石の作品を魂(たましい)の塊(かたまり)にしたい
---燃えつきてしまう木、融かせば融けてしまうブロンズよりも、永久素材としての石
に魅力を感じる。石こそが彫刻の素材としてふさわしい。太古の昔よりある岩石を再生
し、地球上の生命あるものすべての「いのちの輝」を石に込めたい。石という永久カプ
セルに閉じ込めてこそ、生命は永遠に生き続けるはずだ。
西洋、中国では石の作品がいちばん価値があるのだそうだ。しかし、日本では大きな
彫刻を見たら石像でも銅像だと言われ、石像を見たらお地蔵さんだと言われ、小さな人
物像はみんな人形と言われる。だから、まだ日本では石のモニュメンタルな作品は芸術
と認知されていないと思う。石の重要な作品を見た経験がないのだろう。
日本はミケランジェロを持たなかった。だから民衆レベルでは、石彫作品が石工の作
り物以上の認知を得ていない気がする。イサム・ノグチ、流政之・・・石の芸術品をつ
くる作家は確かに存在する。でもそれは西洋の美術文化に乗っかって遊離した所で存在
するのかも。庶民レベルとは違う世界。
木の文化である日本で石の作品をつくり石彫家として生きるのは大変だ。でも、石の
魅力を提案し、人々にも理解されやすい作品で見せていけば、石像の良さが分かる人が
少しずつ増えていくのではと信じてやっていくしかない。可能性はないものか。地に足
の付いた仕事を、町の風景の一部としてなじむ作品を置いていけないものか---
三木 勝