colum 毒こそもののあわれなれ
リヒァルト・ワーグナーとは?

大悪党にもなれぬ小悪党。 自己中心主義の権化ともいうべき人物。  その生涯は自己正当化と虚辞に終始し、やたら人の奥さんに色目を使 う不倫の王様。 なのに大の犬好き動物好き。 とまあ、こんな感じの人 である。

幸いにして?私個人とは時代が異なるので、直接相まみえることはない のだが、もし同時代にこの人が生きていたら、大嫌いになっていたと思う。

しかししかし・・・ その小悪党の作った音楽は、天上天下唯我独尊、 史上最高、最強の猛毒入りの音楽である。 この矛盾・・・

そういえば、太宰治も決して温容懇篤とは言えない人物だったようだ。  太宰の中学時代の同級生が、「太宰ほどいやな奴には会ったことがない」 と語っていたそうだが、これもいやな奴の横綱クラスだろう。  にもかかわらず、太宰の作品は凄い。 同時代の他の作家と比べても、 一つ抜けているように思える。

ある人物の生み出したものと、そのひととなりとは同一平面上には ない、ということなのだろうか。

ワーグナーがリガの歌劇場の音楽監督をしていた頃は、やたら金遣いが荒 くて借金で首が回らなくなり、ついに一族朗党犬まで引き連れて船で夜逃 げ。 しかしこの悪行に神も怒りたもうたのか、大嵐にあって命からがら 港に逃げ込んだ。

しかし、転んでも只起きぬというか、悪知恵が働くというか、 この体験を逆手に取って、「さまよえるオランダ人」という 歌劇をでっちあげてしまった。

この「転んでも只起きぬ」という手はワーグナーの得意技で、 革命騒ぎに首をつっこんで官憲に追われる立場になった時、 別荘にかくまってくれたのが、ユダヤ人の銀行家、オットー・ ベーゼンドンク。

ところが悪逆非道言語道断横断歩道なワーグナーめは、あろう ことかあるまいことか、その命の恩人である銀行家の若夫人 マチルデさん(当時30歳 覗裸湯狸出身の美人←これは嘘(^^;)を 誘惑し、いい仲になってしまう。

この結末はワーグナーが己の非を悟り、マチルデさんのMS、 いやさ、もとを去ってゆく、ということになる。 

本当の所はそんなきれいごとであったかどうか不明。 『どうせ あの』ワーグナーのことだから、後生に残らぬことも色々とあった のでは。 なお、マチルデさんとは『清い仲』だったそうだが、 これも本当の所わからぬ。  ところが、ここから先がワーグナーのお家芸、独壇場。

後にワーグナーは、マチルデさん作詞の『マチルデ・ヴェゼン ドンクの詩による「五つの歌」』を作曲。 この中には「トリス タンとイゾルデ」の重要な示導動機が、既に含まれていた。  つまりはトリスタンのプロトタイプともいうべきものである。

ワーグナーの最高傑作であり、世界の音楽史上の最高の作品でも ある、不朽の名作「トリスタンとイゾルデ」は、不倫の結果に よって生まれたという、なんとも皮肉な運命ではある。

ワーグナーのわがまま勝手ぶりはまだまだある。 ワーグナー を崇拝する指揮者ハンス・フォン・ビューローの夫人である、 リストの娘コジマを口説いて、自分の奥さんにしてしまう。  当然怒り狂ったビューローは、当時ワーグナー派と対立していた ブラームス派へ走り、熱烈なアンチワーグナー派となった。

とどめのエピソードは、時のバイエルン国王をたぶらかしてホモ だちとなり、自分専用の劇場をおったてさせてしまう、というもの だ。 当時でも現在でも、いかにオール木製とはいえ、特定の作曲 家専用の劇場など前代未聞、贅沢の極みである。

この王様は昔から芸術好きでやたら金遣いが荒く、国中にベルサイユ まがいの豪勢なお城を造りまくり、そのため国の財政がピンチになっ てしまったというヘンな王様である。

とどのつまりは、議会によって離宮に押し込められ、ついには侍医と 共に入水するという、悲劇の主人公でもあった。 これがかの 狂王ルドビッヒ二世(1845−1886)である。

この人名表記は、「ルートビッヒ」「ルドビッヒ」「ルドビク」 「ルドヴィク」など多数あるが、最も一般的なのは「ルートビッヒ」 だろう。 ちなみにワーグナーは、最も一般的なのは「ワーグナー」 だが、他にも「ワグナー」「ヴァグナー」「ヴァーグナー」、更には かなり古い表記だが「ワグネル」などというものもある。 ドイツ語の 発音に最も近いのは「ヴァーグナー」だろうが、会話などで「ヴァー グナーはねえ」とか発音すると、「ぺだんちぃくな奴やなぁ」と思われ たりする。(笑)

「神々の黄昏」というルキノ・ビスコンテイの耽美的な名画がありま したなあ・・・ エリザベート皇妃を 演ずるロミー・シュナイダー、優雅で気品ある美貌が懐かしい・・・  ワーグナーはトレバー・ハワード。 いい俳優だが、肖像画で見る ワーグナーにはあまり似ていない。(笑) (でもこれが一番似ている という説もある) 内容はエリーザベト皇妃とのからみも含めて、 ほぼ史実に忠実である。

余談だが、この映画1972年の制作である。 ほぼ同時期に タルコフスキーの「ソラリス」(72年)や「ストーカー」(79年) があるが、比べて見ると内容よりも「お金のかけ具合」の差、つまり 財布の中身の違いが目につく。

かたやビスコンティは凝りに凝った衣装と大道具小道具で、正に絢爛豪華 豪壮華美、19世紀貴族の夢のように華麗な生活を再現し、画面を見ただ けで「とんでもなくお金がかかったろうなあ・・・」とため息が出るほどだ。

こなたタルコフスキーは質素を通り越して、早く言えばビンボー臭い。  「ソラリス」で宇宙空港へ行くシーン。 一度でも見た方は覚えて おられるだろうが、高速道路がループを描いて交差する、あのいかにも 未来的情景。 それはいいのだが・・・ 道路標識には 「羽田へ*キロ」(笑) 

大がかりなセットを組むお金もないし、といって国内には未来的な情景 のロケーションもない。 ならば近場の日本でロケを・・・ということ のようだが、タルコフスキー先生、この「ソラリス」が日本で上映され る可能性は考えていなかったのだろうか。

「ストーカー」でも金欠病は相変わらず。 もしキューブリックが ストルガッキーの「路傍のピクニック」(ストーカーの原題)を映画化 したら、凝りに凝った特殊撮影とセットでとてつもないお金をかけた でしょうなあ。 「2001年」を見る度に、「キューブリックの ストーカー」を見てみたいという欲望が頭をもたげてくる。

しかしタルさんにはそんなお金がない(らしかった)ので、特殊撮影は ほとんどなし、大がかりなセットもなしの、ないないづくし。

替りにといってはなんだが、シベリアあたりの荒寥とした辺境で 壊れかけた洋館を使い、小津ばりのローアングルと超ロングな カット割りで演出した。 そして『結果として』は実に見事な傑作に 仕上がってしまった。 ストルガッキーの原作とは全く違ったものに はなったが・・・

閑話休題・・・  一般に「ルドビッヒ二世」として紹介される肖像画は、ごく若い頃の 18歳の時のもので、スリムな体型で知的且つ清潔な感じのイケメン だが、なにやら悩ましげな趣きもあり、更には性格的な弱さも感じられる。 

これに対して、あまり知られていない晩年(幽閉される直前の40歳位 の時?)の肖像画では、若い頃の知的な清潔さはどこへやら、でっぶり と脂ぎり、豚のように卑しげな小さな眼をした不潔な中年男になって いた。 長年の放恣な生活の報いであろう。

ワーグナーがこの王様に命じられて書いた自伝「我が生涯」で も、 自分に都合の良い部分はやたら大げさに書き、都合の悪い部分は全く 触れないか、自分で創作した嘘八百を書きまくる、というスチャラカぶり。

かなり前になるが「音楽の友」誌にワーグナーのユダヤ人論 「音楽におけるユダヤ性」が連載になったことがあった。  なにせウン十年前 のことなので記憶は曖昧ではあるが、読んだ限りでは 「ワーグナーはかなり強烈な反ユダヤ論者」としか受け取れぬ 内容であったと思う。

ヒトラーがワーグナーの大ファンであったことは周知の 事実であり、ニュルンベルクで行われるナチス党大会の開幕の音楽には、 「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」が演奏された。  又、スターリングラード陥落を知らせるラジオ放送の冒頭には、 「神々の黄昏」のジークフリートの葬送行進曲が流されたりもした。

リヒァルト・シュトラウスとは違い、ワーグナーとヒトラーは時代的 には交わらないが、もし同時代にあれば、ワーグナーはナチズム の熱烈な信奉者になっていたのではないかという疑いは、かな りの真実性がある。

それ故、イスラエルでは二人のリヒァルト(ワーグナーとシュトラウス)は、 長らく演奏禁止だった。 これがとけたのは1960年代も末の頃ではな かったか。

ちょっとしたエピソードをひとつ。  ドライブ中に聞く音楽で、もっとも危険な曲は、ワーグナーの『ワル キューレの騎行』である、という調査結果があるそうだ。 この曲を 大音量で聞くと、ドライバーの危険回避の動作は約20%遅れるという。  こうした音楽を聴いていると心臓の動悸が早くなり、血圧があがる ためだそうだ。 ワーグナーはユダヤ人排斥だけでなく、交通事故 迄引き起こすのか。(^^; やはり「ワーグナーは毒」なのである。


さて・・・ これだけワーグナーの悪口を書きまくった私。 ここに書いた ことを読んだ人は、さぞ「こやつ札付きの反ワーグナー論者だな」、と思 うかもしれない。

しかし、実は私は数十年に渡ってワーグナーの毒に耳までひたった者であ る。 指輪の全曲は、史上初のショルティ版から始まって、古便いやフル ベンのローマ歌劇場ライブ録音版(ワイヤー録音による)というゲテモノ 迄あり、当然バイロイト実況版も各種取りそろえてという有様。 文字通り 「ワーグナーの毒に耳まで浸っている」という状態である。 最も最近は 年のせいか指輪の全曲演奏は疲れるので、ほとんどやっていないが・・・

ワーグナーの音楽の最大の特徴は、その長大さ巨大さではなく、「扇情性」 にあると私は考えている。 彼の音楽は人の心の最も深い、最も 暗い部分を揺り動かし、掘り起こす。 それは必ずしも、人間 の善良な部分とは限らず、醜悪でアンモラルな部分であるかも知れない。  これがいわゆる「ワーグナーの毒」と言われるものであろう。

しかし、それ故に、その部分に光を当てたワーグナーの音楽は、人の 心を「煽る」のである。 このあたり、なにやらヒトラーと共通する 部分があるようで、やはり怖い。 ヒトラーも「煽る」のは 大得意だったし・・・

バッハの音楽はそれ自体で完結している。 純粋で繊細な音楽美、音楽 だけの美しさである。 天上の美ともいうべものだ。 そこには醜悪なもの やアンモラルな部分は全く存在しない。 いや、存在し得ない。 

ワーグナーの音楽は、その点でバッハとは全く異なる。 岡部冬彦 氏がワーグナーについて面白い比喩をしていた。  ワーグナーの音楽とは、「ビフテキの上にヤキソバをのっけて、 その上にお汁粉をぶっかけたようなものだ」と。 けだし名言 である。 そんな料理があったなら、それは完全に「毒」と言える。(笑)

恐らくは音楽史上最も「いやな奴」であろう、リヒァルト・ワーグナー。 その人物像と作曲した音楽との落差。 芸術とはなんとも不可思議なもの である。


以下は全くの余談だが、「ワーグナー・アラカルト」というWEBには 中々オモロイコンテンツがある。 「三味線合奏版ワルキューレ 第1幕」(MIDI)など、ゲテモノというかキワモノという か・・・

人気投票の「ワタシの抱きたい女」では、第一位イゾルデさん、 第二位ブリュンヒルデちゃんと、順当な順位。 「一緒に鍋を 囲むなら誰がいい」では、火之神ローゲさまとこびとミーメ君 が上位。 まあ火の神さまなら鍋の火種にはことかかぬでしょう なあ。

「大物ワグネリアンは?」では、トップはとーぜんだんとつでヒトラー、 二位も順当に狂王ルドビッヒ二世。 6位に小泉純一郎センセイが、 9位に三島由紀夫氏が顔を出すのはご愛敬。 しかし18位の楽々亭太丸 とはそも何もの? ワシはそんなの知らんぞ。 ここらまではいいとし ても、40位の織田信長となるとねぇ・・・  私も一票入れたけど(笑)



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