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Gerry Laffy(ジェリー・ラフィー) ・Guitar + Backing Vocal 1978年にオランダのアムステルダムでの Phillip Lewis との出会いをきっかけに "GIRL" を結成。 当時のPhillipの恋人ブリット・エクランド(ボンドガールとしても有名な肉体派女優)を通じて、当時BLACK SABBATHのマネージャーだったドン・アーデンのレーベル(Jet Records)に売り込んだ。 その後、Melody Maker誌上のオーディション広告を見た元DUMB BLONDES〜TUSHのギタリスト Phil Collen と、Gerryの弟の Simon Laffy がベースで加わり、'79年10月に両A面シングル "My Number" でデビュー。 '79年10月22日には、ロンドンのMusic Machine(現在のカムデン・プレイス)で初めてのギグを行った。 そして、UFOのヨーロッパ・ツアー〜 UKツアーへの参加を経て、'80年2月にファースト・アルバム "SHEER GREED" を発表。 グラムとHard Rockをミックスさせたメイクとコスチュームとサウンドを持つ彼らは日本でもブレイクした。 同年11月のアジア〜日本公演で大成功を収め、帰国後セカンド・アルバムのレコーディングを開始。 しかし、リリースに際してレコード会社との間に複雑なトラブルが発生し、"WEATED YOUTH"は、当初の予定より約1年遅れて'82年春にようやく発売された。 1stアルバムの評価は決して低くなかったが、2ndアルバムの不振やオジー・オズボーンとのUKツアーの中止、PhilのDef Leppardへの参加というような様々トラブル、マネージメントの力不足(最終的にはGerry自身がマネージャーを担当していた)などが重なり、'82年11月のアジアツアーを最後にデビューからたった3年と言う短い活動期間と2枚のアルバムをリリースしただけでGIRLは解散してしまった。 その後、未発表曲を集めたアルバム "KILLING TIME" が1998年に日本で発表された。
解散後もGIRL時代に結んだ契約の拘束を受けて1986年まで音楽活動を行えないという制約の中で、1982年12月には Russell Mulcahy と共にオーストラリアで Le Bad という映画会社を設立した。 '97年までの15年間に9本の映画でプロデューサー補佐や映画音楽の提供を行い、100を超えるミュージック・ビデオのプロデュースや台本の執筆を手がけた他、TVコマーシャルなどの制作も行った。
契約の拘束から間もなく解き放たれようという頃、再び音楽という舞台で活動を始めた。 London Cowboys、 Ultravox、 Sheer Greedらとアルバムを制作し、 London Cowboys、 Sex Pistolsの元メンバー、 The Idols、 The New York Dollsらのツアーに参加してヨーロッパや日本でライブを行った。
また、1990年には自らインディ・レーベル Die Laughing Records を設立し、6枚のアルバムのリリースした。
これらの他にDuranDuranのアルバム"NOTORIOUS" のデモ録音に参加し、Def Leppard、 Human League、 Sigue Sigue Sputnick、 Andy McCoy、 LA Gunsらと共にギグを行っている。 そして現在は、John Taylorのソロ制作に参加し、John Taylor Terroristenとしてバンド活動を行っている。
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