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<ノブレス・オブリージ(noblesse oblige)>とは、高貴なものが担う べき義務(自由国民社 『現代用語の基礎知識'98』)である。 猿の群れでは、ボス猿は全ての雌を独占し、一番先に餌を食い、全てに 優先的な権利を持つ。 そのかわり、ひとたび敵と遭遇した時には、 群れを逃がして自分は最後まで踏みとどまり、敵と戦わなければなら ない、という義務がある。 これがノブレス・オブリージである。 (もっとも最近の観察によれば、敵と遭遇した時には、ボス猿は一番先 に逃げ出すそうだ(笑) ことわざと現実には、しばしば懸隔があると いう実例である。) ドイツ空軍の爆撃下のロンドンで、「こどもたちは疎開させたのか」 とメディアに聞かれた時の英国女王の言葉。 「こどもたちはわたしが逃げない限り、逃げません。 わたしは王が逃 げない限り、逃げません。 そして、王は決して逃げません。」 又、フォークランド紛争の際には、英国のチャールズ皇太子は垂直離着陸 機空母インビンシブルの、シーハリア戦闘爆撃機のパイロットとして従軍 し、敵機を撃墜したという話しを聞いたことがある。 しかし、これはど うやらヨタ話で、実際には多目的ヘリシーキングの搭乗員だった、という のが真実のようだ。 とはいえ、フォークランド戦争中の英国軍の被害は、シーハリア、ハリア 合わせて被撃墜数10機、それに比べてヘリの被撃墜数は25機と、圧倒 的にヘリの損害が大きい。 非常に危険な職域だったことは間違いない。 第二次大戦中の皇室でも、皇族の一部は軍人となったが、戦死の危険性が ある最前線には決して配属されなかった。 無論戦死した皇族など皆無である。 少なくとも皇位継承権上位の皇族の戦死はなかった筈だ。 明治維新後、日本は欧米から数々の風習や理念、知識を導入したが、その 中にはノブレス・オブリージはなかったようだ。 ここまでが、例によって本文より長い前振りである。 そのノブレス・オブリージの最も欠けている例を、私は実体験している。 医師と言えば、社会的に多大の尊敬を受けている存在であり、人の生命 を救うという職業は、尊敬を受けるのにふさわしい職業である。 故に 医師の収入は平均的日本人より遙かに高く、社会的地位も同様である。 例えその医師に直接患者として診療を受けていなくても、「先生」とい う呼称で呼びかけるのが常であろう。 それだけの尊敬を受けるだけの 行為を、彼らはしているからである。 しかしながら、それらの尊敬の念に全くふさわしくない医師も、少数では あろうが確かに存在するのである。 もう10年以上前のことになるが、母が深夜(というより既に明け方)廊 下で転倒し、腕を骨折したことがある。 悪いことにその夜は大晦日だった。 通常の単純骨折の場合、整形外科と柔道整復師では、回復の速度が大分 違う。 無論骨接ぎの方が速いのだ。 (勿論複雑骨折で大出血などとい う場合は別である。) 整形外科では、整復しギブスをはめてしまうと、 後は骨がくっつく迄は何もしない。 せいぜい2週間置き位にギブスを交換 し、レントゲンを撮る程度である。 骨接ぎでは毎日入念にマッサージし、 自家製の湿布薬(にわとこの木の黒焼き)を貼ってくれる。 この違いは大 きい。 西洋医学は万能ではない。 ある種の怪我や病気には、東洋医学の方が より効果がある場合がある。 不定愁訴的な痛みに対しての鍼や、単純な 骨折捻挫の場合の柔道整復師がその良い例である。 但し、柔道整復師は ともかく鍼などの場合は、その効果の作用が論理的に解明されていない。 どのようにして効くのか、何故効くのかは、生理学的病理学的な考察は全 くといっていい程されておらず、ほとんど不明のままである。 治療の技 術も全て経験則によるもののみである。 それでも鍼は効く。 但し、その効能は個人差が非常に大きく、効く人は 劇的に効くが、効かない人はほとんど効かない。 閑話休題・・・ 私は非常に腕の良い柔道整復師を知っていたので、通常ならすぐその骨接ぎ さんに駆け込んだ筈だった。 生憎この先生サイクリングが大好きで、 年末年始には必ず長期のサイクリングに出かけてしまうのが常だった。 この時も1週間程のツーリングでお留守。 他の柔道整復師や開業医も お正月の元旦では全てお休み。 というわけで、やむなく大病院のお世話に なることになった。 病院の名前は書かない。 しかしN医科大学付属病院と書けば、大体おわ かりであろう。 東京でも屈指の大医大病院(と思われている)である。 そこへタクシーで母を連れて行った。 型どおりの手続きと診察待ちに結構時間がかかる。 腕を骨折している 患者なのだ。 幾ら生命に関わらない怪我とはいえ、もう少し迅速な対応は 出来ないものかと思う。 が、ここまではまだ良い。 良くないのは、 非常に良くないのは、医師が診察を始めてからだ。 若い医師二人、交互に母の腕を診察する。 「骨折ですね。」 そんなこと いわれなくても見りゃわかる。 で、これ又型どおりに整復をする。 しかし・・・ この医師たち、二人掛りでも整復が出来ない のである。 見かねた看護婦さん、「あなた方何科のお医者さんですか?」(この位の 大病院だと、看護婦と医師が全て顔見知りというわけでもないようだ。) 医師たち「俺達ゃ整形外科の医師だよーん!」 唖然・・・ 整形外科の専門医が二人もいて、一番基本、一番初歩の整復さ え出来ないのか! 母の骨折はいわゆる単純骨折で、素人目に見ても特殊 な折れ方をしているとは思えなかった。 度胸さえ有れば、私にだって整復 できたかも知れない。 さんざん押したり引いたりした挙句、「整復は出来ないからこのまま固定 しよう」。 その間の母の苦痛を思うと・・・ そしてこのアホ医者ども はギプスの用具を探し出した。 しかし中々見つからない。 医師のくせにギプスの置き場所さえ知らないのか。 お前らそれでも医者か!と胸 の中で罵りつつ、私はひたすら待った。 ようやくギプスの置き場を見つけたが、このバカ医者共今度はギ プスの巻き方がわからない。 「えーと・・・ どうやるんだっ け・・・」 さんざん試した挙句、しごくいい加減な巻き方で、ギブスと もいえないギプスを巻いた。 これがギプスなら、俺が巻いているハラマ キは、神さまのギプスだ。 こっちの方がよっぽど具合がいいからね。 このニセ医者の名前は、ひとりが吉田(実名を出す、断固として出す)と もうひとりは残念ながら失念した。 整形外科の医師が整復も出来ずギプス を巻くことも出来ないと言うのは、タクシーの運転手が車の運転が できない、とい うようなものだ。 あなたがタクシーに乗った際、運転手に「すみません お客さん、私車の運転が出来ないのですが」と言われたら、あなたどうす る? 念のために書くと、この病院の全ての医師がこんなエセ医者というわけで はない。 数日後に再度診療に行った時の医師は、2秒で整復し直し3分で ギプスを巻いた。 文字通りあっという間の早業であった。 こういう医師 もいることはいたのだ。 そしておまけ。 2週間に一度のギプス交換の際、言われた。 「朝は8時 迄に来て待っていてください。」 母は当時既に相当の高齢で、支度にも 時間がかかる。 そんな時間に病院に来て待機するのは困難なのである。 「8時に来ればすぐ見てもらえるのですか?」 「いえ、診察は11時頃 になります。」 見れば、足を怪我した若い患者が廊下に立っている。 椅子は幾つかあるが、全て満席なので仕方なく松葉杖をついて立ったままだ。 看護婦も医師もそんなことにはまるで無関心。 高齢者であろうと足を怪我していようと、自分達の都合が最優先で、患者 へのいたわりの心など露ほどもない。 年寄りや足を怪我した者が、立った ままで数時間も待つことが、どれほど苦痛なのか、この人たちは考えたこと もないのだろう。 この医師の中にあの吉田もいた。 これで私はキレた。 「もう結構!」 母を連れて私はこの白い虚塔を出た。 この大学病院、現在では高度救命救急センターなど備え、都内でも有数 の大病院とされている。 病院案内には、「現在地上8階の白亜の中に近代医学の粋を結集して,日夜約 2,000名の職員が「よいチームワークで患者中心の理想的な病院づくり」を目 標として,医療に貢献しています.」などと書いてあるが、私は全く信じな い。 整復もギプスを巻くことも出来ない整形外科医がいる病院が、「近代医学の 粋を結集」しているとは到底思えないし、患者に不要な苦痛を与えるような 医師がいる病院が「患者中心の理想的な病院」とは、さらに信じられない。 信じられるのは「白亜」の虚塔という所だけである。 この病院では、上に書いた事件の前にも、別の診療で訪れた際に幾度か不 快な思いをしている。 いずれも診療の技術の問題というより、患者や家族 へのいたわりの心が見られない、ということによるものである。 患者を人として見ず、単に病気や怪我のある「モノ」としか見ないような病 院は、どんなに高度な技術を持っていても、どんなに優秀な設備があっても、 信頼するに足りない。 私はもし事故などにあっても、この病院にだけは搬送されたくない。 設備 は貧弱でも人を人として扱ってくれる医師のいる病院に行きたい。 だから、 救急隊員がここに搬送しようとしたら、上に書いたことを語り、他の病院に 連れて行ってくれとお願いするつもりである。 もし、その際に意識があっ て話しが出来る状態であれば、のことだが・・・ |