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♪ The Silence Or Tear ♪ 朱鞠内湖から国道40号を北上し、サロベツ原野に至る。 ペンケ、 パンケの沼にも脚を伸ばした筈なのだが、その記憶は全くない。 只残っているのは、荒寥としたサロベツ原野とうら寂れた漁師町、そして 冷たげな日本海のおぼろげな印象だけである。 あれだけ強烈な印象を 受けたのだから、墓場まで記憶を持っていけるかと思っていたが、あま かったようだ。(笑) 稚内から網走にかけてのオホーツク沿岸の道も、やはりほとんどの 記憶が飛んでいる。 ただ、夏の終わりのやや弱々しい陽光に照らされた 北の海は、寒々として広がり、行き交う車もなく寂漠としていたというの が、唯一残された心象である。 私に今残されているのは、連続した事象の中でとぎれとぎれに残る、 数少ないカットだけだ。 北海道の夢の旅の中でも、とりわけ強烈な印象 を受けたものだけが、その残されたカットなのだろう。 と書いていたらここで一つ思い出した。 網走の思い出である。 遙か昔から網走といえば刑務所と相場が決まっている。 その刑務所の 門前で記念写真を撮った。 「長いおつとめ、ごくろうさんでやんした」という思い入れである。 思い出としても、しごくアホな思い出ではある。(笑) ♪The Blue Moon Of Shiretoko♪ 世界遺産でもある知床半島の記憶は、ほとんど残っていない。 当時 既に「知床旅情」という歌もあった筈なのだが、ハマナスの花が咲いて いたという記憶もない。 勿論ピリカメノコと出会った思い出など、毛頭ない。 このあたりは 「風雨来記」とはエライ違いである。 所詮あれはゲーム、俺の実人生 などつまらんものさ・・・ フフン(笑) 光苔の洞窟は見たが、これも鮮明な記憶はなく、薄暗く狭い洞窟が あったことと、「光苔といってもまるで光らんぞ。 つまらん」と 思った程度の記憶しかない。 唯一鮮明に残っているイメージは、場所も店名もとうに忘れてはい るが、羅臼の近くの食堂でとった食事がやたらうまかったことだ。 勿論メニューなどはまるで覚えていないが、ルイベやラーメンが めちゃうまだったことは、今でもしっかと覚えている。 もう一つの記憶は、居合わせた大阪の板前と称する男がやたら生意気 だったことだ。 「わては包丁が切れる」としつこい腕自慢が鼻持ち ならず、当時は血気盛んだった私は奴の尻を蹴飛ばしてやりたくなった。 なんとも嫌みな奴だったが、生意気と感じた原因の一つは、向うは 数人の女性(それもかなり美しい(^^;)を引き連れていたのに、こちら は男の一人旅であることもあったようだ。(笑) ♪ Rank Strainger ♪ トド松の林が海水にひたって立ち枯れ白骨化した「トドワラ」。 今ではレストランや駐車場もあり、観光花馬車まで走っていると いう、観光名所になっているらしい。 現在は保護のため途中までしか入れないようだが、私が訪れた時は、 野付半島の付け根からトドワラの見える所まで、車で入ることができた。 そのかわりレストハウスどころかトイレ一つない、全くの無人のサイト だった。 おまけにトドワラへ至る道はもの凄い悪路で、大人が一人すっぽり 入れそうな大穴が道の至る所にあり、どのようにそれを避けても 前後左右どれかの車輪は穴に落っこちるという有様だった。 シートベルトをギリギリに締めても、身体は宙に躍り上がり、次には 舞い落ち、暴風雨にあった小舟もかくあらんか、という状態であった。 「風雨来記」によると、野付半島の道は両側に海が見える素晴らしい 景観ということだが、残念ながら私の記憶には残っていない。 あまり の悪路に景色を見るどころではなかったということも、記憶にない原因の 一つだろう。 トヨタのSSのある町まで戻って最初にしたことは、サスペンションの チェックを依頼したことだった。(笑) ♪ When Blue Moon turns Again ♪ 私の記憶では、当時(1970年代始め頃)の日本一長い直線コースは、国道272 号線の西春別−中標津間というものだった。 しかし現在では、国道12号線 の滝川−美唄間の29.2キロが、日本最長の直線コースということに なっているようである。 これは私の記憶が誤りなのか、それともその後国道12号線が改修されて 最長直線コースになったのか、そのあたりは不明である。 ともあれ、272号線の西別から中標津にかけての一帯は、根釧原野・上春別 原野・春別原野など、原野の巣ともいうべき地帯で、ゆるやかなアップダ ウンがどこまでも続く、ひたすらまっすぐな道という印象だった。 阿寒や摩周のような観光名所もなく、文字通り何もない果て知れぬ原野が、 地平の彼方まで侘びしげに波うって続く。 そんな道であった。 そして 若かりし頃の私の心象には、それが殊更そぐわしく思えたのだった。 青春のセンチメントというやつだろう。 ♪ How Mountain Girls Can Love ♪ この旅の印象の一つとして、「北海道は食べ物がうまい」というものが あった。 現在でも札幌の同業者とすすき野あたりで会食すると、その 旨さに唖然とすることが多い。 特に海産物は、文字通りの「産直」で あるせいか、とびきりの味である。 3年ほど前のことだが、ある海鮮飲食店(名前は忘れたが水産会社直営の 有名な店だそうだ)で食べたホッケは、正に驚異的(^^;な味だった。 東京で食べるホッケはただ塩辛いだけでパサパサと味気なく、こんなまず い魚のどこがいいのか、と思えるような味だが、ここで食べたのホッケは、 名前は同じでも全く別の魚としか思えないような美味であった。 充分に脂ののったウチワより大きいホッケは、届けられるやいなや たちまち箸の戦場と化した。 私の箸と相方の箸はホッケの上で丁々発 止と火花を散らし、竜虎相打ち嵐を呼んで大波乱という有様であった。 そこで私の夢の旅の、最後の思い出である。 根室の手前の道路脇で、 手ぬぐいでほっかむりしたおばさんが花咲ガニを売っていた。 恐らく は漁師のおばさんなのだろう。 根室港で獲れた直後の蟹を、道ばたの ドラム缶で茹で、それをそのまんま屋台(といっても只のミカン箱)に 乗せて売っているという風情だった。 花咲港とか花咲岬という地名もあるので、根室近辺は花咲ガニの本場 なのだろう。 その蟹は、それはそれはとてつもない旨さだった。 とてつもないという より表現のしようのない程の旨さだった。 ほおばるととろりと甘く 豊潤で、しかも後くせのない淡泊な味であり、分厚い身はあっという間に 胃袋に滑り落ちてしまった。 値段は忘れてしまったが、1000円とか1200円とかいうレベルだったと思う。 勿論こんな値段で現在極上の花咲ガニが賞味できるわけがない。 札幌 の蟹専門店でその数倍の金額を出したが、あの時の味はついに再現できな かった。 取れたて新鮮というものが、海鮮料理の場合どれほど味を支配するかという 見本だろう。 しかしそれだけではない。 あの時の味は、私の「夢の旅の味」だったの だ。 恐らく今現在あの時の蟹と全く同じものを食べても、その味はあの 時の味には遠く及ばないだろう。 何故なら、それは私にとって「夢の旅」の味だからだ。 二度と帰り来ぬ 若き日の夢の味だからだ。 この花咲ガニの味に限らず、サロベツの 単色の侘びしい原野も、うら寂れたアイヌの墓場も、ただ吹きすぎる風の 音だけが孤独感をかきたてる朱鞠内湖のバスも、全て夢の世界のものだか らだ。 夢を捕らえることも、夢と比較することも不可能である。 だからこそ この旅は私にとって何ものにも換えがたいものだったのだと、今にして 痛感している。 今現在どのようにお金や時間をかけようと、あの時の 「夢」を再現することは出来ないからである。 釧路から襟裳岬を回り、苫小牧からフェリーに乗って東京に戻った。 9月も半ばだというのに東京はひたすら暑かった。 こうして私の長い夢の旅は終わった。 |