最初に闇があった。
その中でわたしを呼ぶものがいる。
「彼方(あなた)は誰?」――
そう問いかけても、それは答えてくれない。
次第に速度を増していく感覚が残る。
光が、私の周りを取り囲むように生じてくる。
そして色、色、色の洪水に、私は呑みこまれる。
スピードにのって見えてくるものは、様々な、おぞましいもの、かたち。
だが、私はそれを拒む事が出来ない。
何故ならば、それらは私の一部であり、全体であり、結果全て繋がるもの
であるからだ。
神谷公明 web site : http://members.jcom.home.ne.jp/komei.kamiya/
神谷公明展によせて 菅沼荘二郎
神谷さんとは神谷さんが若いころから良く知っています。もう40年も前になるでしょうか。そのころすでに個展などしていて、その案内状にある絵は、不思議な自画像でした。その案内状を見てから神谷さんと話をするようになり、それが今まで続いています。内面性の強い、しかし何か不敵なものを感じさせる、何か気迫のある、思いつめて強情、傲慢とも思えるような、しかしそれでいて、とても謙虚で控えめで、それでいてふてぶてしい、感情の振幅の激しい、一筋縄では行かない顔の絵は、とても印象深く、今でも私の記憶に残っています。
神谷さんの絵は人間の生命の誕生、そしてそれが動き、通り過ぎねばならない過酷な自然に猛然と立ち向かっていく、ギリギリまで迫って見ようとする戦闘のようなものを感じます。生半可なことではだめで、自分全てを投げ打って、自分の胸中にあるデモニッシュな世界にトコトン迫っていく。大概の芸術は過酷な自然におべっかを使ったり、処世術を考えたりしているのが普通ですが、神谷さんは世の不条理に突撃して行く。こんなことは普通の人にはなかなか出来ないことです。
神谷さんは若いころ、デ・クーニング、カンディンスキーと言った人達の影響があったと思われます。抽象的な形で内面に迫るこの人達の方法論は神谷さんの創作の上で強く引きつけられるところがあったようです。やがてこのような人達から徐々に離れ、自分本来の世界に押し入って来た観があります。神谷さんの絵から形式的な枠組みを感じません。まったく自由です。何かにとらわれて、どこかに押し込められていると言う、よく見かける絵とは全然違います。本来のオリジナリティを純朴に追求してきたと思われます。
神谷さんの絵は表現主義的です。表現主義又はフォービズムと言った世界を日本では、なかなかうまく理解出来ず、表面的にとらえられて、その強さを真に理解されていないところがあります。神谷さんの情報収集は徹底していて、古本屋、本屋、図書館、展覧会をくまなく歩き回って。特異で敏感で不敵なアンテナであらゆる所を嗅ぎ回っています。そこで自分と共通するもの、違うものを明確にし、形態に対して鋭く反応する術を身につけています。そこで体で純粋に会得した表現主義の筆法は手ごたえのある、しっかりしたものであることに強い自信を持っています。創作環境の悪い日本でここまで出来たと言うことは大変なことです。
神谷さんの絵には心地よい完成度はありません。混沌として不可解で不気味です。なぞの世界に自分全てを投げ打っています。素直で純粋に暗黒に立ち向かった絵は時に[美しい]と思われます。
2005年 7月