麻布米軍ヘリ基地問題および撤去運動に関連する主要な出来事【略年表】
関連別色分け……■■=政府、 ■■=東京都、 ■■=港区、 ■■東京大学、 ■■米軍、 ■■=撤去運動
年月日    出    来    事  備      考
1898/1/ 旧陸軍第1師団歩兵第3連隊設置 通称「三連隊」
1943/ 旧陸軍近衛歩兵第7連隊駐屯
1945/9/22 米軍が連隊の建物と周辺敷地を接収、駐留を開始 米側通称「ハーディバラックス」
1957/11/20 東大生産技術研究所、麻布新竜土町の連隊敷地跡地への移転を決定 第7連隊跡地36,000坪全部を使用の予定
1958/6/ 東大物性研究所、同じく麻布移転を決定
1958/12/8 米軍、接収解除。敷地一部と連帯建物の91848u(27,700坪)を日本に返還 接収未解除部分が現在の「麻布米軍ヘリ基地」
1959/3/9 関東地方国有財産審議会、全敷地36,000坪を東大、日本学術会議、東京都、NHKで分割して使用することを決定 うち17,000坪を東大、1,000坪を日本学術会議が使用予定
1961/2/1 東大生研、西千葉(現千葉大学)敷地から移転開始 移転完了は1962年3月
1961/3/11 東京都市計画街路環状3号線の事業決定告示(建設省)
1963/3/29 東京都市計画青山公園の事業決定告示(建設省) ヘリポート部分含め「青山公園」にすることを決定
1967/4/18 東大生研職組と物性研職組の合同春闘総決起集会でヘリ基地撤去を決議 両職組が調査・要請・宣伝行動を開始
1967/7/5 港区議会、「米軍ヘリポート撤去に関する意見書」を全会一致で採択
1967/7/14 「麻布米軍ヘリ基地撤去準備会」発足。東大の両職組、港区労協、社・共両党の5者が幹事団体で21団体参加
1967/8/8 東京都は東京防衛施設局に、環状3号線工事を共同使用(トンネル式)を申請
1968/2/27 東大生研・物性研職組、米軍車両の東大構内通行阻止・実力行使開始 十数回にわたる座込み行動でゲート閉鎖を勝ち取る
1968/4/18 第1回「春闘勝利・麻布米軍ヘリ基地撤去4・18総決起集会」を両職組と港区労協の三者共催で行う 以降毎年4月18日前後に集会・デモ、地域宣伝、東京防衛施設局交渉を続ける
1968/12/23 米側、日米安保協議委員会で「ヘリポート、PXをプレスセンター内に移転」など縮小計画示す
1968/12/26 東大総長、麻布ヘリ基地撤去要望書出す 以降、生研・物性研両所長は毎年撤去要望書提出
1970/6/9 米軍、東大構内側のゲートを本格的に閉鎖 以降米軍車の大学構内通行なし
1970/12/11 施設局、都の意向に添って米側と交渉することにつき都に意見照会
1970/12/16 都議会「麻布米軍ヘリ基地撤去に関する請願書」を全会一致で採択
1972/2/23 都は施設局に、「ヘリポートの移転」「環3道は開渠に」と方針を回答
1972/3/24 江崎防衛庁長官は衆院予算委で「ヘリポートを年内に夢の島14号地に移転させる」と答弁
1973/6/1 米側は、日本側提案に対して、ヘリポートは継続して使用する旨回答
1973/6/25 米軍は「ヘリポートは移設しない」、「PX移設後に環3道以東の敷地は返還」と施設局に回答
1973/8/ 米軍宿舎「山王ホテル」返還決まる
1973/11/ 港区議会「米軍へリポート撤去に関する意見書」全会一致で再度決議
1978/11/13 港区南麻布への「山王ホテル」移転計画判明。地元住民は反対同盟結成 区内労組・平和団体も支援行動開始
1979/10/8 都は、1973.6.25後の米側の条件に変更があるか、再確認を施設局に照会
1979/11/19 区議会「米軍宿舎建設強行反対」の意見書を全会一致で採択
1980/5/30 南麻布米軍宿舎建設反対の住民・支援労働者を機動隊で排除、工事強制着工 現「ニューサンノー米軍センター」
1980/6/2 都は、施設局に対し道路予定地の返還について再要請
1980/6/9 米側は「環3用地返還」をとりさげ「共同使用」を施設特別委員会に提案
1980/6/24 施設局は道路予定部分の共同使用について都に対し意見照会
1980/9/16 防衛施設庁は、施設特別委員会へ道路予定地の返還について提案
1982/2/16 "都は施設局に対し道路予定部分約3,470uの共同使用について回答"
1983/5/19 "日米合同委員会で「環3用地共同使用」を合意(道路3,900u、臨時へリポート4,300u)"
1983/8/12 東京都・東京防衛施設局・在日米軍は「共同使用に関する協定」締結(『三者協定』) 道路工事完了後は臨時へリポート部分原状回復を明記
1983/8/ 臨時へリポート工事開始、環3道一部着工。付近住民、環境守る運動始める
1984/12/5 "臨時へリポート(青山公園用地4,300u使用)完成"
1985/10/ 独身将校宿舎で米兵同士の殺人事件発生。犯人は基地外に逃亡、後日逮捕
1987/10/ 撤去運動20周年記念「なくせ都心の米軍基地・麻布米軍ヘリ基地」パンフレット作成 発行=生研・物性研職組、港区労協
1990/7 環状3号線「六本木トンネル」部分の工事着手
1993/1/8 ヘリ基地に向かう米軍ヘリ、エンジン故障で杉並区の中学校校庭に不時着
1993/3/26 米軍、東京防衛施設局を通じて「臨時へリポート」の継続使用を表明
1993/3/29 環状3号線「六本木トンネル」完成・開通式
1993/4/22 日米合同委員会で自衛隊がヘリ基地を一部共同使用する合意。
1993/4/23 都は施設局に対し、復旧工事早期着手のため米軍との調整方を文書で申し入れ
1993/5/28 自衛隊の共同使用を閣議決定
1993/6/3 日米合同委員会で陸上自衛隊によるヘリポートの共同使用について合意
1993/6/30 港区議会「自衛隊共同使用反対、臨時へリポート用地返還」を全会一致で決議
1994/2/10 都は施設局に対し、三者協定に基づく原状回復を要請
1995/5/23 都は施設局に対し、原状回復できるよう米軍との調整方を要請
1995/11/ 東大生研は駒場に、物性研は柏に、各々移転決定
1996/1/18 「96麻布ヘリ基地撤去集会実行委員会」結成 以降撤去運動は実行委員会が主体に
1996/2/27 都は施設局に対し、原状回復できるよう米軍との調整方を要請
1996/3/26 港区議会「臨時へリポート用地の即時返還を求める意見書」を全会一致で決議
1996/4/3 「港区・安保の見える丘」こと青山公園での初の「平和花見交流会」 以降毎年ヘリ基地近辺で花見交流会
1996/4/10 施設局企画課長、実行委との交渉席上「三者協定はザコの結んだ協定。上の都合で変えられる」と暴言 施設局、暴言問題を報道した「赤旗」には後日謝罪
1996/4/18 基地撤去4・18集会に初のマスコミ取材(11社)、「都心にも米軍不法占拠」と報道 初の沖縄代表招待
1996/4/19 港区長、防衛施設庁にヘリポート撤去の要望書提出 初めての、区長の意思表明
1996/4/19 青島都知事「返還折衝中である。都心に外国軍の基地があること自体不自然」と記者会見
1996/5/2 労組・平和団体による初のヘリ基地現地調査 以降2001/5月までに80団体700名が現地調査
1996/7/3 米軍の公園不法占拠について周辺住民ら18名で東京都に監査請求申し立て 7紙局が報道
1996/8/4 南麻布「ニューサンノー米軍センター」から米兵が民家にレーザー光線照射。犯人は沖縄に逃亡
1996/8/8 都は住民監査請求を却下
1996/9/6 東京都に対し住民訴訟を提訴 第1回弁論までに12紙局が報道(米軍Stars&Stripes含む)
1996/12/6 住民訴訟第1回弁論開始 以降、98/7/31判決までに9回の弁論をはさみ裁判闘争
1997/2/21 「安保・基地を考える映画と音楽の夕べ」開催 撤去運動初の文化集会
1997/4/11 外務省、米国大使館に対する初の要請行動 外務省は三者協定開示OKと施設庁に回答した事が判明
1997/4/16 都、これまで公開を拒んでいた「三者協定」文書を部分開示 原文ではなく、日本語訳文。しかも約1/3はスミ塗り
1997/4/18 撤去運動30周年4・18集会 2紙局が報道
1997/12/3 港区長、米国大使に宛てヘリ基地撤去要望の書簡送る 港区長としての初行動
1998/2/10 「青山公園を返せ」署名運動スターティング・セレモニー開催。署名運動開始 2紙局が報道
1998/3/10 都は施設局に対し、復旧工事に早期に着季できるよう再度文書で要請
1998/5 都は施設局に対し、原状回復できるよう米側との調整方を要請
1998/3/24 区議会「臨時へリポート用地の即時返還を求める意見書」を全会一致で決議 都は4月「施設庁と月一回協議。ランクアップ」と発言
1998/4/15 麻布米軍ヘリ基地に対する初の直接要請行動 「座間基地に要請せよ」と要請書受取拒否
1998/7/31 東京地裁、ヘリ基地訴訟を「一部棄却、一部却下」の不当判決 弁護団声明、実行委声明発表
1998/10/5 都は施設局に対し、原状回復できるよう米側との調整方を要請
1998/10/30 米軍座間基地に対する初の要請行動 要請者4名不当拉致事件
1998/12/16 「青山公園返せ」署名1万人突破記念集会
1999/4/15 麻布米軍ヘリ基地問題リーフレット2万部作成
1999/6/2 石原知事、麻布ヘリ基地から米軍ヘリで横田視察 緊急抗議文送付、抗議要請行動→2紙が報道
1999/6/21 都は施設周に対し、原状回復できるよう米側との調整方を要請
1999/7/20 米国情報公開法に基づき「三者協定」の開示請求行う 座間基地に直接要請
1999/10/2 米軍「三者協定」原文を実行委員会に開示 地図付き原文。都が97年開示した訳文の重大な欠訳箇所判明
1999/12/7 港区議会でヘリ基地撤去意見書決議
1999/12/20 対都要請行動で協定文欠訳問題追求、マスコミ発表 9紙局が報道
1999/12/22 石原都知事、記者会見で「撤去に向け努力したい」と初めて麻布ヘリ基地問題に言及
2000/2/9 政策報道室、都議会決算委員会「具体的な返還手順を検討」と答弁
2000/2/14 港区長、副都知事にヘリ基地撤去返還要請行う 2紙が報道
2000/3/31 東大物性研、千葉県柏市に移転完了
2000/4/18 東大麻布キャンパス内最後の4・18基地撤去集会
2001/3/6 港区長、米大統領と在日米国大使に撤去要望書簡送る
2001/3/31 東大生産技研、目黒区駒場に移転完了
2001/4/18 青山公園で開いた初の4・18基地撤去集会
2001/5/6 小泉首相、青山公園不法占拠問題で政府見解
2001/8/31 東京都に「防災訓練での麻布ヘリ基地使用に反対する」要請
2001/9/1 都は、総合防災訓練会場として麻布ヘリ基地を使用
2001/11 麻布米軍ヘリ基地問題ホームページ開設
2002/4/17 港区長、副都知事にヘリ基地撤去返還要請行う。および、米大統領と在日米国大使に撤去要望書簡送る
2003/11/22 港区長、副都知事および米大使館に撤去返還要請
2004/9/1 都は、総合防災訓練会場として麻布ヘリ基地を使用
2004/12/1 港区長・区議会が東京都、防施庁に要請
2005/2/14 港区長・区議会が米大使に面会して撤去要請 初の大使館訪問要請
2005/6/22 都は国に対し、当施設を直ちに返還するよう必要な措置をとることを要請
2005/8/6 原水禁世界大会で4カ国語ビラまき宣伝
2005/8/25 都に防災訓練での麻布ヘリ基地使用反対要請
2005/9/1 都は、総合防災訓練会場として麻布ヘリ基地を使用
2005/11/11 都は国に対し、当施設を直ちに返還するよう必要な措置をとることを要請
2005/6/22 港区長・区議会が米大使に面会して撤去要請 初の大使館訪問要請
2006/4/18 キ・防・外務、米対に要請行動
3紙+2局が取材

参考資料=東京の基地’96、’98、’00、’02、’04、’06(東京都都市計画局発行)
       「生産研究」1961/1月号、1969/5月号(東大生研発行) 
       「麻布米軍ヘリ基地」パンフレット1968、1987(東大生研職組、東大物性研職組,他)