この妄説シリーズはノンフィクションであるという
保証はありません。

妄説日本古代史シリーズその4 邪馬台国はどこにもない!
卑弥呼はクレオパトラだった!  一幕五場


第一場 邪馬台国とは、どんなものかしら

    どこにでもあるような小さな酒場。 地味な内装である。
    下手にボックス席一つ二つ、上手にカウンター。
    ボックスには客はいない。
    カウンターには客が二人だけ。
    カウンターに座った客Aと客Bの会話に、
    マスターが耳を傾けている。


客B「邪馬台国ってどこにあるんだろうね?」
客A「さて・・・・・・」

客B「吉野ヶ里や三内丸山みたいな、大規模な遺跡が発見発掘されているの に、何故邪馬台国の遺跡はいつまでたっても見つからないのだろう?」

客A「その理由は簡単だよ。」
客B「ほう?」

客A「『邪馬台国はどこにもない』 からさ!」

客B「えっ! そんな無茶な! 邪馬台国は北九州か畿内かのどちらかにあ るんだろ? 魏志倭人伝にもちゃんと書いてあるじゃないか。」

客A「魏志倭人伝は、邪馬台国の位置については何も書いてないよ。」

客B「またまたそんなアホなことを! 魏志倭人伝には、帯方郡(韓国ソウル 市付近)から倭国の首都邪馬台国に至る方角距離日程が詳細に書かれているじゃ ないか。 例えば、帯方郡から水行7000余里で倭の北岸の狗邪韓国(釜山 ー金海付近 )につくとか、投馬国から水行十日、陸行一月で女王之所都につく とか、確かに書かれているぞ。」

客A「ああ、確かにそう書かれてはいる。しかし、邪馬台国については、魏志 倭人伝以外に言及している書物はないし、邪馬台国の遺跡が発見された、或い は邪馬台国の所在を示す何かが発掘されたという事実もない。 つまり、逆に 言えば『魏志倭人伝が存在しなければ (或いは存在していても正しい内容でなければ)、邪馬台国も存在し えない』ということにならないか?」

客B「そ、それは牽強付会というものだ。 魏志倭人伝は確かに存在するじゃ ないか。 内容だって詳細で正確だし・・・」

客A「いやいや、そんなことはない。 『存在していても正しい内容でなけれ ば』、あっても無意味だし、むしろない方がいい場合だってある。」

客B「それじゃ君は魏志倭人伝は無価値無意味だと言うのかね?」

客A「さて、そこが問題だ。 魏志倭人伝自体は確かに存在するのだが、その 邪馬台国に関する記述は本当に信頼できるものだろうか?」

    マスターは身を乗り出して、客たちの話しに聞き入っている。

客B「魏志倭人伝は、3世紀後半(280年代)に書かれたんだよね。 著者 は何という人だっけ?」

客A「著者は西晋の陳寿(233‐297)だ。 呉蜀魏の三国の歴史を書いた「三国 志」の中の、「魏志・第三十巻・東夷伝・倭人条」が、「魏志倭人伝」の通称で 知られている。

内容は倭国への行程やその地理,風習、また239年(魏の景初3)から247年(正始 8)までの魏との通交のことが克明に記されている。

『男子は大小となく、みな黥面文身す』、つまり男は身分の上下を問わず、顔 にも身体にも入れ墨をしていたという。 しかも朱丹を全身に塗りたくってい たんだそうだ。 中国では古来入れ墨は極度に嫌うから、邪馬台国の人々は大 陸系の人種ではなさそうだ。 恐らくは南から黒潮に乗ってやってきた、ネシ ア系の人種ではないかな。

また、『衣を作ること単被のごとく、その中央を穿ち頭を貫きて此を衣る』と もある。 袖などのある複雑な衣服を作る技術がないので、古代ローマ時代の 貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいただけの服を着ていたんだろ うね。 しかも全てはだしであり、縦穴式の住居に住み、食事は手づかみだっ たらしい。 中国やエジプト、ギリシャに比べれば、大変な後進国だったわけ だ。

景初3年、倭の女王の朝貢使者に対して、「今汝をもって親魏倭王となし、金 印紫綬をかし」と、いう詔書が下される。 その後、「ならびに詔をもたらし て金帛、錦けい、刀、鏡、采物を賜う。」と、魏使・梯儁の一行が、倭国国王 すなわち卑弥呼に数々の品物を送ったということも記載されている。 有名な 銅鏡100枚もこの中にあったのだろう。」

マスター「大分長い話しのようですから、ここらで一杯新しいのを作りましょ う。」

    マスターは新しい水割りを作る。
    暗転


第二場 ああ、そはかの国か

客B「しかし、魏志倭人伝にはこれだけ詳細に倭国のことが書かれているのだ から、その内容は充分信頼できるんじゃないか?」

客A「そう思うのが人の常。

しかしだ。 この魏志倭人伝に書かれた倭国へ到る方向距離日程を、そのまま 現実の地理にあてはめた場合、 邪馬台国は太平洋の真ん中ということになっ てしまうぞ。 魏志倭人伝に書かれている方向距離日程は、そのいずれか、 或いは全てに間違いがあることは、断言できる。」

客B「ううむ、確かにそれはあるな。」

客A「そこが邪馬台国比定大論争の焦点だな。 邪馬台国の所在を巡る論争は、 江戸時代の新井白石と本井宣長の頃から続いているそうじゃないか。 当時か ら畿内説と九州説が両横綱という所だが、その論争には未だ決着がついていな い。

しかし一つだけ確かなことがある。 それは、 『魏志倭人伝に書かれた通りの方向距離日程の行程では、邪馬台国にたど り着くことは不可能だ』ということ だ。

どの説にしても、必ず最低一ケ所以上、方向や距離日程を自説に合わせ て変更修正している。 つまり、必ず方向距離日程を変更修正しなければ、絶 対に辻褄が合わないんだ。 これはとりもなおさず、『魏志倭人伝の記述は間 違っている』ということの証明じゃないか。」

客B「むむ、そ、それは・・・」

客A「まだある。 固有名詞(特に人名地名)の発音と表記も、かなりいい加 減のように思えるな。 人名と官職名の混同も多数ありそうだ。 『卑弥呼』 は人名ではなく、『姫巫女』『皇女』(ひめみこ)或いは『姫子』という称号だ という説もあるよ。」

    マスターはシェーカーを振るのも忘れて聞き惚れている。
    暗転


第三場 奥様、これがその誤謬のカタログです

客B「しかし魏志倭人伝って、古代中国の正史なんだろ? なのになんでそん なに間違いがあるんだ?」

客A「まずこの魏志倭人伝は、著者の陳寿が直接倭国へ渡っての見聞を書いた ものではないことは確かだろう。 つまり又聞きさ。 その場合、誰からの又 聞きかが問題だが、その人物を特定することは、今となって不可能だろう。 魏の使者の見聞記に基づき、倭国使者からの伝聞を加えて書かれたとも言われ ているが、果たしてどうかな?

しかも、どうやら陳寿に倭国に関する情報を語った者も、実際に倭国に渡って 見聞したのではなさそうだ。 無意味に詳細な部分(例えば倭国の官吏の人名 など)があるかと思うと、簡略に過ぎてどうとでも受け取れる部分(例えば方 角や距離など)の差がありすぎるからだ。 

恐らくは、この人物が行ったことのあるのは、行程の記述が比較的明瞭に書か れている狗邪韓国(釜山近辺)から対馬国(対馬)、或いは一大国(壱岐)、せ いぜい末盧国(北九州松浦近辺)か伊都国(福岡県糸島郡)あたりまでだろう。

倭人伝では狗邪韓国(釜山近辺)までの朝鮮半島の描写はほとんど省略されてい る。 恐らくは「誰でも知っている事実」ということなのだろう。 その先の 対馬国(対馬)から末盧国(北九州松浦近辺)、伊都国(福岡県糸島郡)迄の描 写と行程は、ある程度信頼できるが、その先となるとかなり妖しくなってくる。 それはつまり、この人物は実際には対馬国乃至は伊都国迄しか行っていない、 ということにならないか?

もしこの情報提供者が魏の使者だとしたら、例の金印や金帛、錦けい、刀、鏡、 采物なども、卑弥呼に手渡すことなく「どこかその辺」に放り出してきた(^^; のかもしれない。 そうであれば、卑弥呼の墓が発見されたにしても、銅鏡や 金印はそこには存在しないということになるね。」

客B「そ、そんなハチャハチャな! それじゃもし邪馬台国とおぼしき遺跡が 発見されても、特定すべき証拠が存在しないということになるじゃないか!」

客A「まあそれは、『もし魏の使者が途中で贈り物を捨てていれば』という、 仮定の話で、いくらなんでも実際にはその可能性は少ないだろうがね。

ということで、陳寿が耳にしたのは、又聞きのその又又聞き、場合によっては 更にその又又又聞きということになる。 

宴席のゲームに、多数並んだ人々に、ある話しを隣の人に耳打ちさせ、次々と 中継させると、最後の人が語る話しは、最初のものとはまるで異なる、とんで もないものになっている、というものがあるだろ。 あれと同じことさ。

まして、当時は訪れる人も希な僻地蛮地の倭国のことだ。 239年(魏の景初3) から247年(正始8)まで、魏と倭国との間で通交はあったということは、三国志 にも書かれているが、直接倭国におもむき踏査した者がそれ程多数であったと も思えない。その数少ない実地踏査をした者から伝え聞いた話しが、魏志倭人 伝の作者に届くまでには、「いろはにほへと」が「ABCDXYZ」位に変化 していても不思議はあるまい。

しかも、魏志倭人伝の原本は散逸して残されておらず、現在の研究は数種の写 本によって行われているが、写本ごとにかなりの違いがあり、この違いの解釈 も又論争の種なんだ。

更に「1里」の距離も、435メートル説あり、85−90メートルの 短里説あり、さまざまだ。 方角にしても、全ての方角が6 5度偏向しているという説あり、箇所によって(恣意的に)東を南とする説あ り、もうシッチャカメッチャカという状態だよ。 このようなわけで、魏志倭 人伝の解釈については、読んだ人の数だけあると言っても過言でない。 

そもそも魏志倭人伝の記述が全て正しいと信じている人は、今ではほとんどい ないだろう。 実際に倭国へ渡った人物の、言語の相違による勘違いや誤解、 記憶や記録の喪失、各書への伝写時の誤り、陳寿本人の失念や誤った解釈など、 誤謬の起こる原因は無数にある。

誤謬の訂正については、各種の異本の検証による実証が本来の姿だろうが、現 実には散逸して現存しない古書も多く、不可能に近い。 しかも、伝写時の誤 字脱字の発見修正はともかく、倭国への渡航者の勘違いなどは、今となっては 検証のしようもない。 そのため、各論者の主観による恣意的な変更修正が加 えられた解釈が、百花繚乱百家争鳴、あだ花のごとく世を賑わわせるというこ とになったのだろうね。」

    客Bもマスターも、狐につままれたような表情。
    暗転


第四場 もう知るまいぞ、この邪馬台国

客A「というわけで、『現在伝えられている』魏志倭人伝の細部、特に日数や 距離などの数値は、ほとんど信用できないと考えた方がいいんじゃないかな? つまりこの魏志倭人伝の記述によって邪馬台国の所在地を比定することは、そ もそも無理があるのだよ。

勿論全てがいい加減というわけではなく、倭国の風習や生活ぶりについては、 ある程度この書を信ずることができるだろう。 そのような事柄については、 例え伝聞であっても、ある程度の内容は確実に伝わるであろうからだ。 又 これらの事柄は、伝聞の間に多少の変化はあっても、ある程度の情報は得ら れるものだ。

しかし、数値や方角のような事柄は、伝聞に伝聞を重ねる間に著しく変化し、 場合によっては正反対になったり倍の数値になったりしてしまうことも、間々 あるのではないか?

風習などと異なり、方角距離が変化してしまったら、特 定の場所を比定するための情報としては、一文の価値もない。 このような理 由で、魏志倭人伝の記述による邪馬台国の地理的比定は、ほとんど不可能(と いうより無意味)と思える。

もし将来、邪馬台国の所在が確認され、その場所がいずれかの説に合致してい たとしても、魏志倭人伝の記述が全て正しいということにはならない。 なぜ なら、「魏志倭人伝に書かれた通りの方向日程距離の行程では、邪馬台国にた どり着くことは不可能だ」ということに変わりはないからだ。

つまり、『(魏志倭人伝の記述による) 邪馬台国は存在しない』ということになるのだ。」

客B「なんかだまされたような・・・」
マスター「まあ、話しとしてはそうなりますがねえ・・・」

    客Bもマスターも釈然としない面持ち。
    暗転


第五場 私の名は卑弥呼・・・

    大音響の妖しげな効果音。

客A「しかしだ・・・ 私は卑弥呼について、最近驚異的な発見をしたんだ!」
客B「驚異的な発見?」

    客B、あからさまに懐疑的な表情。 マスターも同様。

客A「そうさ。 それは・・・」
客B「それは?」
マスター「それは?」

客A「卑弥呼は金髪碧眼の美女だった!」

客B「金髪碧眼? なんで日本人の卑弥呼ちゃんが、パツキンのおねーちゃん になるのさ?」

マスター「古代日本人ってコーカソイドだったんですかねえ? その内にチェー ンスモーキングマンとかブラックオイルとかも、出てくるんじゃないですか?」

客A「まあ笑いたければいくらでも笑いたまえ。 しかしさっきも言ったよう に、魏志倭人伝による行程では、方角距離日程のどれかを恣意的に変更しない 限り、絶対に邪馬台国にはたどり着けない。 これには異存はないだろう?」

客B「それは認めるが・・・」

客A「ところが・・・ 魏志倭人伝の記述を只の一ケ所も変更しないで、邪馬 台国を確実に比定できる説が、一つだけある!」

客B「それは・・・ 今さっき君が言ったことと矛盾しているじゃないか。 だって、魏志倭人伝の行程そのままで行けば、太平洋の真ん中で溺れ死ぬんだ ろう?」

客A「いや、そんなことはない。 そもそもの出発点が間違っているんだ。」
客B「出発点? それは朝鮮半島の帯方郡(ソウル近辺)だろ?」

客A「いや違う。 出発点は・・・」
客B「???」

客A「イタリア半島のヴェネツィア付近だ!」

客B「ぅわあ! こりはダミだぁ!」
マスター「上におなじ・・・(;__)」

客A「キミたちは、カエサルの『ガリア征討記』というのを知っているかい?」

客B「聞いたことはあるよ。 カエサルがフランスあたりを征服した時の記録 だろ。 ガリア戦記とも言うね。」

客A「その通り。 当時の北ヨーロッパ、フランスからイタリア北部あたりは、 『ガリア』或いは『ガラ』と呼ばれていて、ギリシャやローマから見ると僻地 もいいところだった。 カエサルはそこの連中を『蛮族』などと書いているが、 今は文化国家の誇り高きフランス人も、当時は野蛮人扱いだったんだな。

それはともかく、当時の韓国の南端は『加羅(から)』と呼ばれ、古くは『弁辰』 と呼ばれた。 これすなわち『ガラ』『ガリア』だ。 つまり朝鮮=イタリア だ。

ケルト(Kelt)は「帯」を意味するギリシア語ケレト(Keletos)が語源で、これが 帯方郡にあたる。 魏志倭人伝の情報提供者は、現在のヴェネツィア付近から 出発したんだ。」

客B「うぅ・・・ 頭が痛くなってきた・・・」
マスター「わ、私は血圧が高くなってきました・・・」

客A「そして魏志倭人伝の行程通り、イタリア半島を南下し、投馬(とうま) 国に至る。 投馬国すなわちクレタ島で、不弥国の南にある。 クレタ島の伝 説の怒牛タウロメノスがタウロマ、タウマ、とうま(投馬)と変化したんだ。

クレタ島から更に南下して、水行10日陸行1月でエジプトにたどり着く。 こ れが邪馬台国だ。 ここまで魏志倭人伝の行程は、只の一ケ所も変えていない。 出発点が違う以外はね。

実はこの『邪馬台国エジプト説』は、明治43年に読売新聞に掲載されたもの で、著者は哲学者で翻訳家の木村鷹太郎という人物だ。 彼によれば、魏志倭 人伝は、古代日本が地中海から東アジアに及ぶ広大な地域を支配していた頃に、 中国で記録されたものだそうだ。」

客B「これはもう『竹内文書』の世界だぁ!」
マスター「竹内巨麿かAさんか・・・」

客A「そうそう、その竹内文書なんだが、私の見る所ではあれはキムタク いやキムタカさんの新史観のパクリ だな。 新史観というのは、キムタカ氏 の誇大妄想的日本中心史観の自称だ。」

客B「パクリ? それはどういうことなんだい?」

客A「竹内文書は古代日本が世界の中心だったというあたりが核心なんだ が、これはそっくりそのまま新史観と重なる。 しかも竹内文書の『発見』 は大正10年頃から昭和にかけてで、新史観を咀嚼勘案するのに丁度手頃な 年月が経っているんだ。 まあ、それはともかく・・・」

マスター「それはともかく?」

客A「これだけじゃない。 私はエジプト考古学にも興味があるんだが、邪馬 台国と古代エジプトについて調べている内に、古代エジプトのプトレマイオス 王朝最後の女王、クレオパトラにぶちあたったんだ。」

客B「ほえぇ・・・ クレオパトラでもマリアカラスでも、なんでも持ってこ いってんだ! もう何を聞いても驚かんぞ。」

マスター「け、血圧の薬はどこに・・・」

客A「ぶっちゃけて言えば・・・」

客B「あんたが『ぶっちゃけて言えば』というのを聞くと、こちらのドタマが ぶっちゃけそうになるよ・・・」

マスター「血圧けつあつケツアツ・・・」

客A「卑弥呼はクレオパトラだ!

客B「ナハハハハハハ・・・」
マスター「上が65536の、下が256だぁ!」

    客Bマスター共に頭を抱えて蹲る。

客B「なんともはや素晴らしいトンデモ説だな。 卑弥呼とクレオパトラじゃ 年代がまるで合わないじゃないか。 卑弥呼は247年か248年あたりに 67歳位で死んだとされているのに、クレオパトラはその遙か前の前30年に 死んでいる。 300年近く時代が離れているよ。」

客A「その通り。 クレオパトラは前31年9月のアクティウムの海戦で敗北 し、アレクサンドリアに逃げ帰る。 

この時の海戦はローマ側オクタヴィアヌス軍と、エジプト側アントニウス・ク レオパトラ連合軍が、双方500隻以上の艦船で戦うという大規模なものだっ たが、戦闘そのものは一回の戦いで終わっている。

初戦の後クレオパトラの 率いるエジプト艦隊60隻は突如戦線を離脱したんだな。 アントニウスも戦っ ている将兵を見捨てて彼女のあとを追って逃走してしまった。 この海戦で敗 れたクレオパトラは、翌年夏アントニウスの死を知り、自殺することとなる。

さて・・・ 既に戦いの大勢が決した後ならともかく、まだこの先の勝敗も不 明の時に、何故クレオパトラは突然戦線を離脱したんだろう? 

古来いくさの常として、大将が陣頭にいなければその軍の士気は極端に落ちる。 大阪冬の陣夏の陣の秀頼がいい例さ。 秀頼が一度でも陣頭指揮していれば、 日本の歴史は変わっていたかも知れない。 同様に大将が二人とも逃げてしまっ た連合軍が、勝てるわけがない。

もしここで二人が踏みとどまって総力で戦っていれば、この海戦に勝利できた かもしれないし、そうなればその後のプトレマイオス王朝の断絶もなかっただ ろう。 そんな大事な戦いなのに、何故クレオパトラは手中にしかけた勝利を 投げ捨てるように、戦線を離脱してしまったんだ?」

客B「さあ、皆目見当がつかないなあ・・・」

客A「それはクレオパトラは強力な呪術的力を持つシャーマンだったからだ! 海戦のさなか、クレオパトラは『お告げ』を感じたのだ。 『強力なローマ海 軍相手の戦いに勝ち目はない。 ここで踏みとどまって戦い、無益に生命を落 とすよりは、故郷に帰って再起を期すべし!』とね。 

事実当時のローマは軍事的には世界最強だった。 例えこの海戦である程度の 勝ちを納めたにせよ、ローマ本国は無傷のままだ。 第二次大戦末期の日本と アメリカみたいなもんだな。 軍事的生産力が違いすぎるよ。 一二のマイナー な戦いで敗れても、すぐ戦力は二倍三倍に復旧する。 その間にもこちらの戦 力はじり貧となってゆく。 とても勝ち目はないね。」

客B「しかし再起を期すどころか、クレオパトラは自殺してしまつたじゃない か。 死んでしまえば再起も蜂の頭もあるもんか。」

客A「それが違うのさ。 クレオパトラは 自殺などしていない。 あれは偽装 だ!」

    またまた大音響の妖しげな効果音。
    マスターは床に大の字なりでパクパクと口を開けたり閉じたり。
    客Bはガリガリとカウンターの端をかじっている。

客B「ガシガシガシ!」
マスター「むひぃ・・・」

客A「クレオパトラは自殺に見せかけて身代わりの遺体を残し、生き延びたん だ。」

客B「ああ・・・ もう言葉もない・・・」

客A「卑弥呼は真珠のネックレスをしていたそうだ。 クレオパトラもパール のネックレスをしていたという。 これが二人が同一人物だという、なにより の証拠だ。」

客B「そんな無茶苦茶な! 真珠のネックレスをしていれば同じ人間だと言う のなら、『バー ジャスト』の花子ちゃんも、『管理高額研修所』の松チャン も、みーんなクレオパトラになっちまう。 二人ともパールのネックレスをし てるからね。」

客A「真珠が違う。」
客B「え? 真珠は真珠だろう?」

客A「いや、クレオパトラの真珠は、特殊な真珠だ。 しかも彼女はそれを特 殊な酸に溶かして飲んでいる。 これはアトランティスより伝わる長命の秘薬 なんだ。」

客B「どこにその証拠があるんじゃ、どこに! なんで卑弥呼の物語にアトラ ンティスが出てくるんじゃ! プラトンがそんなことを書いているのか!」

客A「そう興奮するな、血圧があがるぞ。 血圧が上がるとマスターみたいに なる。」

    マスターは断末魔状態、床に長々とのびたままぴくぴくと
    手足を痙攣させている。

客B「余計なお世話だ。」

客A「かくしてクレオパトラは舞台から引っ込み、替りに卑弥呼が登場する。

エジプトはアレクサンドロス大王による征服後、プトレマイオス王朝が続いた。 クレオパトラの前の王はプトレマイオス12世、すなわち男子の王だ。

クレオパトラは弟プトレマイオス13世と結婚し、エジプトを共同統治してい た。 邪馬台国でも、『倭国には元々男王がいたが、混乱状態になり、その後 女王を擁立した。 弟がいて政務を手伝っていた』とある。 

これはそのままエジプトにおけるクレオパトラの状態じゃないか。 単なる偶 然の一致とはとても考えられない。

まして魏志倭人伝の記述はそのまま鵜呑みにはできないことは、前に言った通 りだ。 ちょっとした年代の隔たりなどは問題にもならない。 

やはり卑弥呼はクレオパトラそのものであり、金髪碧眼の美女だったんだ。

以上証明終わり!」

    客Bマスター共に、蟹のごとく口からあぶくを吹いている。

    幕素早く降りる。

−了−



この『妄説シリーズその4 卑弥呼はクレオパトラだった!』は、 望夢楼さんのHPより、[望夢楼]/[謎の疑似科学世界]/[邪馬台国は エジプトにあった!?] を参考にさせていただきました。 伏して感謝いたします。



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