クリックすると『討論塾』へ入れます。
 
< 討 論 塾 開 設 の 目 的 >
 
 徹底した議論や討論は自己学習になるばかりか、そのことによって自身の間違いを正すことができたり、進むべき正しい方向性が見えて来たり、そしてそのことが自己の確立(アイデンティティ=人格における自己同一性の確立)を目指すことになるのではないかと思います。
 議論のあり方としては、何れが正しいかが最初にありきではなく、また雄弁であるかないかも関係ありません。互いが自分なりの理論と実践を踏まえての異論を戦わせながら説得力を高め、徐々に真理に近づくという手法が民主主義にとって大切なことであり、また、そのプロセスを一歩一歩踏みながら、できるだけ多くの国民、市民が参加することが重要なことではなかろうかと思います。
 とかく専門的なことは専門家に任せておけば良いというのは、それは民主主義のことも権威に任せきりに成り易く、学者などの権威者が、国が、政治家が、官僚が考えるだろう、してくれるだろう、だが不満がある時は、国が悪い、政治家が悪い、官僚が悪い、社会が悪いというようなことになりがちです。    
 このように国民自身がその立場の者(専門家、政官界などその役職にある者)にのみ依拠しすぎると、それはとかく一部の者だけの特権化を許すことになりやすく、その特権化した意思決定機関と国民の意思が乖離した場合、今度は専門家と非専門家という対立軸とは別に非専門家を代弁する者同士の対立軸ができやすく、以後は権威を争っての利害調整だけのことで時間を費やすにことになりやすく、何事も主権在民でいうところの当事者である国民の視点に立って、原点から見直すということにはなかなかなり難いのがこれまでの歴史の流れを見ても明らかですから。
 平和な国、民主主義の国を築くには、何事でも老若男女を問わず、学歴や経歴なども問わず、一人でも多くの国民が思考し、議論し、また人から教わるばかりでなく、機会あるごとに自己学習し、参加し、誰もが互いに意見を交わすことができるようになることが先決であると思います。
 その国の進化は、結局のところ国民の見識の度合いによってでしか測ることはできません。民主主義でいうところの社会正義のことも、その総量の拡大に寄与できるのは、何も政治家や学者、法曹、その他有識者と言われる者だけの役目ではなく、その一番の役割を果たしているのは、結局のところ、市民であり、国民であると思います。その国民、市民がただ生活のため、労働することだけに追われている間は(過去の歴史に見るように)暴動や一揆は起こせても自らが思考し、自らの知恵で平和裏に民主主義を勝ち得ることは容易なことではないと思えます。
 
 
討 論 塾 B B S へ 書 き 込 む
 

top   sub menu

 
top   sub menu 
 
ホームページ管理者:広島県広島市安佐南区八木3−34−4−202
根角香織行政書士事務所&キャットル・エー
kaori@hsa.att.ne.jp 電話(代表)082-873-5786
 
ホームページ掲載の記事・写真・その他一切の無断転載を禁じます。すべての著作権は当ホームページ開設者に帰属します。
Copyright1998 Kaori.Nekado. No reproduction or republication without written permission.
 
Copyright © Kaori.Nekado 1998 All rights reserved.
Since June 30. 1998
【 更新日=2002/09/22 日曜日