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【 投 稿 記 事 & レ ス ポ ン ス 】
006 <あるMLでの憲法論議より>民主主義における議論・討論のあり方について
005 行政書士自身と視聴者との間の落差===登場人物としての行政書士や行政書士補助者が展開する法律行為や法律知識について語る場合は、あくまでもフィクションとして観るべきである。
004 漫画『カバチタレ』のTVドラマ化に関して、(全交連MLより)根角香織
003 ページを新しくしました。行政書士山本重吉 山本さん頑張れ!根角香織
002 マニュアル社会におけるラベルリングの落とし穴(規制緩和の落とし穴) 平成12年7月18日
001 死刑廃止論=京都大学吉岡一男教授著の現代法理学講座シリーズ中の刑事学より
 
この頃、何を読んでも面白くないというお方はこちらへ、どうぞ!
 

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TVドラマ『カバチタレ』に関する記事
= 行政書士自身と視聴者との間の落差 = (全交連MLより)
登場人物としての行政書士や行政書士補助者が展開する法律行為や法律知識について語る場合は、あくまでもフィクションとして観るべきである。
藤本さん、根角香織です。お待ちしておりました。
 藤本さんは、漫画をお読みになった上で、ドラマを観ているのですね。
   

 次回のドラマ『カバチタレ』は非弁問題ですか。何とか放映時間を忘れないようにして観て見たいものです。
 
 私自身は、これまで忙しくてドラマ『カバチタレ』は見る暇もなく、それで、実際に欠かさず毎回ドラマを見ている娘や事務所に出入りしている長年馴れ親しんでいる顧客からの受け売りのこととして話すのですが、
   

 以下は、当事務所の顧客がドラマ『カバチタレ』を観ての疑問や感想です。    

 まあ、よくよくドラマの内容を聞いて見ますに、それは何と申しますか、、、、、つまり、カバチタレはあくまでもフィクションです。フィクションの世界では行政書士の実行行為について実定法の適用はございません。    

 したがってドラマにおける登場人物が展開する法律行為や法理論は、それが仮に詭弁であっても何ら法的に問題は起こりません。ただ、ドラマを見ている視聴者サイドの行政書士が、それをそのまま真似して実行に移すとなると大変なことになるのではないかと思います。
 
 私などはドラマ『カバチタレ』は、あくまでも漫画として楽しむべきではないかと思います。
   ドラマもそうですが、人々の目に映る行政書士象は実際に依頼者として行政書士に業務を依頼し、体験された方でない限り、行政書士の頼もしさや、その利用範囲や、限度、そしてその実力は判らないと思っています。    

 実は長年、私の事務所に出入りしている方(これまで実際に行政書士を利用されたことのあるお客様)の目には、ドラマ『カバチタレ』を見ることによって、予想以上に現実の行政書士との落差を感じているようです。    

 現にドラマが放映され始めた後のこと、私の事務所に通い馴れている方たちは、『先生、ドラマのような行政書士が現実ならば、なかなか顧客が行政書士を信用して依頼はできないでしょうね。それは、次から次へといとも簡単げにポンポンと(行政書士や補助者の口から)法律用語や条文が飛び出すなどのシーンが多いのには苦笑します。』とのことです。    

 それは、前回放映のシーンでは、例えば会社の従業員が仕事中に被災した場合においては、『使用者に対しては少なくとも給料の60%は請求する権利があるなどと言っていますけど、あれって、何故、60%なのでしょう、労災保険法上のことだけでは解るのですけれども?それにしては何か可笑しくはないでしょうか?』等々、

 さらには、『使用者の労働者に対する責任は、元々何パーセントなのでしょうか?』、 『また、使用者と労働者の責任割合はなかったのでしょうか?労災保険法上の賠償責任だけの問題?民法や労基法上は?ドラマの中では労働者災害補償補償保険法上だけの問題? 

  それにしても、トークとしては給料の6割と言うのであれば、さらに+労働福祉事業による休業特別支給金の2割をも請求できるのでは、、、もっとも社長(使用者)は労災保険料が払えず、労災保険に加入していなかったのだから、筋としては先ずは労基法や雇用契約、労災保険法上の問題として、労基署に相談したりしているのが現実ではないの?』など、顧客の疑問は素朴にして様々です。  

 『あれって、ただ、ありったけの法知識を口にしているに過ぎないのでは、現実はもっと複雑なのでは?』など手厳しいのであります。    

 仮に、少なくとも視聴者に対し、フィクションとは言いながらも、法律適用の部分だけは実定法の適用している以上、それが視聴者に対し法律知識を与えんとするものであるならば、社長(使用者)の責任について説く場合は、使用者の責任(安全注意義務に基づく損害賠償責任などのことになると)、などについては、一般法(不法行為法)によるところの損害賠償理論から説明しなければならないのだが、

 だから、私の場合は、一般の方々やドラマを現実のごとく、真に受け、中傷批判する方々に対しては、ドラマ『カバチタレ』はあくまでも、たわいのないフィクションとして観、漫画の世界として楽しむべきであると強調せざるを得ないのであります。

 この点、原作者の田島氏はいずれの視点に立っているのでありましょうや。    

 どなたか、この私のメールを彼に送ってみては如何でしょうか。    もっとも彼自身曰く、『私はマンガの原作者であって行政書士としての業務体験の中味を丸写しにしているのではない』と、回答するに違いない。     

平成13213                               

                                      根角香織     

広島市安佐南区八木3丁目344202 
根角香織事務所
  電話(代表) 0828735786
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全国行政書士交通事故業務連絡協議会
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全交連MLより
> 初めて、アップします。

> 藤本です。
> カバチタレについては、連載開始から読んでいます。
> そして、原作ではとうとう大野さんが弁護士法違反で
> 訴えられるようです。
> 今からコミックモーニングは楽しみですね。
> 大野行政書士は、どのように対応するのでしょうか。
> *************************F-SR-AS.05@f5.mnx.ne.jp
>
藤本 浩史

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漫画『カバチタレ』のTVドラマ化に関して、
 
 吉田さん、根角香織です。吉田さんのHPも相互リンクの方向でご検討よろしくお願い申し上げます。
 
 吉田さんも依然、『カバチタレ』の
PRに一役買っていますね。  

> 香川会では「カバチタレ」のポスター6枚をもらったようです。

> 高松支部もポスター2枚をもらうことになり、明日放送局に私がもらいにいきます。    

 広島会ではこのような情報すらない状況です。このようなことを灯台下暮らし というのでしょうか。私としても不甲斐ない限りです。  

 さて、今となっては古い話を持ち出すようですが、カバチタレの彼、田島氏を知ったのは当地の同僚行政書士(田中克典氏=彼曰く、田島氏の友人であると)が私の事務所を訪れ、漫画の話題に触れた際に紹介されたのがはじまりですが、(かれこれ1年近く前のこと)  それからまもなくのこと、紹介者から色々と話を聞いた後のことですが、ある日のこと、田島氏本人から電話があり、原作原稿の〆切りに間に合わせなければならない資料が入手できない云々で、協力依頼を受けたことがあります。    

 その資料とは転付命令(債権の差押え命令)のことであり、その際は、雛型があるかということでした。転付命令の実物は私の手元にありませんでしたので、口頭で説明、また転付命令についての解説書などをファックスして差し上げましたが、後日、今度は私から彼に電話し、その後の状況を聞いたのですが、彼は知人の弁護士から実物をファックスして頂いたと語っていました。そして、マンガに関してはライフワークとして頑張ります。それは行政書士PRのためと熱く語っていました。    

 −−− 中略 −−−−    

 このようなことから、私がマンガについて想像したことは、 おそらくは、彼が日常的に素材として利用している法律知識や、法律文書は、我々行政書士との関係において、どのような位置付けになるのかということでもあり、それらは裁判所が作成する転付命令などの文書は行政書士が扱う法律文書というより、通常は法曹の独占業務に関わる法律文書のことですから、そのような資料がマンガに出てくるというのは、、、想像ではありますが、  

 ーーー 中略 −−−−    

 通常は所謂準司法的なネタ場を背景に弁護士が活躍しているような場面を想定し、できるだけ弁護士という立場を行政書士に置き換え、そして行政書士としての司法的役割、とりわけ弁護士業の現実では、なかなか対応しきれない、庶民レベルの法律生活問題や紛争処理について、それも裁判による解決以前の処理過程におけるフィールドワークとしては、弁護士以外の士業者(行政書士)でも、それらに関与することについては、社会が求めており、また今後においても、そのニーズや可能性は限りなく拡大しつつあるというのが、視点として背景にあるのではと思ったのであります。

 ーーーー 中略 −−−−    

 思うに、これらの法律業務に関してのフィールドワーク(社会の現場での仕事)においては、専門家(弁護士)だけが業務を独占し、逆に素人(行政書士=対弁護士の意味で)では関与できないという図式では、結局のところ、専門家としての弁護士だけでは、間に合わないという社会の構図があり、その意味では、専門家だけの独占や、あるいは、また素人だけの関与では現実社会のニーズには即応できないと言えそうです。    

 ちなみに、この点については、かの山口宏氏(『法律学の正体』や『裁判のからくり』の著者)も、『やくざの存在意義について=それは、弁護士よりも安くて経済性がある。、、、、弁護士に依頼しても空判決や費用倒れのこともあり、現実社会においては、庶民にとっては、法曹の方がやくざに見えることがある。、、、、つまり、それは「お上が公認しているやくざ」だと、、、したがって、公的な資格者である弁護士が庶民のニーズに応えることが出来ない以上はやくざは社会から消え去らないだろう。』などと、言っています。(注:原文どおりの引用ではありません。)    

 この山口氏の弁に対しては、全面的には賛成できませんが、一理あるような気が致します。  

 −−−− 中略 −−−−−    

 正直申しまして、私はカバチタレについては、皆さんや友人に解説して頂くほかは情報不足です。
 それは、未だに実物の漫画を手にしておらず、、詳細については分らず、偉そうなことを言っていますが、明日から
TVで放映予定のドラマ『カバチタレ』では、これまでのような弁護士や司法書士、税理士だけが法律家ではないことを、皆さんの想像どおりに、存分にアピールしてくれるものと期待しています。
 
 それと、直接交流のない原作者の田島氏ではあるが、彼に対して、全国の行政書士が感謝することになるかも、、私も、ひたすら目立たないところで応援させて頂きたいと思います。

 頑張れ!カバチタレ、頑張れ!行政書士

根角香織   フリーテーマ & フリートーキング ウイズマナー
全国行政書士交通事故業務連絡協議会
HP(下記URL)
http://home.att.ne.jp/red/cyberoffice/index.htm/zenkoren001.htm
zenkoren@b9.easyml.com ← 全交連MLアドレス
kaori@hsa.att.ne.jp  ← 管理者アドレス  
 

根角さん、こんにちは。吉田です。
>
> >
利用していますが。香川の吉田さんもHPをアップされていますね。
>
>
1月5日に公開したのですが、これからだんだん充実させていきます。
>
>
明日から「カバチタレ」が始まりますが、
> 私のHPを見た知人から、行政書士の漫画ははじめて知った、
> 「カバチタレ」は見るとのメールがきました。嬉しいですね。
>
>
明日のフジ系の「めざましテレビ」と「いいとも?」に常盤貴子らが
> 生出演するようです。
> 撮影の裏話や行政書士について話すだろうから
> これもビデオ撮っておこうかな。
>
>
香川会では「カバチタレ」のポスター6枚をもらったようです。
> 高松支部もポスター2枚をもらうことになり、明日放送局に
> 私がもらいにいきます。
> 研修とか無料相談会等の公式行事に使用しますが、
> 公式行事以外は功労者の私の事務所に飾ります。
>
> ********************************
>
行政書士 吉田智紀/高松市
> http://www5.ocn.ne.jp/~lawyer/
>
yoshida-tm@gyosei.or.jp (日行連認証)
> ********************************
 
カバチタレ← 行政書士が登場する話題のTVドラマ 「行政書士の田島氏(広島会)が原作者カバチタレ!」の公式サイトがオープン

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ページを新しくしました。行政書士山本重吉事務所
氏 名=山本重吉
ふりがな
=やまもとしげよし
男 性
年 齢
=52
職  =自営 業者
業種・職種
=行政書士
住 所
=広島市安佐南区大町西2丁目7番11号
電 話
=082-877-6956
FAX=082-877-6956
E.Mail=yamamoto@hassin.net
URL=
http://hassin.net/
タイトル=ページを新しくしました。
投稿記事本文
=根角先生、いつも有難うございます。ようやくページを新しくしましたのでご報告いたします。まだまだ不充分なものですが、これからも更に頑張って充実したものにしていきますのでご指導ご鞭撻のほど宜しくお願い申し上げます。 

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マニュアル社会におけるラベルリングの落とし穴(規制緩和の落とし穴)
 
○○さん、根角香織です。    

ISOに関しては今問題となっている厚生省のHACCP(食品衛生管理部門の国際基準)のあり方が問われようとしています。    

ISO全体、内部監視(員)外部監視(員)制度などの運用のあり方がネックのような気が致します。    

ことに日本の場合、ISOに限らず、規制緩和(自己責任)の行き過ぎで各種検査や監査の体制が事後チェック型のシステムになりがちです。    

話はアメリカが日本に待望する規制緩和、内需拡大の話に変わりますが、規制緩和策が進む一方で、進行度を増してきた財政難は更に深刻度を深め、この先、その対策が疎かにされ、心理的要因としてのマクロ経済が落ち込めば落ち込むほど、旧来どおりの経済政策のみに傾注していく政策手法はまるであり地獄のようになるかも。    

一方、国民の消費生活や治安維持、公衆衛生上の健康管理や医療生活に関して行政は犠牲者が出た後でないと対処できない。それが今の日本の危険な状態であると思います。    

人命が失われてはじめて慌てる行政、血液製剤輸血によるHIV感染、阪神大震災での罹災者の救援システム不整備による危機管理の問題、JCOの放射能漏れ事故、神奈川県での河川敷キャンプ場での水死事故、数々の警察の初動捜査の不手際による殺人事件や自殺事件の惹起、病院での単純医療ミスによる死亡事故、金融機関や生命保険会社の営業システムに見るモラルハザード放置による数々の詐欺犯罪等々、枚挙に暇がありません。    

これでは、行政組織改革や規制緩和策も国民の負担を軽減するための行政のスリム化ということよりも、それは国民にとっては、危険極まりない自己責任との引き換えということになりかねません。    

もっとも、国民は当てにならない政府や自治体のことを思い知らされることでは良い勉強の機会にはなるでしょうが、積極的なる情報公開の進まないことでは、ことが政府の無策、不作為の結果であることの問題に対してはあまりにも無知と言わざるを得ません。    

内橋克人氏が力説するように、政治や経済のあり方が国際競争社会での生き残り戦略という大義名分により、そのことが優先される余り、人命尊重という政治の基本理念や国民に直結した生活環境を守るという考え方が希薄になり、それは国民や消費者のためではなく、コスト競争などによる生産性向上のためだけの産業維持政策にしかなっていないということです。    

この有様では国民のための福祉サービス機関や大学などの教育機関など、どちらかというと企業化しにくい、そして権力や利権に関しては縁の少ないところだけが力を落とすこととなり、    

その一方では老朽腐敗化した大企業や大銀行等、それに群がる利権圧力団体の贅肉を落とさず、むしろ温存しながら国際化する(競争力のみの点で)ということになりかねず、しかもその成果の上がらないことでは(その政策の付けやしわ寄せは税制改悪を伴い)、いずれは社会の底辺で生活に喘ぐ国民に大きな負担を強いることとなりそうです。    

また、IT時代到来下においては自己責任に見合うだけの能力を養うことのできなかった国民にとっては、その適正格差(偏差値ではない格差)により日常生活レベルの相対的低下だけではなく、教員の対応能力の相対的低下、親の子供に対する教育指導力の低下、学生の就職先選択の狭さ、IT社会が齎す若年層と老人世代のさらなる断絶化、このような一見ITが齎す便利な社会とは裏腹に息苦しい生活環境とハイテク社会に馴染めない者が続出する社会では、新たなるストレスが齎す精神疾患に苦しむようになる者も増大する恐れがあります。    

このような予測では景気回復の良し悪しについても、様々な過去の教訓(戦後のこと、高度成長、公害、教育の崩壊等)に照らし、人々の生き方もその基準となる価値観の持ち方については教養のあるなしに拘わらず国民の素朴な疑問として投げ掛けられつつありますが、
 
 ここにきて景気は回復どころか、現実には一向に明るい兆しも見えてないにも拘わらず、このような状況下、そのこととは裏腹に、政府は国民の期待を繋ぐため、景気回復予測に関しては機会あるごと、盛んに、近い将来においては、それは如何にも失業者の職場復帰などが可能となり、そして、いずれは社会、生活環境の安定は間違いなしとも言わんばかり、それは所謂「元気な日本」というようなことで、まことしやかなるフレーズを選んではリップサービスでその場を凌いでいるように見受けられますが、
   

実のところ、先行きを正しく予測すればするほど、その目に映るプロセスは、日本はかつてないほどの未曾有の危機に遭遇するであろうというシナリオに他ならず、これまでの政策の失敗を自覚してのことかどうかは別としても、主力政党の政治家たちはその責任を回避し、恐れ逃げ回ろうとしているに違いないのである。    

その現われこそが、森の不始末などのバカ殿様の時代となってきたことである。バカ殿様は「仲良きことは楽しきことかな?日々是好日?」の類で、茄子も胡瓜も南瓜も同類のように仲良くすれば楽しい日々が送れるということのようである。    

しかし、国民と共に苦労しない大企業や高級官僚、そして、その他の一部の富裕層は茄子や胡瓜、南瓜ではありえず、国民にとっては決して同類としては受け容れがたいのであある。この国の主権が民によって実現されるまでは決して「仲良きことは楽しきことかな」とはならないのである。    

政治家のみならず、官僚も裁判官も検事も弁護士も行政書士も学者も教員も一度は底辺の社会生活や仕事を経験してはじめてその職に就くべきである。    

以上、今日の書き込みは山口宏+副島隆彦の「裁判のからくり」を読んで一機に左翼化した心境下でのことです。    

加えて香川の吉田さんご紹介の「自由と正義」掲載論文神奈川大学法学部教授萩原金美氏の「司法制度改革と弁護士法72条についてなど=迫りくる法律専門職の危機を考えつつ」を読んで思うことは、正義実現のためには上に立ち向い戦う必要はあれど、同じ弱い立場にある士業者同士、隣接業者が争っているときではないということであります。    

同教授が論文の中で強調されていることは誰もが逆らうことのできない時の流れと時代の傾向を示唆しているものと受け止めることができます。    

そのためには行政書士は直ちに実戦訓練ないし実戦配備に入らなければならないと思います。    

皆さん、実務研修センター実現に向け行動開始しようではありませんか。提言の提供に向け頑張りましょう。
                            
                                              根角香織

top   sub menu  死刑廃止論=京都大学吉岡一男教授著の刑事学より

死刑廃止論=京都大学吉岡一男教授著の現代法理学講座シリーズ中の刑事学より
 
○○さん、根角香織です。死刑廃止論の是非についてのご意見を賜りありがとうございます。  

現在の死刑制度は刑法や刑事裁判のあり方とは別に、その運用(法務大臣の執行命令権)において問題があります。その問題とは死刑囚に対する死刑執行の命令権の運用において差別が生じているということです。  

それは時と場合によって、法務大臣が世論に押され、「殺人者には死を」という確信をなだめるために、一部の者に死刑を科すこと、あるいは、感情論でもって死刑執行の命令を発するという危険極まりない状況があるということです。  

この問題に言及する場合、その前提条件としての背景について若干触れて見たいと思います。(本当は長くなるので面倒でイヤなのですが、まあ、これも行政書士業務とは直接関係ないことではありますが、光学のためと思って)  

そのためには歴史的背景から、そして我が国における法務大臣の死刑執行命令権およびその運用の実態を踏まえての論議になるようになればと思っています。  

以下は京都大学吉岡一男教授著の現代法理学講座シリーズ中の刑事学の最新版(新版)紹介です。   因みにこの法学シリーズは私が講義を仰せつかっている広島の六法研究会での使用を予定している基本解説書でおもあります。  

1、【先ずは歴史の概観について】    

今日の近代刑法における死刑の淵源は、政治権力の伸張に伴って犯罪概念・処罰範囲の拡大がみられ、贖罪金の授受が意味を失って刑罰による犯罪防止を図り始めた一一、二世紀ごろのヨーロッパ中世にさかのぼる。  

相対的に弱い政治権力で、失うものをもたない多量の犯罪者・予備群に対処して治安維持を図るため、刑罰は死刑を中心とした過酷なものとなり、その執行方法も宗教的生贄儀式を模して多種多様であったとされる。  

カロリナ法典(一五三二)は、中世刑法の集大成として、謀殺や毒殺には車裂き、放火や通貨偽造には焚殺、そのほか斬首、四つ裂き、絞首、溺殺、生き埋めといった生命刑が、多くの重罪に対して、有罪となれば選択の余地のない絶対的法定刑として規定されている。  

イギリスでは一五世紀初頭には一七しかなかった死刑にあたる犯罪種が一八世紀には三五〇まで増加した。    

窃盗にまで死刑を多用するイギリス実務はトマス・モア(「ユートピア」一五一六)に批判されたが、欧大陸では裁判実務による死刑の縮小を経て、啓蒙思想の影響のもと一八世紀には、一時的にせよ死刑廃止も見られ、また、プロイセンのフリードリッヒ大王の時代に大幅な死刑削減が実現するなど、死刑は徐々にその中心的地位を自由刑に譲っていくことになる。  

一九世紀に確立した近代刑法では、死刑はそれぞれの国ごとに執行方法を単一化し、唯一の生命刑として、少数の重大な犯罪にのみ規定されている。  

イギリスの死刑犯罪も一八三九年には一七種になっている。
 わが国は、明治維新により以上のような西欧法を継受したのであるが、明治一三(一八八〇)年の旧刑法において既に死刑は絞首による一種だけとなっている。ヨーロッパでは、その後、廃止が現実化している
 

2、【次に我が国の現行(刑法における)死刑制度について】  

@ 死刑は監獄において絞首して執行され、死刑の言渡を受けた者は、執行まで監獄で拘置される(刑一一条)。    

法定刑としての死刑は、刑法典に一二、それ以外に五つの犯罪に対して規定されている。  

そのうち、絶対的法定刑として死刑のみが規定されているのは、外患誘致(刑八一条)のみであり、無期懲役か死刑かの選択が、汽車転覆等致死(一二六条三項)、往来危険汽車転覆等致死(一二七条)、強盗致死(二四〇条)、強盗強姦致死(二四一条)、航空機の強取等の処罰に関する法律(昭四五)における航空機強取等致死(二条)、人質による強要行為等の処罰に関する法律(昭五三)における人質殺害(四条)の六つ、  

無期禁錮か死刑かは、内乱首謀者(七七条)の一つ、無期懲役のほか七年以上の有期懲役との選択刑になっているのが、爆発物取締罰則(明一七)における爆発物使用(一条)、航空の危険を生じさせる行為等の処罰に関する法律(昭四九)における航空中の航空機墜落等致死(二条三項)の二つ、同じく五年以上の懲役が、現住建造物等放火(刑一〇八条)、激発物破裂現住建造物等損壊(一一七条)、水道毒物等混入致死(一四六条)の三つ、  

同じく三年以上が、現住建造物等浸害(一一九条)、殺人(一九九条)、決闘罪ニ関スル件(明二二)における決闘殺人(三条)の三つ、二年以上が、外患援助(八二条)の一つで、合計一七となる。    絶対的法定刑として規定されていない死刑については、裁判における量刑判断として選択されることになる。実際の裁判で死刑が言い渡されている罪種についての公刊された統計データは、確定裁判については存在せず、通常第一審のものが使われる。  

その状況は強盗殺人と殺人のほかは、ときたま爆取罰則と放火がある程度にすぎない。  

A 刑罰は、それを言い渡した裁判が確定した後、検察官の指揮によって執行される(刑訴四七一条以下)。死刑もその例外ではないが、生命剥奪の重要性に鑑み特に、法務大臣の命令によっている(四七五条)。法務大臣の死刑執行命令は、判決確定の日から六ヶ月以内になされなければならない。  

ただ、上訴権回復や再審の請求があったり、非常上告がなされ、あるいは恩赦の出願や申出があった場合は、それらの手続が終了するまでの期間、また共同被告人がいた場合は、共同被告人に対する判決が確定するまでの期間はこの六ヶ月には算入されない(同条二項)。これは、死刑が回避されるあらゆる可能性が試される間は、その執行をすべきではないという考慮にもとづいている。    

死刑については、さらに、法務大臣が執行の停止を命じる場合として、死刑の言渡を受けた者が心神喪失の状態にあるときと、女性が懐胎しているときがある。執行停止の後、これらの事情がなくなった日から右と同じに六ヶ月以内に行うとされている法務大臣の命令がなければ死刑を執行することはできない(刑訴四七九条)。    

以上のような法務大臣の死刑執行命令については、法務省内で慎重な検討の結果、命令書が起案され、大臣の署名・押印が求められる。平成五(一九九三)年三月に三年四ヶ月ぶりの死刑執行が行われた。執行しないことで、事実上の死刑廃止状態を目指す考えもあり、このときには、法務大臣が、個人的な思想や信条によって、あるいは国連の死刑廃止条約の存在や世界的な死刑廃止の流れといったものを考慮して政治的判断を行い、命令しないことが許されるのかなどが議論された。  

六ヶ月以内を定める規定が単なる訓示規定だとされることもあり、死刑判決確定後何年間も執行されずに過ごすことは必ずしも例外ではない。   一九八五年には収容生活三〇年におよぶ死刑確定者の時効が現実問題となった。慎重な手続とともに、確定後の死刑囚としての生活がもつ精神的苦痛への配慮も必要であろう。  

もちろん六ヶ月以内の速やかな執行が残虐刑禁止の趣旨に添っており受刑者にも望ましいといえるかは生命剥奪の重大性から極めて疑問であることは否定できない。  

刑事施設法案(九一年国会提出)では、第四編を「死刑確定者等の処遇」とし、収容確保と心情安定を定める一一八条以下一二四条までの規定をおいている。  

B 法務大臣の命令があると五日以内に執行される(刑訴四七六条)。  

監獄法では、「死亡」の章中に、死刑執行は監獄内の刑場で行うこと、祝祭日、一月二日と一二月三一日には執行しないこと(監七一条)   絞首の後、死相を検し、五分経たないと絞縄を解いてはならないこと(七二条)のみを定め、在監者が死亡した場合の一般的規定につなげている。  

刑事施設法案には死刑執行についての規定は存在しない(監獄法施行法案一四条参照)。
  死刑の執行には、検察官、検察事務官および監獄の長またはその代理者が立ち会う。刑場には、検察官または監獄の長の許可を受けた者でなければ入れない(刑訴四七七条)。  

執行に立ち会った検察事務官が、執行始末書を作り、検察官以下の立ち会った者とともに署名押印する(四七八条)。  

C 以上の死刑については、残虐刑の禁止(憲三六条)に反するなど違憲論も根強い。   判例は(最大判昭二三・三・一二刑集二・三・一九一など)合憲だとしている。また具体的な執行方法の規定がないことから法定手続(憲三一条)違反も主張されるが、最高裁は明治六年の太政官布告に執行方法の図解がありこれがなお法律としての効力をもっているなど合憲とした(最大判昭三六・七・一九刑集一五・七・一一〇六)。  

なお、死刑もしくは無期懲役としていた尊属殺人(旧二〇〇条)については、不合理に刑が重すぎるとして違憲判決が出され(最大判昭四八・四・四刑集二七・三・二六五)、平成七(一九九五)年の刑法一部改正による現代用語化に際して、他の尊属過重規定とともに削除された。  

死刑自体の合憲性についても、後述の廃止国の広がりや国連の死刑廃止条約の発効などをうけて、裁判所の立場としても再考すべき時点にきているとする見解が有力である。  

D 死刑が実際にどのように使われてきたかについては、明治以来の執行数とともに、最近では通常第一審の終局裁判における罪名ごとの言渡数、検察統計掲載の確定数、拘置所側の数値として、死刑囚の新入所、執行、年末人員などの数値を利用できる。なお、釈放の四人は、再審無罪による。    

明治一五年の旧刑法施行以後の死刑執行数では、明治時代では最多の一三一人(一九年)から最少の一二人(四〇年)まであり、三一年間の年平均五一人、大正時代では、九四人(四年)から五人(三年)まで、平均四〇人、昭和になると最多が三九人(三五年)、〇の年(三九、四三年)があって平均一五人、   平成では、元年に二人、二年から四年まで〇、五年七人、六年二人、七年(三人)までの平均で年二人弱となる。人口が明治期の四千万人弱から一億二千万人強まで増えたこともあわせると長期的な執行数の減少は明かである。  

近時では、執行〇を続けて死刑廃止に至るべきとする立論も見られるが、確定裁判の執行をどのような論理で控えることができるのかといった形式的反論・反発もありえ、かえって法務大臣命令を誘発するおそれも窺われる。    

罪名別の状況を公刊データで見ていくためには、前述のとおり第一審終局裁判の数値を使うことになる。ここでは、例えば殺人では、殺人事件のうち、どのくらいのものが死刑になっているのかが重要な資料となる。そのためには、警察の認知件数からの数値を追っていくことが必要になるが、具体的に最近の数字では、殺人罪で一%弱、強盗致死ではせいぜい一、二割、多くの年で数%といえよう。強盗致死では母数が小さいので変動が大きくなるが、この点は爆発物取締罰則違反でも同様である。  

ごくまれにみられる放火では殺人と同じような状況といえよう。
 第一審終局裁判における死刑の宣告数に比して確定数が概ね小さいという状況も読みとれる。この点は、死刑事件については、控訴から上告までいくケースがほとんどであり、逆に無期判決などで検察側が上訴して死刑になるものと相殺しても、なお、上訴審が死刑にいっそう慎重であることを表しているといえよう。
 

1、【死刑制度存廃の議論】    

死刑制度をめぐる刑事政策的な課題としては廃止するかどうかの問題がある。歴史を概観したとおり、死刑廃止論は啓蒙思想を背景に本格化している。  

@ まず、社会契約説といった理論的観点からの廃止論としてベッカリア(「犯罪と刑罰」一七六四)のものが有名である。国家主権は各人が社会に譲渡した個人的自由の小さな割り前の総体であるが、その際自殺の権利が認められていないことから、自分の生命まで差し出したとは考えられない(社会契約説)として、国家の権利としての死刑を否定し、死刑がもしあるなら、それは一人の国民に対する国家の宣戦布告であって、当該個人の存在自体が国家を覆す革命を生む危険がある場合と、その者の死が他者の犯罪抑止の唯一の手段である場合が一応は考えられるが、いずれも現実性に乏しく、特に後者については一瞬にして生命を奪う死刑よりも終身隷役刑の方が抑止効果があるとして、死刑廃止を主張した。    

これに対して同じ社会契約説に立ちながらも、人は殺人の犠牲とならないために自分が殺人犯になったときには死ぬことに同意するとして、死刑を肯定するルソーなどの論もある。社会契約論といった理論的観点から明確な結論が出るものではなかろう。    

生命の尊重や人格の尊厳を言う場合でも、同様の事情がうかがわれる。廃止論が、死刑は国による殺人であって許されてはならず、たとえ殺人犯であってもその生命は尊重されねばならないと言うのに対し、存置論は、人の生命を奪った者には生命をあがなわせてこそ生命の尊重になるのであって、罪もない人の生命を尊重するためにこそ死刑は必要だとする。  

A 威嚇力を中心とする死刑の犯罪防止効果は、右の議論にも窺えるように存置論の前提ともなっている。廃止論からは、死刑には代替としての無期刑等と比べて格別の威嚇力があるわけではない旨が、殺人を犯す際の心理機制の現実や、刑の重さよりは検挙と科刑の確実さの方が有効であるなどとして言われる。存置論からは、生命に対する執着心の特別の強さや、現実の犯行は刑罰威嚇の失敗例にすぎないので、そこでの心理機制を持ち出すのは意味がないこと、確実で重い刑こそ威嚇力をもつことなどが言われる。    

経験的データによるものとしては、合衆国における死刑存置州と廃止州を比べるなどして、威嚇力の存在は実証されないとしたセリンの研究や、逆に、計量経済学の手法を用いて死刑執行が殺人の抑止力をもつとしたアーリックの研究などがある。    

威嚇力があるかないかは、事実の問題として経験的・実証的に決定されるべきものであるが、従来の諸研究に対しては方法論的・技術的な批判も多い。また、殺人を含む犯罪行為の出現機制の解明が不十分な現状では(せいぜい関連要因の一つにすぎない)死刑がどのように犯行に影響を及ばすかを確定することは困難であろう。ここでも、双方がそれぞれ都合のよいデータを出し合うという事態は避けがたい。  

B 誤判の可能性を理由にした死刑廃止論も有力である。これに対しては、誤判による回復不可能性は厳密には自由刑や罰金でも言え、死刑だけを廃止する理由にはならないとされる。    

確かに理論的にはそうであろうが、処刑後に真犯人が現れた場合のショックは大きく、誤判事件を契機にして死刑廃止運動が盛り上がることも多い。常に誤判の可能性が存在するという認識は、刑罰制度についても慎重な態度をとらせる。後述のように再審制度が存在し、死刑確定者のなかにも再審無罪のある現実を見れば、冤罪を主張する本人の存在を抹殺することで誤判を闇に葬るかのような死刑制度の問題性も看過できないところであるといえよう。  

4、【改革の現況について】    

前項で見たように死刑の存廃をめぐる議論は必ずしも一方が他方を説得しうるという状況にはない。しかし、大きな歴史の流れのなかで刑罰が緩和され、死刑が徐々に例外的なものになっていることもあってか、あるいは現状を維持することの有利さからが、存置論は積極的に死刑の必要を主張するよりも、廃止論に対する反論のかたちで言われることが多い。  

死刑の後退については前述のとおりであり(一七四頁)、西ヨーロッパの国々ではほぼ死刑はなくなった。旧ソヴィエト・ロシアという大きな存置国もあるが、いわゆる西側先進国で死刑を存置しているのは、アメリカ合衆国の多くの州と日本ぐらいだともいわれている。  

世界的に見ても、事実上のものを含め廃止国は増加しつつあるといえよう。    

以上のような状況下で、わが国でも刑法改正の一環として死刑問題が議論されたが、世論調査の結果によれば回答者の半数以上がまだ死刑の存続を望んでいるとされるなど、時期尚早論が多数を占めて、改正刑法草案(昭四九)でも存置された。世論調査については、設問の仕方や調査時期などについても問題があり、調査結果を政策決定に反映させるべきかどうか、どのように反映させるべきかについては慎重な検討が必要である(吉岡(一九九〇)一七四頁)。  

死刑はいずれ廃止されるべきものであるが、まだその時期ではないという時期尚早論は、明治初期以来、死刑廃止論を退けるために使われている。    

改正刑法草案をめぐる法制審議会の議論では、手続的な手当として、死刑の言渡には裁判官全員の一致を要求すべきことや、死刑事件には被告人の精神鑑定を必要的にすること、中国の制度を参考にした死刑の執行延期制度なども提案されたが、いずれも採用されなかった。    

結局、草案では、刑の適用の一般基準に関連して「死刑の適用は、特に慎重でなければならない」いう規定をおき(草案四八条三項)、各則の死刑犯罪のうち、放火、激発物破裂、出水浸害、往来危険致死、転覆破壊致死、水道毒物致死、強盗致死から死刑を削って無期刑を最高刑にし、尊属殺を削除して、刑法典の死刑犯罪を七つにするとともに、外患誘致にも無期懲役の選択刑を加えたにとどまった。刑の適用については後述するが(二六八頁)、  

このような規定をおくことで果たしてどれだけの実効性があるかは疑問であろう(特集「改正刑法草案の逐条的検討」法律時報四七−五(一九七五)七二頁(吉岡執筆))。   死刑犯罪の範囲についても、内乱、外患誘致、外患援助といった必ずしも人の殺害を内容としないものにまで死刑を置く点は、存置論からも批判がありえよう。  

5、【死刑制度廃止への展望について】    

死刑が、今日では例外的な刑罰となり、やがては廃止されるべきものであることは、前項までに検討してきたところからも否定できないと思われる。  

現在における死刑の存在を支えるものは、過去のある時期から死刑が多用され一時は中心的刑罰とされたという歴史的事情と、そういう歴史的事実のもとに培われてきた「人を殺した者は自らも死すべし」との潜在的・一般的確信、あるいは、そのような確信が存在することを前提に「(多くは人の殺害を含む)ある種の重大犯罪を処理するためには犯人の処刑が必要とされる場合がある」との法的確信であろう。    

死刑の威嚇力に対する信仰がつけ加わることもあろうが、現在のような適用状況を前提にして、死刑の犯罪防止効果をどこまで死刑存置論の根拠にできるかは疑問が大きい。  

一般予防としての威嚇効果が果たして存在するかについては立証責任も問題になるが、とくに無期刑と比べてのはっきりとした防止効果が立証されていないことは認めざるを得まい。  

確実な再犯予防効果は、排害・淘汰としての特別予防として発揮されるが、ここでも死刑の効果といえるためには、対象者に明確な再犯危険性のあったこと、しがって犯行を免れたのは死刑によるものであったことが立証されなければならない。これは第二章で見たとおり相当の困難を含む。  

また、政策的には同様の効果が無期刑などでも得られるのではないかも重要な論点である。    

いずれにせよ、年間数人という執行数では、予防効果の現実的意味はそれほど大きいものではない。犯罪防止策としての死刑の強調は、その適用の拡大と結びつかざるを得まい。  

この点は先の「人を殺した者は死刑」という主張でも同様であって、果たして死刑存置論は、現在の死刑の大幅な適用の拡大をまで言うのかを問わねばならない。死刑の拡大そのものは、大きな歴史の流れに逆行するものであって、この問いに肯定的に答えうる者は少ないであろう。    

こうして、ある種の極悪な犯罪行為に対応するには現在なお死刑は必要であるというのが存置論の内容となろう。  

一般的な刑罰緩和の流れのなかで、いかなる犯罪の場合も犯人の死までは望まないという考えや態度が増えれば死刑は廃止される。また、現在すでに認められている罪刑法定主義からは、死刑になる場合とならない場合は予め区別されなければならない。  

そこから、死刑によらざるを得ない犯罪の存在が一般的・抽象的には肯定されるにしても、具体的事例でその区別をなし得るかが問われうる。裁判例を使った死刑と無期刑の区別研究では常に灰色部分が残る(後述二七六頁)。死刑判決のなされた事案と無期刑の事案とを比較して、もし差違のないことが納得されれば、その種の犯罪の処理方法としては死刑以外のものでもよいことを認めざるをえないであろう。  

そこにおいてなお、「殺人者には死を」という確信をなだめるために、一部の者に死刑を科すこと、あるいは、そのために死刑を存置しておくことは、不合理な差別を排除する公正の観点からも許されないと思われる。

 
死刑廃止論を唱える弁護士が被告の冤罪事件?検察との対決は元住専回収機構の社長中坊公平弁護士 対 土屋公献弁護士(弁護団長)との対決であり、これは死刑廃止論を唱えるオーム真理教の麻原の弁護人安田好弘弁護士の代理戦争でもある。
 
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【 更新日=2007/10/29 月曜日
 
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