第21回〜第40回



第40回 ソーサ違反バット使用で退場処分 (2003/6/06)

皆さんご存じだと思いますが、6月3日にカブスのサミー・ソーサ選手がコルクを芯に詰めた
違反バットを使用したため、退場処分を受けました。
このニュースを聞いたときはまさに 「Say it ain't So,SOSA!」 だったのですが、
いろいろな報道をチェックしてみると、かつてのWシリーズでのブラックソックス事件のような
深刻な事件とは、性格が異なるようです。

もちろん、違反には違いないのですがアメリカには日本にはない、おおらかさみたいなものがあって、
ボールに細工して「魔球」を投げる、バットに細工して成績を上げる、といった行為に対しては、
「笑い」と紙一重の受け止め方もあるそうなのです。
ソーサの知名度を考えるとニュース価値は大きいですが、
「スポーツマン精神の根源に関わる重大事件とは言えない」という受け取り方があることも
事実のようです。

メジャーリーグでは、過去にも違反バット(コルクやスーパーボール入りのバット)使用で、
有力選手が退場、出場停止処分を受けています。
最近では、97年には、ウィルトン・ゲレーロ(同ドジャース)が8試合の出場停止。
94年にアルバート・ベル(当時インディアンス)が、10試合の出場停止(その後、7試合に短縮)
となりました。このほか、87年にビリー・ハッチャー(同アストロズ)、
74年にグレグ・ネトルズ(同ヤンキース)がそれぞれ退場、出場停止の処分を受けています。

アルバート・ベルがコルク・バット使用でご用になったとき、審判が証拠として審判室に持ち帰った
バットを、チームメートが天井から忍び込んで別のバットに取り替える“友情のスパイ大作戦”が
行われたが、これも後で発覚して出場停止処分を受けたなんていう話も残っています。

さて、日本での話ですが、プロ野球選手のバットについては81年以降、コミッショナーによる公認印、
またはシールがついたもの以外は試合で使用できないというルールがあり、
過去に国内で違反バットが発見されたケースはないそうです。

コミッショナー承認を受けた国内バット製造業者は14社あり、5年間有効とされています。
そして、コミッショナーは製造工程検査を随時行っています。
外国人選手らが外国製の未承認バット使用を希望した場合、オープン戦などで審判員が
臨時のバット検査を行い、異常なしと判断すれば公認シールを張るということです。



第39回 場内アナウンサーが退場処分!? (2003/5/30)

先日も近鉄のローズ選手が暴力行為で退場となりましたが、退場処分というのは普通、
監督や選手が受けるものですよね。
この『退場』に関して、1つ面白い話をみつけましたのでご紹介します。

アメリカでの話ですが、1989年7月4日に行われたマイナーのゲームでのことです。
2回表、地元・ミッドランド・エンジェルスの捕手が、ファールフライをネット際で
ぎりぎり捕球したかに見えましたが、主審はファールと判定。
これを見た場内アナウンサーが「私はだまされた。ひどい扱いだわ・・・」という歌詞の歌
(リンダ・ロンシュタット)を流すと、主審は怒って場内アナウンサーを退場処分にしたそうです。
アメリカっぽい話ですよね。

最近、理屈ばかりで読むと疲れると評判のこのコーナー、今回はサラッと読めました?



第38回 レイサム選手の珍プレー (2003/5/22)

昨日(5月21日)の巨人−ヤクルト9回戦で、六回表、一死一、二塁で、左飛を捕った
レイサム選手はアウトカウントを間違え、ボールをスタンドに投げ入れてしまい、
その結果、二塁ランナーがホームインし、同点となるという珍プレーがありました。

これは公認野球規則7・05(g)の「二個の塁が与えられる場合」が適用されました。
同項(1)には、『送球が競技場内に観衆があふれ出ていないときに、スタンドまたはベンチに
入った場合』とあり、今回のケースではレイサム選手がスタンドに勝手に悪送球したと解釈されます。

実はメジャーリーグでも4日前の5月17日、Rソックスvsエンゼルス戦で、
九回一死一、二塁でレ軍のトロット・ニクソン選手が、右飛をキャッチ後、ボールをスタンドに
投げ入れてしまい1点を失うという同じプレーがあり、レ軍は結局、2−6で敗れてしまいました。

余談ですが、スタンドにボールを投げ入れるといって私が思い出すのが、
むか〜しパンチ佐藤氏がTVで言っていたのですが、当時オリックスだったイチロー選手がフライを
捕ったあとスタンドにボールを投げ入れたら「イチローのファンサービスは素晴らしい」
と言われていたので、佐藤氏もまねてみたら、球団から「お前、ボール1個いくらすると思ってるんだ!」
と言われてしまったそうです。



第37回 勝利投手の決め方 (2003/5/16)

先発投手が5回を投げずに降板したときの勝利投手の決め方は?(匿名希望さん)

日本のプロ野球での話になります。

(1)まず、先発投手が勝利投手になる条件としては、5回以上投げ、救援を仰ぐ際に
  得点をリードしている状態で、そのリードが試合終了まで保たれた場合。

これはわかりますよね。
そしてもし、何らかの理由により試合が5回で終了し、かつ、成立した場合は4回で勝利投手の権利を
得ることができます。6回以降に終了した場合は、5回を投げきっていることが条件になります。
しかし、オールスターゲームやオープン戦ではこの最低イニングの条件がなく、救援投手と
同等の扱いとして後述する(3)の方式で決定します。

注:ここで言う「救援を仰ぐ際に得点をリードしている状態」というのは、代打または代走と交代で
  退く際に同点あるいは負けていたが、その回に自軍が勝ち越すか逆転した場合も含んでいます。

勝利チームの先発投手が勝利投手でない場合、救援投手が1人だけなら、その投手になります。
2人以上の投手が投げた場合は次のように決められます。

(2)5回(6回に入る前にコールドとなった正式試合では4回)までもたずに降板した先発投手の
  任務中に奪ったリードが最後まで保たれた場合、リードを保つのに最も有効な投球を行ったと
  公式記録員が判断した投手が勝利投手になります。

(3)ある救援投手の任務中に奪ったリード(代打または代走と交代で退いた回にリードを奪った場合を
  含む)が最後まで保たれた場合は、その投手が勝利投手になります。
  ただしその投手の投球回数があまり長くなく、続いて出てきた救援投手がリードを保つのに
  効果的な投球を行ったと公式記録員が判断した場合、その救援投手に勝ち星を与えられます。

(2)、(3)の場合は、「公式記録員の判断」が入りますが、日本ではこれに関して以下のような
基準があります。
(2) 救援投手の中でもっとも投球回数の多い投手に勝ち星が与えられる。
   投球回数の差が1回未満の場合は投球内容を判断して決定します。
(3)「続いて出た救援投手」の中に言う「その投手」よりも投球回数が1回以上多い投手がいた場合、
   そのなかでもっとも投球回数の多い投手に勝ち星が与えられます。

さて、我々草野球は7イニング制なのですが、この場合の勝利投手の権利については、
リーグ、団体によって4回という規定あったりするようですが、統一されたルールというのは無いようです。
プロのように個人の成績を明確にする必要性があまり無いからなのかもしれませんね。



第36回 ♪Take me out to the ball game♪(2003/5/02)

メジャーリーグで7回のときに歌う歌について詳しく教えて(匿名希望さん)

メジャーリーグでは7回表終了後に「セブンス イニング ストレッチ」というのがあります。
これは観客が一斉に立ち上がり背伸びをしてこれまでの応援の疲れを癒し、
終盤の応援に備えるための休憩のようなもので、試合が長引いた場合は、
延長14回表が終わった時にも行われます。

始まりは、1910年にワシントンで行われた開幕戦で、当時のウィリアム・ハワード・タフト大統領が
立ち上がり背伸びをしたのを見た観客が、まねをしたというのが定説になっているようです。
でこの、「セブンス イニング ストレッチ」で歌われる歌が、
「Take me out to the ball game(私を野球へ連れてって)」です。
(同時多発テロ事件以後、最近ではイラク戦争もあり、アメリカ国民の愛国歌として知られる
「God Bless America」も、歌われているようですね。)

この曲は、1908年に作詞、叙情詩人のジャック・ノーワース、作曲がアルバート・フォン・ティルザー
により作られました。
ジャック・ノーワース氏がマンハッタンの電車に乗っていたとき、偶然に
「本日、ポログラウンドで野球の試合」という広告が目に入り、彼は、プロ野球観戦歴が無かった
のですが、電車に揺られながら即席で歌詞を作成したそうです。
その歌詞を友人のアルバート・ボン・ティルザー氏に作曲を頼みましたが、彼もプロ野球観戦歴が
ありませんでした。ティルザー氏はブルックリンのアムピオン劇場というところで曲を紹介しましたが、
そのときは全く受けなかったそうです。
しかしその後、ジュークボックス用のレコードによって火がつき、たちまち代表的な野球応援歌に
なったそうです。

今回調べてわかったんですが、いつも耳にするのは、サビの部分で実は、もっと長い曲だったのです。
内容としては、Katie Caseyという野球狂の女性がデートに誘われたんだけど野球の方が良いと
言ったというモノなんですが、1927年に新しい歌詞が付け加えられたりして、
2種類の歌詞があるそうです。(女性の名前はNelly Kellyに変ってたりとか・・・。)

この歌を初めて野球場で歌ったのは、1976年にシカゴ・ホワイトソックス球団の名物アナウンサー
だったハリー・ケリー氏でした。
ホワイトソックスのオーナー Bill Veeck が、放送室に内緒でマイクをセットし、ハリーがオルガン奏者に
合わせて大声で歌を歌っているところを球場に流しました。
するとファンたちが、彼と一緒に歌い、ここから毎試合、この曲を歌うようになったとのことです。

〜ささやかな自慢話〜
僕はこの「Take me 〜」というとシカゴのリグレーフィールドで歌うハリーケリー氏の印象が強く、
小さい頃からの憧れだったのです。彼は1998年に亡くなってしまうのですが、
その前年にシカゴに行くことができ、一緒に歌うことが出来ました。
その時は感激のあまり、泣いてしまいましたとさ。


ということで最後に歌詞を全部、載せます。
ちなみに、1年くらい前から私の携帯の着メロはこの「Take me 〜」です。


Katie Casey was baseball mad, Had the fever and had it bad;
Just to root for the home town crew, Ev'ry sou Katie blew.
On a Saturday, her young beau called to see if she'd like to go,
To see a show but Miss Kate said, "No, I'll tell you what you can do".

ケイティ・ケイシーは野球に夢中だった。それもかなりの熱を上げていた。
地元チームを応援するのにケイティはいつも一生懸命だった。
ある土曜日、彼女のボーイフレンドが映画に行かないかと誘ったけど、彼女の答えはこうだった。
「いやよ。でもお願いがあるの。」

Take me out to the ball game, Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and crackerjack, I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team, If they don't win it's a shame
For it's one two, three strikes you're out, at the old ball game.

私を野球場へ連れてって、あの大観衆の中に連れてって。
ピーナッツとクラッカージャックを買ってちょうだい、帰れなくなったって構わないわ、
さあ、ホームチームを応援しようよ!負けちゃったら悔しいけどさあ。
ワン、ツー、スリーストライクでアウトだよ。それが野球ってもんじゃない。


Katie Casey saw all the games, Knew the players by their first names;
Told the umpire he was wrong, all along, good and strong.
When the score was just two to two, Katie Casey knew what to do,
Just to cheer up the boys she knew, She made the gang sing this song.

ケイティ・ケイシーは全部の試合を見ていたし、選手の名前も知っていた。
アンパイアに抗議する彼女は、とても強気だった。
試合は2対2の同点。ケイティ・ケイシーは何をすべきはわかっていた。
選手たちを応援するために、みんなにこの歌を歌わせた。

Take me out to the ball game, Take me out with the crowd.
Buy me some peanuts and crackerjack, I don't care if I never get back,
Let me root, root, root for the home team, If they don't win it's a shame
For it's one two, three strikes you're out, at the old ball game.

私を野球場へ連れてって、あの大観衆の中に連れてって。
ピーナッツとクラッカージャックを買ってちょうだい、帰れなくなったって構わないわ、
さあ、ホームチームを応援しようよ!負けちゃったら悔しいけどさあ。
ワン、ツー、スリーストライクでアウトだよ。それが野球ってもんじゃない。


※実際に球場で歌われるのは青字の部分だけです。



第35回 始球式の最多登板者(2003/4/11)

センバツ高校野球、プロ野球開幕、フジテレビナイター祭り、・・・etc 
野球シーズン開幕ということで、多くの始球式を目にする機会がありました。
(始球式の始まりについては第13回を参照願います)
タレントやアナウンサー、少年野球の選手等、いろいろな人が起用されますが、
日本で、この始球式の最多登板者とされているのが、美濃部亮吉元東京都知事です。(故人)
美濃部氏は、高校野球11回、都市対抗野球12回、プロ野球オールスター戦10回、
日本シリーズ8回で、なんと合計41回も投げたそうです。
しかもこれは10年間での記録だということですから驚きです。



第34回 日本人メジャーリーガーは11人?(2003/4/4)

米大リーグ機構は4月2日、全30チームの開幕日時点の登録選手で米国外出身者が
230人で全体の27.8%を占めたと発表しました。
これは6年連続のアップで、昨季開幕時の26.1%からさらに増えました。

日本生まれの選手は11人で5番目の多さなのですが、
松井秀喜外野手(ヤンキース)、イチロー外野手、佐々木主浩投手、長谷川滋利投手
(以上マリナーズ)、野茂英雄投手、石井一久投手(以上ドジャース)、大家友和投手(エクスポズ)
新庄剛志外野手(メッツ)の8人に、開幕当日の朝にマイナーリーグ行きを命じられた
田口壮外野手(カージナルス)の合計9人のはず・・・
よく見てみると『日本生まれの』というのがミソで、その中に沖縄生まれの米国人選手、
デーブ・ロバーツ外野手(ドジャース)と、ステファン・ランドルフ投手(ダイヤモンドバックス)
が入っていました。

ちなみに出身国で最も多いのがドミニカ共和国で79人。以下、プエルトリコが38人、
ベネズエラが37人、メキシコが17人となり、その次に日本となります。



第33回 「センバツ」はなぜカタカナ?(2003/3/28)

選抜高校野球のことを「選抜」ではなく「センバツ」と表記されます。
「春はセンバツから」というコピーが、昔ありましたが、これは、主催の毎日新聞社が
「センバツ」というブランドをつくろうとしたことから始まりました。
たしかに「選抜」という普通名詞では高校野球を特定できないですよね。
そしてこの「センバツ」というのは、毎日新聞社が商標登録しています。



第32回 柳川事件 (2002/12/20)

弟27回「元プロ選手の再入団」の中に出てきた『柳川事件』ってなに?(匿名希望さん)

プロアマ関係が悪化する契機となった事件です。
1961年、プロ野球はプロ退団者の登録時期や人数に関する協約の変更を社会人に要請します。
しかし、社会人側がこれを拒否。対するプロ側は4月に日本社会人野球協会(現日本野球連盟)
と前年まで締結していた協約締結拒否を決定します。
これによりプロと社会人とは無協約の状態となり、この直後に中日が日本生命・柳川福三外野手と
突然、契約を発表します。
この一方的なプロ側の行為に対して社会人側が態度を硬化し、怒った社会人側は
5月の緊急理事会で同年11月12日以降にプロを退団した選手の社会人への選手受け入れを
拒否することを決定します。これが『柳川事件』です。

またその後、『プロ野球の監督・コーチ・選手の転入は一切認めない。
その他の関係者(球団職員等)だけは例外として、資格審査室で認められた場合のみ
社会人チームに関係出来る。又、短期間のみプロ球団の監督・コーチ・選手からコーチを
受けることを許可していたが、今後は一切認めない。』とする『断絶宣言』がその年7月の理事会で
決定、両者の関係は暗黒の時代に入っていきます。

・・・と、この原稿作成中の12月17日付の新聞に
『プロアマ交流完全OK−断絶の象徴「柳川事件」規約から削除−』
というタイムリーなニュースが載っていました。
12月16日に行われた日本野球連盟の定例理事会でプロとアマの関係者を区別する規定を見直し、
原則的に廃止する方針を決定したそうです。
これにより『柳川事件』以前の状態に戻り、垣根が取り払われます。
さらに、これまでプロ関係者・退団者が指導を行う場合に必要だった届け出の義務も廃止することも
決定し、いつでも社会人チームの臨時コーチができるようになることも決まりました。
「プロとアマの関係は今後、さらに良好で密なモノになる」とありました。

ちなみにこの柳川さん、選手としては在籍5年間で144試合に出場し、
193打数39安打2本塁打の打率.202ということで、パッとしなかったらしく、
入団時の事件でのみ球史に名を残すという、チョット気の毒な人でした。



第31回 代理人制度 (2002/12/13)

今回は、代理人制度メジャーリーグの文化の一つであるとすらいわれる『代理人制度』についてです。
代理人というのは、1960年にゴルフ好きの弁護士マーク・マコ−マックが、
プロゴルファーのアーノルド・パーマーと出会い、契約や商品開発の代理人をはじめたのが
きっかけなのだそうです。
(その後、IMG(インターナショナル・マネージメント・グループ)という会社を設立します。IMGは順調に成長し、現在では25カ国に60以上の拠点を持っており、タイガーウッズなど、数々の有名選手の代理を請け負っています。)

メジャーリーグでは、1974年、20勝を挙げたドジャースのメッサースミス投手と球団との契約が難航。
更改しないまま、翌年もプレーし、結局ドジャースは同投手の保有権を失います。
この出来事が、選手の移籍の自由を認めるフリーエージェント(FA)制度導入に結びつき、
弁護士のマービン・ミラー氏が代理人として初めて契約にかかわったとされています。
代理人というと契約交渉をするだけのような印象がありますが、その他にも、肖像権や税金の管理、
選手のスケジュール管理、練習場の確保から場合によってはレストランの手配まですることが
あるそうです。
選手は、これらのことを代理人にしてもらうことにより、トレーニングや試合に集中できる環境を
得ることができるわけです。

報酬は、代理人がその選手と契約するときの基本報酬と契約交渉などのときの成果による
成功報酬があり、成功報酬は規定でその契約額の5%と決められています。

代理人になるには、特に厳格な規定はなく、選手会の認定さえあれば良いとされ、
資格や学歴は不要で、犯罪歴が問われる程度だそうです。

また、スポーツ大国のアメリカでは代理人業務が大きなビジネスに成長しており、
個人で代理人業務をする人もあれば、IMGなどのようにマネージメント会社もあります。
メジャーリーグの選手と多く契約をしている有名な会社としては、100人近い選手と契約する
「スピーカーズ・スポーツ」や「CSMGインターナショナル」があります。
(日本人では、団野村氏が有名ですよね。)

日本プロ野球では、まだなじみの薄い制度で、日本プロ野球選手会のねばり強い働きかけにより、
2000年度の契約更改交渉より、日本プロ野球選手会公認代理人制度を実施することになりました。
(この年は試験的な導入)
そして、代理人は弁護士に限られています。



第30回 ストーブリーグって?  (2002/12/6)

なぜ、プロ野球のシーズンオフのときのトレードやFAなんかの話題のことを『ストーブリーグ』というの?
(匿名希望さん)


きっかけは、1900年、アメリカ・シンシナティのレム・ムルフォード記者の『ホット・ストーブリーグ』
という名前のコラムなのだそうです。
現在は、シーズンオフ中の話題をすべて『ストーブリーグ』と言っていますが、
もともとは、冬のオフシーズンに、ストーブを囲んでファンがその年のシーズンを回顧することという
意味で、契約更改でストーブ・リーグの火が燃え上がるとかいうのは微妙に意味が違うようです。



第29回 アオダモ (2002/11/29)

先日、松井秀喜選手が来季から使うメジャー用のバットを発注した、というニュースがありましたが、
その中で、材質についてはアオダモ・ホワイトアッシュ・メイプルの3種類を試すということでした。
木製バットの材料としては、日本では約8割が北海道産のアオダモなのだそうです。
アオダモバットの特徴としては、木の年輪が細かく粘りがあってしなりやすく、耐久性が大きい
(ホワイトアッシュの3倍)と言われています。
材料を選ぶのは、好みの問題となってきますが、日本人は一般的にしなりを生むアオダモを使う選手が
多いとのことです。

この世界一のバット素材といわれる北海道の天然林育つアオダモですが、
バット材となるには70年以上かかり、そしてこれまで植林がほとんどされていませんでした。
そのため、保護をしながらの計画伐採で資源量維持がされてきましたが良いものを長期的に
供給することが難しい状況となってきているそうです。
そこで今年、特定非営利活動法人(NPO)「アオダモ資源育成の会」という組織ができ、
里山に植林し良質なバット素材の育成し、バット材を野球界に長期安定供給できる体制を
作るべく募金などの活動をしています。

「アオダモ資源育成の会」URL
http://www.aodamo.net/ 



第28回 身分照会とは? (2002/11/22)

プロ野球も今はストーブリーグ真っ盛りですが、来季に向けての戦力補強の一つに
新外国人選手の獲得があります。
この時に『○○球団は、外国人選手○○の身分照会をコミッショナー事務局に対して行った』
というニュースを聞いたりしますが、この身分照会というのは、どういう手続きなのか?
今回はそれを簡単に説明します。

まず、日本の球団が外国人選手の名前と現所属球団名をコミッショナー事務局に連絡します。
                    ↓
メジャーリーグのコミッショナー事務局にEメールで以下のように問い合わせます。
One of our culbs is requesting a status check on ○○ (選手名) of ○○(球団名).
Please respond to us about his status.
(ある日本球団が○○球団の○○選手の身分照会を依頼しました。回答をお願いします)

※日米選手契約協定により、問い合わせ球団は知らせないことになっていて、
  照会依頼に対する返事は、4業務日以内にすることになっています。
                    ↓
メジャーリーグのコミッショナー事務局からは以下の3種類の回答が届きます。
(1)○○選手は、現在フリー・エージェントです。直接交渉することは自由です。
(2)○○選手は、現在○○球団の支配下選手ですが、交渉に応じる用意があるとのことです。
   ○○ 球団の担当者○○に電話して下さい。
(3)○○選手は、現在○○球団の支配下選手であり、○○球団は交渉に応じないとのことです。
                    ↓
この回答を受けた日本のコミッショナー事務局が、照会を依頼した球団に知らせます。
そして回答が(1)、(2)の場合、その球団の渉外担当者が交渉を始めるというわけです。

この制度は、メジャーリーグから提案された制度だそうで、1967年10月17日の協定調印以来、
基本的なルールには変更がなく今日まで続いているのだそうです。



第27回 元プロ選手の再入団 (2002/11/15)

昭和36年の「柳川事件」以来、絶縁状態にあったプロと社会人ですが、
現在ではプロ退団者のアマ復帰が認められるなど、以前にくらべるとかなり垣根が低くなり、
今、プロ退団者のアマ新規・再登録者は、70人以上となっています。
最近、マスコミで一番大きく取り上げられたのは、選手としてではありませんが、
野村克也氏のシダックス監督就任でしょう。休部、廃部が相次ぐ社会人野球ですが、
「大物監督の社会人入りが実現すれば、戦いぶりも人気面も変わってくる。」
と、社会人野球全体の活性化に向けて期待が掛かっているようです。

さて、選手の話ですが、
日本野球連盟は99年より「プロ野球退団者の競技者(選手)登録に関わる内規」というのを設け、
プロ退団者に関する細かい規則を定めています。
そして、これまではプロ退団者が社会人を経て再びプロに再入団することは
認められていませんでしたが、規約改正により今年2月から認められるようになりました。

プロ退団者が社会人チームに登録される条件は
「自由契約選手のみとし、前年12月31日以前に(プロ球団を)退団した者に限る」とされ、
1チームあたり2人以内に限られています。
また、このプロ退団者が社会人を経てプロに再入団することについては
「登録後のプロ再入団は(日本プロフェッショナル野球機構構成球団に限る)、
監督、コーチ等の場合を除き、選手としての再入団を2年間認めないものとする」
と規定されています。

そして先日、元プロ選手の再入団第一号が誕生しました。
元西武で、現サンワード貿易の渡辺孝男捕手(28)の日本ハム入団です。
渡辺選手は2000年オフに西武を自由契約となり、その後は社会人のサンワード貿易(札幌市)で
プレーしていました。
今季は捕手難に泣かされた日ハムですが、2004年から札幌に本拠地を移す日本ハムの
地元密着という方針も追い風となり、札幌篠路高出身で地元社会人チームからの出戻りとなる
渡辺捕手獲得は、話題性十分といわれています。

そして、自由契約選手ですのでドラフトの対象とはならず、契約をすることができます。
ちなみに渡辺捕手は、契約金はなしで年俸は900万円(もちろん推定)だそうです。

このニュースはあまり大きく取り上げられませんでしたが、
現役引退後、社会人野球に転ずる選手は珍しくなくなったとはいえ、
プロに戻るのはと初めてのケースいうことで、プロアマの壁に一石を投じる復帰劇といえ、
また、プロを引退したアマ選手の励みにもなるといえる大きなニュースではないでしょうか?



第26回 ユニフォームのクリーニング (2002/11/8)

前回のビールかけネタからの流れになるのですが、このときによく出る話の1つにユニフォームの
洗濯ついてというのがあります。
(最近はユニフォームではなく記念のTシャツなんかを着てやることが多いですが・・・)
ということで、日本のプロ野球で、ユニフォームの洗濯はどうしているのか?という話です。

各チームともそれぞれの業者と契約しています。
業者の人のコメントで
「やはり担当している球団の応援をしていますし、ビールにまみれたユニフォームを洗濯できるのは
光栄です。」 みたいなものを聞いたことがありますが、
通常は、試合終了後に引き取られ翌日の試合に間に合わせるのだそうです。
この洗濯代が大変で、1シーズンに1億円というのが相場とかで、そこで、何とか合理化できないかと
以前、12球団共同出資によるクリーニング会社の設立という計画が持ち上がったそうです。
しかし、いろいろ計算したところ、あまり節約にならないということで、この計画は見送りになりました。

うちも来春は、優勝してビールまみれになったユニフォームをマッカチンクリー二ングに
洗濯してもらいましょう!(もちろんタダで)



第25回 ビールかけはいつから? (2002/11/1)

実はこのネタ、タイミング的にも日本シリーズ終了直後に出そうと思い、前々から調べていたのですが
「これだ!」という資料等が見つからず「多分これだろう」というレベルの話になります。ご注意を!

まず、日本の話ですが、いろいろ調べてみると昭和34年に南海ホークスが日本シリーズで
勝ったときに行ったのが最初というのが、一番有力のようです。
この年は杉浦投手が4連投4連勝した年ですが、メジャーリーグのシャンパンファイトをまねて、
穴吹選手がはじめたとのことです。

では、日本がまねたと言われるメジャーリーグのシャンパンファイトですが、
これに関してが、全くわかりませんでした・・・
ただ、メジャーリーグもモータースポーツの表彰式で行われるシャンパンファイトをまねたのだろう
という話があり、じゃあモータースポーツの世界では、いつどこではじまったのだろう?というと、
いつかはハッキリしないのですが(60年代らしい?)ル・マンの表彰台で行われたのが
最初らしいのです。

ということで、
ル・マンの表彰式でシャンパンファイトがはじまった。
           ↓
その後、その他のモータースポーツやメジャーリーグでも広まった。
           ↓
それを日本のプロ野球でも昭和34年の南海ホークスがまねた。

ということのようです。

日本でビール以外をかけあったチームとしては、ダイエーの「優勝水」というオリジナルの炭酸水や、
一昨年の巨人が長嶋監督の意向で「ブランケン・ブリュット」という1本7000円もする
フランス産シャンパンを1500本も使った。などがありますが、
それらよりも前に、我がへるしぃずの「つぶつぶオレンジ」(その後、禁止となった)があります。



第24回 草野球の秘密兵器!? (2002/10/25)

今、軟式野球で話題となっている「ビヨンドマックス」というバットをご存じでしょうか?
これは、ミズノから発売された新製品で、8月に発表されたときに新聞やテレビのニュースでも
取り上げられ、私も目にしました。

宣伝によると、『このバットは打球部に高反発素材(エーテル系発泡ポリウレタン)を採用することで、
打撃時に軟式ボールの変形量を抑え、かつ高反発素材(発泡ポリウレタン)の復元力を付加し、
軟式バットで、初めて「飛距離の違いが分かる」高反発バット』・・・・・なのだそうです。

もう少しわかりやすく言うと、軟式ボールは柔らかいためバットに当たったときに大きく潰れてしまい、
硬球に比べるとエネルギーロスが大きい。
よくプロ野球選手が軟式を打つとあまり飛ばないというのは、スイングが速すぎてボールが
潰れすぎるのが原因とかいわれてますよね。
そこでバットの打球面を柔らかくして (手で押しても潰れてしまうくらい柔らかいらしい。)
ボールの変形を押さえ、さらに、へこんだバットの復元力もボールに伝え遠くに飛ばそうという、
今までにはない考え方のモノらしいのです。
飛距離が約8%、6mも伸びるとかで、今、かなり売れているらしく、お店によっては11月入荷分も
すでに予約で完売しているとか、ヤフーのオークションでも定価以上で取引されています。

いろいろな草野球のホームページでも結構、このバットのことが話題になっていたりして
私も食いつきそうになってしまったのですが、まず値段が高い!定価で25000円もするのです。
あと、重心がトップバランスで720gというのは、僕には少々重いです。

誰か、買ってみてくださいな。

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http://www.mizunoballpark.com/beyond_max/index.htm



第23回 日本シリーズまでの間延び (2002/10/11)

日本のプロ野球は両リーグの優勝も決まり、現在は消化試合をしている状態です。
個人タイトルやAクラスを賭けての戦いというのもあるのですが、リーグ優勝が決まってから
日本シリーズまでの期間が長すぎ、この『間延び』を指摘するファンの声などが
最近の新聞やインターネット上でよく見られます。
これは、今年は両リーグとも首位チームが独走してしまい早くに優勝が決まってしまったことや、
メジャーリーグはすぐにプレーオフが始まることと比べてしまうことなどが原因でしょう。

日米の違いですが、日程の組み方としては、日本はレギュラーシーズンと日本シリーズの間に
2週間ほど余裕を持たせていて、その間に雨天等で順延されたゲームを組み入れるように
しているのに対してアメリカは、プレーオフ進出が決まると残り試合をキャンセル出来る制度があります。

個人記録の公平性とか、放送権やチケットの関係など問題はあるのかもしれませんが、
アメリカのようにすぐにプレーオフが始まるのはイイですよね・・・って思うのは私だけでしょうか?



第22回 何故、『タコ』? (2002/10/4)

何故、ノーヒットのことを『タコ』というの?(匿名希望さん)

「相手投手に骨抜きにされた状態をタコに例えた」というのが一番有力な説のようです。



第21回 自責点 (2002/9/18)

先日(9月15日)見事、完封勝利を収めたPKの旦那さんから防御率の出し方について、
質問がありました。

防御率とは、ピッチャーの自責点が1試合あたり何点になるかを表すもので、
自責点×9÷投球回数 で計算をします。
計算式自体は簡単なものですが『自責点』、これがなかなか難しく正確に判断できる人って
あまりいないのではないでしょうか?ということで、今回は『自責点』についてです。

普段何気なく使っている言葉で、何となくはわかっているつもりだったのですが、
あらためて調べてみると奥が深く、実は自分はよくわかってなかったのだなと思い知らされました。

まず自責点とは、簡単に言うと、投手が自分の責任によって失った点
更に言うと自分の責任で出した走者が自分の責任で本塁に生還して与えた点のことですが、
この「自分の責任」のところで様々なケースがあります。
難しいのは、どういったケースがその投手の自責点にならないのかであり、これを整理してみます。

(1)投手の責任ではない走者による得点

・失策による出塁 ・打撃妨害による出塁 ・走塁妨害による出塁 ・前の投手が残した走者

これらの走者が得点しても、その時の投手の自責点にはなりません。
なお、失策による出塁には投手の守備上のミス(落球や塁への悪送球など)も含まれます。
また、前の投手が出した走者が封殺などによって入れ替わった場合も現在の投手の自責点の
対象にはなりません。また、出した走者が投手の投球上の責任(安打、四死球)によるものであっても、
得点に至るまでの過程で守備上のミスが絡んでいる場合には、自責点にならない場合があります。
(なる場合もある)次のようなパターンです。

(例1)自責点にならない場合
Aがヒットで一塁に出塁し、Bの二塁ゴロエラーで二進。C のセンター前ヒットで得点。

(例2)自責点になる場合
Aがヒットで一塁に出塁し、Bの二塁ゴロエラーで二進。C の右中間三塁打で得点。

例1のケースでは、エラーによる進塁がなければ得点されていませんが、
例2のケースではエラーによる進塁に関係なく得点されていたという判断に基づくものです。
なお、例1のケースで投手の暴投(投球上のミス)で二進した場合は自責点になります。

(2)得点の直接的な原因が投手の責任ではない場合

(1)と同様の守備上のミスにより走者が生還して得点となった場合には自責点はつきません。
この場合、走者が投手の責任による走者か否かは関係ありません。
ちなみに次の要因により得点された場合は自責点がつきます。
・犠牲バント ・犠牲フライ ・四死球 ・野選 ・刺殺(ゴロ、フライ) ・ボーク ・暴投

(3)アウトにできる守備機会が既に3回あった場合

この場合、エラーがなければチェンジになっている訳ですから、その後の失点は投手の責任ではない
ということです。 ただし、回の途中で投手交代があった場合は、救援投手は
(3−登板時のアウトカウント)回のアウトにできる守備機会があるまでは自責点の対象となります。
ということで例えば、二死からエラーでランナーが出て、この後どんなにメッタ打ちされて
何点取られようが、投手には一切自責点は付かないのです。
「エラーがなければそのイニングは終わっていた」という考え方です。
ですから、防御率がいいから良い投手というのは言い切れない部分もあるというわけです。

あと、日本とアメリカでは、自責点の付け方に違いがあります。
日本では点が入った時点で、それが投手の自責点になるかどうかが「確定」してしまいますが、
アメリカではそのイニングが終わるまで「保留」されます。つまりその後の状況を見るわけです。
例えば、ランナー3塁で、捕手がパスボールして3塁ランナーがホームインしたとします。
これは投手の責任ではありませんから、日本だとこの時点で、この1点は投手の自責点ではない
という事が確定してしまいます。たとえこの後ヒットが出ても関係ありません。
ところが、アメリカでは、この後ヒットが出れば、「パスボールがなかったとしても点が入っていた」
と考えて投手に自責点が付くのです。

ただでさえ、ややこしい内容なのにこうやって文字にして表すとホントに小難しくなってしまいますね。
最後まで読んでくれた方、お疲れ様でした。




 
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