日比谷公園 (2001.5.30-6.03)

Ajisai 額紫陽花(ガクアジサイ)
学名:Hydrangea macrophylla
花期:初夏

広い園内には大小の花壇があり四季折々の花が目を楽しませてくれる。 季節がら ガクアジサイ (額紫陽花)が咲き始め散歩する人々の心をなごませてくれている。花びらが回りに開き がくぶちのようになって見えるところから額あじさいとよばれる。(左)
アリウム・ガイガンチューム (Allium giganteium)

広い芝生にたたずむ紫色の毛まりを付けた様な球形は15cmもありネギボーズにも似ていますが ヒマラヤ原産のねぎの仲間。 よく見ると小さな花が無数に寄り集まって見事に球形をなしています。草丈は1m、開花時期は5月から6月。(左)
AlliumGiganteum
Funsui 広場の中央にある大噴水(昭和36年)、と野外音楽堂(右)。
明治36年(1903)に開園したわが国最初の洋式庭園。他に日本庭園、テニスコート、レストランなど。幕末まで松平肥前守の屋敷跡、明治時代に陸軍連兵所となり陸軍省に所管された。戦後はアメリカ軍に接収される(詳細は頁末の「日比谷公園の沿革と特色」参照)。開園面積:161,636u)(左)
花壇には ペチュニア、キンギョソウ そして フレンチ・マリーゴールド。満開の黄色いバラの手入れ。 後ろは日本のカーネギーホールといわれる比谷公会堂。 (東京都千代田区日比谷公園1−3)(右)
Bara
Isigaki 江戸城の日比谷見附で当時の石垣土塁。石垣には蔦がはっていかにも歴史を物語っている。(左)
雲形池 − 雲の形に似ているところからと名付けられた。中央に「鶴」の噴水が散歩する人達の心を癒している。東京美術学校の製作、当時の鉄製台座は太平洋戦争の折り金属回収のため供出撤去されコンクリートに替わった。(右) UnkeiIke
Dogwood ハナミズキ - Cornus Florida L.
アメリカ原産、 Virginia州花
アトランタ市花
アメリカ国花

大正4年、 先に尾崎東京市長が贈った(明治45年)ワシントン・ポトマック河畔のサクラの返礼としてアメリカ合衆国より贈呈されたもの。 開花は4-5月で、 6月は新緑が眩しい。(左)
首かけいちょう - 園内で一番太いイチョウ。推定樹齢400年、幹回り650cm。明治34年、日比谷通り拡張工事のとき「邪魔になる」理由で伐採される事になっていたこのイチョウを 日比谷公園の主設計者である本多静六博士が「私の首を賭けても移植する」として、園内に移したもの。450M移すのに25日を要したそうです。(右) Ichou
Eboshi 烏帽子 - 江戸時代 江戸場外 市ヶ谷御門の石垣の中に有ったもので形が烏帽子(えぼし=昔、元服した男子のかぶりものの一種)に似ていたため 人々から烏帽子石と呼ばれて珍重されていたもの。明治時代、道路拡張に伴い石塁が取り壊された際、長らく保存するためこの公園に移された。(左)


【日比谷公園の沿革と特色】

この公園は明治36年(1903年)都市計画により誕生した日本で最初の洋風近代式公園です。江戸時代この付近一帯は諸大名の邸地でしたが、明治に至り連兵場として陸軍省が所管しました。

明治21年(1888年)都市計画日比谷公園の設置が告示され、これに伴い用地引継ぎをうけた東京市は本多静六博士(林学・1866−1952)らによる公園の設計案を明治33年(1900年)採用、翌34年造成に着手36年6月1日開園いたしました。

その後、図書館、公会堂、音楽堂などが設置され都民のいこいの場所として親しまれるとともに広場(現在の第二花壇の位置)では数々の国家的行事が催されました。太平洋戦争が始まると樹木が伐採されて園地は畑となり、かつ金属回収のため外柵等の撤去がおこなわれました。戦後園は連合軍に接収されましたが、解除後昭和26年(1951年)ころからこの復旧を開始、その最終段階の昭和36年(1961年)9月には直径30m主柱12mの大噴水が完成し公園の新しいシンボルとなりました。

この外四季花を絶やさぬ洋風花壇や鶴の噴水のある雲形池など各種施設を備えていることで、東京都の代表的公園とされています。(園内案内板より)

 

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