181回「広島ラフカディオ・ハーンの会」ニュース  (2015912発行)

 

今年86日原爆の日、松井一実広島市長は「平和宣言」で、「広島県物産陳列館として開館し100年、被爆から70年。歴史の証人として、今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、皆さんと共に、改めて原爆被害の実相を受け止め、被爆者の思いを噛みしめたいと思います」(One hundred years after opening as the Hiroshima Prefectual Commercial Exhibition Hall and 70 years after the atomic bombing, the A-bomb Dome still watches over Hiroshima. In front of this witness to history, I want us all, once again, to face squarely what the A-bomb did and embrace fully the spirit of the hibakusha.)と述べた。

更にこの直前、広島の被爆者の気持を代弁するに相応しい言葉を広島弁で強く叫んだ―「広島をまどうてくれ!」(Put back the way it was.)。この叫びこそ、まさに被爆70年を象徴する言葉であったと言えよう。

 

安倍晋三首相が戦後70年談話を14日に発表した。以前から色々と論議の的になり、文言調整に腐心していたキーワードの「心からのおわび」「痛切な反省」「植民地支配」「侵略」(英訳は夫々、heartfelt apology; deep remorse; colonial rule; aggression)は一応盛り込まれた。

しかし、談話の中にある「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」(In Japan, the postwar generations now exceed eighty per cent of its population. We must not let our children, grandchildren, and even further generations to come, who have nothing to do with that war, be predestined to apologize.)という文言はいささか気になる。加害者がそんなに一方的に謝罪を打ち切ることが出来るものであろうか。また、世代を超えた日本人としての繋がり、生き方をどう考えているのか。特にこの箇所は、まったく以って、理解不能の支離滅裂な内容となっている。最近冨に力を増していると謂われる極右翼グループの勢いに押されたのか、一国を代表する首相の発言としては、誠に思慮が無さすぎる。残念である。

 

閑話休題。NHKBS3で放映している「新日本風土記」は、松たか子がナレーションを受け持っているが、そのバックグラウンド・ミュージックに魅了されている人は多いに違いない。事務局も近頃朝崎郁恵の歌う「あはがり」にすっかり嵌まっている。神々しく、優しく、聴く人を別世界に誘う彼女の歌声を支えに、今月も頑張りたい。

 

 

1】《最近の情報から》: 過去のものを含む

・朝日新聞(76日)“ひと”欄に「モニク・トゥルンさん―小泉八雲を小説に描くベトナム系米国人作家」が載る。

・藤田需子「ハーンのアイルランドを巡って“私と文学と写真と”」(727日、島根県立大学松江キャンパス大講義室)

・広島三大祭『すみよしさん』広島管絃祭・船渡御(漕伝馬船、住吉神社〜元安川・本川〈夕刻〉)729日・30

8NHKテレビ・100de名著、「ダーウィン・種の起源」(長谷川眞理子)

・高嶋敏展写真展「戦争のてざわり」出雲市の斐川文化会館(86日〜18日)、吉川商店(811日〜17日)

・漱石来熊120年プレイベント「夢・草枕」新宿・熊本公演(82992

脚本:半藤一利

・日本ローエル協会松江研究集会2015956日)八雲会と松江市の共催

6日のエクスカーション(小泉八雲ゆかりの地バスツアー)は、満員締切

・第6回小泉八雲「怪談」松江地ビールラベルデザインコンテスト(島根ビール株式会社)2015年テーマ『月照寺 化け亀』cf. 過去には「雪女」「耳なし芳一」「ろくろ首」「むじな」「子育て幽霊」があった。締切:96

・アイルランド11日間の旅(106日〜16日)←山陰日本アイルランド協会

 

2《読みたい本》:ローエル/川西瑛子訳『極東の魂』(公論社、昭和52

ハーンを日本に誘った有力な要因の一つがこの『極東の魂』を読んだことであるとは、周知の事実である。ローエルは極東民族の精神の特色を「非個人性」“Impersonality”にあるとした。ハーンは来日後個性の欠如こそ日本人の性格の最も重要で魅力的な点であるとし、「日本人の微笑」を書くに至るが、ハーンの日本人観形成にヒントを与えたことでも、上記の本は看過できない。9月には松江でローエル協会の研究集会がある。この機会に『極東の魂』の内容を再確認しておいては如何であろうか。

 

3《次回の予定》: 103日(土)

 

4《事務局の本棚に加わった本》:

・施光恒『英語化は愚民化』(集英社新書、2015

・永井忠孝『英語の害毒』(新潮新書、2015

・張彦遠/長廣敏雄訳注『歴代名画記1』(平凡社、1977

・稲賀繁美『絵画の東方―オリエンタリズムからジャポニスムへ―』(名古屋大学出版会、1999

・北川健次『美の侵犯』(求龍堂、2014

 

 

From A Traveling Diary「旅日記から」(『心』所収)

2416日、京都にて:

 宿の部屋の紙障子に朝日と共に映る庭の木々の“影”(shadow)に着目した、ハーン独自の「日本美術」(Japanese art)への考察が読める。→ハーンは1900年に、来日第7作目に当たる『影』(Shadowings)を発表している。

paper Japanese artへの影響→shojiの影(夜は内側から、昼は外から)

・絵画の起こり→ギリシャの話に、壁に写った恋人の影を人が絵取って描いたのが始まり→芸術意識は「影」の研究に由来する

・和紙の特質に加えて、影の特質がある。影を映す日本の庭木は何百年も丹精込めて育てられている(vs.)西洋の植物

・和紙といえば、安部栄四郎記念館が想起される。

・頭韻(alliteration: shutters, shoji, sharp shadow, silhouette centuries of caressing care paper (of my shoji), photographic plate

(註)「旅日記から」IVに、黒田清輝の「朝妝」のことが出てくる

 

★家に戻ってから、私は、もう一度窓の障子を明け放って、表の夜景を眺める。大橋の上を、ホタルが長い光の尾を引くように、提灯の灯りがちらちら渡って行くのが見える。黒い水の面には、無数の灯影がゆらゆら揺らいでいる。川向こうの家の障子に家の中のランプの柔らかな黄色い光がぼーとにじんで、明るい紙の面に、しなしなと動くたおやかな女の人の影が映っているのが見える。私は、日本の国で板ガラスが一般に用いられるようにならないことを、心から願う。あれが用いられるようになったら、こうゆう美しい影は、もう絶えて見られなくなるだろうから。(「神々の国の首都」22、平井呈一訳)

 

★高成玲子・富山国際大学教授(故人)が第38回日本英学史学会(萩国際大学での全国大会、2001)で「ラフカディオ・ハーンと日本美術」と題する発表をされた。その中で、ハーンの美術論はヴィンケルマンの『古代美術史』(1764)を基礎としていたと指摘している。ヴィンケルマンは次のように言う。

 

ヨーロッパだけでなくアジアやアフリカにおいても、その最も教養ある民族ならば、普遍的な形ということでは常に一致するはずである。従って、普通の形の理念は、たとえ私たちが直ちにそのすべての根拠を挙げ得ないとしても、決して個人の好みで採用されたものとみなすことはできないのである。

 

高成教授は、古代ギリシャ美術が表わしている美の理想は普遍的で個性化したものではなかった。「没個性」を日本美術の個性とするハーンの日本美術観の背後にあるのは、ヴィンケルマンの『古代美術史』である、と述べている。

 

【参考】ヴィンケルマンは「…美は一個の思想である。ゆえにデッサンや幾何学的な線の脈絡、あるいは永続的で理知的な要素は、可変的で感覚におもねる色彩よりも上位にある。真の美は静的なものでなければならぬ。運動は、それらを欠如しては真の美たりえない清澄とか高貴の観念を与えるものとはならないだろう」という。(大沢寛三『日本西洋画事始め』PHP研究所、1987

 

★ハーンの美術論が散見される作品:

・「極東第一日」、「舞妓」(『知られざる日本の面影』所収)

・「永遠の女性」、「石仏」、「柔術」(『東の国から』所収)

・「日本文化の真髄」、「旅日記から」(『心』所収)

・「日本美術における顔について」(『仏の畑の落穂』所収)

・「キリシタン禍」(『日本―一つの試論』所収)その他多数

 

★高階秀爾著『日本近代美術史論』(講談社学術文庫、1990)は黒田清輝(18661924)のことに触れて、「幸運の星は黒田の一生を通じて彼から離れなかったが、その中に唯一つ、そして決定的にマイナスの負目をもった一つの偶然がまざっていた。それは黒田とコランとの出会いである。」と述べている。即ち、1870年代における「印象派」の勃興(日本の浮世絵の影響を受けた)によって、西洋の「写実主義」は否定されていたが、ラファエル・コラン(18501916)は伝統的なアカデミズム(写実主義)の画家であり、黒田はルーヴル美術館に通ってオランダ派の作品の模写をして油絵の技法を磨いたが、「印象派」の動きには全く無頓着であったのである。

 

★日常に根差した哲学、大衆文化論など戦後日本を代表する思想家で、哲学者の鶴見俊輔氏が720日肺炎のため死去した。93歳。多くの著作を残しているが、『鶴見俊輔集』正・続全17巻(筑摩書房)に「日本思想の言語―小泉八雲論―」がある。その中で、ハーンに関して次の文がある。

1882225日『タイムズ・デモクラット』紙に、「花について」と題して、人間がその木の枝を折ると、木が泣くかもしれないと思って、滅多にさわらないようにする、そういう、動物と見分けのつかないような植物をも、いつかは交配の結果作り出すことが出来るかも知れぬ、と説いている。このような関心は、やがて1884年にハーバート・スペンサーの進化哲学に触れることによって、彼を進化論という哲学の信者にしてしまう。(p.326)

Cf. キャサリン・サンソム『東京に暮らす』(岩波文庫、1994