| 行
政 指 導 に ま か せ て き た 行 政 書 士
の 立 場 は ? |
| |
| 行政書士は民と官の何れの立場か?行政指導に対しては? |
| |
| 所管関係官庁の行政指導によるところでは、士業者は常に官の立場に置かれてきたのではなかろうか。 |
| |
| 切っても、切っても切り離せない官側との関係にある行政書士は果たして民側の立場であるといえるのであろうか。行政書士の民側の立場を阻むもの、それは依頼人の代理人として行政指導を受けることであり、またそれを受け入れる組織の体質である。 |
| |
| 行政書士の立場を官と民の区別でみる場合、そのいずれかということになると、官を単に国民や企業を管理規制する側の公権力
として見る場合においては、多くの現状に反し、それが民の立場であるとの主張はあくまでも主張にすぎないものであり、沿革的にも概ね異論のないところである。
その判断基準及び根拠については、業務の社会性やその目的についてみる必要があるが。士業について
それが
民と官とのいずれの立場かということになると、先ず起源に遡り、その業者の社会的必要性や背景についてみる必要がある。 |
| |
| 業としての発生起源は学説上も明らかでないが、沿革的には元々民の側からのニーズ喚起により発生したものと想像できる。その原型
(ヨーロッパから学んだといわれる代書人は明治になってからである)
と
しては封建時代におけるお上であるところの代官所や奉行所などに対する農民や町人の申し出や届け出などがなされる際に
村や町の世話役や補佐人的立場の者
を介して行われるようになったのが、その始まりではないかと推測できるのである。 |
| |
|
それが次第に代理的行為の形態となり、さらには有償の引き受け形態(営業的形態)となり
代言人や代願人、代書人といわれるように
職業として定着するに至っては
その民が行う職業が官の側からして
届け出や許可などの規制の対象としたことからみるならば
その立場は外形的には一歩民の立場から
明確に官の立場に引き寄せられたということとしてみることもできるのである。 |
| |
| しかし、ここでいう立場とは規制によって、その職業が資格化されたことにより、誰もが自由に業を営むことができなくなったという意味合いから、つまり官の関与がはじまってからは
その意味で民離れがはじまったということの立場であるから、公権力としての官側に近づいたという意味合いのものではない。 |
| |
| したがって、当時においては官側の積極的関与の対象とされた後、(公に業しての形態がはっきりした後)でも官の立場が強制された訳ではない。民の立場を肯定しながらも、いわゆる官の立場であることの意義が唱えられはじめたのは、戦後になってからはっきり
したことであり、それは業務のあり方そのものについて行政庁の指導監督(後述の行政指導)を(積極的に)受けるようになってからのことである。 |
| |
| それは、まさに我々の先輩達が官に手名付けられた際の手法
(後述の行政活動の中の行政指導)が我が国特有の行政指導の始まりでもあったのである。 |
| 官側からみれば、この要請
(官の側への協力要請)は、経済的国力の増強という、すなわち国策的なる経済発展の優先という政策がもたらす拡大する一方の規制に民を馴染ませることの目的からも士業者を官の立場に引き寄せ、行政活動(後述)の支援的色彩の強いものとしていったところが背景ではなかったかと思われる。
この段階になると、士業者はいわゆる国民
と行政
のパイプ役と言われることにその使命感を見いだしたかのように思われていたのである。 |
| |
| そして、その社会的地位の向上を目指すこととの関係においては行政との絆を深めることによって国民の生活と社会繁栄進歩に貢献することを目的としたのである。
(行政書士倫理綱領) このよう
な社会的地位の向上、発展の側面から歴史的経緯を見るならば、先ず明治、大正以降の時代には
つまり、国や自治体が依然としてお上と呼ばれていた時代においては、現在の士
(士族 )という呼称はなく
また社会的地位においてもその身分はどちらかと言えば
卑しく思われたきらいがあり、行政機構や法制度の近代化が進むまでは現代とは比較にならないほど蔑視され(三百代言などの呼称の例がある
)ていたことから、その業者としての立場は決して官の立場とは言い難くむしろ業者自体が民の側を援護するよう
な地位にはなかったのではないかと思われる。(封建制度下ではその底流にあったものとしては、むしろ官には階級的に馴染みにくいことから反権力的立場であったと思われるが。しかし、実際には専制主義下では
官の指導には逆 らう
ことができなかったのではなかろうか。) |
| |
| このように社会的身分や地位の不安定な時代においては、その社会的使命感の持ち方は業界においても、必ずしも連帯的なものではなく、それは個々における自己の職業に対する自己評価の問題にすぎなかったのではないかと思われる。けだし、当時民としての立場の主張があったにせよ
それは民側の権利の擁護というような意味合いの立場ではなく、どちらかといえば、まだ商業的色彩のみが濃く
その業者としての自覚は民側の立場に立つという社会的使命感より
も
業者自体の秩序維持を図るための制度化を目指す過程にあったのではないかと思われる。 |
| |
| それが戦後、新憲法下において法制化され、士という呼称の格付け(ある意味では格式にすぎないのではあるが)や資格試験制度の確立にともない一般市民からの認知度も徐々に高まり、次第にではあるが自営業として、数ある職種の中でも本格的に個々の生活のための対象業種とされるほど将来性が評価されるようになってきたのであるが。 |
| |
| いわば戦時体制を抜けてからというものは、民主化という社会の変革に伴い、国民の権利義務の行使においては、まさに業こそが公共の福祉の増大あるいは社会正義の総量の拡大にとって最も活躍の担い手として注目を集める存在になってきたのである。つまりこのことは自由主義を柱とする法治国家の下における社会の公正や人権尊重という思想や価値観は法律によって維持されることの認識が社会の常識となったからである。 |
| |
| このような民主的思想が当たり前となった今日、我々自身においても地位の向上に対する活動は、かつてないほど意欲的になり、全体的には個々の目指すところと組織として目指すところの一致点が未だ不明確ながら業務を通じての社会的使命については、さらなる改革による発展段階にこぎ着けようとしているのである。 |
| |
| 現時点に立って、我々が
民の立場であろうとすることの意義について考えるなら、国家的繁栄がもたらした先進国としての生活レベルとは裏腹に、これまでの国や自治体主導型の社会からもたらされたいわゆる行政主導型社会のもたらす弊害について、振り返って見るならば我々が真に民の側に立っているかといえば必ずしもそうではないといわざるを得ないのである。 |
| |
| 他方
このことについては厳密には依頼者から依頼を受けた事案ごとに判断されなければならないという懸念があるかぎり、特に義務の行使においては官の立場であるべきことを主張する者もなくはないのである。 |
| |
| 要するに行政書士が依頼者本位の立場を貫くことができるかどうかといえば
官と民のいずれかが権利保護の主体であり、その反対が義務の客体であるかということの主張の意義について
論じることにもなるのだが、このことの意義を単に
行政書士法ないし行政書士の職業倫理なる価値判断のみで捕捉することは容易なことではないということである。 |
| |
| 二つの立場が常に相対するものなのか、あるいは権利義務との関係においては外形的立場とは無関係にして
官も民も双方の立場が同一視される価値観や国家的見地にたった場合、行政活動における最終的主体が民にあるとすれば、両者の立場を異にすることさえもできないのであるが。このような考え方の段階では、先ず官とは何であろうか、あるいは官側の行政活動とは何であろうかということを先に理解しなければならないのである。 |
| |
| 全段の方で述べた、我々の立場が官の側の指導監督(行政指導)により単に官の側に沿うように手名付けられたとしても、それはもはや過去のことになりつつあるのではあるが。 |
| 我々は、法によって業務を処理し、法によって立場を選択するならすべて、そのときにおける立場は法によって拘束されるものであるから、その答えは常に明確なのである。それが皆が求める法律家としての正しい立場の選択においては法に従うことのみなのである。 |
| にもかかわらず、我々は弁護士のように争訟手続きにおいてその民の立場を明らかにするほどの資格上許された手段をもたないがゆえに、どちらかといえば否応なく官の側に着かされているのが現状ではなかろうか。 |
| |
| そのことは、以下に述べる行政指導に屈服してきた行政書士の歴史によって説明できることであり、また将来においても官側の利便のための行政指導を受け続けるかぎりにおいては
民側の立場への移行の権利は放棄したに等しいものといえよう。 |
| |
| 組織として、個人として自立がないかぎり、(弁護士会のような自治の確立がないかぎり)行政書士は民の側に立つことは容易なことではあるまい。 |
| |
| 行政指導とは法的根拠を有しないものであるにもかかわらず、官に迎合する体質 |
| |
| 法的根拠のない場合はもとより、根拠法がある場合でも、法的強制の段階前における行政庁の指導監督には従わなくても、そのことに服従しないこと自体については何ら
法令違反に問われることはないのであるが、行政書士の使命の意義についてはとは未だに(行政書士は国民と行政とのきずなとして・・・・・・・・・・・・これは行政書士倫理綱領である。)などといっている。私個人の意見としては、ここのところを『行政手続において国民の権利義務の行使を擁護し・・・・』とかえていかなければと思う。 |
| |
| 【参考資料】 |
| 引用=関 哲夫『行政指導』現代行政法学全集 bT |
| 出版社=『ぎょうせい』より引用 |
| |
| このことを皆が理解できるようにするならば、官側の行政活動における法的態度以外の態度(行政指導やそれに基づく勧告)について熟知しておく必要があろう。理解の前提は
先ず行政法理論から導かれるのであるが、国又は公共団体の行政活動は、行政立法、行政処分、行政契約、行政強制
といった形式を通じてなされるが、これらのすべての行政活動は根拠法のみにより解決されるべきものであり
何人も直接に官吏の指導や監督に従う義務はないのである。つまり
官側の法の適用解釈が曖昧であったり民の側の主張が誤っているとはかぎらないという
レベルではその根拠法(憲法を含む法の正しい解釈のよるところの根拠法)のみを判断の基準にすべきであるということである。 |
| |
| =行政指導による誘導を実際例から見てみると= |
| |
| 関哲夫氏の著書によると例えば、違反建築物の工事施工者、建築主又は所有者に対しては、行政庁は建築基準法第九条の規定に基づいて是正措置命令という行政処分を行い
相手方がこれに従わないときは、行政代執行の形式でその建築物に対する是正の強制執行をすることができるが。 |
| |
| 巷間、違反建築の件数は極めて多数に上るが、これらに関して是正措置命令が発せられる件数は、以外と少ない。まして代執行まで行くケースはほとんどない。それだからといって実務では、違反を放置しているわけではない。行政機関が違反建築の所有者に対して、その自主的是正を勧告し
相手方がこれに従って是正を行うことで、多くの場合問題が解決しているのである。 |
| |
| なぜ相手方が自分にとって不利益な勧告に易々諾々として服従するのはであろうか。勧告を無視した場合には、行政処分や行政上の強制執行を受ける可能性があり、建築主又は所有者にとっては
世間体が悪いし、工事施工者にとっては行政側から悪質業者のレッテルを貼られ、今後の仕事がやりにくくなるといった思惑があるためであろう。また、我が国には封建時代から脈々と受け継がれた
役所をお上とする意識が強く残っていることも原因の一つである。 |
| |
| 行政機関の側から見ると、行政指導で事務を処理しうることは大変有利と言える。是正措置命令や行政代執行といった面倒な事務の手間と経費が省けるからであり、また法整備がなされてはいないが(法令が予想していない)新たな行政需要に敏速適切に対処できるという利点もある。 |
| |
| ところが、よく考えてみると、行政指導は、反面、いろいろな問題点をかかえていることがわかる。先の例は、法律が行政処分の根拠を与えている場合に、これに代て行われる行政指導に関するものであった。現在の行政実務では、このほか、まったく法律の根拠なしに行政指導が行われる場合が極めて多い。 |
| |
| 通産省による石油業法に基づかない石油製品価格に関する行政指導(判例あり)がそのほんの一例であるが、この種の行政指導が無制限に可能ということになれば、極論すれば法律は不要となる。 |
| |
| ●行政処分や強制執行といった手荒な公権力の行使の代わりに、行政指導というソフトな手法で済ませる行き方は、一見民主的だが、実は封建時代の君主支配の場合とよく似ているのではなかろうか。封建君主は、圧倒的な権力を背景として、しばしば法令ぬきに人民に対し、勝手な指示を行い、人民はこれに易々と従ってきた。このような君主の恣意専断をやめさせるために、近代法治国家では、君主の行政権行使に対して国民代表議会の制定した法律の根拠を要求したのである。 |
| |
| 不利な行政処分やその強制執行は、直接の相手方にとっては迷惑なことであろうが、国民代表議会の制定した法律に基づいて行われる以上、多くの場合社会の一般公益に適合しているはずであり、相手方も行政処分の手続きや内容が根拠法に違反していると考えれば、行政裁判を提起して争う権利が保障されているのである。 |
| |
| このように法治国家では、行政処分の法適合性が制度的に保障されているから、行政活動は行政処分を通じて行われるのが正道であり、これによって公益が実現されると同時に国民の正当な権利が保護される仕組みになっている。 |
| |
| ●行政処分に代えて、行政指導という行為形式で大部分の行政活動が行われるとすれば、前述のような、行政処分に対する関係では有効に働いていた法的統制の枠組が外れてしまう結果となろう。 |
| |
| 行政機関にとって行政指導の方式が有利なのは、時間や経費が節約できるというだけではない。最大のメリットは、相手方が任意に服従する形をとるために、仮に行政指導の内容に違法不当な点があったとしても、後日、相手方にとっては行政争訟や国家賠償請求の形式で行政側の責任を追求することがむずかしいという点にこそある。 |
| |
| 行政指導が法治主義の空洞化をもたらすとか、一般権力関係と考えられてきた分野にいわば法律によらざる行政が妥当するようになっているとか指摘されているのは、このような意味においてである。 |
| |
|
はじめて学問上行政指導という用語を使用したといわれる林修三氏によれば、それは、行政機関がある行政分野に属することがらについて、法令の執行、適用として特定の個人、法人、団体に強権的に命令、強制したり、又は●任意的ではあるが法令の根拠に基づいてそういう者に対し指導、勧告、助言などをするのではなく、法令の根拠に基づかないで、行政機関として、このようにしたい、ありたいと希望し、願望するところを、相手方の自発的な協力、同意の下に実行するように働きかけることである。 |
| |
| この定義によれば、行政指導の特質は、(1)主体が行政機関であること、(2)対象事項が公行政に関するものであること、(3)法令上の根拠を有しないこと、(4)特定の相手方に対するものであること、(5)相手方を拘束しない任意的なものであること、(6)行政機関の希望する方向へ相手方を誘導するものであること、にあるといえよう。 |
| |
| この林説を念頭においたうえで
現在入手できる行政法の概説書・研究書に発表された各研究者による行政指導の定義を列挙してみると次のとおりである。 |
| |
| (阿部泰隆)行政が行政目的を達成するために、相手方の任意の協力を求める行政手段 |
| |
| (新井隆一)行政機関が、その権限に属する公行政に関する事項について
行政権行使の主体の相手方に対して
その意図する行政秩序を実現するための協力的行為(作意・不作為)を求める願望の表示としての非強制的な事実行為 |
| |
| (市原三郎)行政機関が、その所掌事務に属することがらについて、特定の個人等に非権力的・任意的手段を持って働きかけ、相手方の同意又は協力の下に、行政機関が望む一定の秩序の形成を目指してこれらのものを誘導する、法的効力をもたない一連の事実作用 |
| |
| (今村成和)行政機関が、相手方の同調を求めて働きかけ、それによって、行政機関の意図するところを実現しようとする作用 |
| |
| (兼子 仁)法的拘束力をもたず相手方の協力によって行政目的を達する非権力行政の一種 |
| (斉藤 寿・梅木 崇)略 (田中二郎)略 |
| |
| 以下省略 |
| ●判例 |
| 東京地裁判例昭和52年9月21日 行政主体が行政目的を達成するため |
| 関係当事者の任意による協力、同意を得て・・・働きかける事実行為 |
| 同一酷似の判例 |
| 東京地裁昭和54年10月8日 |
| 浦和地裁昭和56年4月22日 |
| 大阪地裁昭和58年9月29日 |
| 京都地裁昭和59年1月1日 |
| 大阪地裁昭和60年5月24日 |
| 外多数の判例がありますが紹介は割愛させていただきます。 |
| |
| * 関 哲夫『行政指導』現代行政法学全集 bT |
| 出版社=ぎょうせい より |
| 掲載日 98年7月4日 |
| |
|
| |
| 行政書士は官に対峙できるか?貴方は民のための仕事ができるか? |
| |
| そのために行政救済法があります。→ こちらをクリックして下さい! |
| |
| ■行政書士法 ■行政事件訴訟法 ■国家賠償法 ■行政手続法 ■行政不服審査法 |