モンゴル馬乗り紀行

そんなあなたにモンゴリアンチョップ

序 決意

 某月某日。わしは新宿でとある人物と飲んでいた。双方すでに泥酔中。なんだかんだと話しているうちに、ふと馬のことに話が及んだ。

 

「わし馬乗るの好きだからさー、一度本場のモンゴルに行って草原を走りたいんだよなー。でも向こうは色々と危険もありそうだから、ちょっと不安なんだよなー。なんなら○○殿、一緒にどうだい?」

 

「おー、じゃあ、おれもそういうとこ若いうちに一度経験しときたいから、行ってみよっかなー」

 

「お、まじっすかい?」

その瞬間、わしの心に決意の火が点った。

 

―イザトナッタラ、コノ男ヲ盾ニシテ、ワシハ逃ゲヨウ。

 

そう悲壮な決意を固めたわしは翌日電話の受話器を握りしめ、旅行会社の番号を押したのだった。

 

 

一日目 成田⇔草原十時間

 

 そして出発の日となった。モンゴルへは今年2002年より成田から直通便が就航しており、この日乗る便は午後の離陸予定となっていたため、成田からそう遠くない所に住むわしはゆっくり起きて旅の準備などすることができた。普段なら旅行のときには必ずといっていいほど何か忘れ物をするわしだが、今回ばかりはその心配も無用である。じっくり時間をかけて持ち物を点検したあと、勢いよく部屋を出た。

…が、そうして喜び勇んで部屋を出たわしの腕には腕時計が巻かれていなかった。早くも忘れ物一つ。

 

 で、時刻のわからぬ不安におののきつつも成田に到着。同行の某人と合流し、チェックインを済ませて無事モンゴル航空機へと乗り込んだ。そして数分後、わしらを乗せた飛行機は「本日はモンゴル航空をご利用いただきアリガトゴザイマース。なお離陸の際はオザシキのベルトを外さないようにお願いしマース」というアナウンスとともに成田を離れたのだった。でもモンゴル航空さん、ふつう飛行機にお座敷はないですぜ。あってもベルト付きの座敷なんて座敷牢みたいでイヤですぜ。

 

 そんなつっこみを心中で行いつつ、空の旅を楽しむこと6時間余(通常なら5時間ほどで着くらしいのだが、この日は途中給油のため韓国に立ち寄った。一回のフライトで二国に着陸できておトク)。飛行機は無事モンゴルの首都ウランバートルへと辿りついた。ちなみにモンゴルはこの時期夏の盛りで、緯度が高いこともあって日没がめちゃくちゃ遅い。このときも時刻は現地時間で20:00過ぎだったのだが、あたりは昼間のように明るかった。ついでにめちゃくちゃ暑く、気温は30度をかるく越えていた。

 

ウランバートル遠景。高いビルも多い

 

 そのような自然条件の中を空港へ降り立ち、この上なく簡単な入国審査を済ませたあと、現地のガイドさんと対面。ガイドはオンユナさんという女性で、大学で日本語を学ぶ学生さんということだった。さらに旅行中行動を共にすることになっていたもう一人の参加者も女性の方だった。朝青龍のようなガイドと旭鷲山のような参加者と木村庄之助行司のような同行の某人に囲まれて過ごす「イヤーン男だらけの騎馬ツアー」を涙ながらに想像していたわし、大いに安堵する。

 

 しかし安堵するのも束の間。数分後、わしらは車に乗って草原の中を突き進んでいた。旅の間の宿泊地となるツーリストキャンプはウランバートルから150キロの彼方にあり、そこまでは草原の中の道を数時間かけて走行せねばならないのだった。その道というのも車のワダチで出来上がった半自然の道で、平らなところなぞ一場所たりともない。車中のわしは道の凹凸にしたがって前後上下左右に揺さぶられ、「洗濯機みたいだ」などとつぶやく同行の某人の言葉を耳にして「ああ洗濯機の中の洗濯物ってこういう気分なのか。いつも苦労かけてすまんな洗濯物よ」などと洗濯物に感謝しながらひたすら振動に耐えていた。

 

 しかし人間は耐えられても、機械は耐えられなかった。道々の風景を収めておこうとデジカメを手にしたところ、ぴくりとも動かなくなってしまっていたのである。肝心なときに動かぬとはなんというへたれデジカメであろう。人間なら職務怠慢のかどで獄門ものである。

 そんなわけで動かぬデジカメを手にめそめそ泣いていると、見かねた同行の某人が予備のフィルムカメラを貸してくれた。おおなんという仏心であろう。もはや「何かあったときには身代わりにして逃げるつもりだった」などとは死んでも口に出せなくなってしまった。感謝である(このほかにも某人には旅行中いろんなもんを借りてしまった。益々感謝である)。

 ともあれ、カメラという利器を手にしたわし。さっそく車外の風景を何枚か写しておいた。

 

 

  羊の群れ。ちなみにまだウランバートル郊外      草原のど真ん中で。真ん中の白い線は、すべて羊

 

 そんなこんなで車に乗ること約四時間。途中車が故障した現地人に遭遇したり、目指すキャンプが見つからず闇夜の中を彷徨う場面もあったが、ともかくも車はツーリストキャンプ『アルベルド・キャンプ』へとたどりついた。時刻はすでに0時過ぎ。あてがわれたゲル(遊牧民様式のテント)に荷物を置き、食事を済ませたあと、まもなくして眠りに落ちた。

 

 

二日目 ゲルとTシャツと私

 

 で、翌朝。目が覚めてゲルを出ると、一面の青空が広がっていた。近くの丘に登ってあたりを見回し、その広さに圧倒される。キャンプの周りは見渡すかぎり草原と砂丘で、視界を遮るのははるか遠くに見える山々のみ。その中で人工物といえば、キャンプのほかには数キロ先に遊牧民のゲルが見えるのと、そのさらに奥の山すそあたりに村らしき建物群がかすむように見えるのみだった。

「あー、ここに長くいたら視力回復するだろうなー」とか打算的なことを考えつつ、しばし風景に見惚れる。

 

 

        キャンプ全景                 キャンプ周辺。草と砂と空がひたすら広がる

 

 そのあとはキャンプ内を散策。キャンプは客用ゲル数軒(軒という数え方でいいのかわからんが)と食堂用ゲル、及びトイレと洗面小屋から成り立っており、外国人旅行者のほかに現地人旅行者も宿泊に利用するらしい。わしらの泊まるゲルは客用らしく綺麗に作られていたが、つくりは現地の遊牧民のものとまったく一緒。円形をした八畳ぐらいのスペースに床材を敷き、周囲を木製の格子で囲み、その真ん中に柱を立てて天井を支え、まわりをフェルトで囲ってできあがり、というものだった。滞在中何度か柱に横払いをして天井を落とすというドリフギャグをかましたい衝動にかられたが、怒られそうなのでやめておいた。

 

 ちなみにゲル内の照明はろうそく一本のみ。電灯がともっていたのは食堂用ゲルだけだった。また洗面小屋にはシャワーが付いており、風呂なしを覚悟していたわしは喜んで使用させてもらった。蛇口を全開にすると水がちょろちょろと五筋も出るという、誠に贅沢なシャワーであった。

 

 

           ゲル外観                     ゲル内部。二本の柱で天井を支える 

 

 そんな感じで朝のひとときを過ごし、めしをくったあとは、さあ騎乗である。モンゴルの馬はモンゴリアンポニーといってサラブレットよりひとまわり小さく、どちらかというと日本の在来種に近い感じがする。頭ばかり大きくてなんだか可愛らしい。なんか小顔エステにでも通わせてやりたくなってくる。

 

 そんなアホなことを思っているうち、目の前にわしが乗る馬が引かれてきた。普通モンゴル人は馬に名前なぞ付けないそうなのだが、それでは勝手が悪いので自分で命名することにした。で、以前オーストラリアで馬に乗ったときと同様「黒王号」と名付けようと思ったのだが、黒王号とするにはなんか体小さいわ色白いわで問題ありだったので他の名前を模索することにした。

 さて何にするべきか。やはり「〜号」という呼び方にはこだわりたい。となると思い浮かぶのは日本号、流星号、鉄人28号、愛妻号…

 …愛妻号?

おお、愛妻号。この愛らしい外見になんと見合う名前であることか。決定である。某メーカーの洗濯機の名に由来することなど、ここではまったく気にならない。

 

今回の馬「愛妻号」

 

 そういうわけで愛妻号に騎乗し、草原に乗り出した。騎乗者はわしと同行の某人、ツアー仲間となった某嬢、ガイドのオンユナさん、および現地乗馬ガイドのダワさんの五名である。このうち同行の某人とツアー仲間の某嬢はほぼ初めての馬乗りであったし、わしも馬乗りは久方振りなうえに技量のほうも未熟であった。そのことはダワさんも知っているはずだったので、この日の少なくとも午前中ぐらいは常歩(のそのそ歩く)だけで終わると思っていたのだが、事実は相違した。ダワさんは次第にスピードを上げ、速歩(ぱかぱかぱかと小走りに走る)から駈歩(ぱからっぱからっとスピードを出して走る)まで、一気にわしらを駆り立てたのだった。さすがは馬上で生まれ馬上で育つ民族である。手加減がない。

 

 結局この日は昼食をはさんで六〜七時間は馬に乗るという、中々ハードな一日だった。しかも途中遊牧民のゲルにお邪魔し、そこでシミンアルヒとかいう蒸留酒(馬乳を発酵させたものを蒸留して作った酒)を御馳走になったあと、酒気帯びで馬に乗るという道交法違反っぽいことまでやってのけてしまった。

 ちなみに遊牧民のゲルでは蒸留酒のほかにも固いチーズ状の乳製品などを食わせてもらったのだが、いずれも酸味が強く、最初口に入れたときは少々きつく感じた。しかしそれでも慣れると結構オツな味に感じられてくるのだから不思議なものである。

 

 

  騎乗                            草原の井戸で

 

 そんな具合に馬乗りを楽しんだあとキャンプに戻ると、なんだかにぎやかな雰囲気が漂っていた。なんでも遠出から帰る途中のえらい坊さんがキャンプに一泊することになり、その坊さん一行やら出迎えにきた現地の坊さんやらで随分にぎやかになっているらしい。

 しかしいくら偉い坊さんでも、さしあたってわしらジャパニーズトラベラーには関係のない存在である。へえ坊さん来てるんだ、すごいねーと中途半端に感心しながら馬を降り、さっさと自分のゲルに戻った。

 

 しかし運命とは変転するものである。

 それは夕食を済ませ、シャワーを浴びてさっぱりしたあと、ゲルに戻るべく歩いていたときのことだった。つと呼び止める声がしたのでそっちを向いてみると、ツアー仲間の某嬢とガイドのオンユナさんが手に骨らしきものを持って手招きしている。女性二人が骨を囲んでいるとは中々シュールな構図であるなあ、と思って近付いてみると、骨の正体は羊の骨でできた知恵の輪だった。羊の骨にひもを二つ輪ができるように結び、ひもの間に小さな骨を二つ通し、その小骨をひもの輪から輪へ移動させるというパズルで、ひもの結び目をうまく動かすと解けるようになっている。わしは二人とガイドのダワさんに教えてもらいながらなんとか解くことができたのだが、それが後で重要な意味を持つことになろうとは気付くはずもなかった。

 

 そうやって知恵の輪で遊びながらみんなで話していると、キャンプの人が声をかけてきた。今むこうで「タルバガン」をさばいているから見にこないかという。タルバガンとはこの辺一体に住むリス科の獣だったのだが、このときは「タラバガニ」と聞き間違えてしまい、「そうかタラバガニが漁れたのか。ていうかタラバガニって内陸でも漁れるもんだったのか。そりゃ見に行かねば」などとアホなことを考えながら現場へ向かった。

 

 連れられていったキャンプ裏では、それらしき獣が見事にさばかれて肉になっていた。聞き間違えに気付きつつその様子を眺めていると、その場で肉さばきを手伝っていた武蔵丸似の屈強な人物がダワさんに声をかけてきて、なにごとか大声で話し始めた。

 やがて、話を終えたダワさんがわしらを振り返って説明を始めた。なんでもこの武蔵丸はキャンプの坊さんを訪ねてきた現地の僧で、わしらに何かゲームをしようと持ちかけてきたという。そしてダワさんは武蔵丸に対し、さっきまでわしらが遊んでいた知恵の輪を持ち出して「こいつを時間内にどっちが解けるか競争しましょう」と提案し、武蔵丸も「じゃあわしが解けたらウイスキーよこせ」と応じたのだった。見事な出来レースを仕込んだダワさんもなかなかだが、賞品としてウイスキーを要求する武蔵丸も大したタマである。仮にも僧であろうに。

 

 ともあれ賭けは成立した。わしらの間からはわしが代表として知恵の輪に挑むことになったのだが、すでに一度解いた知恵の輪である。まわりの人たちから解き方を思い出させてもらいつつ、時間内に解くことができた。一方相手の武蔵丸は解くことができず時間切れとなり、わしの勝ちとなった。さあ武蔵丸よ、わしが勝ったのだからわしらにウイスキーをおごるのだ。

 そう喜び勇んでいたところ、負けた武蔵丸の口からは意外な言葉が出てきたのだった。

 

「わしの負けだ。じゃあ、勝ったおまえには羊を一頭やろう」

 

 …羊?

 まじですかい?

 

三日目 瓢箪から羊

 

 そして翌朝。ゆうべ怪僧武蔵丸から明朝のうちに羊をもってきてやるという約束をされたあと、わしは夢うつつの気分のままフラフラと寝床につき、そしてフラフラと目を覚ました。あの武蔵丸との約束、果たして現実のものだったのだろうか。わしは何か夢でも見ていたのではないか。それとも武蔵丸に一杯食わされたのか?―などど疑いは尽きなかったが、ともあれわしはそれが夢でも冗談でもない現実の約束だったときのため、羊を迎える支度をせねばならなかった。

 なにせナマグサとはいえ向こうの僧侶が礼を尽くして持ってきてくれるというのである。こちらも相応の出迎えをせねばならないだろう。しかし一介の旅行者の身、スーツもネクタイも持ってきているはずがなかった。途方にくれたわしは、無駄だと知りながらカバンの中を覗きこんだ。

 

 すると、そこに奇跡があった。

 

 カバンの中には、なぜか和服と襦袢と袴と帯がきれいにたたまれて入っていたのである。おおなんという僥倖、なんという強運。これを奇跡といわずなんと言おう。

 わしはそう八百万の神に感謝しながら和装一式を身につけ、怪僧武蔵丸の到来を待った。

 

アホ、羊を待つの図

 

 そして待つことしばし。武蔵丸は来ない。少し散歩したあと待つことしばし。武蔵丸は来ない。朝飯を食って待つことしばし。…武蔵丸は来ない。

 …あれ?

 やっぱりかつがれたのですかい?このわし。それとも心中で「このモンゴル武蔵丸が本物の武蔵丸と相撲取ったら行司はかなり困るだろうな」とか思ってたのが態度に現れてたんでダメになったのですかい?

 そんなことを思いながら悲嘆に暮れているうちに朝は過ぎ、騎乗する時間になってしまった。もういいや、羊のことは忘れて思い切り馬に乗って楽しもう。そう吹っ切れたわしは和装のまま馬にまたがった。

 

 で、騎乗。キャンプを出てしばらくすると、ダワさんが「向こうのほうに泉があるから、今日はそこまで行こうか」と声をかけてきた。わしら、一も二もなく賛同。

 ところが、その向こうのほうというのが野原を突っ切り、丘を二つ三つ越え、山を登った先の「向こうのほう」であった。あとで聞いたところでは20キロ以上の道のりだったという。わしらはその道のりの半分以上を駈歩・襲歩(ようするにハイスピード)で駆けたため、泉に着くころには人も馬も汗だくになっていた。モンゴル人の距離感には注意せねばならない。

 

 

山上で                            泉近くで休憩

 

 そして泉で休憩。泉は泉とはいいながら、真夏で雨が少ないため泥の水溜りのようになっていた。なので水に入ることもできず、わしらはそのほとりの原っぱでしばし休んだあとキャンプへの帰途についた。

 帰りは行きとルートを変え、山すその草林の中を走り、山からキャンプの南にかけて広がる砂丘を抜けてキャンプへと戻ったのだが、帰りついたときには午後3時をまわっていた。さすがに疲れた。どさりと馬を降りたときにはもう、なんというか「もはやこれまで。そのほう、わが首を討って手柄にせよ」状態であった。

 

 しかし時間は有効に使わねばならない。遅い昼飯を済ませたわしらはしぶとく蘇生し、また騎乗して外に出た(ちなみに和装は暑いので着替えた)。向かった先はキャンプから北東に数キロ行った先の遊牧民のゲルである。なんでもそこで馬乳酒を飲ませてくれるらしい。馬乳酒はその名の通り馬乳を発酵させて作った酒で、酒とはいいながらアルコール分が低いのでお子様からお年寄りまでみんな飲んでいる。わしも御馳走になったのだが、酒というよりも酸味の強いヨーグルトという感じでうまかった。

 

 そんな具合に遊牧民さんのゲルでくつろぎ、馬乳をしぼるところなどを見せてもらったあと、わしらはキャンプへ帰るために馬へまたがった。ここからキャンプに着くまでがこの旅での最後の騎乗である。思い残すことがないよう全速力で馬を駆けさせ、一気に草原を走り抜けた。

 

 そしてキャンプに帰着。一抹の寂しさを感じながら馬を降り、ゲルに戻ってベッドに寝転がっていると、なにやら遠くから「メェェ〜」とかいう声が響いてくる。ああどっかの羊の群れが近付いてきてるんだな、とか思いつつさらに寝転がっていると、オンユナさんがわしらを呼びにきた。いわく、例の怪僧武蔵丸の使いがやってきて約束通り羊を置いていったという。

 

 …まじだったのですね、武蔵丸殿。

 

 で、鳴き声のするほうに行ってみる。するとそこには夢でも幻でもなく、確かに羊がいた。間違いなく武蔵丸からの贈り物の羊であった。まさかモンゴルに来て羊の飼い主になろうとは思わなんだ。

 しかしこれも天命である。とりあえず飼い主として羊に名前を与えることにした。性別は雌ということだったので同行の某人と相談の上、「ドリーさん」と名付けることにした。といって別にクローン羊ではない。

 

…でもこの羊どうしよう。日本に持って帰れるだろうか。第一持って帰ったとしても、わしんとこペット禁止だぞ。群馬の実家でもさすがに飼えそうもないぞ。

 

 

  ドリーさん                            戦利羊とともに

 

 ともあれそうして羊との対面を果たしたあとは、晩飯を食ってシャワーである。ああこれでベッドに入って眠ってしまえばこのキャンプでの生活も終わりか、と寂しく感じていると、またもわしらを呼ぶ声がする。声に誘われてゲルを出てみると、野原にテーブルと椅子が置かれていた。なんとキャンプ最後の夜ということで、星空の下でみんなで宴会をやってくれるという。ああ草原の民よ、あなた方はなんと素晴らしい人たちなのだ。

 

 そんなわけでこの夜は満天の星空の下、馬乳酒とウォッカとワインをあおり、タルバガン(前出のリス科の獣)の丸焼きをかじりつつの大宴会となった。途中モンゴル音楽やら日本の歌やらを大音響でかけたり、モンゴル式ジャンケンで遊んだり、わしが日本から持ち込んだ花火をみんなで点けて遊んだりと、宴はいつまでも続いた。モンゴルの夜空と、草原の人々に乾杯。

 

 

四日目 ウランバートル散策

 

 そして四日目の朝。のそのそとベッドから這い出し、洗面と朝食を済ませたわしらは、ウランバートルへ戻るための準備を整えていった。ゲル生活との別れに名残惜しさを禁じ得ない。

 

 しかし時は過ぎゆく。やがて出発の刻限となった。わしらはキャンプの人たちに別れを告げ、ついでドリーさんに別れを告げた。すまぬドリーさん、日本で君を飼うことはできないのだ。ここに残ってくれ。一日とはいえ飼い主になった身として、君が肉にされないことを遠い空から祈っているよ。

 そんなことを願いつつドリーさんをキャンプに残し、わしらは車に乗り込んで3泊の間お世話になったアルベルド・キャンプを後にした。どうもお世話になりました。

 

 その後わしらを乗せた車は草原の中を4時間かけてウランバートルへと走り、市内のホテルの前で停まった。ここでチェックインして荷物を置いたあとは、夜までみやげもの買いと市内観光の時間である。わしらは昼食を済ませたあと国立デパートで土産物を買い、余った時間で市内にあるガンダン寺という有名な寺を観光したあと、モンゴルの伝統芸能のコンサートを観覧して夕べを過ごした。

 

ウランバートル市内

 

    国立劇場前の通り。かなり賑やか          ガンダン寺。中には体長26mの観音様が安置

 

  そのあとはホテルに戻って久方振りにお湯のシャワーを浴び、買い込んだビールとオレンジジュースで同行の某人と乾杯をした。ゲルでは飲み物が少なく、何かを浴びるように飲むことなどとてもできない状況だったので、これだけでも最高のぜいたくに感じられた。ああ、水分って素晴らしい。

 

 でもこのホテル、結構まともな作りなのにエアコンがついていなかったのが不思議でならなかった。密閉性が強い分ゲルよりかなり暑いというのにである。そういやウランバートルではどんな高級な建物にもエアコンらしきものがかかっていなかったが、ひょっとしてこっちの人たちには機械で室内を冷やすという思想そのものがないのだろうか。中々興味深い。

 

 ちなみにウランバートルには日本の大規模都市並みに車が多く走っており、日本車の姿もかなり見られた。ただそのわりに信号とか横断歩道とかは全然少なく、歩行者は適当なところで横断するわ、自動車は無理な追い越しや右左折を繰り返すわで、若葉マークの人には大変やさしくない街だった(モンゴルに若葉マークはないだろうが)。ついでに事故だか事件だかも結構あるらしく、クラクションとパトカーのサイレンの音もよく聞こえてきた。こんだけ警察が忙しいのなら、やっぱりモンゴルにも「実録・モンゴル警察24時」とかいう番組あるんだろうか。

 

 そんなことを考えつつ、モンゴルでの最後の夜を過ごした。騒がしい都会もまたよし。

 

 

五日目 再見

 

 そんなこんなで帰国の朝となった。帰りの飛行機は朝8時半の離陸予定となっていたため、わしらは5時に目を覚まし、6時半には空港に着いていた。そうして出国の手続きを済ませたわしらは、5日間親切かつ熱心にガイドをつとめてくれたオンユナさんに別れを告げ、出国ゲートをくぐったのだった。

 

 オンユナさん、ダワさん、その他モンゴルの皆さん、どうもありがとうございました。またきっと来ます。

 

 

おしまい

 

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