プロフィール

1971年 東京都生まれ。
 幼少期を兵庫県西宮市
 幼稚園〜小学校1年まで宮城県仙台市で過ごす。
 仙台では宮城県沖地震で被災、通っていた小学校が使えなくなる。
 
8〜24歳まで鎌倉で過ごす。
 中学の頃より鉄道模型(Nゲージ)を始め、ジオラマの製作によって現在の建築模型の基礎を培う。
 高校の頃よりシンセサイザーによる多重録音を始める。

1991-5年 神奈川大学工学部建築学科。
 恩師白濱謙一氏より建築の他、水彩画・クラッシック音楽など、感性を磨くことを教えられる。
 1年次より研究室に製図板を置き、学生コンペを年5-6回出していた(プレゼンテーション能力を養う)。
 1年次の冬に参加したヨーロッパ建築視察の旅は、コンペの優勝賞金でまかなっていた。
 卒業設計は、実在する組織「ACCUユネスコ・アジア文化センター」をテーマに、職員のヒヤリングを
 もとにした建物の計画を行った。

1996-7年 東京都立大学大学院。
 1年次は小林克弘氏に師事し、2年次より助教授で着任した藤木隆男氏とともに近代建築の保存活動の他、
 建築家「坂倉準三」の建築観をテーマに論文を書く。
 この頃、坂倉準三設計による神奈川県立近代美術館の学芸員の方々と親しくなり、近代美術に触れる機会が
 増える。当時館長だった酒井氏とは偶然にも家が近く、散歩でよく見かけていた方だった。
 テルマリウム株式会社でスパ施設の企画スケッチ、設計、工事の図面を手伝い始める。
 在学中から建築家、
小川広次師に師事。
 茶道(薮内流)と、チェロを習い始める。当時の愛読書は白州正子、小林秀雄、吉田秀和、小島寅雄、
 立原正秋、曾野綾子、四季の味など。

1997-2000年 建築家谷口吉生氏に師事。
 ニューヨーク近代美術館(MoMA)の国際コンペに当初からスタッフとして参加。世界の10人の建築家
 から選ばれる(アジア系の建築家としては歴史上初めてとなる)。

2001年〜 有限会社豊田建築設計室を設立。
 テルマリウム株式会社とともに、スパ施設、立寄り湯等の企画・設計(下田清流荘(設計監理)、
 伊東大和館(基本設計)、東京ドーム・ラクーア(企画設計および一部施工図)、豊島園森の湯(企画設計
 および一部施工図)、舞浜ユーラシア(実施設計および一部施工図)、新世界スパランド(韓国・釜山/
 基本設計および一部施工図)、箱根小涌園(企画設計)、エクシブ(鳴門、浜名湖、軽井沢、那須白河、
 京都、台場/一部施工図)、大阪スパワールド(企画設計)、マンダリン(日本橋/一部施工図)、
 シャングリラ(一部施工図)など)、公共温浴施設の基本計画(愛媛県伊方市、島根県平田市)を行う。
 並行して住宅や共同住宅、旅館の設計を行う。

2004年 伊香保温泉。
 自主的に街をよくしたいという若手女性4人の手伝いを手弁当ではじめる。その後、老舗旅館の
 千明仁泉亭内にカフェバー「楽水楽山」をつくることになり、廃れてしまった古い技術を復活させる
 ことや、武蔵野美術大学の学生と一緒に照明やドア装飾などをつくり、美大生の卒業後の活動(営業)
 に対するきっかけづくりの重要性を実感する(以後、若手アーティストとの共同作業をときどき行う)。
 その後、2005年より2009年まで、行政の委託により伊香保地域のあらゆる場所を担当者と歩き、
 歴史や現状の話を聞き、あるべき景観をその場で描く作業を行った。描いたスケッチは170枚に
 のぼる。後に平成16年度の国土施策創発調査(従来型観光地での地域の魅力の再発見または創出と、
 それを活かした集客力回復とまちの再構築に関する報告書)に検討資料として加えられている。
 また、伊香保温泉「学び・実践塾」では、講師として参加し、参加者の意見を「コトバ」から
 「イメージ」へと翻訳する作業を行った。言葉だけでは共有できないことも、イメージを共有することで
 全体がひとつの認識を持つことが出来る。建築家としての役割を実感した。
 伊香保温泉では、他に旅館さくらい(客室の改修)、きむら(検討スケッチ)、晴観荘(検討スケッ
 チ)、ホテル勝保(岩盤浴設置)、松本楼(スパの検討)、有明館(改修検討)、上ノ山展望台
 ときめきデッキ(設計監理)、バスターミナル休憩施設(設計監理)、個人邸改修などを行う。

2005年 伊香保温泉と有馬温泉の宿主とともに、ヨーロッパのスパ施設を視察する(同様の視察は
 2001年にも行っている)。ドイツ〜スイス〜オーストリアのスパや温泉地を体験することで、
 ヨーロッパ型の保養についての知見と共通認識を深める。

2006-10年 山梨県「萌木の村」全体のコンサルティング。
 リゾートホテル「ハットウォールデン」の改修依頼をきっかけに
、社員ミーティングを半年重ねる中で
 スケッチを描き続け、コンセプトと改修箇所を決めた。リニューアルは建築だけでなく、インテリア
 コーディネーターである妻も共同でプロジェクトを進め、ウインドウトリートメントにはじまり、
 リネンや備品、アロマの開発、アートや食事、客室案内にまで踏み込んだものとなり、リニューアル
 オープン後も定期的に宿泊し、社員の適切な配属が行われているかをチェックした。

2008-12年 
 台湾系アメリカ人の建築家である友人のための家を土地探しから行う。1軒目は東京都目黒区、
 2軒目は別荘として神奈川県三浦郡葉山町。友人が持っている建物のイメージを引出し、工務店
 や職人に翻訳し、日本文化と西欧文化の融合した完成度の高い建築をつくりあげた。

2011年- 有馬温泉で活動を始める。
 有馬温泉、陶泉御所坊の金井氏とは2004年以来の親交があり、2006年より御所別墅の企画案や御所坊
 の客室改修案を描くことを行ってきた。
 有馬温泉では、古い民家をカフェに改修する仕事にはじまり、旅館の客室(ねぎや陵楓閣)、炭酸煎餅
 の店舗改修(湯の花堂本舗)、観光案内所の改修などを行っている。
 観光案内所の改修では神戸芸術工科大の学生を主体にして、横断的に学科間の共同作業とし、有馬
 らしさを掘り下げてデザインを昇華させることを試みた。学生に現実的な仕事の目線と将来への
 ビジョンを持たせることを意識した。
 旅館(ねぎや陵楓閣)の客室改修では、伊香保温泉のカフェバーで作業をしてもらった、当時美大生
 だった鉄作家とガラス作家の弟に参加してもらい、若手作家を積極的に建築のなかに取込むことを
 試みた。

2011-12年 宮崎の家。
 現場事務所を徹底的にきれいにし、使う材料と様々な模型をディスプレイして、リラックスした雰囲気
 の中で打合せができるように環境を整えた。打合せはほぼ毎週行い、時には実物の張地を貼ったソファ
 やカーテンまで作り込んだ1/25スケールの全体模型を持って行くこともあった。
 建主が発見と満足を得るような家づくりを目指した結果、探せる限りの材料から適した物を数点選び出
 し、ストーリーのあるものとしてプレゼンする方法に行き着いた。高級なブランドのストーリーを借り
 てくるのではなく、コストバランスとオリジナルな選択眼から創造されるストーリーこそ、私の考える
 「設計」なのだと認識した。

2013年-14年 
 石川県の伝統産業振興室のアドバイザーをきっかけとして、金沢の職人(金箔、加賀友禅、蒔絵、漆など)
 との共同プロジェクトをはじめる。問屋制がまだ活きていた頃は、需要と供給がバランスよく成り立って
 いたが、伝統的な習慣が廃れつつあり、家電など使い捨ての感覚の「モノ」が溢れている現在、どういう
 ものが、本当にあるべきなのかを考え、つくり出すことを目指して始動している。建築家としてよりも、
 もっともっと「人」に近い原動力が自分を動かしている。
 それは祖父が石川県大聖寺出身ということも、師の谷口吉生氏、恩師の師である谷口吉郎氏が金沢と縁が
 深いということも原動力になっていると思う。

2014-16年 有馬温泉太閤橋おもてなしトイレ。
 有馬温泉に公衆トイレをつくるプロジェクト。国の補助金を受けながら民間事業として進められた。
 有馬温泉のまちづくりを担って来た金井啓修氏とともに、これまでにない「おもてなし」の在り方を探り
 ながらも、有馬温泉の主要なメンバーで構成される委員会での承認を得ることや、行政のさまざまな制約
 を調整することで、当初描くものからは離れたものとなりながらも、有馬らしさを実現した建物とするこ
 とができた。この後、三ノ宮地下街「さんちか」内に有馬温泉のアンテナショップをつくる際の設計者と
 して指名を受けることとなり、神戸芸術工科大学の学生にグラフィックデザイン製作の場をつくり、共同
 でプロジェクトを進めることも実現できた。

有限会社豊田建築設計室
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