歴史を語る機械:豆カメラ


左:Rubix16、右:Tone

海外通販のページを眺めると、Subminiatureというカメラカテゴリーがよく設けられています。
これはフィルムの幅が24mm未満のカメラのことで、ここに挙げる日本製の「豆カメラ」などもそこに含まれ、一緒に売られていることが多いです。
豆カメラで一番有名なのが「Hit」というタイプで、とにかく安価に大量に作ることを前提にしたトイ・カメラという位置付けです。
敗戦後の進駐軍がよくお土産に買っていったそうです。
もちろん、当時の日本人はといえば、カメラどころかその日その日をどうやって生きていくかに精一杯だった時代でしょう。

豆カメラの中でも、「Hit」タイプとは異なり、メカニズム的にきちんとした写真機の体裁を持って製品化されたものもありました。
ここに挙げる2つのカメラ、Rubix16とToneがそれで、どちらも戦後復興期に外貨獲得のために主に海外向けに作られたものです。
国内よりも海外の方が入手しやすいのもそのためです。

Bolseyも小さいカメラだけど、そ れよりもはるかに小さい!

最初は面白半分で購入したのです。Minoxの日本版?みたいなノリで。
しかし、実際にこれらのカメラを手にしてみると、色々な思いが去来するようになりました。

とりあえずスペックから。
 
トーン(1948年、昭和23年)
製造:東洋光機製作所 
発売元:東信貿易(東京都千代田区有楽町)
レンズ:トーンアナスティグマット 25mm F3.5
シャッタースピード:B,1/25,1/50,1/100
羽根絞りでF3.5〜F11可変
使用フィルム:裏紙付き17.5mmフィルム
発売当時の値段:1950円
特徴:反射透視両ファインダーを備えた、前玉回転式ピント調節式カメラ。

※上記スペックは、Asaやんの面白ミニ・カメラ博物 館で教えてもらいました。
 感謝です。


 
 
Rubix 16 (1949年)
製造:スガヤ(菅谷?)光機
レンズ:Hopeアナスティグマット 25mm F3.5
シャッタースピード:B,1/25,1/50,1/125
羽根絞りでF3.5〜F16可変
使用フィルム:16mmフィルムを専用スプールに装填

どちらも、豆カメラなのに絞り・シャッター速度・ピントがマニュアル調節できるという凝った作りです。
 
Toneを焦点面から覗いたところ。
ちょっと見づらいですが、羽根絞りがあるのがおわかりでしょうか?
遮光塗装もされています。
真中にあるのがシャッター速度調節レバー
爪の先でプチプチと操作します。
右側にあるのがシャッターチャージ、左がシャッターレバー
下にある小さいのが絞り調節
黒い帯状の部分から上がピント調節部分で、全体がヘリコイド式で回転します。
ピント調節機構が付いている豆カメラは少ないですが、これによって開放絞りF3.5が活きてくるわけです。

量産された「Hit」タイプのカメラは、ほとんど絞りがf11固定、1/30s単速シャッターです。
 

ボディ裏の開閉式の小窓は、フィルムの裏紙部分に印刷された数字を読み取るためのもの。
ここを見ながらフィルム送りをします。
窓自体はオレンジ色のセルロイドのようです。

ファインダーは只の穴ではなくて、ちゃんと倍率がかかっています。

面白いのが、透過反射式のライトアングルファインダーが付いていること。

時代背景から言って、遊び心で付けたというよりは、いかに付加価値を高め、魅力的な商品とするかを真剣に考えた結果なのでしょう。
細部まで手抜きなく作られた素晴らしい製品だと思いますし、メーカーが本気で取り組んだ気合のようなものを感じます。

後から手に入れた、元箱入りの貴重なセット
きちんと保管してくれていたアメリカ人に感謝しなければなりません。

革ケースの作りも手抜きがなく、素晴らしいです。
説明書も入っていました。薄い油紙のような頼りない紙質でしたが、なかなか興味深いで す。
「Made in Occupied Japan」(占領下日本製)の刻印が巻き上げノブの上にある。
1945から1952年までの間、日本は米国の占領下にあり、輸出品はこのように製造国を屈辱的に名乗ることを義務付けられていました。1952年までと いうのはずいぶん長い年月に感じます。
  (その後も国内に米軍基地はずっと残り続け、何かにつけて米国の顔色を伺う現在の日本も、実質的にはいまだに占領されているようなものかもしれません が。)

私が生まれる前のことであり、実体験としての実感は沸きませんが、このカメラは時代の証人として生き残っているわけです。
この製品に携わった日本人は、当時どのような思いで居たのか、どんな場所や設備でこれを作ったのか、あれこれと想像をしてもなかなか浮かんできません。
なにか、形容のできないとてもヘヴィーなものを感じ、もやもや気分が消えません。
今度、このカメラを持って行き、当時を知る人に色々なことを聞いてみようかな?

Made in Occupied JapanでWebで検索をかけると、玩具やライター、食器などを紹介しているページがヒットします。
それらを見ても、このTONEカメラのような「高品質」や「高付加価値」は感じられません。
それだけ当時の国内の状況は悲惨なものだったのでしょうけど、だからこそこのカメラの存在感が際立っているように思います。

この後、日本のカメラ産業は欧米のカメラメーカーに追いつけ追い越せ、とばかりに貪欲に技術を取り込みながら発展を続けてきました。
(ものすごく悪く言えば模倣。カメラに限らず、自動車などでも最初は米国から日本は多くを学んだことは事実でしょう)
1950年代にライカM3が発表された時は、そのあまりの完成度にいったんは降参しそうになったものの、やがて一眼レフで世界をリードしていくようになっ たのは有名な話ですね。

インターネットで世界が結ばれるようになった現在、「国家」とか「民族」とか、その概念もどんどん変質していくのでしょう。
しかし、このカメラを手にすると、なぜか「日本」という「国」を強く意識してしまう自分を感じます。

こちらはRubix
専用のスプールに16mmフィルムを装填して使います。
リコーのステキーカメラと同じ方式ですね。
バルナック・ライカのようにフィルムは底面から装填します。
マガジンはぴったりとがたつきもなく収まります。
上から、距離調節リング、シャッター速度調節リング、絞りノッチの順
左下がシャッターチャージレバーで、右下にシャッター
この個体の問題なのか、シャッター速度調節はあまり利いていません。
Rubixの内部機構です(ちょっとブレてしまった)。
スローシャッターがないためガバナーはありませんが、いかにもレンズシャッター機という眺めです。欠落部品でもあるのか、どうもシャッター速度調節の機構 が不明確。
右上のアームが、チャージレバーの戻りを抑える働きをすることまではわかったのですが、実際には全然効いていません。
前玉です。
Toneと異なり、RubixのOccupied Japan刻印は張り皮上に施されています。

しっかり三脚穴があるのが面白い。
こちらはファインダーには薄いセルロイド上のフィルムが挟まってるだけで、倍率はかかってません。
操作性はToneよりもこちらの方が良さそうですが、まあ実用性で評価するタイプのカメラではありませんし・・・

  日本は戦争に負け、国土も破壊されましたが(アジア諸国にも迷惑をかけましたが)、こうして立派に復興を遂げたわけです。
一時はエコノミック・アニマルと揶揄され、安かろう悪かろうの象徴でもあった「made in Japan」が、いまや高品質・高信頼性の象徴になったのは我々日本人が誇るべき歴史だと思います。
ただ、今の日本は成熟してしまい、中国・韓国からも経済的に突き上げをくらい、今後の行き場所がなかなか定まらないですね。
内向きの力がグルグルと迷走し、おかしな事件が多発し、閉塞感も漂っています。
やはり、世界に向かって元気に飛び出していく力が求められているのではないでしょうか?このカメラを見るとそんな思いを強くします。

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