中山道

 

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1.平成151222 晴れ

日永追分から千里へ(20km

 
 拝島駅を
638分発の電車に乗って近鉄内部線「追分駅」に1040分過ぎに着いた。追分駅から三分くらいで伊勢街道の起点・日永追分に出る。ここに伊勢神宮の二の鳥居が立っている。
 この追分は東海道の四日市宿と石薬師宿の「間の宿」として旅籠が軒を並べ茶店も多かったらしいが、今はその面影はまったく残っていない。この追分から東海道と分かれて南に伊勢街道「みちの旅」の第一歩を踏み出した。


 交通量の多い単調な県道を歩き内部川(河原田橋)を渡ると昔ながらの旧街道らしい細い道に入る。すぐに古い道標や「旧伊勢街道・今宿」の手作り表示板が目に入る。鈴鹿川を渡ると太神宮常夜灯が立っていて、神戸の街中に入ると見付跡や卯建に連子格子造りの旅籠屋「かみ亭」がある。 神戸藩士の水泳練習場になっていたという六郷川(大橋)を渡り、今も旅館を営む旅籠屋「道具屋」を過ぎると、明治天皇行在所の碑が立つ神戸別院(お寺)、大きな常夜灯と続く。
 そして鈴鹿駅の横を通り山ノ神らしい鳥居の前を過ぎると「右さんぐう道」と刻まれた道標が立っていた。

 このあとフジクラの工場、鎌倉時代に作られたという北の端の地蔵堂、さらに小笠原侯屯所跡、室町時代からの高札場跡、そして白子駅近くにさしかかると旧河藝郡役所跡、「右さんぐう道・左神戸四日市道」と刻まれた道標、同心屋敷跡、目付役所跡、そして天然記念物の白子不断桜がある子安観音寺と続く。
 車が通らない静閑な道をウォーキングを楽しみながらのんびりと歩き、近鉄千里駅前に来たところで今日はここまでとした。そして近鉄線で津駅に行って近くのビジネスホテルに泊まった。


     日永追分

    大きな常夜灯

      古い道標

2.平成151223 晴れ

千里駅から松阪へ(28km

田中川を渡ってしばらくゆくと昔風の切妻連子格子や虫籠窓がある家が残っていて、すぐ先に弘法の井戸があった。諸国を回っていた弘法大師が「ここに井戸を掘ればよい」と教えた弘法の井戸が碓氷峠にもあった。この辺が宿場の中心街だったらしく本陣、高札場、問屋、脇本陣が近くにあったようだ。このすぐ先に上野城跡(標柱)がある。

 中瀬の町に入ると立派な屋根瓦の家がつづき、しばらく行くと今度はきれいな板壁の木造建築の家が続く。東京のようなモルタル造りの家を見かけない。そして逆川神社を過ぎると巡礼道、浜街道と呼ばれている道と合流する。ここにも立派な古い常夜灯がある。そして江戸橋という木造の橋を渡るとここにも古い江戸橋常夜が立っている。

 このあと津市の中心街に入り三重県庁や津階楽公園に通じる大きな道路を横切って、近くの古刹四天王寺に立ち寄った。ここには薬師如来坐像や藤堂高虎像・同婦人像、聖徳太子像の絵画などの重要文化財が収納されているという。そして塔世橋を渡り、今度は恵日山観音寺に立寄った。

 津市郊外にある市杵島姫神社を過ぎ、八幡町に入ると昔風の卯建がある格子造りの家や軒の低い二階造りの家が残っていてそれなりに往時の街道風景を偲ばせてくれる。そして思案橋を渡り、なおも旧街道らしい昔ながらの道を歩き、高茶屋神社、雲出島貫の常夜灯、そして雲出川を渡ると小野古江渡跡がある。近くに「北海道の名付け親」と称された松浦武四郎記念館があった。

 奈良街道との分岐点(追分)を過ぎ、なおも道標や常夜灯が幾つも立っているのを見ながら歩く。歩き始めて7時間、伊勢湾河口に近い三渡川を渡り六軒町に入ると旅籠「磯部屋」の古い看板を下げている家や卯建・連子格子造りの昔風の家が多く残っている。
 そして街道筋から少し離れたところに薬師寺があるので立ち寄った。このお寺は奈良時代に行基により開創されたという。
 松阪市街にさしかかるところで、予約した宿の前にきたので今日はここまでとした。


     町並み風景     
      江戸橋

     小野古江渡跡

3.平成151224 晴れ

松阪から伊勢へ(21km

昔の面影を残す土蔵を見せる須川金物店を過ぎて阪内川を渡ると松阪市の中心街に入る。すぐに松阪商人の館、江戸の紙問屋だったという旧小津家、江戸日本橋に越後屋(のちの三越)を開いた三井高利の生家(旧屋敷)、まちの駅寸庵の暖簾を下げた連子格子の家、と昔の面影を残す家並みが続く。
 後世江戸に雄飛した伊勢商人が生まれた町が松阪であり、近世商都松阪として繁栄したようだ。松阪もめん手織りセンターの前から街道筋の裏通りに入ると国学者・本居宣長の旧宅跡がある。この裏通り一角は往時の町並みを想わせる昔風の連子格子の家が立ち並んでいる。


 そして少し離れたところに松阪城跡があるので立ち寄った。この城は蒲生氏郷が1588年に構築した平山城で今は城郭の石垣が残っていて城址公園になっている。城を出ると紀州藩士の組屋敷として建築された御城番屋敷、平安時代以前に創立されたという松阪神社の前を通って旧街道に戻った。
 松阪市街地を抜けると信楽寺の門前に大きな足跡がある「仏足石」が建っている。そして女人の供養塔、白壁・虫籠窓の家(おもん茶屋跡)、道標「左さんぐうみち 右けかうみち」、櫛田川の渡し場跡と続く。

 漕代駅近くに来たとき、六文字の梵字が刻まれた「六字名号碑」が立っていて、この先に「従是外宮三里」の道標が立っていた。この伊勢街道はとにかく道標や石碑が多い。それは当時の道がそのまま残っているからなのだろう。

 斎宮駅近くにくると斎宮城跡と絵馬が神宝の竹神社がある。毎年行われる6月の斎王まつりには竹神社から斎王行列が出るという。六地蔵石幢、そして従是外宮二里の道標を過ぎると立派な屋根瓦の家が続く。この外れに名物「へんぱ餅」の看板を立てた老舗があった。

 伊勢市街近くにくると、虫籠窓・格子造りの間口の広い昔風の家があった。ご主人が格子を洗っていたので話を伺うと「この家には代々200年近く住んでいて私で7代目になる」とのことだった。
 鳥羽藩本陣跡、参宮人見附の碑を見て宮川を渡ると桜の渡し跡がある。道標「右宮川渡場 左二見道」を過ぎると、歩道に飾り擬宝珠の欄干を残す筋向橋がある。暗渠になっていて下に宮川の支流・清川が流れているようだ。ここは関西方面からの参宮道・伊勢本街道との合流点になるらしい。
 この先に老舗「小西万金丹薬舗」がある。
1676年創業で切妻の建築様式を今に伝える建物で今も漢方薬「万金丹」を販売している。
 そして道標「月よみの宮参詣道」を過ぎると伊勢神宮外宮が右前方に見えてきた。この前を素通りし国指定史跡の豊宮崎文庫跡に立ち寄ったが、表門が閉ざされていて中を覗くことができなかった。このあと駅近くのビジネスホテルに向かった。


    松阪商人の館




     裏通りの町並

   立派な屋根瓦の家

       筋向橋
4.平成151225 晴れ
豊受大神宮(外宮)から皇大神宮(内宮)へ10km
 まだ人通りの少ない神宮参道を通って昨日素通りした伊勢神宮の外宮を訪れた。
 外宮は豊受大神宮といい「お米をはじめ衣食住の恵みを与える産業の守護神で、今から
1500年前に丹波国から天照大御神のお食事をつかさどる御饌都神として迎えられたという。この静寂な雰囲気が漂う宮内を歩き、神楽殿前を通って正宮でお参りしてから、別宮の土宮、風宮、多賀宮を巡り外宮をあとにした。

 このあと内宮に通じる昔ながらの旧道を辿り朱の欄干の小田橋を渡る。外宮と内宮をむすぶ参宮街道に架かる橋として古くからあり、江戸時代になると多くの文書にその名が書かれているという。江戸時代の伊勢参りは庶民の夢だったようで、「おかげ参り」といって多いときは半年間に約458万人の参拝者があったという。

 お杉お玉の碑、油屋跡の碑、古市のバス停を過ぎて長峰神社から脇道に入ると1851年創業という古い造りの「麻吉」旅館がある。そして徳川家康の孫千姫の菩提を弔うために創建されたという寂照寺を過ぎて緩やかな坂を上ると大きな奉献雨宮常夜灯が二基並んでいて、坂を下ると正面に猿田彦神社がある。
 このあと参道らしい雰囲気の道を進むと立派な表門を構えた神宮主職舎や祭主職舎を過ぎて、軒を連ねる伊勢土産店を抜けると伊勢神宮・
皇大神宮(内宮)がある。

 五十鈴川に架かる宇治橋を渡り、五十鈴川の水で手を清めてから、神楽殿の前を過ぎて石階段を上って正宮の前にきた。この皇大神宮・正宮の屋根は苔むしていて、まさに古代から永々と続いてきた歴史の重みと、ここに漂う荘厳な雰囲気は日本人として身体のDNAが共鳴するかのような震撼を覚えるものがある。こうして先人の人たちが居て、そして今の自分があることに感謝し厳粛な気持ちを込めて参拝を済ませた。
 ボツボツ増えてきた参拝に訪れる人とすれ違いながら正宮から御稲御倉、外幣殿そして別宮の荒祭宮、風日祈宮を巡り、宇治橋に建つ鳥居をくぐって皇大神宮をあとにした。

 ヨーヨー、けん玉、だるま落としなど昔懐かしい手作りの木のおもちゃ「上地木工所」を過ぎ、参宮道の裏道にある「おかげ横丁」に立ち寄った。伊勢神宮・内宮の門前町として切妻妻入の伝統的な伊勢の町並みが復元されていて、この一角に「おかげ横丁」という郷土料理や名産物のお店が並ぶ一角がある。
 ここにかっての芝居小屋「長盛座」を再現した参宮歴史館・おかげ座がある。江戸時代に日本全国から伊勢へと訪れた「おかげ参り」の風俗・文化を映像や模型でおもしろ・おかしく紹介している。この辺一帯が昔風の建物の店が軒を連ねていて、往時の雰囲気をよく感じさせてくれる。

 このあと猿田彦神社のところまで戻って、帰りは旧道を辿らずに広い車道を歩いてJR伊勢市駅に戻った。そして名物「伊勢うどん」を食べて帰路についた。

                     (完

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    伊勢神宮の外宮

      小田橋


     伊勢土産店

   皇大神宮(正宮前)

     参宮歴史館

 東海道の四日市宿を過ぎて四十分ほど歩くといったん国道一号に合流するが、ここに東海道と伊勢街道の分岐点「日永の追分」がある。伊勢街道はここで東海道から分かれ、南に伊勢湾に沿って津、松坂を経て伊勢神宮の豊受大神宮(外宮)、皇大神宮(内宮)へと通じている。伊勢神宮は皇祖神を祀る神社として一般の人は参拝することができなかったが、平安時代になって天皇・皇族の権力が衰えると、武士や庶民にも伊勢信仰が広がり、室町〜戦国時代には庶民の伊勢参宮がかなり一般化していたという。

みちの旅