ウズベキスタン映画祭2002
O'zbekiston Kinofestivali 2002

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●目次


●ウズベキスタン共和国の概要

 ウズベキスタン共和国は、1991年8月31日にソビエト連邦からの独立を宣言した(独立記念日は毎年9月1日)。アジア大陸の真ん中、「中央アジア」と呼ばれる地域の国のひとつで、シルクロードの全盛時代には、都市文明が繁栄した。今もなお、この地域の文化・経済の一大中心地となっている。面積は44.7万平方キロで、日本の約1.3倍。人口は約2,450万人で、日本の約5分の1である。国民の8割はウズベク人で、公用語はウズベク語(トルコ語などと同じ系統に属する)。ソ連時代の名残で、ロシア語も民族間の共通語として使われている。

 ウズベキスタン共和国は、1991年12月28日、日本により国家として承認され、1992年1月26日には両国間の外交関係が開設された。以来、両国間の関係は良好に発展し、人的交流も、中央アジア諸国の中では最も活発なものとなっている。1993年1月には、ウズベキスタンの首都タシケントに日本国大使館が開設され、1996年2月、東京にウズベキスタン共和国大使館が開設されている。

・さらに詳しくは、ウズベキスタン共和国大使館のサイトなどをご覧ください。

●ウズベキスタン独立後の映画事情

井上 徹(映画史・ユーラシア文化研究者)

 2000年のモスクワ国際映画祭では、旧ソ連圏の映画を紹介するプログラムのなかで「知られざるウズベク映画」という特集が組まれていた。と言っても、上映作品は4本――『夜明け前』(ユスプ・アジモフ監督、1993年)、『カイープの最後の旅』(ファリド・ダヴレトシン監督、1989年)、『I WISH…』(ズリフィカル・ムサーコフ監督、1997年)、『フェリーニ』(ナジム・アッバーソフ監督、1999年)。実をいうと、日本では最初の2本は1994年の中央アジア映画祭で上映されていて、さらに『I WISH...』は同映画祭で上映された『UFO少年アブドラジャン』(ムサーコフ監督、1992年)がきっかけとなってNHKの資金提供を受け、第2回アジア・フィルム・フェスティバル'97のために作られた作品である。つまり、4本のうち3本はすでに日本で紹介されていたわけで、今さら「知られざる」などと言っているモスクワは一体何なのだろうと思ったものだ。

 ソ連を構成していた15の共和国がそれぞれ独立し、ソ連というタガが外れたとき、ウズベキスタンはロシアと基本的に距離をとる立場を選択した。もちろん、人やモノの流れが完全に止まったわけではないのだが、それでも、ウズベキスタンの首都タシケントとモスクワとの距離はずいぶんと広がってしまっている。かつてはソ連のなかで“比較的遅れた地方”だったウズベク共和国は、“発展途上国”のウズベキスタンに化けてしまった。それは例えば、モスクワの束縛もない代わりに資金も来ないということだ。ソ連時代、ウズベクフィルムは年に12本程度の劇映画(テレビ用を含む)を製作していたが、ウズベキスタン独立後は、国営撮影所の他に独立プロダクションがぞろぞろ出来たにもかかわらず、年間製作本数は半分、さらにそれ以下になった。

 しかし、ウズベキスタンでの劇映画の製作は、1997年に『I WISH…』と『マルギアナ』(ハタム・ファイジエフ監督)の2本まで落ち込んだ後、1998年は10本、1999年は4本、2000年は6本と、再び活気づいているように見える。国家予算から年間6本前後の劇映画に製作費が出るようになり、2001年は5本の製作を予定している。ムサーコフ監督の新作『オイジョン(母)』は、ウズベクフィルムが製作し、国家予算から製作費が出ているが、日本の国際交流基金の助成金も得ることで成立した企画だ。もちろん、これだけでウズベキスタン映画は復活したとまで言えるかどうかは難しいところだが、ウズベキスタンに限らず、旧ソ連圏全体に映画に活気が戻りつつあるのが最近の情勢だ。

 ただし、ウズベキスタンでは、映画製作の施設は陳腐化、老朽化していて、問題が多い。例えば、ムサーコフ監督も、フィルムを現像するラボは、ウズベキスタンのラボでは品質に問題があることが多いので、ネガは必ず国外のラボ(例えばモスクワの)を使うという。また、フィルムを使った映画製作の機会が限られているため、国内で若い人材を育成することが難しくなっている。ソ連時代は、モスクワの全ソ国立映画大学(VGIK)で学んでからウズベク映画界に戻って活躍するというのが最も多い映画人のパターンだったが、これから果たしてウズベキスタンだけで学んだ優秀な映画人が出てくるかどうかは未知数だ。

 冒頭で述べたモスクワでの「知られざるウズベク映画」特集は、『演説者』ユスプ・ラジコフ監督、1999年)が第3回CIS・バルト諸国映画フォーラムで高く評価されたことがきっかけで組まれたというが、この監督もモスクワのVGIKで学び、現在ウズベクフィルム所長を務めている人物。ムサーコフ監督もモスクワで学んでいる。ただしVGIKではなく高等脚本家監督コースの出身で、これは冒頭に挙げた4本の監督のなかで唯一の例外。こうして見ると、モスクワで映画製作を学んだ経験なしに、それなりのレヴェルの作品を作る監督は、出てくるとしても、かなり先のことかもしれない。

 一方、映画を見るほうの状況はどうか。映画館ではハリウッド映画やインド映画(ソ連では大衆娯楽作品として人気がある)を中心とした番組編成だが、国産映画もたまには上映する(これは国家によるメディア支配の現われと見ることもできよう)。ただし、サウンド設備なども時代遅れになったままで新しいものを入れることはできず、さらにビデオの普及もあって、映画館はがらがらという状態。海賊版ビデオが氾濫していて、最新作でもすぐに出てくる。テレビでは、自前の番組を作る力がまだ低いせいもあって、映画は数多く放映されているが、ロシアのテレビ局で放映したものの再利用、場合によっては海賊版を利用した放映も多いという。映画は今でも大衆娯楽としての地位を保っているのだが、「映画館」の存在意義が危うくなっているところは、いずこの国でも同じ情景のようだ。

(初出:『UFO少年アブドラジャン』プレスシート、一部改稿)


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