(会長就任にあたり)
「別無工夫」
葉泳会会長 西本 好男(1971年卒)
千葉大学水泳部創部50周年記念パーティが、150名以上の方に参加を戴き盛大に挙行されて、1年になります。改めて今田前会長をはじめ、数年前から色々とご尽力を戴いた方々に感謝申し上げる次第です。
私が千葉大学の水泳部に入部して以来40年、その間西千葉のプールに顔を出せない期間もありましたが、今また水泳部のOBとして何かお役に立てる機会を戴き、大変嬉しく、また責任を感じる所です。
入学してどの部に入ろうかと思案していた時、学食で高校の水泳部の先輩に会い、スープのような確か30円のカレーライスを食べながら「千葉大に水泳部はあるのですかね?」と聞いたら、「プールは無いけど中学校のプールで泳いでいるみたいだよ。」と聞いて覗きに行ったのが運の尽き。明日対抗戦があるから泳げと言われてまだ入るとも言わないのに泳がされたのが最初でした。入ってみると、建築学科の先輩で同じバタフライの小林さんという、見るからに土建屋の親分がいて、蛸部屋に押し込まれてしまいそれ以来抜けられず卒業までという羽目になってしまいました。
現役時代は、非常に練習嫌いで、いかにサボって楽をしてその日の練習を終わらせるかと言うことばかり考えている不届きな部員であったような気がします。
今からでは遅いですけど、もう少しまじめに練習しておくべきであったと思っています。そのようなことを反省している時、「別無工夫」と言う墨蹟(臨済宗の高僧である夢窓疎石(1275〜1351)の墨書)に出会いました。「別無工夫」は、「別に工夫無し」と読みます。
誰でも人生の底にいるとき、そんなときって、どうしても底から早く抜け出そうと、あれこれと自分なりに工夫したくなる。でも、そんな工夫は不要だということです。
現代風に解釈すれば、どんな時もどんな場所にいても、ただ己の最善を尽くせということ、環境や相手に合わせて、打算で手を抜くことも、意気込んで大切なことを見落とすこともなく、淡々と同じように真摯であれと。そこに余計な工夫は必要ない。
水泳でもスランプの時があります、その時自分なりに工夫し、プルやキックの仕方やタイミングを変えたりと色々悩むと思います。その時基本に返ってただ黙々と泳ぐ、その中から答えが出てくるのではないでしょうか、小手先で解決は出来ないと言っているのだと思います。
私はいつも小手先の事しかしてこなかった、40年前に「別無工夫」に出会っていれば・・・・、と思うのですが、こうした思いは40年間の経験の重なりを経て、始めて気がつくものかも知れません。