信長年譜

訳したところまでの年譜です

年齢 事跡

1534(天文3)

1542(天文11)

 

1544(天文13)

1546(天文15)

1547(天文16)

1548(天文17)

1549(天文18)

1552(天文21)

 

 

1553(天文22)

 

1554(天文23)

 

1555(弘治元)

1556(弘治2)

 

  

    

1557(弘治3)

1558(永禄元)

1559(永禄2)

 

1560(永禄3)

1561(永禄4)

     

1562(永禄5) 

 

1563(永禄6)

1564(永禄7)

1565(永禄8) 

 

1566(永禄9)

1567(永禄10)

 

 

1568(永禄11)

巻一

 

1569(永禄12)

巻二

 

 

 

1570(元亀元)

巻三

 

 

 

 

 

 

 

 

  

1571(元亀2)

巻四

 

 

 

1572(元亀3)

巻五

 

 

 

 

 

 

1573(天正元)

巻六

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1574(天正2)

巻七

 

 

 

 

 

 

 

 

1575(天正3)

巻八

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

1576(天正4)

巻九

 

 

 

 

 

 

1577(天正5)

巻十

 

 

 

 

 

 

 

  

1578(天正6)

巻十一

  

  

  

  

  

   

  

  

   

   

     

1579(天正7)

巻十二

   

  

    

   

  

      

  

   

  

1580(天正8)

巻十三

  

   

  

  

   

  

1581(天正9)

巻十四

  

   

   

   

   

   

   

   

   

1

9

  

11

13

14

15

16

19

 

 

20

 

21

 

22

23

 

 

 

24

25

26

 

27

28

 

29

 

30

31

32

 

33

34

 

 

35

  

 

36

 

 

 

 

37

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

38

 

 

 

 

39

 

 

 

 

 

 

 

40

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

41

 

 

 

 

 

 

 

 

 

42

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

43

 

 

 

 

 

 

 

44

 

 

 

 

 

 

 

  

  

45

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

    

46

  

   

  

  

  

  

  

  

  

  

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48

  

  

  

  

  

   

   

   

   

   

5月11日または12日 織田信秀次男として生誕 母は正室土田氏 幼名吉法師

この年那古野城に移る?(1段)

8月 小豆坂で信秀率いる尾張勢と今川勢が激突(小豆坂の合戦 2段)

9月 信秀、美濃国稲葉山城に押し寄せるも大敗を喫する(4段)

元服 織田三郎信長と名乗る(3段)

三河国吉良大浜へ初陣(3段)

斎藤道三息女と結婚(7段) 

今川軍安祥城を攻略 捕虜にした織田信広と当時尾張にいた松平竹千代とを交換する

3月 信秀死亡(天文18年説・20年説もあり)、家督を継承する(9段)

4月 離反した鳴海城主山口教継親子と赤塚で戦う(11段)

8月 萱津で守護代織田家の老臣坂井大膳率いる清洲勢を撃破(12段)

傳役平手政秀が自殺する(9段)

4月 正徳寺の会見 斎藤道三と会見 その耳目を驚かす(10段)

正月 斎藤道三の後援を得て村木城を攻める(16段)

7月 守護斯波義統殺害 子の斯波義銀が信長を頼る(14段)

4月 叔父織田信光と通じて清洲城を落とす(17段) 信光はこの年11月に死亡

4月上 三河上野原で斯波義銀と吉良義昭が会見(32段) 両者はのち信長排斥を画策(33段)

4月下 長良川の戦い 舅斎藤道三が討死する(30段)

8月 稲生の戦い 信長直轄領を横領して敵対した林秀貞・柴田勝家ら弟信行勢を破る(18段)

庶兄信広、清洲城奪取を企てるも失敗(19段)

11月 柴田勝家の密告により清洲城で弟信行(信勝)を誅殺(25段)

7月 浮野の戦い 織田信賢勢に大勝する(34段) 

2月 初の上洛を遂げ将軍足利義輝に拝謁 京では斎藤義龍の討手を牽制(26段)

3月? 攻囲の末岩倉城が降伏(35段) 

5月19日 桶狭間の戦い 未明に清洲を出発し昼過ぎに今川義元本営を襲撃 義元を討ち取る(24段)

4月 西三河梅が坪城を攻撃(25段)

5月 斎藤義龍の死に乗じ美濃へ出陣 森部で斎藤勢を破る(36段) その後墨俣を奪取(37段)

1月 清洲で松平元康と会見 清洲同盟成立する

6月 斎藤龍興と結んだ織田信清の城小口城を攻撃(38段)

2月 小牧への移転を開始(39段) 信長は翌年移住か

8月 内通者を得て犬山城を攻囲 陥落させる(41段)

7月 加治田城の佐藤氏が内通(40段) 宇留摩・猿喰を攻略(42段)

9月 堂洞を攻略(43段)

8月 美濃河野島で斎藤勢に大敗を喫する

8月 美濃三人衆の帰順を機に美濃へ進攻 稲葉山を囲む(44段)

9月 稲葉山開城 美濃支配なる(44段)

浅井長政と同盟 妹市を嫁がせる

7月 足利義昭を岐阜に迎える(首巻45段・巻一)

9月 上洛 7日に岐阜を進発 途上六角氏を破り26日入京を果たす 上洛後畿内諸方面を平定

10月 足利義昭将軍補任 信長は副将軍または管領へ就任を要請されるも辞退 岐阜へ還る

正月 三好勢京都将軍御所を急襲 将軍警固隊と来援軍の奮戦により撃退 信長は岐阜から急行

2月 二条に将軍御所の建設を開始 みずから監督・指揮を行う

4月 御所が完成 翌月岐阜へ帰還

8〜10月 伊勢平定作戦 木造具政の内応を契機として伊勢へ進攻 国司北畠具教親子を降す

10月 次男茶筅丸を伊勢大河内城主とする 信長は京で戦勝報告をしたのち岐阜へ帰還

正月 将軍義昭に五か条の条書を承認させ権力を削ぐ 同時に畿内周辺の諸勢力に上洛を督促

2月または3月 近江常楽寺で相撲を観戦

4月 将軍及び諸大名と能を観賞 将軍より官位昇進の意を伝えられるも辞退

4月末 金ヶ崎退陣 越前朝倉氏を攻めるも浅井氏の離反にあい撤退 元亀・天正の争乱始まる

5月 岐阜へ下る 途中千草山中で狙撃されるも無事

6月 落窪の合戦 柴田勝家・佐久間信盛が六角勢を撃破

6月28日 姉川の戦い 織田・徳川連合軍、近江国姉川で浅井・朝倉勢に勝利を収める

9月 石山本願寺挙兵、交戦状態に入る 20日浅井・朝倉勢が近江を南下 森可成・織田信治戦死

   信長は坂本へ急行 浅井・朝倉勢は比叡山に布陣 以降滞陣が続く(志賀の陣) 坂井政尚戦死

11月 伊勢長島一向一揆が尾張の小木江城を陥れる 城主織田信興戦死

12月 浅井・朝倉勢と休戦 岐阜へ帰還する

2月 誘降に応じ佐和山城が開城

5月上 浅井勢横山・箕浦を攻める 木下秀吉の奮闘により撃退

5月中 第一次長島征伐 伊勢長島の一向一揆を攻めるも惨敗を喫する 氏家ト全戦死

8月 江北へ出兵 南近江の一向一揆勢力を鎮定

9月12日 比叡山焼き討ち 前年の浅井・朝倉勢擁護の報復として比叡山を攻める 僧俗数千人を殺害

正月 長男奇妙丸・二男茶筅丸・三男三七丸を元服させる

3月上 江北へ出兵 小谷近辺に進出して浅井氏を牽制

3月下 京都屋敷の建設を開始

4月 三好義継・松永久秀が背反 畠山昭高配下の交野城を攻める

7月〜9月 江北へ出兵 浅井方の各拠点を焼き討ちするも朝倉勢来援により滞陣が続く

9月 足利義昭に十七条の異見書を提示 暗躍を牽制する(巻六に記述)

10月 武田信玄西上を開始 11月美濃岩村城を陥れる

12月22日 三方ヶ原の戦い 徳川・織田連合軍、武田軍に大敗 援将平手汎秀戦死

2月 足利義昭の命により石山・今堅田に反信長の兵挙がる 柴田勝家・明智光秀らにより鎮圧

4月上 洛外・上京に放火して足利義昭を威圧 天皇の調停により和睦が成立

4月中 近江鯰江城を攻める

4月12日 武田信玄死亡 信長窮地を脱す

7月上 足利義昭、宇治槙島に挙兵 信長は大船で京へ急行

7月18日 槙島陥落、足利義昭京都を追放 室町幕府滅亡

7月下 高島郡へ出勢

8月初 細川藤孝淀城を攻略 三好三人衆の一人岩成友通を討ち取る

8月中〜下 刀根山追撃戦 朝倉勢の退却を追撃し越前へ乱入 朝倉氏滅亡

8月27日〜9月1日 小谷城総攻撃 浅井氏滅亡、妹市とその息女達は救出

9月上 近江鯰江城の六角義治を降伏させる

9月下〜10月下 第二次長島(北伊勢)征伐 周辺土豪を帰服させるも一揆勢の追撃により損害を出す

11月上〜12月上 上洛 若江城に佐久間信盛を派遣し三好義継を敗死させる

12月末 松永久秀が多聞山城を開城し降伏 赦免される

正月 年賀の宴に朝倉義景・浅井久政・浅井長政の首を飾る

正月中 越前国一揆蜂起 国内の織田方諸侍を駆逐する

正月下 武田勢東美濃へ侵入 明智城を陥れる

3月28日 勅許を得て東大寺正倉院の名香蘭奢待を切り取る

4月 六角承禎石部城を退去 抵抗を止める

5月 賀茂社の祭礼に家中の馬を競わせる

5月 武田勢遠江高天神城を囲む 信長は翌月援軍に赴くも間に合わず

7月 長島一揆制圧のため岐阜を出陣 前線の各拠点を落としたのち包囲戦に入る

8月 木芽峠守備の樋口直房が突如退転 甲賀を目指すも羽柴秀吉の追手に討ち取られる

9月 長島一向一揆討滅 一揆勢二万人を焼殺する 庶兄信広・叔父信次ほか戦死

正月〜2月 前年より着手の街道整備事業が完成

3月 京で今川氏真を引見 公家・門跡に徳政を発令する

4月 摂津・河内へ出陣 三好党を破り三好康長を降伏させる 戦後河内国諸城を破却

4月下 武田勝頼三河に侵入 長篠城を攻囲する 信長は5月13日後詰に出陣

5月21日 長篠の戦い 武田勝頼勢を大破する

6月 上洛 途中山中で乞食の猿に憐憫を与える 上洛中は公卿・畿内諸将が参礼

7月初 御所で蹴鞠に出席 式上官位昇進の勅諚あるも辞退 代わりに側近・重臣の官位を進める

7月中 瀬田大橋の再建に着手

8月〜9月 越前国一向一揆制圧 「越前一国は亡国」と称される

10月上 上洛 伊達氏使者や播磨諸豪族の参礼を受ける

10月中 石山本願寺と一時和睦

10月下 妙覚寺で茶会を開催 姉小路頼綱を引見

11月初 権大納言・右近衛大将に叙任

11月中 武田勝頼岩村城後援に動く 信長は岐阜へ急行

11月下 岩村城陥落 城将秋山信友ら刑戮

11月28日 嫡男信忠へ家督を移譲

正月 安土城築城開始 同時に京都屋敷の建造にも着手

4月 本願寺再挙 上方諸将に本願寺を囲ませる

5月上 天王寺の戦い 一揆勢天王寺砦を包囲 信長は京都から急行、囲みを解く 原田直政戦死

5月下 本願寺の周囲に付城を築く 本願寺攻囲戦開始

7月 第一次木津川口海戦 織田水軍、本願寺への兵粮搬入のため東上した毛利水軍と戦い大敗する

7月〜11月 安土に滞在 佐和山の大船を解体

11月 内大臣に任官 同月前伊勢国司の北畠具教を密殺

12月 三河国吉良で放鷹のため東下 岐阜で越年する

正月中 上洛 播州諸氏や若狭武田氏の参礼を受ける

2月〜3月 雑賀攻め 根来杉の坊の内応を契機として雑賀へ乱入 滞陣を続ける 3月下旬停戦

閏7月 上洛 二条新邸で近衛前久の子信尹の元服を行う

8月 上杉謙信越中・能登を制圧 信長、上杉の備えに北陸へ柴田勝家らを派遣する

8月中 松永久秀再度叛逆 天王寺砦を退去し信貴山城に籠城

9月23日 手取川の戦い 織田勢、加賀手取川から撤退中を上杉謙信の追撃を受け大敗を喫する

10月10日 織田信忠信貴山城を攻撃 松永久秀敗死

10月下〜11月 中国征伐開始 羽柴秀吉播磨・但馬へ出兵 上月城ほか毛利・宇喜多方諸城を落とす

11月 右大臣に任官

12月 前年に続き三河吉良で放鷹 留守中羽柴秀吉へ茶釜を下賜する

正月 安土で各国諸侯の参賀を受ける その後清洲・吉良で放鷹

2月 磯野員昌出奔 同月播磨三木城主の別所長治が離反 毛利方につく

3月13日 上杉謙信死亡

4月 右大臣・右近衛大将を辞任(理由は不明)

4月下 毛利勢播磨へ進撃 上月城を囲む 信長、織田信忠らを播磨へ派遣

5月 近畿地方大洪水 信長、播磨出兵を延期する

6月〜7月 織田信忠勢播磨で戦闘 別所方支城を攻略

6月下 淡輪沖海戦 完成した鉄甲船で大坂方水軍を撃破

8月 安土で力士千五百名を集め相撲を開催

9月 堺で鉄甲船を観艦

10月 荒木村重謀叛 信長自ら討伐に出陣

11月上 第二次木津川口海戦 九鬼水軍、鉄船と大筒で毛利水軍を撃退

11月中〜下 摂津陣続く 荒木配下の高山右近・中川清秀、信長に降る 万見仙千代戦死

正月 安土で越年

3月〜4月 摂津荒木村重攻めに出陣 先々で鷹狩をしつつ攻囲陣を固める

5月 安土城天主が完全竣工 信長は11日に正式に移座

5月27日 安土宗論 安土城下で浄土宗と法華宗が宗論を行う 法華方は負けとされ信長に誓紙を提出 

6月 明智光秀、丹波八上城を攻略 城主波多野秀治ら磔刑に処される  竹中半兵衛・武藤舜秀病死

9月15日 信長の内命により松平信康切腹

9月下 織田信雄、独断で伊賀に出兵し敗退 信長より折檻状を送られる

10月下 明智光秀、丹波・丹後平定を報告

10月末 備前の宇喜多直家が帰服

11月下 正親町天皇の皇子誠仁親王、信長より献じられた二条御所に移座

12月 摂津有岡城攻囲終焉 荒木村重の一党を処刑

1月 播磨三木城陥落 城主別所長治、城兵の助命を条件に自害

3月 北条氏政の使者を引見

3月下 売僧無辺を成敗

閏3月5日 石山本願寺和睦応諾 勅諚により和睦と大坂退去に応じる 7日に誓紙提出

閏3月下〜4月 加賀・能登、播磨・但馬の平定進む 信長は鷹狩を行いながら安土城下の普請を指示

8月上 本願寺大坂を退去 石山戦争終結

8月中 佐久間信盛ら重臣追放 佐久間父子および林秀貞・安藤守就・丹羽氏勝を家中から追放する

11月 柴田勝家、加賀一向一揆の首謀者らを殺害 加賀を概ね平定

正月 左義長行事を催行

2月下 馬揃のため上洛 在京中宣教師の参礼を受けて黒人弥介と面会

2月28日・3月上 京都馬揃 禁中からの要望により京都で二度にわたり馬揃を開催

3月下 徳川家康、遠江高天神城を奪回

3月〜7月 越中・能登の平定進む 越中国人らを粛清

4〜5月 堀秀政に命じ和泉国で指出を実施 反抗した槇尾山施福寺を焼き討ちに処す

8月 高野山、荒木村重残党の引渡し要求を拒否 信長は報復として高野聖数百人を成敗

9月3日 伊賀平定 織田信雄を総大将として三方より伊賀へ侵入 11日までに平定

10月 伊賀へ下向 国内を検分

10月25日 因幡国鳥取城陥落 城将吉川経家ら切腹

11月 羽柴秀吉・池田元助により淡路国平定

 ※年代に諸説あるものについては、基本的に『信長公記』の記述に合致するものを採用しています

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