167回「広島ラフカディオ・ハーンの会」ニュース  (201475発行)

 

初夏にしてはやけに暑いと愚痴を零していた約一か月前、梅雨入りとなった。「梅雨」をplum seasonと訳せば何だか詩的で、梅干し弁当を携えて再び花見にでも出掛けたくなるような錯覚を覚えるが、wet seasonと訳し直せば、本来のジメジメとした黴臭い天候のイメージは拭いきれない。雨水の大切さはお百姓さんならずとも百も承知であるが、一日も早く初夏のさっぱりとした大気の下でハーンの心に触れたい、と(殊勝に?)願うは我儘であろうか。

 

事務局が住まい致す草屋、その猫の額ほどの庭(空間?)の一隅には常時雑草が繁茂している。家主が至ってずぼらで無精と来ているので、滅多な事では草取りなどしない。鬼の面を被ったような細君にいくら苦情を浴びせられても、何事も自然にしておくが常道、家の周りに緑があるなどは都会では味わえない贅沢だ、などと嘯いて一向に動こうとしない。

処が悪魔の仕業か、家主の気分も時折変調を来たす。何かの拍子に肉体労働に憧れを感じ、雑草を除きたい衝動に駆られるのである。中には膝の高さ位まで育った逞しい雑草も混じるので、きれいに抜き取ってしまうには優に半日はかかる。午前中で日に焼け蚊に刺された両腕を洗い、付着した泥土を落して、久しぶりに広くなった(と錯覚する)庭を眺めて家主はご満悦となる。乾いた喉をビールで潤し、心地よい疲れを与えてくれた造物主に感謝しつつ午睡へと向かうのである。

 

 さて、雑草をきれいに除去した翌日、仕事の成果を確かめるべく、再度庭中にお出ましの家主様は「ややっ!」と俄に奇声を発する。隣の雄猫がやって来て糞をしたわけではない(そうゆうことはよくある)。除草した地面に早くも別の草が芽を出し始めているではないか。それらの草は、恐らく家主が今までの草を除去しなかったら、生えてくることはなかったであろう。まるでデズニーの映画「砂漠は生きている」の再現だ。太陽が照り続ける砂漠の熱砂の中でじっと(何時来るとも知れぬ)次の雨を待ち続けている植物の種、そのしぶとさ、強靭なエネルギー、生命力はまさに神秘。我が庭にそうした自然の摂理・驚異を発見して、家主様は畏怖の念に打たれるのである。

認知症で何時行方不明になるやも知れぬ老骨には、逆立ちしても、砂漠に雌伏する植物の種のごとき生命力はもはや残存しない。ハーンという大きな世界に向かって、目前の雑草一本なりとも取り除くべく痩身に鞭打ちたいが、その力も枯渇寸前となった。逞しき潜在力を秘める次世代の邪魔をせぬよう、そろそろ(いや、既に)席を譲る(pass the baton)時期が来たのかも知れぬ。

 

 

1】《最近の情報から》:〈既に報告済みのものを含む〉

・「カバヤ文庫、心の栄養源」(岡長平)日本経済新聞(418

・受託記念平成26年度企画展「未知なる世界への憧れと挑戦〜大航海時代から伊能忠敬、ペリーまで〜守屋壽コレクションの粋」ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)424日〜68

・文化人生誕記念企画「小泉八雲展」61日〜26日、岡山・吉兆庵美術館

・焼津小泉八雲顕彰会総会(614日)

・平成26年度八雲会定期総会記念講演会「樹の精と英語教師の系譜と―ラフカディオ・ハーンから宮沢賢治へ」(講師:島田隆輔氏)621

・長谷川洋二『八雲の妻―小泉セツの生涯』(今井書店)20145月刊行⇒新資料を加えて1988年版を全面改訂した待望の新版(2,200円+税)

・熊本アイルランド協会、第16期第1回市民講座「能「青柳」とハーン」(講師:飯富章宏氏)726、年間テーマ:「木霊(こだま)するケルト」

・“八雲の息吹生誕の地へ”没後110年記念・ギリシャに資料室開設(山陰中央新報)531日号

・八雲記念館に別棟建設・松江市16年度開館へ(中国新聞、67

 

2《読みたい本》:野口法蔵『お地蔵さまと心の癒し』(七つ森書館、2012

『日本瞥見記』の第3章に「地蔵」がある。ハーンは日本に来て横浜近辺の神社仏閣巡りをしている間に六地蔵と邂逅した。久保山の淋光寺では賽の河原の地蔵や閻魔庁が描かれた掛け軸を熱心に見ている。こうしたこともあってか、藤原東演『お地蔵さん』(チクマ秀版社、平成9)に、「お地蔵さんになりたかった人―小泉八雲」が載っているのも不思議ではない。ところで、岩手県大槌町は3年前の東北大震災で人口の10分の1以上が失われたが、本書は“大槌町復興地蔵物語”との副題が示すように、被災地に51体の新しいお地蔵様が置かれたこと(48か所の仮設団地には各1体)に就いてのレポートが含まれている。ハーンが採録した「賽の河原地蔵和讃」も解説があり、地蔵の叡智に触れることが出来る。

 

3《次回の予定》: 816日(土)

 

4《事務局の本棚に加わった本》:

・岡長平『カバヤ児童文庫の世界』(岡山文庫、2014

・坪内捻典コレクション@『カバヤ文庫の時代』(沖積舎、平成23

・老川慶喜『日本鉄道史 幕末明治篇』(中公新書、2014

・平川祐弘『日本人に生まれて、まあよかった』(新潮新書、2014

 

 

ハーンと英語教育

The difficulty of English to the Japanese cannot be even faintly imagined by any one unfamiliar with the construction of the native tongue,a language so different from his own that the very simplest Japanese phrase cannot be intelligibly rendered into English by a literal translation of the words or even the form of the thought. And he must learn all this upon a diet no Enlgish boy could live on.(この英語なるものが、日本人にとって難しいことは、日本語の構造を知らない人には、とても想像がつくまい。英語は日本語と大いに違っているから、ごく簡単な日本語の句でも、ただ単語の逐語訳や、思想の形を直訳しただけでは、英語にわかるように翻訳は出来ないのである。しかも、日本の学生は、これだけのものを、英国の少年だったらとても生きていけないような食物を食べながら、学んで行かなければならないのだ。)

「英語教師の日記から」に出てくるお馴染みの文章である。松江の中学校の学生たちが猛勉強を強いられている反面、必要とされる栄養の点で実に貧弱な食生活に堪えなければならない現状がある。その上、彼らが学ばねばならぬ英語は日本人にとって修得が極めて難しい言語であることを述べている。

 

★「日本英学史学会報」に拠ると、今年1018日から福井大学で開催される第51回日本英学史学会全国大会での講演は、平川祐弘氏の「ラ・ハの英語授業―黒板勝美のノートから」に決まったらしい。

黒板勝美(18741946)は、ハーンの熊本時代の教え子で、後に東京大学教授となった。歴史学者である。ハーン没後に刊行された『帝国文学』第10巻第11号(明治3711月)の「小泉八雲紀念号」に「熊本時代のヘルン氏」(『講座小泉八雲I』に再録)と題した文を寄稿している。書き出しに“ヘルン君”とあって、五高での教え子らしくない表現だな、と一瞬不審を感じた。しかし後に東大でハーンと同僚になった事実を知り、納得した次第。

『ラフカディオ・ハーンの英作文教育』、『ラフカディオ・ハーンの英語教育』と松江に残るハーンの添削ノート、富山大学で発見された五高生の《講義ノート》の出版が相次いだが、最近また東大の図書館から黒板勝美のノートが発見されたそうだ。10月の大会では、その紹介がされるのであろう。

 

先の黒板勝美の「熊本時代のヘルン氏」には、ハーンが“big”と“large”の違いについて黒板(こくばん)に図を描いて説明したことが記されている。因みに、bigは「長くて奥行きも深い。力がある字。太ったひとはbig」で、largeは「長方形のようなもの。背の大きい者はlarge。唯長さが大きくて、奥行きは深くない」との説明で非常に分かり易かった、とある。

なお先頃、横木富三郎さんの親族が、(松江時代の)八雲の授業を記したノートなど史料100点余りを小泉八雲記念館に寄贈された、との新聞報道があった(419日付「中国新聞」)。黒板と同じく、横木ノートには、“travelling”に関連して、“travel”、“journey”、“make a trip; excursion”、“voyage”など、類語の使い分けをハーンが説明している様子が覗える。“travel”は「長い距離を行く、または色んな場所へ行く」と言う意味だが、元は「辛い仕事、苦痛、苦しみ」という意味があったこともハーンは忘れずに付け加えて説明している。語源 (etymology) を大切にしたハーンならではの配慮であろう。

 

《バック・パッカー(旅に暮らす人)の元祖・ハーン》:@

フランシス・キングも指摘するように、「ハーン」という苗字は、ふつう中世英語のerrenに起源すると考えられ、それは又、ラテン語のerrarreに源を発し、「漂泊する」、「さまよう」、「はみ出し者になる」という意味であった。ただし、ハーンの漂泊の旅は、「社会の安定条件」にそぐわない人間の駆り立てられた旅である。『カルマそのほか』(1921)所収の「幽霊」で、アメリカ時代の放浪への憧憬を「漂泊の旅といっても、利益を得るかも知れないと望みをいだいて駆り立てられるのではなく、楽しみたいために旅に出るのでもなく、単に彼の存在上の差し迫った必要に駆られる文明人の漂泊の人のことを、私は言っているのであり、そうゆう人は密かに内に秘める本性が、偶然とはいえ彼が所属している社会の安定条件と全く矛盾しているのである」(内藤史朗訳)と語っていた。

 ハーンと日本との接点は、ニューオーリンズ万博で服部一三と出会ったことが大きいが、その前に、田部隆次『小泉八雲』の次の2件に注目したい。

aハーンが初めて東洋と出会ったのは、アイルランド時代、ブレナン大叔母と行ったウェールズに於いてであった。「夏になれば、ウェールズのバンゴアに赴いた。当時アイルランドの上流社会では、夏になれば、セント・ヂョーヂ海峡を渡って対岸に行くことが流行した。この夏のバンゴア行はヘルンにとって最も楽しいものであった。バンゴアの近傍Carnarvon城で東洋の美術を初めて見た。また乳母と共に支那日本へ航海する船長の家に泊まって東洋の不思議な美術骨董偶像などを見たこともあった。」

bニューオーリンズ時代、ワトキンへの手紙(1879627)には日本への言及がある。「日本に関して、いろいろ考えている。…立派な田野…英国のような天気…あるいはもっと温暖かも知れない…欧州人が沢山…英米仏の新聞。…ニューオーリンズは泥棒の巣窟である。泥棒、悪漢、相談ずくの誉め合い、…政治上の詐欺、文学上の詐欺、…山師、スペイン人、ギリシャ人、英人、コルシカ人、フランス人、ヴェネズイラ人、パリの好商、シシリーの人殺し、アイルランドの悪者ばかり…日本はその半分も悪い事はあるまい。」