ニュースレター

アメリカのラグティミスト(Ragtimist)、ボブ・ミルン(Bob Milne)さんによるニュースレターを連載中!

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ラグタイム物語 001

 1800年代の後期にアメリカの地方でユニークな形態の音楽が聴かれるようになりました。米国でかつてなかったスタイルをフォーク音楽家達が演奏し始めたのです。音楽形態が何世紀にも亘って発達して来た日本のような国とは違い、アメリカにおいては1500年頃までさかのぼれるような音楽形態というものはありません。それが19世紀後期になって広いアメリカの丘陵地や山地、森林地帯や川沿いの町、食堂や酒場で自然発生的に出てきたわけです。
 フォーク音楽では元々ギターやマンドリンが一番人気のある楽器でした。この新しいスタイルの音楽が出てくる頃には、南部でよく登場するバンジョーと呼ばれる楽器(当時は上流社会では下品なものと思われていました)が頻繁に使われ始めました。富裕な家族にしか手のでなかったピアノは、その当時はフォーク音楽には使われていませんでしたが、まもなくギター、マンドリン、バンジョーの弾き手達がピアノに関心を寄せるようになりました。彼らはピアノも、ギターその他の楽器で学んだのと同じやり方で演奏しました。クラシックの音楽家達は仰天し、「あいつらはピアノをすごくラグさせて(半拍又は一拍遅らせて)弾く」と言った為、このアメリカ生まれの音楽には「ラグタイム」と言う呼び名が定着するようになりました。
 アメリカ発の「第一回ラグタイム物語」をお読み下さり有難うございます。次回にご期待下さい。

文:「ラグタイム・ボブ」ミルン 
米国ミシガン州より 
訳:鈴木マイヤーズ&アソシエーツ社 


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ラグタイム物語 002

 1890年代のアメリカは不景気で、多くの人が失業していました。国全体のムードも意気消沈していて、音楽も又然りでした。レコードはまだ発明されておらず、ピアノは一般人には高嶺の花で、人気のあった歌は悲しいものばかりでした。けれど南部の方で楽しい音楽が生まれたそうだと言ううわさが広がりました。楽しくて足を踏み鳴らしたくなるような、聞いているだけで気分が高揚するような音楽だと言うのです。この音楽は奇妙な名前で呼ばれていました。クラシックの音楽家や新聞記者達が「この音楽はなんて変わっているんだ。拍子がすごく遅れている (ragged time)。」と言ったため、これを縮めて、この音楽はラグタイム(ragtime)と呼ばれるようになったのです。
 初めてラグタイムを聞いたアメリカの人達は、熱狂的にこれを受け入れました。ラグタイムを聞くと人々は踊りたくなり、気分が高揚して思わず嬉しくなって笑ってしまうのでした。ディープサウス(合衆国の最南部諸州、ジョージア、アラバマ、ミシシッピ、ルイジアナの各州を指す)の田舎に端を発したこの変わった音楽は、不景気で沈みきっていた人々の心を癒してくれました。
 こんな風にしてラグタイムは人々の心をつかみました。悩みを忘れさせ、元気を付けてくれる音楽、ラグタイムは今日も人々を魅了し続けています。

文:「ラグタイム・ボブ」ミルン 
米国ミシガン州より 
訳:鈴木マイヤーズ&アソシエーツ社 


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ラグタイム物語 003

 ラグタイム・ミュージックは一般のアメリカ人の心と手によって生まれたものです。この音楽は、正式な音楽の教育を受けていず、楽譜を読む事も出来ない人達が頭の中で作曲したものをそのまま演奏して出来上がっていったのです。
 ラグタイムがどのように始まったのかは誰も知りません。南部の綿花のプランテーションだったのでしょうか、オザーク・マウンテンの納屋の踊りの際だったのでしょうか、それともカリブ海の弦楽器のバンドが始めたのでしょうか。いろいろな説はありますが、明確な起源は分かっていません。
 アメリカで人気が出てきた頃、ラグタイムはベートーベンやブラームス、またショパンなどのクラシック音楽と一緒に演奏されました。「ラグタイムの南北戦争」が起こったのはその頃です。一方にはラグタイムの演奏家達とそのファン、もう一方にはクラシック音楽の愛好家達。
 実際、これは一方だけが戦っていた戦争でした。上級階級はラグタイムを「酒場の音楽」と見下しました。(上級階級の所有する)新聞はラグタイムの事を「アメリカ音楽とモラルの腐敗」と評しました。(上級階級をパトロンに持つ)境界の聖職者達はラグタイムの事を「何と罪深い!悪魔とその悪友による作品だ。」とけなしました。これらの「純粋主義者」には『学校にも行かず音楽教育も受けていない』ラグタイムの演奏家が、米国中で演奏旅行をしていたパデルースキー(ポーランド人)、マクドウエル(アメリカ人)、ルビンシュタイン(ロシア人)と言った偉大なコンサートピアニストにたいし、なぜ互角に勝負して人気を博す事が出来たのかがわからなかったのでした。
 さてラグタイムの方はそんな事を気にしていたでしょうか?彼らはただ音楽を演奏し、耳を傾け、足を踏み鳴らして楽しんでいました。気難しい批評家達とは打って変わって、彼らには音楽を心から楽しむ者だけが見せる笑顔が絶える事はありませんでした。

文:「ラグタイム・ボブ」ミルン 
米国ミシガン州より 
訳:鈴木マイヤーズ&アソシエーツ社 


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ラグタイム物語 004
(5/9/2001)

クラシックピアニストの反応

 以前にもお話しましたように、ラグタイムがもっとも盛んだった1897年から1917年当時、クラシック音楽の演奏家はラグタイムを嫌っていました。でもこれらの演奏家はクラシック音楽の真の歴史を知らなかったのです。

  • 例1 クラシックの演奏家は当時楽譜を使っていましたが、ラグタイムの演奏家は楽譜を使いませんでした。それでクラシック派は自分達の方が優れていると考えましたが、バッハ、モーツアルト、ベートーベンなどもっとも偉大なクラシック音楽の開拓者達は楽譜なしで演奏していました。
  • 例2 クラシックの演奏家は鍵盤の白いキーの方が楽譜に書きやすいため、主に白いキーを使って演奏していましたが、ラグタイムのピアニストは黒いキーの方が弾きやすかったため(又楽譜にこだわらなかったため)黒いキーを好みました。それでクラシック派は自分達の方が優れていると考えましたが、偉大なピアニスト及び作曲家のショパンはラグタイムの人達と同じ理由で黒いキーを好んで使いました。
  • 例3 ラグタイムの演奏家は酒として酒場で演奏しました。それでクラシック派は自分達の方が優れていると考えました。しかしモーツアルトは初期には酒場で演奏しましたし、ブラームスもほとんどその生涯を通じ酒場で演奏しました。
  • 例4 多くの大衆がラグタイムを聞いて踊りましたので、この『流行』音楽に比べクラシック派は自分達の方が優れていると考えました。しかし初期のヨーロッパの交響曲には踊りを目的としたもの(ガボット、ミニュエット、アレマン等)がたくさん含まれています。当時の優れた作曲家達は、大衆が自分達に結び付けられる音楽を求めていた事を知っていたのです。

(By the way, we look forward to meeting many of you during our visit to Japan this coming December, 2001.)

文:「ラグタイム・ボブ」ミルン 
米国ミシガン州より 
訳:鈴木マイヤーズ&アソシエーツ社 


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ラグタイム物語 005
(6/21/2001)

ロッドに忍び込んで
(無銭乗車の汽車の旅)

 蒸気機関車の時代には、ホイールブレーキはエンジンにある蒸気ピストンによって制御されており、それを結ぶ長いロッドが、汽車の全長に渡りホイールブレーキを連結していました。これらの長いロッドは汽車の本体の下にありました。汽車賃が払えずそれでもどうしても旅しなければならない気丈な者は、汽車が広大な荒野をぐんぐんと進む間、鉄道線路の数センチ上を走る心地悪いロッドの上に横になりただ乗りをしたのです。

 アメリカでは楽器を弾ける者は誰でもフォーク音楽を作りました。音楽家たちは国中を回りながら、人々が集まって音楽に耳を傾ける場所に行き、それぞれの独自のスタイルと特技をお互いに学びあいました。これは、教会、踊り場、祭り、酒場、大家族の家のポーチなどといった場所でした。

 音楽家たちは食事と引き換えに宿屋でも演奏を行いました。馬に乗れれば汽車より安く歩くよりよほど早かったのですが、馬を買うだけのお金のある音楽家たちはほとんどいませんでした。そこで多くの音楽家たちは汽車の『ロッドに忍び込んで』旅しましたが、運悪くロッドから転がり落ちて車輪の下敷きになる者もいました。天気も運も良ければ、低い橋から飛び降りてゆっくりと走る汽車に潜り込むことが出来ました。

 1880年代にラグタイムはシカゴやニューヨークのような都会でも田舎町でもアメリカ中で流行しました。大都市ではカラフルでしゃれた制服を着たブラスバンドが金持ちのパトロンのためにラグタイムを演奏しました。当時シカゴの大きな鉄道駅の近くで大きなバンドが制服を着込んで演奏していた一方、田舎から来たラグタイムの音楽家たちは制服の代わりに見すばらしい格好で『ロッドに忍び込んで』無銭乗車をしていたことでしょう。

文:「ラグタイム・ボブ」ミルン 
米国ミシガン州より 
訳:鈴木マイヤーズ&アソシエーツ社 


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ラグタイム物語 006
(1/24/2002)

 アメリカのラグタイム時代の特徴は何千人ものピアニストが酒場でピアノを弾くことで生計を立てていたことでした。そのため誰が『最高』なのか、しのぎを削りあっていたわけです。そんなところから、伝説的な『カッティングコンテスト』が生まれました。即ち鍵盤上で誰が一線を画した演奏をするかを競い合ったのです。

 このようなコンテストはよく『家賃パーティ』で行われました。誰かが家賃を払えなくていざ追い出されそうになると、家賃代を稼ぐためのパーティを催すことが良くありました。パーティには普通何人ものピアニストが招かれましたので、パーティが始まるのは酒場がはねてからの時間、つまり午前1時や2時ごろでした。勿論近所の人達がこういったパーティを毛嫌いしたのは言うまでもありません。うるさくて眠れなかったのですから。ピアニストたちはやってくると早速他のピアニストが怖気づくようにとやたらに難しく真似が出来ないような曲を30分も立て続けに弾いたものでした。一人が終わると前のピアニストに優るとも劣らないテクニックを披露する、といった具合で(前のピアニストに劣るとピアニストはピアノの椅子から引きずりおろされてしまいました)、これが明け方まで続いたのです。お客たちはパーティ代を少々払ってサンドイッチを食べ、違法なお酒を飲みました。(この上げ銭が家賃に当てられたわけです)こういったパーティはよく「ブギー」と呼ばれていました。『来週ブギ−をやるんだが、、』という使い方をしたのですが、『ブギウギ』という言葉はこんなところが語源になっているのかもしれません。家賃パーティで演奏した音楽は「ストンプ」(足を踏み鳴らすこと)、『シャウト』(叫ぶこと)、「ホウラー」(怒鳴ること)と呼ばれましたが、これは近所の眠れない人達がつけた名前だったのでしょう。

 家賃パーティの終わり方はいろいろで、1)日が出て皆仕事に行かなければならなくなった、2)パーティの参加者全員がごろ寝してしまった、3)警察が来てパーティがおじゃんになった、などなど。ラグタイムの歴史の中で、家賃パーティは有名なものです。家賃パーティの名ピアニストとして知られた人達には、ジェームスP.ジョンソン、ファッツ・ウォーラー、ウィリー(ライオン)スミス、ラッキー・ロバーツ、ジェリー・ロール・モートンがいます。

文:「ラグタイム・ボブ」ミルン 
米国ミシガン州より 
訳:鈴木マイヤーズ&アソシエーツ社 


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● Ragtimist、Bob Milneさんによるニュースレターを掲載しています。Bob Milneさんについての情報は、Bob Milne - Ragtimist のホームページをご覧になって下さい。
● このニュースレターを翻訳して下さっているのは、Steven D. Myersさんです。Steven D. Myersさんについての情報は、Suzuki, Myers & Associates, Ltd. のホームページをご覧になって下さい。
● 本連載に関するご意見・ご感想はJRC事務局(ragtime@zac.att.ne.jp)までお寄せください。
ラグタイムと太神楽の公演の記事もご覧になって下さい。




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