「背のびして見る海峡を…

 …今日も汽笛が遠ざかる」
 この歌い出しは忘れがたい。このあと「あなたにあげた夜をかえして」と突然ドツボにはまるのも、演歌の味わいというものだろう。
 作詞:深津武志、補作詞:なかにし礼、作曲:猪俣公章、歌:森進一。調べてみたら、1969年4月の発売だった。ああ、あの頃か、と思う。でも、そんなに昔だったのか、と。
 この「港町ブルース」は日本各地の港町を織り込んだ歌で、夜を返せ!と迫るのは通り雨の函館、以下、旅路の果ての鹿児島まで続く。二番に登場するのは、宮古・釜石・気仙沼の三陸海岸組だ。
 気仙沼の港ふれあい公園に「港町ブルース」の歌碑が建ったのは、最近のことらしい。「気仙沼」のところだけ、字が大きくなっている。除幕式には森進一も現れ、地元の女性コーラス団体が「明日はいらない今夜が欲しい」などと合唱したそうだ。

 前説が長くなったが、この10月の末に三陸海岸を列車で旅した。気仙沼はその出発点である。
 気仙沼−盛(JR大船渡線)、盛−釜石(三陸鉄道南リアス線)、釜石−宮古(JR山田線)、宮古−久慈(三陸鉄道北リアス線)、久慈−八戸(JR八戸線)、八戸−青森(JR東北本線)と、3日がかりで北上した。
 さりげなく紅葉がきれいだ。貝も魚も旨い。もっとも、初日の気仙沼でネズミザメの心臓を食ったせいか、連夜の夢見が悪かった。

 おおざっぱな言い方をすると、東北の中小都市の雰囲気は好きだ。
 10数年前、山形県の鶴岡を訪ねたとき、古い建築物が当たり前のように街中を占めているのに驚いた。戊辰戦争のとき降伏調印が行われた建物が、そのまま二三年前まで小学校として使われていたりした。説明してくれた教育委員会のオジサンが、「この部屋で、17歳の少年藩主が平伏して……」と悔しそうに話していたのを思い出す。
 気仙沼も宮古も港町だから、その点では違うが、やはり昔の建物がたくさん立ち並んでいる。これが西日本だったら、もったいぶった観光資源そのものだろうに、ここでは、だれもそれが格別なものだとは思っていないように見える。ただ、ちょっと手を加えて商店として使っていたり、いまだ現役の住宅だったり、あるいは朽ちかけた廃屋だったりする。そういう普通の落ち着きがいいのだ。

 街は好きなのだが、観光地は……どうなんだろう。
 宮古の浄土ヶ浜は、いわゆる名勝である。駅からタクシーでそこへ向かったところ、観光船乗り場で降ろされた。
 観光船は大きなものだ。バス数台分の団体客と一緒に乗りこんだ。この船ではウミネコの餌づけというのをやるという。少し悪い予感がした。
 船が動き出すと、割れ鐘のような観光ガイドの声が降ってきた。ガイドが大声だというより、スピーカーの音量がもの凄いのだが、「左手に見えるのがローソク岩でございますう。形がローソクに似ているのでローソク岩でございますう」などと、たえず喚いている。
 すでに船にはウミネコがいっぱい群がり飛んで、まことにうっとうしい。乗務員が売るウミネコパンを千切って船べりから差し出すと、ウミネコが飛びすがりざま啄ばむのだ。そのたびに歓声があがる。ウミネコが四方八方でギャアギャア鳴く。ときどき糞をする。ガイドの声が雷鳴のごとく轟く。……なかなか正気の沙汰とは思われない。
 本来の浄土ヶ浜は、静かできれいなところだ。観光船乗り場から小さいトンネルを抜けて遊歩道を行くと着ける。しかし、大多数の観光客はここを訪れず、観光船に乗って外海を見るだけで帰っていく。

 三陸鉄道の北リアス線は駅名なんかに凝っていて、「カルボナード島越」とか「カンパネルラ田野畑」などというのがある。しかし、そんなあざとい命名よりも、小さな駅にも人がいて、ストーブで暖かだったりするのがうれしい。
 そういえば、観光バスと乗用車ばかりが行き交うなか、普代村の村営バスが、乗客ゼロにもかかわらず定刻どおり律儀に姿を見せたのも、なんだかうれしかった。
 私は鉄道の駅さえあれば、どこにでも住めるような気がする。でも、無人駅はやはり悲しい。それと、駅には路線バスが発着してほしい。改札を出ると駅前広場の一角に、ぽつんとバスが停まって待っている、これが私の駅のイメージだ。

 久慈−八戸間には「大蛇」駅や「鮫」駅があって、降りてみたくなるが、もう日程に余裕がない。
 八戸からは特急「はつかり」に乗った。くしくも、窓のむこうに雁行する鳥の一群を見た。
 太平洋とはうって変わって暗い冬色の陸奥湾を見たころ、さすがに疲れが出たのか眠り込み、目がさめたら青森だった。
 青森港には、かつての青函連絡船「八甲田丸」が、観光施設となって繋がれている。そんな夕暮れの港に、烏賊が一匹迷いこんで、うそ寒く漂っていた。