人物列伝

ら行

六角承禎

佐々木(姓)、義賢、左京大夫

1521〜1598 戦国大名、観音寺城主
佐々木源氏の惣領六角氏の当主。南近江に勢力を張る。父定頼とともに足利義晴・義輝父子を擁護し、度々上洛して三好氏や松永氏と戦った。しかしその間に有力家臣の台頭や浅井氏の離反を許し、また1562年子の義治が観音寺騒動と呼ばれる内紛を引き起こしたことにより家中の統制力を決定的に弱めた。1568年信長の上洛に際して敵対の態度をとったが、支城の陥落と家臣団の降服をみて戦を断念、観音寺城を退去した。以後は甲賀地方に拠り、反織田勢力と結んで江南各地でゲリラ活動を続ける。しかし1573年浅井・朝倉氏の滅亡を受けて抵抗を諦め、近江を離れて各地を流浪した。1598年宇治で死亡。

しぶとい、しつこい、ついでに名門。敵にはしたくないタイプだ。

 

六角義治

義弼、四郎右衛門督

1545〜1612 観音寺城主
承禎義賢の子。14歳で家督を譲られて観音寺城主となる。1562年対立していた有力家臣の後藤賢豊を殺害するが、この処置に反発した家臣団の離反・叛乱をまねいて支配力を弱めた(観音寺騒動)。1568年信長の上洛軍を前にして観音寺城を退去し、父とともに南近江の各地で抵抗を試みるが、浅井・朝倉氏滅亡後織田勢の攻勢を受けて近江を退く。その後は武田氏の元に身を寄せ、武田氏滅亡後は流浪のすえ豊臣氏に仕えた。

この手のドラ息子は家を潰してもどっかで生きのびるパターンが多い。今川氏真とかね。

 

 

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