ケアンズ馬乗り紀行

牧場滞在三食乗馬付

 

序 旅立ち

 7月末のある暑い日。都内某所での、平和な昼休みの会話。

 

「先輩乗馬に詳しいんですよね。わしも一度乗ってみたいんですよ」

「そうか。じぁ乗りに行くか」

「いいっすねー。どっかの乗馬クラブですか」

「モンゴル」

「へ?」

「いやなら、オーストラリア」

「・・・・・・」

「どっちだ?」

「・・・オーストラリアでいいです」

 

そんな電波少年の無謀企画のような感じで、この牧場滞在5泊・食事つき・乗馬あり・オリンピック関係なしの旅は決まってしまったのだった。

 

 

 そして時間は容赦なく流れ、9月10日出発の夜となった。わしはいまだ自分が置かれた状況を理解できないままとにかくも荷物を揃えると、家を出て電車に乗り、気が付くと成田のカンタス航空受付口に立っていた。

 

 ところでわしは旅行に行くとき、必ずといっていいほど何か忘れ物をする。品はシャンプーセットだったりコンタクトケースだったりと様々だが、今回も一つ忘れ物をしてしまった。

 

ビザ忘れてきちまった。

 

オーストラリアってのは簡易ビザだかなんだかが必要で、事前に取得してあったのだが、そいつを家に忘れてきてしまった。

 

「ビザがなくてどうすんだおまえ、最悪ここでお見送りだぞ」

「大丈夫なんじゃないですか。いざとなったら、気合でなんとかなりますよ」

「なんとかなるか、この阿呆」

 

などと旅情あふれる会話をしていたのだが、本当になんとかなった。受付でビザを忘れてきた旨を話すと、コンピューター上でビザの取得記録を確認してくれ、それでOKとなった。

 

そんなこともあったが、ともあれ無事飛行機に乗りこむことができた。あとは一路、オーストラリアの大地へ。

 

 

 

1日目 グレートなバリアのリーフだってよ

 

 

 空を飛ぶこと約6時間半。飛行機は現地時間の早朝5時、ケアンズ空港に着陸した。

ケアンズはオーストラリア北部にあるグレートバリアリーフに面した海洋リゾート地で、年間を通じて海に入ることができる常夏の気候である。早朝ではあったが、空港の中も当然暑い。

 ・・・だろうと思いきや、めちゃくちゃ寒かった。あとで知ったところによると、ケアンズは温暖ではあっても朝夕の気温差が激しく、一日の最高気温と最低気温の差が15度にもなる日もあるらしい。加えてこの日は格別冷え込みが激しかったらしい。

 

 そんな中を、寒さに耐えながら迎えを待った。寒さが不安を増幅させる。

「ああダメだ、この旅失敗だ、この後きっといかついオヤジが迎えに来て、『よく来たなイエローモンキー供。今日から俺がおまえらのボスだ。俺のことは神様と呼べ』とか言ってわしらを連れてって、牧場で働かせるんだ」

とか考えておびえていた。

 

 そこへ、迎えの人が現れた。滞在する牧場の牧場主で、日本人の早苗さんを妻に持つロイ・タイラーさんである。馬好きの気さくな親日家で、にこやかに挨拶してくれた。アホな不安は吹き飛んだ。

 そのあとロイさんの運転する車に乗り、これから5日間の宿となるパインベール・ランチ牧場へ向かった。牧場はケアンズからハイウェイに乗って西へ一時間ほど行ったところにあり、まわりを森とマンゴウ畑に囲まれた静かな牧場である。ロイさんと早苗さんの夫妻が経営しており、その3人の子供たちもそれぞれ学校の合間に手伝っている。広い牧場には15頭ほどの馬がいる。

 

牧場

 

牧場周辺の風景。森と原野とマンゴウ畑が広がる。とにかく広い

 

 さて牧場の宿泊所に着いて荷物を置いたが、この日は月曜で牧場の休日にあたっていた。それでどうするべえかと相談したところ、ケアンズにとって返して船に乗り、名高いグレートバリアリーフの一端をなすグリーン島というリゾート地に行くことに決定した。ケアンズの港でグリーン島半日ツアーというのが組まれており、55オーストラリアドル(1オーストラリアドル=80円ちょっと)で往復の船に加えて島でシュノーケリングセットを貸してくれるということで、それに加わってグリーン島へ渡った。

 

 グリーン島は、グリーンとか自分でいうだけあって文句のつけようのない綺麗なエメラルドグリーンの海に囲まれていた。その色を見て興奮したわしはハフハフと息を荒くしながら島でシュノーケリングセットを借りると、一目散に海へ入った。海中にはカラフルな色をした魚がけっこういて、ザリザリと音をたててサンゴをつっついていた。小さなエイとかも泳いでおり、ちょっと感動。

 

 

グリーン島遠景とその海

 

 ここで夕方まで過ごし、夕食前に牧場へ戻った。飯を食ってシャワーを浴びたあと、すぐに就寝。時刻はまだ10時だが、牧場の夜は早い。

ああ健康的。

 

 

 

2日目 初乗り

 

 

 2日目の今日は、いよいよ念願の馬乗り初体験をする。遅い朝食をとったあと、早苗さんから乗り方のレクチャーを受けた。

 

「動かすときはチッチという掛け声のあとに馬腹を足でたたく。止めるときはウォーという掛け声をかけて手綱を手前に引く。右に行きたいときは手綱を右に、左に行きたいときは手綱を左に引く。基本的な動かし方はこれだけ。大事なのは馬の動きにあわせて体を上下させる術を身につけること。あと、馬っていうのは乗られた瞬間に乗った人の技量がわかるんだけど、なめられちゃ駄目。馬に負けずに自分の意志を通すこと」

 

とのことだった。あとでわかったことだが、馬というのはよく調教されてさえいればハンドルとブレーキとアクセルだけのオートマ車のようなものだから、「操る」ことはそれほど難しくない。ただ車と違うところは、「乗る」ことに技術がいる。馬は走ったり激しく動いたりすると馬体が前後上下に激しく揺れるわけだが、そういうときは騎乗者も馬の動きに合わせて体を前後上下に動かしていなければならない。これが結構難しく、「人馬一体」ってのはそれがよくできる人のことをいうらしい。逆に出来ない人は、鞍で尻を痛めてえらいことになってしまうらしい。

 

 ともあれ、このとき受けたレクチャーはそれだけ。あとはもう牧場に出て騎乗である。細かいことは乗って覚えるという考え。合理的ですばらしい。

 

 そして騎乗。馬は初日ということでおとなしくて乗りやすい(馬によって乗り心地が全然違う)馬を選んでもらった。馬の名前は「ミスター」ということだったが、そんな某球団のボケ監督みたいな名前を認めるわけにはいかない。それで勝手に「黒王号」と呼ぶことにした。馬といったら名前は黒王か、百歩譲って赤兎と決まっとる。「黒王のわりには白いじゃないか」などという小さな相違点はこのさい気にしない。

 

 で、わくわくしながら鞍にまたがった。よく初めて馬に乗った人の感想として「思ったよりも高く感じた」というのを耳にするが、あんまりそうは思わなかった。「ああこりゃ足軽が槍をのばせばちょうどええ感じで脇腹に刺さる高さだな。日本馬はもっと小さいから尚更だな。そりゃ光秀もやられるわ。くわばらくわばら」というのが正直な感想だった。バカな感想持ったものである。

 

 

初日の馬「黒王号」                       騎乗    

 

 全員が騎乗を終えると、ロイさんの長男ジョンが先頭に立って馬を歩かせ始めた。するとそれにつられてわしらの馬も動き出す。そうか、今日は初日だからこのままジョンの先導で牧場の中をぐるぐる回って終わりなのか、などと日本的思考でいたら、そりゃ甘かった。ジョンはわしらを率いてまっすぐ牧場を出ると、いきなり森の中に入っていってしまった。ヘイジョン、そりゃちょっとジョークがきついんじゃないかい。俺ァまったくの素人だぜ。

 

 しかし、さほど心配することはなかった。やはり初日とあってか、先頭を行くジョンは歩速を上げることなくゆっくり馬を進ませてゆく。馬もふつうに歩いている分には乗っている者への負担はさほどなく、馬の動きにあわせて体を上下させる必要もないから、わしはただ馬がへんな方向に歩いていかないように手綱だけ操っていればよかった。途中坂道の上り下りなどで激しい運動をすることもあったが、そのときは教えられた通りに膝で馬体を締めながら馬に合わせて体を上下に動かしてみた。あとで尻が痛くならずに済んだところをみると、それなりに出来ていたらしい。

 

 森の中には馬一頭分の細い馬道が出来ていて、それに沿って進んだ。ときどき道の左右を野生のワラビーが走っていく。この9月は乾季に当たっており、草が枯れていたので蚊とか虫とかに刺されることはなかったが、木の枝にはずいぶん引っかかれた。馬というのは自分の高さにある枝は避けて通るが、上に乗った人の高さにある枝には考えが及ばない気の利かないやつらなのである。

 

 そんな調子で、結局この日は昼食をはさんで終日林の中を歩いていた。夜はなんだか眠くて、昨日同様10時過ぎに就寝。健康第一。

 

 

 

3日目 早駈け

 

 

 旅も3日目となった今朝は、ロイさんの次男グレンの「グッモーニン、ヨシ」という声で目覚めた。なんだか知らんが、初日に牧場に着いたときからわしは「ヨシ」という名で呼ばれている。なんでもわしらの名は英語で発音しづらいとかで、早苗さんが付けたのだという。

 

 ちなみにグレンは日本でいえば高校生にあたる年の男で、学校ではラグビーをやっているらしい。気のいい奴で、連日わしらんとこに遊びにきては「おれ速いぞ。鬼ごっこしようぜ、つかまえてみな」とわしらを挑発して広い庭の中を駆けまわらせたり、「この音楽いいだろ」とむこうの音楽を聴かせてくれたり、「このカウボーイシャツあげるよ」と服をくれたりと、わしらを楽しませてくれた。サービス心あふれるオージーだった。

 

 顔を洗って朝食を取ったあとは、さあ騎乗である。今日もまる一日馬に乗る予定になっている。さて今日もがんばるべえかと牧場に出てみると、昨日とは違う馬が用意されていた。一日乗り通すと馬も疲れるので、翌日は休ませて違う馬を使うらしい。今度の馬もなんだったか洋風の名前(あたりまえだが)が付けられていたが、かまわず「黒王号」と呼ぶことにした。日本の長男坊のわがままさを思い知るがよい。

 

 ともあれ、今日もジョンの先導で森の中を進んだ。コースとしては昨日よりも長く、途中坂道を登って山へ上がったり、長い一本道を駈ける場所があったりして昨日よりもテクニックが要求された。馬の走り方には、

と数種類(あとギャロップとか)あるらしいのだが、今日はこのうちの「速歩」をする場面が多かった。この走り方はただのそのそ歩いているよりも乗馬っぽくていいのだが、油断すると尻を鞍にしこたま打ちつけて痛いことになってしまう。そのため膝をしっかり締めて上体を浮かし、馬の動きに合わせて体を動かしていなければならなかった。ぬかりなくやったおかげで尻は痛めずに済んだものの、内腿から膝にかけてがすっかり筋肉痛になってしまった。『三国志』に、蜀の劉備が馬に乗らぬ日々が続いて内腿にぜい肉がついたのを嘆いたという「髀肉の嘆」という故事が出てくるが、それを身をもって実感してしまった。ほんとに内腿の筋肉使うわ、乗馬って。

 

 

      2日目の馬「黒王号」                   森の原っぱで小休止      

 

 この日は5時ごろに牧場へ戻った。そのあと夕食を取り、学校から帰ってきたグレンや娘のテンシーと遊んでいるうちに夜もすっかり更けた。

 すると、庭のほうでなにか動物の動く気配がしてくる。このあたりでは、夜になると野生のワラビーが人の家の庭先にまで出てくるのだ。ああなんて素晴らしい環境なんだろう。日本じゃ靴の素材で見るだけなのに。

 感動したのでデジカメを持ち出してこっそり近付き、一枚撮ってやった。

 

ワラビー接写

 

 

 

4日目 阿呆一匹

 

 

 今日も昨日同様、一日中森の中を騎乗―かと思いきや、午前中ちょっと足をのばしてクランダという観光地を見に行くことになった。クランダはケアンズから車で三十分ほど内陸に行ったところにある街で、バロン川という大河のほとりにある。街のまわりは熱帯の植物に囲まれ、近くには有名な大滝(行かなかったが)があり、風光明媚で観光客をひきつけている。日本人観光客もかなりいた。

 

 ここでは町の通りを歩きながら、日本に持って帰るみやげ物の吟味をした。みやげ物屋にはナッツだのオパール(オーストラリアはオパールの産地)だのブーメランだのが並んでいた。とりあえず気に入った鮫歯のペンダントを買ってみたが、ほかのものは帰りの空港やケアンズの街でも買えそうなものばかりだったので、ここでは買わんといた。荷物は最後まで少ないほうがよい。

 

 通りをのぞいたあとは、街の脇を流れるバロン川へ下りた。けっこうな大河で、乾季でも利根川なみの十分な水量を運んでいる。でかい。

この川の上流だったか下流だったかに有名な滝があるらしいのだが、そこには行かずに帰ってきてしまった。旅の目的は、あくまで馬。

 

 

クランダのスカイレール駅              バロン川で    

 

 それでも牧場へ戻ったときには3時近くになってしまっていた。午後は騎乗の予定だったが、このままでは時間が短くなってしまう。いそぎ支度をしなければならない。

 

 しかしこのとき、はたと大事なことに思いあたった。

 

「やはり日本人たるもの、和服で馬に乗らねばなるまい」

 

 そう思ったわしはカバンの中に偶然入っていた和服を身にまとい、これも偶然入っていた帯を締め、その上からやっぱり偶然入っていた袴をはき、バッグの肩ひもでたすきがけをして外に出た。まったく偶然というものは恐ろしい。

 

 その姿でロイさんのところへ行き、「これで乗らせてくれろ」と頼んだ。するとロイさんは笑いながら許可してくれた。さすが親日家、話がわかる。でもロイさんの脇にいた娘のテンシーには「なんで女の子のかっこうしてるの」と笑われてしまった。どうやら袴がスカートに見えたらしい。

 やはりオーストラリアっ子には日本のサムライの格好はわからんのだろうか。でも次男のグレンが使っている世界史教科書の「日本」の項には、なぜか甲冑のつけ方が図解入りで載せられていたぞ。そんなもん日本でも教えんのに。

 

 しかし女装に見えようが変態に見えようがかまうこっちゃない。ひるまず騎乗して牧場を出た。ちなみに日本の古馬術では騎乗するとき馬の右側から乗ると聞いていたので、わしもそうしようとしたのだが、早苗さんに「それはあぶないからやめときなさい」と止められてしまった。残念。

 

アホの図@

  

  アホの図A                         川を渡る

 

 和服のアホを乗せ、馬は今日も森をゆく。時間の都合で短いコース(牧場のまわりの森の中を1時間半ほど)となってしまったが、この姿で牧場から遠く離れるのもイヤだったので良しとする。川を渡ったり早駈けしたりする場所があってそれなりに楽しめたし。

 でも和装で馬に乗るのは、思ったほどにはやりづらくなかった。袖はたすきで留めているので邪魔にならないし、袴も乗る時にまたぎづらいほかはズボンと大差ない。だからといって何の必然性もないのだが。

 

 乗馬で一汗かき、和服で一恥かいたあとは、めしをくって子供たちと遊んで就寝。ああ満足。

 

 

 

最終日 遠乗り

 

 

 旅程の7割が乗馬というこの馬乗りの旅も、いよいよ最終日。今日は最後だからすこし遠出をするということで、弁当を持って10時ごろに牧場を出た。メンバーもこれまではわしら+先導役のジョンひとりだったのが、今日は早苗さんと娘のテンシーにジョンの友達1人も加わって都合6人の馬隊となった(ジョンと友達は午前中で帰った)。

 

 馬隊は山へ登り、森を抜け、原っぱを横切り、マンゴウの木の間を疾走して牧場から直線距離で7〜8キロの地点にある小さな川に出た。かなり遠回りをしてきたので実際にはその倍くらい騎乗したらしく、時刻はもう11時半近くになっていた。腹にはちょうどいい時間である。

 それで河原で昼食となった。弁当は早苗さんが気をきかせて作ってくれたオーストラリア米のおにぎりと卵焼きとビーフ。牧場での食事は基本的にパン食中心の家庭料理だったので、久しぶりの白いめしがすごくうまかった。

 

 弁当を食ったあとは、川に入って遊ぶ。水がけっこう冷たい。川の水深は深いところでも腿の高さくらいまでしかなかったが、これが雨季ともなるとまわりの木々がすっぽり埋まってしまうくらい(地上3メートルくらいの枝に枯れた水藻が引っかかっていた)の深さになり、川幅も何倍にもなってごうごうと音をたてて流れるのだそうだ。

 

 

最終日の馬「黒王号」(初日と同じ馬)                 川に入る       

原っぱで

 

 河原から上がったあとは、ふたたび騎乗してサトウキビ畑の間の道を進む。途中テンシーが畑から外れて野生?していたサトウキビを見つけ、幹を折ってわしらの前に差し出してきた。「折り口をなめてみろ」と言っているらしい。ためしになめてみると、なるほど甘かった。さすがサトウキビというだけのことはある。これで辛かったら詐欺罪(除草剤散布の刑)になっていたところだ。

 

 そのあと道を折れて林の中へ入った。どこへ出るのだろうと思ったら、牧場から2キロほど離れたところにある野菜とかを売っている店の脇に出た。この店が牧場に一番近い商店だというのだから、オーストラリアはやっぱり広い。

 

 その店でしばらく休憩したあと、また林の中を進んで牧場へ帰った。柵の中へ入って馬を下りると、旅の終わりを感じた。

 

 夜はテレビでオリンピックの開会セレモニーを観ながら食事をし、そのあとグレンに誘われて外で焚火をしながら満天の星空を楽しんだ。翌朝にはここを離れて、日本へ帰る。

 

 そして帰国の朝。朝食を取ったあと荷造りをし、5日間泊まった部屋を出た。名残りおしさを感じるが、こればかりは仕方ない。ロイさん一家に旅行中世話になった礼を述べ、よく遊んだグレンに日本から持ってきた扇子を贈り(あまりありがたくなかっただろうが)、ハイウェイで日に二回しか通らないケアンズ行きのバスをつかまえて乗り込んだ。

 

 ロイさんご一家、5日間どうもありがとう。馬乗りとても楽しかったです。

 

 

おしまい

 

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