中国の密輸規制、市場開放の契機にも
−企業は対中市場戦略の再検討を−




[要約]

  • 中国では朱鎔基首相の指導下で、国内生産を圧迫する密輸入の厳重な取り締まりを始めた。この余波で、多くの日本企業で香港経由の輸出が止まったり、現地日系企業の原材料調達が阻害されるなどの影響が出ている。
  • 中国の経済停滞が続けば、密輸への締め付けは解けない。解放軍を密輸ビジネスから切り離せるかも、取り締まりの行方を左右する。
  • 一方で関税引き下げや輸入制限撤廃、外国企業の国内流通参入などが進めば、密輸は下火になる可能性がある。
  • これに加え、今まで外資に閉ざされていた国内流通でも近く開放が進む兆しが見えるので、日本企業は対中市場戦略の見直しに着手すべきである。



  最近中国が密輸をこれまでになく真剣に取り締まっている。今回の取り締まりは、以下の三点で従来と大きく異なる。

   密輸が中国の供給過剰に拍車

  第一に不景気を背景として、密輸が経済に大きな害悪を及ぼすことが誰の目にも明らかになっていることである。
  密輸の悪影響は、今年に入って石油、鉄鋼などの原料・素材産業や機械電子産業に顕著に現れた。中国の産業は設備過剰と需要の弱さに悩んでいる。そこに大量の密輸品が流入した結果、市況の急落、生産の減退、収益の急落が生じ、悪影響は雇用にまで及んだ。
  今回の取り締まりはこのような経済情勢を背景として、「密輸=悪」という社会の認識がこれまでになく高まった中で行われている。

   朱鎔基首相「特殊法人」にもメス

  第二の差異は朱鎔基総理の指導の下で、従来のタブーや悪しき慣行に正面から挑戦していることである。朱鎔基総理が7月の密輸打撃中央工作会議で行った講話(9月初公表)はこの挑戦の中身を詳細に示している。
  最大のタブーは大がかりな密輸を行ってきたのが地方の党・行政・軍機関、司法・警察機関の(傘下企業)だということである。朱鎔基総理はこれを「特殊な背景を持つ法人の密輸」と呼び、「その黒幕を糾明し主管機関トップの責任を追及する。今次取り締まりの成否は特殊法人密輸取り締まりにかかっており、捜査がどんな機関、高官に行き着こうとも怯(ひる)むな」と叱咤(しった)している。

  「商慣行」も密輸扱いに

  密輸ビジネスの最大手は国務院では手を出せない解放軍である。このため朱鎔基総理は江沢民主席に訴えて、解放軍のビジネス関与を厳禁する主席自らの命令(7月21日発表)を取り付けた。「密輸は経済破壊活動」と指弾されれば、解放軍も既得権益を主張しづらい。
  悪しき慣行とは輸入価額を過少申告する、製品を分解して輸入後再組み立てする(部品低関税率の濫用)、保税物品を横流しするなど、中国南部を中心に行われていた不正通関である。不正通関は中国の「商慣行」になっていた感もあるが、朱鎔基総理はこれを「密輸」と決めつけて、撃退せよとした。この方向転換のもたらすインパクトは小さくない。

  捜査機構を新設、標的も明示

  第三の差異は曖昧(あいまい)さを許さない朱鎔基流の対策にある。そのポイントは重点対象の明示、各地方政府・機関の成果請負制、捜査機構の新設である。
  重点対象は前記特殊法人の密輸のほか、商品では石油製品、自動車・バイク、煙草、海賊版CD、食用油、化工・紡績原料、携帯電話、パソコンなど。
 地域では広東・広西・福建・浙江などの沿海地区(特に珠江デルタの水上密輸)中越国境、内陸辺境地区など。
  手口でいうと、偽造文書・証明の利用、虚偽申告や脱申告、加工貿易形態(保税による免税原材料やこれを加工して製造した製品を国内に横流しするなど)や保税区(倉庫)制度を悪用するものである。加工貿易形態や保税区を利用して大がかりな密輸を行っているとして「外資企業」がやり玉に挙げられていることも注目される。

  ノルマと人事考課課で締め付け

  成果請負(ノルマ)制は一連の朱鎔基総理の改革に共通した手法で、幹部への人事考課で裏打ちされている。捜査機構の改革では、税関が主導権を握る「国家密輸取締警察隊」が創設され、摘発案件の処理も公安、工商行政局の協力を得つつ税関が統一処理するなど、税関の権限が大幅に拡充された。
  密輸取り締まりの効果は街中でも実感される。密輸タバコが姿を消し、北京の秋葉原、中関村では外国パソコンとパーツが品薄になった。

  香港経由の物流に異変

  本腰を入れた取り締まりの結果、日本企業の対中国市場販売や現地日系企業の操業にも大きな影響が生じている。最も大きな影響が出ているのは、多くの日本企業が依存してきた「南方ルート」、すなわち香港経由の対中市場アクセスである。「転売先までは関知しない」という建前で行われているが、香港での「売切り」の後ろに密輸ルートが控えていることは公然の秘密である。
  取り締まりを警戒した中国側業者が鳴りを潜めた結果、南方ルートには大きな異変が起きており、既に香港や珠海の港湾施設では引き取り手のない自動車その他の製品の在庫のヤマが生じているとも言われる。

   正規ルートのリスクも増大

  取り締まりは保税区を経由する国内市場向け販売にも影響を及ぼす可能性がある。上海などの保税区に設立された外資企業は、地方政府肝入りの「交易法人」を取引に形だけ介在させることにより、保税区外にも輸入製品を販売することが認められている(いわゆる「外高橋保税区法人」型内販)。
  この取引は商品の内貨転換時にきちんと関税を納めるかぎりは密輸ではない。しかし、近ごろ密輸取り締まりに加えて外貨送金の規制強化、増値税(中国の付加価値税)の徴収強化などにより、保税区が絡むモノとカネの流れが厳しく監視されているため、取引に支障が出始めている。また、中央政府は輸入製品の国内流通を対外開放していないので、本方法は脱法行為だと指摘されかねない危うさが指摘されており、監視強化により、そのリスクが今以上に増大する恐れもある。

   日系企業は痛しかゆし

  第三の影響は国内日系メーカーの操業に関係するもので、一部企業は密輸取り締まりの結果、部品・原材料の調達困難という直接的な影響を被っている。
  しかし、他方では取り締まりに喝さいを送る日系企業もある。これら企業は、従来関税も増値税も払わない競合密輸品の氾濫に採算を乱されてきため、「これで進出時に当てにしていた関税保護も期待できる」として喜んでいる。

   不況下では反密輸気運消えず

  さて、年末までとされる今回の取り締まりキャンペーンの効果は長続きするだろうか。この点を占うカギは三つあると考えられる。
  第一は景気の先行きである。短期間で好景気に戻れば、密輸の害悪も忘れられてしまうかもしれないが、需給ギャップの調整と世界景気変調の収束には時間がかかりそうである。密輸への見方が大きく変化したことにより、弱含みの経済情勢が続く間は、公然と密輸活動を再開することは難しいであろう。
  第二は解放軍と密輸ビジネスの切り離しがどれだけ成功するかである。これは一筋縄ではいかないが、軍と傘下企業の人的結びつきや傘下企業の「アンタッチャブル」性を弱めることができれば、有効な密輸抑止策になる。

   “表玄関”の対外開放がカギに

  第三の、そして最も根本的な問題は、今後中国市場の表玄関がどれだけ開放されるかである。従来密輸という裏玄関が利用されたのは表玄関が十分開放されなかったせいである(高関税、輸入制限や外資流通業の制限など)。法令や制度の執行が不十分なのに不相応な国内産業保護政策を取ったことが大量の密輸を産んだのである。したがって密輸を本当に撲滅するには産業保護のレベルを下げ、密輸の旨味を減らすしかない。

   視野に入った流通の開放

  中国政府はこのことを意識して、関税引き下げや輸入制限撤廃を進めてきた。残る大きな障壁として外資流通業に対する制限が残っているが、この点でも明るい兆しが見え始めた。
  中国は7月にジュネーブで行われた世界貿易機構(WTO)加盟交渉で小売業の大幅開放に加え、加盟後3年以内にマジョリティ・シェアの合弁で、5年以内に100%外資で、外国企業による卸売会社、販社の設立を認める提案をした。
  「加盟後5年ではいつのことやら」という印象もあるだろうが、これまで中国が世界貿易機構(WTO)交渉で示した時間表は、交渉状況に関わらずほとんど前倒しで実施されてきた。改革開放は国内政策の柱として進められており、世界貿易機構(WTO)交渉はこれを「高く売る」駆け引きに過ぎないとも言えるからである。現に新聞には国内流通でも前倒しを示唆する報道が見える。

   対中流通チャネルの再検討を

  当局は当分手の内を明かさないだろうが、近い将来、日本企業が世界各地の生産拠点から製品を輸入し、自社流通チャネルで内販することが可能になるだろう。しかし、解禁が公表されてから準備したのでは遅い。南方ルートや保税区法人に依存してきた日本企業は自社流通網整備への戦略の転換、少なくともリスクや実現時期を勘案した流通ルートのポートフォリオ見直しに入るべきである。
  今回の密輸取り締まりによって日本を始め外国企業の対中市場アクセスは短期的には打撃を被るだろう。しかし、その傍らで表玄関の開放が進むなら悪い話ばではない。密輸や不法な外貨送金が下火になれば、進出した外資企業の採算向上や不正請求のせいで中断している輸出増値税の全額還付も期待できる。
  短期的に損失を被っても、中国が普通の国に一歩ずつ近づく動きは当を得たこととして、その先の一手を考えるべきである。

(日経テレコン デジタルコラム 1998年10月8日)






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