怠け者の家

 高松市の栗林公園に隣接して、栗林公園動物園がある。私の記憶が正しければ、昔、むやみにウンコを投げるチンパンジーがいたところだ。ウンコよけの防壁があって、見物人は、危険を感じたら素早く防壁に身を隠すのだ。

 うどんを食って琴平電鉄に乗ろうと高松を訪れた私が、腹ごなしに栗林公園を散策していて動物園のそばを通りかかると、幼児が地団駄踏んで喚いていた。動物園に入りたくてがんばっているのだ。
 辺りには動物園特有の悪臭が漂っている。入園料は、子供は百円だが大人は六百円だ。親は渋る。しかし、玩具を買えと要求するのと違って、動物園に入ろうという主張だから、大義は子供の方にあった。続いて現れた親子の場合も、「ドーブツエン、ドーブツエン」と叫ぶ幼児の前に親が屈した。
 外から見ても歴然と分かる。そこは今風の小綺麗な動物園ではない。古くて汚い動物園だ。そんな栗林公園動物園への幼児らの渇望に胸が熱くなる思いがして、私もまたノコノコと廃屋に似た入り口に向かったのだった。

 切符を買うと、
「ナマケモノがいっぱい子供を産んだので……」
と、ナマケモノのスタンプを押してくれた。
 ここはナマケモノがたびたび仔を産むことで有名なのだそうだ。ナマケモノにとって居心地がいいのだろう。
 狭い動物園だが、ローランドゴリラがいるし、象や虎やライオンといった定番動物もそろっている。しかし私が好きなのは案外、馬や牛や山羊なんかの仲間だ。彼らの前では、つい時間を過ごしてしまう。
 子供のころ、近所の家々にそうした家畜がいた。豚もいた。ウサギがいたこともあった。年とったのも生まれたてもいた。当時、家畜小屋を覗いたときの気持ちが、それとなくよみがえるのかもしれない。

 さて、動物園の花形は、やはりナマケモノである。
 ナマケモノは英語で「sloth」。これは怠惰の意で、ちなみにナマケグマは「sloth bear」だそうだ。だから「ナマケモノ」という命名は、英語からかどうかは定かでないが、とにかくそのまんまの訳語だといえる。そのまんまなのに掛詞になった素敵な命名だ。漢字で書いた場合の「樹懶」も捨てがたい。
 素敵なナマケモノたちは、「ナマケモノの家」に棲んでいた。私にも住む資格がありそうな家なので、入って記念写真を撮らせてもらった。
 家の中には全部で八頭いたように見えたが、もう一、二頭いたかもしれない。いずれにせよ、こんなに近くでこんなに多数のナマケモノを見たのは初めてだ。

 H・ヴェント『世界動物発見史』によればナマケモノは、「十七世紀になってもまだ、『この動物はまったくものを食べず、ただ風の吹く方向へ頭を向けて風から栄養を得ている』と信じられていた」そうだ。さらに、「十八世紀の末になってもまだ、『一本の足を出すのに八〜九分かかり、ある樹から他の樹へ長旅をしなければならないような場合には痩せてしまう』ほど『間抜けで、哀れで、虚弱であり、欠陥があり、抑圧されていて、低能で、滑稽だ』といわれていた」という。
 実際のナマケモノは、確かにゆっくりだけど相応に動いている。「一本の足を出すのに八〜九分」なんて馬鹿げている。よく見れば顔だって悪くない。少なくともコアラよりは私の好みだ。先の『世界動物発見史』では、十六世紀のフランス人神父アンドレ・テヴェが旅行記で描いたナマケモノを取り上げて、次のように解説している。
 「ナマケモノは、長い爪とおどけた人間の顔をもったクマのようである。楽しみながら見れば、このナマケモノは世間に好意をもっているともとれる。このような不思議な顔つきの意味を突きとめようとするのは、テヴェにいわせると、『失礼だ』。彼がなぜナマケモノとして生まれ、それ以外のものでなかったかは、ただこの生物だけが知っているはずなのだから。」
 栗林公園動物園ではナマケモノの仔の里親を募っていて、すでに全国各地に住む幾人もの里親の名が掲示されていた。動物園の寂れようが気がかりな一方で、この点は心強いことだ。
 りつりん幼稚園の園児からも励ましの言葉をもらっている。 私もまた長生きしていいような気がしてくる、ありがたい言葉ではないか。