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| ●外は内、内は外。その2 | |
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| ●必要な部屋はなに? | |
| ●しかし、昔には帰れない、帰らない | |
| ●ソフト面の寿命とハード | |
| ●リサイクルからリユース、そして美しく古くなる事 | |
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外は内、内は外。 古来日本は温暖な気候から、自然と共存してきた。晴、雨、雪、風、四季、光、香り、太陽、月、星、雲、植物、虫・・・・何と多様で豊かなことか。この豊かなことを住まいに引き寄せずにいることは、もったいないことだ。厚い壁で遮断するなんてもったいない。外でも家の中にいるみたいに暮らせるよう、内でも外にいるみたいに暮らせるようしたい。人は自然から生まれたのだから。 最近の車や電車は、窓が開いているのを見たことが無い。1年365日24時間、完全な機械でのコントロール?何を得て何を失っているのだろう?せめて家では、失ったものを取り戻したい。徒然草のような物語が、現在の住まいから生まれないのは貧しい事だと思うから。 |
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外は内、内は外。 人は他の人なしでは生きていけない。人は都市になぜ引き寄せられるのだろう。人の営みの集合がエネルギーを生む。魅力的だ。この魅力的な風景を住まいに引き寄せずにいることは、もったいないことだ。厚い壁で遮断するなんてもったいない。住まいと街とをつなごう。家の中でも街の風景を見ていたい。人は社会の中で生きているのだから。 |
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家、そして部屋ってなに? 家族の出発点をカップルと考えると、そのカップルが必要な「部屋」って、突き詰めればなんだろう?トイレとお風呂以外にそれなりのスペースさえあればいいはず。その部屋の名前にリビングやダイニングや寝室などとつけるのはあまり意味がない。そういう名前がついた部屋が必要というのではなくて、いろいろな生活の行為を快適に出来るスペースさえあれば事足りる。それはカップルが子供を生みファミリーになっても同じである。よくいうnLDKという表現のなんと類型的なこと。短絡的なこと。LDKが付けば家になるわけではない。それでは下宿屋とあまり変わりがない。大事なのは、そこで何が出来、見え、感じ、豊かになれるかという事だ。 でも個人スペースは必要。子供であってもいずれは独立した個人である。あるいはカップルであっても、お互い独立した個人だ。人は、独りではないが独り。独りではない部分が上記に述べたスペースだとしたら、独りの部分は個人のスペース、個人の核になるスペースは必要である。家、住居には「独りではない」スペースと「独り」のスペース両方が必要なのだと思う。 |
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日本の伝統的な住居を住みこなすのは大変である。なぜなら、生活様式も家族構成も周囲の環境も変わり、それに伴う工法や材料や設備は変化し進歩している。伝統的な住居が豊かだとしても、それはやはり一面的なことである。産業革命から百数十年、工業製品は身近な存在であるし、豊かな生活のためには必要なものもある。思えば、手作りの物と同じくらいに、工業製品は自分たちに寄り添っている。それを全て捨てる事は出来ないし、捨てる理由はどこにも無い。大事なのは、選択する勇気と考察だと思う。伝統的な物・技術、現代的な物・技術、を同じレベルで観察し、自分の生活スタイルに適切な物はどれかを探る。 |
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住宅の寿命とはなんだろう?もちろん、物理的な寿命がすぐに考えに浮かぶが、現実には間取り、プランニングの寿命や大きさに対する寿命のほうが早く来る事が多い。
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最近、リサイクルという言葉に接する事が多い。しかしよく観察してみると、その中身は「リサイクル・再生処理」と「リユース・再使用」とに分かれるようである。 大量生産・大量消費の中で、エネルギー・環境危機が、私たちの実生活に影を落とし始めた現在、リサイクルという言葉がキーワードになりつつある。建築の解体・廃材処理もリサイクルが義務付けられた。が、この言葉を免罪符にしてはならないと思う。それは「リサイクル・再生処理」も消費だからである。もちろん、使い捨てよりははるかによい事であるが、ここはもう一歩進んで、「リユース・再使用」を意識してはどうか。とことん使い込む、転用する、メンテナンスして長持ちさせるなどなど、リサイクルする前にもう少しリユースを。もちろん個人の力では限界があるが、せめて小さな一歩を。 設計を生業にする私にとっても、リユースという言葉はキーである。好むと好まざるとに関わらず、新しいものを作る機会が圧倒的に多い中で、リユースとはどういう意味をもつのか。それは、私の設計する建築に、建築をリユースする動機付けがどれだけ仕込めるか、という視点に立つ事である。もちろん機能的なことも当然ある。上記コラムで書いた、外壁のみに構造体を配するというのも一つ。又、メンテナンスの容易さというのもあるだろう。が、リユースの最大の動機付けは、「美しさ」や「愛着」など、時間に負けない魅力を持つ事ではないだろうか。「美しく古くなっていく」ことのへの視点は、忘れたくないものである。 種々の新素材や新商品は、なかなか「美しく古く」なってくれない物が多い。それらは、古くなったら新しい物に替えたい衝動に駆られる。いつまでも新品同然という視点からの商品開発は目に付くが、「美しく古く」なっていく視点は、あまり見当たらない。「新しく」「若い」のがいいという価値観は、大量生産・大量消費の経済活動の大きな支えとなっているには違いないのだが。 建築とは少し外れるが、ここまで書いて、ふと思う事がある。「新しく」「若い」ものに価値があるという価値観は、人にとって辛い価値観ではないのか?なぜなら人は等しく歳をとる。「時間が経てば経つほど価値が無くなる」を人に当てはめていない、とは言えまい。これが、動物学的な「生き物」としての原則ではなく、大量生産・大量消費の経済活動の代価だとしたら、苦々しい事だ。 |
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