私的漫画史

序章


私が、初めて自分の意思で漫画を購入したのは、小学校2年の1月だ。モノは「コミックボンボン」、単行本ではなく雑誌である。

それ以前に意識して読んでいた漫画があるとすれば、学研の「学習」と「科学」に連載されていた漫画ということになるだろうが、さすがに記憶にない。

「ボンボン」を購入したのには、明確な目的があった。

時代はちょうど第1次ガンプラブーム。私もご多分に漏れず、ガンプラジャンキーの一人だった。その頃のボンボンには、「ガンプラ改造」系の企画が目白押しだったので、それ目当てで最初の1冊を購入したのである。

そのファーストコンタクトの時、私の興味を引いた漫画があった。「プラモ狂四郎」である。第1話だった。この漫画は昭和57年2月号からの開始なので、小学2年の1月が初めて購入した時となる。

有名な漫画なので説明の必要もないだろうが、自分が作ったプラモデルを使って、バーチャルスペース(その頃はこんな言葉もなかった)で戦うというものだった。「プラレス三四郎」や最近では「エンジェリックレイヤー」なんかを思い浮かべてもらえばいい。

この漫画にハマッたのが、私の堕落の輝かしい漫画人生の第1歩だったといえるだろう。

その頃のボンボンには狂四郎以外にも、CMをパロっていた「レッツゴーしゅんちゃん」や、ポケバイの漫画、ハルクホーガンをパロった漫画(ここら辺、記憶曖昧です。分かる方ぜひ教えて下さい)などがあり、それこそ毎号端から端まで読み漁ったものだ。
だが、その熱も小4くらいで一時引く。ガンプラが廃れ、私の興味もファミコンやサッカーへと移っていったからだ。

小3から中学になるまで私の回りの漫画(単行本)といえば、地域クラブで続けていたサッカーの影響で買っていた「キャプテン翼」だけ。その他の漫画との接点は、友達から借りて読んでいたジャンプだけである。それも惰性で読む程度で、ジャンプの本当の黄金期を、実はリアルタイムでは知らないのかもしれない。

本格的に漫画読み人生に堕落踏み出したのは、中学2年の頃。当時仲の良かった友人の家に泊まりに行った時、その漫画と出合った。

「めぞん一刻」である。

その日、友人が眠る直前に渡してくれたその本を、友人が眠ったあとちょっとだけ読むつもりだったが、気がつけば朝。一睡もせずに、いや一睡も出来ずに全15巻を読破していた。

翌日にはわずかにしていたお年玉貯金を全額おろし、「めぞん一刻」と「うる星やつら」の全巻を購入した。87か88年のことだ。

ここからはもう、ありとあらゆる漫画を読んだ。

漫画の知識では周りの誰にも負けなくなるのに、そんなに時間を要しなかった。そして今、蔵書5000冊を数えるにいたる。

えらい長い前置きになったが、序章で言いたかったのは、自分がリアルタイムで語れる漫画のことは、せいぜい80年代後半のジャンプ黄金期からであるということだ。それ以前のことは各種文献からの引用であるので、了承するように。

 

第1章 ジャンプの功罪


ジャンプ黄金期の漫画をちょっとあげてみよう。

「Dr.スランプ」「ブラックエンジェルズ」「北斗の拳」「キャプテン翼」「こち亀」「ハイスクール奇面組」「キン肉マン」「キャッツアイ」「ウイングマン」「きまぐれオレンジロード」「聖闘士星矢」……

スゲエ。あらためて思うがスゲエ。

これほどの漫画が、1時期の雑誌に全て収まっていたと考えると、ホントにスゲエ。各漫画の出来、不出来はともかく、私らの世代(20代〜30代)のほとんどの人が、少なくともこれらの漫画の半分くらいは知っているであろう。それだけでも十分に異常なことだ。

ジャンプ黄金期をいつととらえるか、これだけでも一論文出来てしまうだろうが、ここでは簡単に80年代後半から90年代前半とする。総じて、この頃の漫画はどのようなものだったのか?

有名な夏目房之介氏の著書「マンガの力」の「はじめに」の中で、漫画の60年代を「思春期」、70年代を「成人」、80年代を「成熟した壮年」と例えている。さらに、80年代を「落ち着いてしまって、ハラハラするような刺激的な仕事は少なくなったが、安定した能力を持ったのだ」と続けている。

夏目氏の指摘は、全く正しいのだろう。

私たちが60年代、70年代の漫画を手にする機会はあまり多くないが、60年代の代表的な漫画を上げれば、「鉄人28号」「サイボーグ009」「8マン」「巨人の星」「あしたのジョー」「火の鳥黎明編」といったとこだろうか、加えるならつげ作品も60年代である。

これらの漫画は今読めば確かに古臭いが、それでも十分に鑑賞に堪える「作品」である。もちろん凡作も山のように作られたはずだから、まさしく成長期だったのだろう。

70年代の漫画は、「花の24組」と呼ばれた大島弓子、竹宮恵子、萩尾望都らの文学性の高い少女漫画、永井豪やジョージ秋山らの実験的漫画、ドラえもんも70年に始まっている。これらの作品を見るだけで、漫画の基本は70年代にはもはや完成されていたとみていい。

それでは80年代の漫画は何なのだ?

代表的とも言えるジャンプ黄金期の作品は、単純に面白い。が、完成度という点では、キン肉マンやキャプ翼の例を見れば分かるように、高いとはいいがたい。特徴的に、切り取って断片で見れば面白いのだが、作品全体で見たときに尻すぼみにつまらなくなる。これは他の作品を見てもそうだ。

理由はそんなに難しくない。それらが『エンターテナー』であることを、極限まで要求された時期の漫画であったからだ。

80年代の漫画の一番大きな現象は、漫画が出版社だけのものではなく、主にTV業界の大きな商品になったことだ。面白い漫画は、アニメになりTVで放映されるのが当たり前となった。TVの宣伝効果で、単行本はそれまでの10倍して売れ、多くのキャラクターグッズは、版権で莫大な富を生み出す。

漫画は、“作品”であること以上に“商品”であることを求められた。作品としての“完成度”よりも、その時その時で面白い“エンターテナー”であることを宿命付けられたのだ。

そのもっとも顕著な例は鳥山明の名作「ドラゴンボール」だと思う。

ピッコロとの戦いまでのドラゴンボールは、まさに神作であった。少年漫画の完成形である。

だが、そこから先、実に悲しい運命をたどる。サイヤ人以降の話は、明らかに編集部からの要請で作らざるを得なかったものだろう。人気のある作品は、もはや作者の手を離れ、自由に終わらすことも出来なくなる。もしそれがなくなれば、出版社も、TVも、キャラクター販売も大きな打撃を受けるから、ありとあらゆる手で存命させられる。

それでも鳥山はその才能をもって、このいとし子を上手くまとめようと必死に作品を作る。が、フリーザ、人造人間、セルと新しい展開になるたびに苦しくなってくる。が、作品としては大分壊れても、その時々の派手な戦いと魅力的なキャラクターだけで、人気は続いた。悟空は無限に強くなり、敵と戦い、戦い、戦い……。作者にとってもまさに拷問だったろう。積んでも積んでも終わらない賽の河原みたいなものだろうから。

そして作品は壊れた。悟飯のサイヤマンで作者としての最後の抵抗を見せるも、もはやそれでは誰も納得しなかった。

戦え!戦え!戦え!

……その声で、ボロボロになった悟空はまた戦わなきゃならなかった。だが疲れ切った彼には、再び戦う力はなかった。

そして神の作品は、そこらの凡百の作品以下のエンディングを迎える。アレを見たとき、多くの漫画読みが涙しただろう。感動にではない、めちゃめちゃに陵辱されたその作品があまりにも憐れで。

その他の作品にも、大なり小なり同じような現象が付きまとった。ジャンプ黄金期の漫画は、作品としてではなく、商品としての価値をこそ求められたのだ。
だから、誰にでもわかる類型化されたパターン、派手な演出、一話ごとの盛り上げこそが何より大切であり、それが漫画家に強要された。思えば時はバブル期と同調する。富こそが正義であり、誰もが同じ物を追い求め、派手を好む風潮が蔓延し、そのときの快楽のみを追った。

バブルの時代に、漫画も翻弄されたのかもしれない。そして、今でもその傾向が完全になくなったわけではない。

 

第2章 漫画の分化

90年代に入り、時代は平成大不況へと向かっていく。「マス」から「個」へ、全員が一つの価値観を追い求める時代は終わり、個人の価値観が重要視される時代へと流れてきた。

漫画の世界にも同じ事が起こる。

「キン肉マン」「Dr・スランプ」そして「ドラゴンボール」等に代表される、男女の別なく、幼稚園児からお父さんお母さん世代、ともするとお爺ちゃんお婆ちゃん世代まで、誰もが知ってて共通の話題となりうる『国民的漫画』がなくなった。

替わりに台頭を始めたのはコミックコンプ(90年創刊)に見られる、ごく一部に熱狂的ファンを作り出すSFやファンタジー系の漫画と、アフタヌーン(90年創刊)の深い設定を持つ哲学系と複雑な世界観を持つフェチ系の漫画だ。

前者の代表は「サイレントメビウス」

漫画も個の時代に突入したのだ。

(2002年2月1日)

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