中国の元切り下げはあるか
−為替需給面では元安要因少ない−






  この数カ月「アジア通貨に続き、人民元も早晩切り下げられるのではないか」との声をよく聞く。
   確かに通貨危機の圏外にあった人民元はアジアの中で割高になった。現行レートを維持すれば、経済成長の二大けん引車である輸出と外資導入の両面で、中国が競争上不利をこうむる可能性は高い。
  それでなくとも中国では昨年頃から高成長に陰りが見えだした。国有企業や金融の改革、過剰投資の改善といった重要問題も成長が鈍化すれば、解決がさらに難しくなるものばかりである。だから、この元高は今の中国にとってつらい。
 しかし、人民元の先行きは他の要因も考慮して総合的に探る必要があるだろう。

  まず外国為替市場の性格が先進国とは違う。中国の為替市場は貿易決済や導入外貨資金の内貨転換などによる実需取引だけで成り立つ。しかも、中国人民銀行が為替安定介入を行う「管理変動相場制」の色彩も濃い。
  97年を例に取ってみれば、400億ドルの貿易黒字、450億ドルの外資導入(実行額)を背景に、市場では終始ドルがだぶつき、人民銀行が多額のドル買い・元売り操作によって元の上昇を防いだ(図表1)。昨年中国の外貨準備高が350億ドルも増加した原因はまさにこのドル買い介入にある。

実需と介入が決める元相場


  350億ドルと言えば中国のマネーサプライ(M2;昨年末で約8兆6,000億元)の3.4%に相当する。人民銀行は為替介入の傍ら、通貨膨脹を防ぐために、ドル買い代金として放出した元を懸命に引き揚げたはずである。また、中国は既にIMF8条国であり、実需取引に基づくドルの持ち込みや売りを制限するといった需給調節はもはやできない。
  したがって人民元の先行きを考える時、為替の市場動向を決する実需の先行きを考えることが何より大事である。

  貿易出超幅は縮小へ

  貿易はまず輸出の不振が予想される。ASEANや韓国向け(全体の約10%)の落ち込みは確実であるし、景気が低迷する日本向け (同17%)もあまり伸びが期待できない。最近は米国向けのほか、欧州への輸出が伸びているが、今後為替下落国の輸出との競合も強まろう。昨年の出超幅400億ドルが縮小するのは確実である。
  しかし、輸出を下支えする輸出構造の変化も見られる。現在、中国の輸出の主役は外資企業になりつつある(図表2)。外資企業は親企業のグローバルな生産販売活動に組み込まれている。このような安定的なグループ内取引は為替変動の影響を受けにくい。


   「増値税」還付で輸出テコ入れも

  今後輸出が政府の予想を超えて減少した場合は、「増値税」の還付率を引き上げる手段が残っている。増値税は中国の付加価値税で、 輸出品は本来なら輸出段階で全額還付されるはずだが、中国は財政難のため半分程度しか還付していない。増値税は輸出採算を悪化さ せている訳で、還付率を引き上げれば輸出には追い風になる。
  一方、輸入は原材料をはじめとして韓国、東南アジアからの輸入が拡大する可能性があるが、中国の景気が下降しているので、急激な伸びにはならないという見方が多い。

   海外からの資本流入は減少

  外資導入は中国国内の過剰投資による採算悪化、不透明な投資環境に対する不評などか ら、新規契約が96年以降落ち込んでいる。そろそろ契約に基づく投資実行金額にも本格的な影響が出てこよう(図表3)。




   外貨準備高がシグナルに

 為替市場のドル余剰傾向は逆転するか、するとしたらいつだろうか。98年については、 貿易出超幅はそう簡単に縮小しそうもない( 図表4)。
 しかし、為替介入操作を反映する外貨準備高の伸びが最近鈍化している。増加額落ち込みのうち90億ドル分はタイへの金融支援10億 ドル、IMFへの緊急拠出20億ドル、国内企業のドル保有を一部解禁する規制緩和(昨年 10月実施、2月時点の保有額:約60億ドル) で説明できるので、為替需給の基調は変わっていないかもしれない。しかし、外貨準備残高の変動はドル・人民元の需給動向を反映す る重要なシグナルであるので、今後も月ごと の動きを十分注視すべきである。





中国政府、威信かけ通貨防衛




   政治的に元安放置は困難

 人民元政策には、経済的要因だけでなく政治的配慮も加わる。今後仮にドルと元の需給関係が逆転しても、以下のような要因から、元安を放置する選択は取りにくい。
 第一はアジア経済危機乗り切りのための国際貢献責務である。中国指導者は最近行われた各国要人多数との会談を通じて、今自国の都合しか顧みない通貨政策を取れば世界経済に大きな悪影響を与え、中国が強い批判を浴びることをよく認識していると思われる。
 第二は対米貿易不均衡である。米国の対中貿易赤字は昨年499億ドル(米国統計)に達し、米国議会から強い批判が出ている。ただでさえ輸出先をアジアから米欧に切り替える中国企業が出ている中、元安で輸出ドライブをかけたと見られれば、米中経済関係、WTO(世界貿易機関)加盟交渉等に深刻な悪影響を及ぼす。
 第三は香港ドル防衛支援である。元が下が れば小康状態に入ったアジア通貨が再び大混乱に陥り、香港ドル防衛も危機に瀕しよう。これは返還後の香港の安定を重視する中国にとって何とか避けたいことであろう。
 第四は中国指導者の威信である。朱鎔基首相は昨年9月以降、繰り返し「人民元は切り下げない」旨発言してきた。日本では懐疑的な受け取り方もあったが、多くの中国人は「あれだけ繰り返し否定したのに元を切り下げたら、朱鎔基のメンツはなくなる」という見方をしている。最近は李嵐清副総理など他の政府要人も否定発言をしている。「元を切り下げない」ことは討議を重ねた結果の機関(国務院)意思だと見るべきであろう。


   総合判断は人民元安定重視

 前回も述べたとおり、中国為替市場のカギは今後の貿易・投資動向であり、当面は貿易・投資実績の直近の動向および為替介入の向き、大きさを反映する外貨準備残高の月ごとの変動を注視すべきである。
 また、予想を超える変化が生じても、中国政府は為替政策の転換より、まず追加的な輸出・投資促進措置を取ろうとすると思われるので、その気配にも注目する必要がある。
 さらに、従来為替市場で見られたドル過剰傾向が仮に逆転したとしても、安定介入をせずに元安を放置する選択は、政治的観点から取りにくい。中国政府が総合判断としてアジア経済危機の早期収束を祈りつつ、元高に耐えていこうと覚悟している可能性はある。

   日中両国の責任は重い

 そうであれば、私はその姿勢に賛成である。今も綱渡り状態が続くアジア経済への信任を回復するために、日本や中国の責任は大きい。そのためにも、日本には内需の拡大、経済協力等の積極的実施を、また、元切り下げの噂が過度に取り沙汰されて実行間近の対中投資が手控えられたりしないよう、期待したい。
 最後に、元の先行きを占う上でなお読みにくいことがある。規模はまだ小さいと言われるが、ヤミ為替市場の拡大が噂されたり、統計に現れない密輸や違法海外送金の額が大きいと言われることである。多額の外為取引や資金移動が非合法に行われると、正規市場の取引レートが実体経済から乖(かい)離し、不測の事態を生ずる恐れも否定できない。

(日経テレコン/デジタルコラム 1998年3月20日)




元に戻る