再論:中国の元切り下げはあるか

−深刻化するデフレへの最後の手段−







[要約]
  1. 昨年来の景気低迷、信用収縮により中国の資本収支は悪化している。輸出には好転の兆しも見えるが資本導入の先行きは厳しい。為替需給からみた人民元安定の難度は増している。
  2. 元切り下げの是非については「弊害が利に勝る」という昨年までの得失判断が大きく動く気配はまだない。しかし、今後財政・金融政策を発動してもデフレが止まらない場合、元切り下げ論が表面化する可能性も否定できない。
  3. 中国が元切り下げを本気で検討する場合は、切り下げによって負担が増す一部企業の外債償還に対する支援策を明確にすることが必須条件である。



  最近、再び人民元切り下げが取りざたされている。過去に切り下げがうわさされたときと今回が違うところは、貿易・資本収支の黒字幅が大幅に減少していることと、国内のデフレが一層進行していることである。  


   GITIC破たんで資本逃避

  外貨流入の減少は顕著である。先般発表された98年の国際収支(図表1)を見ると、資本・金融収支は97年に比べて差し引き290億ドル以上の収支悪化となった。特に目を引くのは、海外からの借り入れなどを示す「その他投資」が180億ドル、証券投資が105億ドル悪化したことである。景気低迷や元切り下げ観測に加えて昨秋のGITIC(広東国際信託投資公司)破たん後の信用収縮を反映するものであろう 。




   国際収支の更なる悪化避けられず


  加えて今年上半期は、輸出低迷と輸入増加により貿易黒字も前年同期の224億ドルの3分の1、80億ドルに減少した(図表2)。仮に政府の支援策やアジア経済回復で輸出が若干復調し、通年の貿易黒字が前年の半分程度に回復しても、貿易収支は98年より200億ドル以上悪化してしまう。密輸取り締まりによる正味の輸入減が最近の正規輸入の増加を上回ると仮定しても国際収支の悪化は避けられない。
  また、対内直接投資(実績)も低調で、今年上半期は9.2%減の186億ドルに減少しただけでなく、今後はますます厳しくなる恐れがある。景気の低迷、過剰投資抑制策に加えて、人民元切り下げ観測が投資をためらわせるからである。
   金融収支でも外国資金の引き揚げは続いている可能性がある。そうだとすると、貿易、外国投資の不振と相まって99年の国際収支は更なる悪化が避けられない。
  人民元レートは厳しく管理されているが市場の需給で決まる変動相場制が建前である。元安定の難度は増していると思われる。



   中国の外為制度に異変

  中国の外為制度は98年に異変が起きた。外貨集中制(稼得外貨の売払義務)を取る中国では流入外貨の相当部分は市場で人民元に転換される建前だから、大量の外貨が純流入すれば元高(外貨安)になるか、人民銀行が外貨買い介入して外貨準備が増大するか、どちらかのはずである。96、97年はまさに後者のケースで、外貨準備が300億ドル以上増加した。
  しかし、98年前半、外貨の大量流入は続いていたのに外貨準備の伸びは急に鈍った。これは元切り下げを恐れて膨大な資本逃避が起きたせいだと言われている。
  加えて、年後半には貿易黒字減少や信用収縮が起きた。仮に上半期並みの資本逃避が続いているところに流入外貨の減少が重なったとすれば、需給は逆転し、外貨準備が増える余裕はないはずであるが、実際には微増が続いた。

   当局の為替介入に関する一仮説

   外為当局は昨夏から資本逃避を阻止するための取り締まりを始めたので、過去に逃避した資本の回収や新規逃避の抑圧が起きたということかもしれないが、取り締まりの効果がそれほど劇的だったという話は聞かない。
  国家指導者は外貨準備が減少すると人民元の先行き不安を煽(あお)ることを心配していると言う。このため、例えば国有商業銀行が人民銀行に代わって、言わば自己勘定で需給を調整するといった代替手段を用いて外貨準備の目減りを避けたのかもしれないが、真相はまだよく分からない。ただ、国際収支の更なる悪化は必然的に為替安定のコストを増大させる。人民元切り下げ(下落に任せる)の得失が改めて論議されていてもおかしくない。

   人民元切り下げの得失

  過去、切り下げ賛成の理由として挙げられたのは通貨切り下げによる輸出拡大であったが、これに対しては「原材料・部品の輸入が輸出付加価値の半分を占めるため、元を切り下げても輸出価格低下は輸入コスト上昇で半分相殺されて意味がない」との意見が強かった。
  反対の理由として挙げられたのは香港ドルへの波及、公約違反による信用の失墜、対米貿易摩擦の深刻化、そして外債(98年末残高1460億ドル)の償還負担増大という深刻な問題であり、総体として「切り下げは弊害が利益を勝る」という見方が大勢だった。

   元切り下げはデフレ対策たりうるか

  この得失判断が変化する気配はまだないが、これからはデフレと為替相場の関係を考えておく必要がありそうだ。
  中国の物価下落は依然深刻である(図表3)。長引くデフレの根底には国有企業の不振に象徴される根深い構造問題とこれによる大衆の先行き不安があり、解決には根本的な構造改善が必要である。
  しかし、長期的な構造調整と併せて即効的なリフレ策を講じないと、企業収益の悪化が更にデフレを深刻化させる悪循環が起き、もう一つの根深い問題、不良債権の処理もますます難しくなる。



   ラストリゾートとしての元切り下げ

  今、リフレ策として財政・金融政策の追加的発動が検討されているが、中国は日本以上に財政余力に乏しく、財政出動も今年が限界と言われている。また、金融システムが脆弱(ぜいじゃく)なため、日本のような思い切った低金利政策をとれば預金流出の混乱を招く恐れもあるなある。
  ところで図表4の資料(作成:国家発展計画委員会)を見ると、やや意外だが、エ材料・素材で中国が相当大きな内外価格差を抱えていることが分かる。購買力平価的な視点から見た人民元の過大評価感は否めないのである。したがって当面は追加的リフレ策の効果を見極める必要があるが、なおデフレが止まらなければ人民元を切り下げて輸入物価を上昇させるという「最後の手段」が俎上(そじょう)に上る可能性も否定できない。
  もっとも、人民元安定の公約は指導者がさんざん宣伝してきたから、並大抵のことでは撤回できない。特に建国50周年、WTO加盟交渉など内外に懸案が山積する今年、アジアから批判を浴びかねない元切り下げを行うことは難しいと思われ、来年のどこかで功罪と要否を判断することになるのではないかと思われる。



   海外からは元切り下げ肯定論も


  昨年までは「人民元が切り下げられればアジア経済危機は一層深刻化する」という認識が一般的だったが、アジア経済が回復に向かう一方、中国経済の手詰まり感が強まるにつれて、やや雰囲気が変わってきた。最近、世界銀行のスティグリッツ副総裁やマレーシアのマハティール首相などが元切り下げに肯定的に言及したのはその例である。
  中国経済の大きさ、周囲に及ぼす影響力は到底無視できないものになっており、その不振はアジアばかりか世界の心配ごとになりつつある。仮に切り下げによって好転のきっかけがつかめるのなら、元切り下げの功罪は再考されてもよいかもしれない(海外にこのような見方が広がれば、公約で縛られた中国指導者は随分気が楽になることだろう)。 

   外債償還の支援策がカギ

  しかし、中国が本当に切り下げを検討するなら、メンツよりも大切なことがある。 それは切り下げで負担が増大する中国企業の外債償還を支援することである。巨額の外債を抱えるが収入は内貨、という一部の大企業が切り下げの余波で償還困難に陥れば、第2のGITIC事件になりかねない。切り下げの功罪は再考の余地があるとしても、この問題を放置すれば中国自身にとっても「悪い切り下げ」になる。また、そんなショックを病み上がりのアジア経済に及ぼさないことも「良い切り下げ」の必須の前提条件であるはずだ。

(日経テレコン デジタルコラム 1999年9月7日)




元に戻る