俺の居場所



若い従業員が部屋迄案内してくれた。 両側の部屋から漏れてく る若いスキー客の賑やかな声を聞きながら、しばらく行くと黒っぽく 煤けたようなドアがある。 

「こちらがお客さまのお部屋です」

その『部屋』を見て、俺は驚いた。 どうやってこの『部屋』へ入る んだ? そのドアにはドアノブがない。 替わりにタンスの取っ手の ようなものが、あちこちについている。

首をかしげる俺を見て、従業員が無造作にその取っ手を引いた。 タン スの引出しが出てくる。 幅1メートル強、奥行き約60センチ、高さ は40センチ程の広さで、押入よりも狭くどう見ても引出しにしか見え ない。

「こちらです」 

又同じことを言う。 こちらと言われても・・・ 

「予約しておいた部屋はどこなんだ?」
「ですから、こちらです」

まさか、この引き出しが部屋?

「こんな所へどうやって入れというんだ。 俺は羽織でも袴でもない ぞ」

「はあ・・・ お客さまが、なるべく安い部屋を、とおっしゃるもので」
「安い部屋といったって、人間が泊まれる部屋の中で、という意味だ。  ウナギじゃあるまいし、こんな所で寝られるわけがないだろ」

「しかし、他のお客さまはこちらと同じ部屋でおやすみですが」
「そいつは人類じゃない。 vo\ov星かクリプトン星から来た奴だ。  俺は現世人類だからタンスの引出しでは寝られない」

「はあ・・・ それはお客さまの自由ですが、他にお客さまが泊まれる 部屋はございませんし、お客さまが泊まれる宿もここにはありませ んよ」

俺は従業員の言葉を聞き流し、ぶりぶりと怒りながら宿の入口へ向 かった。 支配人を探して文句を付けるつもりだった。 そう言えばま だチェックインも済んでいなかった。 いい幸いだ。 支配人にイチャ モンをつけて、まともな部屋にタンスの引出しの料金で泊まってやろ う。

「お前のところの従業員教育はなっていない! タンスの引出しを寝室 とはどういうことだ。 冗談も時と場合をわきまえろ」

「はっ 申し訳ございません。 きつく叱りおきます。 お詫びに当ロッ ジ最高のロイヤルスイートをご予約の料金で提供させていただきますので、 ご勘弁くださいまし」

というようにはいかないだろうが、少なくともタンスの引出しで寝る よりはましだろう。


しかし、行けども行けどもフロントは見あたらない。 そもそも宿に 入った時にフロントを通過した記憶がないのだ。 通路の両側には部屋が 並んでいるが、どれもけったいな雰囲気だ。

山小屋の蚕棚式の二段寝台もあれば、半世紀前の温泉旅館みたいな畳の 部屋もある。 蚕棚では数人の人類(らしい)がごろ寝しており、畳の部 屋ではどんちゃんどんちゃんと宴会をやっていた。 なんちゅうロッジ なんだ。

その内に通路がいきなりダートになった。
「なんだなんだ、これは・・・ ロッジの通路が泥んことは・・・」

前方左側に並ぶ部屋は、どうやら母屋から独立した離れらしい。 右側に は湖水とおぼしき水辺が見える。 しかし離れにしても、通路が泥んこじゃ 歩いていけないじゃないか。 

ああ、そうか。 母屋から離れているから離れなんだ。 だからちゃんと 靴を履いていかなければならないんだ。 俺はなんとなく納得した。 納 得はしたが、なんとも妙なロッジだという気持ちは益々強くなった。

これではらちがあかん。 こんなへんてこな宿を予約したのが間違い だった。 しかし、なんでよりによってこんなやくたいもない宿を選 んでしまったのか、いくら思い出そうとしても思い出せないのだ。

まあ、それはどうでもいい。 今からでも遅くはないから、まともな宿 を探すべきだ。 俺はようやくそれに思い至った。 まずは駅前へ戻る か。


俺は駅前へ戻ろうとした。 そしてふと気がついた。 駅ってどこに あったっけ? そもそも駅に降り立った記憶がない。 ならば俺は何故 ここにいる? それに俺はここになにをしに来たんだ? スキー場のロッ ジにいるのだから、当然スキーをしに来たのだ。 なのに俺はスキーを 持っていない。 スキーどころか荷物ひとつ持っていない。 はて、荷物 はどこにおいてきたのだろうか。

慌ててポケットというポケットを探ってみた。 幸い財布はちゃんとある。 財布を開いて見ると、金もクレジットカードも入っている。 まずは一安心、 俺は安堵のため息をついて財布をポケットに戻した。

記憶がないままに、おおよそこちらだろうという方角に向かって歩いてみ た。 宿の玄関を通ったわけでもないのに、いつの間にか外へ出てい たらしい。 駅は見あたらないまま歩いてゆくと、また妙なところに出て しまった。 

砂や小石が無造作に積み上げられた、工事現場みたいな所だ。 なんでス キー場に工事現場があるのか、そこに立ち止まって暫く考えてみたが、こ れという答えは思いつかない。

寒気が身にしみる。 見れば工事現場の地面には、薄く氷が張りつめてい る。 やはり冬のスキー場なのだ。 寒いのは当然だ。 

スキー場に工事現場があっても別にいいじゃないか。 新しいリフトかな んかの工事なんだろう。 そう考えると、こんな所に突っ立って考えてい るのが馬鹿らしくなった。 

それにしても寒い。 ただの寒さではない。 身体の中から生命が流れ出 るような寒さだ。 いわゆる悪寒という奴だ。 風邪を引いたのかも知れ ない。 こんな状態ではスキーどころじゃない。 早いところ列車に乗っ て家へ帰ろう。 しかし、それにはまず駅を探さなければ・・・

俺は重い足を引きずりながら、来た道を戻った。 


来た道をそのまま戻った筈だった。 しかしいくら歩いても駅もなければ ロッジもない。 それどころか人家ひとつまわりには見えない。 見渡せ ば、回り一面荒寥とした雪景色。 

しまった! 道に迷ってしまった。 そう気づくと先程からの悪寒が一層 ひどくなってきた。 身体の奥底からぞわぞわと冷たい鈍色のかたまりが 湧き出し、骨から肉へ肉から皮へと伝わってゆく。 湧き出す都度、視界 が揺れ動く。 胴震いしているのだ。 最早歩くこともままならず、立っ ているのがやっとだ。 

白一面の雪景色が薄黄色に染まり、そして薄暗くなってきた。 黄昏が迫っ ているのだろう。 これはいかん。 このままでは凍死しかねない。 俺は 生命の危機を感じた。 スキーに来て宿が見つからず、野原で立ち往生の挙 句凍死なんて、馬鹿馬鹿しすぎてしゃれににもならぬ。

俺はあの宿の部屋を断ったことを後悔した。 例え引出しでもいい。  少々狭かろうが窮屈だろうが、この寒さに比べればなんぼかましだ。 し かし今更悔やんでも遅い。 体力が尽きる迄になんとしても人のいる所ま でたどり着かねば・・・

最早方角を見極める余裕もなく、俺は蒼惶と歩き出した。 数歩歩いた所 で膝が砕け、前のめりに倒れた。 起きあがる力は既になく、雪にまみれ たままよつんばいで這い進んだ。 

どの位進んだのか。 数百メートルか、それともほんの数メートルだけな のか。 もう手も足も感覚がない。 寒さも冷たさも感じなくなってきた。  ただひたすらに眠い。 ここでこのまま寝てしまったら、さぞ気持ちがい いだろうなあ・・・ 

誘惑に負けて俺は目を閉じた。 深い深い所へ引き込まれるように意識が 遠のいてゆく。


と、頭の上から声が落ちてきた。

「だから言ったでしょう。 他にお客さんが泊まれる部屋はないし、お客 さんが泊まれる宿ないと。 ここがお客さんにはぴったり、ここしか 安心してゆっくり寝られる所はないんですよ」

目を開くと俺はあの黒っぽく煤けたドアの前にいた。 しかしそのドアは、 前に見た時よりものすごくでかく見える。

そうだ。 俺もようやくわかった。 俺にはここしかないのだと。 俺の 居場所はここなのだ。 ここが骨箱であろうと死体置場であろうと、もう かまわない。 

彼は俺をつまみ上げた。 彼は随分と背が高く、先程から俺は首をそらし て彼を見上げていたのだ。

「さあどうぞ」

俺はその『引出し』に入った。 何故か俺の身体はその『引出し』にすっ ぽりと収まってしまった。 中々寝心地がいい。 悪寒戦慄は引出しに 入った瞬間ぴたりと止まった。 らくらくぬくぬくとしたほの暖かい感触 が全身を満たしてゆくのが感じられる。 極楽極楽、これなら一生寝てい られる位だ。 

ふと思った。 今度寝覚めるのはいつだろうか。 それはどのような目覚 めだろうかと。 

そして俺はようやく全てを思い出した。 先程俺はこの『引出し』から出 てきたのだ。 だから駅も通らなかったしフロントでチェックインする必 要もなかったのだ。 『外』が俺にとって居心地が悪かったのも当然のこ と。 俺の居場所はここだけなのだから・・・

引出しが壁に引き込まれる音がしてあたりが暗くなった。 外から声が する。

「ごゆっくりおやすみになってください」


−了−




BACK