コンタクトと瀬名秀明さん雑感
2001年7月20日
前からCJのアフターレポートを読んだりしていたので、なんとなくイメージはつかんでいたものの、それでも去年初めてCJ4に参加したときはドキドキだった。
なんちゅうか、どんな風にして、何をとっかかりにしてひとつの恒星系を設定し、そこに進化するであろう生命体をシミュレーションし、そんでもって生まれた知的生命体がどんなメンタリティ・文明観・科学技術を持ちうるかを考えていくのか、という過程・スタンスがなかなか実感できなかったのである。
宇宙のどっかには僕らにまったく認識・理解の手がかりすら与えられないほど違った知性が生まれるかもしれないわけじゃん。でも僕らも認識できないものについては考えようがないので、まあ「どんなレベル・とっかかりで」話を進めるのだろか? ってな疑問である。
参加してみてなんとなく感じたのは、「そうか、CJって、ハードSF作家が小説のアイデアを練るようなやり方でやっていくのね」ということである。そのハードSFの“流儀”みたいなもんも僕は大好きなんだけど、当然どんな流儀にも限界はあるわけで、冬樹蛉さんが「ΑΩ」の感想(6月24日、25日)で書いている、認識できない存在をどう小説に描くか(異星人“ガ”がパーセクを使っているとか)といった問題なんかもとっても重要で、そこにレムの凄さも絡むんだけどさ。
んで、何が言いたいかっていうと、そんなだから瀬名秀明さんがSFセミナーの講演でCJの写真を見せて「CJは異星人とコンタクトする前に瀬名秀明とコンタクトすべきでは?」と冗談交じりに言っていた言葉もとっても意味あるわけだなあと。なんでこの流儀はおっけーで、僕(瀬名さん)の流儀は不満なの? という問い。
これに対して野尻さんはSFオンラインに載った瀬名講演レポートの中で「ハードSFの流儀としては瀬名作品ココが不満」みたいのを書いていて、両方がどう違うのかといった相対的な視点は、改めて僕も再認識した気分。
この間DC2で名古屋へ行った時こんな話をとりとめなく、酔った勢いで野尻さんにしてたのだった。結論ない繰り言でスミマセン>野尻様
もちろんCJのスタッフも、こういった流儀の限界問題を“ないものとして”お約束でなんとなくやってるわけじゃなく、まだまだ試行錯誤中なわけだ。皆が集まる「イベント」としての面白さもなるべく両立させなきゃ続かないしさ。
CJ代表の大迫さんによると、もともとCJは文化人類学の方面から生まれたアイデアらしい。
でもこれちょっと大事で、文化人類学ってやっぱり「一見どんなに異質に見える文化でも、同じ地球の同じ種族なんだからどっか同じところもあるかも」という前提で「じゃあどこが違うの? どこが一緒なの?」って研究から人間理解、文明理解を深めようって学問だと僕は理解しているので(違うかも)、こういう“流儀”がアメリカの本家CJにも少し浸透しているのなら異星人を扱うとはいえCJってそういう方向なのかなあ? とも考えちゃう。僕の知る大迫さんは文化人類学に造詣が深い。
文化人類学も今は高度に細分化してるし、近年は研究者がその文化に入り込んで研究していると「観測問題」みたいなもんも起こっているようだし、僕も理解が浅いんだけどさ。
この話を帰りの新幹線で森君にしてみたところ、「大迫さんは多分こう考えているんじゃない?」という意見をもらったけど、酔っててちゃんと書けるほど覚えてないや(^^;)。すまぬ>森様
このいろんな流儀のどれが気に入る・入らないかという評価軸はいろいろあるわけで、SFやCJのどこが楽しいと思っているのかによって、いろんな人のいろんな楽しみ方があると当然ながら思う。
僕個人はどうかというとちょっとやっかいなタイプで、もともと人間的なものに興味があって社会学・哲学系に関心があった。でも今の人間というものを考えるに科学の知見・影響をちゃんと押さえなきゃ意味ないなと思っていたところへ大学時代に小松左京を再発見して、イカレちゃったやつである。グレッグ・イーガンがゴリゴリの宇宙原理主義者を皮肉っている部分を野尻さんが自分の掲示板で「さすが!」と話題にしていたけど、僕もそんなヤツだったわけ。
1960〜70年代の小松文学の到達点は確かに今なお偉大だし、小松左京の凄さはそれだけぢゃあ全然ないのは皆も承知だろうけど、年食ってようやく多少相対的に見られるようになってきたかな? ちなみに一番好きなのは「すぺるむさぴえんす号の冒険」(←だっけ)。これだけは昔と変わらんなあ〜。
そんなこんなで、僕は小松左京、あと橋本淳一郎的な方向がなんとなく好き嫌いのベースにあるらしい。それだけじゃないとは思うけど。そんな視点から見て、僕の中ではクラーク好きとソウヤー好きとスターリング好きとイーガン好きと小松好きと筒井好きと眉村好きと瀬名好きと野尻好きが(他にもいっぱいあるけどあえて方向違うっぽいの代表で出してみた)それぞれの位置づけで僕なりに両立している。
まあ、瀬名さんとハードSFの方向性、流儀の違いについては、今度のSF大会の企画で大体双方納得するのではと思っている。理解はすでにしてると思うし。がんばってね〜>のだ様
それよりも大事っちゅうか興味があるのは瀬名さんのSF活性化のための提言のほうなんだけど、それについては思うこと多し。瀬名さんの「SF作家はもっとノンフィクションを書くべき」という話も「みんなが瀬名さんみたいに科学解説書書けないよ〜」とか思っていたら、エッセイや紀行文みたいなものを含めた話をしたつもりだったそうで、これは出版的に考えてみるとなかなか大きな意味があるなあと思い直した。
まとまんないけど時間出来たらまた書きます。
*「流儀」って言葉、なんとなく便利なので勝手に個人的に使ってます。