180回「広島ラフカディオ・ハーンの会」ニュース  (201588発行)

 

 歴代政権が憲法9条の下で禁じてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が去る716日の衆議院本会議で、自民、公明両党と次世代の党の賛成多数により可決され、衆議院を通過した。

 憲法との整合性を疑問視する声が強まる中、果たしてお前は憲法第9条をきちんと覚えているのか、との声も聞こえて来そうで、心配症の事務局は本棚から『日本国憲法』(講談社学術文庫、1985)を取り出し、英文ともども声を出し読もうとしていた。

 不思議な偶然と言おうか、6月末ふと五十嵐二郎先生が昭和21年に研究社の「時事英語研究」編集部が出したThe Constitution of Japan「和英対照 日本国憲法」のコピーを送って下さった。昭和22年旧制函館師範学校の学生の時に求められたものだとのことである。先生も安保関連法案と関連のある「憲法」が気懸りなのか、毎日9条の英文を暗誦されていたらしい。

 皆様には釈迦に説法かも知れぬが、今一度英文共々条文を確かめ、その内容をじっくり味わっていただければ幸いである。

 

第二章 戦争の放棄 第九条【戦争の放棄、軍備及び交戦権の否認】日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

A 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

CHAPTER II.  RENUNCIATION OF WAR

Article 9. Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air force, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

 

 さて余談である。ひと昔前の大学受験生なら、“renounce”や“potential”といった単語の意味くらいは知っていたのではと思うのだが、今の大学生たちは上記9条の英文をスラスラ読めるのであろうか。

 

 

1】《最近の情報から》: 過去のものを含む

・『へるん』52号(2015627)発行される。

・冊子『八雲の記憶、百年の継承』(八雲会、32頁)とクリアファイルの配布

・先月の例会で、浮田佐智子先生による「八雲会創立100年記念講演会・シンポジュウム」に関する詳細な参加報告(レポート6枚)があった。

また前回に続き、横山健次氏より山口蚊象の作品年表に基づく主な創作活動の追加報告(松江の建築物などの写真を含む)があった。

[企画展]ラフカディオ・ハーンとアイルランド(小泉八雲記念館62013

・小泉八雲生誕記念講演会「ハーンの見た19世紀末の日本」(西成彦)焼津小泉八雲記念館主催/小泉八雲顕彰会協力、712

なお、来年は焼津の顕彰会が50周年を迎える。

・『山陰文藝』41号(山陰文芸協会)昨年開いた、ラフカディオ・ハーン没後110年のシンポジュウム基調講演「文明の混沌とハーンの立場」(平川祐弘)を掲載している。

・写真アルバム『隠岐の昭和』7月中旬刊行予定(800部限定)監修・日野雅之

・「舞台・日本の面影」(島根県民会館、830日、開場13:00)前売2,000

・第49回ヘルンをたたえる青少年スピーチコンテスト(927日)

・平成27年度「小泉八雲をよむ」感想文、作詞・詩【募集】930日まで

 

2《読みたい本》:池田雅之『新編日本の面影II』(角川ソフィア文庫、平成27

NHKテレビ「100de 名著」の7月放送は「小泉八雲『日本の面影』」である。講師は池田雅之氏。この放送に併せて、上記の本が発売となった。『新編日本の面影』(2000)の続編である。ハーンの作品は原文で読むことに妙味があるのだが、池田氏の柔らかくこなれた訳文もハーン理解には役立つ。巻末の「訳者あとがき」は必読。この際思い切って2冊を読破してみては如何?

 

3《次回の予定》: 912日(土)

 

4《事務局の本棚に加わった本》:

・『新編日本の面影II』(角川ソフィア文庫、平成27

・奥井正之『出雲の味覚散歩』(出雲新聞社、平成6

・石川淳『諸国畸人傳』(中公文庫、昭和51

高橋正立/島田信幸編『しごならず 歴史の教師・藤原治』(米子今井書店、1995

・長谷川堯(聞き手)『建築をめぐる回想と思索』(新建築社、昭和51

★「C兄事のこと―山口文象」が採録されている。←横山氏の資料提供

 

 

From A Traveling Diary (『心』所収)「旅日記から」

11895415日、大阪―京都間の車内で:

乗り物の中などで居眠りをする日本の婦人のしぐさを面白おかしく描くハーンの導入部の巧みさに舌を巻くが、キーワードは、unselfish self-control 「自制心」である。

2416日、京都にて:

 宿の部屋の紙の障子に差す朝日とともに映る“影”(shadow)に着目して、ハーン独自の「日本美術」(Japanese art)への考察が始まる。まだ10行程度しか読んでいないが、わくわくするようなハーンの日欧比較文化論である。

 

★島根県県庁前には、松江出身の弁護士・岸清一(18671933)の巨大な銅像が東を向いて建っている。「サンラポーむらくも」に宿泊した事務局は、74日の早朝散歩がてら、その銅像の裏に刻まれた説明文を読んだ。筆記用具を持参していなかったので、正確に記憶しているかどうか自信はないが、ブランデージ会長による次の英文が読めた(と思う)。参考までに記す。

 

Distinguished Japanese barrister and member of the International Olympic Committee whose leadership added greatly to the prestige of Japanese sport with the result that the Games of the XVIII Olympiad were eventually awarded to Tokyo.

 

(注)ここには国際オリンピック委員としての岸清一の功績を讃え、松江市民(さらには日本国民全体)の誇りを示す文言がある。これ自体は素晴らしいことで何ら付言すべき事はないのだが、岸清一には八雲会創立への督励を初め、八雲遺品の譲渡、小泉八雲記念館建設などなど、ハーン顕彰事業には切っても切れぬ貢献がある。去る74日の松江における「八雲の記憶、百年の継承」イベントでもそのことが大きく取り上げられた。この功績を松江市民全体にも周知徹底させるべく、来年開館される(小泉八雲)別棟記念館にパネルか銅像を設置すべきと愚考するが、いかがであろうか。

 

★前回広島ハーンの会で横山健次氏からまたまた貴重な資料を数多く頂戴した。その中に、「出雲100キロウォーク・伊達レポート&古田スケッチ」がある。それに“伊達レポート”として、「ぼろぼろ出雲・なかなか松江」(文・写真・伊達美徳)とタイトルが付いている。“松江”については次の文がある。

 

松江の駅前に降り立つと、ここは出雲と違って駅前道路は貧弱なのである。それでよろしい。松江でいまさら町並み発見でもないが、気になっている建物がある。小泉八雲記念館である。実は1934年に発足した時の記念館の建物は、ヨーロッパ留学から帰国したばかりの新進気鋭の建築家・山口文象(ママ)が、この設計をした。ドイツ・ワイマールにあるゲーテ記念館を模したデザインといわれるが、本当かどうか分からない。その当時としてはモダンデザインであり、街並みとしては周囲とはかなり異なっていたにちがいない。今の記念館は10年くらい前だったかに建て替えられた純粋和風建築で、周囲の街並みを模したデザインとなっている。建て替えられた理由は、古くなって雨漏りがひどくなったりしたのだが、多分に景観的なこともあったろうと推測される。それはそれでひとつの理由だが、1940年代の山口文象の作品がなくなったのは惜しまれる。景観的に違和感があったかどうか。市民の目では或いはあったかも知れないが、半世紀以上の時間がつくりあげてきた松江の風景となっていたであろう、とも思うのである。(20045月)

 

★ハーンが松江の竜昌寺の石地像を見てその腕に感心し、交際を始めた彫刻家・荒川重之輔(号は亀斉)のことはよく知られている(ハーンの依頼によって制作された「稲田媛像」は出雲大社に蔵されており、ハーン自身は「天智天皇像」を購入している)。ところで、亀斉の先輩にあたる小林如泥についてはその作品が松江市にも数多く残っているが、あまり取り上げられることがない。如泥に就いて書かれた本も、石川淳『諸国畸人傳』(中公文庫)の他には見当たらない。現在「松江の匠の技と心意気」と題して、如泥ゆかりの場所を辿るガイドツアーがあり、やがて如泥についての顕彰活動も活発になってくるのでは、と思うので、灘町の宮蔵にある次の説明文を紹介することにする。

 

松江藩御細工人小林如泥(こばやしじょてい)17531823(宝暦3〜文化10):

如泥小林安左衛門は、宝暦3年市内大工町に生まれた。その祖先は直政に従って信州松本から来て、代々大工職として仕えた。安左衛門は指物、彫刻、建築等に非凡な才能があり、その作品は精緻巧妙で、後世美術家の驚嘆する所である。治郷の寵愛を受け、その献じた品が賞与を受けたことは数知れず、江戸参勤にもしばしば連れて行かれた。寛政2年給銀375匁三人扶持を給せられ、同9月には給米十石三人扶持を賜わった。酒豪として知られ、如泥の名は治郷が与えたという。文化101027日、61歳で没し、寺町常教寺に葬られた。大正元年1124日に百年忌が営まれ、寺内に記念碑が建てられた。如泥作として伝えられているものは多いが、松江市内に現存するものに、城内稲荷の杉の赤身木目利用の狐、白潟大工町歳徳神の宮、天神(白潟天満宮)境内の辨天祠、春日(田原)神社の隋神門、賣布神社幣殿脇の雲龍の彫刻等がある。