人見蕉雨『黒甜瑣語』初編巻之ニ「猫の挙動」より

猫怪

 宝井其角の「京町の猫通ひけり揚屋町」という句は世に広く知られているが、猫と吉原といえば、ある友人からこんな話を聞いた。

 正保の頃、尾張屋とかいう遊郭へ一人の客人が来て、女郎を三日にわたり揚げづめにして遊んだ。
 三日目、さすがにくたびれた客がうたた寝していたところに、部屋をあけていた女郎が戻ってくると、客の様子がなんだか変で、昨日までと違って頬いちめんが毛深い。驚きながらよく見るに、猫の化けたのに間違いなかった。
 襟の内側に、赤い絹布の首輪をしているのも見えた。『お局おあやの猫』と書かれた札も付けてある。
 女郎はそっと部屋を出て、皆に知らせた。店じゅうで大騒ぎして行ってみると、早くも危険を察したか、化け猫の姿はなかった。
 このことは世間で評判となったが、聞くところによれば、実際に江戸城のおあやという御女中の飼い猫が、そのころ行方知れずになっていたという。



 わが藩が秋田に転封となって間もないころ、藩境に近い院内のあたりで猫が怪しい術をなしたと、横堀村の岡山某の記録にある。
 藩家老 梅津正景の日記にも、大和田近江の話として、御小人衆の家の化け猫のことを記している。

 また、小貫某の先祖においては、飼い猫が奥方を喰い殺し、その衣装を着て奥方になりすました。
 あるとき、うたた寝している奥方が寝返りうって仰向きになると、気持ちよさそうな寝顔はまぎれもない猫だった。
 近ごろ猫の姿が見えないので不審に思っていた主人は、とっさに事態を悟って抜き打ちに切りつけた。
 猫は障子を破って逃げたものの、刀に血糊が付いていたので辺りをさがすと、裏庭で死骸が見つかった。奥方の衣装は、障子をくぐるときにそのまま脱げていた。
 以来、小貫家では猫を飼わないそうだ。
あやしい古典文学 No.763