参段審査課題

指導者の心得

橋本道場
立松 幸樹

 

 稽古で袴をはくようになってから、周りの人へ合気道を教えるというケースが格段に多くなりました。未熟ながら様々な人に教えていく上で、大切なことが3つあると感じました。それは「合気道の正しい考えを伝えること」「その人の合気道の可能性を潰さないこと」「自分自身が常に探求者であること」です。
 合気道は護身術であり、試合といった形式のものがありません。武道でありながら武力的対立をよしとせず、最終的に”争わない”ことを目指しています。武道というと試合や派手な型が注目されますが、精神的部分にしっかりと目を向けていくということが、正しい武道を広げていく上でとても大切なことだと思います。普段の稽古では技の鍛錬などがメインとなり、考え方に対して目を向けられることは少なくなりがちです。しかし、これから武道を学んでいくという人たちに合気道を教えていく身として、この考え方に共感する人を育んでいくことが大切であると思います。
 合気道の技には明確な解はありません。その人の状態、相手の状態、周りの状況などで同じ技でもかかったりかからなかったりします。教わる人によっても技のかけ方が違い、困惑したことがある人も少なくないでしょう。人によってどのような合気道を極めたいのかというスタイルがあります。大切なことは教える相手がどういった合気道をしたいのかということだと思います。自分のスタイルを押し付けるだけでなく、その人がやりたいスタイルでどのようにしたらいいのかを考え、教えることが重要です。その中でより上手くなるためのアドバイスや別の方法を、その人の熟練度に合わせて提示していく必要があります。
 最後に、自分自身が常に探求者であることが最も重要なことです。合気道において、何段になろうとも探求をやめるべきではありません。私自身、教えることによって自分ができていない部分を再認識できたり、他の人がどういったところに悩みを持っているのかがわかるようになりました。心技体において、より高みを目指し精進を続けることが非常に重要となります。人に教えるときも自分の技に慢心することなく、常に自分の精進であることを忘れず、稽古を行ってまいります。

 以上の三点が、私が合気道の指導を行なっていく上で重要と考えていることです。常にこれを意識し、合気道を指導し、自分自身も精進していきたいと考えております。

 

 

弐段審査課題

「合気道の稽古で得たこと」

橋本道場
藤原 崇靖

 整体を生業としていく中で「もっと身体の使い方を研究したい」。そう思ったのがきっかけで合気道を始めました。
 それにしても自分の身体を使いこなすというのはなんと難しいことなのでしょうか。合気道を始める以前から仕事柄、筋肉や骨格を勉強したり、ある程度の身体の使い方は研究してきました。
 五十嵐先生は整体をしている私にイメージしやすいように「裏の筋肉を使うんだよ」や「頸椎の四番あたりに向かって」など丁寧に解説をして下さいますが、体現するのは容易いことではありません。
 「腕はまっすぐ伸ばすだけ」、「ただ上げればいいんだよ」、「力を抜いて」など合気道を始めて何年も経ち、ずっと同じことを伝えていただいているにもかかわらず、未だにその言葉の奥にある感覚の部分は理解できずにいることの方が多い状態です。不器用な私に何年にも渡って同じことを根気よく伝え続けてくださっている先生や諸先輩方にはただただ感謝しております。
 稽古において礼儀。合気道に対する姿勢。たくさんの技や身体の捌き方や相手の崩し方など書ききれないほどたくさんのことを教えていただいています。
これらは道場のみならず普段の生活にも活きます。礼儀や姿勢というのは日常での目の前の人に対するものと同じです。また稽古のときの触れ方は施術の際の触れ方に繋がっており、技術の向上にも役立っています。
 そして何よりも良い師に巡り合うことができ、良い先輩や共に汗を流す仲間に出会えたことが合気道の稽古を通して得られた最大の宝だと思っております。
これからも人の和を大切にして、稽古で教えていただくひとつひとつが自分の感覚として身についていくよう、合気道を真剣にかつ楽しみながら精進していきたいと思います。
 まだまだ未熟で頭での理解ばかりが多く、至らないことばかりですがコツコツ続け、少しでも多くのことを体得し、後進の方々にも伝えられるよう稽古に励んで参りたいと思います。 五十嵐先生をはじめ道場の皆様、これからもよろしくお願いいたします。

 

弐段審査課題

「合気道の稽古で得たこと」

橋本道場
名和 英海

 アラフォーで始めた合気道、元来熱しやすく冷めやすい三日坊主気質の弱々しい心と運動不足でなまりになまった身体で、果たして武道の稽古についていけるのかと不安で一杯でしたが、気がつけば早六年、弐段を受験させて頂くまでになりました。
合気道の稽古から得たものといえば、健康とか柔軟性とか運動不足解消とか痛みの耐性(特に二教と四教!)とか、まあ年齢的なものは多々ありますが、ここまで続けて来れたということこそ、合気道から頂いた一番のプレゼントではないかと思います。
それは、不定休の仕事の私にも通いやすい朝稽古をして下さっている五十嵐道場とのめぐり逢いがなければ不可能でした。
丁寧に分かりやすく愛気道を教えて下さるお茶目な道場長と、ダジャレ好きの大先輩が織りなすホッコリとした雰囲気の中で楽しく稽古が出来ました。そして優しく気さくな先輩方。武道というと大きくて気が荒くて怖い熊みたいな人達がやっているものというイメージがあったので、本当に安心しました。
そして何より、いつも半歩先にいて切磋琢磨出来る同期のライバルがいてくれたこと。彼のせいで、置いてゆかれまいと全く怠けることが出来ませんでした。お蔭さま。
合気道は一人では出来ない。相手がいるからこその合気道であり、道場の皆さんとのご縁のお蔭があって、私は合気道が出来ている。また合気道の技は常に相手と切れないように心と身体と呼吸を合わせてゆく。そうした稽古の中で『人と人との繋がり』という抽象的なものを実感として感じることが出来たように思います。
週に数回の稽古ですから、武道としての合気道は正直あまり身についておりませんが、先生が技の解説の際によくおっしゃられる「ウエルカムという気持ちで迎え入れれば、ハイありがとうって何でもなく動ける」などという言葉や陰陽の動きなどから、人生に通ずる合気道の心(=愛気道)を受け取らせて頂いております。

 

 

四段受験課題

「合気道の極意」とは?

橋本道場
土井 永好


いつのことだったでしょうか、道場の神棚近くの壁面に一幅の書画が掲げられたことがありました。そこには描かれた人物(禅僧?)の頭上に「昨日の我に勝て」の賛が添えられ、初めて目にしたときは文字通り自画自賛物のよくある掛軸ほどの印象しか残りませんでした。一方、道主揮毫の「吾勝」(あがつ/合気道三要諦の一つ)は常に掲示されています。2つの書を同時に見比べるほど意識はしませんでしたが、今課題の難解さに窮していたところ、表現が似る両者の意味を探ることが答えに結びつかないかと思い当たりました。

 さて国内100万人、海外勢を加えると130万人とも160万人とも言われて久しい合気道人口の隆盛ぶりですが、この膨大な道友の数の中で合気道の修練に専門的に取り組む者はほんの一握り。大部分は、余暇時間を利用しての健康維持や日々の暮らしに潤いを求めて嬉々として稽古を続けている人たちのはずです。では、その“大部分”である私たちは技法の訓練を通して一体、どのような力を身につけようとしているのでしょうか。当然のように性別や年齢、体格、体力、動機、生活環境といった各人が置かれた状況により、上達する度合いは稽古の方法に左右されると考えます。また、戦後も70年以上を経た平和な我が国では武技にどれだけ長じても、自分のため世のために“格闘能力”を総動員するなどという緊迫した場面に出会うことは皆無に等しいでしょう(=開祖曰く「大愛の時代」)。つまり多くの道友にとっては、日常さまざまな制約が伴う中では単に柔の身体操法のみ習得することを最大の目的にしていないのではないかということです(もちろん命の危険に際し、生き延びる術として習熟しておくに越したことはありませんが…)。
私たちには、大なり小なり各人の人生経験に応じた生きる知恵や専門能力が身に付いていると考えます。そして、いわゆる武道の修養はこれらの力を高めることに役立つと説かれてきました。ゆえに冒頭2つの言葉が示す意味合いは、普段の生活において「昨日よりも今日、今日よりも明日が少しでも良くなる、改まる。」という成長論ではないかと気付きました。稽古の過程で身に付いていく能力の進歩をもってそれまでの暮らしぶりを改善することは、昭和23(1948)年に実質的な再興を果たした合気道が発信した戦後創造的なスローガンの実現と見なしたくなるほど奥深さを感じてしまいます。

 閑話休題。斯く言う私も道友のひとりに加えていただき、早15年が過ぎました。相変わらず粗野な技法で周囲に迷惑をお掛けしております。還暦が過ぎ第二の人生に踏み出したこれから先も、弛まず、ありのまま平凡の中に稽古し、昨日までの自分に比べ少しでも平和で豊かな心持ちとなるよう「合気道の極意は自己刷新にあり」を強く意識していきたいと思います。そして何よりも大切な点は、蛇足かもしれませんが各々が考えるところの“極意=技術+精神”を吟味し、実践していかなければならないという自覚にありましょう。

 

 

初段受験課題

「有段者の心得」

橋本道場
田子 高視


私が入会させていただいたのが平成21年の5月になります。足掛け10年、なんとか平成の世の内に初段を頂く事が出来たのも、道場の皆様方のお蔭で御座います。先ずはその点、厚く御礼申し上げます。

有段者になる事、袴を履くという事がどういう事かを有級者からの観点で捕らえてみようと思います。
先ず、有級者と組む機会が出来、動きや形を示す機会が生まれるという事になります。有級者から見ますと、袴を履いた人はそれだけで自分より凄い人という認識となり、また、段位の区別もつきませんので、誰の言葉も等しく価値のあるものとして映ります。
次に、袴同士ですと掛けられる技が厳しく、遠慮が無くなっていくように見受けられます。特に、前に出て先生方の技を受けられる方等を見ておりますと、時折怪我をしないのが不思議な程です。また、有級者から袴の方への遠慮も色々としませんでした。
最後に、長く続けられてきた方だということになります。大学生のように毎日のように稽古されていても2年程と決して短くない期間続けられております。

さて、以上の点を踏まえまして、有段者になるに当たって私が心がけたい事は下記になります。
1.有級者への指導を通じた自分の理解度の確認と向上。これには、自分が示した事の可否の確認に加え、示せなかった事、理解していなかった事の指摘が必要となり、今まで以上に高段位者の協力が不可欠となりますので、よろしくお願いいたします。
2.怪我をしないような受けの技術の向上。これは正直どう取り組んで良いか分かっておりません。先ずはしっかりと飛び受身の習得をし、丁寧に取りについていくよう心掛けて行こうと考えております。
3.楽しく稽古を続ける事。自分がここまで続けられてきたのも、道場が明るく合気道が楽しかったからに他なりません。この空気を大事にし、壊さないよう心掛け、更に長く合気道を続けられるよう努たく思っております。


 

 

四段受験課題

「合気道の極意」

橋本道場
入江 真弘

 

幸いにも、五十嵐先生のもとで毎日、先生の合気道に触れることができるという環境にいますが、その中で感じていることがあります。それは、五十嵐先生の技は五十嵐先生にしかできないのではないかということです。
私たちがどんなに努力をして先生のようになりたいと目指したところで、近づくことはできるのかもしれませんが、同じことができるようにはならないと感じています。その人の技はその人のものであり、その人にしかできないと私は思います。同じ師範から習っているのに、弟子の人はみんな違っているというのは皆さん感じていることでしょうし、同時にそれは合気道の魅力でもあると思います。大事なのは、そこで自分に自信を失わないようにすることです。
私たちが、まず確実にやらなければならないことは、先生に教えて頂いたことをしっかり固めることです。そして、そこから先は自分でつかみ取っていくしかありません。先生に何度も技の説明をしていただいても、自分の感覚としてとらえなければ本当に理解したことにはなりません。自分に合ったやり方、動き方や形を作り上げていかなければいけません。そこには自分に対する厳しさが必要になってきます。自分で強い気持ちを持って、意識して稽古に臨み、そこから見つけ出していくことは、自分にしかできないことです。
稽古を積み重ねるということは、技の精度や深さを求めていくことです。もし今、完成度が5%の技があるとすれば、それを6%、7%にするにはどうしたらいいのでしょうか。もしかしたら1年間必死に稽古したとしても1%しか上がらないかもしれません。いや、1%上がれば良い方だと考えるべきかもしれません。非常に長い道のりかもしれませんが、それでも今後何十年も続けていく覚悟が必要です。合気道に限らず、物事の本質というのは続けた人にしかわからないと思いますし、それを言葉にしたり、表現したりするのは簡単ではありません。ですので、早い段階で無理に表現したり、これはこうだと決めつけてしまうことは成長をストップさせてしまう危険があります。人は誰でも自分がやってきたことを正しいと思いたいでしょうし、自分の都合の良いように物事を見てしまうと思います。指導する立場ならば、ある程度は自分の中で確証は持たないといけませんが、本当に正しいのかという冷静さも忘れてはならないと思います。強い人を相手にしたとき、実際どのぐらい動けるのか、納得させるだけの技ができるのかどうか。合気道を知っている人は受身をとってくれますが、知らない人に対してどうなのか。本当の実力とはそういうものだと思いますし、見る人の目は厳しいと思います。
何かをずっと習い続けるということは、私の人生で合気道が初めてのことです。そして、ここまで続けることができたのは、五十嵐先生、まち子先生、道場の皆さん、合気道で関わった方々のご指導があったからであり、今回の昇段審査で改めてそれを強く感じています。

これから悩むことは増える一方だと思いますが、今後も周囲を方々の力をお借りしながら成長できたらと思います。今後ともご指導よろしくお願いします。

 

 

 

弐段受験課題

「合気道の稽古で得たこと」

橋本道場
小川 博之

 

私は、子供のころから外に出て体を動かすよりは、家の中で過ごすことを好み、中高の部活動もスポーツ系ではなかったため、合氣道を始める前はひ弱で気弱でした。
強くなりたいと思い、24歳のある日、思い切って近くの合氣道名古屋道場を見学させていただきました。力任せでなく柔らかく美しい動きで相手を制する技を拝見し、技もそれほど多くなく簡単そうに見えたので即入門しました。
実際やってみると、とてもきつくて難しいことがすぐにわかりました。先生の技を見て説明を伺うと「なるほどそうか」と思うのですが、やってみると思った通りにはいきません。いつまでたっても上手くできない一方で、振り返ると以前よりはできるようになっているのが不思議です。また体力的な面ではきついこともありますが、その日の調子や自分に合った無理のない稽古をさせていただけたので、長く続けられました。稽古を続けるうちに体力も付き、また道場では挨拶をはじめとして積極的に動く訓練が自然となされたおかげで、以前よりも気弱さひ弱さが大分改善されたと思います。体を動かすことが好きになりましたし、昔の私を知る人には性格も大分変わったといわれます。
20年前に名古屋から関東に引っ越してからは、合氣道から遠ざかっていましたが、4年前に五十嵐道場に入門させていただきました。五十嵐先生のご人徳だと思いますが、五十嵐道場で厳しい中でも、とても楽しく稽古を続けさせていただいています。
昨年は海外出張先のオランダで稽古をすることができました。まだまだ引っ込み思案な私が、海外の道場を訪問できたのは、五十嵐先生が背中を押してくださったおかげです。言葉の不自由さがあるものの、先方の皆さんが温かく迎えてくれ、いろいろな意味で大変貴重な体験をすることができました。なにか大きなものを学んだ気がします。
合氣道の稽古を通じて学んだことは、言葉で言い尽くせません。合氣道の技だけでなく、日常生活を生きていく上で大事なことを学んでいるように思います。

 今後も合氣道を楽しみながら、心身ともに精進していきたいと思います。ご指導ご鞭撻よろしくお願いします。

 

 

初段受験課題

「有段者の心得」

橋本道場
千葉 文博


地元相模原、橋本で初めて合気道に入門しましたのは5年前に遡ります。今回、初段を授与して頂きましたが、この5年間はあっという間の五年間でした。
入門以来、本格的に五十嵐先生の下で稽古に参加すると、合気道の技の仕組みの面白さに引き込まれ、技の習得に夢中になりました。五十嵐先生や先輩の皆さんは皆優しく、時に厳しく、合気道の技も素晴らしいものです。五十嵐先生や先輩方に入門以来、多くの合気道の技を教わりました。
合気道の技はスポーツなどでいう「力」ではなく、独特の身体や力の使い方をします。そこが難しくもあり面白いところでもあります。今回、初段を取得させて頂いたとはいえ、まだまだ技の体得が十分ではないため、今後もしっかりと稽古で技の習得に励みたいと思います。
五十嵐先生の合気道では、剣や杖も頻繁に使用します。体術にもその理合はしっかりと活かされていますので、どちらも疎かに出来ません。今後も剣杖、体術全てをしっかりと学んで行きたいと思います。
今回の初段はひとつの節目と位置付け、より深い合気道の習得を目指すと共に、今までの級の全ての技や動きを使えるように復習したいと思います。そして、海外でも五十嵐道場の門下生として恥じないような技を身に付けたいと思います。

今後も五十嵐先生の弟子の一人として、強く美しい合気道の習得に励みたいと思います。これからも何卒宜しくお願い致します。

 

 

弐段受験課題

「合気道の稽古で得たもの」

カナダ・カルガリー合気会
榎本 敦子


合気道の稽古には、協調性、助け合う心、向上心を持つこと、そして、それぞれの目標に向かって稽古を続けていける環境を作ることが大切であるといつも思っています。
これまでの稽古で感じたことは、稽古仲間と、助け合いながら向上していくという心を共有しないと、稽古がうまく進まないばかりか、稽古自体がつまらないものになるということです。武道は一人勝ちは出来ません。強くなるという意味は合気道においては、人を負かし勝ち抜いていくことではありません。和を保ち、相手に合わせつつも、お互いの成長に必要な稽古を互いにつけていくことが、自身の強さにつながります。ただされるがままでは良い受けとは言えませんし、必要以上に技がかからない様にしたり、すぐに指導的な意見を言うのも良い稽古相手とは言えません。稽古は思考錯誤であることも多々あります。繰り返し腑に落ちるまで、動き続けることも時には大切です。取りでも受けでも繰り返し動き続け、稽古相手と共に向上し、お互いが成長できたときに、私たちの武道的な強さは生まれるのだと思います。そしてそこから、自分自身の成長に繋がります。
私が合気道の稽古で得たものの一つは、相手に合わせながら、逆らわずも、自分の芯を保ち続けることの大切さだと思います。仕事上も、私生活においても、自分だけのやり方や考え方では、経験不足であったり、思慮に欠けることも多く、自分の考えを主張し続けても前進できないことがありますが、周りに合わせたり、意見を出し合い練り合うことで、道が開けることがあります。そのためには自分も相手もしっかりと芯のある人間であること、成長し続けることに努力を惜しまないことが必要になります。芯が無さそうに見えがちな私ですが、合気道の稽古を通して、自分が胸を張って物事に立ち向かうことが、仲間と共に成長していくことに貢献することになると感じています。
では、勝つことがあるとすれば、敵は誰なのか。それはやはり自分自身なのだと思います。弱さを熟知しているのは、他ならぬ自分自身です。今日よりも明日の自分が成長しているように、努力し続けることで、負けない自分を作り上げていくことが出来ると信じています。
合気道の稽古は、私にとって、健康維持には必要不可欠な生活の一部になっています。身体的な健康もさることながら、精神的なゆとりを与えてくれる時間でもあります。長く楽しく稽古を続けていくことは、実はとても努力を要することなのだと思いますが、これからも、美しい合気道を目指し、稽古相手を大切にしながら精進して参ります。

 

 

弐段受験課題

「合気道の稽古で得たもの」

橋本道場
吉沢 照夫


今年72歳を迎えますが、6年前に腰の手術をして、3年前にリハビリの目的で五十嵐道場に入門しました。大学の部活で合気道をやったことがありましたが、50年のブランクと、手術の後遺症で、でんぐり返しも出来ない状態でした。
道場では無理をしない稽古指導で、今は受身が取れるまで回復しました。孫のような少年達や、海外の人たちとも練習できる恵まれた環境で、楽しく稽古を続けています。
3年間の稽古で健康の回復以外にも、いろいろなことを学びました。若いころは、腕力に頼った自分勝手で力ずくの合気道をしていましたが、五十嵐先生の力学的理論に基づいた指導法で、力づくでなく合理的な捌き方を教えていただきました。
「テコの原理で接点を導く」、「歯車の噛合せで、力を伝達する」等々、まだ未熟ですが、技で大きな意識改革がありました。
昨年夏の山中湖合宿では、海外から来日した多くの人達と稽古し、地域の演武会では、他の道場の方と交流がたくさん出来ました。合気道は老若男女の区別なく、だれでも出来る楽しさを体験しました。
人を尊重し融合する合気道の精神は、人間力も高めてくれました。多くの人達と接点を作り、絆を強める和合の精神は、自分にとって、健康を維持して行く大切なものになっています。
一日も長く合気道を続け、若い人達の手本になれるよう精進する所存です。

 

 
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