177回「広島ラフカディオ・ハーンの会」ニュース  (2015516発行)

 

「ハーンの生き方の核の一つに身代わりということがある」と喝破したのは、仙北谷晃一(『人生の教師ラフカディオ・ハーン』恒文社)であった。

ご存じの如く、わが「広島ラフカディオ・ハーンの会」では毎回例会前に ”Believe me, if(「春の日の花と輝く」)を全員で歌うのを常としている。ハーンの従兄ロバートは、1878年二等航海士としてシナ海沖を航海中、海に落ちた同僚を助けようとして溺死した。この歌が載るハーンの作品「ひまわり」は、「人、その友の為におのれの命を捨つ。愛のこれより大なるはなし」という聖書からの引用を以って作品を閉じている。

作品「ひまわり」からも窺われるように、“身代わり”(ハーンは英語で ”substitute” を用いた)こそ、ハーンの作品を解く大きな鍵であろう。我々はいま「草雲雀」「阿弥陀寺の比丘尼」に続いて、「十六桜」「乳母桜」を読み進めているが、そこには、“身代わり”に肯定的な関心を寄せるハーンのメンタリティがはっきりと描かれている。人が愛する他の人の命を救うために死ぬという人間だけの世界のみならず、他のいろいろな異類のものたちの侵入してくるような世界、万物と魂の交流のあるような世界がハーンのimagination のなかにはあったのである。

 

事務局の大好きな作家・浜田廣介の童話に「泣いた赤鬼」というのがある。皆様ご承知のストーリーだが、心の優しい赤鬼が、自分の家の前に立て札を立てて村人たちを招じ入れ、友達になろうとする。しかし、これが一向に功を奏さず、赤鬼はくやしまぎれにその立て札をぶち壊してしまう。そこへ偶々来合わせた青鬼が、「村人達の前で自分がさんざん悪を働き、君が僕をこらしめれば」と、一計を思いつくのである。「それでは君にすまない」という赤鬼に、青鬼は次のように言う―「なにか、ひとつの目ぼしいことをやり遂げるには、どこかでか、痛い思いか、そんをしなくちゃならないさ。誰かが、犠牲に、身代わり(・・・・)に、なるのでなくちゃ、出来ないさ(傍点筆者)

仙北谷晃一は上記『人生の教師ラフカディオ・ハーン』の中で、“時代がどう変わろうと、変わらない人生の真実が、青鬼のこの言葉の中に込められているのであるまいか”と述べている。卓見である!

 ところで、今年は歌手加藤登紀子が50周年コンサートを開いていると聞く。彼女が歌う「百万本のバラ」を聞いていると、女優に恋をした貧しい絵描きが彼女のために街中のバラを買って広場を真っ赤なバラで埋め尽くす。その恋心にも“身代わり”の気持ちが美事に生きているのである。

 

 

1】《最近の情報から》: 過去のものを含む

・『湖都松江』vol.2920153

・島根県立美術館「川端康成と東山魁夷―巨匠が愛した美の世界」(山陰放送開局60周年記念)320510

・日本トルストイ協会報『緑の杖』12号←黒柳大造氏より「小山内薫のトルストイ受容に関する一考察―小泉八雲、ロマン・ロランとの関係を視野に入れて―」

・三浦省吾先生より福山大学退職のご挨拶状(274月)

・古川先生「瘤寺について」、「松田美穂コンサート(47)」←4月例会で

・第24回小泉八雲顕彰文芸作品コンクール入選作品集(焼津市教育委員会)

・平成26年度「小泉八雲をよむ」感想文作詞・詩入選作品集(松江市・松江市教育委員会・八雲会)

・日本アイルランド協会からの、ご寄稿の“お願い”→『日本アイルランド協会50年史』〈締切:20163月末〉

・第11回熊本八雲会総会(426日)

・日本英学史学会・中国四国支部大会(安田女子大学)523日(土)

 

2《読みたい本》:下重暁子『純愛―エセルと陸奥廣吉』(講談社、1994

発売即10.5万部を突破したと云われる『家族という病』(幻冬舎新書)の著者である下重暁子は元NHKトップアナウンサーとして活躍した女性であるが、山陰中央テレビ放送協賛の『わが心わが山陰』(聚海書林、昭和57)に「八雲立つ出雲」(pp. 33~38)を書いている。『湖都松江』vol.29の「私が見た松江」の中でも、松江のことを“つましくて、それでいてみやびで、そして心に残る何かを持っている町”だと回答している。上記『純愛』は、陸奥宗光の長男・廣吉とイギリス人女性エセル(イソ)との17年にもわたる愛を描いたものである。『すみよし』4月号にも紹介しておいたが、NHK朝のテレビ小説「マッサン」とエリーのラブストーリーを想わせるところがある。鎌倉に住んでいたイソには“Kamakura Fact and Legendという著書があり、廣吉は小泉八雲記念館建設の為100円も寄附していることも思い出して欲しい。

 

3《次回の予定》: 66日(土)

 

4《事務局の本棚に加わった本》:

・ヴァイツゼッカー/永井清彦訳・解説『荒れ野の40年』(岩波ブックレット、2009

柳瀬陽介・小泉清裕『小学校からの英語教育をどうするか』(岩波ブックレット、2015

・加藤恂二郎『水郷雑記』(旧姓松江高等学校同窓会、昭和38増補版)

・週刊朝日編集部『日本拝見 西日本篇』(角川書店、昭和33

 

★広島市から読書感想文「優秀賞」二つ:

(ア)第24回小泉八雲顕彰文芸作品コンクール入選作品集(焼津市教育委員会)【一般の部】に広島市山田晋さんの優秀賞獲得が載っている。タイトルは「小泉八雲の法・規範意識―小説「破約」を素材にして」

(イ)平成26年度「小泉八雲をよむ」感想文作詞・詩入選作品集(松江市・松江市教育委員会・八雲会)、【感想文】一般の部で、広島市の柴田篤さんが優秀賞を獲得された。タイトルは「クロスロードで小泉八雲を想う」

 

★松江文化情報誌『湖都松江』vol.29 の「特集松江発見」に、岡部康幸氏による「埋もれた「松江」を発見」がある。その中に松江に関して書かれた文人たちの著書が多く紹介・引用されているので、それらを此処に紹介する。松江をさらに深く理解するためにもこの中から幾冊かを読んでみられては如何。

 

@田宮虎彦『木の実のとき』(新潮社、昭和37)。他に「松江賛歌」(『まつえ』四号、昭和46)、「松江」(植田正治お写真集『松江』、昭和53、昨年復刊)

A田宮虎彦『私の日本散策』(北洋社、昭和50

B週刊朝日編集部『日本拝見 西日本篇』(角川書店、昭和33)。花森安治の「松江 昔変らぬ『名門』の町」を所収

C松江観光協会編『松江特集』。『暮しの手帖』第75号(1964)の「水の町」(日本紀行 松江)を収録

D加藤恂二郎『水郷雑記』(旧姓松江高等学校同窓会、昭和38増補版)

E津野海太郎『花森安治伝』(新潮社、平成25

F丸谷才一・山崎正和『日本の町』(文藝春秋、昭和62

G石川淳『諸国畸人傳』(中公文庫、昭和51

H竹山道雄『日本人と美』(新潮社、昭和45

I朝日新聞松江支局編『旧制松高物語』(今井書店、1968

《余談》『湖都松江』vol.29には、この外に島崎藤村『山陰土産』(松江の章)が収録されている。大変結構な企画だが、この作品は松江観光協会出版の『松江・文学のへの旅』(昭和61、改訂平成2)にも既に収録されているので、一言その旨を書き添えるくらいの親切心が欲しかった。

 

2頁《最近の情報から》で紹介しているが、島根県立美術館で企画展として、320日から510日まで「川端康成と東山魁夷―巨匠が愛した美の世界」が開催された。それに伴って島根県立美術館発行の『島美新聞』に次のような興味深い記事が載っていた(但し、展示は無し)ので、ここに紹介する。

 

小泉八雲の手帳を2冊所有 1954年に川端康成が来松した際の取材記事をよむと、小泉八雲の手帳2冊を所蔵していることを自ら語っている。また八雲の三男、清は「父親のノートを川端康成に売った」ことを明かしている(ワシオ・トシヒコ『回想と評伝抄 画家・小泉清の肖像』1995年、恒文社)。現在この手帳の所在は不明であるが、川端の八雲に対する関心を知る手がかりとして発見が望まれる。

(注1)島根県立美術館の2階常設展には、小泉清の作品3点が展示されている。

(注2)ワシオ・トシヒコ編著『回想と評伝抄 画家・小泉清の肖像』の峰村リツ子「晩年の小泉清」に、「お金にこまっておやじのノートを川端康成に売りました」との文言が書かれている。(p.58)

 

★「旧小泉八雲記念館」について:

ハーン没後25周年記念(1929)を期して記念館を建設したい、との願いがあった。建設費用10,000円の半額を岸清一博士が寄附されたことと、(地元松江では残りの5,000円の募金活動がなかなか成功しない状況下)市河三喜博士らのご尽力で全国から寄附金6,510円が集まったことで、昭和8年に記念館が竣工した。開館当時の建物は山口蚊象氏設計の洋風建築であったが、昭和59年伝統美観保存指定地区のため木造平屋和風造りとして改築された。

 従来、山口蚊象の設計に拠る初代八雲記念館は、ドイツ・ワイマールにあるゲーテ記念館(ギリシャ神殿を想わせる)に倣って設計された(無論ハーンの母はギリシャ出身)と謂われてきた。『小泉八雲事典』に載る小泉凡氏の説明文にもそのように書かれている。

 4月末に東京の丹沢栄一氏を介して「東京ゲーテ記念館資料室」に照会して頂いた。その結果、google の検索サイト「weimar goethe house」に実に多くのゲーテ記念館の写真が載っていることが判明した。黄色っぽい横長の大きな建物が、ゲーテの住まいだったところで、死後「記念館」(Das Goethe-Museum in Weimar)となった、とのご教示も受けた。さらに写真を次々と眺めていると、正面にゲーテとシラーの像が建つ国立劇場の写真が目に留まった。ギリシャ神殿風の円柱が6本並んでいる。山口蚊象設計のものも6本の柱がある。山口氏は従来の俗説にある「ゲーテ記念館」ではなく、「国立オペラ劇場」(国民劇場)を模したのが真実ではあるまいか、とも思えてくる。

 

★今年は被爆70年(原爆ドームは100年)の記念すべき年です。John Hersey HIROSHIMA は、有名な次の文で始まります。

At exactly fifteen minutes past eight in the morning, on August 6, 1945, Japanese time, the atomic bomb flashed above Hiroshima.