独りごと
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2002年9月17日の独りごと

先日、地元の地方新聞の投稿欄に「身障者用の駐車場に心ない人の健常者の車が駐車されていて、身障者が狭い健常者用の駐車場に止めてくろうしていた」という投稿が掲載されていた。
この投稿が掲載される以前、何かの記事で「身障者専用の駐車場は、車いすを広げて乗り移れるだけの広さを設けている」とかかれていたのを読んでいたので、たとえ身障者用の駐車スペースが空いていても使わないようにしている。
まぁ、これはモラルの問題なので、使う使わないの判断は、それぞれなのであろう。

同じ車いすの人の話で、少々話は異なるが、夏が始まる前に郵便局のATMで車いすの人が苦労しているのを見かけた。
健常者の私は、ATMを使う事に苦労したことはあまりない。
上から見下ろす液晶画面もはっきり見えるし、使い勝手もそんなに悪いとは思えなかった。
しかし、車いすのその人は、ATMに通帳を差し込むだけで大変苦労しているようだった。
通帳を入れる部分が少々高いのである。
腕の力を使って前に乗り出して入れようとしていた。
おまけに、液晶がはっきり見えないのか、使い方そのものをあまり理解していないのかはわからないが、先に取引ボタンを押さないと通帳が入らないという事がわからなかったらしく、必死に通帳を入れようとしていた。
背後にいた私は、どういう取引をしたいのかを問い、取引のボタンを押してあげ、通帳を入れてあげた。
そこから先は、暗証番号とかのご本人だけの事なので、必要以上の親切は不要と判断をし、ATMを後にした。

機械を作る基準はそれぞれだと思う。
身障者に合わせてしまえば、健常者が使いにくくなるのかもしれない。
それならば、健常者と身障者両方が使いやすくなるものはないのだろうか?
ボランティアも必要であると思う。しかし、身障者にもプライバシーはある。
特にATMなど現金引き出しに関するものは、個人の重要な秘密なのであるから、身障者も健常者も一緒のハズである。
確かに、目の見えない方用には工夫が施されているものは多いが、それ以外はどうなのだろうか。
この出来事で少し考えるようになった。
バリアフリーと段差などばかりが、注目されているが、公共の施設のカウンターは?銀行のカウンターは?郵便局のカウンターは?
健常者の私がカウンターに腕をあげ、使いやすいのである。となると車いすの人は明らかに高さが合わないのではないか?

難しい問題なのである。本当に。安易にはできないものである。それでも身障者と健常者、両方が過ごしやすい社会になれればいいなと思う。
青森県知事は社会福祉立県を唱っているが、残念ながら今はあまり見えてこない。
冬季東アジア大会、14億円横領と多額のお金を使いその結果が見えてこない事ばかりではなく、少し社会的に役に立つ事でお金を使ってみてはどうだろうか。

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2002年4月21日の独りごと

私が住む町、青森県弘前市も今年は最速で桜がやってきた。
ただいま、満開から散りはじめ。本日が最後の見頃かも。
弘前公園が自宅から近いので、この季節は毎日桜の見物に行く。
昨晩も、月と桜と出店を見物しにいった。そこで、思わぬ光景で出くわした。

時刻は夜の8:00をまわっていた。満開とあって、人出も最高潮、花見の宴も絶好調で、まつり会期前ということもあって、入場料無料の本丸では、沢山の宴会で盛り上がっていた(ちなみに、弘前公園は「さくらまつり」期間中は、本丸への入場料は有料となる)。
人の波に流されながら、私も本丸へと下乗橋を渡り歩いていた。
その反対側から、宴ですっかりできあがってしまった、ご一行様が向かってくる。
その手元には、桜の花がついている大きな枝があったのである。
地元の見物客、他都市からの観光客のみなさんの目はその枝と、持っている人に釘付けになってしまったのである。
持っている人は、お酒で酔っぱらい、桜の枝をもってご満悦。観光ガイド気分でほかの酔っぱらいのみなさんを引率していたのである。
どのようないきさつで、その桜の枝を手にしたのかわわからないが、その枝を高々と掲げ、観光ガイド気分で人の波をかき分ける光景はあまりにも酷い。

日本一の桜の木の本数は、間違いと訂正されてしまったが、地元に住んでいる私にとっては、やっぱり日本一なのである。
桜の本数ではなく、園内にある沢山の桜、その桜と城の美しさが日本一だと思っている。その美しさを維持するために、弘前公園の桜は一年を通して、沢山の人の手で手入れをされている。
その手入れがされた美しい桜の下で、宴をひらき、桜を愛でることができるのである。
長い雪国の冬が終わり、春を告げる桜の下で宴を開くのは、とてもステキな事だと思うが、酔っぱらいすぎて、理性を失い、枝を折るなどという事はしないでほしいと思う。

桜の木の枝で咲いている桜の花が一番美しいのですから。

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2002年4月8日の独りごと

我が家はまだフレッツISDNである。
もちろん、在住している青森県弘前市でもNTT東日本の回線フレッツADSLは開通しているが、我が家ではまだフレッツISDNである。
さっさと、ADSL回線にしたいのは山々であるが、どうしても踏み切れない。
その理由はフレッツISDNにしたときまでさかのぼる。
フレッツISDNにしたのは2年ほど前。
弘前に引っ越しをし、フリーで仕事を始めた時だった。
首都圏では当たり前だったフレッツISDNはまだ開通しておらず、とりあえずはISDNでしのぎ、フレッツISDNが開通した直後に切り替えた。
ADSLを待つことも考えたが、フレッツISDNに、ものすごい時間がかかっていたという事から考えればとりあえずは、通信コストを下げるうえでもフレッツISDNに決めておこうということだった。
ところが、ADSLはものすごいスピードでやってきたのである。
フレッツISDNに切り替えた3ヶ月後、フレッツADSLが開通してしまったのである。
「騙された。」訳ではないが、心情的にはそんな感じである。
さて、それではADSLに切り替えればよいではないかという事になるが、簡単にいかないのである。
まず、電話番号の問題。できるかぎり変更は避けたい。が、デジタル回線からアナログ回線にするからには、電話番号の変更は必至。
そこから踏み切れない。そして、工事費用などの費用もばかにならなくなってくる。
それでは、他社xDSL回線を使うのはどうかと検討してみても、工事までの時間がかかりすぎたり、費用面などで踏み切れない。
そして、いろいろと考えているうちに新しい「光ファイバー」が登場しはじめた。
相変わらず、Bフレッツも開通しそうでしない日々である。が、ここまでフレッツISDNできてしまったのである。いっきにBフレッツにしてしまおという私の決心はちょっぴり、固い。
ちょっぴりと書いたのは、いつxDSL回線に揺らぐかわからないからである。

地方はまだまだ通信後進国である。
地方と首都圏との情報格差がなくなりつつある今こそ、首都圏と地方と同じスピードで整備すべきではないだろうか。

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2001年9月17日の独りごと

この独りごとで携帯電話について書いたことがある。
若者向け、年輩り向けというような事でした。
若者向けの携帯電話は凄い勢いで進化をしている。1年半前の私の携帯は時代の遺物のような感じで友達にみられてしまう。
しかし、携帯電話というものについて年輩の方にはまだまだ敷居が高いようである。
特に老齢者という分類になる方には。
しかし、敷居が高くても現実の問題として持たなければならない状況にもなっている。
ある年輩の方が、ひさしぶりに1人で買い物に出かけた。街には家族が車で送ってくれた。
久しぶりの街は、気分も晴れやかになりとても満足できたそうだ。
家を出る時に家族が、帰りは迎えに行くからと言われていたので、電話をしようとしたが、公衆電話が見あたらない。
百貨店の中にはあったが、せっかく街まできたのだからと百貨店を出てぶらぶらとしていた。にぎやかな商店街だから電話くらいあるだろうと、家の方向に向かいながら電話を捜した。しかし、百貨店から離れても、自宅に近くなっても公衆電話は見あたらない。
昔の記憶をたどり、店先にある公衆電話を思い出し、その店の前にたどり着くとあるはずの公衆電話がない。
銀行の前の電話ボックスもボックスはあるが、電話がない。
そんな状況を繰り返しているうちに、とうとう自宅まで歩いてきてしまたのである。
この電話を捜してさまよった結果、体調を崩して翌日は一日寝てしまうというはめになった。
携帯電話の普及により、公衆電話はどんどん撤去されてしまう。百貨店の中でも公衆電話を捜すのは結構大変だったりする。
こうなってくると、年輩の方特に高齢者の方も思い切って携帯電話を持つしかないのかもしれない。
簡単操作で文字が大きく、電話をかけるという機能に限定した電話でいいから、年輩の方が「これなら大丈夫」という携帯電話が出てくることを願う。
30代前後の人間が考えている以上に年輩の方は、新しい機械の取扱に苦労しているのだ。
今でも十分簡単なハズと思っているかもしれないが、それでも難しいと思っている年輩者が多い。

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2001年8月9日の独りごと

ご近所さんの奥さんがIT講習会なるものに参加した。
最初は快調に聞いていたが、周囲を見回すと既に経験者らしい人ばかりらしい。
分からなくなってくると、聞いてはみたものの自分ばかりが先生を呼び止めているようで申し訳なくなってきたそうだ。
その人はまだパソコンをもっていなかった。IT講習会で習ってから購入を検討する予定だったが、急遽一回目の講習会を終えてからパソコンショップに駆け込み、購入してしまった。
そして、講習会で学び、家でも勉強するという日々を送ったらしい。
今年の春からIT講習会が本格的にはじまった。
内容を聞くと、インターネットとメールを覚えるということらしい。
ただ、この内容でIT業界に就職できると勘違いしてもらっても困るのである。
その昔、Wordで文字を入力できるだけでWordを使えると豪語した方がいらっしゃり、切々と説明をしたことがあった。
つまり、ブラウザを開いて、教えてもらったページを開けるだけでは使えるとはならないのです。
莫大な情報の中から必要な情報を探し出したり、メールを使って書類をやり取りしたりというような事ができるようになって、最低限使えるというようになるのです。
そこまではIT講習会では教えてくれないと言う人もいるが、IT講習会で習ったことを足がかりにしてどん欲に突き進んでいく事ができれば、IT講習会を生かしたと言うことになるでしょう。
つまり、IT講習会で習ったことを生かすも殺すも受講した人次第なのです。
IT講習会に参加している既に経験者と思われる方たちは、もしかしたら一同はギブアップしたのかもしれない。それでも今一度、または最後にもう一度と思って参加したのかもしれない。
それは、既に経験したことを殺してしまいたくなかったのかもしれません。
いずれにしてもせっかく国が無料で開催してくれるのです。基礎を覚えましょう。そして、もし、時間に余裕があるのならIT講習会で習った事を足がかりにしてどん欲にネットの世界を泳いでみませんか?
自由に泳げるようになったら素晴らしい世界に出会えるかもしれませんよ。

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2001年5月29日の独りごと

最近連続して大型電気店に出向く機会があり、最近のパソコンを眺めることができた。
最近のパソコンたるもの、ディスプレイの表示がテレビなみ。
私が今つかっているCRTディスプレイとは段違いに美しく、テレビ並。
もちろん、売り文句は「DVDが見れる。」
ちょっと前まではDVDが見れてもディスプレイで見ると思うと抵抗があった。だからこそとりあえずはゲーム機でと思うのであったが、ちょっと考え方が変わった。
だけど、依然パソコンでDVDというのに抵抗もある。
その理由は、ごろ寝をしながら見ることができないと想像してしまうからである。
DVDやビデオは居間や自室でごろ寝をしながら見たいと思っている。がパソコンは机にあるものと想像してしまう。
そのパソコンで椅子に座り、見るというのは仕事の延長戦のような気がしていただけない。
と思っているうちに、もしかしたら居間にパソコンがテレビの代わりに陣取る時代がきてしまうのだろうか。

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2001年5月18日の独りごと

携帯電話の最近の傾向は、情報ツールとしての電話と高齢者向けの電話の2種類がある。
私のは、どちらかというと後者のほうになるのではないだろうか。
購入したときは、最新型の携帯電話でちょっとしたメールもできていたが、emailはできない。
現在は、emailもインターネットもできるのがアタリマエ。
それでもお友達まで作っちゃうのが、普通(?)らしい。
しかし、電話としての基本機能だけが搭載されている電話もまた健在である。
高齢者向けに必要な機能だけのものである。
ボタンに番号を登録して、押すだけで登録先につながるのである。ワンタッチの便利さである。
高齢になると新しいものについていけない。でも、便利な携帯は持ちたい。そう考えているお年寄りも多いはずである。
高齢者が携帯を持つことによって、本人を含め家族みんなが安心できるのなら、もっとも便利なツールと言えるのではないだろうか。 これこそ、本当に必要とされている携帯電話ではないだろうか。

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