを志向する人たちのオリジナル・ラグを見ていきたい。Tom SheaDonald AshwanderWilliam BolcomMax Morath らは、黄金期以後の代表的ラグタイム作曲家。

 特に William Bolcom(b.1938) の「The Garden Of Eden (Rag Suite)」(1969、"The Serpent's Kiss" など4曲より成る描写的ラグタイム)と「Three Ghost Rags」(1970-1971、彼のラグの中でもっとも有名な "Graceful Ghost Rag" を含む)は、適度に現代音楽などの幅広い視点を加えた、ラグタイムの金字塔である。クラシックの専門家たちが作るラグは、表層的にラグの形式を借りただけのものが多く、ラグ本来の陽気さやリズミカルな部分を無視しがちであり、Bolcom のようにラグに愛情を注ぐ例は希有であった。

 現在、もっとも傑出したモダン・ラグタイム作曲家は、ミシシッピ州出身の David Thomas Roberts(b.1955)であろう。現在わかっているだけで100曲近い(以上の?)ラグタイムをベースにしたピアノ曲がある。ラグだけでなく、タンゴやクレオール音楽など広い影響を感じさせる作風で、メロディーセンスはまさに天才的だ。「この半世紀での、アメリカの最も重要な作曲家」とすら言われている。彼が、Frank FrenchBrian KeenanScott Kirby らとともに「Terra Verde」という音楽の呼び方を提唱していることは、注目に値する。ラグをアメリカ音楽の一つととらえ、その他の様々な音楽との融合と深化を図る考え方のようだ。彼らのような、アメリカの才能あるピアニストたちは、現在のラグタイムの枠組みそのものを組み直す勢いをもっていると言えるだろう。

 インターネットで確認するだけでも、その他の現代ラグタイム作曲家はかなりの数に上ると思われる。アメリカは言うに及ばずだが、例えばスウェーデンの Oleg Mezjuev によるホームページ上では、欧米豪各国の様々な作曲家による、インターナショナルなラグの世界を知ることが出来る。ラグタイム文化の奥の深さ、懐の大きさを思い知らされる。

 

● クラシック界から見たラグタイムについての補足

 ラグの本当に概論的な説明は、すでにまとめて述べたつもりだが、各論になるとそう簡単には行かない。特に、オーセンティックなラグの歴史とはあまり本質的に関係がない(もしくは薄い)「クラシック界から見たラグタイム」については、他のどのページを見ても今まで説明が十分でなかった。ここでは、それを補う意味で補足のコーナーを作らせてもらった。

  クラシック作曲家のラグ

 モダン・ラグの説明とダブるが、William Bolcom の本格的取り組みはともかく、一般にクラシック作曲家のラグへの取り組みは、あくまで「素材」としての扱いを越えることは少なかったようだ。しかし、以下の音楽史に残るクラシック作曲家(ラグと同じ時代に生きた人たち)がラグに取り組んでいることは、ラグの歴史の一断面として、特筆すべきものではある。指揮者としてラグのリバイバルに貢献した重要人物の一人、Gunther Schuller の記事を参考に、主なラグタイムの影響を受けた曲名も併記してみた。興味のある人は探してみて欲しい。

 Charles Ives (1874-1954) : 「Ragtime Dances」(1902-1904, 散逸)、「In the Inn」(1911)、「Over the Pavements」(1913)、「The See'r」(1913)、「Ann Street」(1922) 
   ...ラグをクラシックに取り入れたパイオニアといわれている。

 Claude Debussy (1862-1918) : 「Golliwog's Cake Walk」(1908)、「Minstrels」(?)、「General Lavine - eccentric」(?)

 Erik Satie (1866-1925) : 「Parade」(1917)、「Le Piccadilly」(?)

 Igor Strawinsky (1882-1971) : 「Ragtime」(1918)、「Piano Rag Music」(1919)

 Darius Milhaud (1892-1974) : 「3 Rag-Caprices」(1922)

 Paul Hindemith (1895-1963) : 「Ragtime」(1922)

 イタリアのピアニスト、Marco Fumo は、この他に、イタリアの現代クラシック音楽家による、ラグを素材としたクラシック作品を紹介している。ただ、あくまでこれは例であり、現代クラシック界から見たラグの全体像を示すものではない。

 

  シロフォン・ラグ

 ラグタイムは、過去様々な楽器で演奏されている。ピアノ、オルガン、ハープシコード、シンセサイザーなどの鍵盤楽器、ギター、バンジョー、マンドリンなどの撥弦楽器、バイオリンのような擦弦楽器、コルネット、トロンボーン、フルートなどの管楽器、ハーモニカなどなど。そんな中で、ここでは一般のラグ・ファンにはあまり知られていないと思う分野を紹介したい。なんとシロフォンを使ったラグタイムである。

 シロフォンとは、平たくいえば木琴のこと。打楽器なのでなんとなくラグのイメージと合いそうな感じだが、まさにその通り、ピッタリだ。シロフォン・ラグのパイオニアは、1920〜30年代にかけて活躍した「シロフォンの天才」ジョージ・ハミルトン・グリーン George Hamilton Green である。1920年代、アメリカではシロフォンがオーケストラやバンドにフィーチャーされ、人気の頂点を迎えていたらしい。グリーンは、その卓越した技術と作曲能力で、その中でも第一人者とされた人である。時代背景からもわかる通り、その音楽は純粋なクラシック・ラグというよりはノベルティーと見ることができるだろう。ただ、確かに珍奇な面もあるが、曲想自体はきちんと良質なクラシック・ラグの雰囲気を伝えている。

 そんなグリーンの音楽を現代に紹介したのが、1970年代から活躍しているカナダのパーカッション・グループ「ネクサス Nexus」である。彼らは、ジョン・ケージや武満徹などの、現代音楽中心のレパートリーを持つシリアスな音楽集団なのだが、こういうラグタイム・レパートリーも得意にしているようだ。多くのアーティスト(例えば Egberto Gismonti)やオーケストラとの共演もあり、放送局などでも引っ張りだこである。特に、1988年に東京で行われた「スーパー・パーカッション」での演奏が、当時NHKでテレビ放映されたので、覚えている方もいるかも知れない。

 私の持っているCDは「Nexus Ragtime Concert」(NEXUS 10284)。リーダーの Bob Becker が編曲したグリーンの曲を中心に、6人のシロフォン、マリンバ、パーカッションが入り乱れた演奏が耳に心地よい。コロコロコロ...という可愛い音を聞いていると、頭のコリがほぐれる感じがする。演奏形態としては、4人のマリンバがラグの和音とベース(つまりオルタネイトなリズム)を作り、シロフォンがソロをとるという形である。一応、ラグは現代音楽として捉えられているようなので、これもクラシック界から見たラグ演奏になるのだろうが、それにしては文句無く楽しい。おすすめしたい。

 

   ・ 吹奏楽のラグ

 

  ライト・クラシックとしてのラグ

 「ライト・クラシック」という言葉がある。この言葉には、音楽市場を確立している軽音楽に比べ、売れ行きの伸びないクラシックの堅苦しさを取り去り、初心者にとっつきやすくするという意図があると考えられる。特に長くなく、耳障りのいいメロディーを集めた「名曲集」のような企画アルバムに、そういう言葉がよく出てくる。
 この意図を突き詰めると、「キッスは目にして」のようにアレンジしてヒットした流行歌や、一昔前に流行った「フックト・オン・クラシック」などの、クラシック名曲の印象的メロディーだけを繋げてメドレーにした企画物などが生まれてくる。うまいやり方かもしれない。クラシックはほとんど著作権料のかからない音楽素材なので、ヒットねらいのみならず、テレビや映画のBGMなど様々な用途に利用されている。広義には、これらの音楽もライト・クラシックとして定義することができるだろう。

 しかし、ここではそういう音楽の用途を念頭に置いた意味ではなく、ジャンル分けの難しい、独自の優れた音楽について述べたい。つまり、リロイ・アンダーソン Leroy Anderson (1908-1975) の音楽のことである。

 クラシックの正式な音楽教育を受けたアンダーソンだが、アーサー・フィドラー指揮のボストン・ポップス・オーケストラとの出会いから、最初の出版曲となる「Jazz Pizzicato」(1939)を作曲。以後、次々と親しみやすい「軽音楽」の名曲が生まれていく。曲名を挙げていくだけでも「The Syncopated Clock」(1945)、「Sleigh Ride」(1948)、「The Waltzing Cat」(1950)、「Blue Tango」(1951)、「The Typewriter」(1953)、「Sandpaper Ballet」(1954) などなど際限がない。まさに名曲のオンパレードである。
 特に「Blue Tango」は、リロイ・アンダーソン最大のヒット曲。当時の器楽曲では画期的なミリオンセラーとなった。同世代のアメリカ流行歌をリアルタイムで知る人が、ブルータンゴを知らないということはないだろう。

 彼の作品は、ほとんど全てオーケストラのために書かれ、そのほとんどがだいたい3〜4分の長さだという。親しみやすいメロディーとユーモアあふれる編曲センスが絶品である。音楽で人を笑わせたり、思わずニヤリとさせるには、実は大変高度な音楽性が必要である。例えば「Plink, Plank, Plunk!」(1951) は、全編ピツィカートで演奏され、ベースを一回転させるなどのステージ効果まで考えられていて、理屈抜きで楽しい曲であることはもちろんだが、見方を変えれば大変冒険心あふれる曲である。
 彼の曲を、多くのクラシック演奏家がこぞって演奏会のアンコールなどに取り上げていることからもわかる通り、その緻密に計算されたクオリティーは、クラシック音楽としてみても全く遜色がない。

 私は、ジョプリンのラグタイム経験からやや遅れて、リロイ・アンダーソンの音楽にも触れ、大変感動した。今でも、リロイ・アンダーソンは私のアイドルである。彼の音楽が「ライト・クラシック」と呼ばれることについては、今でも実は抵抗が私の中にある。こんな素晴らしい音楽を、「クラシックの弟分、クラシックに劣るもの」のように呼んでもらいたくない。これこそ新しい時代のクラシック音楽なのではないか、と。
 彼の親しみやすい作風は、やはりシンコペーション感あふれるメロディーによく現れている。最初の曲の題名からもわかる通り、当初からジャズやシンコペーテッド音楽からの躍動感を取りこみ、それを冒険的にオーケストラで表現している。その意味で、ラグタイムとも無縁だとは思えない。その描写的音楽を志向する作品(例えば「The Typewriter」など)には、ノベルティー・ピアノの影響を考えることもできる。

 彼の音楽は、クラシック界がついに実現し得なかった「オーケストラによる陽気なシンコペーテッド音楽」を余裕で表現してしまっている。ラグタイム時代から続いたシンコペーションとオーケストレーションの試みが、もっと早く彼のような完成度の高さで実現していたとしたら、ラグタイムの歴史は大きく変わっていたに違いない。

 

● ラグタイムのルーツに関して

   ・ 論議の一例:ジグがラグか?

 ラグタイムのルーツに関しては、もう少し書きたい。先の「黒人のダンスの伴奏音楽や、酒場で黒人が演奏したピアノ音楽」と片づけてしまうことは簡単だが、ルーツと言うよりは単にラグの説明という気もする。もう少し話を深くできないものか? ルーツといえば、これまでいろいろな人が様々に言っているルーツ論の中で、次のような気になる指摘があった。

 「ラグタイムのルーツはアイリッシュに求められる」と。

 そういう話は、私が東京にいた10数年前から、音楽仲間から主張されて、とても違和感があったのを覚えている。最近でも、知り合いのアイリッシュ・ミュージシャンが似たような趣旨のことを言っていたのを聞いた。つい先日、別の音楽関係の方からお手紙をもらった中でも「ラグタイムミュージックもケルトミュージックに繋がりますよね」と念を押された。一人の認識ではなく、特に音楽に詳しい人たちから出たこのような指摘に、「えっ、どうして?」と思わず首をかしげてしまった。

 ラグタイムは、ルーツまでも黒人の手から白人に奪われてしまったというのか?

 なぜこういう認識が出てきたのかは、よくわからない。大衆音楽としての舞曲という共通点は確かにある。しかし、そこから先には進もうとしても進めない。まず音楽の表層的な面から反論すると、一般的なラグタイムは、一部のフォーク・ラグを除き、モードをあまり使わない。また例えばジグに、4楽節のソナタ形式を備えた曲があるという話は、寡聞にして知らない(ロマン派音楽の形式なので、古い時代にはなかったはず)。シンコペーションの定型も、基調とするメロディーの雰囲気も、リフレインの組立て方も、改めて共通点を探るのは意外に困難である。もちろん後になって、ラグの様々なバリエーション(例えば Country や Terra Verde など)の中にミックスされていったことは考えられるが、ルーツ論とは全く話が別だ。

 私は、この件に関してもし誤解があるのならば、はっきりさせなければいけないと考えた。そこで、ラグの歴史について幾度も興味深い示唆をいただいたニュースグループ「rec.music.ragtime」に、以下の質問をしてみた(1999.12.11)。ここでは、ジョプリンの詳細な研究書で知られる Ed Berlin など、ラグタイム研究家たちが目を光らせている。

(私の投稿) Hello, I'm Japanese ragtime guitarist HAMADA, Takasi.

I'm confused for hearing people say,"Origin of the ragtime music was Jig (or Irish music)"! I think there are many different things between these music, and I think Romantic music like Chopin and the march like Sousa are the one of the origin of ragtime, but I'm not sure about it. Do they misunderstand the ragtime as string band music like bluegrass? And, why all origins of the world's syncopated music must be Irish? What do you think about it?

 私は「ラグの起源がジグ(またはアイリッシュ音楽)である」と人から聞いて混乱しています。私は、それらの音楽には違うところがいっぱいあると思いますし、ショパンのようなロマン派音楽やスーザのようなマーチがラグタイムの起源の一つであると思っています。しかし、確証はありません。彼らは、ラグタイムをブルーグラスのようなストリング・バンド・ミュージックと誤解しているのでしょうか。そして、なぜ世界中のシンコペーテッド音楽の起源がアイリッシュでなければならないのでしょうか。あなたたちはどう思われますか?

 ここでは、この私の投稿に対する最初の主な意見を日本語訳で載せることにした。公開討論のニュースグループなので、特に問題はないと考える。興味を持った方は直接アクセスしていただきたい。

(Tracy Doyle さんの意見) 私たちは、アイリッシュ・ジグがラグタイムのルーツに関係があるとは聞いたことがありません。ロマン派音楽も同様です。ラグタイム音楽は粗野で猥雑であり、多くの演奏家が現在解釈しているような甘ったるくセンチメンタルなものではありません。それは、貴方の示したように、アフリカ系アメリカ人によってもたらされたリズムと、マーチ音楽とが結びついたものでした。

 正直に言って、私はアフリカよりも、ラテンアメリカン(特にキューバ)、マジャール(ハンガリー)、ヘブライ音楽の方が、より強いリズムの結びつきを感じます。多くの人は、ラグタイムのシンコペーションがアフリカ起源であると主張します。しかし、私はアフリカのどんな伝統的音楽にも、ラグタイムのようなシンコペーションを持ったものを聞いたことがありません。(もしどなたか私の間違いを正すようなアフリカの民族音楽をご存じなら、どうかお送り下さい)。

 しかし、ラグのシンコペーションの文化的起源がどうであれ、それがアフリカ系アメリカ人の社会でもっとも早く使われたらしいことは、一般的認識になっています。私はアイリッシュジグが、その音楽の発展に強く寄与したものではないとして、除外します。

 スコティッシュ音楽には「スコッチ・スナップ Scotch snap」というラグタイムに見られるリズム手法がありますが、それは多くのリズムパターンの内の一つにすぎません。(後略)

(Hal Vickery さんの意見) あなたが人から聞いたという意見は、すべてを信じないで下さい。ちょうどジャズがそうであるように、ラグタイム音楽には単一のルーツなどありません。ラグタイムは、様々な音楽形式がブレンドされたものです。一つだけ明らかなことは、クラシック・ラグタイムの形式はしばしばマーチに準じるものであるという事です。

 私はずいぶん昔を思い起こしてみると、「ジグ・タイム」という言葉がラグタイム音楽のテンポを説明するときにしばしば使われ、それが意味を持ったような気がします。最良のラグタイムにおけるメロディーの本質は、その多くを疑いなくロマン派音楽に負っています。

 ラグタイムやジャズのような音楽にシンコペーションの起源を見いだそうとする限りは、多くの人はアイルランドよりはアフリカに目をやるでしょう。なぜなら(ラグとジャズの)二つの形式は、アフリカに起源を持つポリリズムと合体しているからです。ラグタイムとジャズは両方ともアフリカ系アメリカ人の社会から始まったので、これはアイルランド(に起源を求める)よりは論理的だと思われます。そして実際、私は、特にこのニュースグループでなくても、アイリッシュに帰属するという音楽形式のシンコペーションの起源も見たことがありません。

(Ed Berlin さんの意見) この前の2つの意見に反論を加えるまでもなく、私は次のことを指摘します。ある時期のアメリカの俗語では、「ジグ」という言葉がアフリカ系アメリカ人のことを指すのに使われていたのです(私の子供の頃、50年以上前に、そのことを思い出します)。それ故、「ジグ・ミュージック」は、アフリカ系アメリカ人が起源であるすべての音楽のことを指したのです。

 確か Blesh と Janis が『They All Played Ragtime』で「ジグ・ピアノ」という言葉を使いました。しかし、私がラグタイム時代の新聞や雑誌を調査した限りでは、その文章の中に「ジグ」という言葉は見あたりませんでした。

 それは、この言葉が全く使われなかったという事を意味する訳ではありませんが、その時代の出版物に現れていないことから考えて、私たちはそれが使われたことを確信することはできないのです。

 この後にも貴重なご意見をいただいているが、割愛させていただく。私は不幸にも『They All Played Ragtime』を読んだことがないが(今やかなりの貴重本で、やたらに高いらしい)、Scott Joplin の全集『Complete Piano Works』での Rudi Blesh の序文でも、確かに「ジグ・ピアノ」という表現が出てくる。私は勉強不足のため、未だにこの件に関しての確証を得たというわけではないが、おそらくかなりの確率でこの「ジグ」という言葉に対する誤解が、誤ったルーツ論の源の一つになっていると思われる。

 これは一般論だが、音楽に限らず、ルーツを探る研究というのは大変な労力がいる。そして、ルーツという固定概念の中では、時代が前のものは後のものに対して絶対的優位にある。時代が後のものは、それより前のものの影響を受ける可能性があるが、逆はあり得ないからだ。極端な話、ロックはバッハの影響を受けていると言ったって、間違いではない。だからバッハの方がえらいと言えば、それはその通りかも知れない。今問題にしたいのは、こういうあやふやで何を言っても当たりそうな推量や、ただ一つの伝搬経路だけを追い求めるのではなく、ラグそのものに対する愛着を持った歴史認識への努力が必要である、ということだ。

 もしそういう観点で考えれば、(ジャズがそうであるように)ラグは一つのスタイルではなく、様々な音楽スタイルの統合形であることを理解し、それを踏まえなければならない。そのほんの一部は、私が前の解説で触れている。ただ一つの背景や影響だけでルーツ論を云々することは、とても空しいことである。そのような当て推量は、空しいだけでなく、場合によっては今回のように多くの人をミスリードすることも考えられる。これはラグに限らず、あらゆる文化的事象を探る上でも注意しなければならない。

 さて結論としてはなんだかあやふやになってしまったが、ラグはジグではない。ラーガもラグではない。ついでに、ジャズもジャグではない。「ラグは、ラグ以外の何者でもない」って言ったら、元も子もないでしょうか。惚れた欲目もありますけどね。

 

   ・ 私の見方

 

● ラグタイムに関連する音楽について

   ・ ラグタイム時代以前のアメリカン・シンコペーテッド・ミュージック

 実は私の勉強がかなり不足していて、この辺のことになるととたんに目隠しされたようにわからなくなる。ただし、ケークウォークやバーバーショップ・ピアノなど、ラグ以前から流行っていたと思われるスタイルの存在は指摘されている。

 ラグ時代以前にアメリカで一時代を築いた作曲家としては、まず「Oh Suzanna」などの歌曲で有名なフォスター(Steven Foster[1826-1864])がいる。アイルランド系移民の血を引く彼の歌は、その並外れた美しいメロディーと奔放な躍動感が魅力的だが、ラグタイムに近いシンコペーションのルーツを求めるのは的外れな感じがする。なお、このような「フォーク・ソング」と言うべきものの中には、「クーン・ソング」「ミンストレル・ソング」という「黒人風に作った白人による歌」があったらしい。当時はまだ奴隷解放もなされていなかった。

 ついで、ピアノ音楽の面からは、クラシック作曲家ゴットシャルク(Louis Moreau Gottschalk[1829-1869])がいる。「カプリス Caprice(奇想曲)」というタイトルをしばしば付けて、ラグの前身とも言えるケークウォークなどのダンス音楽のリズムを取り入れていたようだが、どうもラグの軽快な曲想とは合わないようだ。ロマンチックな感じがあまりなく、単純なピアニスティックな効果音を大胆に取り入れる姿勢が目立つ。私は、個人的には彼の音楽が好きではないのだが、クラシック界では近年再評価されたようだ。

 そこから時代が20年ばかり下って(この間の空白期は不明だが、南北戦争(1861-1865)のあとで、ごたごたしていたのではないかとも思う)、やっとラグタイムの黎明期になりかかる。解放された黒人たちの時代がゆっくりと訪れてきたのだろう。ラグタイム作曲家として後に有名になる Scott Joplin, Kerry Mills(白人), Blind Boone (John William Boone) といった人たちが、1897年以前にもマーチやカプリスといったシンコペーションを意識したスタイルで曲を作っている。このような有名な人の作品は氷山の一角で、黒人音楽とクラシックの融合は、もっと水面下でいろいろ行われていたようだ。今はまだ私には、その点に関する知識がないが、それらについて新たに判明したことがあれば、随時このコーナーで紹介していきたいと思う。

 

   ・ マーチ音楽 March

 上の項と関連する。ラグタイム時代の前に一時代を築いた、もう一人の忘れてはならない作曲家が、「The Washington Post」(1889)「The Stars and Stripes Forever」(1897)などのマーチでおなじみの、スーザ(John Philip Sousa[1854-1932])である。マーチ王と呼ばれた彼は、ポルトガル人の父とドイツ・バイエルン人の母の間に生まれた。父がアメリカ海軍の音楽隊にいたという環境もあり、自身も海軍バンドのマスターとして戦意高揚のマーチを数多く作り、絶大な人気を獲得した。アメリカの吹奏楽の分野での偉大なパイオニアである。なお、意外にもオペレッタを十数曲残しているという。彼は、ラグタイムの時代も意に介さず、73才(1927)にしてなお「Riders For the Flag」を書くなど、100曲以上のマーチを書いた多作家である。

 スーザの成功を受けて、マーチが広くいろいろなところで演奏されるようになったことは想像に難くない。マーチは、繰り返すようだがラグタイムの重要な音楽的母体の一つであり、そのフォーマットは、時折6/8拍子になるなど細かいところは違うが、音楽の進行上ほぼ同一と見て間違いない。ただし、ラグタイムのような頻繁なシンコペーションはない。行進するのが目的であるならば、強拍を強調しなければならない。ラグのような絶え間ないシンコペーションは、強拍を勘違いさせやすいため適さないのだ。逆に、単純に言えば、行進を直接的には意図しないところで、マーチなどを素材にしてシンコペーションを加えていったものが、最終的にはラグになったのだと思われる。

 またマーチは、曲の構成として、最終楽節の前にカデンツァ的な「」の部分を意図的に配置して、曲を盛り上げる手法を使うのがおきまりである。あか抜けないフォーク・ラグでは、そんな少々古くさいマーチの手法を堂々と使うものが意外に多い。こういうことも、マーチとラグの密接な関係を示している。

 さらに、ジョプリンをはじめ、主なラグタイムのパイオニアの多くは、マーチを書いている(上の項と重複)。ちなみに、ジョプリンのマーチは次の6曲。「Combination March」(1896)、「The Great Crush Collision March」(1897)、「Cleopha」(1902)、「March Majestic」(1902)、「Rosebud March」(1905)、「Antoinette」(1906)。また、「A Breeze From Alabama」(1902)は、副題が March and Ragtime Two-Step となっている。この曲は、P.G.Lowery という黒人のバンドマスターに捧げられた。ジョプリンは、若い頃、1891年に結成された「Queen City Concert Band」というセダリアのマーチング・バンドでコルネットも吹いていた。Brun Campbell の自伝によると、このバンドは出版される前の「Maple Leaf Rag」「Sunflower Slow Drag」「Bowery Buck (Tom Turpin の曲)」も演奏していたという。民間のマーチング・バンドがラグの名曲を取り入れたという、貴重な証言だと思われる。

 「ラグタイム作曲家がマーチも書いた」という例だけでなく、吹奏楽のバンドリーダーがラグを取り入れたという逆の例もある。ドイツ人のクラシック作曲家 Abe Holzmann の「Smokey Mokes」(1898)という曲を、先のスーザが1900年に編曲して取り上げ、好評を博したという(『ステファン・グロスマンのプレイ・ラグタイム・ギター』で引用された、1901年の新聞記事より)。その Abe Holzmann は、明確にラグと銘打った曲こそ残さなかったようだが、この曲は聞いてみるとラグタイムそのものである。彼も、マーチやワルツ、ケークウォークなどのダンス音楽に関心があったようだ。さらに、黒人のバンドリーダーがラグ作曲家としても活躍している。James Reese Europe(1881-1919)という多才な音楽家がそうで、「Castle House Rag」(1914)が有名。早すぎる死が悼まれる人だ。こういうラグとマーチの歴史を踏まえれば、現在もラグタイムが吹奏楽の格好の題材になっていることは容易に理解できる。

 マーチは、私たちを高揚的な気分にさせてくれる。スポーツ番組のテーマやパチンコの音楽でマーチがかからないと、違和感さえ覚えそうだ。この記事の執筆のために、私は改めてスーザを聞き返してみたが、やはりよい。ルーツ云々ではなく、マーチ独自のおもしろさが確かにある。「軍歌」「軍艦マーチ」など、軍隊の存在と切っても切り離せない宿命を持つマーチだが、舞曲が踊りから離れていったように、音楽としてのマーチも行進から離れていった。そしてマーチは、ラグ、ジャズなどの音楽の源の一つとなった。現在のアメリカにおける、全ての軽音楽の父と言っても過言ではないのかも知れない。私たちは、マーチという音楽にもっと感謝しなければならない。

 

   ・ ポルカ Polka

 私の貧しい音楽体験の中で、ポーランドやチェコなどのヨーロッパを起源とする舞曲「ポルカ」は、少し特殊な位置にあると思う。というのも、テキサス州出身の雑食音楽バンド「ブレイブ・コンボ Brave Combo」での印象が強すぎて、容易に拭えないのである。この分野での私の知識もわずかであるが、ワルツ王ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)がワルツとともに取り上げて一世を風靡したのは前から知っていた。しかし、1980年代のワールド・ミュージック・ブームに乗って、ブレイブ・コンボは実に生き生きと、ロックやテックス・メックス風味のポルカで私たちを楽しませてくれた。代表作「Polkatharsis」(1987)を筆頭に、生きるのが楽しくなってくるアルバム揃いである。パロディー的な面もあると思うが、これこそ現代に生きるポルカであろう。(逆に、テックス・メックスがポルカ風味のロックだと言うのがいいのか、テックス・メックスにもいろいろな音楽があって判然としない)。

 テキサスは、他の中南米諸国と同じように実に楽しい音楽の土壌があるようで、ひと頃話題になったアーティストを挙げるだけでも、フラーコ・ヒメネス、スティーブ・ジョーダン、ロス・ロボス、ダグ・ザームなどくせ者揃いだ。実はスコット・ジョプリンも、テキサス州テキサカーナの生まれであり、青年時代まで過ごした。また、マーチとポルカも当時から人気で、ゴットシャルクもポルカをよく取り上げている。こういう背景から、当時の音楽家がいろいろな音楽を雑食するのにはよい環境だったことは想像に難くない。

 ポルカはマーチと同じく2拍子で、より快速である。私が(より伝統の形に近いと思われる)ポーランド録音のCD『all the best POLKAS, 20 Polka Favorites』を聞いた限りでは、2〜3楽節構成で、マーチと同じようにかなりバカ正直でオーソドックスな終止が特徴である。ただ、第2楽節目で突然転調したりして、変化を出している。と言うより、2つの調の違うテーマを何度か連結させて繰り返し、その中でソロ回しをしているとも言えるだろう。メロディー楽器の花形はクラリネットとアコーディオン。CDではなぜかバンジョーが入っていたりする。曲想はほとんどが明るく、言ってしまえばかなり脳天気である。こういうところは、初期のラグタイムと共通する。ただし、ヨーロッパの他の舞曲と同様に、ラグのシンコペーションを示唆するようなリズムを探すことは困難である。要するにマーチとの共通点が多いので、ラグ・フォーマットや曲想の母体として見るのが正しいと思う。

 

   ・ マルチニークの音楽(ビギン Biguine)

 私の大好きな音楽の一つに、南米音楽がある。といっても、一般にラテン音楽と一くくりにしては、あまりにもおおざっぱすぎる。紹介する労力も紙面も限りがあるので、ここでは私がラグタイムと親近感を持ったものを、気がついた順に紹介していきたい。

 まず、西インド諸島マルチニーク(Martinique)の音楽。ここはフランスの海外県で、クレオール(Creole、クリオールとも)と呼ばれる人たちの音楽が盛んなところ。クレオールにはいろんな定義があるようだが、「フランス人やスペイン人と黒人の混血」という定義をよく聞く。その文化的るつぼ状態は容易に想像できるが、ここで歴史論や文化論を云々する知識は今の私にはあまりないので、いきなり具体例の紹介と行きたい。

 マルチニーク(またはアンチル諸島)の音楽「ビギン biguine」は、ポルカやフランスの舞曲カドリーユを母胎とし、19世紀中頃に生まれたらしい。1930年代からフランスに流行し、アメリカでもコール・ポーターの曲「Begin the Biguine」(1935)が、のちに映画音楽として有名になったことから大流行した。2枚組CD『ビギンの再発見』(オルター・ポップ WCCD-41017)や『ビギンズ・フロム・マルチニーク』(Blues Interactions / P-VINE PCD-1014)には、とても楽しいシンコペーションを持った、ビギンの魅力があふれている。筆頭にあげるべき音楽家は、クラリネット奏者のアレクサンドル・ステリオ Alexandre Stellio である。

 ビギンの楽しくロマンチックなメロディーの雰囲気、上品な転調、シンコペーションの型など、どれをとってもラグタイムの兄弟のように私は感じている。ピアノ伴奏のあるパートなどは、もろにラグタイムである。ここで数曲聴くことができる「シャンソン・クレオール」は、あまりシンコペートしないが、これは特にスコット・ジョプリンのオペラ「トゥリーモニシャ」の独唱パートに似た感覚をとらえることができる。

 ビギンを生んだクレオールたちは、ラグタイムにも大変大きな役割を果たしたようだ。有名なラグタイマーでは、Louis Chauvin、Jelly Roll Morton もクレオールだった。David Thomas Roberts のモダン・ラグに流れる音楽精神は、多くがクレオール音楽に根ざしたものだと解釈できる。

 ビギンは、現代にも脈々と受け継がれている。おすすめのCDは、『ラシーヌ/KALI』(1988、エピック・ソニー ESCA 5016)。バンジョーのようなマンドリンの奏でる音が、とても愛らしい。

 

   ・ キューバの音楽

 それから、先の「ジグ」議論の中で Tracy Doyle さんも指摘していたキューバ音楽。こちらも、私は詳しくないので詳細は他に譲る。

 私がまず紹介するのは、キューバ最高のボーカルグループとして名高いトリオ・マタモロス(1925年結成)のCD『永遠のトリオ・マタモロス』(Bomba Records BOM4001-2)。ビギンも「ボレロ bolero 風」と取られることがあるようだが、こちらははっきりとスペイン(19世紀の「トルバドール」と呼ばれる流しの歌手)の伝統を受け継いだ人たちらしい。ただし、キューバの大衆音楽「ソン son」の要素もあるという。

 このように音楽るつぼ状態のラテンのレコードは、歌の説明として音楽の形式名を書いてあるのが昔から一般的だ。そうでないと訳が分からなくなってくる(普通に楽しむ分には別になくてもいいのだが)。ここでは「ボレロ・ソン bolero son」「コンガ conga」などの形式名があり、特に「ボレロ・ソン」の曲などにラグタイムの要素を見て取れる。雰囲気も非常に楽しく、ラグによく似たシンコペーションも楽しめる。特にギタリストには、ラファエル・クエトの鉄弦ギターの響きがたまらないだろう。このCDも強くおすすめしたい。

 構成では相違点もあり、例えば転調はなくても構わなく、あっても8小節のさびの中だけだったり、1楽節16小節の中で8小節×2のようにもとれるくらいリフレインを多用したりしている。こういう繰り返しの仕方(アイリッシュ・ダンスなどは、ほとんどこのパターンか?)は、もちろんラグタイムにもないことはないが、より構築されたメロディー構成になることが多い。

 さて、ここで紹介しなくてもすでにご存じだと思うが、今さらながら現在のキューバ音楽を楽しむのに最適な例を追加しよう。ライ・クーダーがプロデュースして大きな話題になった「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ Buena Vista Social Club」(ワーナー WPCR5594, 1997)だ。

 唄うのは、Eliades Ochoa, Ibrahim Ferrer, Manuel 'Puntillita' Licea, Compay Segundo, Omara Portiondo といった人たち。ソンを中心に、現在進行形の音楽が、臨場感あふれる優れた録音で楽しめる。編成もトリオ・マタモロスより数段にぎやかで、そのすばらしい演奏とギター属を核にしたアコースティックな音圧に絶句されてしまう。ライ・クーダーのギターは控えめすぎてあまり目立たないが、主役を立てている奥ゆかしさで逆に好感が持てる。私たちの知らなかった世界を一つ一つひもといてくれるライナーノーツもいい。続編も作られ、映画も絶賛されている。これで感動できなければ、キューバ音楽、いやラテン音楽は一生楽しめないと思った方がいい。私の愛聴盤である。

 

   ・ タンゴ Tango

 今まで私が、項目だけ挙げて二年近くそのままになっていたジャンル。それもそのはず、きっちり押さえておかなければいけないジャンルであり、私も幼い頃はずいぶん聴かされたにも関わらず、私はほとんど門外漢なのである。ただ、今は亡き私の父が、生前マンドリンアンサンブルの中で編曲した名曲「エル・チョクロ」やガルデルの数曲は、今も私の中で宝石のように輝いている。父はタンゴの愛好家でもあったので、今生きていればいろいろ話を聞くことができたのだが。
 あまりにも知識がないので、タンゴの概説は以下のURLをご参照いただきたい。私がいろいろインターネットで検索した中で、最もわかりやすく簡潔な説明があり、よいページである。

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Poplar/1535/genkou/tango.html

 それによると、南米アルゼンチンのブエノスアイレスにタンゴが発生した時期は意外に古く(ラグタイムより古い18世紀ころ)、また驚くほどラグタイムの生まれた環境に似ていること(ヨーロッパ異文化と黒人の交流、ダンスが重要な要素であったこと、酒場の音楽として蔑視されたことなど)がわかる。ただし、黒人文化がどのようにここに介在したのかは未だ明らかではない。どちらにしても、今のタンゴの形態になったのはやはり19世紀かららしい。

 最も重要なリズム的特徴である「ハバネラ」が、アルゼンチンとは地域的にはかなり離れているキューバ起源のリズムであることはとても興味深い(前項とも関連)。ブエノスアイレスが港町であったことと、大きな関連があると思われる。この魅惑的かつ吸引力の非常に強いリズムは、いろんな南米音楽の基盤の一つとして、メキシコ、ブラジルなどの周辺国を始め広く取り入れられている。

 ラグタイムの世界で言えば、スコット・ジョプリンの1909年作品「Solace -A Mexican Serenade-」がハバネラを使った最も顕著な例であるし、アーティー・マシューズの「Pastime Rag」全5曲もハバネラ(もっと言えばタンゴ)をベースにした構成を持つ。
 また、このリズムはジェリー・ロール・モートンらのニューオーリンズ・ラグにも影響を与えていったことは明白である(曲調的には「The Crave」が最もタンゴを感じさせる)。メロディーをラグ風にシンコペート、本来のラグのリズムである2拍子のオルタネイティング・リズムをハバネラ風シンコペーションに置き換えるという手法はモートンの十八番であり、いろいろな曲で折に触れて使われている。それはさらに時代を超え、現在のテラ・ベルデのリズム手法にもなっている(曲想自体にも大きな影響を与えているようだ)。

 なお、解説などで「ハバネラ風タンゴ」などと書いてある記述を見ると、何だかキツネにつままれたような気分になってしまう。ルーツの一つにハバネラを取り入れたのがタンゴなのだから、全てのタンゴはハバネラ風なのではないかしらん?
 リズム起源としてのハバネラと、キューバ音楽としてタンゴとは違う発展をしたハバネラ(今のタンゴほどきつくない、もう少し柔らかく叙情的なものらしい。「Solace」やナザレの「涙して」などのようなものか)とは、時によっては別々に語るべきものなのだろうか。

 「初期のタンゴ」とはどの辺りの事を指すのか私には定かではないが、19世紀後半から1920年代頃まで活躍したブラジルの作曲家エルネスト・ナザレ Ernesto Nazareth(1863-1934)は、よく初期のタンゴ作曲家として紹介される。といっても、彼はポルカやワルツ、ショーロ、フォックストロットといったダンス音楽全般で活躍したようだ(総作曲は250曲以上らしい)。その曲想は、ちょうどラグタイムのようなロマン派音楽的な流れが感じられ(転調も含む)、メジャー調の曲も多く、同時代のラグタイムと比較しても特に違和感がないくらいである。活躍した時代も似ているため、彼を「ブラジルのスコット・ジョプリン」という人もいるくらいである。彼の作品は、あのジョシュア・リフキンを始め、David Thomas Roberts, Brian Keenan, 池宮正信ほか多くのラグタイム音楽家が取り上げているので、未聴の方はぜひお聴きになっていただきたい。

 ただし、彼の音楽からいきなり現在のタンゴ音楽に接すると、正直言ってギャップを感じることもある。伴奏がシンコペートし続けるためにメロディーにシンコペートの要素が少なくなるという、ボサノバにも似た傾向がある上に(あくまでメロディーがシンコペートしなければラグタイムとは言えないのである)、現在のタンゴの調にはよくマイナー調が使われるため、ラグタイムのイメージとは少し遠くなるように思えるのだ。
 タンゴの革命児と言われ近年クラシック界で再評価されたアストル・ピアソラのタンゴは、雰囲気・曲想的にはさらにラグタイムから遠のいたようにみえるが、実は結構メロディーのシンコペーションが多く、うまくリアレンジすればラグタイム的な演奏ができるかも知れない。ちなみに、私の父の世代でピアソラのタンゴが好きな人は、むしろ少数派だったらしい(それほど従来のタンゴ愛好家にとって異端だったのだろう)。旧態依然とした伝統に物申すこの反骨精神は、ラグタイム音楽の実践においても参考にすべきだ。

 私にとって、未だタンゴとラグタイムとの関係を探る試みは続きそうである。

 

   ・ ブギウギ Boogie Woogie

 同じ黒人のピアノ音楽という共通点はあるが、ラグタイムとは全く異なる魅力を持つ音楽である。素材は12小節ブルースであり、ほとんど転調もしない。イントロで見られるブレイクを時折アクセントに添える以外は、ずっと左手でマイナー調のエイトビート・ベースを叩きまくる、言ってしまえばとてもプリミティブなスタイルである。曲自体が単純なプラットフォームなので即興演奏の余地が大きく、その意味ではジャズに近い音楽だ。しかし、その快速かつ躍動的なリズムは、ビッグバンド・ジャズに取り入れられたものの、むしろリズムアンドブルースからロックンロールに至る原石として多大な影響力を持った。今でも、特に純粋なブギウギでなくても調子のいいロックやブルースを「ブギ・スタイル」などと言ったりするのは、本来こういう伝統を踏まえてのことである。

 この音楽のパイオニアは、Jimmy Yancy(1894-1951)と言われているが、初めてブギウギという言葉が曲名になったのは、Pine Top Smith(1905?-1929)の「Pinetop's Boogie Woogie」(1928)だという。その後のピアニストで主な人を挙げると、Meade Lux Lewis(1905-1964)、Pete Johnson(1904-1967)、Albert Ammons(1907-1949)、Cow Cow Davenport(1894-1955)などである。また、彼らプロ以外にも、多くの民間プレイヤーがいたらしい。もっとも決定的なブギの名曲と言えば、やはり Meade Lux Lewis の「Honky Tonk Train Blues」(1935)ではないか。

 彼らはストライド・ピアノ的に、ラグタイムのフィーリングのある曲を書いたりもした。「Cafe Society Rag」(1939)などが良い例だが、やはり純粋なクラシック・ラグではない。ブギはパターンが決まっているので、実際にステージなどで演奏するときには、こうした曲想もさることながら、速い・遅いなどペース配分だけで変化を出すことが多い。

 ラグの方からのトピックとしては、A.Maggio の「I Got The Blues」(1908)のようなブルースフィーリングの入ったラグが、必然的にブギにも似た形になっていること(ただしこの曲はやはりトリオで転調している)。Tom Shea の代表作「Brun Campbell Express」(1964)も同様である。ホンキートンク・ピアノと似たように見られるのは、その音楽性から言っても同じ技術レベルのプレイヤーが演奏するのが自然だっただけの話であり、いわゆるラグの形式とは明らかな区別をしなければならない。

 面白い話としては、ラグ研究家の Rudi Blesh が、ブギの Montana Taylor を1946年に再発見している。もうとにかくピアノ音楽の好きな人だったらしい。また、日本でも戦後、笠置シズ子が、日本風にアレンジを施した「東京ブギ」で一世を風靡し、「ブギの女王」と呼ばれたことは特筆すべきトピックである。しかし、何でラグを唄ってくれなかった?

 

   ・ カントリー Country

 最初にお断りするが、私はカントリー音楽についてほとんど門外漢である。だから、ここでの記述が浅い内容に終始してしまうことをお許しいただきたい。

 カントリーは、このページで挙げている「ラグタイムに近しい音楽ジャンル」の中でも、特にアメリカでは客観的に見て最も繁栄している音楽だと私は思う。というより、カントリー・ルックのファッション一つ捉えても、自国の文化として根付いているものだと私の目には映る(私がアメリカのナッシュビルをちょっとだけ体験した際の様子については、『アメリカ日記』をご参照いただきたい)。

 一般的によく聴かれる現在のカントリーを、音楽の形式的な面からチェックしていくと、マーチと同じ二拍子、またはそれを快速にした四拍子がよく使われる。その場合は、比較的オンビートなノリのメロディー中に、シンコペーションがアクセントとして使われている。ただし、シンコペーションでリズムをドライブさせる傾向は、むしろ初期のカントリーから比較的近年(約半世紀前)分離したジャンルの「ブルーグラス音楽」の方に多く用いられていると思う。今のカントリーは、そこから見ればかなりジャストなノリ、つまり白人のリズムを強く感じるのである。また、調(キー)はメジャーが多いようなので、その点はラグと同様である。
 一方、カントリー・ワルツとラグタイム・ワルツの共通点は、その曲想からもシンコペーションの癖からも、なかなか見出せないように思える。

 「初期のカントリー」(オールドタイム、ヒルビリー音楽も含む)とラグタイムの関係については、"Ragtime: Its History, Composers, and Music" (1985) Edited by John Edward Hasse の中の「Ragtime in Early Country Music」(Norm Cohen & David Cohen)という論文で解説されている。その中で、初期のカントリーの中のラグタイム・ライクな曲(例えば Ragtime Annie や Beaumont Rag, Cotton Patch Rag など、以下カントリー・ラグタイムと呼ぶ)の多くは、ピアノ・ラグから移入してきたものではないということが言われている。
 その上で、彼らは興味深い結論に達している。要約すると以下の通りである。

1.タイトルに「ラグ」とついたカントリー・ラグタイムの半分以上は、ピアノ・ラグの特色を持たず、「クーン・ソング(白人が作った黒人風の歌)」に特徴的なシンコペーションやブルージーな要素を持っている。

2.より古いアングロ・アメリカン・フィドル音楽の形式(AB、ABC、まれにABCD)に比して、ピアノ・ラグの4楽節形式(AA BB A CC DD)は複雑であり、カントリー・ラグタイムでこれを厳格に踏襲した曲は、オリジナルはもちろんピアノ・ラグの編曲物にいたるまでほぼ皆無である。

3.Dill Pickles (Charles L. Johnson 作) などごく少数のピアノ・ラグは、カントリー・ラグタイムのレパートリーになっているが、ピアノで最も多く録音されている Maple Leaf Rag, 12th Street Rag, Temptation Rag などのような曲は全く登場しない。

4.「サークル・オブ・フィフス」のコード進行が、カントリー・ラグタイムの最も顕著な音楽的特徴である。このコード進行は、ピアノ・ラグでも、ティンパンアレイの「クーン・ソング」でもそれほど一般的ではなく、むしろアフリカ系アメリカ人の初期のフォーク・ブルースの伝統から起源を求めることができる。

 *サークル・オブ・フィフス 音楽用語が苦手な方のための解説:
 これは、日本では普通「循環コード」と呼ばれてきたもので、コード進行の定石。簡単に言えば「(C→)E7→A7→D7→G7→C」のようなコード進行のこと。普通は、一度主調から異なるコードに進行した後、その5度下(4度上)のコードに進行し続けて主調に戻るという形をとる。この循環コード自体は多くのポピュラー音楽で(もちろんクラシック・ラグにも)要所に出てくるが、Salty Dog などのカントリー・ラグタイムはほとんど循環コードだけで曲が成り立っている。

 黒人の音楽とされているラグタイムよりも、白人の音楽とされているカントリーの方がブルースの影響を多く受けているという研究要旨は、考えてみればなかなか興味深いことである。

 さて、ピアノ・ラグタイムとカントリーにおけるラグタイムは、形式上はこのようにかなり異なる性質を持っていたのだが、それでもその相互関係からラグタイムの歴史を再認識しようとするラグタイマーがいる。それは、例えば「ブルン・キャンベル・エクスプレス」のようなカントリー風ラグの傑作を作ったトム・シーであり、初期のカントリーに名高いキッシンジャー・ブラザーズの曲をラグ風に編曲しているデビッド・トーマス・ロバーツである。

 現代のカントリーと、ラグタイム時代にまで遡れるほど初期のカントリーは、かなりイメージの違った音楽かもしれない。しかしいずれにしても、シンコペーションと陽気な音楽性を楽しむカントリーは、まさにラグタイムの兄弟としての、魅力ある音楽だと思う。
 ところが日本では、一部のオールド・ファンを除いて、どうもあまり支持されていないジャンルかも知れない。なぜかは不明だが、特にジャズやクラシックの純粋なファンからは敬遠されやすいようだ。アメリカで圧倒的な支持を得ているガース・ブルックス、ヴィンス・ギルなどの名が、もし日本でメジャーになる時が来れば、ラグタイムを見る人の目も変わってくるのだろうか。

 

   ・ ジャズ Jazz

 どうやら、ジャズのことをすっかり忘れていたようだ。この憎むべき音楽が、一番最初の「Ragtime Related Music」なのかも知れない。ラグタイム時代のラグタイマーたちの味方をしようとするならば、この音楽は本来なら「」であることを、ここではっきりさせておきたい。ジョプリン亡き後、劣勢となる一方のラグタイムを支え続けた James Scott は、「Don't Jazz Me Rag -I'm Music-」(1921)「俺は音楽だ。俺をジャズるんじゃねえぞ」というタイトルのラグを残している。ラグタイムで飯を食っていた人たちの悲痛な叫び声のようにも感じられる。

 

1.ジャズについて

 ジャズの起源も、ラグに負けず劣らずいい加減なことが言われているようで、鳴り物入りの「ジャグ・バンド」から変化していったとか、ラグタイムが直接の母胎になったとか、要するに「よくわかりません」と一言言えば済みそうなものだ。それならば、「ジャズを発明したのはこの俺だ!」と宣言して不評を買ってしまった Jelly Roll Morton の大見得が、むしろ頼もしくすら思えてくる。とにかく初期のジャズは、ブルースを筆頭に、マーチ、ラグタイム、ゴスペル、クレオール音楽、初期のカントリーなど様々な音楽を吸収分解し、「スイング」「自由な即興演奏」という旗印の下でまとめ上げた雑食音楽としてみることができる。確かに、何でもそうだが、純血・純粋なものよりは雑種の方がより長く生き残るものだ。後の時代の音楽は、こうして古い音楽のいいとこ取りができる。

 ジャズ独自の魅力として見逃せないのは、スイングや即興演奏もさることながらそのコード・テンション感である。即興演奏しやすいように、古い音楽の単純な3コードに、次々と音を上乗せしていった結果、ジャズならではの洗練されたコード感というものが生まれてきた。ラグタイムでこういう凝ったコードを使う人もいたが(例えば Artie Matthews)、主流派ではない。このような即興演奏のプラットフォームとしての工夫、また西洋音楽では最重要視されやすい「メロディー」に決定的な重きを置かないその性格などを見ると、ジャズは「西洋音楽」としてはかなり特殊な考え方だと思う。スイングからビッグバンド、ビバップやフュージョンなど、その形態や手法もどんどん変わっていった。ジャズは、その出自と同じように本質はとらえどころのない存在なのだ。

 

2.ラグタイムとの関連、「スイング swing」について

 ジャズがラグタイムにクロスするのは、もちろんオールド・ジャズ(ニューオーリンズ・ジャズ、ディキシーランド・ジャズと呼ばれているもの)やスイング時代においてである。先の Jelly Roll Morton、James P. Johnson、Luckey Roberts、Willie "The Lion" Smith、Fats Waller、さらに Art Tatum や Earl Hines に至るピアノ・マスターたちの音楽は、直接的にラグタイムの伝統を踏まえている。アメリカを代表するソングライターの Irving Berlin(1888-1989)は、ラグタイム時代には数多くのラグタイム・ソングを作り、後のミュージカル全盛時代への足がかりとしていた。

 この「スイング」という言葉は、ラグタイム時代からも使われている。別の所の解説で挙げたスコット・ジョプリンの教則用楽譜「School of Ragtime」(1908)にも、その使用が認められる。ジャズという言葉が一般化する前は、みんなが「スイング」という言葉でジャズを表していたらしいが(これはニュースグループからの情報)、一方でラグタイムのノリを表す意味としても使われていたことは、注目すべきである。

 あるジャズを解説する説明文で、「ジョプリンの時代は単純なシンコペーションだったのが、ジャズになって楽しくシャッフルしてスイングし始めた」などと書かれることが多いが、それは絶対におかしい。不幸にもレコードの発明からまだ日が浅く、ラグ時代の演奏を記したレコードは極端に少なかった(かろうじてピアノ・ロールが少なからず残されているが、これを論拠とするのはあまりにもかわいそうだ)。よって、実際に当時弾かれていたラグタイムのシンコペーションの真髄を探ることは、ほぼ不可能だろう。

 しかし考えてみると、ラグの流行は、20年以上の長きにわたって続いた。流行り廃りの多い大衆音楽としては、大成した方だと見てもいいだろう(対抗馬が「ジャズ」だったのも不運だ)。しかも、ほぼアメリカ全土を席巻している。もしラグタイムが、機械的に音価を合わせただけのつまらないシンコペーションだったら、果たして当時の人の心をこれほど熱狂的に支配しただろうか? 「ジャズのスイングは、ラグが持っていた楽しいシンコペーションの働きを取り入れ、より快速にしたものである」という結論に、私はあまり不自然を感じない。

 ラグがいわゆるジャズのスイングとは違う独自の感覚を持っていたらしいことは、多くの優れた現代ラグタイム・ピアニストたちの演奏を聴くうちに、ぼんやりとわかってきた。以下、感覚的にだがその違いを述べると、まず左手のベース・リズムの押しが強く、時にはもたるように重い。ストライドからスイングに至る流れでは、ここはもっと軽く快速になる。常識では強拍が比較的弱く、弱拍を強く弾いてノリを出しそうな所なのに、そうなりそうでなっていないところが、逆にもどかしく気持ちよかったりする。そして、右手は完全なシャッフルではなく、音符的には一見音価が維持されているようにも聞こえる。しかし、実は音価通りではなく、右手のタイミングの微妙なずれが、シンコペーションの快感を増幅している。

 要するに、一流のラグタイマーたちは、ベースできっちりとマーチリズムを維持し、シャッフルまで行かずに微妙に我慢する(?)ことで、ラグ独特のスイングを生み出しているらしいのだ。この微妙な強弱やスイング感は、ピアノロールの精度の低さではとてもとらえきれない。ピアノロールはアナログなので、分解能という意味ではデジタルに勝るところもあるが、やはり機械は機械である。もし、このスイング感の変遷をきちんとレコードが記録していれば、先の短絡的な説明はかなり違ったものになっていただろう。

 そして、この楽譜には現れないマーチ的・ラグ的スイング感は、演奏のスピードが一定以上になると表現しきれなくなることは、容易に想像がつく。代わりに、速く演奏しやすい、より「簡単な」リズム、つまりシャッフル・ビートになる、という成り行きは、私には自然に感じられる。そこで先の結論と話が繋がるわけだ。後先が逆になったが、これが今の私の考えである。

 

3.ラグタイム・ピアニストのジャズ的レコードの例

 実際にラグタイム時代を生きた人、またはラグと関係の深い人の、ジャズ的なレコードをご紹介しよう。まだ紹介が充分でないピアニストの解説も兼ねた。

 

(1)「The Eighty-Six Years / Eubie Blake」(CBS 22 223, 1973)2枚組

 ユービー・ブレイク James Hubert (Eubie) Blake(1883-1983)は、Maryland 州 Baltimore 出身のラグタイマーで、ラグタイマーとしては最も長い100才の長寿を全うした。存命中は「ラグの生き字引」と呼ばれていた。彼は、その長いキャリアの中で、ミュージカルやポピュラーソングの作曲をメインに活動していた。ジャズ・ファンには、そうした歌の中でも「Memories Of You」が特におなじみである。しかし、彼は1970年代から積極的にラグタイマーとして活動し、数多くのレコードやテレビで親しまれた。

 1枚目は、ユービー・ブレイクのピアノ・ラグの代表曲「Charleston Rag」「Baltimore Todalo」などがぎっしりつまっていて、特におすすめ。そして2枚目は、一転してミュージカルやポピュラーソングのレパートリーから選曲しているという、洒落た構成である。彼のピアノは、タイトル通りの年齢を全く感じさせない、ラグタイムの魅力あふれるエネルギッシュなもの。本物のラグタイマーの演奏とは、こういうものだという見本である。そして、そればかりでなく、ラグタイム時代にいち早くストライド・スタイルを取り入れた先進性、都会派的な感覚も随所に感じられる。こういうところが、ジャズ・ファンをも魅了するのだろう。

 

(2)「Luckey & The Lion / Luckey Roberts & Willie 'The Lion' Smith」(Good Time Jazz, S 10035, 1960)

 New York 州出身のウィリー・ザ・ライオン・スミス Willie 'The Lion' Smith(1897-1973)は、James P. Johnson, Thomas 'Fats' Waller とともに、ハーレム・ストライド・ピアニストの三巨人と言われている。ちなみに「ハーレム」の冠でわかる通り、彼らは主にニューヨークで活躍した。その達者で華麗な音使いもさることながら、「Echoes of Spring」「Morning Air」などの独特のオリジナル曲は、ジャジーというのとはまた異なる、非常にセンシティブでロマンチックな雰囲気を持つ。彼の音楽には、クラシックの素養に基づく端正な魅力がある。彼は、Jelly Roll Morton などと同じように、単純な分類のできない音楽家なのかも知れない。なお彼は、Lucky Roberts や James P. Johnson とは異なり、ラグタイム時代にラグ作品を残していないようだ(単に年齢的な理由だろう)。

 Pennsylvania 州 Philadelphia 出身のラッキー・ロバーツ Charles Luckeyth(Luckey) Roberts(1887-1968)は、ラグタイム時代に「Nothin'」(1908)「Junk Man Rag」(1913)「Pork and Beans」(1913)などの名曲で、最初期のストライド・ラグの足跡を表した歴史的人物。ある人には、「ストライド・ピアニストのグランドファーザー」とも呼ばれているようだ。もちろん彼もハーレム・ストライド・ピアニストとして優れた人で、ライオン・スミスに一歩も引けを取っていない。作曲も、幅広い音楽を消化した才気あふれるものばかりである。あの James P. Johnson も、彼のプレイには舌を巻いていたようだ。ただし、大変残念なことに、彼はレコードをほとんど残してくれなかった。なお、一般のジャズ・ファンには、彼の曲「Moonlight Cocktail」(1942)がスタンダードとして知られている。

 さて、本題のレコード紹介。これは必聴である。歴史的ピアニスト二人が、片面ずつそれぞれソロ・ピアノを演奏するという、ラグタイム・ファンにとってはまさに夢のような名盤。時と場所が違えば、「Scott Joplin と James Scott」にも匹敵する取り合わせだ。しかも、ライオン・スミスは比較的レコードが多いが、ラッキー・ロバーツとなるとこのレコード以外、私は聞いたことがない(他に、1946年の78回転レコードがあるようだ)。音楽内容は、ジャズ・ファンにも、そしてもちろんラグタイム・ファンにも受け入れられると思われる、とても不思議で新鮮な雰囲気を持っている。「ストライド・ピアニスト」という言葉にステレオタイプのイメージを持つ人は、予想をよい意味で裏切られるだろう。たしか、CD化もされていたと思うので、是非当たってみることをお勧めする。

 

(3) CD「Gershwin Piano Music & Songs / William Bolcom & Joan Morris」(Good Time Jazz, S 10035, 1960)

 ジョージ・ガーシュイン George Gershwin について説明する必要はないと思うが(というかそれほど詳しくは知らない)、彼はラグタイム時代に一曲だけラグを書いている。「Rialto Ripples」(1916)という曲で、Will Donaldson との共作である。

 このCD(二枚のLPを編集したもの)では、「I Got Rhythm」「Liza」などのガーシュインの名曲が、オリジナル楽譜に忠実に次々とソロ・ピアノで紹介されていく。演奏は、ラグタイム・リバイバルの立役者の一人、William Bolcom だから、実に丁寧で楽しい。また、「Rialto Ripples」や「Three Preludes」(1926)といった本格的なピアノ独奏曲が紹介されているのは、大変重要である。後半は女性ボーカルを交えているが、ジャズ的というよりむしろクラシックの歌曲と同じような扱いで、かえって新鮮だ。

 

(4) CD「Ragtime Piano Favorites / Dick Wellstood」(Special Music Company, SCD 4528, 1987)

 この手のレコードを載せていくときりがないが、また楽しい「ジャズ・アンド・ラグ」をご紹介しよう。Dick Wellstood については、今手元に資料がないので後述するが、1940年代から演奏している大ベテランで、すばらしいノリノリのストライド・ピアニストである。

 このCDは、おそらく今まで紹介してきた中で、最もジャズ・ファンに受け入れられると思う。Wellstood の演奏はとてもスインギーで、しかし「Scott Joplin's New Rag」「Maple Leaf Rag」などラグのレパートリーも忘れないところがよい。そんな中では、より自由なスタイルの「The Entertainer」がよい雰囲気だ。ただ、タイトルから想像されるような、いわゆる「純粋な」ラグを期待すると肩すかしを喰うかも知れない。ラグとジャズのミクスチャーは、特にラグ・ファンからは嫌われやすいため、ラグタイム界から正当に評価されているとは言えないのが現状だ。

 ストライド・ピアニストの系譜は、突き詰めていくと左手の進化がポイントである。彼ほどのプレイヤーは、どんなスタイルでも臨機応変に弾きこなしている。ラグタイム、ブギウギ、ストライド、ブルースなどにおける多才で洗練された魅力は、豊富な演奏キャリアと音楽的蓄積があればこそだ。酒場のピアニストの貫禄や誇りのようなものを感じたいなら、迷わず探してみよう。とても優れたアルバムである。

 

   ・ テラ・ベルデ Terra Verde

 現代の作曲家として、このホームページでもたびたびご紹介しているデビッド・トーマス・ロバーツ David Thomas Roberts が、友人の作曲家フランク・フレンチ Frank French やスコット・カービー Scott Kirby と共に1995年に提唱した、新しい音楽の概念。少し長い引用になるが、テラ・ベルデの理解には必須だと思われるので、当のトーマス・ロバーツの解説全文をご紹介したい。少し難解な表現も含まれるのでご注意いただきたい。

Terra Verde Music
by David Thomas Roberts


Though "New Ragtime" may provide an adequate reference for most of the music produced by self-described ragtime composers over the past twenty years, many significant compositions closely associated with the term stand outside any boundaries it may safely claim. That a number of the authors of these pieces see themselves as participants in the new World Piano spectrum (a domain as inclusive of Gottschalk, Nazareth, and Juan Morel Campos as Classic Ragtime) is only partly responsible for the eclecticism exceeding the confines of ragtime. New views of Romantic and salon piano music as well as the influence of hymns, traditional Anglo-Celtic and bluegrass music and Old World sources such as the French musette have also fed the new not-quite ragtime. By 1995 the quality and quantity of this music demanded that it be granted its own point of reference, a name independent of the word "ragtime" and its popular associations.

The term I've adopted in conjunction with my colleagues Scott Kirby and Frank French is Terra Verde, Latin for "green earth". The name is not offered as a precursor of academic definition (I, for one, hope that may be eluded) but as an elastic umbrella for recurrent directions and the well-linked sensibilities of the genre's practitioners. Not only does it fill a cultural niche; it liberates us from the disheartening baggage that the word "ragtime" has not been able to discard despite much impassioned effort over the years. With Terra Verde establishing the context, no listener will be able to prejudge such profound works as Kirby's Ravenna or St. Paris Pike or Hal Isbitz's The Flirt as less than the major examples of art music that they are.

I envision two immediate musical uses of the term "Terra Verde". The first is to identify that corpus of ragtime-related, frequently Latinesque contemporary music standing outside any established category. Examples of such "pure Terra Verde" are Kirby's Nocturnes, Belasco, and Ravenna; Isbitz's Morelia, The Flirt, and Mariposa; and my own To Nita, Maria Antonieta Pons, and much of New Orleans Streets. Frank French, long a champion of New World Piano, perhaps best represents his penchant for Terra Verde in Womba Bomba, dedicated to Kirby. Numerous Terra Verde pieces alternate ragtime (marching) bass patterns with "habanera" or other Latin ostinati (Kirby's Nocturne in C Sharp Minor, Isbitz's The Flirt, and my For Molly Kaufmann, which I once described as a "syncopated nocturne"). French's Intermezzo, though consistently employing a rag-like bass, vies for consideration as an example of Terra Verde cast as a piano rag (!)*. Glenn Jenks' Desdemona and Sosua possess Terra Verde characteristics, as do certain works of Jack Rummel and Brian Keenan.

The second application of the name under consideration is practical and temporal: to modify or subsume the term "New Ragtime" for purposes of presentation. While Terra Verde is not a subset of New Ragtime (though it in part grew out of it) New Ragtime may benefit from being treated as one of a family of directions flourishing under the Terra Verde aegis, much as various musics have been grouped under "ragtime". At the very least, New Ragtime can be bolstered by being offered as a companion genre. It is crucial that Terra Verde and New Ragtime composers at last gain the audience deserved by any serious music. In this quest the word "ragtime" must be handled carefully as all competent, concertizing ragtime artists have discovered. Couched in the arms of untainted and evolving Terra Verde, New Ragtime can grow beyond the clutches of the honky tonk-hatched spectres that continue to prey upon ragtime.

*This is reminiscent of the subtitle of Isbitz's Morelia, which itself might suggest the need to acknowledge a new genre: "Fantasy in the Form of a Tango".


「テラ・ベルデ音楽」デビッド・トーマス・ロバーツ
(対訳:浜田隆史)


 「ニュー・ラグタイム New Ragtime(新しいラグタイム)」という言葉は、自らをラグタイム作曲家と称する人たちが過去20年にわたって生産したほとんどの音楽に、適切な参照を提供するかもしれない。しかし、密接にその言葉と関連する多くの重要な作品は、それが無難に主張するような、どんな境界の外側にも位置している。これらの曲の著者の多くが自身を新しい参加者として見る「ワールド・ピアノ」のスペクトル(クラシック・ラグタイムや Gottschalk, Nazareth, そして Juan Morel Campos を含む領域)は、ラグタイムの境界を越えている折衷主義[訳注:独自の様式を生み出さず、過去の様式を借用する主義]に対して、部分的にだけ責任を果たしうる。ロマン派、サロン・ピアノ音楽と同様に、賛美歌、伝統的な英国ケルティック、そしてブルーグラス音楽、フランスのミュゼットのような旧世界の原典からの影響に対する新しい視点は、新しい「not-quite ragtime 少し違うラグタイム」を供給した。1995年に、この音楽の質と量は、独自の指針を、「ラグタイム」という言葉から独立した名前を、そしてその大衆的連合が与えられることを求めた。

 私が、同僚 Scott Kirby や Frank French と提携して採用した語は、テラ・ベルデ Terra Verde(「緑の大地」のラテン語)である。この名前は、アカデミックな定義の先駆者として提供されるものではない(定義者の一人の私は、それが避けられることを望む)。この名前は、このジャンルの従業者たちの間の、循環する方向性や、良く連携された感受性のために、弾力のある傘として提供されるものである。それは、文化的にふさわしい場所を満たすだけでなく、「ラグタイム」という言葉が、長年にわたる多くの熱烈な努力にもかかわらず捨てる事の出来なかった、落胆するようなお荷物から私たちを解放する。テラ・ベルデがその状況を確立すれば、Kirby の Ravenna や St. Paris Pike、また Hal Isbitz の The Flirt のような深遠な作品を、芸術音楽の主要な例に劣っていると聴衆が即断することは出来なくなるだろう。

 私は、「テラ・ベルデ」という語に関して、ただちに音楽への2つの使用法を想像する。最初は、ラグタイムに関連した、しばしばあらゆる既成のカテゴリーの外側に位置している、南米風の現代音楽の集積を定義することである。そのような「純粋なテラ・ベルデ」の例は、Kirby の Nocturnes、Belasco、Ravenna、Isbitz の Morelia、The Flirt、Mariposa、そして私自身の To Nita、Maria Antonieta Pons、そして(組曲)New Orleans Streets の多くである。Frank French、長きに渡るニュー・ワールド・ピアノのチャンピオン、おそらく彼のテラ・ベルデの傾向を最も良く伝えるものは、Kirby に献呈された Womba Bomba である。多くのテラ・ベルデ作品は、ラグタイムのオルタネイト(マーチング)・ベースのパターンを、ハバネラやその他のラテン音楽の構成と交換する(Kirby の Nocturne in C Sharp Minor、Isbitz の The Flirt、そして私の For Molly Kaufmann、これをかつて私は「シンコペイトされたノクターン」と記述した)
 French の Intermezzo は、絶え間ないラグのような低音を使用しているものの、ピアノ・ラグとしてのテラ・ベルデの鋳型の例として考慮するか検討中である(*)。Glenn Jenks の Desdemona と Sosua は、テラ・ベルデの特徴を持つ。Jack Rummel と Brian Keenan のある種の作品も同様である。

 この名の二つめの、考慮中である利用法は、実際的かつ一時的だ。「ニュー・ラグタイム」という語を、プレゼンテーションの目的で、(テラ・ベルデに)修正または包括することである。
 テラ・ベルデとはニュー・ラグタイムの部分集合ではない(部分的にそれを越えて成長したのだが)。一方ニュー・ラグタイムは、「ラグタイム」の名の下に様々な音楽がグループ化されてきた以上に、テラ・ベルデの庇護の下で栄えている方向性の家族の一員として扱われることで利益を得るかも知れない。最低でも、ニュー・ラグタイムは、近しいジャンルとして示されることにより補強されることが出来る。テラ・ベルデとニュー・ラグタイムの作曲家が、最終的にシリアスな音楽を認める聴衆を得ることは、かなり厳しいことだ。この探索の中で、「ラグタイム」という語は、慎重に扱われなければならない。それは、有能な、プロとして演奏活動しているラグタイム・アーティストたちすべてがすでに発見している。未だ汚れていない、そして発展するテラ・ベルデの腕の中で寝かされることにより、ニュー・ラグタイムは、ラグタイムを補食し続ける honky tonk-hatched spectres(ホンキートンクを生み出した亡霊たち)の手を越えて成長することができる。


(*)これは Isbitz の Morelia の副題(タンゴの形式による幻想曲)を思い出させる。そしてそれは、それ自身新しいジャンルを承認する必要を示唆するかもしれない

 読むとおわかりの通り、テラ・ベルデという言葉は、ある特定の音楽形式を指したものではないので、定義はあいまい(弾力のある傘)である。実際、トーマス・ロバーツが挙げた例には、ラグタイムをベースにしているという以外、いずれも形式的同一を見いだすことはできない。私は「ロマン派」「印象派」などと同じように、音楽の精神的傾向やカラーを表す言葉だと理解している。意識的に新しいラグタイムが作曲された1950〜60年代以降、ラグタイムをベースにしながら古い殻を破って独自の発展をした音楽を、全て「ラグタイム」として片づけてしまう乱暴に対する弊害を、この言葉は解決する。よって、ニュー・ラグタイムであっても、本当に古くて純粋なラグタイムの再現としてのみ作曲された好事家の諸作は、テラ・ベルデの精神からは離れていると見ることができる。注目すべきは、ラグタイムのルーツとも密接に関係する種々の音楽、特に南米音楽の意識的な融合である。これが、トーマス・ロバーツの言うテラ・ベルデのカラーを決定づけている。

 結果として、テラ・ベルデ音楽の真の特質は、アメリカのラグタイム音楽と南米音楽との関係の再認識に見い出すことができるだろう。やれやれ、トーマス・ロバーツの表現に引っ張られて、私の言い方も難しくなってしまったかな。まあ、当たり前だが、実際に彼らの曲を聴いてみることが一番よい(リンクの「Jazz By Mail」で、彼らの作品のほとんどが購入できるだろう)。まだこの音楽の考え方は、一般的に認知されているとは言い難い。しかし、音楽が状況に応じて旧態依然としたイメージを乗り越えていくことは自然である。私は彼らの音楽を全面的に支持する一人として、このテラ・ベルデを広く日本の音楽ファンにご紹介したい。

 私は、テラ・ベルデの腕に抱かれている。

追加:テラ・ベルデのアーティスト紹介

 テラ・ベルデの宣言文で登場している幾人かの作曲家たちは、日本では(ひょっとしたらアメリカの多くの地域でも)一般にそれほど知られていないかも知れないなので、ここで簡単な紹介と代表作について述べてみたい。ただし、より詳しくは英文のページ「The Terra Verde Corner」をご覧いただきたい。この欄が、日本におけるテラ・ベルデのさらなる理解と同好者の助けにつながれば幸いである。
 なお、デビッド・トーマス・ロバーツ David Thomas Roberts については別頁にて詳述しているため、ここではその他の作曲家を紹介する。

 

★ フランク・フレンチ Frank French

 トーマス・ロバーツが「ラグタイムの活動家」と呼ぶほど多方面で活躍しているアーティストで、作曲家、ピアニスト、音楽教師、ラジオのホスト、ラグタイム関連イベントのプロデューサーでもある。アメリカ、カナダ、南米、欧州、オーストラリアと世界中で演奏している(是非日本にも来て欲しい!)。その音楽は幅広く、バッハなどのクラシックからゴットシャルク、ラグタイム、タンゴ、キューバ音楽、そしてテラ・ベルデなどを素晴らしい手腕で楽しく演奏する。演奏家としての活動がかなり豊富で、その職人的な腕も聞き所である。
 彼の作曲は、「Belle Of Louisville」(1990)が、現代ラグタイムの最も代表的な傑作の一つに挙げられている他、「Bucktown Buck」(1993)「Womba Bomba」(1995)「On The Trail Of The Conestoga Wagons」(1996)などいずれも個性的で明るく、一般に親しみやすい作風を持つ。ただ、彼のオリジナルはソロアルバムにも数曲しか収められていなくて、それほど多くは紹介されていない。個人的には、是非彼のオリジナル曲集を聴いてみたい。

 ソロアルバムは以下の通り(オムニバスは以下割愛)。
More American Souvenirs (1992)
La Bamboula (1994)
American Originals, the Piano Music of Louis Moreau Gottschalk (1997)
Tango Brasileiro (1998)
"James Scott's Ragtime" Volumes 1 & 2 (カセットテープ)

 また、Scott Kirby とのデュオ・アルバムも2作出ている。
Bucktown in the 90s (1995)
Creole Music (1997)

 

★ ハル・アイビツ(発音表記に自信なし...) Hal Isbitz

 1931年生まれ、カリフォルニア州在住の作曲家。その完成された叙情的な作風と、南米音楽に根ざした深い精神性は、古き良きラグタイムの世界とはイメージが異なるテラ・ベルデの特色を、あらゆる意味で最もよく伝えている。トーマス・ロバーツは、彼を「新しいラグタイムの最も才能あふれる熟練した作曲家の一人」と絶賛している。
 彼は、70年代半ばからラグタイムを書き始めたらしいが、80年代からラテン・アメリカ的な作品を手がけていて、今では70曲ほどのピアノ曲があるという。自らピアノを弾いた自作自演のアルバムというのはないようだが、「Lazy Susan」という曲が、1997年の Scott Joplin Foundation Ragtime Contest で優勝したり、彼の曲を多くの現代ピアニストたちがこぞって自分のアルバムに取り上げたりしていて、一般的評価の高さが伺える。疑いなく、現代ラグタイム作曲家の中でもその芸術性において一歩抜きんでた存在である。
 彼の南米風の曲をまとまった形で知ることができるアルバムとしては、あのジョン・アーピン John Arpin の最近作「Blue Gardenia」(1998)が最適だろう。演奏も素晴らしい。どうか彼の優れたピアノ作品に、多くの人が接して欲しい。
 今まで私が音源で知り得た曲の題名だけをここに記してみたい(作曲年のわかる曲はそれも併記した)。

Blue Gardenia
Caterina
Copacabana
Dolores
The Flirt
Margarita
La Mariposa
Meditation
Pierrette
Chandelier Rag (1987)
Miranda (1987)
Morelia (1989, トーマス・ロバーツに献呈された曲)
Opalescence (1990)
At Midnight (1991)
Elephant Street Rag (1995)

楽譜は次のものが出ているらしい。
Twelve Piano Rags
Blue Gardenia (12 Latin American pieces)
Panamericana

(以下続く)

★ グレン・ジェンクス Glenn Jenks

★ ブライアン・キーナン Brian Keenan

★ スコット・カービー Scott Kirby

★ トム・マクダーモット Tom McDermott

★ ジャック・ランメル Jack Rummel

 

   ・ コマーシャル・ソング、TVのテーマソングなど

 意外でも何でもないと思うが、いわゆるコマーシャル・ソングには昔からラグタイムが非常に多く使われてきた。もちろん、映画「スティング」のテーマソングの流用としてとらえられる例もあるが(「エンターテナー」などはもはや定番だろう)、オリジナルの曲にもラグタイムの陽気なシンコペーションが使われ、キャッチーなムードを出すことが多かった。

 現在、資料に乏しく、具体例まで細かくご紹介できないが、それでも少し挙げよう。「12番街のラグ」(Euday L. Bowman の1914年作)は、ホンキートンクの代表的ナンバーとして有名だが、これはバーゲンセールや何か競争をするときなどで参加者や見物人を扇動する効果があるらしく、よく使われている。さらにローカルネタで恐縮だが、北海道小樽市の商店街の有線放送で未だに掛かっているお菓子の「花月堂」の古いコマーシャルソングは、一応ラグタイムではない。日本人らしく完全にシンコペートこそしないが、しかしジャズでもない、そこはかとなくラグタイムの「雰囲気」を持った名曲である。

 おかしのおかしの花月堂

 すてきなおかしの花月堂 [花月堂のコマーシャルソングより]

 また、私は子供の頃、子供なら誰もがそうであるように「アニメ」(この言葉は比較的新しいようで、昔はまだ「まんが」「テレビまんが」と言っていた)に夢中になった。中でも、「鉄腕アトム」(私はこの世代ではない)や「スーパージェッター」(この辺はちょっとかぶった)のわくわくするようなテーマ曲が好きだった。今でも好きである。おそらく、生涯にわたって好きだろう。出来もしないのに戦車のプラモデルを買って喜んだりしていた無垢な子供が、最初に音楽に興奮した時期だとも言える。

 例えば、私のラグの中で「三本足」の第二楽節は、後から考えると「マッハGoGoGo」のテーマ曲の影響を受けているようだ。あの跳躍の多い魅力的なメロディー、都会的で華やかなシンコペーション、おそらく歌詞に引きずられた結果だと思われるがその自由な構成、そしてすばらしい編曲の妙技。今でも本当に「マッハGoGoGo」は名曲だと思う。なお、新間英雄氏は、「鉄腕アトム」のテーマをケークウォークとして演奏したことがある。

 まんがの主題歌と言っても、この分野は昔から大変高度な音楽性を持っていて、「キャプテンウルトラの音楽はあの富田勲が担当した」などと一般にわかりやすい例を持ち出さなくても、充分大人の鑑賞に堪えうるものが多かった。「子供には下手な音楽など絶対に聞かせられない!」という作り手の信念がそこにあったと思われる。シンコペートするリズム文化をあまり持たない日本人社会において、多くの子供たちがシンコペーションの魅力を一番最初に知るのは、おそらくこうしたテレビからのテーマ音楽からだと思われる。そういう意味では、テレビ時代における私たちのもっとも直接的なルーツ音楽なのかも知れない。だから、最近のアニメやテレビの主題歌が、ともすれば画一的なJポップや新人歌手の宣伝の場になりやすいという現状は、かなり深刻に考えなければならないと私は思う。

 少し話題がそれた。最近では、こういうわかりやすい「まんが」音楽はゲームの世界に移ったらしい(私はゲームがまったく下手くそなので、詳しくは各自でご確認いただきたい)。スーパーマリオブラザーズのシンコペーションは、いかにもラグタイムだったなあ。

 この項のまとめとしては、劇の伴奏や商品の宣伝効果として、「人を惹きつける魅力を持たせたい」という目的意識に注目したい。例えば、特に男の子向けの(昔の)アニメ音楽は、元気づけたり精神の高揚を煽ろうという意図が働いて「マーチ」スタイルの曲でまとめられやすい。コマーシャルやテーマソングのような、人を単純に惹きつけようとする意図を持った音楽は、その意図が単純で大げさでわかりやすいほど、マーチやラグタイムに接近しやすいような気がする。ラグタイムは、もともとシンコペートしたマーチ音楽に非常に近いので、結論としてこれらコマーシャライズされた音楽との類似性は明らかである。また、多くの人を楽しくして関心を勝ち得るという点で、ラグタイムはうってつけの題材なのだと見ることができる。

 アーロー・ガスリーの代表作「アリスのレストラン」は、もはやギターによるC調ラグの古典。この曲は同名の映画音楽にも使われたが、もともとアリスという人のレストランのコマーシャル・ソングの体裁を持っていた。私には、この陽気な曲が、肯定的なパワーを持ったラグと、人の関心を惹こうとするコマーシャルの文化を象徴的に結びつける曲だと思っている。

 アリスのレストランに行けば何でも手に入るよ(アリス以外はね) [アーロー・ガスリー「アリスのレストラン」より]

 

● 参考文献

 ラグタイム関連の参考文献をまとめました。ただし、楽譜を全て網羅すると長くなるので、現時点では文章部分を参照した文献にとどめています。まだまだ書き足りないので、少しずつ追加していきます。また、ここには一つ一つを載せられませんが、私の聞いたレコード・CDのライナーなども、重要な参考資料の一つであることを付け加えさせていただきます。

 

1.海外の文献

"Ragtime: Its History, Composers, and Music" (1985)
Edited by John Edward Hasse
Published by The Macmillan Press, LTD.
"King of Ragtime: Scott Joplin and His Era" (1994)
by Edward A. Berlin
Published by Oxford University Press, Inc.
"Scott Joplin Complete Piano Works" (1981)
Edited by Vera Brodsky Lawrence
Introduction by Rudi Blesh
Published by The New York Public Library

 

2.国内の文献

『ラグタイム・ギターの研究 第一集』(1983)
著・新間英雄
私家版
『ラグタイム・ギターの研究 第三集』(1984)
著・新間英雄
私家版
『ギターのためのクラシック・ラグ作品集 第二集』(1984)
著・新間英雄
私家版
『ラグタイム・ギターの研究 第五集』(1985)
著・新間英雄
私家版
『ラグタイム・ギターの研究 第一集(’86改訂新版)』(1986)
著・新間英雄
私家版
『ステファン・グロスマンのプレイ・ラグタイム・ギター』(1981)
著・ステファン・グロスマン
訳・岩本雅之
発行・シンコー・ミュージック
『クライマックス・ラグ〜クラシック・ラグ1899-1999〜 完全コピー楽譜集』(1999)
著・浜田隆史
発行・TABギタースクール

 

文:浜田 隆史さん

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