その後のモスクワ映画博物館

 モスクワのロシア国立中央映画博物館は、2005年11月30日の上映会をもって、クラースナヤ・プレスニャの建物での活動に終止符を打った。映画博物館の組織自体は存続し、展示や上映の活動は、企画ごとに随時場所を借りて続けている。

 現在、事務所や所蔵資料・史料の保管場所については、モスフィルム撮影所構内に場所の提供を受けている。モスクワ市内のカフェなどを使いながら、映画博物館の支援者たちによる読書会やセミナーも開催されており、映画博物館の精神は引き継がれていこうとしている。

 展示・上映設備を持つ常設館を獲得するための運動は引き続き行われている。ロシア語の読める方は、支援者によるサイトで随時ニュースが流されているので、ご覧いただきたい。→[リンク|Друзья Музея Кино

 状況は厳しいものの、活動の実質を失わないよう努力を続けるモスクワ映画博物館の人びととその支援者たちの姿には、われわれも見習うべきものがある。ソ連時代に苦労してきた人びとのしたたかさとして済ませるだけではいけないと、自戒を込めて、思っている。

 なお、以下に閉館直前に書いた文章を、記録として掲げておく。

2006年5月11日 井上 徹


ナウーム・クレイマン氏の旭日小綬章受章と映画博物館の危機

 11月3日に発表された秋の叙勲において、モスクワにあるロシア国立中央映画博物館館長で、当シネクラブの名誉顧問でもあるナウーム・クレイマン氏が、旭日小綬章を受章した。当シネクラブの関係では、顧問の新藤兼人監督が2002年に文化勲章、名誉顧問のユーリー・ノルシュテイン監督が2004年秋に旭日小綬章を受章し、顧問の高野悦子氏、山田洋次監督が2004年秋に文化功労者に選ばれている。

 映画博物館では、在モスクワ日本大使館主催の日本映画祭や小津安二郎、成瀬巳喜男、五所平之助、衣笠貞之助などの日本の映画作家の特集を行ってきた。また、日本文化に関心を持つグループの集まりに会場を提供したりもしている。こうして「日本文化紹介及び対日理解の促進に寄与」してきたことが評価された。

 昨年来、映画博物館の存続が問題になっており、その側面支援の意味合いも込めて日本大使館のスタッフが動いたことが、受章につながったようだ。

 今回、ロシアではクレイマン氏のほか、ロシア語版『日本民話集』の挿絵を描き、絵本などを通じて日本でもおなじみの画家であるマイ・ミトゥリチ=フレブニコフ氏も受章した。

 映画博物館がまたもや存続の危機にさらされているという話が舞い込んできたのは、昨年6月のことだった。折しもモスクワ国際映画祭の開催の直前で、ロシアのマスコミでも話題になった。映画祭の期間中には、存続をアピールする支援集会やフォーラムが開催された。映画祭でモスクワを訪れていたクエンティン・タランティーノが支援メッセージを寄せたのをはじめ、新藤兼人、ベルナルド・ベルトルッチ、アニエス・ヴァルダ、クリス・マルケル、アモス・ギタイなど支援の輪は世界に広がっていったが、残念ながら、現在地では存続しないことがほぼ確定したようだ。

 ただし、映画博物館そのものは存続させるという方向で動いており、収蔵品はとりあえずモスフィルム内に置かれることになりそうだ。しかし、市内に拠点がなければ、シネマテークとしての機能を果たせない。新たな拠点づくりの話も出はじめたが、金がかかることなので、まだどう転ぶかはっきりしない。“無責任な責任者たちの発言”が飛び交っている段階だ。

 また、ベスラン(2004年9月に武装勢力による小学校占拠事件が起きた町)に今年10月4日、映画博物館の分館として北コーカサス・シネマテークが開設された。今年(2005年)2月にモスクワを訪問した際、クレイマン館長から構想は聞いていた。子供たちが戦争や殺戮をめぐる映像に取り囲まれるなかで、そうではない世界を見せるための拠点が必要だという考えから生まれた構想だという。こちらの展開も見守っていきたい。(井上 徹)

初出:「エイゼンシュテイン・シネクラブ・ニュース」第107号、2005年11月15日、エイゼンシュテイン・シネクラブ(日本)


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