中山道

 「みちの旅」の本命ともいえる中山道、東海道を歩き終えると、次は江戸幕府が国を治めるために道筋を定めて整備した江戸五街道(東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中)を踏破しようと、今度は日光街道を歩くことにした。この道は徳川家康を祭る日光東照宮に参拝するための道である。

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1.平成1574 晴れ

日本橋から千住宿へ(8.7km


 日本橋に立つのは四度目、新鮮味は薄れてきたが日光道中144キロの踏破をめざし
10時半すぎにスタートした。
 日本橋を渡り、三越本店の先で中山道と分れ大伝馬本町通りに入る。ビルが建ち並ぶ片隅に赤い道標「旧日光街道本通り」が立っている。旧吉原の遊郭があったらしい人形町通りを横切り、伝馬町牢屋敷跡と日本橋石町の「時の鐘」がある十思公園に立寄った。

 浅草橋を渡ると浅草見附跡がある。このあと浅草寺に立寄って梵鐘「時の鐘」、芭蕉の句碑を見て、墨田公園から江戸の遊郭・吉原への通い道であった日本堤を通り過ぎる。営団日比谷線を越えると「浅草のはりつけ場」といわれた小塚原刑場跡、首切り地蔵、小塚原回向院がある。
 そして隅田川の千住大橋近くにある「奥の細道矢立初の碑」を過ぎると、所々に屋号札を付けたお店、旧日光道中の道標、高札場跡を見て千住の宿場町通りを抜ける。

暑さで少し疲れたので今日はここまでとし、午後3時すぎに北千住駅から帰宅した。


    石町の時の鐘

     首切り地蔵

2.平成1578 晴れ

千住から越谷へ(15.7km

北千住駅駅から千住宿史跡公園、江戸時代からつづく商家「横山家住宅」、江戸中期より代々絵馬をはじめ地口行灯や凧などを描いてきた祭物問屋「千住絵馬屋・吉田家」を過ぎて、槍かけだんごの有名な老舗「かどや」で味見にと二本買って歩きながら賞味した。
 水戸・成田街道の追分(分岐点)をすぎ、荒川(千住新橋)を渡る。そして奥の細道と草加せんべい発祥の地の石碑を過ぎて札場川岸公園に出た。ここに松尾芭蕉翁の大きな立像と日本の道百選「日光街道草加松原」の石碑が立っていた。草加は芭蕉ゆかりの地らしく、このあと松尾芭蕉文学碑、芭蕉の旅姿絵、それに草加を詠んだ芭蕉の句札がかかっている。このあと蒲生の一里塚、清蔵院の山門を見て北越谷駅にきたところで帰宅した。


   松尾芭蕉翁の立像

3.平成15725 晴れ

越谷から幸手へ(24km
 これという史跡がない単調な道をひたすら歩き、備後一里塚跡を過ぎて春日部市街に入ると、土蔵造りの家の前に古い大きな道標が立っていた。東面に「東江戸」北面に「北日光」西面には「天保五年・・・」と刻まれていた。
 そして春日部市の中心街を抜けると「日光道中粕壁宿」の説明板が立っていて、小渕一里塚跡、道標「左日光道」を過ぎてしばらく行くと「右江戸」と刻まれた石塔が立っていた。
 これといった史跡を見ることなく杉戸を通り過ぎて日光御成道と合流したあと、東武日光線の幸手駅近くにきたところで今日はここまでとした。

     大きな道標

4.平成1585 晴れ

幸手から古河へ(14.3km

日光街道の標示を見て幸手市街を抜け、行幸記念碑公園の横を通って中川をわたる。古い道標「左日光道 右つくば道」を過ぎると民家が途絶え、緑が一面に広がる水田地帯を歩く。東北新幹線のガードをくぐると栗橋の町だが、当時の面影を見ることなく利根川を渡り茨城県古河市に入ると中田宿の説明が出ていた。
 弘法大師が創建したという光了寺の前を通り、東北本線に沿って歩道の広い旧道をひたすら歩く。古河市街に入ると古河城御茶屋口門址、太田屋旅館(脇本陣)、「左日光道 右筑波道」と刻まれた常夜灯形式の道標と続く。そして古河市街を通り過ぎた辺りから空が暗くなってきた。行く先遠くの方で雷音が鳴り、時々稲光が見える。次の野木駅は街道筋からかなり離れているので、少し早いが今日はここまでとし、古河駅に戻って帰宅した。


   常夜灯形式の道標

5.平成15826 晴れ

古河から小山へ(16.1km


 真夏の陽射しを浴びながら歩き始めるといつの間にか茨城県から栃木県になっていた。野木神社の鳥居を過ぎると歩道脇に野木宿の説明がでていた。芭蕉句碑がある法音寺、将軍が日光東照宮に参詣する時の休憩所となった友沼八幡神社をすぎ、さらに単調な国道をひたすら歩く。
 間々田駅を過ぎて国道から旧道に分かれ小山市街に入ると明治天皇小山行在所跡(脇本陣跡)の碑が立っていた。このあと街道筋を離れ小山評定跡(小山市役所の前庭にある)に立寄ってから小山駅に戻り帰宅した。


   法音寺の芭蕉句碑

6.平成15828 晴れ

小山から雀宮へ(20.6km


 小山市
街を抜けると東北新幹線に沿ってのどかな道をしばらく歩く。そして国道4号に合流し道脇に並ぶ石仏を見ながら旧新田宿を過ぎると国道脇に国指定史跡の小金井一里塚が残っていた。
 本陣や問屋場があったらしい小金井北交差点をすぎ、国道352号と立体交差する手前の歩道脇に石仏十体が並んでいる。
 石橋駅前を通りすぎ、なおも単調な国道をひたすら歩くと立派な表門と白壁の塀に囲われた屋敷が見えてきた。表札を見ると芦屋となっていたので雀宮宿の脇本陣跡なのだろう。ちょうど雀宮駅前なので今日はここまでとし東北本線で帰宅した。


     小金井一里塚

7.平成15831 晴れ

雀宮から宇都宮へ(8km


 雀宮駅を出ると馬頭観音、雀宮神社と並んでいた。そして陸上自衛隊の北宇都宮駐屯地、菅原神社前をすぎてポプラ並木の静かな道をたどり宇都宮市街に入ると、宇都宮が生んだ蒲生君平の勅旌碑が立っている。
 熱木山不動尊を過ぎて宇都宮の中心街に入ると日光道中と奥州街道の分岐点(追分)がある。ここで日光道中を辿らず宇都宮市街のメイン通り歩き本陣跡、高札場跡の標示板を見て二荒山神社に立寄った。このあと有名な宇都宮の餃子を食べてJR宇都宮駅から帰宅した。


   蒲生君平の勅旌碑

8.平成1592 晴れ

宇都宮から徳次郎へ(9.3km


 日光道中と奥州街道の追分から清住通りを北に向かって歩く。宝勝寺をすぎて桂林寺に来ると蒲生君平の墓がある。
 勝善神の碑を過ぎると国道119号に合流するが、車道と歩道の間に街路樹が茂っているので歩きやすい。上戸祭の一里塚、高谷林の一里塚を過ぎて徳次郎町に入ると智賀都神社があり、ここに推定樹齢
700年という2本のけやきの巨木がある。
 民家が途切れた長閑な道を歩いて榊里というバス停に着いたところで、今日はここまでとし、バスで宇都宮駅に戻り帰宅した。


      街道風景

9.平成1599 晴れ

徳次郎から大沢へ(9.4km


 石那田八坂神社をすぎるとりんご畑がつづく。幾つかの石碑、庚申供養塔、赤い布をまとった地蔵さんが並んでいて、新渡神社と思われる鳥居、上小池の一里塚跡らしいところを過ぎると樹木に覆われた日光杉並木街道に入る。入口に「特別史跡・特別天然記念物 日光杉並木街道」の石碑が立っている。
 御殿跡を過ぎて大沢の一里塚まできたところで写真を撮ろうとしたとき、デジカメのメモリが無くなっていた。容量の小さいメモリステックを間違えて入れてきたようなので、今日はここまでとし、シドミ原からバスで今市に出て宇都宮駅に戻り帰宅した。


    日光杉並木街道

10.平成15910 晴れ

大沢から日光東照宮へ(17.9km

近くに杉並木の古道が残っていて車が入れない特別史跡区域があった。ここを通って来迎寺を過ぎるとこんどは国道と並行に日光杉並木街道が続く。ここには樹齢380年という杉の巨木が生い茂り壮観だ。途中に杉と桜が一体になった「さくらすぎ」、杉の根元が腐って空洞になった「七本桜の一里塚」もある。今市の町で例弊使街道と合流するが、ここに子育てや旅立ちの安全を願ってお参りされ慕われてきたという追分地蔵尊が建っている。
 JR今市駅前を過ぎると二宮尊徳の墓がある報徳二宮神社がある。また、今市はそばの町で知られているようで、この先に由来の「そば喰い稲荷」がある。浄泉寺をすぎて滝尾神社のところで国道から分かれ、旧今市宿をあとにふたたび杉並木街道に入る。

 杉並木公園の中を通って瀬川の一里塚、そして二宮尊徳が農村復興のために建てた農家住宅や名主屋敷・江連家の建物、そして砲弾打込杉、砲弾打抜き杉、止まり杉と続く。この付近は明治戊辰の役に官軍が日光に拠る幕府軍を攻撃し前哨戦を行った所らしい。
 さらに「並木太郎」という巨杉、銀杏杉、明治天皇七里御小休所跡、異人石を過ぎてJR日光駅と東武日光駅前を通り過ぎる。

 このあと東照宮に向かって国道119号を歩くと日光道中23宿の最終駅「鉢石宿」で、日光山の門前町で栄えたらしく、宿場名にちなむ史跡「鉢石」がある。さらに天海大僧正の銅像を過ぎて大谷川(日光橋)を渡ると東照宮がある。この日光の社寺を巡って下に下りると、樹齢約600年の太郎杉の前に重要文化財「神橋」が架かっている。そして板垣退助銅像を見てJR日光駅に戻り帰宅した。

                             (完


                           


     史跡「鉢石」

     日光東照宮
みちの旅