関根的おもに文庫本書評(新書、漫画もありにします。)

駅伝がマラソンをダメにした   生島淳   光文社新書

 今年も箱根駅伝は盛り上がった。(私は風邪で寝込んでいたg)往路は下馬評を裏切って順大が優勝、一方復路に万全を期す王者駒大が新興の亜細亜大に五連覇を阻まれた、しかも復路優勝は法政大だった。サイモン擁する日大はそのサイモンが大きく崩れ山梨学院大にも敗れ3位に終わった。優勝候補の一角に挙げられていた中央大、東海大、日体大はそれぞれ8位、6位、9位に沈んだ。
 今回紹介する「駅伝がマラソンをダメにした」ははなはだセンセーショナルなタイトルだが、別に著者は箱根駅伝の存在そのものを批判しているのではない。男子陸上競技界が箱根駅伝絶対主義、箱根至上主義に陥っている現状に警鐘を鳴らしているのである。
 つまり、1987年以降に日本テレビが箱根駅伝を全国中継することが始まって以来、国民的正月イベントとなってしまった箱根駅伝に、多くの男子陸上競技関係者は「箱根が頂上」と思いまた思わされ、その後に続く長い陸上競技生活にその経験を生かしきれていないというのだ。
 その証拠に女子は駅伝による悪い影響が出ていないことはオリンピックや世界陸上での高橋尚子や野口みずきなど多くの選手が実証済みである。
 確かに男子は女子と比べて精神的にデリケートである。女は強い。箱根駅伝はそのか弱き男子に必要以上のプレッシャーを掛けてしまっているのかもしれない。今の教育では仕方ないかもしれない。本来なら
 「そんなことをプレッシャーに感じてどうする!」
 と叱咤激励しなければならないのだろうが・・・

 とはいえ、この本が箱根駅伝を観戦する上で類稀なるガイド本になっていることも見逃せない。また来年も楽しみだ。
(2006.1.21)       
                ¥700

紅茶を注文する方法   土屋賢二   文春文庫

 著者である土屋賢二さんはお茶の水女子大学で哲学を教ええている大学の先生で、このエッセイ集は週刊文春に連載中の「ツチヤの口車」をまとめたものである。
 私は学生の頃「雑草の会」という文芸サークルに所属していた。しかし読書をすることが目的といっても良い文芸サークル出身者ながら一冊たりとも哲学書というものを読んだことがない。私の哲学に対するすべての知識と教養は高校生のときに授業をうけたもののみである。
 ソクラテスやプラトン、ヘーゲルなどの名前は知ってはいても、とても哲学を語ることは出来ないし語る気もない。この本を買って良かったと思うのは哲学者が書いていながら哲学書ではないところだ。
 私は当然哲学者の友人がいないが、本書を読む限り友達関係を構築することは相当難しいように思える。そもそも著者紹介自体がひねくれている。
「昭和19年11月26日、アメリカのオハイオ州クリーブランドに貧しい農家の次男に生まれ、歯科技工士になったジャック・ジョーンズと同じ日に生まれながら、全く違う道をたどった。時差の影響であろう。云々」

 表題作「紅茶を注文する方法」も喫茶店で紅茶を飲もうと欲する者にとっては必読だが、「絶対に失敗しない方法」「卒業生に贈ることば」それに続く「新入生のみなさんへ」などは会社での朝礼のスピーチにまで使えそうな傑作である。
 人生を深く思索したいな。と思ったときこの本を読んでみるとよいのではないか。但し深く思索できるかと問われれば、それは無理である。
(2005.4.24)                       ¥467

侍はこわい   司馬遼太郎   光文社文庫

 どこから掘り出してきたのだろう。もう出尽くしたと思っていた司馬遼太郎の小説が新たに読めるという喜びは非常に大きい。(前回もこう書いたが)「国取り物語」「竜馬がいく」「坂の上の雲」など大河的な作品がクローズアップされがちな司馬作品だが、こういった短編にも佳作は多い。この本には表題作をはじめとした合計8編がおさめられている。
 表題作の「侍はこわい」という作品は幕末の大阪奉行所に勤める同心と、其処に嫁いだ商人の娘にまつわる話である。ひょんなことから町人の娘が下級とはいえ侍の家に嫁ぐことになった。二人は身分の垣根をこえて仲良く暮らしていたが、ある時から妻のお婦以は主人の行動に不審を抱く。かつての奉公人に調べさせると主人は何と新選組を敵(かたき)として狙っているというのだ。
 相変わらずのストーリーテラーぶりだが、このほかの作品も大阪の市井の人々や無名人を主人公にしてどれもさわやかな読後感を持つことができる。
 ちなみに「侍はこわい」という表題作には大阪で生まれた著者の気持ちがこめられているように思う。「かつての侍(鎌倉―戦国)は手柄をたてれば褒美をもらえるという形而上下の意識で行動していたが、江戸期に読書階級となった侍は形而上的な考え方を自らの行動に課すようになった。」と司馬遼太郎は別のエッセイで語っている。そんな侍を司馬は気味悪かったに違いない。しかし、素晴らしいものでもあると思っていたのではないか。
(2005.3.5)                       ¥560

司馬遼太郎が考えたこと 1   司馬遼太郎   新潮文庫

 もう出尽くしたと思っていた司馬遼太郎の文章が新たに読めるという喜びは非常に大きい。このエッセイ集はまだ新聞記者だった頃のエッセイから始まっている。
 特に第一巻は少壮の新聞記者時代である1953年から「梟の城」で直木賞を受賞し、作家としての道を歩み始めた1961年までの様々な随筆が収録されている。
 1953年といえばまだ昭和20年代であり、戦後の余韻も覚めやらぬ時代である。また、1961年は昭和36年で何と私の生まれた年でもある。しかし司馬遼太郎は今の自分よりも年下なのである。
 この時代に司馬遼太郎がどのようなことを考え書いていたのかを知ることができるのは本当に嬉しい。巻末に海音寺潮五郎が「天才かも知れない司馬氏」と題し直木賞前後の司馬遼太郎を激賞している文章が掲載されているがまさに天才は天才を知るということだろう。
 自分の育った大和国北葛城郡磐城村竹之内に古くから伝わる「長脛彦」の話は彼のルーツと郷土主義がよくわかって面白い。また、新選組監察副長助勤山崎丞に関連した話をまとめた「ああ新選組」、偽者画家のことを肯定的に書いた「大観屋さん」などは必読である。
 2巻以降が本当に楽しみだ。
(2005.2.13)                       ¥6
67

辺境・近境  村上春樹   新潮文庫

 村上春樹がアメリカやメキシコ、ノモンハンなどの「辺境」と四国の讃岐うどん紀行や神戸などの「近境」を訪ね歩く紀行記である。
 巻末の「辺境を旅する」で村上はこう語っている。

 「今の時代に旅行をして、それについて文章を書く、ましてや一冊の本を書くというのは、考え出すといろいろとむずかしいことですよね。−中略― 行こうと思えばーつまりその気になってしかるべきお金を出せばということですがーまあだいたい世界中どこでも行けるんです。アフリカのジャングルにだって行けるし、南極にだって行けます。それもパックで行くことだってできる。」

 本当にその通りだと思う。実際小田実や兼高かおるの時代と違って、今や海外に行くのは国内旅行よりもやさしい場合さえもある。
 そういう意味で現在の作家たちが紀行文を書こうとすると、これまでと違った視点で書かねばならないという大変さは伴う。しかし、最近NHKで30年ぶりにシルクロードが題材として取り上げられたように、同じシルクロードでも30年経てば人も自然も経済も環境も変化しているのである。したがって作家による紀行文は常に読者に受け入れられる余地はある。
 村上春樹は特に文章のうまい作家である。この本も面白いし円滑に読んでいくことのできる本である。讃岐うどん紀行は私も行ってるし、神戸の記述は私にとって結構身近である。但しメキシコの山間部(今でもゲリラが出没し、近年も大規模な反乱が発生したらしい)やノモンハンには行きたくないと感じた。
 特にノモンハンは内モンゴル自治区とモンゴル共和国の中間にあり、私はかねてより「モンゴルに行ってみたい」と思っていた。しかし私はもう年を取りすぎていて、満足な宿泊施設や食事のないところへはもう行けないなと思った。
 馬にまたがりモンゴルの大草原を疾駆することは夢のまた夢であるとこの本を読んで感じた。
(2005.1.22)                       ¥476

ダメ監督列伝  テリー伊藤   知恵の森文庫

 今年のプロ野球界は本当に激動した。近鉄バッファローズがオリックスと合併するということで1リーグ制へ移行か?と言っているうちにライブドアが新規参入の名乗りをあげ、どうなることかと見守っていると楽天がこれまた新規参入すると言い出した。
 結局、楽天イーグルスが来季からパリーグに参加することになったのだが、ダイエーはソフトバンクに身売りが決定し、西武も株売却問題などで堤オーナーが辞任したことで身売りへの道を歩みだした。そういえばカタチだけとは言いながら渡辺オーナーも阪神の久万オーナーも辞任した。

 そんなプロ野球界ではあるが私は愛情を持って今後も見ていこうとは思っている。愛情と言えばこれほど愛情を持ってプロ野球を見ている人はいないと思っているのがこの本の著者であるテリー伊藤氏であるまいか。
 プロ野球が勝負である以上、優勝から最下位までの順位がつく。当然名監督もいればダメ監督もうまれるのである。
 テリー氏はそんなダメ監督たちにスポットを当てた。これが滅法面白いのである。ダメ監督たちには哀愁がある。かつての名選手たちがなぜこんなにもだめ監督になってしまうのか?解答はひとつではない。この本にはその様々な解答がテリー流で書かれている。
 今は「親分」となって日曜日の午前中に「渇!」とやっている大沢監督も通算勝率わずか5割のダメ監督だった。無論これは良い方である。藤田平は勝率.415、田淵は.396。石毛に至っては.365なのである。
 ホントにダメ監督達には身をつまされる。意のままに動かそうと思っても動かない選手たち、横槍を入れてくる球団、コーチ、ファン。監督業は本当に大変だ。まことに中間管理職そのものである。

 但しテリー氏はこう書いている
 「日本人1億2千万人の中で、監督という職業に就けるのは12人しかいない。なんだかんだいっても、オレは日本にたった12人しかいないプロ野球監督をやらせてもらっているんだ。ああ、ありがたい、ありがたい」
 感謝の気持ちが人生の中で大事であることをこの本は教えてくれた。
(2004.12.13)                       ¥686

イギリス人はおかしい  高尾慶子   文春文庫

 9月の下旬に倫敦に行ってきた。何故イギリスか?と問われると一言で言うのは難しい。しいて言えば数々の個性がひしめくヨーロッパの中で、島国であるイギリスが日本と相似形をなしていると思えるからである。
 両国は同じように大陸から僅かに海を隔てた場所に位置する島国である。大陸とのかかわりは文化的にも民族的にも深いものがあるが、それでも大陸とは違った独自性も持っている。現にイギリスは今でもEC加盟国の主要国であるにもかかわらずユーロを使おうとはしていない。勝手なのである。
 そんな身勝手な国イギリスでもかの国のファンは実に多い。深い伝統を持つ国。妖精や魔法使いのいる国。ピーターラビットのいる国。七つの海を制した女王陛下の国。英国紅茶の本場の国。こうした幻想に彩られた国、それがイギリスだ。

 この本はこうした「イギリス幻想」ともいうべき数々のフィクションを打ち砕くに足るノンフィクションである。この本の著者である高尾慶子さんという人は姫路出身で昭和17年生まれというから現在ではすでに60歳を超えている方である。
 このヒトは若い頃英国人音楽家と結婚しイギリスに渡り、離婚後祇園で英語の出来るホステスとして名をはせていたそうである。そして再び渡英しずっとむこうで働いてきた。現在はイギリスで日本人唯一のハウスキーパーとしてのワーキングパスを取得していて、ひょんなことから著名な映画監督リドリー・スコットの家にハウスキーパーとして住み込むことになった。この本は彼女が体験した数々のエピソードを中心に綴られている。
 英国人たちの様々な階級の実際の姿や失業や年金などに代表される福祉国家の様子などがかなり辛らつに描かれている。そこにはこれまでの彼女の実体験に基づいたと思われる鋭い観察眼と批評眼がある。
 しかしすでにイギリスでの年金受給者にもなっているくらい英国生活の長い高尾さんのココロは暖かいのである。その辛口の語り口のウラにはイギリスに、そしてイギリス人に対する深い愛情が感じられるのである。もう一度イギリスに行ってみたくなる一冊であった。
 (2004.10.10) 

沈まぬ太陽(全五巻)  山崎豊子   新潮文庫

 「白い巨塔」(フジテレビ)が今季ナンバーワンのTVドラマだったことに異論はないと思う。また、NHKによってかつて上川隆也主演で放送された「大地の子」も私にとって記憶に残る名作だった。(陸一心の父親がよかったねー)
 今回ここで紹介する「沈まぬ太陽」もこれらの作品と同じ山崎豊子の手による大作である。1998年〜99年まで週刊新潮で連載されていた。
 沈まぬ太陽は「アフリカ編」(二巻)「御巣鷹山編」(一巻)「会長室編」(二巻)の全五巻によって構成されている。
 物語は主人公である恩地元(おんちはじめ)の人生を縦軸に、国民航空(日本航空のこと)で起こる様々な事件を横軸に進む。
 アフリカ編では、国民航空で組合の委員長として組合運動をおこなった恩地に対する会社の報復措置として不当な僻地勤務を命じられる恩地の姿を描いている。
 恩地はパキスタンのカラチ、イランのテヘラン、そしてケニアのナイロビと十年にわたって流刑に等しい憂き目にあう。国民航空が就航していないケニアにまで飛ばされる理不尽な会社の措置には、戦後日本の高度経済成長を支えた企業の論理がすべてに優先して支配されているように思える。
 御巣鷹山編は言わずと知れた航空史上最大にして最悪の墜落事故を描いたものである。恩地はご遺族係として事故の遺族に相対する。
 会長室編は特殊法人ならではの官僚主義で支配される国民航空に、総理からの要請にこたえた民間から国見会長がやってくる。恩地は国見の手足となって国民航空の闇を暴いてゆくが、永く政官財に癒着した国民航空の闇は深く、国見は遂に辞任に追い込まれる。そして恩地は再びナイロビの支店長として追放されるのであった。
 山崎豊子の作品はダイナミックな作風が魅力である。綿密な取材に基づいた物語はまるでノンフィクションのようだ。われわれ企業に生きる者にとっては決して他人事ではない。
 雪印乳業や三菱自動車に代表される企業の不祥事は2000年代に入って社会から激しく糾弾されるようになった。そして各企業も企業倫理の確立を経営の大きな主題としてきている。しかし、必ずしも企業倫理の確立がそこで働くものの幸福を約束するものではないと思う。こうした企業姿勢は大切なことだが、結局は人間のすることである。中々すべてが高邁であることはあるまい。そしてある必要もないだろう。そこにひとかけらの人情があれば結構なのではないか。そんなことを考えさせられた作品であった。
 (2004.8.23)

東京育ちの京都案内  麻生圭子   文春文庫

 私がはじめて京都を訪れたのは中学3年生の修学旅行の時だ。関東地方に育った者ならやはりこのパターンが多いのではないか。お決まりの修学旅行コースで清水寺、銀閣寺、大原、嵯峨野界隈を巡った。自由行動があった嵯峨野巡りでは、ベストのコースを考えるため苦心惨憺してプランを練ったものである。
 京都は建都以来千年以上日本人にとって都だった訳だが、民話や童話、小説そして時代劇の中で見ることのできる京都のイメージは人それぞれである。しかし、関東人にとって京都という街は今でも一種の憧れを持って見てしまう都であることは間違いない。
この本の著者である麻生圭子もそうである。麻生圭子は1957年生まれの作詞家である。私より年上だが、京都に憧れた理由は「日本の歴史が好きだから」という訳ではない様だ。
 「古き佳き日本の雰囲気を感じ、またそれに交われば、少し上等な大人になれるような気がして」とあとがきにある。
明治維新で日本の首都は東京に移った。(京都人は未だそれを認めないというが本当だろうか?)確かに江戸は徳川300年の都で首都たる機能も文化も申し分なかったが、関東大震災や第二次世界大戦での空襲などで、江戸文化との断絶が生じてしまった。
 そして戦後の東京一極集中でそれはますます拍車がかかったようである。もともと都というものは田舎者が流入してくるところである。それは京も 江戸も変わらない。しかし、京都は都だった時代が近代以前ということもあって街の規模も地方からの流入も東京ほど無制限ではなかった。そして幸い先の大戦でも戦災にそれほど遭わずにすんだ。
 これが京都を京都たらしめている大きな原因だと私は思っている。そしてわれわれ東夷(あずまえびす)は京都人に小馬鹿にされながらもまた京都を訪れてしまうのである。
 この本は京都を知る手がかりとしての簡単なガイドブックとして使って欲しい。
 (2003.9.6)       ¥590

司馬遼太郎の「かたち」―「この国のかたち」の十年  関川夏央   文春文庫

 文藝春秋の巻頭随筆はなさにこの雑誌の「顔」だという。この雑誌の巻頭随筆を創刊号から5年に渡って書いたのはあの芥川龍之介である。その他幸田露伴や武者小路実篤、また小泉信三などの泰斗達がこれを執筆している。
 司馬遼太郎は「この国のかたち」というタイトルで1987年からその死の直前の1996年までほぼ十年近くにわたって執筆した。私は連載中もこの文章を見る機会があったが、すべてを読んだのは司馬遼太郎の死後、文庫本化されてからである。今回ここで紹介するのは随筆「この国のかたち」ではなく、連載された原稿に添えられた歴代の編集長への手紙を中心に検証される司馬遼太郎の姿を描いた「司馬遼太郎のかたち」である。
 司馬遼太郎は「国民的作家」と言われサラリーマンを中心に多くの読者を持っているが、関川は「高度成長期以降にその人気は定着したのである。」と断じている。そしてその理由として「日本人が経済建設という努力目標を失った70年代半ば以降、身の栄達よりも自らの責務を重んじる司馬作品の登場人物たちは新鮮な驚きをもって迎えられたのである。」と述べている。つまり「竜馬がゆく」の坂本竜馬や「燃えよ剣」の土方歳三のような生き方であろう。
 司馬遼太郎はこの国のかたち第一回にこう書いている。「日本史が、中国や朝鮮の歴史とまったく似ない歴史をたどりはじめるのは、鎌倉幕府という、素朴なリアリズムをよりどころにする「百姓」の政権が誕生してからである。私どもは、これを誇りにしたい。かれらは、京の公家・社寺とは違い、土着の倫理を持っていた。「名こそ惜しけれ」はずかしいことをするな、という坂東武者の精神は、その後の日本の非貴族階級につよい影響を与え、今も一部のすがすがしい日本人の中で生きている」
 司馬は「この国のかたち」という随筆の根幹をまさにその理想とする精神「名こそ惜しけれ」という言葉で示したのである。
 この文章の後司馬は約10年間この随筆を書き続け、また同時に編集長への手紙を書き続けた。一見温和な風貌に見えた司馬遼太郎だが、その文章には外見とは全く違った「ものかきの鬼」である魂が垣間見える。
 (2003.4.21)       ¥476

「ローマ人の物語」  塩野七生   新潮文庫

 先日「道路建設派」の新聞広告記事に登場したことはいただけなかったが、これは塩野七生が結果的に道路族に利用されてしまったということなのだろう。
「ローマは一日にして成らず」という作品が「道路は必要だ」という論旨に巧みにすりかえられていたのである。このように、すべからく政官民の連合体である道路族の抵抗は凄まじく狡からい。
 道路は必要なものだが無駄なものは作る必要がないし、これまで無駄なものや優先順位の低いものを作り続けてしまった結果が国家を揺るがすまでになってしまった大赤字である。「道路や新幹線が必要だ」と言っている議員はこの財政赤字をどう考えているのだろうか。再びバブルを発生させようとでも思っているのだろうか。
 こういった国家的命題について大きな示唆を与えてくれるのがこの「ローマ人の物語」である。この作品はすでに単行本としては刊行済だが、現在新潮文庫では第一期の7巻までが刊行されており、第二期は来年刊行される予定である。
 第一期は「ローマは一日にして成らず」「ハンニバル戦記」「勝者の混迷」で構成されている。ローマの黎明期を綴った「ローマは一日にして成らず」に始まり、地中海の大貿易都市カルタゴとの覇権を争う戦いを描いた「ハンニバル戦記」。ハンニバルとはカルタゴの名将のことだが、今年サッカーのワールドカップでこのカルタゴがあったチュニジアとの試合を観戦したこともあって非常に興味深く読むことができた。
 「勝者の混迷」はカルタゴとの戦いに勝って地中海から小アジアにかけて覇権を確立したローマが歴史の必然として改革を迫られている時期の混迷を描いている。まさに高度経済成長を終え、なお且つバブル崩壊後の現在の日本が学ばねばならぬ歴史であると言えよう。12月1日付日本経済新聞に掲載された塩野七生氏のインタビュー記事でも「ローマではルビコン川を渡ったのはユリウス・カエサル(ジュリアスシーザーのこと)だったが、(この日本も)ルビコンさえ渡れば新たなる展望も開かれるものを。」とのように述べている。
 既得権益者たちが守ろうとする体制を崩すエネルギーをどのように出してゆくかが鍵でありましょう。
 (2002.12.2)       ¥400

「棋神・阪田三吉」  中村浩   小学館文庫

 大阪に赴任してそろそろ1年と6ヶ月が経とうとしている。その間様々な名所旧跡へ行ってみた。大阪のシンボルたる通天閣に行ったのも一度や二度ではない。
 ここは大阪の名所として欠かせない場所である。東京からやってくる友人にはまずここを見せておかねばなるまい。
 地下鉄の駅を降りると見える通天閣の威容は、その実際の高さそうでもないが、私にはやはり浪花の都一のシンボルタワーにしか見えない。
 私がこの場所に拘る理由は村田英雄の「王将」に唄われる阪田三吉を想うからである。この本に描かれている阪田三吉像は、映画や芝居、そして「王将」に出てくる阪田三吉とは違い泥臭い人間味にあふれており、ほぼ現実のものといってよいようである。
 阪田三吉は明治3年現堺市に生まれる。その後関西の将棋の世界でめきめきと頭角を現し22歳の時にはじめて東京の鬼才、関根金次郎四段(その後13世名人)と手合いして敗れた。
 その後阪田、関根の両天才は何度もその沽券を賭けて争う永遠のライバルとなり、阪田もしばしば関根を敗ったのだが、大阪出身で関西が地盤ということでその実力とは裏腹に報われることが少なかった人生のように思える。
 しかし、この一見薄倖に見える人生が多くの日本人の好みに合い、その死後、多くの映画や芝居、そして「王将」に唄われるようになったのであろう。関根金次郎13世名人にはそのような人気はない。こうした現象は判官贔屓かもしれないがこうした衒いのない人生が好きなのは何も大阪人だけではない。私も好きである。
 阪田三吉は今から56年前の昭和217月、その同じ年の3月に亡くなった関根名人の後を追うようにして天神祭りの2日前に没した。
(2002.9.17)       ¥552

「ルージュの伝言」  松任谷由実   角川文庫

 先日初めてユーミンのコンサートに行った。で、久しぶりに手にとってみたのがこの本だった。
 この本は1982年というから今からなんと20年も前だが、「野生時代」という雑誌に連載されたインタビュー=聞き書きを本にしたものである。
 したがってエッセイというよりはやはりユーミンの語りやつぶやきという感じの本になっている。このような形態の本は珍しいのではないか。
 内容はユーミンの生い立ちから10代に出会った様々な人々や音楽、物事。そしてデビューから1982年に至るまでの経緯、自分の音楽やアルバムについて自由気ままに語っている。
 ユーミンはまずこう言う。
 「私は天才です。」
 ユーミンが天才であることはこちらも百も承知なのだが、彼女は臆面もなくそう断言するのである。それで弟は秀才らしい。彼女によると秀才とは「あるシステムをどんどんこなしていくことのできる人。自分の中に論理体系があってそれをどんどん拡大してゆくことができる人」だという。対して天才は「体系なんかないのよね」と断ずる。「秀才はインプットするだけ、天才はアウトプットの回路を持っている。新しいものがバンバン出てくる」
 今更ながらうならされる。世の中の大多数は天才でも秀才でもないかもしれないが、多かれ少なかれ、どちらかの傾向を持っているようにも思える。
このように物事の本質をざっくりと披瀝し、しかも己が何者であるか知っている28歳(現在ユーミンは48歳)という人間はなかなかいないだろう。
この本はもう角川文庫にはないかもしれないが、ユーミンファンならずとも必読の一冊だ。
 (2002.8.4) 角川文庫      ¥340

「孤独のグルメ」 原作 久住昌之 作画 谷口ジロー

 この作品は漫画である。原作者である久住昌之も漫画家らしいが、残念ながら私は彼の漫画を読んだことはない。
 谷口ジローの漫画は何度かビッグコミック系の雑誌で読んだことがある。非常にストイックな画風で、緻密な絵を描く。絵はかなりうまいと思う。
 さて、当HPにも「外食よもやま話」というコーナーがあるが、この「孤独のグルメ」もまさにこうした系統の作品だ。かつて「PANJA」(扶桑社刊 平成6年〜8年)という月刊誌に連載されていたらしい。
 作者2人の作風がもともと優れているのか、また編集者サイドのセンスも良いのかもしれない。非常に練れた作品に仕上がっている。
 物語は「井の頭五郎」という輸入雑貨の貿易商を個人で営んでいる男を主人公に進行してゆく。
 彼は勤め人ではないのでサラリーマン以上に幅広い行動範囲を見せ、様々な時間、場所、店に出没する。
 東京山谷の下町食堂に現れたかと思うと、大阪中津のたこ焼き屋にふらりとはいってしまう。
 彼が頼んだ料理を次々に食べてゆくシーンが圧巻だ。
 特に「東京都杉並区西荻窪のおまかせ定食」編で井の頭が「どうせこのテ店は・・・」と懐疑的になりながらはいった自然食レストランで出された料理の旨さに驚いて、最後に「スイマセーンッ 追加でいわしと大根のカレーライスください!」「大盛りでね!!」と叫ぶラストは快哉ものである。
 とにかく彼はうらやましいくらいよく食うのだ。
 その大喰らいの彼が細やかな、非常に些細なこだわりを食に対して持っていることが面白いのである。
 昔の武士は食べ物のことに拘泥してはならない。ということが嗜みだったが、私は武士道の信奉者ではあっても、このことだけはこの作品の作者や主人公同様譲れないのである。
(2002.7.21)扶桑社文庫 ¥600

「サイレント・マイノリティ」  塩野七生 

  この本は、中世ベネチアの興亡を描いた大作「海の都の物語」の著者である塩野七生のエッセイである。
 「サイレント・マイノリティ」とは日本語に直訳すれば「声なき少数派」である。これは、いたずらに多数派に迎合することなく、自分の正しいと思うように発言したり行動したりできる人間のことであろうと思う。
テーマは「サイレント・マイノリティ」だが、32篇にわたるエッセイの中にはイタリアの政治家や歴史上の人物などの言葉やエピソードなどがそれこそ星のようにちりばめられていて、われわれの知的興味を充分満足させてくれるし、自分の勉強不足もまた顕在化してくれるのである。
これらの文章はどれも理知的でいちいち納得のゆくものだが、中でも「全体主義について」というタイトルがついている一節に
「私も、悪人であっても能力のある者に支配されるのならば我慢もするが、善人であっても、アホに支配されるのは、考えられるだけでも肌にあわが立つ」とある。
これは、彼女が全体主義を嫌う理由の2番目として書かれているものだが、この一文こそ作家塩野七生の真骨頂と言えるだろう。
人を支配しようと思えば善人のままではできないという物事の真理がそこにはある。(われわれはそもそも小泉首相や自民党などに正義を求めてはいけないのかも知れない。善人だった、もしくは善人だと自分で信じこんでいた社会党の村山に首相をやらせたときの体たらくを思い起こせば。)
このような冷静で女であることをことさら強調せず、しかしながら女であることの事実も充分理解している知的な女性がこれからも増えてほしいものである。もちろんこのことは男性にも該当することは言うまでもない。
 (2002.2.11)       新潮文庫 ¥438

「萬斎でござる」  野村萬斎   

 はじめて野村萬斎に出会ったのは1994年に放送されたNHKの大河ドラマ「花の乱」の中のことである。
 彼は応仁の乱における東軍の総大将、細川勝元を演じた。
 他の役者に無い演技、所作動作、声色など
 「このような才能が居たのか!?」と思わせるに充分な出現の仕方であった。西軍の総大将、山名宗全を演じた萬屋錦之介と互角以上に渡りあう萬斎には驚かされた。
(とここまで書いてもう一度この本の「野村萬斎略年譜」を読み返してみると、19歳のときになんとクロサワの「乱」に鶴丸役で出演していたことに気づいた。)
 彼の狂言も実は見たことがある。
 また、最近では映画「陰陽師」の安部晴明役の好演も記憶に新しい。
 (⇒大河ドラマ、時代劇「陰陽師」のコーナーはこちら)
 
 この本はそんな彼の自伝的な一冊である。

 名門の名を背負いながら、その枠に捕らわれず、映画やドラマ、舞台などに挑戦し続ける彼の生き様がよくわかる。
 狂言と言う伝統芸能の一門に生まれた彼の主体的な人生がそこには綴られている。
 文章もうまく、萬斎のアタマの良さはそんなことからもわかるのである。

(2002.1.21) 朝日文庫  ¥560

「男は語る」―アガワと12人の男たちー  阿川佐和子   

 阿川佐和子は、鼻持ちならぬエセ才女がまかり通る昨今、たいていの男が納得できる才女である。これはTVタックルなどの仕切と絶妙のツッコミを見ればわかる。今回何かの間違いで参議院議員になってしまった田島教授なんかとはお里も育ちも違う。
 阿川佐和子は作家の阿川弘之の愛娘である。(ムスメというには少々頭が立っているが)阿川弘之は帝国海軍育ちで、その作品も海軍関係のものが多い。
 日本海軍という組織について私は今でも尊敬の念を持っているが、阿川佐和子のお育ちの良い才媛はおそらくは日本海軍の伝統を色濃く受け継いでいるものと思われる。
 この本は1987年から3年にわたって、阿川佐和子と12人のおじさん作家たちとの対談集である。現在週刊文春に連載中の「この人に会いたい」はまさにこの対談が大きな礎となっているといえよう。
 対談を行ったのがもう10年以上も前ということもあって、中には開高健や景山民夫、遠藤周作のようにもう亡くなられた作家たちもいる。
 個人的には椎名誠のイキのよかった頃の話が聞けてよかったと思う一冊だ。
(2001.9.2)      
 
 文春文庫 ¥486

台湾人と日本精神(リップンチェンシン)     蔡焜燦(さいこんさん)

 涙がこぼれるほど感動する本である。
 人間というものはこの地球上で己というものを認識できる唯一の存在だが、その解釈は様々である。最近の日本人の自己認識について言及すれば、それは情けないのひとことである。
 連合軍と戦って敗れて50年以上が過ぎた今もなお、われわれ日本人の中には脈々と敗戦史観が流れている。
 「日本は悪い国だ。」
 「日本は侵略国家だ。」
という教育が、戦後アメリカを中心とした連合国によっておこなわれ、特に戦争に参加した当事者までも(この人たちは実際に敗れているのだからある程度仕方ないが。しかし、軍の下っ端にいた人にこうした敗戦史観論者が多いようだ)が、この敗戦史観に染まってしまっているのが現状である。
 この本は日本人の中で蔓延する「自虐的敗戦史観」を見事にばっさりと斬っている。
 「そうじゃないんだ。日本人はりっぱだったんだ。」
 蔡焜燦氏は本書の中で繰り返す。

 戦争の行為そのものは確かに残虐で愚かしいことだろう。そのことは事実として教育するべきだろう。弾丸で撃たれたら、銃剣で刺されたら、爆撃で劫火に焼かれたら、という状況をつくりだすのが戦争だということは徹底的に皮膚感覚で教えねばなるまい。
 しかしながら、戦争というものは、国家が選択する外交手段でもある。こんなことを言うと、すわ軍国主義者か!というようなレッテルを貼られそうだが、このことは世界では常識なのである。
 戦争が外交の最終的手段だとすると、そこに至るまでにはそれなりの段階があるはずなのである。
 「戦争絶対反対」を叫ぶ言葉だけの平和主義者にはこう問いたいものである。
 なんの理由もなく戦争をすると思いますか?相手の国を侵略して美味い汁を吸おう。という考え方で戦争をしたんですか?と。
 ここをよくよく考えてもらいたい。
 今、教科書問題で韓国中国のお先棒を担いでいる連中、あるいは靖国問題で小泉首相の妨害をしている不貞の輩(特にここでは先日ニュースステーションに出演し、反対論をぶちあげた野中元自民党幹事長をあげたい)は、このことがわかっていないし、わかろうとする努力をしていない。
 こうした戦後の敗戦史観論者ならびに、本当の歴史を知るチャンスに恵まれていなかった人々に、この書は最適な教科書となるだろう。

 この本の第一章は「台湾の恩人・司馬遼太郎」である。
 ここでは、街道を行くシリーズの中で唯一政治的な問題に触れた「台湾紀行」を中心に、台湾と司馬先生の交流を記している。司馬遼太郎が台湾と日本、そして中華人民共和国との関係を見事な分析力で解きほぐしてくれたことに蔡焜燦氏はいたく感銘している。
 本書では自分の経験に基づいた日本統治時代から現代にいたるまでの台湾の歩みについてふれ、われわれ日本人の持つ歴史観がいかに歪曲されたものかを熱く語っている。
 そしてこの本の中でもっとも感動したのが、第5章の「日本人よ胸をはりなさい」である。蔡氏はこう語る。
「私は、台湾にやってくる日本人に説く。「自分の国を愛しなさい」と。自分の国をも愛せない人が、どうして他人や他の国を愛せるだろうか。自らの祖先を敬い、親兄弟を愛し、そして、そうした人々が幸せに暮らす祖国を愛してこそ、世界の人々を愛せるのだ。」
 どうか皆さん、この言葉のもつ意味を深く噛締めてほしい。
 あまりにも国も人も愛せないやからが多すぎる。歴史を正しく勉強していないやつが多すぎる。民主党も、公明党も、社民党も、共産党も反対のための反対、そして党利党略のための反対をしているふしがある。だとすればこいつらは皆売国奴ではないか!

 党派争いで滅んだ国を知っているのか?土井たか子、管直人、鳩山由紀夫よ。
 それはお隣の国、韓国だよ。
 そういうことを学ぶのが歴史教育ってものだろう。

 是非夏休みにこの本を読んでもらいたいし、あわせて12で取り上げた小林よしのりの「台湾論」。そして司馬遼太郎先生の「台湾紀行」もお読みいただきたい。(2001.8.10)

 小学館文庫  ¥619

 

浅田次郎「小説のような人生」−新阪急ホテル エッセイサロンー (特別編)

 最近の小説家の中でもっとも「うまい」とうならせる浅田次郎先生の講演会が、7月30日、大阪は梅田にある新阪急ホテルでおこなわれた。
 多少ミーハーの気味がある私は、このイベントが行われるという情報をキャッチするやいなや間髪をいれず申し込んでおいたのである。
 会場は新阪急ホテルの「紫の間」である。
 午後7時、ほぼ満員状態(500人ほど)の観衆の前に浅田次郎先生は現れた。
 本日のお題は「小説のような人生」だ。
  浅田先生はバブリーな家に生まれた生い立ちから波乱万丈の人生を訥々と、しかし雄弁に話し始めた。  おもしろい!
  でも、なぜか哀しい。
  浅田先生の作品全体に漂う「家族とのかかわり」あるいは「家族との絆」はやはり彼の生い立ちに由来するものだったのだ。
  駒場東邦中学をたったひとりで受験しにいった浅田少年が、他の家族にお弁当をめぐまれそうになったというエピソードには涙がでそうになった。
  しかも江戸っ子の浅田少年は12歳ながら見栄を張ってそのおめぐみを毅然と断るのである。
  そこには間違いなく「天切り松闇がたり」の松吉少年がいた。
  1時間15分ほどの講演が終わり、いくばくかの質問タイムがもうけられた。
   一番初めのおばさんはいかにもブティック経営者といった風情で都内にブティックを経営する浅田先生にそのあたりの質問をした。それはまだよい。
  問題は次である。スキンヘッドに縞模様の背広を着た彼は見るからにその筋のかた。
  しかのその質問内容が
 「先生の著書を今後の(極道生活の)参考にして良いでしょうか?」というもの。
  まさにプリズンホテルの世界である。新阪急ホテルが仕込んだのかと思ったくらいだ。
  しかしさすがは波乱万丈、斬ったハッタの世界を渡り歩いた浅田先生だ。正面からその質問を受け止めたかのように見せてさりげなくかわし、その筋のファンを納得させたのである。
  3人目の質問者は20代の女性だった。小説家志望のようで
  「小説を書いても書いても13枚くらいしか打てず・・どうしたら14枚目が書けるのでしょうか?」というふるった質問であった。浅田先生は「打つ」という言葉に反応されたようで、
「少なくともこれから小説家になりたいとか、文章がうまくなりたいという方は、ワープロやパソコンはやめなさい。」とおっしゃった。誠に真実の言葉である。また、聖書の冒頭の文言を引用して
「始めに言葉ありき、云々」ともおっしゃっていただいた。それほど言の葉には重いものがあるのである。日ごろこのマガジンで言葉を丁寧に扱っていない自覚のある私にとってもその言葉は心に突き刺さるものがあった。
 「歩兵の本領」にサインしていただき、しかも先日の「中大付VS中大杉並」の話題で話をしていただいた私はるんるんで帰途についたのであった。(浅田先生は高校を何校も転々とした由であるが、最終的には中大杉並OBなのである。ちなみに私はその兄弟校である中大付OB

(2001.7.30)

浅田次郎氏のサインです。 歩兵の本領

浅田次郎プロフィール】
1951年東京生まれ。91年「とられてたまるか」で作家デビュー。95年「地下鉄(メトロ)に乗って」で吉川英治文学新人賞、97年「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞、そして00年「壬生義士伝」で柴田錬三郎を受賞する。「霞町物語」「天国まで百マイル」などの著書のほか、エッセイ「勇気凛々ルリの色」シリーズも好評。


韓国・中国「歴史教科書」を徹底批判する    勝岡寛次

 外務省が日本の国益を守るべき立場であるのにもかかわらず、なぜか外国の走狗となって逆に日本の国益をそこねている現実は今までそれほど表ざたになっていなかった。しかし、最近の韓国・中国による正式な外交ルートによる教科書の修正要求によって、何十年もの過去に渡って外務省が両国による教科書の修正要求を受けてきたことが判明した。(昭和51年からのことである)まったく笑止なことである。おりしも外務省の役人によるタクシー代水増しなどの犯罪があばかれたことも偶然ではないだろう。悪は必ず白日の下にさらされる運命にあるのである。
 韓国・中国による日本の教科書の修正要求はその事態そのものがそもそもあってはならないことではあるが、今回紹介する本は「では、韓国・中国の国定教科書(両国の教科書は検定教科書ではない。国定なのである。しかるに教科書は1冊しかない。)はどうか?」という素朴な疑問を具現化した内容で非常に興味深いものがある。
 韓国・中国の教科書は予想通りと言おうか、これを偏向と呼ばずして何を偏向と呼ぶのかと言うほどひどいものがあった。その内容の思想的偏向のひどさもさることながら、終始「日本は悪である。」という刷り込みをしている。これでは将来にわたる平和的友好関係など、築きたくても築けないではないか。
 日本=悪、侵略者。韓国・中国=善、被害者という固定された図式と観念から、いい加減両国民も日本人も解き放たれなければいけない時期に来ているのではないか。歴史に善悪はないのである。そこには歴史的必然があるのであって、これを外交や政治的道具に使おうなどと言う韓国・中国両政府のさもしさは情けないものがある。
 そもそも両国の教科書は「国定」であるから、全国民がその1冊の教科書によって洗脳されてしまうという非民主主義的なものなのである。日本国民たるものこの現実と事実をよく認識しなくては、この教科書問題を語ることはできない。韓国・中国といった非民主主義国家による修正要求なぞ、まったく意味が無いのである。
 外務省がこの本をよく読んで一度この両国に修正要求をつきつけてみたらどうか。その時の反応が見ものである。外務省にはそのようなことは絶対できそうもないが。

(2001.7.22)   小学館文庫  ¥552

「70年代カルト TV図鑑」  岩佐陽一 

 面白い本を見つけた。70年代のテレビ、特に特撮ヒーローものを中心に検証した本である。著者の岩佐陽一は1967年生まれだから私より6〜7年の年代ギャップがある。私の弟の世代である。したがって私の年代ではすでに見ていないヒーローものも多いようだ。

 しかし、彼のレインボーマンの検証はすばらしいものがある。

 「インドの山奥で、修行して〜♪」

 から始まるテーマ音楽は今も脳裏にはっきりと刻まれている。だが、その背景やストーリーについてはすっかり失念していた。

 この本ではなぜ、主人公のヤマト・タケシがインドの山奥を訪れたのか、ダイバダッタとは何者だったのか、死ね死ね団とはいかなる団体か、について詳細に語られている。

 中でも「死ね死ね団」が第二次世界大戦で日本軍によって被害を受けた反日組織だったといは!この設定には朝日新聞が死ぬほど喜びそうである。

 しかも、この死ね死ね団の日本攻撃の作戦がこれまたすごい。

  作戦その1・・・・麻薬を使って日本人を狂死させる

  作戦その2・・・・宗教団体「お多福会」を通じてニセ札をばらまき、ハイパーインフレを巻き起こす

  作戦その3・・・・日本に来る石油タンカーを次々と沈没させる

  作戦その4・・・・日本人を凶悪なサイボーグにしてしまう

 今なら子供でも思いつきそうもないその着想だが、当時、原作者の川内康範(月光仮面の原作者でもある)の予見には驚かされるばかりである。

 このほか、「デンセンマン」「必殺シリーズ」「青春ドラマシリーズ」にもふれているが、私からみるとレインボーマンの考察ほどの深さはない。また、ドリフや石立鉄男のドラマ、必殺以外の時代劇にふれていないのは寂しいものがある。

 こうした本は著者の思い入れがすべてなのでむべなるかなである。

  (2001.7.11)  文春文庫PLUS   ¥629

「霞町物語」  浅田次郎   

 今小説を書かせたらもっとも「うまい」と私が思う作家が浅田次郎である。
浅田次郎とは「天切り松 闇語り」のコミック版で始めて出会った。その後「蒼穹の昴」映画にもなった「鉄道員」、新撰組をまったく違う視点から描いた「壬生義士伝」を読んだ。もうすでに虜状態とも言える。
この作家が凄いのはその守備範囲の広さだ。相当な歴史的知識はもちろん、相応の歴史読解力と歴史理解力がなければ書けない小説を書いたかと思えば、もう電車の中などの人前ではとても恥ずかしくて読めないような純な恋愛小説も書く。
文章も無論うまい。
 そこには芥川賞作家にはない円熟味がある。安心感がある。
 「霞町」とは六本木と高樹町にはさまれた、今では「西麻布」と呼ばれる地域にあたる。お役所仕事の悪弊で、今はこうした味わいある地名はどんどん少なくなってきているのだ。
 この山の手線の円周内にあるホンモノの山の手(江戸期の山の手とはまた違うようだが)に育った高校生の主人公とその家族、友人があやなす人間模様が物語の背骨で、8つの短編で構成されている。
 主人公が若いということも手伝って恋愛に関するエピソードが多いが、私がもっとも関心を持ったのは主人公と祖父母との係わり合いだ。なかでも江戸前の辰巳芸者だった祖母と主人公とのエピソードを綴った短編「雛の花」は秀逸である。

(2001.7.7)    講談社文庫    ¥495

「陰陽師(おんみょうじ)」    夢枕 獏

 今、安倍晴明(あべのせいめい)が密かなブームだそうな。安倍晴明は平安時代の陰陽師である。朝廷の陰陽寮に仕える官人で天候から運勢まで占うことが仕事だったらしい。今も京都の西陣には晴明神社があり、そこを訪れる若い女性が多いと言う。
 この一種の”晴明ブーム”のもとの素がこの小説だ。”もと”はこの小説を原作にしたマンガである。(じつはこのマンガを読んでいないのでこちらのほうの論評は控える)
 この小説における安倍晴明は小説らしく、魔法と妖術を使う事ができるシャーロックホームズといった趣である。ワトソン役の源博雅(みなもとのひろまさ)とのコンビが絶妙だ。万能にして無敵性を持つ晴明に対し、あくまでも博雅はボケ役に徹する。
 物語は必ず博雅が晴明宅を訪ねるところから始まる。そして事件性を感じた晴明が
「ゆこう」
と言う。すると博雅もそれに応じて
「ゆこう」
ということになり、事件は解決にむかうのである。
 こうした構成とリズミカルな文体がこの小説の真髄である。この現代性の中に逢魔ヶ時を組み合わせたことがこの小説のヒットの理由かと思われる。昔から言いふるされていることながら、現代人は鬼とか、呪(しゅ)とか妖異にすこぶる弱いのである。

               
          (2001.7.1)   文春文庫  ¥476

「ワールドカップの世紀」    後藤健生

 来年はいよいよワールドカップである。FIFAという世界のサッカーを牛耳る組織がかなりいかがわしいところであることは、前回のフランスワールドカップの時のチケット騒動などを見る限り、疑う余地のないところだが、それはそれとしてサッカーのワールドカップという祭典にはオリンピックに匹敵する魅力はあるだろう。
 日本のワールドカップへの挑戦は実質的にはあの「ドーハの悲劇」と呼ばれるアメリカワールドカップ予選から始まったと言って良い。あの僅か数分間のロスタイムの間に起きた民族的悪夢こそ、ワールドカップという祭りの真髄なのである。
 フランスワールドカップも出場権だけは、なんとか得たものの、大会では1勝すらすることもできなかった。そして来年の日本ー韓国ワールドカップがやってくるのである。
 この歴史的大会を迎えるにあたって、われわれはワールドカップにまつわる様々な真実をこの本によって学ぶべきであろう。まずは今夜(6月4日)のコンフェデレーションカップの対ブラジル戦での健闘を祈る

                        (2001.6.4)   文春文庫¥524

「手塚治虫氏に関する八つの誤解」     長谷川つとむ

 あまり尊敬する人物というものを持たない私だが、司馬遼太郎先生と手塚治虫先生だけは尊敬している。このお二人については、掛け値無しに昭和の時代が産んだ天才と言えるだろう。残念ながらお二人とも平成の時代にさしかかったところでおなくなりになってしまった。これも昭和を代表する天才と言う意味で象徴的である。
 実はお二人のうち手塚先生には作品だけではなく、実際お会いしたことがある。ある催しものの会場でである。実際の手塚先生はあれだけの才能を持っていながらエラソーなところは微塵もなく、謙虚そのものだった。才能あふるる男ならかくありたいと思わせるものがあった。
 さて、この作品は手塚先生の圧倒的なファンであった、ドイツ文学者の長谷川つとむ氏が、手塚先生におけるいわゆる「八つの誤解」をその作品を通して語ってくれている。曰く「科学礼賛であるという誤解」、曰く「火の鳥こそ代表作であるという誤解」など・・・。
 作者がファウスト研究者ということで、ややファウストに論議が片寄りすぎているきらいがなくもないが、十分に読むに耐え得る作品となっている。できることならば、「鉄腕アトム」「陽だまりの樹」「アドルフに告ぐ」をもう一度再読してからお読み頂きたい。
                    (2001.5.13)    中公文庫   ¥590

「戦争論争戦」    小林よしのりVS田原総一朗   

 今回取り上げる本は上から読んでも下から読んでも同じタイトルだが、内容は相当まじめである。
最近「新しい教科書をつくる会」が作成した教科書の記述内容について、韓国が内政干渉をしている。
 この「新しい教科書をつくる会」のメンバーに加わっていたのが、「おぼっちゃま」や「ゴーマニズム宣言」で知られる漫画家の小林よしのりである。小林の主張は、「日本悪玉史観」ともいうべき戦後の歴史教育は間違っている、という一点に尽きるだろう。
 対して「朝生」や「サンデープロジェクト」で勇名をはせているのが田原総一朗である。彼はマスコミ人にありがちな左翼的思想の持ち主だったが、最近では、第二次世界大戦における日本が何故戦争に突入してしまったのかを検証したりして、単純な左翼とも違ってきた。
 この2人に共通しているのは「はじめに」に紹介されているように「既存の考え方やタブーに拘泥することなく、組織に属さないフリーな立場からズケズケものをいうこと」である。
 どちらの主張が正しいとか間違っているとかは読者諸賢の判断もさまざまだろうが、文句なく面白い対談である。
                         (2001.5.9) 幻冬舎文庫 ¥495

「田中真紀子の恩讐」   上杉隆

 いよいよ無派閥宣言をし、構造改革を政策に掲げた小泉政権が誕生した。そしてその内閣の目玉人事が田中真紀子外務大臣である。小泉首相も国民的人気の高いカリスマ性を持っているが、外務大臣である田中真紀子はさらに人気がある。
 これは、女性であること、父親譲りの演説のうまさ、歯に衣をきせないずばっとした言動などが万人ウケしていると思うが、本書はこうした人気の裏に潜む田中真紀子の本当の姿にせまっている。
 この本によると、田中真紀子は有能ではあろうが、行動の動機のほとんどがその恩讐からくるものであることがわかる。
 田中角栄元首相の周囲にいた人間達を次々と排除していったこと、長男がサラリーマンの娘と結婚したことでいまだに勘当をといていないこと、創政会(橋本派)を骨の髄まで恨んでいることなど、その感情の強さは凄まじいものがある。
 しかし、今回は角福戦争でかつて戦った福田派を継ぐ森派と手を携えたことを考えると、少しは冷静になることを覚えたのかもしれない。
 いずれにしろ、外務大臣として河野洋平のように中国の手先とならないよう、また外務官僚の既得権益に対し断固たる処置をとるよう期待したい。

(2001.4.29)  小学館文庫  ¥533

江戸の遊歩術    中江克巳

 このHPの中でも「旅行・散歩」コーナーをもうけていることからもわかるように、私は出不精ながらぶらぶら出歩くことが嫌いではない。本来は出不精のようなのだが、いったん外へ出ると体力以上精一杯ウロウロしてしまう。
 どうやら人はだれでもぶらぶら歩きをすることが好きなようである。
 この本は江戸時代、車も電車もない時代に、そのころの人々がどこをどのように出歩いていたかを物語ってくれる。
 江戸近郊から箱根、江ノ島、そしてお伊勢参りまで当時の旅人がどのような事情で旅をしていたかという非常に興味深いことをこの本は教えてくれる。江戸の生きた人々もわれわれ現代人もそれほど変わりはないのだと言う事もよくわかって面白い。

              (2001.3.20)  知恵の森文庫  光文社  ¥495

 

本所しぐれ町物語    藤沢周平

 江戸の架空の町を舞台にした連作長編である。時代小説家としてあらゆるジャンルに取り組んだ藤沢周平だが惜しくも1997年に亡くなった。
 その作風は藤沢氏の出身地、山形県鶴岡市という城下町が大きく影響していると言われている。
 さて、この作品「本所しぐれ町物語」だが、この物語は現在、月9の「HERO」の裏番組としてNHKで放送されている「藤沢周平の人情しぐれ町」の原作である。時代劇もこういった構成のものは非常にめずらしいだろう。
 ヒーローがでてくるわけでもなく、チャンバラがでてくるわけでもない。NHKもほぼ忠実にこの物語をドラマ化しているといえよう。民放にはできないNHKの芸でしょう。
 市井にいる無名のひとびとを通して人間というものの一種のあやうさみたいなものを見事に描いているこの作品は原作もドラマも買いでしょう。

                       (2001.2.10)  新潮文庫 ¥514

村上朝日堂はいかにして鍛えられたか     村上春樹

 村上龍といえば「限りなき透明に近いブルー」である。そして村上春樹といえば「ノルウェイの森」である。W村上はW浅野と同様かつて日本の文壇で一世を風靡した。
 実を言うと私は村上春樹の小説を読んだことがない。唯一この村上朝日堂のエッセイシリーズを読んだ事があるのみだ。
 このエッセイは週刊朝日に連載されていたもので「村上朝日堂」「村上朝日堂の逆襲」そして「村上朝日堂はいかにして鍛えられたか」に続いている。
 この本を読んでみて判るのだが、やはりこのひとの語り口は品の良いお酒のようなんですね。いや上等のお茶かもしれない。ことほどさようにすぅーと入ってくる。
 今回特に「テネシーウィリアムスはいかにして見捨てられたか」に書かれているような、人やモノを声高に批判する事の恐ろしさや馬鹿馬鹿しさ、無意味さについては考えさせられた。
 このHPでも批判、批評が随所にでてくるが、せめて責任感を持って批判してゆきたいと思わされたエッセイであった。

                                                                       (2001.1.12)  新潮文庫  ¥590

 

弟      石原慎太郎


 
東京都知事として何かと話題の石原慎太郎だが、正直言うとこれまで石原慎太郎の小説を読んだことがなかった。あの「太陽の季節」は私にとってあくまでも映画の原作という位置付けだった。
 解説を書いているなかにし礼曰く「双頭の鷲」といわしめたこの兄弟は間違いなく時代の寵児だったろう。(ちなみに私は「西部警察」の大ファンである。ということは裕次郎ファンというより「石原プロファン」というべきであろう。)
 石原慎太郎が衆議院議員を辞して書いた小説「弟」を読んでみた。小樽や逗子ですごした少年時代、海との係わり合い、父の死、そして兄は小説家へ、弟は映画スターへという兄弟の足取りを、兄である慎太郎の目で弟裕次郎を描いている。
 そして裕次郎の死。この小説を小説と呼んで良いかどうか迷うが、やはり慎太郎の思い入れが大きい分だけ小説なのだろう。
 この小説のタイトルは「弟」だが、実は「兄弟」と冠するべきではないか。

                       幻冬社文庫  ¥648 (2000.12.4)

事変 リットン報告書ヲ奪取セヨ     池宮彰一郎


 
池宮彰一郎はシナリオライターから小説家に転身した作家である。忠臣蔵を新たな視点で描いた「四十七人の刺客」で注目を浴び、昨年は「島津疾る」がベストセラーとなった。今もっとも脂がのりきっている作家の一人だといっても良い。
 池宮彰一郎の作品はまるで映画を観ているかのようである。これは彼がシナリオライター出身ということも関係があるが、その筆致がわれわれ読者の脳裏に画面を想像させるのであろう。
 「事変」は満州事変、満州国建国という歴史の表面の裏に凄まじい謀議、謀略が隠されていた。というストーリーである。
 魅力ある人物設定、わくわくさせるエンターティメント性は池宮彰一郎の面目である。一読をおすすめしたい。


                         新潮文庫 ¥552 (2000.11.26)

文人悪食(ぶんじんあくじき)    嵐山光三郎


 
嵐山光三郎といえば、編集者上がりのゲーノー人とばかり思っていたが、この本を読んで認識を改めた。このヒトは凄い!
 夏目漱石、川端康成、宮沢賢治、太宰治などの作家は、いわゆる「食」に対するこだわり、あるいはトラウマ、はたまた執着というものが物凄かったということがこの本を読むとわかる。
 やはり文学と言うものを志した人間の観察眼、生き様は常人とは違う。池波正太郎が食べ物に精通していたと言う話は有名だが、あの「風立ちぬ」の堀辰雄までもが食べ物にたいして執着を持っていたことには驚いた。
 近代文学に興味がある人はもちろん、興味がない人も是非一読を勧める。


                             
新潮文庫 (2000.11.10)

新ゴーマニズム宣言スペシャル 台湾論        小林よしのり

 日朝国交回復の会談が先日終わった。私にはこの会談の意味がさっぱりわからない。何故北朝鮮とわざわざ国交を結ばなければならないのか。しかもむこうがどうしても結んでくれといっているならわかるが、先方は一言も「結んで下さい」などとは言っていないのだ。
 それと比して更に不思議なことがある。それは日本が台湾と国交を結んでないことである。ニクソンのピンポン外交に慌ててかつての日本は道を誤った。
 百歩譲って中華人民共和国との国交回復はまぁ良しとしよう。しかし、小渕前総理の葬儀に来ようとした台湾外交団の来日を断ったのは最早理解できないばかりか、恥かしい。中国に無用の遠慮をしているのである。
 いったい何故であろうか?と考えた。
 これは戦後の教育に終始一貫流れていた「戦前の日本は全部悪い」式の教育が、まるでたちの悪い宗教のようにはびこってしまったからに他ならない。
 そんな日本の風潮ながら、この本は朝日新聞に代表されるニセインテリ、ニセ左翼の言論のいい加減さ、その偽者ぶりを「台湾」と言うかつての植民地?を通して見事に喝破してくれている。
 ちょっと、政治的だが皆さんに是非読んでもらいたい一冊である。

 
                                  (2000.11.1) 小学館 ¥1200

二十世紀 日本の戦争 阿川弘之 猪瀬直樹 中西輝政 秦郁彦 福田和也


 
20世紀にはいって100年。いよいよ来年は21世紀になろうとする今、この百年間に日本がかかわった戦争について、冷静に且つ客観的に討論しているのが本書である。
 日本は日露戦争、第一次世界大戦、シベリア出兵、日中戦争、太平洋戦争に直接関った。また戦後は直接戦闘には参加しなかったが、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などは間接的にりっぱにかかわっている。
 こうした戦争の歴史に目と耳をふさいでただひたすらに「平和、平和」と唱えていても現実の国際社会では通用しない。いまこそ、20世紀100年の近代、現代の戦争の経過を振りかえり「なぜこうなったか?」を勘考しなければならない。
 このことは戦後50年たってようやく現実認識されてきたようでもある。(まだまだ非現実平和教の信者も多いが)
 いずれにしても本書の対談の参加者が凄い。現役の海軍将校だった阿川弘之をはじめ、若手の論客福田和也まで幅広く日本の叡智を揃えた観がある。
 真実の歴史を見なおす意味でも是非一読をお奨めする。

(2000.10.7)文春新書  ¥660

李登輝 新台湾人の誕生  角間隆


 
李登輝はいうまでもなく中華民国の前総統である。李登輝は今年5月の陳水扁新総統の誕生によって政治的な表舞台から去った。この本は李登輝のこれまでの生涯を省みながら台湾がおかれてきた立場、歴史などをわかりやすく解説してくれている。
 李登輝は蒋介石、蒋経国という中国国民党政権の系譜を継ぐものだが、大きく違う点がある。それは李登輝が本省人初の総統だったということだ。そして彼は民主的な選挙によって反対派の陳水扁に政権を譲ったのだ。
 本書では李登輝の人間性の源流が、実は日本精神にあるということや、現在の日本政府の情けなさについても論じている。知らないことが多い中国関連問題だが、こうした本がもっと読まれることを期待したい。
(2000.9.30)
                                           小学館文庫   ¥552

もののふ   柴田錬三郎


 
「しばりょう」ではなく、「しばれん」である。眠狂四郎で有名だが、時代劇小説の巨匠である事は間違い無い。ひさしぶりに読んだこの作品を紹介する。
 表題作の「もののふ」は、言葉通りもののふの心、もののふの美学、もののふのスタイルを、箇条書き風にかきあらわしている。
 八幡太郎義家、鎌倉権五郎、鎮西八郎為朝など、武士草創期のあらあらしいまでの姿をいくつかのエピソードを交えてえがいたこの作品はシンプルながら深いものを感じる。日本人総武士化計画推進運動をすすめる私としては、教科書に是非のっけてもらいたいものだと思う。
(2000.8.10)
                                      
     新潮文庫  ¥552

ホームページ繁盛の法則  別冊宝島編集部 編


 
HPを立ち上げてかれこれ4ヶ月になる。その間HPの製作に当たって当初より技術的向上を遂げたこともあるが、おおむね進歩はしていない。
 またHPの運営における問題点も多々ある事はわかっているつもりだ。
 かねてよりの、そんな自分のHPに対する疑問について少しでも解答を求めたいという気持ちがこの本を取らせた。
 この本の構成は大きく2つにわかれる。一つは成功とされているHPを運営している人へのインタビュー。もう一つは全くの素人に「儲かるHP」を立ち上げさせてみる。という体験談である。両者ともそれなりに面白かったが、ただちにわがHPの参考になったかというとそうはいかない。
 やはりHPは限りなき自己満足と地道な努力ということなのだな。とあらためて思った次第である。(2000.7.15)

                                   
宝島社文庫 600円

歴史劇画「大宰相」  原作 戸川猪佐武 画 さいとうたかお


 
最近の政治家は小粒になったように感じる。私のような若造がそう思っているのだからやはりそうなのだろう。しかし「日本にもこんな政治家たちがいたのだな」と思わせてくれるのがこの本である。
 歴史劇画「大宰相」は、戸川猪佐武の「小説 吉田学校」を原作に、ゴルゴ13のさいとうたかおのリアルなタッチで戦後日本の政治史を描いた大作である。
 とはいうもののここに出てくる政治家たちがすべて良いと言っているわけではない。その権力に対する欲望の凄さはやくざの「仁義なき戦い」をはるかに凌ぐものがある。だが、天下国家というものも考えていたこともまた真実である。第1巻から10巻まである大作だが、劇画と言うことで大変読みやすくなっているので是非読破していただきたい。(2000.6.18)

講談社α文庫 980円

「名古屋学」  岩中祥史


 
「東京学」には姉妹編がある。というより、もともとはうどんの美学を語った「大阪学」が、この都市研究学とも言うべき新しい分野の本の始まりなのである。
 これに「東京学」「続大阪学」と「名古屋学」が続く。中でも「名古屋学」は面白かったので推薦しておこう。
 これまでも、三遊亭円丈の「雁道」(がんみち、名古屋市内の古い商店街の名前)や家田祥子原作のマンガ、「A・Bフリャー」など、名古屋を舞台にした本は多かった。しかし、この本はそうした中でも最も客観的に、詳細に名古屋を語ったものと言えよう。
 名古屋在住11年の経験のある編集長や、名古屋郊外の小牧市出身の且ちゃんにとっては、名古屋の味覚である「味噌煮こみうどん」「どて」「味噌おでん」「味噌かつ」「櫃まぶし」など懐かしさがこみあげるものばかりだった。しかしうなぎの「櫃まぶし」についてはもう少し詳しい解説や店紹介が欲しかった。
 また、第5章の「名古屋の言語学」は黙読ではなく、是非コトバを口に出して発音してみやー。
(2000.5)


新潮文庫 ¥438

「東京学」  小川和佑


 
私は江戸っ子ではないが、東京人である。(と思っていた)現在は神奈川県民だが、その前は愛知県民だった。そしてそれまでは、生まれてから24年間東京に住んでいた。そんな自分を東京人として意識したのは24歳のときに名古屋に転勤してからだった。
 日本一の大いなる田舎、名古屋は東京生まれの東京育ちの私に様々な文化的ギャップを教えてくれた。
そして地方に行ってはじめて生の「東京人逆差別」にも遭遇した。こうしたことが何故おこるのか?この本はその原因について正統に、丁寧に教えてくれるのだ。そのルーツが夏目漱石の「三四郎」にあるとは・・・。
 「東京のものはみんな利口でひとが悪い・・・」この三四郎の母のコトバこそ、全国の地方在住者が今も東京人に抱く先入観であろう。
 著者は綿密な取材や観察を通して、東京の包容力やスジを通す生き方など、とかく誤解を受けやすい東京の本来の姿を解説してくれる。
 また、私はこの本を読むまで自分のことを純粋な「東京人」だとばかり思っていたが、両親が北関東から上京していることから、正確には「上京人の2代目」だということがわかった。(2000.5)

新潮文庫 ¥438

「日本の危機」  櫻井よしこ


 このHPでも「関根的ダメダメコーナー」で、現在の日本が置かれている数々の危機的状況を、あらゆる角度から「ダメ」を出しているが、櫻井よしこの「日本の危機」は一層深く、またまじめに日本の危機について掘り下げて論じている。特に官僚腐敗の問題、マスコミの体たらく、教育の荒廃を語った内容は大きくうなずけるものばかりだ。
 最終章の「闘いを忘れた脆弱な国民性」と言うテーマはこの日本の危機的状況が何故生まれたか迫っており、今イチオシの必読の書と言えよう。  (2000.5)

                                      
新潮文庫  ¥552

「逆説の日本史」中世動乱編  井沢元彦著


 
これまで常識とされてた日本史に独特の視点でメスを入れるご存知、井沢元彦の第5弾(文庫版)
 井沢氏は日本史を独特の怨霊信仰論などの視点から解析してゆく。この中世動乱編は源氏をかついで勃興してゆく武士たちの時代となる鎌倉時代初期が舞台となる。文句なく面白いが、来年の大河ドラマを見るときの参考本にもなろう。
 
特に鎌倉幕府において、源氏が三代で滅んだ点についての着想は興味深い。
                                                  (2000.3)

                                           小学館文庫  ¥600

「OL委員会秘宝館スペシャル」 日本一の田舎はどこだ編  清水ちなみ


 
かつて週刊文春に連載されていたOL委員会だが、ネタが尽きたと思われてしまったのか2年ほど前に連載終了となってしまった。
 このOL委員会とは、全国の働くOL達(主婦もまじっている)が自分の会社や家庭、身の回りのことなどをアンケートに答える形式によって成り立っている。
 この最新刊は「日本一の田舎はどこだ?」にテーマを絞って爆笑、奇妙、異常の事実を紹介している。これを読むとまだまだ日本は田舎だらけなのだと言うことが良く判る。
 また、202ページには我が家が5年前に投稿した記事が掲載されていることも付け加えておこう。
                                   (2000.4)

                                            幻冬舎文庫  ¥533

剣客商売読本     池波正太郎ほか


 
池波正太郎の名作「剣客商売」について、本人が語っているほか、作中の人物辞典や作品一覧などがまとめられている。「剣客商売」ファン、池波ファンには必見の一冊となっている。
 挿絵の中一弥画伯との対談や江夏豊、永六輔、常盤新平、司馬遼太郎などの池波正太郎についてのエッセイも収録、読み応えのある文庫本だ。ブックカバーの裏側が「剣客商売 今昔地図」という特別付録となっているのにも注目。

                                        (2000.4)

                                       
新潮文庫 ¥629