179回「広島ラフカディオ・ハーンの会」ニュース  (2015711発行)

 

わが広島ラフカディオ・ハーンの会ではハーンの作品「草雲雀」「阿弥陀寺の比丘尼」「十六桜」「乳母桜」と、輪読を重ね、そこに“身代わり”(ハーンは ”substitute” を用いた)に肯定的な関心を寄せるハーンのメンタリティを確認してきた。仙北谷晃一氏が『人生の教師ラフカディオ・ハーン』(恒文社)で、「ハーンの生き方の核の一つに身代わりということがある」と述べていることからも大きな示唆を得た。(第177回ニュースを参照されたい)

 先日東京の丹沢氏から日本モーム協会会誌“CAPFERRAT11号の寄贈を受けた。モームの空想歴史小説『カタリ―ナ』についての氏の綿密な論考の中で、“モームは「辛辣なユーモア」を駆使して、神を糾弾し、神に自滅を迫っている”との鋭い指摘に感銘を受けた。氏の論考を読み進めるうちに、ふとモームの次の文が脳裡を横切ったので、次に紹介する。

 

I only wanted to suggest to you that self-sacrifice is a passion so overwhelming that beside it even lust and hunger are trifling. It whirls its victim to destruction in the highest affirmation of his personality. The object doesn’t matter; it may be worth while or it may be worthless. No wine is so intoxicating , no love so shattering, no vice so compelling. When he sacrifices himself man for a moment is greater than God, for how can God, infinite and omnipotent, sacrifice himself? At best he can only sacrifice his only begotten son. 「ただわたしは、自己犠牲ということは圧倒的な激情であって、これとくらべたら、色慾も飢えも物の数ではないということを、君に言いたかったまでだ。それは、その犠牲者を最高度に自己の個性を確認させ、きりきり舞いをさせて滅ぼしてしまうのだ。その目的物が何であろうとかまわない。価値あるものであろうとなかろうと。それとくらべたら酒も陶然たるものでなく、恋愛も破壊力は乏しく、悪徳も強引なものではない。彼が自己を一瞬間でも犠牲にするときは、神よりも偉大だ。というのは、無限であり全能でありながら神がどのようにして自己犠牲をすることができるだろうか? まあ精々、自分の生んだ一人子を犠牲にするのが関の山だ」(田中睦夫訳)

この文はモーム愛読者には既にご存じのものであろう。The Razor’s Edge の主人公Larry が淪落の女Sophie を救おうとしたことに対する語り手の意見である。自己犠牲においては、神よりも人間の方が偉大であるとする、モームのユーモアは實に辛辣である。勿論ハーンとモームに接点は見つからないのだが、“substitute”と“self-sacrifice”についての両者の捉え方が刺激的で説得力もあるので、参考にして頂けると有難い。

 

 

1】《最近の情報から》: 過去のものを含む

・松江城天守が国宝指定の見通しとなった。(前回の添付資料参照)

『古都松江』vol.18200910)「松江城を国宝にしよう」を参照されたい。

NHKテレビテキスト「100de 名著」の7月号は「小泉八雲『日本の面影』」で、講師は池田雅之氏である(625日発売)。放送は水曜日午後10時から

・小泉八雲顕彰会総会(焼津市)620日、交流会【顕彰会50周年記念に向けて】が記念館多目的室で開催される

・くまもとハーン通信No.22 『石仏』(20154)特集:ラフカディオ・ハーン没後110年記念号

・『學鐙』夏号(丸善出版株式会社、2015

・前回の例会で横山健次氏から、資料「バウハウス」「山口文象」「モダニズム建築の宝庫」(中国新聞記事)を基に、山口蚊象と建築についての知識を与えて頂いた。その後、氏は態々広大図書館から長谷川堯著(聞き手)『建築をめぐる回想と思索』(新建築社、昭和51)を借り出し、その中の「C兄事のこと・山口文象」(55頁分)をコピーして送って下さった。感謝感激!

・八雲会100年(19152015)「八雲の記憶・百年の継承」74日(土)

◆講演会:ラフカディオ・ハーンの魅力(西川盛雄)

◆シンポジュウム:八雲の記憶が息づくまち・松江をつくった人々―第一次八雲会の創立から小泉八雲記念館の開館まで(池橋達雄、風呂鞏、小泉凡、日野雅之、司会内田融)⇒チラシ

・「八雲会報」第56号(201561

・「漱石・八雲―熊本と新宿をつなぐ作家」(新宿歴史博物館、719830

 

2《読みたい本》:松田美緒『クレオール・ニッポン うたの記憶を旅する』(ARTES2014CD+ BOOK

日本の多様な原風景を探し求めて、祖谷、伊王島、小笠原からブラジル、ハワイへ―うたをめぐる壮大な旅がいま始まる! “うたう旅人”松田美緒が日本の知られざる伝承曲に新たな生命を吹き込んだニュー・アルバムと書き下ろしエッセイがひとつになったCDブック!(帯からの引用)

 

3《次回の予定》: 88日(土)

 

4《事務局の本棚に加わった本》:

・『松江城』(ハーベスト出版、2015A4判変型、32頁。

・福岡伸一『変わらないため為に変わり続ける』(文藝春秋、2015

・(写真)古川誠/(文)山根み佳『憧憬』(ハーベスト出版、2014

 

 

KOKOROHints and Echoes of Japanese Inner Life 『日本の内的生活の暗示と影響』(1896)は、ハーン来日第3作目の作品。15篇から成る。小説、随筆、論文の要素が混然一体となったものと謂われる。“わが友人”雨森信成(18581906)へ献呈している。ハーンは雨森のことをpoet, scholar, and patriot と評している。『心』冒頭の作品は「停車場にて」、10番目に「ある保守主義者」(雨森がモデルとされる)が配されている。5番目は「阿弥陀寺の比丘尼」で、我々が読もうとしている「旅の日記から」は4番目である。

「旅の日記から」From a Traveling Diary は、7部より成るが、列車内、内国勧業博覧会、大極殿、東本願寺、神戸の庭園などを素材に、ハーンが日本人の内的生活に分け入って鋭い観察眼を披露する“文化論”となっている。なお、雨森信成に就いては『小泉八雲・回想と研究』(講談社、1992)所収の「人間ラフカディオ・ハーン」(仙北谷晃一訳)を参照されたい。

 

★《読みたい本》:松田美緒『クレオール・ニッポン うたの記憶を旅する』(ARTES2014)でも紹介したが、その中の「ホレホレ節」を聞いてみたい。「ホレホレ」とは、ハワイ語の言葉で、サトウキビの外皮を取り除く作業のことである。ハワイ移民一世の労働者たちがつらい生活の中で「ホレホレ」をしながら望郷の思いを込めて歌ったのがこの歌である。サトウキビ畑に響く哀しみが伝わってくる。

 

行こか メリケンよ 帰ろか 日本

ここが思案のハワイ国

 

ハワイハワイと 夢見て来たが

流す涙は きびのなか

 

雨は降り出すよ 洗濯もんは濡れる

せなの子は泣く まま焦げる

 

今日のホレホレ つらくはないよ

昨日とどいた 里便り

 

横浜出るときゃ 涙がでたが

今は子もある 孫もある

 

★高木大幹著『人間小泉八雲』(三省堂選書、1984)に次の文が載っている。

昭和481014日、ハーンが最も愛した土地、松江にある島根大学で開催された日本英文学会第26回中国四国大会は、同支部会長、広島大学教授桝井廸夫博士提唱による「小泉八雲再評価への試み」を主題としたシンポジアムを持った。発表者7名。司会は森亮教授と飯塚俊夫教授。未曾有の参加者を得、ジャーナリズムも大きく取り上げた。私も末席にて『明治と八雲』という小論を発表した。森教授の挨拶は、主としてハーン文学を語りつつも、それはある意味において〈ハーン再評価宣言〉とも言える性質のもので、人々の心を捉えた。桝井博士の提唱は時潮を見抜いた先見的なもので、この大会を契機として再評価の機運が一気に高まったように思われる。

 

ところで、“千五百号記念”と題した『英語青年』19742月号は「片々禄」欄に上記の日本英文学会中国四国支部大会のことを載せている。⇒第2日目は午前中に「小泉八雲再評価への試み」と題して森亮氏の挨拶につづき次の7氏の研究発表が行われた。白神栄子「L.Hearn の『怪談』と文学論の関連について」、広瀬朝光「『怪談』における女性像」、池野誠「書簡と西田日記より見た松江時代のL.HearnGlimpses of Unfamiliar Japan の形成の背景にかかわって」、原一郎「ハーンと歌謡文学―その現代にもつ意義」、西野影四郎「ハーンの文学作品に見られる特徴の23」、鵜木奎治郎「ハーン・漱石・江藤淳」、高木大幹「明治と八雲」。…閉会式のあと、特別企画Hearn Excursion がおこなわれ多数の参加者があった。

 

★くまもとハーン通信No.22 『石仏』(20154)の巻頭言で、久野啓介・熊本旧居保存会副会長が木下順二氏の言葉「ハーンはマイナー・ポエットだった」を挙げておられる。そして研究社大英和辞典では、マイナー・ポエットには「二流詩人」なる訳語が充てられているが、福原麟太郎の『文学要語辞典』には、シェイクスピアやミルトン、ワーズワースのような大作家ではないが、特色を持った非常に優れた作家のことを屡々マイナー・ポエットだとする、との記述があるため、木下氏は後者の意味でそう述べたのだ、とある。

 因みに福原麟太郎編『文学要語辞典』(研究社、昭和35)のp. 190 を開くと、「minor poet:二流詩人と訳すとちょっと当たらない。常識的にShakespeare, Milton, Wordsworth, Tennyson, Browning, T.S.Eliot などのような大詩人でないという意味であろう。偉い詩人だけれども詩の分量が少ないとか規模が小さいものばかりであるという場合もある。Gray, Collins, Lamb, Landor minor といわれる。」と出ている。まさに福原先生の薀蓄が光る事典である。

 なお、久野啓介氏には著書『紙の鏡』(葦書房、2001)があるが、福原麟太郎

『シェイクスピア講演』(大修館)が大変お好きであったことも分かる。