Diary

Ichiro Satoh

もともとAgentSpaceというモバイルエージェントシステムの開発履歴に関するページがあったのですが、開発関連話よりも雑談の方が多くなったので、2001年分から別のページを用意することにしました。

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2003年4月30日 

経済産業省の方からダメだしをされました。昨日のAppleの音楽配信サービスの配信データ形式はMP3だけではなく、AACにも対応でむしろメインはAACだそうです。それにしてもいろいろチェックされています。あまりうかつなことは書けません。結局、iTune4のインストールとiPodのダウンロードして試してみました。ただし試聴だけ。もとのiTure自体が出来がよかったこともありますが、配信サービスと再生ソフトウェアの親和性という点ではなかなかです。次の焦点は迎え撃つ音楽業界とMicrosoftがどう出るかです。実はMicrosoftは以前独自にCDデータベースの構築を発表したのですが相当手間取っている御様子。人海戦術でデータベースを作ったことは作ったらしいのですが、どうなったのでしょうか。期待していたのに。ところで、その音楽配信サービスといっしょにiPodの新型モデルも発表されていました。まぁ手持ちの旧モデルで不自由はしていないのでどうでもいいのですが、多少は気になります。でも、スペックをよくみるとバッテリ持ちが短くなっています。現行モデルでも国際線の機内で使う場合には短いので再生時間をもっと伸ばして欲しかったのですが、どうも米国人には東海岸と西海岸の移動時間しか念頭にないようです。ちなみにPowerBookやiBookのバッテリ稼働時間が5時間というのも両岸の飛行時間から決まったそうですし。ところでオーディオものといえば昨日、3,4年ほど自宅で使っているSennheiserのヘッドホーンのケーブルが断線してしまいました。まぁさすがはドイツ製&業務用音響機器メーカということで1000円ほどの専用ケーブルだけを買ってくれば済むのですが、それを秋葉原に行くのが苦痛。別にPCを組み立てる趣味もない当方には秋葉原は苦手。実はここ3年以上行っていません。勤務先から2kmと離れていないのですが。

2003年4月29日 

AppleのiPodを常用している者としては昨日Appleが発表した音楽配信サービスは米国内向けとはいえ気になるところ。一曲99セントだそうです。同様のサービスと比べると安いかもしれませんが、個人的にはMP3データに99セントはちょっとね。やはりCDを欲しがる古いタイプなのです。AppleはMP3 音楽再生ソフトウェアiTuneと携帯MP3再生機iPodをすで持っているので、そのiTuneで楽曲の購入、ダウンロード、管理、再生、携帯再生機への転送ができるのはいいかも。実際、iPodとiTuneの組み合わせはそれだけでMacintoshを買ってもいいと思わせるだけの使い勝手のよさがあります。また、ユビキタスコンピューティングのビジネスモデルを考えるときのヒントになりそう。PCの世界ではソフトウェア専業のMicrosoftとハードウェアとソフトウェアの両方を手がけるAppleという待避ができたのですが、PCようにハードウェアの高性能化・低価格が進む世界ではハードウェアは他者に任せた方がいいわけで、Microsoft の圧勝でした。一方、PC以外の組込機器では家電メーカを含むハードウェア側が主導権をとっています。ただ、iPodとiTuneの組み合わせというのはPC(Macintosh)と組込機器(iPod)の融合なので、いままでとは状況が違いますし、今後はこの市場は伸びそう。そのときはAppleのようにソフトウェアとハードウェアの両方を手がけられるメーカに勝機が訪れるかもしれません。これを考えると25日に書いたことに反しますが、ソニーが未だにVAIO事業を諦めないのも納得がいくし、逆に家電製品もVAIOと名付けて、VAIOシステムの一部として開発・販売するという展開も考えられます。

2003年4月28日 

一日勤務先でたまっていた雑用仕事の始末。その勢いで年度末に納品された物品の整理を始めたのですが、どうにも収拾がつかなくなり途中放棄。今年度末はどうなることやら。想像しただけで気が滅入ります。まぁわかる人にしかわからない話なのですが。ところで、世の中GWだからでしょうが、映画の宣伝が多くなりました。ここ数年は年に2,3本ぐらいしか映画を見なくなっています。その理由は飛行機に乗りすぎ。特にエコノミーもシートテレビが普及していろいろ映画を見られるようになったもいけません。ということでロードショー上映のTV CMをみていると、ほとんどが封切り前に観た物ばかり。この分ですとGWは一本も見そうもないです。なお、そのことを知り合いに話したら、正月前、GW前、夏休みのすこし前あたりに海外出張をすれば映画代が浮くといわれたのですが、やはり海外出張は疲れるので、映画館に行った方が幸せでしょう。

2003年4月27日 

古い話を引きずっていますが23日の続き。IntelはOpteron対抗にx86互換性をもつ64bitプロセッサの開発プロジェクトを発表するかと期待していたのですが、Itaniumの32bit-x86 互換モード用に既存x86用ソフトウェア変換するソフトウェアを開発すると発表。もう少し大きな発表を期待したいところなのですが、このソフトウェア変換は本当にうまくいくのかな。それは別にしてもItaniumにまつわる一連の流れをみているといろいろ考えさせられます。Itaniumは開発遅れの連続。確かに高速化にはVLIWを含め複雑な回路が必要なのかもしれませんが、複雑になるだけ設計・開発に人手と時間がかかり、結果として設計開始時は優れた性能でも長い開発が終わって市場に出たときにはパッとしない。この問題は研究にもいえて、大きなテーマは往々にして研究スピードを失いやすい。まずは研究も個々のテーマはシンプルにして研究に要する時間を短縮するとともに、個々のテーマの成果をモジュール構成的に組み合わせて大きなテーマに対応できるように研究内容を再設計しないとこれからの時代は厳しいかもしれません。いくら壮大な研究でも先を越されたら意味がないです。ということでGW中に開発する予定だったソフトウェアも再設計中です。

2003年4月26日 

今日からゴールデンウィークということになっているそうですが、行楽地は混んでいるのでしょうか。人混みは苦手なのでパスしたいです。ところでテレビで成田空港の様子が映っていましたが、連休初日というのにガラガラ。いつもの土日どころか平日の混み具合でした。SARSウィルスは恐るべしです。あまり気にしない方なのですが、香港や北京開催の国際会議に投稿するのは当分パスした方がいいのでしょうか。どちらも行ったことがないので、いってみたかったのですが。ところでそのテレビでも成田空港での感染を恐れてマスクをされる方が映っていましたが、マスクをしたまま欧州に行くのはやめた方がいいかも。博士課程時代に数ヶ月ですがフランスにある某社研究所に転がり込んでいたときがあったのですが、薬屋にマスクがないかと聞いたら売っていません。それでわかったのですが、フランスでは一般人が風邪を弾いたときにマスクをするという習慣がないそうです。だから、東洋人がマスクをしているとSARSウィルスのイメージが重なってしまい、フランス人はナイーブなので怖がります。まぁパリあたりは見慣れているから大丈夫でしょうが、田舎では余計なトラブルに巻き込まれるのがおちです。すくなくて地下鉄や列車にのるときはやめておいた方がいいでしょうね。

2003年4月25日 

何とか回復しましたが、ひとまずおとなしくしています。ただ、論文だけは書き上げて何とか投稿。実は締め切りを勘違いしており3,4日先だったのですが、連休中はプログラミング以外にカメラレディ論文一本と投稿論文が2本もあるので今回は書けたところで送ることにしました。さてさて話はかわって、今年に入ってから景気が悪いということでしょうか。ソニーの決算が発表になりましたけど、4-12月損益がプラス2266億円でしたが、1-3月期損益がマイナス1111億円だそうですが、1-3月で今年度利益の半分が消えた計算になります。もっともこれで業績悪化といっていたらF社とH社はいったいどうなるのかという感じですが。ただ、ソニーは大手電機メーカのなかでは業績がよかったぶんだけリストラが一番遅れたところもあり、これからはたいへんかも。部外者からみるとそろそろVAIOも潮時のような気がします。この際PC事業から全面的に手を引いた方が良さそうですし、せめて他社との差別化が難しいデスクトップPCと普及型ノートPCはやめられた方がいいように思えます。まぁ当方が考えることではないのでどうでもいいですが。とはいえソニーは研究開発費を増やしてIT技術開発の研究所を設立するそうです。やはりお金持ちです。もしかしてまたOSを作るのでしょうか。でも、この話は禁句でした。ここは複数のソニー関係者が見ているので怒られそう。

2003年4月24日 

声が出ないのでプレゼンをキャンセルさせてもらいました。今回は迷惑かけまくっています。反省です。過去に集中講義で90分×3本×3日間というのでも大丈夫だったのですが、今回は一回の講義で声がおかしくしてしてしまいました。

2003年4月23日 

なんか声が出ません。続けて1分としゃべれない状況です。一昨日の講義以来不調です。懸案は明日の講演2件。ところでAMDが64bitプロセッサのOpteronを発表しました。どの程度の性能なのかは知りませんが、対抗のIntelの64bitプロセッサであるItaniumは性能も期待はずれだし、Pentiumなどのx86互換モードは乗せていても遅い。その意味ではx86の32bit資産をそこそこの速度で走らせながら、徐々に64bitに移行ができる点はハードメーカにもソフトウェアメーカにとってもありたいです。どちらも最終的にはソフトウェアの書き換えが必要ですが、段階的に移行できOpteronは以降コスト的には有利。次に焦点はちまたで噂されるIntelがItaniumと並行してx86互換64bitプロセッサの秘密開発プロジェクトを持っているという噂。そもそもPC用のように数が出るプロセッサが性能的にも市場的にも主力になるということを一番よく知っているのはIntel自身だと思うのですが、サーバ狙いで数のでないItaniumを狙ったのは不思議。それにItaniumが性能的にもパッとしないのは2,3年前から明らかだったので、x86互換64bitプロセッサを含むなんらかの対抗プロジェクトを持っているのが妥当とは思いますけど。というかIntelが対抗プロジェクトをもっていないと、さすがのIntelも厳しいので、ひとまずはOpteronへの流れを止めるためにもXeonの拡張アドレスのキャンペーンとか、ひとまず開発表明だけでもするかもしれません。でもそれは莫大な開発費を投入してきたItaniumをIntel自ら潰すことになります。もちろん計算性能的には数が出るx86互換32bitプロセッサが計算速度では有利になるでしょうが、その場合は実メモリ空間が4GBという壁はそのままでは超えられませんが、昨今のサーバ機はその壁に追いついたのも事実。どちらにしても今回の発表は今後のプロセッサ勢力図の展開で重要かもしれません。ハイエンドサーバ機はx86互換32/64bitプロセッサとPowerPC系に収れんされるかもしれません。それと次の焦点はSunとAppleがどうするかです。特にSunはハイエンド狙いですが、肝心のSparcプロセッサの性能はいかんせん遅いので、Opteronの登場はありがたいかも。Macintoshはクライアント用が主目的なのでPowerPCよりもx86系の方が性能的にも価格的にも有利。Opteronという選択もあるでしょうが、いまならいい条件でIntelからPentiumが入手できそう。

2003年4月22日 

慶大理工の講義。本当は昨晩準備するはずだったのですが、結局、朝に授業内容を確認。それにしても講義は疲れます。マイクを使っているのに90分しゃべり続けると喉がぼろぼろになりました。それでも打ち合わせが続きます。喉が痛くしゃべれないので黙っておりましたけど。このペースだとそろそろダウンしそうです。ということで今日はもう寝ます。疲労のピークです。

2003年4月21日 

日立のmu-chip部門トップ方と話す機会があり、だからというわけでないのですが、mu-chipリーダの制御プログラムをJavaで書いてみました。RS232cコマンドが比較的にシンプルなのと他のリーダ用に書いたプログラムの使いました結果、実質30分程でライブラリが完成。RS232cの信号モードがわからず一瞬手間取りましたが、あっけなくできてしまい拍子抜け。JavaのCommmunication APIを素直に使っているので、WindowsだけでなくLinuxでもそのまま動くでしょう。ただし、日立さんとの守秘契約があるので第三者に配るわけにもいきませんけど。ご興味ある方はまずは日立さんとご相談の上連絡して下さい。ところで科研費が企業からも応募可能になるそうです、そのぶんアカデミアは取り分が減るわけですが、研究成果が世の中に還元されるのであれば別に民間とか大学とかを分ける必要もないです。そうそう、今日勤務先の窓から飛行船をみました。バブルの頃は結構飛んでいましたが、このところお目にかかっていませんでした。

2003年4月20日 

まぁ、こんなところで書いても仕方ないのですが、学会話の続き。どうして学会は細分化するのでしょうか。情報処理の学会とか、通信と情報の学会とか、ソフトウェアの学会とか、人工知能の学会とか、なんかいろいろ学会があります。確かに研究というか、論文を評価するという観点からみると学会は各専門ごとに細分化された方がいいのかもしれませんが、最近は複数の専門分野が融合したところが研究的には面白いはずなのに、学会というコミュニティの方が細分化してその融合の機会を潰しているみたい。情報系は他分野と比べると学会数がないのですが、よくよくみると単に研究会という名称で各学会が内部的に細分化されいるだけで大差なし。そのうえ名称も内容も顔ぶれほとんど同じ、違うのは役員の顔ぶれだけというε近似をしたら等価になりそうな類似研究会がたくさんあります。おそらく研究会は1/3に整理しても実害なさそう。いい加減、学会を統合して相違する分野の研究者が顔を合わせる機会を作らないとじり貧になります。だいたい同じような専門の研究者だけが集まって議論しても新しいアイデアが出てくるはずないと思うのですがね。どんな組織でも常に変化して、さらに外部影響を積極的に取り入れないと結局は孤立化して衰退してしまいます。

2003年4月19日 

久しぶりの休みなので昼過ぎまで寝ていました。実際は昨晩撮影した写真とともに論文を書いていたのですが、書き上がって投稿したら朝方になっていたというだけですが。ところで海外出張中に届いていた学会の機関誌や論文誌を眺めているのですが、海外学会の機関誌はトレンドを押さえていてみるのですが、国内学会の機関誌はなんとかならないでしょうか。特に某学会の機関誌はここ1,2年は回顧主義がお好きなようで、おそらく目次だけみると10年前の号だと区別がつかないし、名著名論ということで2,30年前の論文をいまさら紹介されても困るし、今の時代にLispのプログラムコードまで堂々と載っています。回顧主義で生きてられるほどこの世界は甘くはないと思いますし、すでに当方の理解の範囲を超えています。編集に関わっている関係者には申し訳ないのですが、国内学会の雑誌は分別回収をするためだけにビニールの袋を開けております。だから中身を批評できる立場ではないのですが、そろそろ国内学会は機関誌をやめてその分だけ会費を下げてもらった方がいいです。そうそう写真といえばPisaの斜塔は本当に傾いていたという証拠写真

2003年4月18日 

4日の科研費特定に引き続いて科研費若手の内定通知。それはそれで悩みが増えるわけです。今日は一日、片手間にデモプログラムを作成しつつひたすら雑用です。夜は論文用の写真撮影。といっても慌てて作ったデモプログラムの実行画面をひたすらデジタルカメラで撮っていくだけ。ただ、各種センサを並べなければならず機材配置とフレーミングに一苦労。知り合いには結構プロカメラマンがいるのですがやはり偉大です。それからディスプレー類はストロボを焚くと画面に写り混むので、ポスター発表用のパネルを持ってきて白地側をレフ版代わりに使って試行錯誤。初めはPowerShot S30という1/1.8インチの300万画素CCDのデジタルカメラを使っていたのですが、どうもズームをワイド端にすると4角が暗くなってしまい、結局年度末の諸事情により購入・納品となった小型デジタルカメラIXY Digital 400(1/1.8インチの400万画素CCD)も投入。CCDとレンズの大きは同じなので変わらないはずなのですが、レンズ形状が違うのでしょうか。若干改善されているようです。ただIXY400の方はテレ端のレンズ歪みが大きいみたい。トータルでは大差なしです。ただ、てもコンパクトデジタルカメラは被写界深度が深く、絞りを全開にしてもボケ味のある観賞用写真はとれませんが、こうした研究用撮影には便利です。マクロ撮影用にレンズに付けるリングストロボとカメラ用の三脚が欲しいです。それにしてもデジタルカメラメーカはどうして高画素化したいのでしょうか。一画素当たりのLatituteが下がりますし、ノイズも増えます。そのうえ画素数が上がるほど解像度があがるため、撮す側の腕の悪さがまる見えになっています。PC のディスプレー上で等倍で撮った画像を表示すると、低画素カメラのころは各画素ないで収まっていた手ぶれやピンぼけが、高画素カメラでは複数画素に及んでしまい、腕の悪さがまるわかりです。銀塩フィルムカメラでいうとボケ写真を引き延ばしてプリントするような状態です。IXY 400は小さいのでホールドしにくいですし、手ぶれがまるわかりになりました。200万画素の方がバランスがとれていたかもしれません。

2003年4月17日 

忙しい日々は続きます。午前中は特許事務所に行って秘密の打ち合わせ。午後は研究所で雑用、夕方から打ち合わせで外出。さて、そろそろGW用のソフトウェア開発の設計モードに入りつつあります。連休でもないと集中してプログラミングするのは辛いですからね。ただ、当初は過去に作ったソフトウェアの上に作る予定でしたが、どうもうまくいかないことが判明して、結局今回もスクラッチから書くことになりそうです。論文ではソフトウェア再利用性とか書くことがありますが、うまく再利用できた試しがありません。このところ研究方向が拡大してしまっているのですが、ベースのソフトウェアぐらいは共通化しておかないと収拾がつかなくなります。何にしてもしばらくは論文は書かずにおとなしくプログラミングに集中することにします。そのまえに論文査読を終わらせないといけません。

2003年4月16日 

打ち合わせで一日外出。なんか忙しいです。というかそれぞれの打ち合わせの内容がまったく関連性がなく、こちらの思考回路の方が切り替えられません。そうそういまだに出張中に届いたメールの処理が終わっていませんし、締め切りもいろいろミスしています。よく仕事に優先順位をつけて順に処理すればいいとかいわれるのですが、そんな選択の余地はありません。すでに優先順位=締め切りからの経過日数になっております。やはり年度末と初めの出張はいいことがないようです。さて今は午前3時過ぎなのですが、朝10時の会合用のプレゼン資料をこれから作る事態。眠る時間がないのは当然ですが、それより会合までに間に合うかを心配した方がよさそう。

2003年4月15日 

慶大矢上に行って講義。久しぶりの授業のためかどうも調子が出ません。そのうえ教科書が知らないうちに改訂されていて、学生さんが持っている教科書とこちらが持っている教科書が違っているし。それにしても講義は疲れます。そのあと早大で打ち合わせ、そして兼務先に戻って科研費書類の仕上げと提出。書類ミスで差し戻しを何回しからも定かではない状態。それにしても事務処理能力がありません。ところで今頃になって出張疲れが出てきています。ところで、FSBが800MHzのPentium 4が発表されたそうですが、もちろんコンピュータですから速ければ速いほうがいいとはいえ、キャッシュを考えると見合う効果があるのかはちょっと疑問。それよりも同時発表になった周辺チップの関係で1Gまたは10G-Ethernetが扱いやすくなった方がおもしろいかも。

2003年4月14日 

午前中は某雑誌の取材、午後は出張中の残務整理、夜は某省でRFID周波数問題で会合。今回は電波の統括している某省から周波数割当の担当者もおいでになり議論。前途多難。

2003年4月13日 

機内では仕事があまり捗らないうちに成田に到着です。なお、ミラノ発成田着のJAL便は8割程度の混み具合でしたが、やはり隣の席は空いておりました。これで2000年夏以来の記録を更新中。それにしてもこのところ海外出張が続いており、もう当分したくないです。というか飛行機に乗ること自体に飽きてきました。

2003年4月12日 

Pisaを立つまでの時間はすることもありませんので、例の斜塔に登ってみました。斜塔は一度に登れる人数が制限されていますが、当方の時に5人はなぜか会議の参加者という事態になっていました。ちなみに料金結構高くて15euroなのですが眺めはよかったです。ただし、登ってみると斜めであることはあまり感じません。塔の頂上付近には工事用の足場があるのですが、それは水平にしてあるようで、塔側に立ってみるとかえって違和感があったぐらい。

2003年4月11日 

国際会議の発表は無事に終わりました。会議の最終日だと気が抜けないのでうれしくないです。もっとも逃避行防止にはなっていますけど。なお、会議ですが時節柄発表キャンセルが多く、多少混乱状態です。当方も発表キャンセルと一度勘違いされている始末。実はDependable Computing系の会議には今回初めて出たのですが、だいぶ雰囲気が違います。まずは参加者の平均年齢が高いです。もちろん時節参加者が柄偏ったという可能性はあるかもしれませんけど、ちょっと驚きました。結局、最後のパネルセッションも聞いてみたのですが、内容的には当該分野における今後の研究動向なのですが、毎回出られている方の話によると毎回同じ顔ぶれでパネルをしているそうです。研究コミュニティが固定化して同じテーマを続けた方がいい分野もありますので、評価は難しいところですが、当方には不向きな分野のようです。ところで明日からは交通機関はストライキだそうです。無事に帰れますでしょうか。

2003年4月10日 

ちょっとピンチです。会議のバンケットをさぼって発表準備です。明日の発表に間に合いますでしょうか。あとで聞いたところ、場所はよかったが料理は量だけで味の方はぱっとしなかったということなので無理しなくて正解でした。たしかに昼食からして学食レベルでしたけど。ところでPisaはもう飽きました。というか、ついたその日に飽きているのですが。やはりもう少し都会で開催される会議の方がいいです。斜塔以外何もないところです。それに傾いていなければただの塔。

2003年4月9日 

Pisaですが街自体があまり豊かではない感じ。まだ行ったことはないのですが、南イタリアに近いのかもしれません。それからろくなカフェもない。国際会議会場がわからず一苦労です。イタリアはだいたい苦労させられることが多いです。一昨年は一字違いで中央官庁にいってしまい、役人や警備している憲兵(?)まで巻き込んで大騒動をおこした前歴があります。ところで顔見知りのアメリカ人で会議の度にあう人がいます。前年度だけでもFlorence、Vienna、Barcelona、Dallasで顔を合わせます。本人曰く海外出張は年4,5回と行っていますし、いっしょになる会議は必ずしも同じ専門とは限りません。ということは場所に関する傾向が当方と似ていることになります。

2003年4月8日 

ちょうど一年ぶりのイタリア。昼過ぎまで何もないのですが、喉が痛いのでホテルにこもってじっとしています。でも、ホテルはパッとしないし、まわりにろくなカフェもない。ホテルそばにある地元客向けのカフェで、喉に良さそうだからココアを頼んだのですが、店員と客にココアは子供が飲むものなのだから頼むのではない、とさんざん説教されたあげく、喉が痛いから飲みたいんだというとコピーとシロップをあわせたような飲み物というか、味的にはキャラメルマキアートに近い。フランスではココアは別に変ではないのですが、イタリアではココアは相当変みたい。

2003年4月7日 

徹夜仕事がたたってダウンしてしまいました。でも仕事なので成田空港からイタリアになんとか到着。ミラノまで飛行機では寝ていたので現地では回復。まわりから海外出張中の方が元気そうとよくいわれるのですが、欧州にいくと体調が良くなるのはいいのか悪いのか。ちなみに米国は逆になります。今回はミラノはまではJALで飛んだのですが、月曜日のフライトだからガラガラだと思っていたら団体客で重なったとかでほぼ満員でびっくり。ちなみにスッチーさん曰く、そのスッチーさんが搭乗する帰りのフライトは乗客40人だそうです。タイミングを間違えました。なお、今回も隣の席が空いていました。ということで記録更新中です。ところで予想通りというか、アリタリア航空の国内線は半分以上が20〜30分程度の遅れになっています。行きはいいとしても帰りはまずいかも。

2003年4月6日 

某省報告書その1、某省報告書その2、某新聞社用原稿、カメラレディ論文までは何とか終わりました。あとは投稿論文だけ。一度でいいので海外出張前に徹夜仕事をせずに出かけてみたいです。明日からイタリアに行きますが、一部アリタリア航空なのです。どうも相性が悪く前回乗ったときはオーバーブッキングで乗れず、ローマに一日足止めになりました。それにしてもダラスから帰ったばかり、一週間ほどおいて海外出張が続くと本当に嫌になります。なんにしても一週間ほどこのページの更新が遅れることになります。

2003年4月5日 

休日出勤こそ避けられたものの、自宅で報告書と原稿を書いています。書類の投函にポストに2回行きましたけど。もうしかすると研究所に行った方が捗ったかもしれませんが。ところで、来週はItalyのPisaなのですが、Pisaにオペラ劇場はないのでしょうか。たいした美術館もないみたいだし、出張意欲半減中。

2003年4月4日 

勤務先事務の皆さんと秘書さんに多大な迷惑をかけつつひたすら報告書を作成していた日。科研費2件に総務省競争的資金。研究予算を頂くということのたいへんさが身にしみます。でも報告書が何とかできたと思ったら科研費一件の今年度交付内定がきておりました。ただ、当面の課題は来週の国際会議発表の準備が終わっていないこと。

2003年4月3日 

論文を1本投稿して、1本を諦めた日。新聞などでロボット関連の記事を結構みると思っていたのですが、どうも横浜でお子様相手のロボット関連のイベントをやっている関係のようです。テレビで映像が流れていましたが、確かに2,3年前はロボットが2足歩行するだけでもインパクトがありましたが、最近は見慣れたのか驚かなくなってしまいました。こちらはロボットは素人なので評価できないのですが、一部企業のロボットは話題性狙いで作っただけというものが多いような気がしないでもないです。実際、ロボットはマスコミ受けがいいという理由だけでロボット研究を始めた人もまわりにはいなくないのですが。とはいえロボットでも歩行機構など機械系は結構進んでいるようですが、思考回路の方は人間が遠隔制御しているものも多いようでたいして進んでいない様子。漫画的な顔の表情がかわるだけで感情を持っているといわれても最近の子供はだまされないと思いますけど。もちろん当方も計算機科学屋だから責任の一端があるのですが、自分で考えるロボットは相当先のように思います。今世紀中にできるのでしょうか。

2003年4月2日 

今度はAirCanadaが破綻です。もしかしてStar Allianceは外れでしょうか。今日もひたすら報告書を書いております。帰り道に大きな本屋によったのですが、硬派な専門書はどんどん減っています。ところで先週の米国滞在中にも現地の比較的大きな本屋さんによったのですが、.NET関連の本とJava関連の本では圧倒的に.NET関連の方が種類が多い。もちろん.NETの方は分野が広いので当然といえば当然なのですが、国内はこれが逆の比率になります。別にMicrosoftにコミットメントする気はさらさら無し、普段Javaを使ってプログラミングしているのですが、国内ではMicrosoft=悪の帝国的なイメージができてしまっているような気がします。全体ではなく個々の技術でいいものを選んで使えばいいのだと思います。Javaは言語設計自体はよくても、その実行系としては.NET系のランタイムシステムの方が技術的に進んでいますし、少なくてもJavaの仮想機械とちがってランタイムシステム自体がプログラミング言語非依存なわけですから、あとは処理内容に応じて言語を変えればいい。プログラミング言語なんて所詮道具にすぎないのですから、何のプログラムをするかを考えてから、言語を選ぶべきです。

2003年4月1日 

AAはひとまず10日ほど延命したようです。UAはさらなる展開が噂されているようですし、今回の戦争が終わるまでに何社がつぶれるのやら。航空会社選びも難しい時代になりました。こちら年度が始まったというのに前年度の締め切りの仕事のせっせとやっています。ひとまず危機回避のために、方々に締め切り延ばしのお願いをしております。単に先送りしているだけ。破綻するのも時間の問題でしょうか。ところで、今日からドコモの定額PHSデータ通信(@FreeD)が始まりましたけど、普段AirH"で生活している当方には@FreeDの64kbpsは魅力なのですが、それより今回採用したDormant方式がどの程度動くのかが知りたいところ。まぁ基地局を改造せずに常時接続もどきをやろうとすると今回の方式になるのでしょうが、無理があります。すくなくても高速移動は辛そうですし、同一基地局内で複数の端末がストリーム通信でもしたらそれで破綻してしまいます。まぁこの場合、パケット方式でも破綻しますけど。

2003年3月31日 

さてさて論文仕上げと海外出張中の残務処理。論文を投稿した時点で集中力がなくなり残務の方はいっこうに捗りません。夜は新丸ビルの会合に出席。ところで日経新聞朝刊の2部にそれも2箇所名前が出ていると数人からメールを頂いたのですが、多少は新聞を読むにしても第2部の方まで読んでいるはずもなく、確認するまでは何が書かれているか不安状態でした。結局、まずいことは書いていなかったので一安心。

2003年3月30日

先週乗ったAmerican Airlinesも週明けにはUAと同じ運命を辿るという噂。一瞬、one.worldに入ろうかと思ったのですが、やめて正解だったかも。どこもたいへんです。コンピュータ業界も昔騒がれた2000年問題対策で一斉に更新されたPCが3〜4年になるので今年度は法人需要が復活という話だったのですが、遠い世界のお話となりました。ちなみ当方は3〜4年に使っていたコンピュータなどまったく思い出せないぐらい過去なのですが。それはさておき呆れたのはサーバの方。2002年(年度ではなく)の国内サーバー市場規模は前年比で11%減の7,700億円だそうです。ちなみにこの数字には地球シミュレータ向けのコンピュータ400億円強が含まれています。ということは地球シミュレータだけで国内サーバ出荷額のうち5%を一つのシステムで占めることになります。これって国内のサーバー市場が小さいということなのか、それとも地球シミュレータが大きいということでしょうか。もちろんPCサーバも込みの数字です。どちらにしても導入業者の某Nは売上げ減がカバーできたことになります。そもそもコンピュータの公共事業関連は売り上げ的にはそれほど大きいわけではないのですが、利幅が高いし、今時メインフレームをほしがるので国内コンピュータ会社にとっては収益源です。まぁ当方が言うと立場上いろいろ差し障りが出てくるのですが、対抗してグリッド関連で国家予算をとりたがる同業者が出てくるのもわからなくもないです。ちなみに地球シミュレータのランニングコストは年間80億円を超えるそうです。もちろん電気代と人件費は除いた金額。それにしても自然科学系の研究組織の金銭感覚はすごいです。PC一台に買うのにあれこれ悩む計算機科学屋には導入額といい、ランニング費にしても理解不可能な数字。米国の雑誌で去年の発明された物のなかで最も重要な一つといわれるのも当然です。これだけ高いのですから。データがあるわけでないのですが、一つのコンピュータとしては最高額ではないでしょうか。

2003年3月29日

まだ疲れています。当分海外出張はしたくないという心境なのですが、一週間ほどするとまた海外出張。ところで機内で書いていた論文は今日までかかって何とか書き上げました。今月と来月はこの論文以外に締め切りをいくつか抱えているので仕方ないのですが、来月後半からは論文執筆はしばらくお休みにして、プログラミングモードに入ることにします。海外出張だけでなく、論文執筆もだいぶ飽きてきています。

2003年3月28日

いまは成田エクスプレスの車中です。16時頃に成田空港の第1ターミナルに到着。AAなので行き第1ターミナルでしたが、よくよく考えてみると第1ターミナルを使ったのは実は10年ぶりかも。それはさておき、このあとは勤務先によって、それから三菱総研で会議出席。今回はビジネスシートにしてもらったので体力がまだ残っていますが、エコノミーシートだったらそのまま帰ります。

2003年3月27日

海外出張しているからといって行動がかわるわけでなく、徹夜で報告書と論文執筆。ただ一ついいのは海外出張中は雑用と雑念が減るので仕事が捗ります。とくにメールを読まなくても許されるのが何よりの幸せです。さて昼過ぎのAmerican AirlinesでDallas Fort Worth空港から成田に向かう。物々しいセキュリティチェックがあると思っていたら、普通に荷物をX線に通しただけ。行きの成田の方が厳しかったです。このところ、海外出張をするたびに論文を書き上げるというパターンが続いているのですが、米国は見る物がない分、欧州出張と比較して仕事が捗ったような気がします。だからといって米国出張はつまらないので絶対にしたくないですけど。あとは飛行機内でどれだけ捗るか、つまりシートテレビの映画がつまらないことにかかっております。それはそれで考え物なのですが。

2003年3月26日

国際会議の最終日。今日はショート論文発表の日。実は日本からの採択論文6本うちの多くはフルではなくショート論文だったからでしょうか、皆さんことごとく発表キャンセル。会議全体の発表キャンセル数は6件なのですが、そのうちの5件は日本の発表。ドタキャンされた方もおられます。相当不評ですし、キャンセルした当事者だけでなく国内からの関連分野の国際会議において投稿論文全体にも悪影響が出るのは避けられそうもありません。米国人の感覚ではテロに備えて万全な警備体制をとって安全を守っているというスタンス。だから、テロの危険性があるので米国出張を取りやめるというのはテロ対策をしている関係機関の努力を無視する行動ととられるし、米国を信用していないと解釈されることになります。だから呆れるというより怒っているという状態なっています。もちろん米国には米国の理屈、日本には日本の理屈があるのですが、現状は実際にテロが起きているわけでもないので、9・11直後とはまったく違う状況なのです。ただ、この問題は今回の国際会議に限らずサッカーの日本代表選手団の米国遠征キャンセル騒動も同様なので国民性なのかもしれません。ただ、海外と関わる限りは相手の理屈や文化は無視できません。特に欧米流のホストとゲストの関係、つまりホストはゲストが快適に過ごせるようにする責任をもつし、一方のゲストはホストを信頼することが大前提。そして国際会議も参加者はあくまでもゲストなのです。だからゲストとしての本分は忘れてもらっては困るのです。ということで今回の国際会議は不愉快な思いをした4日間でした。

2003年3月25日

国際会議(PERCOM)の3日目。マルチセッションなので面白そうな発表をはしごして聴いています。専門に近い会議なので当然なのですが、こちらの同じことを考えている研究者が多く、研究のスピードを上げないとおいて行かれそうです。ところで、来年も会議のプログラム委員を頼まれてしまいましたが、今年は各プログラム委員に割り当てられる査読論文数は25本を超えるたのですが、現状を考えると増えることはあっても減ることはなさそうなので安易に引き受けたのは危険かも。

2003年3月24日

国際会議の2日目。やっとメールが使えるようになりました。さてさて午前中は座長。この会議ですがユビキタスコンピューティング関連。似たような会議はいくつかあるのですが、IEEE主催はこの国際会議だけになります。国内ではユビキタスコンピューティングは大流行ということになっていますが、国内からの役員は当方一人。どんどん取り残されていくようです。ということで頑張って国内からの投稿論文を通すようにしたのですが、発表キャンセル続発。もちろん時勢柄わからないでもないですが、発表キャンセルの殆どは日本人という事態になっており、完全に突出しています。皆さんいろいろ御事情があるので個々のケースにクレームをつけるつもりはないのですが、日本の研究はプレゼンスが下がるというより、完全にヒンシュク状態。日本からの唯一のプログラム委員の一人として怒られています。当方としては国内の研究がどうなろうと今更どうでもいいのですが、こっちまでいっしょにされるかと思うと腹が立ってきます。これからは国内からの論文は優先してリジェクトにしたい心境。というかそうしないと国際会議が運営できないです。

2003年3月23日

Fort WorthというDallas近くの街に到着。田舎だと想像していたら高層ビルがいくつか建っています。といっても何もないのですが。さてさて国際会議の1日目。久しぶりにチュートリアルを聴いてみました。まとまって聴けるとなかなか面白いです。それにしても知り合い(といっても米国人)が多い会議です。ちなみにチュートリアルの講師も顔見知りです。知り合った頃はみんなモバイルエージェントの研究をしていたような気がするのですが、そもそもこの会議はモバイルエージェントとはあまり関係がなく、同じ方向に研究内容が変わっているということのようです。どうも発想が似ているようで、国際会議で会う顔ぶれが変わらないです。

2003年3月22日

夕方、AAことアメリカン航空でダラスに。なのですが結局論文が終わったのは出かける直前。ということですでに疲労状態です。さて成田エクスプレスで成田空港に向かったのですが、席はグリーン用車両。だからシートは3列構成。グリーン席の利用率が低いので個室以外は普通指定席に改造しているとのことでしたが、たまたまその改造までのその暫定期間まではグリーン席を普通指定席として使っているそうです。JRさんの御事情はともかく、これまでグリーン車に乗ったことがない当方としては感激。AAの方ですが、時期だからでしょうか乗客の9割以上はアメリカ人。ということでダラスでは相当厳しいチェックがあるかと思ったのですが、入国審査は通常よりも質疑が少ない。去秋にアトランタに行ったときは州兵が警備を固めているは、入国者の手荷物もX線にかけるという厳戒態勢でしたから、今回は拍子抜け。あとは滞在中にテロが起こらず無事に帰国できること。

2003年3月21日

徹夜で論文の仕上げ。一週間に2回徹夜仕事をすると精神的にも肉体的にもボロボロになります。懸案の論文はIEEE Transactionへの投稿論文なのですが、ひとまず条件付き採録になったものの査読者が7人もついているし、それぞれの査読者のコメントが長い長い、ショート論文かと思うほど長いものまであります。深刻な条件はないのですが、量が多いので予想以上に手間取り、実際、査読に対する回答書は論文より長くなってしまいました。それにしても査読者7人というのは国内論文誌では考えられません。国内の論文誌の場合はせいぜい2人と少ないので、逆に査読者個人の専門や特性に論文採否まで影響されてしまう恐れがあります。そのため査読者が多いのは各査読者の評価や専門を平均化する上でも重要かもしれません。二つの国内論文誌の編集委員なのであまりいえませんが。さてさてこんな御時世なのですが、明日からダラスに出張してきます。さてはて無事に帰れますでしょうか。国際会議なのですが、会場とホテルが同じなのでそのまま缶詰でしょうか。まぁ、仕事が捗るのでいいという話もありますが。なお、一週間ほどこのページも更新が遅れると思います。

2003年3月20日

予算の事務処理で忙殺された一日です。といっても実際の作業は秘書さんにお願いしたので、当方はぼっーとしていただけという話もありますけど。大きな前進といえばExcelの項目合計と消費税計算ができるようになったことでしょうか。幸いというか何というか研究職だから生きてこれますが、それ以外の職種だったらPCもろくに使えないということになり、リストラ対象間違いなしです。ところで最近は企業でPCが使えない人は少なくなったというか、いなくなったといいますが、皆さんが使えるようになったのか、使えない人にお辞め頂いたのかは難しいところです。少なくてもPCが簡単になったということはなさそう。

2003年3月19日

教授会相当の会議に出るために普段より朝早く出かけたものの半蔵門線が止まって結局遅刻。朝から調子がくるいます。そのあと経済産業省に呼ばれてパネリスト。夕方は早大で打ち合わせに出てから研究所に戻る。経済産業省の方はRFIDなのですが、このところ新聞社からのRFID関連の問い合わせや、昨日はとうとうセミナー屋さんからRFID講演の依頼が来ました。2月に欧州出張から帰ってきたらこうなっていたという状態で、いまひとつどうしてこうなったのかの自覚がありません。たしかにオフィスはRFID機材が溢れていますが、やっていることはRFIDレシバーを制御するためのRS232c用の泥臭いプログラムが書いている訳ですから、そんなにスマートではありません。

2003年3月17日

結局、徹夜で論文執筆。ということでそのまま朝早く出勤してしまいました。新聞に「TRONとLinuxと融合」という記事が出ていました。何をやりたいのかがよくわかりません。アーキテクチャ図を見ると、OSのTRONの稼働用ハードウェアであるT-Engineでうえでその専用ソフトウェアのT-Kernelを動かして、そのうえでLinuxを動かすということのようです。T-Kernelはモニターソフトウェアとデバイスドライバ程度なので、結局のところT-EngineにLinuxを移植したという以外に理解しようがありません。ならばTRONがどこに使うのだろうかと他人事ながら心配してしまいます。ソフトウェアも複雑化している現状でTRONのようなメモリ保護機能のないOSを今更使いたくないですけど。さらによくよく考えるとT-Engineというハードウェアも厳密な仕様があるわけではないので、ハードウェアメーカがお好みでSH系、MIPS系(VR系)、ARM系などのプロセッサを勝手に乗せていますので、ソフトウェアの互換性はないですし、メモリ保護などはLinux側で各プロセッサに対応しないといけません。睡眠不足の頭にはますますわからなくなってしまいました。

2003年3月16日

追い込まれて論文を書いています。朝までに間に合うのでしょうか。やはり一週間に2本は無謀でしょうか。ところで世の中だんだん騒がしくなってきていますが、こちらは今週末からは米国出張があります。さてはて無事に帰ってこれるのでしょうか。そのうえ行き先もダラス。つまり、あのお方の地盤であるテキサスです。実は米国出張は極力避けてきたので、一昨年末のアトランタ以来なのですが、よりによってこんなタイミングで行くことになるとは。

2003年3月16日

またまたかかってきましたYahoo BBのADSL勧誘電話。一部の地域ではここ数日Yahoo BB不通状態が続いているそうですが、そんなのおかまえなしでしょうか。今年になってから2,3週間に一度電話がかかってくるのですが、今度はIP電話が宣伝文句なのでしょうか、「Yahoo BB同士の電話ならば通話料が無料です」を強調されています。この連中にかかわると疲れるのでさっさと切ってしまったのですが、よくよく考えると無料電話は怖いかも。いまは電話代が勧誘電話やいたずら電話をする人への抑止力になっていますが、それが無料になったら迷惑電話が増大するのは確実。こうした議論をきいたことがないのですが、今はIP電話が非常に少ないですし、IP電話への着信も同一プロバイダー内に限定されていますから深刻化していませんが、将来は大問題になるのは確実。携帯電話の「未承諾広告」メールどころの騒ぎではなくなります。

2003年3月15日

今週は出張続きだったので完全にぐったりしています。しばらくは国内の研究会やワークショップの参加は手控えたいです。もちろん仕事がら参加しないといけないのはわかっておりますが、発表する側にとってもそれを聞く側にとっても研究に役に立っているのかがわからなくなりました。各回は盛り上がるのですが、ただ数年のスパンでみると何かが進歩したのかが見えないのです。さてさて話は変わって見本市のこと。2,3人ほど知り合いがハノーバー開催の通信系見本市CeBIT'2003にいっており、メールを頂いたのですが、欧州は盛り上がっているようです。ここ数年、米国開催の通信やインターネット系の見本市は低調状態なのですが、対照的な感じ。もちろん、これは経済的な問題もあるのでしょうが、通信業界のビジネスモデル的な相違も背景にあるように感じます。国内や米国の場合、通信インフラ側企業が主導権をとって発展してきたのですが、欧州の場合は携帯電話に代表されるように通信インフラ側と端末側が分かれていて、端末メーカの力が強い。右肩あがりで通信需要が伸びた時代は通信インフラ側は何もしなくても収益が伸びるのですが、現在のように伸び悩む状況では付加サービスをどんどん提案して儲けるしかない。その場合、端末メーカの方が新しい機能やサービスを導入しやすいようです。実際、国内携帯電話でも第三世代携帯電話にとって変わられるはずだった第二世代携帯電話がインフラ技術ではなく、カメラやJavaなどといった端末側の機能で需要が喚起されています。いずれは第三世代に移行するのかもしれませんが、ユーザ側はインフラによる通信速度の向上よりも、端末側の機能やデザインに関心があるという事実は重要。ところで今日発売になったP2102VはNikonのCoolpix5000のフリーアングル液晶のような回転式液晶を積んでいますが、内蔵カメラの使い勝手をよくするため以外に目的は見いだせません。

2003年3月14日

ワークショップは早めに抜け出すことになりました。ということで研究所で機材の納品立ち会い。RFIDシステムなのですが、米国ではWal-martなどが評価実験に使っているものですが、少なくても公式ルートでは国内導入第一号だそうです。アメリカ人のエンジニアさんが来られてセッティングしてもらいました。簡単に試した限りでは、Passiveタグなのですが、半径2メートル範囲内の10個以上のタグを認識できます。大きめのアンテナのタグを使えばカタログスペック通り、5メートル範囲内の100個のタグを1秒間にスキャンできるのもいけるかもしれません。ここまで書けば専門の人ならばRFIDシステムの正体がわかると思います。そうです。あの噂のシステムです。研究目的もあるのですが、今回の納品とその評価で国内の規制緩和に役に立てばうれしいです。まぁ別にRFIDそのものの研究をしようという気はないのですが、その時代で盛り上がっている技術というのはやはりどんなものでもおもしろいです。

2003年3月13日

ワークショップの2日目。昨晩午前4時まで話していたがたたって、ひたすら眠いです。ただ、セッション中は眠気防止のために質問をしておりました。ところで、昨日一斉に発表になったIntelのCentrinoないし、PentiumMプロセッサ搭載ノートPCの見積もり。年度末ということも実際に購入できるかどうかは価格しだいなのですが、やはり気になります。それにしても、これまでIntelはクロック数で性能の善し悪しを示そうとしたため、Pentium4のときのようにクロック数のわりに性能が低いということがおきていましたが、Pentium Mは既存プロセッサより性能はよくてもクロック数が低いことになります。実際、Pentium 4の2.0MHzより、Pentium Mの1.6MHzが性能が高いらしい。これでクロック数で性能評価するという現状が改善すればいいのですが。もちろんクロック数は重要ですが、キャッシュ構成・サイズやメモリ速度などによって性能は大きく変わりますから。ところで、一部のノートPCメーカは春モデルの出荷量をシェアダウンや在庫切れ覚悟で大幅制限したところがあったのですが、確かに性能指標が変わると実際に性能向上になるか否かは別にして、在庫品の処分は難しくなることは必至。だんだん年明け早々出荷量を制限したメーカの真意がわかってきました。

2003年3月12日

いまさら書いても仕方ないですが忙しいです。午前中は勤務先でプレゼン。そのあと箱根開催のワークショップ。新宿経由にしてロマンスカーで移動したのですが、平日なの混んでおりました。ただし、町田や厚木でおりるサラリーマンの人が多い。隣の座席に座っていた方も厚木で降りて行かれたのですが、半導体の仕様書を一生懸命読んでおられておりました。画像処理用のチップのようなので厚着にある某Sメーカの方でしょうか。実は学生時代はその某S社の社内研修講師のアルバイトをしておりました。

2003年3月11日

日立からmu-chipの開発セットが届く。まぁ別のプロジェクトで使っているので特性は結構わかっているのですが、動作確認を兼ねて実験。あたりまえですが、レシバーでRFIDタグを認識できたのですが、名刺大カード型タグの場合は認識距離が20〜30cm、棒状タイプは2〜3cmというところでしょうか。mu-chipはRFID(無線IC)タグでも2.45GHz帯電波を使っているのですが、周波数が高いので電波の回り込みは小さいようで、特に小型のRFIDタグの場合はタグとレシーバの角度や金属系障害物にシビアなようです。この辺はもう少しレシバーの出力をあげられればいいのですが。電子レンジとの干渉も調べましたが、家庭用の電子レンジの場合は近接しない限りは何とかなりそう。もちろん業務用の場合は厳しいのでしょうが。ところでこのところ、なぜかマスコミ関係者からRFIDタグに関して問い合わせをうけるのですが、そんな夢ばかりの世界ではありません。一部のマスコミさんはRFIDタグというとゴマ粒チップなどと騒がれているようですが(確信犯なのは承知していますが)、チップがいくら小さくてもアンテナがないと使えませんし、アンテナが小さいと認識距離は短くなってしまい、Suicaのように実質的にレシバーに接しないと認識できなような前世代的なRFIDに逆戻り。また、業務用に使うには1秒間に数十個のタグを99.9%以上の確率で読み込めることが必須。だから、アンテナを含めてゴマ粒大のタグは作れることはできても電波的には厳しいのです。結局、1,2cm平方ぐらいの面積は必要なのではないでしょうか。今週後半にはAuto-IDセンタ系のRFIDシステムが納品されるので、そちらが届いたら本格的に実験開始。それから明日からPHSが届かないところに出張なので2,3日はこのページの更新が遅れるかもしれません。

2003年3月10日

のぞみ1号で大阪出張。朝の8時30分には新大阪におりました。それにしても5時起きをしたたため一日中眠い、眠い。海外出張でもこれほど早起きすることはありません。さて今回は阪大方面にいくことになったのですが、ところで万国博覧会はどんなんだったのでしょうか。経済産業省というか旧通産省の方々と話すと、少年期に万国博にいった経験を引きずって所轄省庁の通産省に入省したという人が課長クラス以上には多いですし(というか、今もやりたがっている)、大学教官でも万国博で科学に興味を持ったという方がおられます。将来を左右するほどの影響があったイベントというのはよくよく考えるとすごいのですが、体験していないので今ひとつピンときません。何も考えずに過ごして気が付いたら研究者をしていたという当方には理解すること自体が不可能かもしれませんけど。ところで月曜日ということもあると思うのですが、行きに乗った新幹線は朝一なのに満員。

2003年3月9日

昨日と今日は花粉症を避けるために家で息をひそめております。そのうえ外は風が強くて吹き飛ばされそうですし。ところで、最近は土日になるとスパムメールが増えるようです。最近のメールソフトウェアはスパムメールの除去機能がついているのですが、このさきにスパムメールはもっと増えるでしょうから、何百というスパムメールのなかに重要なメールが紛れて届くということになりそう。だから、スパムメールの除去するよりも、重要なメールだけを選別してくれる機能の方が必要になりそう。それにしてもスパムメールの広告につられる人はいるのでしょうか。

2003年3月8日

国内のインターネットの利用者が人口の54.5%になったと総務省から発表されました。感覚的にはもっと少ないと思うのですが、携帯電話のメールやWebサービスも加算すればこのぐらいになるかもしれませんが。問題は各利用者がどのようにインターネットを使っているかという質の問題であってであって、数の問題ではないと思うのですが。利用率の世界順位で一喜一憂するのはそろそろ卒業して欲しいです。それにしても携帯電話で狭い画面とキーボードで長文メールを必至に打ち込まれる方を見ていると、本当に有用なのかが疑問になってしまいます。もちろん当方も多少は使うのですが、長いメールはPCのキーボードから入力した方が何十倍も速いと思うのですが。

2003年3月7日

今日も朝から横須賀のドコモにいって学会の座長。帰りにちょっとだけ通信総合研究所。ドコモ社内の売店で「携帯サブレ」なるお菓子を拝見。ドコモに限らずYRP地域の売られているそうですが、包装紙に「携帯電話発祥の地 横須賀 携帯サブレ」と書かれているのですが本当でしょうか。昔は携帯電話は自動車電話といったのですが、映画「麗しのサブリナ」でハンフリー・ボガートが自動車電話をかけるシーンが出てくると思うのですが、単に自動車電話を携帯電話といいだしたということでしょうか。ところで、その名称を初めて聞いたときは携帯可能、つもり持ち歩き可能なサブレだと勘違いし、さらに携帯できないサブレとは何かとすごく悩んだのですが、やはり当方の思考はおかしいみたい。ところで学会会場に前勤務先のときの元学生さんでドコモにお勤めの方がお揃いでおいでになりました。それにしてもドコモの方はお忙しそうです。ところで、いくら携帯電話キャリアの研究所内で開催されている、それも移動通信関連の研究会なのですが、携帯電話関連会社にお勤めのセッション座長が、そのセッション中にかかってきた携帯電話に会場内で受け応えされたのにはさすがに驚きました。

2003年3月6日

学会の研究会の仕事で朝の8時半前から夜までYRPのドコモ研究所。ある学会のある研究会の運営委員を数年しているのですが、その研究会に発表どころか、参加したこともないという前代未聞の事実が発覚してしまい、その責任をとって雑用をしております。この際なので白状すると、他にもいくつかの研究会の役員をしているのですが、それらも記憶がないところ見ると怪しかったりします。編集委員をしている某学会論文誌は今も昔もその論文誌購読したことはないし、またまた編集委員をしている別の学会の機関誌&論文誌は届いてもここ数年その封筒を開けたことがなかったりします。あまり書くと問題が出てくるのでここまで。それにしてもYRPは遠いです。最寄り駅は京浜急行の駅になるのですが、NTTの研究所しかなかった頃は単に野比という駅名だったのですが、ドコモさんの研究所がYRP地区にできた当たりからYRP野比に変更。駅名にアルファベットはどうも違和感がありますけど。ちなみにYRP野比の付近の京浜急行は単線です。そうそう、ドコモにお勤めの前勤務先の時代の学生さんに、やはりドコモにお勤めの当方の研究室の卒業生に顔を出せたりしていたのですが、みなさん活躍されているようで何よりです。

2003年3月5日

勤務先のビルにある講堂では「すぎ花粉症克服に向けて総合的研究」という文科省振興調整費絡みのシンポジウムが開催されていました。中身はよく知りませんが、研究題目はすばらしいです。今年は花粉症が悪化せずに済んでいるのですが、単に花粉症シーズン当初に海外にいたからだけなので、悪化するのは時間の問題。毎年この時期になると叫ぶのですが、花粉症といわず花粉病という名称に変更して、病気として認定すべきです。それと、これだけ多くの人がかかっているわけですから、その生産性の低下による経済的損失は大きいです。

2003年3月4日

市が尾、表参道、お台場、芝浦、三田を移動。さすがに夕方に研究所に戻る体力はありませんでした。ところでお台場にはRFIDの件でICカード関連の見本市に寄ってみたのですが、電子マネーなどお金が絡む世界は違います。昨日の敵は今日の味方とばかりにライバル同士が突然手を結ぶので訳がわかりません。ところでパスネットやSuica、バスカードはなぜプリペイド方式なのでしょうか。使った分を請求した方が合理的な気がしますし、少なくてもポストペイ方式もあってもいいはずです。ちなみに当方のパスネットやSuica、バスカードはいつも残金不足のままになっています。もっとも鉄道やバス会社からみるとプリペイド方式カードは利子の付かない借金のようなものですから、うまみも大きいでしょうが。ところで、某印刷会社のデモブースにスーパマーケットなどの買い物カゴにRFIDタグリーダを埋め込んで、商品に貼られたRFIDタグを自動的に認識して、カゴに合計値段を表示するデモを見せてもらったのですが、合計額が気になって購買意欲が減少してしまいそう。さらにカゴにいれた食品のカロリー合計でも表示させるとおもしろいかも。大幅売り上げ減は必至でしょうが。

2003年3月3日

予算書類と特許出願関連書類の作成。そして論文執筆と投稿。やれやれですといいたいところなのですが、カメラレディ論文を早急に仕上げないといけません。ということで今日も好転はなし。ところでS社からBlu-ray Discレコーダが4月早々に発売になるそうです。メディア一枚で23Gバイト記録できるのですが、お値段の方も一台45万円でビックリものですけど。むしろ興味があったのはそのレコーダ本体よりもメディアの価格の方。片面1層23Gバイトディスクが定価で3500円だそうです。もちろん実売はもうちょっと安くなるでしょうが。ちなみに主力の80GBハードディスクがスポット市場における実売価格が1万円強なのでバイト当たりに換算すると、Blu-rayとハードディスクは同じ。このところの光ディスク系リムーバブルメディアの出始めの価格はハードディスクと同水準という経験則は今回も守られたことになります。ただ、アクセス速度はハードディスクがダントツに速いですから、トータルでは一番安いメディアは実はハードディスク。ということで最近はハードディスクのバックアップは別のハードディスクにとっています。実は一番トータルコストが低いから。

2003年3月2日

あいかわらず論文が進みません。ということで現実逃避を兼ねてお借りしているIEEE802.11gカードの実験。同じ2.4GHzを使う802.11bが使われていない状況であれば、802.11gは18Mbps前後の通信速度がでるので、同じ条件で測定した5GHz帯の802.11aとほぼ同じ。ただし、802.11bのアクセスポイントが一つでも存在すると12〜13Mbps程度に落ち込みます。数多いともっと落ちるかもしれません。もう少し実験しないと結論は出せませんが、家庭など既存802.11bの影響が少ないところは802.11gはいいかもしれませんが、企業などでは既存802.11b のアクセスポイントも通信トラフィックも過多状態ですから、速度向上を狙うのであれば802.11gより802.11aにすべきかもしれません。まぁ特別な事情でもなければ正式に規格が決まる夏までは様子見で十分でしょう。むしろ気になるのはUWBの標準化・製品化スケジュール。2001年にUWB勉強会をやっていた頃は利用可能時期どころかものになるかも不明でしたが、2002年にFCCが民間利用を解禁してからすごく加速されているので、この分だと再来年初めにはPC向け製品も出てくるかもしれません。ここで問題になるのが、無線LANのキラーアプリケーションであるホットスポットサービスの絡み。周波数が決まっている無線LANでは複数のホットスポットサービスが同一地域で重なることは難しいためにサービス提供業者数が制限されるのですが、UWBになると制限があってないようなものになります。このため、パブリックスペースではUWBの方がビジネス化しやすいことになり、実はホットスポットサービスの普及は無線LANの首を絞めかねないかもしれません。それとUWBの方が無線LANより遅延が少なく、またQoS制御も楽といわれていますが、ホットスポットでインターネット電話VoIPの利用が広がるとUWBが有利になる可能性が高いですし、その意味ではマルチメディア用途が多いといわれる家庭でもUWBが有利になるます。UWBはまだまだ未知数が多いとはいえ、最初は伝送距離と直進性の都合でUSBとBluetoothの置き換えに始まって、その後は無線LANを徐々に浸食する可能性はありえるかもしれません。また、既存の周波数割り当て行政に影響を与えるという点でもUWBの意味は大きいです。実は97年にはWaveLAN (2Mbpsの時代)を導入したので国内では非常に速かった方だと思いますが、研究という立場からみると802.11aも802.11gもすでに関心なしになっています。

2003年3月1日

論文が進まず現実逃避にプログラミング。25日にThinクライアントはFlashで十分と叫んだ勢いでActionScriptの手習いを始めたはずだったのですが、気が付けばFlashのクライアント側コンテンツではなく、Flashと接続するサーバ側プログラムをJavaで書いておりました。結局当方はサーバサイドプログラマーだということを改めて自覚させられました。やはりどう頑張ってもコンテンツクリエータにはなれないようです。さて結果ですが、Flash側の勝手がわからず試行錯誤を繰り返したのですが、データをXML形式で渡さなければならないということを除けば通常のTCPクライアント側処理は書けることが判明。サーバからのデータ受信もポーリングすることなくできます。もう少し試さないと結論は出せませんが、簡単かつ小規模なサーバ処理であればMacromediaの高価な純正サーバを買わなくてもなんとかなりそう。現在はFlashクリエータさんのコミュニティと、TCP/IPプログラミングをするコミュニティが重なっていないので、ネットワークを使ったFlashコンテンツを作れる人は少ないようですが、思ったより簡単。今後は二つのコミュニティの両方の属したプログラマーというかクリエータが登場するでしょうから、そうなればFlashコンテンツの幅は大きく広がるでしょうし、いまのWebサービスでもFlashの方が実は簡単という場合は多そう。また、研究レベルですがFlashのコンテンツの動的生成システムは提案され始めいて、将来的にはJSPのようにサーバ側でHTMLベースのユーザインタフェースを作るという処理もFlashで十分というケースも出てくるかもしれません。今度時間があるときというか、また論文に行き詰まったら、Flashによるチャットシステムでも書いてみることにします。それにしてもサーバサイドプログラマーにはFlashは難しい。

2003年2月28日

予算のことで勤務先の事務方に怒られるというか、迷惑をかけております。予算の悩みもいろいろなのです。さすがに1月末から執行可能になると補正予算状態。結構辛い。さて昨晩は論文に手間取り、2時間ぐらいはネタのですが眠い、眠い。お陰で夕方の某通信会社さんとの打ち合わせはぼーっとしておりました。見かねて休憩時間に某社のアミノ酸入りサプリメント飲料を買ってきてくれたのですが、どうもTVCMに出てくるUwano-soraマン(or レンジャー)状態だったそうです。確かに記憶のないところがポツポツとありますけど。でも、アミノ酸を接種したからといって冴えるというものでもないような気がします。ところで、このサプリメント飲料ですが、アミノ酸入りではなかった頃のものは嫌いではなかったのですが、いまのアミノ酸入りは甘ったるくて苦手です。前に戻してくれませんかね。それとアミノ酸入りの方はホット用もあるらしいのですが、そもそもサプリメント飲料を暖めて飲むという感覚自体が理解の域を超えています。ところでその打ち合わせとも関係があるのですが、この時期に今年度の受託研究をいれると事務方の皆さんは怒りますでしょうか。最初に書いたように予算の悩みはいろいろなのです。

2003年2月27日

忙しかったわりに移動距離は短い一日。ミーティングのために勤務先(竹橋)、箱崎、大手町をうろうろ。ミーティングの相手も大手コンピュータ会社の営業・SEに始まって、同社の管理職、大学の研究者、広告代理店、シンクタンク、デザイナなどなど。だんだん訳がわからなくなってきています。ということで深夜でないと論文が書けない状況になっているのですが、さてさて朝までに終わりますでしょうか。現在は3時ですが、まだ先は長そう。

2003年2月26日

来年導入機器の関係でコンピュータメーカさんの営業・SEさんと週に2件ほどのペースでお会いすることが多いのですが、メーカによる質的な差が多いです。たまたまお会いした数人の社員の質で全体を評価することはできないのですが、業界の技術評価とほぼ比例するので、それなり現状を反映しているかもしれません。それにしても気になるのが国内メーカさん。他社の技術的な優位性は何ですかといつもお尋ねするのですが、抽象的な返答に終わってしまいます。ハードウェアはIntel依存、OSはWindowsかLinux頼みで、独自技術が空っぽですから、最初から答えがないのかもしれませんが。それにしても最近合併されたメーカさんで合併したもう一方のメーカの製品を悪評をいって、もう一方のメーカの製品を褒めるのはこちらから見ると自虐的にしか見えません。

2003年2月25日

ドコモさんはマクロメディアのFlashを次期主力携帯電話の「505i」シリーズに積むそうです。Flashというと世間的にはWeb用アニメーションというイメージが強いようですが、最近は結構機能強化されていて、ちょっとしたアプリケーションの実現や、サーバとの通信は楽にできるなど、クライアント・サーバにおけるクライアント側実装技術としてJavaよりは有望なように感じています。少なくてもコンテンツクリエータの支持が多く集めていることは絶対的に優位。ならばJavaからFlashに乗り換えるかというと、なかなかそうもおかないのですが、時代に取り残されないためにもFlashまわりの手習いを始めることにします。ただ、まわりの計算機科学の研究者にFlashがいいなどといったら袋だたきにあうことは必至なので秘密にしないと。プログラミング言語と計算モデルそれぞれの大学院講義を持つ者がいうのは問題なのですが、過去のVisual BasicやTcl/Tkのように簡易開発言語やScripting言語の場合は、開発環境を含めたトータルな生産性がすべてであって、言語の計算機科学的な美しさはどうでもいいのだと思います。実際、Flashあたりになると言語という概念では捉えられない。また仮に計算機科学者がよくいう言語的な美しさが本当に重要なならば、C言語などはとっくに駆逐されてHaskell言語あたりが世界制覇しているはず。今後はOSだけでなく、アプリケーションに近い部分までブラックボックス化がどんどん進むと予想されていますが、そのなるとソフトウェア開発上の勝負はコンテンツに近いところに移行するはずです。そのときにシステムプログラミングを前提にした言語を使う必要などなく、Flashをはじめとするコンテンツ記述向け環境の方が有利になる可能性は高いと思います。どちらにしても情報系の世界では今使っている技術に執着したらそれでその人はもう終わり。常に新しい技術にて乗り移れないと生きていけません。

2003年2月24日

打ち合わせと会議に終わった一日。そのうちの一つはお台場だったのですがやっぱり遠いです。埼京線と乗り入れることになったりんかい線の駅は中途半間なところにあるし、ゆりかもめは高い遅い狭いの3拍子。あれで通勤だけはしたくない。そもそも観光鉄道ではないのですから、景色よりも利便性を最優先にした路線計画は立てられなかったのでしょうか。やはりお台場同様にバブル経済の残骸のひとつなのかもしれません。ところで、ゆりかもめが通るバブル地区といえば汐留なのですが、その汐留のビルの方は外見的にはほぼ出そろいつつあります。その一方で、ゆりかもめの車中から眺めるだけでも、すでに周辺地域のオフィスビルでは数フロアーが空いているビルがちらほら。これで汐留地域が本格的に動き出したらどうなることやら。他人事ながら心配になります。それはさておき、今週は会議が続きます。どうも最近は会議も都内、それも千代田区、港区、渋谷区が多いのですが、これも都心集中の影響でしょうか。来年の今頃は汐留地域の会議も増えるかもしれません。ただ、勤務先として見た場合、汐留はいいのでしょうか。実はあまりいいとは思えないような気がするのですが(すくなくても食費がかかりそう)。

2003年2月23日

相変わらず論文執筆モード。どうもまとまりません。よくありません。だいたい論文はアブストとイントロがきれいにまとまれば書けたも同然というか、残りの部分は研究そのものというか実装を機械的に説明すればいいだけなので、論文の前半さえ何とかなれば後半は頭を使う必要もない。ただ、今回はアブストからして支離滅裂状態。こういう場合はだいたい研究動機自体が外れている場合が多いので実は要注意状態。ところで、この論文執筆のお陰で週末は昼夜の感覚がなくなっているというか、欧州時間になっています。

2003年2月22日

なんとか論文を投稿。でも執筆している論文はこれは別というところが悲しい。ところで、またたまYahoo BBからADSL勧誘の電話がかかってきました。2ヶ月無料とか無料設定サポートとか何かいろいろ叫んでいますが、興味ないので切ってしまいました。でも、この2ヶ月無料作戦はいろいろ使えるかも。例えば多くの私立大学は学生不足。この際、2ヶ月授業料無料にすれば生徒は集まるかも。それでもダメならば単位補習サポートとかもつければ完璧です。最近は退学率が高いのですが、経営的には長くいてもらった方がいいので単位不良による留年をさせつつ、でも退学をさせない程度にするのが肝心。また、携帯電話に習ってお友達紹介割引や家族割引を導入して学生さん自身にも勧誘活動に貢献してもらいましょう。もう一つ秘策があるのですが、それはマルチ商法作戦。物品のマルチ商法は法律違反ですが、大学授業料、それも授業料の減額にとどめた場合もやはり法律的に問題が出るのでしょうか。

2003年2月21日

帰国後は忙しくて間があいてしまいましたが、出張中に書き始めた論文の執筆を再開。でも、どうも調子が出ません。やはり出張しないと進まないということでしょうか。

2003年2月20日

納品されたばかりのPowerBook G4に無線LANのIEEE802.11gボードを導入。最初から内蔵にすればいいと思うのですが。ところで以前のAirMac カードはPCMCIAベースでしたが、今度のはどうもMini-PCIをベースにしているようです。初めての802.11gだったのですが、残念ながら手元に802.11gに対応したアクセスポイントもないですし、他に802.11gに対応したマシンもないので残念ながら802.11gの性能評価はできずにおります。ただ802.11bとしては不自由なく使えるようです。MacintoshといえばMacOS上でWindowsを動かすためのエミュレータを開発していたConnectixがMicrosoftに買収されるそうです。Macintoshだけでなく、Windows上で複数種類のWindowsを起動することもできるので、古いWindows向けアプリケーションが必要なユーザを新しいWindowsに移行させるにはエミュレータはいい方法かもしれません。でも、これは昔にもあったような話です。1970年代にIBMが大型汎用機System/370に旧型System/360向けソフトウェアを動かすために複数OSを同時稼働できるようにした仮想OSと同じ。歴史は繰り返すといいますが、PCも大型汎用機と同じ道を辿るようです。

2003年2月19日

午前中は大手町付近で打ち合わせ。今は予算関連の報告書のためにMS-WordとExcelと格闘中。機能が多すぎて必要な機能を探すのに一苦労ですし、図を挿入したとたんレイアウトが大きく変わってしまうなど動作が予測できずに一苦労。PCは余計な作業を肩代わりをして本来頭を使うべきところに集中させるのが役目なのに、操作や予測不能な挙動に頭を痛めるというか、格闘しているという状況。PCは何のためにあるのかを改めて考えさせられました。それと国内の事務書類は伝統的に罫線を多用するのですが、項目を手書きする時代は確かに有効だったかもしれませんが、PCで作成する時代にはあっているのでしょうか。もちろん、ある制約をはめないと書類の形式がバラバラになるというおそれはありますが、だからといってそれが罫線である必要はないと思います。すくなくても報告書などの文章部分にまで罫線の枠を用意してそこに入れさせるのはそのフォーマットを作る方にも、書類を書く方にも労力の無駄だです。やはり、こうした小さな無駄から排除していかないと効率は上がりません。

2003年2月18日

まだ満員電車が辛いというのに行きに乗った半蔵門線が車両事故で止まって調子が狂います。夕方からは日本経済新聞のパーティにお呼ばれ。年齢層が高いということもあって例によって名刺交換会状態。前にも書いたことがあるのですが年をとるとカード集めが好きになるのでしょうか。ところで昨日納品されたPowerBook G4 12インチ液晶モデルを使ってみました。アルミを使った筐体の完成度は高いですし、少なくても手持ちの15インチPowerBook G4よりよさそうです。そもそも15インチ液晶モデルは満員電車では前で立っている人に当たりますし、結構横幅もあるので左右の人の邪魔になりそうでした。ただ、発熱が気になりそうです。特に左側がこの時期なのに暖かく感じます。なお、L3キャッシュを積んでいないのですが、おそらく積んでいたいら低温火傷必至かもしれません。プロセッサやハードディスクなどの発熱の多いデバイスを左側に寄せて配置しているらしいのですが、いまひとつ謎。ところでPowerBook G4は15インチモデルがチタン、今度の12インチがアルミと金属にこだわるのはいいのですが、パームレストなど手の当たるところまで金属にすると、全身がマグネシウムだったVAIOノート505のように内部の熱が伝わりやすくなります。なんにしても夏場は辛そう。

2003年2月17日

13日の日経産業新聞の謎ですが、研究所で新聞で拝見すると、確かに4ページの冒頭に当方が出ていて、その内容も某所で叫んだことでした。さて出張中に溜まった郵便物や配達品で収拾がつかなくなっています。すでに締め切りがすぎているものも多く、電話をかけまくって事情説明とお詫びをして一日が終わってしまいました。それにしても海外出張後の満員電車は辛いです。まずはリハビリ。

2003年2月16日

海外出張疲れでぐったりしています。Innsburckは結構、のんびりした雰囲気なところだったのですが、やはり疲れます。去年の夏にViennaにも行っているのですが、Viennaの人はVienna以外は田舎という感覚のようでしたが、InnsburckはTirol地方の中心地ということもあるのかもしれませんが、Autriaへの帰属意識は弱いようでした。単にTirolという国があって、その隣にAutriaという国があるという感覚をもっているようです。同じAutriaでもSalzburgのように都市国家(ただしくは大司教区)ですと帰属意識の薄さはわかるのですが、この辺は長い歴史が作った文化なので一週間程度の滞在だけではわかるものではありません。

2003年2月15日

成田に到着。Amsterdamの経由のJAL便なのですが、Amsterdam空港ではテロ対策がパスポートコントロールは長い列。なにやら偽造パスポートのチェックに相当時間をかけている様子。ところで、2000年夏以降も成田発・着のフライトでは満員でも当方の隣の座席は空いているということが今回も続いてしまいました。それにしても疲れました。次の海外出張は来月後半。ところで、たまった電子メールを読んでみると、13日の日経産業新聞に名前が出ていたと数人から教えてもらったのですが、手元に新聞がないこともあってちょっと不安。週明けに確認をしないといけません。

2003年2月14日

移動日。ただ飛行機は4時過ぎですので、今度は別の2000m級の山にロープウェイを使って登ってみました。晴れていたのでアルプス山系やInnsburckの町並みの展望を満喫です。欲を出して雪と氷をかき分けて登ってみたのですが、スニーカではアイゼンのようには行かず、滑る滑る。終いには足を取られて7,8メートル坂道滑降です。途中で引き返しましたが、前向きに降りられる状況ではなく、後ろ向きに降りる始末。実は山頂近くということもあり結構岩肌も出ていますし、ハイキングコースとはいえ人が誰もいない状況なので早々に断念して正解でした。なお、Amsterdam行きの飛行機はアルプス山系を通る空路だったのですが、やはり自然は絶大です。なお、Frankfurtからの飛行機もプロペラ機だったのですが、さらに小型のプロペラ機で席は3列。これでよくドイツが縦断できたものです。

2003年2月13日

午後は国際会議で発表。実は発表機材がよくわからなかったので(単に会議のWebページをよく読まなかっただけなのですが)、出張前に発表スライドを仕上げるという事態になっていたのですが(普通はそうらしい)、その関係でノートPCだけでなくOHP用シート版も持参したのですが、今回は奇を狙ってOHPで発表してみました。狙い通り目立ったというか、ノートPCも買えないのかと同情さてしまいました。なお、晴れていたので朝一で会議会場から300メートルほどところから出てい るケーブルカー&ロープウェイで近くの山に登ってみたのですが、景色を楽しめました。 ところで、オーストリア料理も飽きてきました。ViennaにいったときはWiener Schnitzelでもこってりしているとおもったのですが、チロル料理はその域ではありません。ドロドロとギトギトのオンパレードで個々にはおいしいのですが、続けて食べると体にいいとは思えないです。

2003年2月12日

会議は相変わらずつまらないです。電源の近くに席を取ってひたすら論文書きです。なお、周囲はアルプス山系に囲まれているはずですが、曇っていて、ただの寒い場所となっています。もっとも晴れていたりすると高地に行ってみたくなるので、それはそれでいいのかもしれません。現地に到着してから雪が降っていないことだけがせめてものの救いです。なお、それ以前は降った雪が結構残っています。やはり夏場にくるべきところのようです。会議が3時半に終わったのですが、すぐに暗くなってしまいますし、美術館も4時過ぎには閉まる始末。ということで、路線バスに乗って10km程近郊になるSwarovski Crystal工場付属のメディアート系の展示場にいってみました。なお、「ぷっちょ」というお菓子のTV CMに出てくる巨人はオブジェはこの展示場の入り口をかねたオブジェです。実際、口から噴水を出しています。

2003年2月11日

寒いです。今日も会議はつまらない。結局カフェで持ってきた論文を読んでいます。今回の出張では論文を30本ほどを持ってきたのですが、正解だったようです。結局、一日に一当たりのコーヒー、Einspanner, Espresso, Melange、Brauner、Mokkaを飲む結果に。ただ、カフェで仕事をしている人はおらず、すごく目立ちます。とてもノートPCで論文を書ける雰囲気ではありません。それにしてもケーキは甘過ぎで口に合いません。

2003年2月10日

会議はつまらないです。論文を書いています。小説家は追い込まれるとホテルにこもって執筆される方がおられるそうですが、国際会議はある種の切り離された状態になるので捗ります。ところで昼休みに会場隣にある王宮(Hofburg)を見学。オフシーズンだからでしょうか。観光名所のはずなのに当方以外に客はなし。通常は要所要所にお客を監視する係員がいるのでしょうが、当方しかいないのであとを係員付いてくれるという状態。昼からは晴れて結構いいところであることが判明。

2003年2月9日

まずはFrankfurtに移動。そもそもFrankfurt便は観光客が少ないので静かなのですが、結構空いておりますます静か。仕事が捗ります。ノートPCのバッテリを3本持っていった甲斐がありました。ところで、今回はJALを使ったのですが、スッチーさん曰く、Frankfurt便はお客が大人しいのでベテランのスッチーさんの勤務希望が多く、若いスッチーさんは希望しても常に勤務できるとは限らないそうです。これを教えてくれたスッチーさんは若い人でFrankfurt便は初めてだそうで、手間からみると他の空路と比べると実際の客数と比べて半分ぐらいに感じだそうです。以前から同じ航空会社でも、フライトによってスッチーさんの年齢層に大きな違いがあるので不思議に思っていたのですが、要するに空路依存だということが判明。Frankfurtで3時間強の長い待ち時間の後、上翼プロペラ機でAustriaに移動。本当に飛ぶのかと思ってしまいました。

2003年2月8日

首振りiMacのクロックアップされて1GHzになりました。実はPowerMac G4の購入を考えた時期があるのですが、ファンがうるさいと知ってパス。iMacは静かなのでいいかもしれません。ただ、今度はL3キャッシュが積んでいないのが気になります。Power G4(970系)プロセッサは2次キャッシュがオンチップに埋め込まれているので、クロックの割には性能はいいプロセッサなのですが、パイプラインが長いのでキャッシュミスの代償は大きいうえに、システムバスが低速なのでキャッシュが溢れると性能がガックンと落ちます。ただ、L3キャッシュの発熱が大きく、その冷却のためにPowerMac G4のファン音が大きくなっているので、悩ましいところです。PowerBook G4の12インチモデルもL3キャッシュがないのですが、それも価格よりも冷却の問題かもしれません。それから明日から一週間ほど海外出張で行方不明になります。このページの更新も遅れると思います。

2003年2月7日

今年の1月1日にウィーンの楽友協会ホール(Musikverain)のことを書いたのですが、慶大理工大学院の期末レポートを採点していたら、ワグネOBと思われる学生さんのレポートの終わりに楽友協会ホールで演奏したことがあると自慢が書かれていることを発見。こちらは中に入っただけで感激していたのに。あまりに腹が立ったので成績をDにしようと思ったのですが、ぐっとこらえて内容で評価してAです。

2003年2月6日

今日は勤務先外の会議の日。技術的な話題なのでまだいいのですが、配布資料の裏にソフトウェアの設計案を書いて過ごしておりました。ほとんど一人お絵かき状態。会議の配布資料といえば一昨日S社から無線LANの携帯ファイル共有サーバが発表になりましたが、DHCPサーバにもなるらしいのでアドホックにネットワークを構成できるはず。結構いいかも。最近は会議時にPCカード型やUSB接続型のフラッシュメモリなどで電子資料の受け渡しをすることが多いのですが、無線LANで場当たり的にファイルを共有した方がいいですし、オフィス内の会議では誰かが携帯ファイル共有サーバを持ち込むというのは無理のないシナリオです。さらに進んで携帯式の無線LANのアクセスポイントはできないでしょうか。ところで、以前、あるプロバイダがJRの駅構内に無線LAN 基地局を設置申請をして某省を巻き込んだ騒動になったことがありますが、基地局を固定するからいけないのです。移動式の無線LAN基地局すれば問題はないはず。つまり、128Kbps のPHSかFOMAなどでインターネットに接続した携帯型無線LANを用意して、それをインターネットプロバイダの社員さんが背負って町中を歩き回る。そのまま人の流れに沿って歩いたり、満員電車に乗ればサービスエリアというか、サービス利用可能者数は結構増えるはずです。

2003年2月5日

昨日に続いて会議です。委員会も2時間を超すと嫌になります。結局、徹夜で論文を書いたのでひたすら眠い一日。ところで渋谷の某所でRolandのMC-8(いまでいうシーケンサ?)を拝見。松武秀樹氏所有のMC-8で20年前に某有名テクノグループのレコーディングとステージでMoogの制御に実際に使った物そのもの。MC-8は8bitプロセッサでメモリは16KBだったのですね。今では誤差の範囲。昔のプログラマーは偉大です。このサイズによくプログラムを入れたものです。ところで渋谷といえば、先週よったときに某国営テレビ放送局の何周年記念の関係でセンター街付近でひょっこりひょうたん島の垂れ幕とテーマソングがガンガンにかかっていましたが、どう考えても渋谷の年齢層とはギャップがあるような。もっとも当方も同番組をリアルタイムに知らないのですが、テーマソングは当時としては斬新だったかも。それともう一つ渋谷がらみ。2、3週間ぐらい前から東急東横店に「高校生は家に帰って、勉強しなさい」というポスターが貼ってあったのですが、家に帰っても勉強しないでしょうから結果としては同じだと思うのですが。ところで家で勉強する大学生は現存しているのでしょうか。

2003年2月4日

勤務先にある後期博士課程の入学試験。といっても面接だけですが。内容は守秘義務があるから書けません。あたりまえです。ところで、論文が本当にまずい状況になってきています。訳ありで明日の10時までに送らないといけないのですが、とても執筆が間に合う状態ではありません。ところで論文の関係で並行してプログラミングしているのですが、それも電車のなかで。ただ、プログラムコードを書くときはいいのですが、インターフェースビルダーでユーザインターフェースを作ると両隣に座っている人がのぞき込むので気になって作業ができません。確かに珍しいかもしれませんが、やりたくて電車の中でウィンドウにボタンやリストパネルを貼ったり、レイアウトをしているわけではないのです。ジロジロ見ないでください。

2003年2月3日

場当たり的かつアドホックとはいえ何とかプログラミングだけはしたのですが、論文の方が間に合いそうもなく、徐々にピンチに向かっています。もっとも定常的にピンチだといわれると否定できないのですが。さてだいぶ前(今年の1月15日)に書いたインフルエンザウィルスの勉強ですが、計算機科学よりもおもしろいかも。知り合いの医者というか免疫研究者からレクチャーを受けたのですが、今年の大流行は人気のインフルエンザ薬のタミフル(ノイラミダーゼ阻害剤) と関係があるそうです。タミフルを接種すると1〜2日で元気になるそうですが、タミフル自体はインフルエンザウィルスの増加を押さえるだけで、ウィルス自体を破壊するわけではないので、元気になったと思いこんだ患者が日常生活に戻どると、ウィルスの散布者となってしまうそうです。そもそもウィルスは散布先を広げることが存在目的なので、感染者が動けなくなると自己の目的を果たせなくなるので、散布者は元気でないといけません。先月末にネットワークワームも管理者に感染がわからないようにしながら、自己散布をするようになっていたら、感染範囲は広がって面倒な事態になっていたのかもしれません。なお、インフルエンザ薬不足が話題になっていますが、特定の薬だけが広く使われるとその薬に抵抗性のウィルスに変異する可能性が高いので供給量には制約があるらしい。コンピュータのウィルスでは自己書き換えを使ってワクチンソフトに見つからないように工夫したタイプも出ているのですが、特定のワクチンソフト対策したウィルスというのは聞いたことがありません。でもワクチンソフトウェアは寡占化が進んでいますから、これも時間の問題でしょうか。

2003年2月2日

外務省が国名表記を一般に使われている表記に直したそうです。今の勤務先ではないのですが、国際会議にいくために「ベルギー」への海外出張書類を作ったら、事務方から「ベルギーという国はないので出張は認められない」といわれて書類を突き返されたことがあります。結局、「ベルギー王国」に直して事なきを得たのですが。ただ、そのときは訳がわからずいろいろ調べてみたら外務省に国名・地名の表記基準というものがあるのを発見。その内容がすごいのですが、例えば外務省的にはイギリスという国は存在せず、その代わり「連合王国」です(歴史的事情により英国は認めてくれるらしい)。またノルウェーは「ノールウェー王国」と、チェコは「チェッコ共和国」(ちなみに首都のプラハは英語表記の「プラーグ」です)と表記しないと出張できません。それから気をつけないといけないのはニューがつく国名や地名。ニューの後に「・」をつけないといけません。ニュージーランドは「ニュー・ジーランド」となり、ニューオリンズは「ニュー・オルリンズ」としないと役所的には認められません。ただ、外務省改革のひとつとして一般表記にあうように変更することになったので、ここにあげた表記は改められました。ただ、名称変更を外務省改革の目玉といわれても困りますし、それ以上に今までよくやってこれたと思い、国家公務員の一人として逆に感心してしまいました。ただ、「共和国」や「王国」の不統一は直らないらしい。例えばフィンランドは公式国名がThe Republic of Finlandなので外務省的にも「フィンランド共和国」ですが、アイルランドはThe republic of Ireland が正式国名なのに外務省的には「アイルランド」。やはり謎が残ります。実は過去にアメリカ出張の書類で「合衆国」または「アメリカ合衆国」とすべきところを合州国としてしまった過去があります。そのときは事務方が作成した出張命令書も合州国でしたが。

2003年2月1日

某学会の依頼で人工知能ハンドブックとかいう本の原稿の執筆中。なかなか進みません。スペースシャトルがテキサス上空で行方不明だそうです。来月はダラスです。ところで、新聞をみていたら某省がウィルス警報網を作るそうです。その某省の外郭団体が情報を収集しているのですが、感染した企業からの自主報告情報が中心であり、コンピュータウィルスに関しては民間ワクチン会社の方が遙かに情報量も対策も進んでいる状況ですから、良く悪くも民業圧迫にもならないでしょうが。それと4月からは情報システムの丸適マークのような安全対策への墨付き制度を導入することを考えているそうですが、検査では抜き打ちでクラッキングでもするつもりでしょうか。

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Ichiro Satoh (E-mail: ichiro@nii.ac.jp)

Ph.D, Associate Professor
National Institute of Informatics

2-1-2 Hitotsubashi, Chiyoda-ku, Tokyo 101-8430 Japan
Tel: +81-3-4212-2546
Fax: +81-3-3556-1916